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番外:このブログのブラウジング・ガイド(「岬めぐり」ブログはこんな構成てできています) [番外]

■「完結」はしていないけれどここらでひと区切り
 「でんでんむしの岬めぐり」は、原則として国土地理院地図にその名前の表記がある日本全国の岬(崎・鼻を含む)をめぐっていこうというブログです。なかには有名な岬もありますが、そのほとんどは名前を見ても聞いても誰も知らないような岬がほとんどです。
*shionomisakiZ.JPG
「岬めぐり」の原点となったのは10代の終わりに遭遇した潮岬と東尋坊
*tojinnboZ.JPG
 フツーこういう場合、マイカーやレンタカーを使えば回ること自体はそう難しいことではありません。ところが、でんでんむし(←わたしのハンドルネームです)は免許も持たず車の運転ができないので、制約が多く不便な電車やバスなどの公共交通機関でめぐるしかありません。ならばそのハンデを逆手に取って楽しんでみよう…というのがミソです。
 当初は、どうせ全部は行けないんだし、主だった岬だけを拾って…というつもりだったのですが、それもおもしろくないし似たようなことはやっている人も他にありそうだから、人のやらないことをやろうと、有名かどうかを問わず、地図上で名のついた全岬を拾ってみることに方針転換しました。
 しかし、その数は多く、島嶼部など交通機関はおろか道もなくて行けない岬もたくさんあります。とても全岬踏破などはできないので、それは最初から目標としてはおりません。まあ行けるところまで行ってみようという、ゆるーい姿勢で始めました。
 北海道・東北の東日本・中部の北陸・東海と近畿地方については、一部を残してかなり行けました。西日本については中国・四国・九州はちょこちょこと行ってはいますがまだ空白が多い、というのが現状です。事情があって、播磨灘の家島・小豆島とめぐってきて直島でストップしたままなので、完結はしていないけれどここで区切って、ブログの表紙をつけようとこの項目をアップしました。

番外:なぜ「みさき」なのか?

番外:なぜ「でんでんむし」なのか?


■「本編」は1595項目ありますが全国の岬の数は…
 ブログ「でんでんむしの岬めぐり」の本編は1595項目からなり、原則として1項目1岬ですが1項目で複数の岬を取りあげることもあります。各項目の頭には古い項目から新しいものへ順に通し連番をつけています。2006年10月16日に最初にアップした「001」から、2019年08月04日の「1595」まで、このブログでは連番の若い番号の項目がずーっと奥にあり、番号の大きいものが手前に並んでいます。
 各項目がアップされた年月日は、各項目本文の欄外、最末尾に「2006-10-16」のように小さく記載されています。これはこのブログの仕様によるものです。訪問日は各項目の本文の末尾に「四国地方(2018/10/12 訪問)」のように地域名と併記しています。
 最初の「001 地蔵崎」は2006-10-16となっていますが、実際に訪問したのは2004/04/28とズレがあります。このように最初の001から050〜061くらいまでの項目についてとくにズレが大きいのは、ブログを始めるにあたって、それまでに訪問していた岬をアトランダムにピックアップして並べているからです。
 それ以降の項目については、岬めぐりの訪問計画ごとにコース順にまとまっていますが、アップした日と訪問日はやはりいくらかズレています。岬めぐりから帰ってきて、しばらく時間をおいて、情報を整理したうえでアップしています。

番外:日本全国津々浦々岬の数はいったいいくつある? 数え直してみた(岬・崎・鼻データベース2018改訂新版=その1


■どんな岬が収録されているかは一覧Fileをめくってみる
 各項目の見出しの上にはページ移動のためのボタンもありますが、約1600項目もある本文全体をブラウジング(閲覧)するのは容易ではありません。目的の岬の名前がわかっている場合には、画面左側のサイドバーにある「記事検索」から探すこともできます。
 また、各項目には所在地のタグをつけていますので、サイドバーのタグリストから都道府県名を選んでクリックすると、そこの岬で収録してある項目が表示されます。
 個々のページだけでなく、もう少し前後を広く俯瞰して眺めることも必要です。このブログでは、全項目一覧リストも別ブログをつくって用意しています。サイドバーの「全項目▲Link List1」同じく「2」では50項目ずつに区切った一覧にリンクしています。この一覧はFile1からFile32まであります。このファイルを眺めながらめくっていくとだいたい、これまでに収録したものにはどんなところのどんな岬があるのかがわかります。
*Link List (1).jpeg
 このファイルではそれぞれの行が全部ボタンになっていて、その行をクリックすると「でんでんむしの岬めぐり」本編にリンクしていてその該当項目に飛ぶことができます。
 通し連番が頭につかない「番外」項目も本編の間に挟まっていて、このリストに表示されます。番外にはその岬に付随関連する項目と、それとは直接関係のない項目があります。

でんでんむしの岬めぐり▲Link List File32 1551〜1600


■本編以外の番外または別カテゴリも(でんでんむしアーカイブス)
 「岬めぐり」というメインテーマ以外のカテゴリで括られたテーマもいくつかあります。それぞれ番外または別カテゴリとして本編の間に挟まっていますが、そのLink Listをまとめておきます。

○月島界隈Link List

○石垣島だよりLink List

○むかしの人は言いました 道歌Link List

○『思い出の索引』(年表)Link List

○ある編集者の記憶遺産Part1■01〜29主に故郷広島のことなど

○ある編集者の記憶遺産Part2■01〜10主にコンピュータと岬めぐりのことなど


dendenmushi.gif(2021/02/17 記)

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1595 オカメノ鼻・タテエボシ鼻=香川郡直島町(香川県)70項におよんだ播磨灘周辺の岬めぐりはこれでおしまい [岬めぐり]

*DSCN0760 (1).jpg
 「つつじ荘」というのは、どうやら海の家か何かの名前で、宿泊施設やカフェなどもあるらしい。そこが直島町営のマイクロバスの終点である。その浜辺から見ると、南西方向に細長く突き出た岬がある。
*DSCN0762 (1).jpg
 ここにはオカメノ鼻という名があるが、特に古文書に由緒があるわけでもない。前項および前々項で触れたように、直島にはこの地の代官などを務めたという三宅氏が代々伝えてきた『故新伝』という文書に島のあちこちについての記載があるようだが、そのなかに姫が琴を弾いて上皇を慰めたとか、姫の一人にの名は京であると伝えている。
 国土地理院の地図では、つつじ荘の付近には琴反地という字名がついており、その北西側の山には京ノ山105.5と表記している。これらが古文書の伝えるところと何か関係があるのかどうかはわからない。
*DSCN0763 (1).jpg
 砂州が先端の岩島と結びついたような地形の岬の周辺には、ベネッセ関連の何かがあるようだが、それも建物などの一部は伺えるがよくわからない。岬の方に向けて、デッキのようなものが設けられている。
 島の最南端でもあるオカメノ鼻から北、京ノ山の西にかけては、ベネッセアートサイトの美術館などが点在している。低いとはいえ山の中で、国立公園である周囲の景観にも配慮して、山の中に隠れるようにしてそれらの施設はあるようだ。
*DSCN0769 (1).jpg
 その自然の中を歩きながら、美術館めぐりをというのもコンセプトらしいが、結構な距離もあるので、つつじ荘から先へはシャトルバスがつないでいく。町営バスでやってきた大半の外国人観光客も、ここで降りてやってきたシャトルバスに乗り換えて行く。
*DSCN0761 (1).jpg
 オカメノ鼻を眺める浜辺には、低くて小さな石の鳥居が立っている。しかし、その周囲には神社らしきものも、参道らしきものもない。
*DSCN0766 (1).jpg
 ベネッセに用がないこちらは、ここで次の町営バス便を待って、また宮ノ浦港まで引き返すつもりだが、もう一つ別の岬があった。これがこのシリーズ最後の岬になる。
 それが柏島の東端にあるタテエボシ鼻だが、つつじ荘の浜からでは柏島の西側は見えても東側は見えない。遠くに見える街は高松の市街地であろう。つつじ荘から東南へ峠を越えて行くと、タテエボシ鼻も見えるはずなのではあるものの、時間の都合もあってそれもできない。
*DSCN0610のコピー (1).jpg
 いちおう近くまでは来ましたということで、豊島と井島の間を走るフェリーから、タテエボシ鼻方向を眺めたところも写真をあげておこう。だが、これもちょうど柏島の先端と手前の尾高島が被ってしまう。
 「タテエボシ」は立烏帽子であろうが、「オカメノ」は「阿亀の」か「岡目の」かだろうか。

 さて、ここまでで2018/10/から始まった、淡路島西海岸、東播磨、家島諸島、小豆島、豊島、直島と連続してきた播磨灘を中心とする岬めぐり、島めぐりは終わりとなる。 
 1525 江井崎2からの今回の一連の岬めぐりは、この1595項目まで、実に70項目にわたって続いてきたことになる。
 開始初日こそ晴天に恵まれたものの、中心となる家島・小豆島では丸々2日間は雨に祟られっぱなしだった。
 豊島から直島にかけては晴天が戻ってきたので、なんとか悲惨なままに終わる結末は免れたが、やはり岬めぐりはお天気次第だ。この播磨灘ルート・コースでは、バスやフェリーという乗り物に乗っていることが多く、歩き回ることは少なかったからまだよかったが、それでも雨の岬めぐりはパッとしなくてどうにも困る。
 この連載期間中、2019/03の半ばまでは3日に一項目の新規更新を続けてきたが、4月以降からは8日に一度の更新にペースダウンしている。そればかりではなく、でんでんむしは「きた!みた!印」と称してきたいわゆるnice! 欄を表示させないし、こちらからも訪問をしないことに切り替えた。
 これもいろいろ考えた末の決断で、ひきこもりポリシーをいっそう徹底することにした。明らかに、ブログのシステムや設計者の意図とは逆の方向へ行っているが、それもぼつぼつ幕の引き方を考えなければならないので、めんどうなことわずらわしいことは極力さけて、ちぢこまっていこうという方針からきている。
 そんなこんなのいろいろな事情で、次の岬めぐり新シリーズの計画は、今のところない。

▼国土地理院 「地理院地図」
34度26分34.06秒 133度59分29.75秒 34度26分30.42秒 134度0分51.58秒
スクリーンショット 2019-06-26 9.41.06.jpg
dendenmushi.gif四国地方(2018/10/12 訪問)

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タグ:香川県
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1594 角崎=香川郡直島町(香川県)まちまちでバラバラな記述を総合して崇徳院と直島の関係を見直してみると… [岬めぐり]

*DSCN0744 (1).jpg
 直島は、かつては真島と呼ばれていた。神功皇后が吉備軍と待ち合わせをしたので待島となり、これが真島になったという。崇徳院(崇徳上皇)が島に配流されたときに付従った人々が、院に対して厚く実直であったことから、真島が院によって直島と名付けられたと『故新伝』は述べている。この史料では、前項の猫ヶ鼻のほかにも、島の多くの地名や縁をたくさん並べている。
*DSCN0745 (1).jpg
 たとえば、院の船が到着した浦を「王積の浦」、院の御所が造られた場所を「泊か浦」、院の姫宮が後を慕って三宅中務大輔源重成とともに到着した浦を「姫泊か浦」、そこの山を「姫泊山」としている。そのほか、院に付き従った家臣らが滞在した場所の名に結びつけたりしていろいろあげてある。
 現在の国土地理院地図に表記された名前では、本村の南側に積浦という集落があるが、どうやらそこが「王積の浦」であるらしい。その東には標高100メートルの「姫泊山」があり、そこから北東側に連なる尾根の先が角崎となっている。その陰がつくる凹んだ入江が「泊か浦」や「姫泊か浦」なのであろう。
*DSCN0750 (1).jpg
 『故新伝』では崇徳院はこの島で3年も過ごしたことになっているが、これは史実とはだいぶ違うのではないか。崇徳院の動静については、『保元物語』、『平家物語』、『源平盛衰記』などやその他の軍記物にも出てくるが、史料によって記述がまちまちで、長い間の言い伝えや記録がバラバラで、その後の改変などもあって、これにこう書いてあるから史実だと言えるような確かなものはどこにもないようだ。
 京から流されて行く経路についても諸説があり、錯綜している。配流先での受入御所の造営が間に合わないので、しばし別の場所に移って、それから讃岐松山に入ったというのは、どうやら本当らしいが、その場所や時間的な関係に関する記述に一貫性もなく、はなはだ曖昧なのだ。
 それらを総合すると、どうやら讃岐松山の官人であった綾高遠の屋敷→直島→松山の御所のように移動したとするのが最も妥当ではないかとの説もある。が、それだといったん讃岐松山に入りながら、そこからまた直島まで引き返すことになって、はなはだ不自然で納得しがたい。
 直島に滞在したとする記述そのものも少なく、でんでんむしの印象では、直島に立ち寄ったことはあったとしても、それはほんの短い期間のことではなかったかと推察される。
 というのも、古代から中世の直島は、讃岐ではなかったことが明らかで、備前国児島郡に属していた。讃岐に流され、そこを配流地として御所を造営しなければならぬのに、備前国だった直島に御所を設けて長期間滞在するということは、あり得ないと思われるからだ。
*DSCN0752 (1).jpg
 一方で、航路としては本州から讃岐国府方面に渡る場合、そのルートの中継地として直島は位置していたため、潮待ち風待ちのためにここに仮泊することは十分に考えられる。
 この直島滞在が、誤って直島配流として伝えられ受けとめられたのではないか。『保元物語』や『平家物語』の異本などが触れている直島行在所説は、事実ではないとみる見方は多いようだ。京に伝わった直島配流の噂と、実際の配流先での讃岐における状況を伝えたものとが繋がったもの、とみる見方である。
 『故新伝』が詳細に直島と崇徳院を結びつけて記録し、島の具体的場所のあれこれを並べているのは、院に付き従ってきて、その娘でつながる三宅氏一族の政治的な思惑があってのことだったのではないだろうか。実際に、江戸初期には上皇配流説を直島の支配に利用しようとした動きがあったという研究もあるという。
 でんでんむしがこのような納得にたどり着いたのは、北山本新庄研究室のサイト「崇徳上皇讃岐配流地の真相」を読んでのことである。
*DSCN0753 (1).jpg
 直島東端に位置する角崎は、実際に崇徳院や姫やそのお付きの一統をここで迎えたのだろうか。直島に潮待ち風待ちで立ち寄るとしても、この角崎がつくる積浦の入江よりほかに適当な湊は考えられないというのは、その通りであろう。
*DSCN0754 (1).jpg
 積浦から角崎のほうを眺めれば、遠く西には鞍掛ノ鼻、東には后飛崎がある。瀬戸内海広しといえどもどこをどう走っても同じということはなく、やはり潮や風や寄港地など航路としての条件を考えると、自ずから絞られてくるものなのだろう。神功皇后伝説でも、およそこの海域を航行しているし、崇徳院が流されるときにもそれと同じようなルートを辿っている。
*DSCN0758 (1).jpg

▼国土地理院 「地理院地図」
34度27分14.67秒 134度0分39.51秒
スクリーンショット 2019-06-26 9.40.36.jpg
dendenmushi.gif四国地方(2018/10/12 訪問)

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