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411 松原鼻=出水市荘(鹿児島県)初めてなのになぜか懐かしいツルにも会えた [岬めぐり]

 延々自転車で走って、見渡す限り干拓地の前方に、やっと平べったい小さな蕨島が見えてくる。今回の鹿児島シリーズで最初の岬は、この島の端にある松原鼻である。
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 右に小さく見えるのは桂島。蕨島に近づいて行くに従って、小さな島もだんだん大きく見えてくる。けれども、これが島と認識できるのは、地図を見ているからこそであって、こうしてみるとただの丘にしか見えない。ひとつだけ目立つ建物は蕨島小学校で、松原鼻はその右手になる。
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 ところがこれが、のっけから“名ばかり岬”で、干拓の堤防がそこから延びているので、道の脇にぽこっとした笹の茂みがあるだけで、誰も岬とは思わないで通り過ぎている。つまり、ここも干拓で蕨島がつながってしまい、往時の島の南端の岬らしさは失ってしまったが、その名前だけはかろうじて残っている、というわけだ。
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 でんでんむしの「地図好き」の原点は、当時唯一の愛読書・バイブルだった『児童年鑑』巻頭の絵地図で、その鹿児島県出水のところにはツルの絵が描いてあった。それで、小学生の時から鹿児島のこの辺りにはツルがいるという情報だけは、しっかりと刻み込まれた。
 JRになってから、日本の鉄道は新幹線以外は全部細切れ電車ばかりになってしまったが、昔は“東京発=出水行き”などという列車が、ちゃんと走っていた(これ、今考えるとちょっとスゴイでしょ。“西鹿児島行き”というのもありました)。それで、これが「でみず」ではなく「いずみ」と読むことも知ってはいたが、出水はなかなか遠く、これまで何十年も未踏の地のままだった。
 熊本県の最南端の岬は、水俣の恵比須崎で、前に県境の境川までは来ていたが、今回の鹿児島シリーズはその続きになる。だが、鹿児島の西海岸の最初の岬は、県境からはずいぶん間隔が開いて、出水駅から8キロも西へ田圃や畑の中を走らなければならなかった。
 駅の観光案内所で自転車を借りるとき、「もうツルは帰っちゃったんでしょうね」というと、案内所の女性が「いえいえ、まだいますよ」という。昨日でツル観察センターが閉館したというのは知っていたので、もうみんな北帰行済みだろうと半ばあきらめていたが、それはラッキー。ロッカールームの在処を尋ねると、「荷物はこちらでお預かりしますよ」といってくれたので、300円節約できてまたラッキー。
 いや、そんな細かいことにこだわってはいけない。気宇壮大にいこう。
 ツルがそこへ渡来しはじめたのは、元禄中期あたりのことだというから、およそ310年前のことになる。出水の干拓の歴史は古く、島津藩がかなり力を入れてきた。干拓地はその後もどんどん広がっていくし、ツルもどこへも飛んでいくが、比較的義理堅いツルは毎年同じ場所へ帰ってくるし、今でもその付近に多くいるようだ。
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 松原鼻のある荘の南には荒崎という字名が残っているので、ここも昔の岬だったのだろう。その付近がその初期の干拓地でツル渡来がはじまった場所なのだ。ツルとその渡来地は特別天然記念物に指定されているが、越冬地としてはここは世界一の規模なのだそうだ。
 “世界一”といわれると、それだけで恐れ入ってしまうが、このときは、もうほとんどがシベリアに向けて旅立った後だったので、こんなものだったが、最盛期の凄さは想像もできない。出水のツルは、胴体が黒っぽいナベヅルが中心である。
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 九州新幹線も、変則的開業をしていて、出水にはその駅もあるが、東京からここまでやってくるには、やはり飛行機だろう。鹿児島空港から出水市に行くリムジンバスは、茶畑を過ぎ峠を越えて盆地の町を通り抜け、また二つ目の峠を越えて、鍋野川にそって平野を目指して下って行く。
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 この途中の道も、なかなか風情のある道で、ところどころにはヤマザクラの大木がきれいに花を咲かせていた。この道中でおもしろかったのは、屋根をつけた墓地で、こういうのは初めて見た。
 出水市街に入る手前で、バスの車窓から「武家屋敷」の文字が見えたが、写真はブレてボケていたので、なし。鹿児島には、知覧のほかにもあちこちに武家屋敷が町内規模で残っている。それを見て思い出したのが、“島津氏発祥の地をめぐる出水市と都城市のサヤアテ事件”のことである。
 これは、NHKの大河ドラマでひさびさのヒットとなった『篤姫』の毎回最後にくっついている紀行で、「島津氏の発祥地は現在の出水市」と放送したので、「うちこそがそうだ」と主張する都城市から猛クレームがついた、というあの話である。
 こういうのは、よくあることだが、いずれにしても史料があやふやで自分の都合のいいように解釈できるので、それぞれ決定力不足で、どちらも伝承というしかないというのが真相に近いらしい。
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 出水市の市街でも、イヌマキの街路樹がきれいに整備されていたが、これは市の木だという。市役所前の通りには、地元の中学生たちの「読書標語」が掲げられている。たまたま目の前にそのひとつ、出水中学の福本君の作品、『本を読み夢と知識の旅に出る』というのがあった。これもなんとも、いいですねえ。
 そうです。でんでんむしの知識の旅も、今にして思えば、あの野ばら社の『児童年鑑』という一冊の本から、始まったといえる。いつか、そのツルに会いたいという夢は、60年近くもかかったがやっとかなった。
 並木を見てまた思い出したのが、野間岬へ行くときに通った加世田のイヌマキ並木のことだった。それと、日進公の道歌のことも書いたつもりだったが、それもアコウと同じで、削除した別ブログだった。鹿児島にはイヌマキの街路樹は多いようだ。

▼国土地理院 「地理院地図」
32度7分1.67秒 130度16分15.78秒
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dendenmushi.gif九州地方(2009/03/16 訪問)

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タグ:鹿児島県
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