821 ビルマ崎=八重山郡竹富町小浜(沖縄県)小浜島の最南端にあたるこの岬はなぜにその名で呼ばれているのか [岬めぐり]
コンピュータのユーザー・インターフェイスのよさの意味を、なんとなく勘違いしているようにみえるMicrosoft的思考に染められているらしいATOKでは、「ビルマ」と入力すると、「ビルマ《地名変更「→ミャンマー」》」というお節介表示がそのたびにでてきてまことにうるさい。
そんなことくらいは知っているが、「ミャンマー」ではなく「ビルマ」のままとして入力したい、しなければならないときも多いはずである。スーチーさんもさることながら、日本人としては「ミャンマー」ではなく「ビルマ」として彼の地を指し示さなければならない、歴史的事実は多いだろう。だが、もうそれを語ることのできる人は、少ない。
第二次大戦中の日本軍が、ビルマ北部からインド国境を越えて繰り広げたインパール作戦は、その「失敗の本質」の塊のような無謀で無意味で無茶苦茶な作戦で、若い頃いくつかのこれに関する本を読んで、苦い怒りがこみ上げてきたという記憶がある。その印象があまりに強烈だったので、『ビルマの竪琴』などはほとんど牧歌的なお伽話でしかない。
今、ビルマではないミャンマーへの経済協力で一儲けをたくらむ人々の動きが急に活発化しているようだが、わずかでもビルマのジャングルに倒れたあまた将兵のことに思いをはせる人は、果たしてどのくらいあるだろうか。
小浜島の最南端にあたるビルマ崎が、なぜにその名で呼ばれることになったのか、情報がないのでさっぱりわからない。いずれは、かつてビルマとなにがしかの接点があったのか、それとも単なる発音同期にすぎないのか。
現在のビルマ崎は、「はいむるぶし」の敷地に囲まれていて、そこへ行く道路もないので、遠くから眺めるしかない。
細崎からは、バスを降りた港の位置がよくなかったせいもあって、堤防の向こうにぼんやりとしか望めなかった。
結局、大岳から見るしかないのだが、そこからの遠望では、右の端がビルマ崎になる。
前にも書いたが、この島の東南部の出っ張りの多くが、「はいむるぶし」やゴルフ場などのリゾート施設になっている。ビルマ崎に関する情報はなにもなかったが、「はいむるぶし」のブログには、ビルマ崎への道を整備中という新しい記事があった。
コハマ交通のバスも、リゾートの入口付近までは行くが、そこで折り返して港に帰ってきた。
部外者のシロウトには、もっと島とリゾートをうまく結びつけて、より大きく活かす工夫は、何かあるような気がする。それは、竹富島でも同じことだろう。この二つの島では、島内で宿泊するという観光スタイルは、比較的少ない、という点で共通する。
結局、小浜島をめぐるといっても、この島には大岳と細崎以外には、バスを降りて見るところはなにもなかったわけである。小さい島の隅から隅まで回ったわけでもない。
でも、島と海の景色はすばらしい。なにも無理につくられた観光イベントが見たいとか、土産物屋へ行きたいわけではないのだが…。うーん、なにかもっと知恵があるような、ほしいような気がするのだ。
ビルマ崎の南方、約7キロ付近に平たくのっぺりと浮かんでいるのが、黒島と新城島。新城島は二つに分かれた海峡を挟んで双方に岬があるが、黒島にはその記載はない。竹富島のように、地元でつけた名があるかもしれないので、それはまた次の機会に譲ることにする。
「はいむるぶし」とビルマ崎は、船崎の港へ出入りする船の上からも見えるが、洋上からの岬は、正面からではなかなかわかりにくい。
▼国土地理院 「地理院地図」
24度19分25.58秒 123度59分35.60秒
沖縄地方(2012/01/18 訪問)
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