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435 黒川岬=姶良郡加治木町日木山(鹿児島県)おはら節とレミオロメンの間に [岬めぐり]

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 “♪花は霧島 煙草は国分 燃えてあがるは おはらはあ桜島〜”
 特別好きでもないし興味があるというわけでもないのに、まして民謡教室に通っているわけでもないのに、どういうわけか、こんな歌を知っている。
 その理由はわかっている。ラジオである。ラジオの番組(それも民放ラジオが始まる前のNHKラジオ)は、歌謡曲や民謡などの放送が盛んであった。それで聞いて知った、覚えているという歌は、数知れずある。
 これに続く、こんな文句もよく覚えていた。
 “♪見えた見えたよ 松原越しに 丸に十の字の おはらはあ帆が見えた〜”
 なるほど、キリシマツツジや葉タバコの栽培といった、見も知らぬ鹿児島の地誌の勉強も歌の文句でできるし、薩摩島津のマークは“丸に十の字”なんだ…。こどもが聞いても、学ぶことは多い。そして、その時には全部がわからなくても、“丸に十の字”という形までが具体的なイメージとして把握できるようになる。
 およそ、われわれのこども時代には、背伸びして大人の情報を共に見聞きし、そのようにしていわゆる“一般常識”を吸収し、身につけていった。
 今では、東京の渋谷でも“鹿児島おはら祭り”というのが開かれているようだ。「なんで東京なの? 渋谷なの?」という気もするが、日本中でソーラン祭りがあることを思えば、それもすたれていく歌をなんとか後世に伝えたいという努力なのか、と大目に見なければならないのだろう。 
 『鹿児島おはら節』も 431の串木野さのさ節と同じように、他から移入されて定着していったという。これが、日本中に広まるのは、昭和の初めに中山晋平の編曲で、鹿児島出身の新橋芸者が歌ったのが大ヒットしたことによる。当時は、このような民謡をレコーディングする例が、ほかにいくつもあった。
 こうしてラジオとレコードは、地元で歌い継がれるという民謡の基本スタイルまで、変えていくことになる。
 加治木町は、シラス台地を流れ下る川が数本、錦江湾に注ぐところで、港があり、その東の端が黒川山から黒川岬へと流れてきて、隣の霧島市隼人町と仕切られている。
 やっと“終結宣言”が出た。…といっても新型インフルエンザではなく、市町村広域合併の話である。ここ十数年間にわたって、日本国中に猛威を振るい、日本地図を塗り替え続けてきたこの合併ばやりのなかでも、その道を選ばず、小さな町なのにここがその独立を保とうとしてきたのには、きっと訳があるのだろう。
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 200メートルにも満たない帯状の黒川山が、海に落ちるところはやはり断崖の岩場で囲まれていて、東へ行くにはトンネルで抜けるか峠を越えていかなければならない。
 黒川岬の先端の向うには、小島が浮かんでいるのが見える。
 これは「神造島」という三つの島のひとつ沖小島である。黒川岬からは4キロくらい離れた隼人町の小島だが、これにはおもしろい話がある。
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 国生み神話では、カオスをかき混ぜたなんとか言う剣からぽたりと垂れ落ちたしずくから日本列島ができたが、その最初に垂れたのがオノコロ島で、これが大方の情報では淡路島ということになっている。
 ただ、ややこしいのは、『古事記』ではオノコロ島に降りてから契ったイザナギとイザナミの二神が、今度は改めて島を生み、神々を生むことになっていて、その最初に生まれるのが淡路島というのが通説としてある。また『日本書紀』では、アキツシマを先に生んだというのがあったり、オノコロ島のあたりも記述がぼやけ、異本や諸説があって、はなはだ曖昧模糊としてくる。
 まあ、『記紀』の記録となると、現代ではその検証にも限度・限界があり、どう突っついてみてもしかたがないところが多い。
 ところが、そうした多数意見に異を唱えている人がここ鹿児島にはいて、“この神造島こそがオノコロ島だ”と主張しているというのだ。なにしろここには、すぐそばに天孫降臨の高千穂峰もあるので、いかにもそれらしくはある。
 だが、でんでんむしの見解では、“神様が日本列島をつくる作業場”という観点から考えると、オノコロ島自体を、淡路島も含めて日本のどこかの島に比定するのは適当でないように思う。また、それを錦江湾内の小島に設定するのは、かなりスケール感に欠けるようにも思われる。
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 格別に産業が盛んなようでもないが、タクシー(足を痛めていることを忘れないでね)でやってきた港の岩壁には、複数のセメント工場の施設がある。「高炉セメント」というのは、初めて知ったが、これは高炉スラグを混ぜたセメントのことだという。そういうわけで、このセメント会社も新日鉄の系列会社らしいが、これもまたシラス台地ならではの関連があるのだろう。
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 そこまで行けば、そこから鹿児島空港行きの路線バスがあるというので、タクシーで加治木の駅に戻ると、JRで国分まで行く。
 これもなにかで読んだのだが、国分地方の葉タバコの生産は、10年前の半分になってしまっているのだという。
 時代の趨勢はいたしかたないし、国分だろうがなんだろうが煙草を吸わないでんでんむしにはなんら利害はないのだが、こういう地域の名産や特産が消えていくのは、なんだか淋しい。
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 国分駅前で空港行きのバスを待っているうちに、雨が本降りになってきた。小さな駅前の店(なんの店だったっけ? ケータイ?)から、レミオロメンの歌が大音量で流されている。だいたい近頃の若い人の歌は、とてもむずかしくて、口ずさめるようなのは少ない。そのうえ、歌詞もよく聞き取れないような歌い方が多くて、聞いていてもわからない。なかなかその歌詞が、こころに残るということがない。というより、聞いていても何を歌っているのか、それが入ってこない。
 それなのに、なぜレミオロメンを知っているのか(もっとも、聞きかじりなので“レミオメロン”と勘違いして覚えてしまうが)。まあ、冬には『粉雪』(そういえば、『南風』『朝顔』とか、このグループの名はともかく歌のタイトルは和風っぽい。来週の岬めぐりはヤマナシです。御坂町を通り抜けて河口湖へ。)もラジオでよく聞いたということもあるし、ANA機内の音楽番組にも入っていたし…。
 今ではというのか、それとも『鹿児島おはら節』の昔からというべきなのか、それもどちらか考えているとよくわからなくなる。ともかく、国分の駅前でその歌を聞いているうちに、都会から田舎まで日本中どこへ行っても、同じ歌が流れているというのは、ちょっぴり不思議な気もしたりしてネ…。
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▼国土地理院 「地理院地図」

31度43分43.44秒 130度40分21.55秒
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dendenmushi.gif九州地方(2009/03/19 訪問)

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タグ:鹿児島県
きた!みた!印(5)  コメント(4)  トラックバック(0) 
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きた!みた!印 5

コメント 4

dotenoueno-okura

そのやうな歌詞とメロジーは、おいどんのハードディスクにもしかと収まってごわす。幼少時に覚え込んだ歌詞には誤りが多いものでな、先日も「♪さの、よいよい」とばかり思っていたのが、なんと沖縄の結い歌「♪さあ、ゆいゆい」と知り、潔く改心した次第でござる。
げに教育は怖ろし。謙虚を欠く者・不正なる者は教えるべからず。純真無垢で吸収力盛んな子どもの耳に入る情報はよくよく吟味が肝腎。偉大な首領様とか地上の楽園とか、虚偽情報をくり返し吹き込むなんざ、犯罪行為ですがな、もし。

by dotenoueno-okura (2009-06-19 08:51) 

dendenmushi

@ああ、「ゆんた」ですな。そういうことはありますね。文字でなく耳から聞いて覚えたのも多いから。
 そういえば、あの辻井さんというピアニストですが、所属がエイペックスなんですよ。いや、なんとなく似合わないような気がしたもんで…。
 あの人も、全部「耳で覚えた」わけですよ。
 
by dendenmushi (2009-06-21 06:14) 

JASON ONE

Googleで捜し物してたらたどり着きました。

渋谷と鹿児島の関係ですが、当時関東を納めていた渋谷氏という桓武平氏の一派の一部が鎌倉時代中期に薩摩に移り住み、後の薩摩東郷・祁答院・入来院と名乗り各地を治めたと言うことで、これらがその地名の語源にもなっています。

そのつながりで、渋谷と鹿児島は結構深い縁があると言うことらしいです。(^^)
by JASON ONE (2010-04-09 11:43) 

dendenmushi

@JASON ONEさん、ご教示ありがとうございました。
 なるほどねえ。渋谷で「おはら祭り」があるのは、渋谷氏つながりという縁ですか。ありそうなことですねえ。
 驚くのは、この渋谷氏の例のように、鎌倉時代の守護地頭の移動が、現在にまで影響を及ぼしているということが、ほかにもすごく多くあるということですね。
 歴史のふしぎさです。
by dendenmushi (2010-04-10 05:48) 

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