番外:サトウキビの島=波照間島(沖縄県)八重山郡竹富町波照間では無二ではないもののほとんど唯一と言ってもいい産業 [番外]
かつては、八重山がどこか明確に意識している本土の人は少なかった、といってよい。沖縄本島からさらに南西に400キロも離れていることも、多くの人にとって、まったく関係がないことだった。最近ではそれがだいぶ減ったのは、尖閣諸島問題で注目されたことや台風の接近のときに石垣がテレビに映るようになったことと、旅行会社が企画募集する八重山ツアーでここを訪れる観光客が増えてきたためだろう。
連日、石垣の離島ターミナルは、冬場でも朝早くから旗をもったおねーさんに率いられた一行が、ぞろぞろと観光バスを降りてそれぞれの目的の島に行く船に乗り込んでいる。
連日、石垣の離島ターミナルは、冬場でも朝早くから旗をもったおねーさんに率いられた一行が、ぞろぞろと観光バスを降りてそれぞれの目的の島に行く船に乗り込んでいる。
とくに、竹富島や小浜島、西表島の大原航路が多く、石垣島からさらに南西へ63キロもある波照間までやってくる観光客・ツアー客は少ない。
その名は「果てのうるま」(“うるま”は“琉球”または“珊瑚礁”の意)の当て字で“波照間”となったとする説が大勢だが、「ベスマ」(八重山の方言では「我らの島」の意)と呼ばれることもあるという。だが、それを聞く機会はない。
波照間島は、周囲約15キロ、面積12.8平方キロだから、東京都千代田区よりちょっと大きい。最高点が標高60メートルほどで、岬ではなく中央の高いところに灯台があるくらいの小さな島である。人口は、平成25年12月末現在で 536人、外国人1人の計537人。
その名は「果てのうるま」(“うるま”は“琉球”または“珊瑚礁”の意)の当て字で“波照間”となったとする説が大勢だが、「ベスマ」(八重山の方言では「我らの島」の意)と呼ばれることもあるという。だが、それを聞く機会はない。
波照間島は、周囲約15キロ、面積12.8平方キロだから、東京都千代田区よりちょっと大きい。最高点が標高60メートルほどで、岬ではなく中央の高いところに灯台があるくらいの小さな島である。人口は、平成25年12月末現在で 536人、外国人1人の計537人。
すべての道は中央の集落に向かい、その回りを周回道路が走っているが、これがなかなか立派な道路で、それはまだまだ新しく伸びているところだ。それも、観光客のためではなくサトウキビのためなのである。
この島でサトウキビの栽培が始まったのは、1914(大正3)年頃からといわれるが、1963(昭和38)年に製糖工場が完成してから島全体がサトウキビの島になったといってよい。それから土地改良を進め、機械化が効率的に行える大規模なサトウキビ畑の開拓が進み、農業の近代化が進んできた。
この島でサトウキビの栽培が始まったのは、1914(大正3)年頃からといわれるが、1963(昭和38)年に製糖工場が完成してから島全体がサトウキビの島になったといってよい。それから土地改良を進め、機械化が効率的に行える大規模なサトウキビ畑の開拓が進み、農業の近代化が進んできた。
5つの集落がある波照間島では、各集落の農家は16~27戸くらいで、農業の近代化が進むなかでも、古い地域の結びつきが強力で、その両方をうまくかみあわせて独自の環境を整えてきたといえるようだ。
その成果として、波照間のサトウキビは糖度の高く、黒糖の質がよくおいしいという評価を得るようになっていく。
でんでんむしが八重山を訪れるのは、いつも冬場なので、どの島でも刈り取ったサトウキビを積んだトラックが走っているのをよく見ている。そのかわり、「ざわわ〜ざわわ〜」という歌が浮かぶような畑は一部しかない。
その成果として、波照間のサトウキビは糖度の高く、黒糖の質がよくおいしいという評価を得るようになっていく。
でんでんむしが八重山を訪れるのは、いつも冬場なので、どの島でも刈り取ったサトウキビを積んだトラックが走っているのをよく見ている。そのかわり、「ざわわ〜ざわわ〜」という歌が浮かぶような畑は一部しかない。
まだ背丈の低いのもあれば、高いのもあるが、これは植え付けの時期が異なるからだ。サトウキビの植付けは、キビの枝を挿して1年で育ていく春植え、1年半かけて育てる夏植え、収穫後の株からそのまま発芽させ育てる株出しの三つの方法がある。だから畑によって育ち方が違うのだ。
秋が終わりになる頃から、気温の低下とともに糖分を蓄え始めたサトウキビには花が咲き、収穫時期がやってくる。12月から始まる収穫は、製糖工場の操業にあわせて翌年4月まで計画的に続く。刈り取った後の糖分変化を防ぐために、収穫したらすぐに製糖工程に入るのが望ましいからだ。
刈り取りの機械化もあるが、人力によるのがまだ主流のようだ。よく、キビ刈の応援のために、本土からも人が集まってくるといった話があるが、波照間ではそういうことはない。
刈り取りの機械化もあるが、人力によるのがまだ主流のようだ。よく、キビ刈の応援のために、本土からも人が集まってくるといった話があるが、波照間ではそういうことはない。
波照間のキビ刈は、刈取組(ユイマール)という独自の単位で作業にあたる。各集落ごとに一組10人前後で計16組が組織され、収穫を作業を効率よく計画的に進めるしくみがあるのだ。“手伝い”や“ゆい”の例があるように、集落が田植えや刈り取りの農繁期に助け合い応援しあうという形式自体はめずらしくないが、ここのユイマールはそれをもっと合理的・近代的にして、対価をお返しの労働ではなく金銭で払うらしい。
島を一周りすれば、どこまで行ってもサトウキビばかりで、それは誰にも強く印象づけられるだろう。
原料サトウキビの栽培からはじまって、ひとつの製糖工場で黒糖の製造をしているほかに、それを“黒蜜”という島独自の商品にしようとしている。うまくいけば “石垣島の塩”のように、ブレークさせたいところだろう。
島を一周りすれば、どこまで行ってもサトウキビばかりで、それは誰にも強く印象づけられるだろう。
原料サトウキビの栽培からはじまって、ひとつの製糖工場で黒糖の製造をしているほかに、それを“黒蜜”という島独自の商品にしようとしている。うまくいけば “石垣島の塩”のように、ブレークさせたいところだろう。
来るときのANAの機内誌に、波照間の黒蜜の1ページ広告が出ていた。それで知ったのだが、石垣で扱っている店というところで聞いてみると、この頃ではまったく商品が入ってこないのだそうだ。向こうにも在庫があるわけではなさそうで、「サボっているんじゃないですかね」と店の主人も呆れ顔だった。これじゃ“石垣島の塩”や“ラー油”のような具合にはいきそうにない。
やはり農家の高齢化や担い手の不足という問題や、病虫害や台風など課題は常に多いようだが、とにかく波照間は全島あげてサトウキビに取り組んでいる島なのだ。離島の一島でサトウキビの単作を始め、それの産業化に挑戦し続けているのをみると、なにかここでは島全体がひとつの“もやい”のような動きをしているのかもしれない、と思えたりする。
そうあってほしいという願望が込みだが、上っ面をなでただけの感想にすぎないので、実際はもっと違うのかもしれない。
タグ:沖縄県
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