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1216 バン崎=名護市字天仁屋(沖縄県)“∴史跡マーク”がおもしろい嘉陽の海岸はなぜか青いネットが… [岬めぐり]

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 沖縄の地名は、人名と深く結びついているケースが多い。本土と比べるとそれは“非常に多い”とも言え、探せばたいていの地名にその名を姓とする人がある。バスが走る嘉陽もそうで、この姓を持つ人もちゃんとあるようだが、人名と地名とどちらが先でどう結びついたかがわからない。
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 バン崎は、その所在は名護市字天仁屋(てにや)となっているが、この岬が見えるのは嘉陽からだけ。
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 嘉陽では、きれいな自然の砂浜海岸が1キロほど続いている。集落はその北の端に固まっていて、そこへ向かう途中でバン崎が見えるはず…だった。
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 ところが…。どういう目的なのかよくわからないが、道路と海岸のちょうど開けたところに、青いネットが長々とはりめぐらせてあった。
 嘉陽からは3キロくらい東に出っ張っているバン崎は、ちょこんと南に向かってお辞儀している。付近の海域には岩礁が展開し、いくつもの立岩も目立っている。
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 いちばん岬に近いのは、集落の東の外れに位置する今は廃校になって校庭が空き地になって残る旧嘉陽小学校跡だが、残念ながらここもちょっと海が見えない。
 Mapionには、ちょうどその学校跡付近に史跡マークがあって「聖火宿泊碑」とあった。なるほど、Mapionの“∴史跡マーク”の使い方は、やはりかなり独特のようだ。
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 それにしても、この“聖火”というのは、いったい何の聖火なのだろうか。まさか国体やなんかではないだろうから…。これも、名護市役所のページで判明した。
 やはり1964(昭和39)年の東京オリンピック…であった。この碑がおもしろいのは、たいていの記念碑の類いは、イベントの後で立てられるものだが、ここの宿泊記念碑は、聖火が嘉陽で泊まるという計画が実行の1年前に発表されたときから、嘉陽小中学校のPTA総会での提案でそのプランが進められていた。
 そして、那覇空港に着いた聖火は、奥武山陸上競技場の歓迎式典のあと、島内のリレーで運ばれる。その聖火が嘉陽に到着したときには盛大な歓迎行事が催され、そのときに除幕されている。その当時の嘉陽の人口がどのくらいだったかわからないが、その準備のために人びとは集落をあげて忙殺されたといい、昼間人口も2倍に膨れあがった。キャンプシュワブからは、軍楽隊が出て演奏するなど歓迎行事に協力をした。
 聖火を迎える地域の人びとの興奮が想像できるようだが、東京オリンピックのときには沖縄はまだ1972(昭和47)年の返還前であったことを忘れてはいけない。当時はまだ、沖縄の施政権が日本に返還されるかどうかは、まったく不透明な時期であり、アメリカ軍政部は日の丸や君が代も原則として禁じていた。
 それが、この聖火リレーでは沿道は、日の丸で埋め尽くされたという。そういう時期に、東京オリンピックの聖火リレーを沖縄から始めようという計画を立て実行したのは、考えた方もそれを認めた方も、大英断であったと言ってよい。
 沖縄での聖火宿泊地は、どうも嘉陽以外にはなさそうだ。聖火は、島内を周回する予定だったろうが、台風で遅れた日程を取り戻すため、翌日には那覇から鹿児島へ空輸されていて、その後で西海岸を回ったのだろうと思われる。
 
 ところで、碑には建立の年月日が1日早い9月7日となっている。これは、聖火を積んだ飛行機が香港から那覇へ向かうときに台風に遭い、到着が1日遅れたためであった。

 名護市のサイトでは、そう書いてあった。小ネタですね。嘉陽の小中学校も今はないが、碑だけは残っている…。
 通り過ぎるだけで、おまけにバン崎もしっかりはっきりと見えないので、小ネタで盛り上げようとしている。
 そのついでに、今度は沖縄タイムスのサイトにこんなのがあった。これもリンクしてもいいのだが、そうすると後々でよくNOT FOUNDになってしまうことが多いので、キャプチャーで…。
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 実際にジュゴンが確認できたこのときは、2015年1月16日であったそうな。ジュゴンのことは、辺野古崎以来ちょこちょこと触れてきたので、ここでその実物?の姿を紹介しておきたい。
 もうひとつ、ついでのついでに…。前項でちょっと触れた嘉陽層は、地理院地図にもMapionにも“∴史跡マーク”はついていないが、史跡名勝天然記念物に指定されていて、文化庁の「文化遺産オンライン」では「名護市嘉陽層の褶曲」として、
 
 嘉陽層の地層には,地質学の基本的な現象である褶曲が見事に発達するほか,砂岩層が堆積した際の様々な構造,深海底の環境を示す生痕(せいこん)化石,さらには,プレートの沈み込みにより付加された地層が示す様々な現象が良好に保存されており貴重である。
 
 …と説明があった。しかし、その「作品所在地の地図」としてマップは名護市役所を示している。なんかちぐはぐなサイトである。
 帰りのバスからもう一度カメラを構え、目をこらしてバン崎を見たが、こんなふうにしか…。
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▼国土地理院 「地理院地図」
26度33分15.03秒 128度8分18.37秒
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dendenmushi.gif沖縄地方(2015/04/07 訪問)

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タグ:沖縄県
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