414 立石鼻=出水市高尾野町江内(鹿児島県)まず海を見て山を見てそして地図を見て… [岬めぐり]
立石鼻は、地図でみるとホンのわずかな膨らみに過ぎないが、これも角度をつけて横から眺めれば、立派な出っ張り、堂々たる岬に見える。海のきれいさ、みごとさは、不知火海のおわりまで変わらない。でもまあ、そんなことを強調すれば、今の日本では都会の付近を除けば海はどこへ行っても美しく、そうでない海を探すほうが難しい、とも言えるのだが…。
東辺田という字が立石鼻のあるところだが、海岸から高いところを走る道を行けば、畑や民家がぱらぱらとあるだけで、そこから見ても岬らしさはどこにもない。
道が海岸ではなく、高いところを通っているのは、山が迫って海に落ちる険しい地形ということで、ここから先ずっと、阿久根の脇本までそれが続く。山の険しさは、高さだけではなく、道があるかどうかにもよる。
海の向うの西に見える陸地は、橋でつながっている長島町で、東には桂島・前島。
ここらにはじゃがいも畑もあるがさやえんどうも…。この頃では、農産品にもいろいろな名をつける。出水ではこれを「スナップエンドウ」という名で売り出し中。(もっとも、下の写真がそうかどうかは未確認)
当たり前のことながら、ここにも“地元選出の代議士”というものはいるらしい。ポスターだけでなく、目配りもできているのだろうか。もっとも、でんでんむしは、今のような小選挙区で国会議員が県会議員のように地元に利益誘導を図ることを仕事と考えるのには、そしてまた地元民がそれを期待しつつ投票行動することには、基本的に反対なのである。
それぞれが申し合わせたように、親分の写真と自分の写真を並べているが、自民党のほうは麻生(敬称略・以下同じ。公人ですからね)でなく谷垣というのが年末来のムードに影響されたもので、民主党のほうは“このままほおってはおけない”と危機感を抱いた検察官僚にマンマとしてやられて、大打撃を受ける前の小沢である。現在ではかなり後ろ倒しになってしまった選挙ムードが、この頃にはまだ横溢していて、こんなポスター看板も大急ぎでつくって立てたであろう、というのがおもしろい。
出水に武家屋敷があったのも、ここが薩摩にとっては他国と接する国境の町だったからで、北東部の米ノ津町には野間ノ関という関所跡もある。そこが出水市に編入されたのは比較的古いが、南西部の高尾野町・野田町が市域に加わったのはやはり平成の大合併による。
その名残は、住居表示の仕方に残っていて、ちゃんとこの二町の名が付いている。そう思いながら地図を見ているうちに、不思議なことに気づいた。
これまで通ってきた三つの岬があるところは、いずれも「出水市荘」であったが、この立石鼻があるところは出水市高尾野町江内。出水市の西端であるここはかなり広いが北の海側が山地で、江内川沿いに平地と干拓地がある。ツルの来る干拓地の真ん中を荘と江内の地域境界線が走っている。そこを抜けてもまた高尾野町である。立石鼻から出水駅へ戻るには、どこをどう通っても、高尾野町を横切らないと辿り着けないのだ。
つまり、「荘」という字名のついている地域は、旧出水市では飛び地だったことになる。ここが島津藩の干拓発祥の地である荒崎を含み、そこに旧番所という字名もあるからには、これにも曰く因縁がありそうだ。
後で国土地理院の地図を見ると、荘のところには「出水市飛地」と表記してあった。なんだ、この地図は合併前の地図か?と思ってなおも見ると、野田町のところもちゃんと「出水市」となっているので、飛地表示は電子国土のほうの“消し忘れ”らしい。ついでいうと、高尾野町には上・下・東・西と冠が付いて「水流」という字名がある。これを「ずる」と読む。
平べったいだけの、なんにもないような懐かしいような田舎の風景でも、よくよく見るといろんなことがある。
車の多い3号線を避けて、干拓地の中を抜ける真っすぐな道をツル博物館に向けて走り、再び駅に戻る。
近頃では、地方へ行っても人の多さや賑やかさの程度を別にすれば、日本中どこもあまり変わらない。出水にもソフトバンクもコインランドリーもあれば、医者の看板もたくさん並んでいる。駅も近代的で立派だし、駅前も首都圏のそこいらよりも、よほどきれいに整備されている。
ホームにツルの立つ肥薩おれんじ鉄道の出水駅から、4つ先の駅に向かうが、そこはもう隣の阿久根市になる。
▼国土地理院 「地理院地図」
32度7分40.40秒 130度15分4.10秒
近畿地方(2009/03/16 訪問)
東辺田という字が立石鼻のあるところだが、海岸から高いところを走る道を行けば、畑や民家がぱらぱらとあるだけで、そこから見ても岬らしさはどこにもない。
道が海岸ではなく、高いところを通っているのは、山が迫って海に落ちる険しい地形ということで、ここから先ずっと、阿久根の脇本までそれが続く。山の険しさは、高さだけではなく、道があるかどうかにもよる。
海の向うの西に見える陸地は、橋でつながっている長島町で、東には桂島・前島。
ここらにはじゃがいも畑もあるがさやえんどうも…。この頃では、農産品にもいろいろな名をつける。出水ではこれを「スナップエンドウ」という名で売り出し中。(もっとも、下の写真がそうかどうかは未確認)
当たり前のことながら、ここにも“地元選出の代議士”というものはいるらしい。ポスターだけでなく、目配りもできているのだろうか。もっとも、でんでんむしは、今のような小選挙区で国会議員が県会議員のように地元に利益誘導を図ることを仕事と考えるのには、そしてまた地元民がそれを期待しつつ投票行動することには、基本的に反対なのである。
それぞれが申し合わせたように、親分の写真と自分の写真を並べているが、自民党のほうは麻生(敬称略・以下同じ。公人ですからね)でなく谷垣というのが年末来のムードに影響されたもので、民主党のほうは“このままほおってはおけない”と危機感を抱いた検察官僚にマンマとしてやられて、大打撃を受ける前の小沢である。現在ではかなり後ろ倒しになってしまった選挙ムードが、この頃にはまだ横溢していて、こんなポスター看板も大急ぎでつくって立てたであろう、というのがおもしろい。
出水に武家屋敷があったのも、ここが薩摩にとっては他国と接する国境の町だったからで、北東部の米ノ津町には野間ノ関という関所跡もある。そこが出水市に編入されたのは比較的古いが、南西部の高尾野町・野田町が市域に加わったのはやはり平成の大合併による。
その名残は、住居表示の仕方に残っていて、ちゃんとこの二町の名が付いている。そう思いながら地図を見ているうちに、不思議なことに気づいた。
これまで通ってきた三つの岬があるところは、いずれも「出水市荘」であったが、この立石鼻があるところは出水市高尾野町江内。出水市の西端であるここはかなり広いが北の海側が山地で、江内川沿いに平地と干拓地がある。ツルの来る干拓地の真ん中を荘と江内の地域境界線が走っている。そこを抜けてもまた高尾野町である。立石鼻から出水駅へ戻るには、どこをどう通っても、高尾野町を横切らないと辿り着けないのだ。
つまり、「荘」という字名のついている地域は、旧出水市では飛び地だったことになる。ここが島津藩の干拓発祥の地である荒崎を含み、そこに旧番所という字名もあるからには、これにも曰く因縁がありそうだ。
後で国土地理院の地図を見ると、荘のところには「出水市飛地」と表記してあった。なんだ、この地図は合併前の地図か?と思ってなおも見ると、野田町のところもちゃんと「出水市」となっているので、飛地表示は電子国土のほうの“消し忘れ”らしい。ついでいうと、高尾野町には上・下・東・西と冠が付いて「水流」という字名がある。これを「ずる」と読む。
平べったいだけの、なんにもないような懐かしいような田舎の風景でも、よくよく見るといろんなことがある。
車の多い3号線を避けて、干拓地の中を抜ける真っすぐな道をツル博物館に向けて走り、再び駅に戻る。
近頃では、地方へ行っても人の多さや賑やかさの程度を別にすれば、日本中どこもあまり変わらない。出水にもソフトバンクもコインランドリーもあれば、医者の看板もたくさん並んでいる。駅も近代的で立派だし、駅前も首都圏のそこいらよりも、よほどきれいに整備されている。
ホームにツルの立つ肥薩おれんじ鉄道の出水駅から、4つ先の駅に向かうが、そこはもう隣の阿久根市になる。
▼国土地理院 「地理院地図」
32度7分40.40秒 130度15分4.10秒
近畿地方(2009/03/16 訪問)
“鼻”といえば、拙者が想起するのは敬愛するベルジュラック、すなはちシラノうじでござる。その苦悩と誇りの象徴であった鼻──あの軽妙なやりとりを思いながら、朝のひととき鼻の高低について深い思索を試みるに。
東洋・西洋さらに人種による顕著な差異、おかめ・てんぐなどキャラクターとの関連性、文学的には「腫れ、膨らみ、出っぱり、突起、尖端」……考慮すべきことがはなはな多い。
地図で見ると立石鼻と長万崎はそれらしいが、大崎(次回の)ははれかふくらみでしかない。それで「データベースその3」の“岬・崎・鼻の形 平面図”をしげしげ見直しておると「ごはんですよお」。
by dotenoueno-okura (2009-05-11 07:14)
@鼻は微妙ですね。わたしはシラノよりも、クレオパトラのほうを思いますね。
しかし、厳密に考えてみて、容姿というものの美醜の判定は、どこでどうして生まれたものでしょう?
しかして、そのなかで鼻の占める重要性は…?
おっ、もうごはんだ。
by dendenmushi (2009-05-12 06:36)