015 峰ケ崎=南さつま市坊津町坊(鹿児島県)なにかと有名な坊津の岬はここらだけちょっとつまみ食い [岬めぐり]
坊津という地名に、なんとなく魅かれたのは、なぜだったのだろう。鑑真和上の話を知る前からだったとも思えないので、いずれは「坊主がぞろぞろ上陸してくる湊」という単純な連想からだったかもしれん。
野間岬から南に見えるところの沖秋目島あたりから枕崎の端まで、坊津一帯は多くの岬や入江が続いている。こうした地形が、昔は大陸との貿易港として栄えさせた。
そうした岬の一つである峰ケ崎は、カネゴンのアタマのように小さな突起をつけて青い海に飛び出しており、北に泊浦、南に坊浦という二つの港に適した入江をつくっている。今ではまったく静かなところだが、往時はたくさんの船や人や物資の往来する拠点だったのだ。
峰ケ崎の付け根に立つと、二つの浦が同時に見える。ここには坊津歴史資料センターというものがあって、この地の歴史史料が展示されているが、それによるとこの場所に由緒ある大きなお寺もあったのに、排仏毀釈で徹底的に破壊されたらしい。それをまた近年発掘して、遺物がセンターの前などにもおいてある。鹿児島は明治新政府の要人を排出したところなので、自ら範を垂れるという必要があり、それがこんなところの貴重な文化遺産まで破壊することになったのだろう。
縄を使ったお祭りとか、密貿易の根拠地でもあったという古い町のさまざまな習俗とともに、いわば日本のはずれといってもいいこんなところに、確かな文化があったことを忍ばせてくれる。港の石組みもなにやら古そうだ。観光用につくられた遣唐使船の看板と並んで立つ白い標識にある「朝読み夕読み」とは、いったいなんだったのだろう。それを聞くのを忘れてきた。
あっ、そうそう。書くのを忘れていたので補足。
鑑真が坊津へ着いたのは、船が嵐にあって難破に近い状態でたまたまここに「漂着した」といった説明が、歴史の教科書などを始め広く定着している。しかし、これはそうではなくて、日本へやって来る玄関口として坊津があり、嵐をなんとか乗り越えて、どうにか目的地に辿り着いた、というのが正しいという説がある。おそらくそうなのだろう。峰ケ崎に立つと、そうとしか考えられない。
31度16分25.75秒 130度13分2.66秒
九州地方(2005/09/19 訪問)
ほんとに日本は岬だらけ──そしてこのブログは「岬版・伊能忠敬」ないしは司馬遼太郎の番外編「岬を行く」といった趣ですね。
by knaito57 (2006-10-30 09:37)