1078 サバ崎=八重山郡竹富町西表(沖縄県)6キロ先の岬をズームで観察してみると白い筒の灯台が岩の上に [岬めぐり]
最近では、グラスボートに乗ってみても、ほとんど白いサンゴの海底しか見ることができない。二度目の西表島訪問のときだったか、白浜から船を借りて舟浮湾に出て、そこから西のサバ崎付近まで行き、船べりから丸い筒のぞきメガネをおろして、白くない色とりどりのサンゴの海底を覗いて見たこともあった。
その頃の写真があれば、この岬めぐりでも若い番号で項目にとりあげていたはずなのだが、ちょうどその頃はムービーのほうに重点を置いていたせいもあって、写真が見つからないうえに、長いことほおっておいたムービーはもはや再生の方法がないという、まことにふざけた状態になっていた。
レーザーディスクもそうだし、急激な記録メディアの変化のなかで、ユーザーは翻弄され続けている。SONYを信頼していて見事に裏切られたベータ・ユーザー体験に加えて、そういう経験を立て続けにしているため、現在でもDVDがどこまで将来を託して信用できるのか、おおいに疑問に思うほど疑り深くなっている。それが、ブルーレイなんていつまでの寿命やら…と、動画から自然に遠ざかることにもなってしまっているように思う。
そんなこともあって(あ、昔の写真がみつからないという…)の、今回の八重山再訪集中掲載になったのだが、それもいよいよ西表島については終わりで、島の西の秘境近くまでやってきた。
サバ崎は、船でしか近くに行くことができない岬である。道路は白浜で終わっている。白浜から3.5キロほど南西、半島の先にある西端の舟浮集落までは、舟浮海運の連絡船があるにはあるのだが、本数が少ないうえにバスとも連絡しておらず、どうやってみても石垣島から日帰りの行程では、それを利用するのもムリなのである。
内離島(うちばなりじま)という島が目の前にある白浜からでは、展望も利かない。この島は、昔は炭鉱もあったというが、現在はその北に続く外離島とともに無人島。
サバ崎から、この内離島と外離島の間の狭くて浅い水路を通り抜ける延長線を引くと、その線が到達するのが祖納集落の南側にある海岸になる。その間、約6キロ。陸地からサバ崎が見えるのは、この海岸の数百メートルの間だけなのだ。
整備が終わったばかりの海岸のすぐ先には、マルマボンサンという不思議な名の表記が地図にある小島が浮かんでいる。この島がちょうど外離島の南端とかぶるその奥に、岬の岩場の上に立つ比較的背の低い白い筒のような灯台がある。
岬の先端の白い灯台というのは定番なのだが、ここのはちょっと事情が異なる。岬の灯台といえば、だいたいにおいて岬の上の、少しは高いところに設けられるが、サバ崎の灯台は、海岸の岩の上にあって岬の下の方にある。
これはつまり、建設工事にさいしても陸路の道が取り付けることができず、海から船で資材を運び、工事が行なわれたということを意味しているのだろう。
舟浮湾と網取湾に挟まれながら、細長くまるで植物の芽が伸びるように成長した岬の先端は、標高85メートルの頂きをもつが、その北側は大きく崩れていて、そのために灯台のある出っ張りだけが残ったような格好になっている。その周囲は、断崖と岩礁地帯と岩島に取り巻かれている。
ズームで拡大してみると、崖がやはり赤いのがわかる。灯台の向こうにさらに岬や島があるようにみえるが、これが地図でウンパナ(Mapionでは“ゴリラ岩”)という断崖なのだろう。また、岬の下の海岸が茶色に見えているのは、潮が引いてこの付近の岩礁が姿を表したところなのだろう。
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サバ崎を眺める窓になっている内離島と外離島の間の水路も、非常に浅い砂州で、大潮などには干潟や砂浜が表れるのだろう。長い岬と深い入江が幾重にも連なるこの付近は、潮の干満も大きく目立つのだ。
舟浮までは行けず、西表島の岬めぐりは祖納止まりとなったが、戦時中は軍の要塞地帯でもあった舟浮と網取の周辺には、戦争の記憶も風化しつつもまだ残っているという。また、日本海海戦の始まる前、東郷元帥もこの湾に寄港したことがあるのだそうだが、サバ崎はこれでよしとしよう。
そして、サバ崎でさばさばとおさらばして終わりと思っていたら、サバ崎と島の最西端ヌバン崎との間には、なんともうひとつ岬があった…。
▼国土地理院 「地理院地図」
24.349055, 123.70396
沖縄地方(2014/02/07訪問)
タグ:沖縄県
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