番外:平良港=宮古島の中心地はこの付近(沖縄県)周辺の島と町と合併して新設市になる前は「平良市」だった [番外]
宮古島は、周辺の島々とともに、市制をとっている。2005(平成17)年の、平良市と宮古郡伊良部町・上野村・城辺町・下地町の新設合併によって、人口5万の市となった。つまり、宮古島は合併前は「平良」だったのだ。このとき、通常ならば石垣市のように「宮古市」と列島の名を名乗りたかっただろうが、特定の島の名である「宮古島市」となってしまったのは、すでに宮城県宮古市が存在していたからだろう。
宮古島の中心地は、市役所や多良間島や伊良部島への連絡船乗り場などが集まっている平良地区であろう。ここが宮古島いちばんの繁華な市街地でもあるので、この付近には岬はない。
市街化や港湾整備が進むと、それまであった岬も消えてしまうという傾向がある。ここがどの程度その影響を受けているのかどうかはわからないが、宮古島の西海岸の岬は大浦湾の大崎から南には、西浜崎までないのである。意外に宮古島の岬は多くないので、まったくすっ飛ばしてしまうと、それも淋しい。
番外で項目をつなぎながら、島を西から東へ反時計回りに回りながら、宮古島の輪郭を辿ってみよう。
先にもふれたように、この中心市街地にバスターミナルはない。そこで泊まるホテルは港からは遠く、比較的バスには便利なはずのところにとり、最後の日だけ少しくらいはリゾート気分もあったほうがよかろうと、連絡船乗り場の桟橋を見降ろすホテルアトールエメラルド(Mapionでは“ホテルアイランドコーラル”となっている)に泊まることにした。名前はいかにもリゾートっぽいが…。
ここはすぐ南にマガナイビーチがあるので、いちおうは宮古島リゾートの外れにはなんとかひっかかっているが、その大勢は西の東急リゾートから始まる南海岸に集中している。
石垣島が千葉ロッテマリーンズのキャンプ地なら、宮古島はオリックスバファローズのキャンプ地である。タクシーの運動手さんに、選手たちはどこに泊まっているのか聞いてみた。するとその答えがおもしろい。一軍は南海岸にあるリゾートホテルで、二軍はこの市街地付近のホテルなのだ。
なるほど、実力の世界というわけですな。ロッテは一軍と二軍合同のキャンプと言っていたが、やはりグランドでは合同でも、宿舎は別々だったのだろうか。
で、でんでんむしも岬めぐりでは、南海岸にあるリゾートにはまったく縁がなかった。それは、幸いなことにそこには岬がまったくないから、そもそも行く必要がないのである。
港の岸壁には海上保安庁の巡視船が停泊中で、朝早く見ていると自転車やバイクや自家用車でやって来た人か次々に乗り込んで行く。しばらくすると岸壁に整列して、体操が始まった。今日も尖閣諸島の海域に出動するのだろうか。
その隣の桟橋からは、伊良部島や多良間島とを結ぶ連絡船が、出たり入ったりしている。
このうち伊良部島航路は、いずれはなくなってしまう。岬の名はない南側の出っ張りと、伊良部島を結ぶ架橋工事が進んでいるからだ。
パイナガマビーチは、ホテルのすぐ南にあるがそう広くはない。市街地に近いので、リゾート気分にはいささか物足りない。
まだシーズンではないため、ホテルもビーチも閑散としていた。ビーチの南側には、人工の突堤や砂浜のように見える地形があって、一帯では工事も終わっていないようだ。
沖縄では人名と地名の一致が多いも特徴のひとつで、ここ平良(たいら)の姓名を持つ人も多い。その近くには仲宗根という字地名もある。この姓は、宮古島の英雄と言われた豪族の名で、帰りに空港まで乗ったタクシーの運転手さんの名前も同じだった。群馬の中曽根とは関係ないそうである。
連絡船乗り場に近いターミナルでは、大きな岩を琉球石灰岩の壁が取り巻いて歩道をふさいでいる。
何だろうと寄ってみると、15世紀頃の宮古島で主長を務めた人物の墓であり、“みゃーか”というらしい。
石垣島のようにそこらじゅうに御嶽があるようには見えなかったので、タクシーの運転手さんに聞いてみたら、「たくさんありますよお」という返事だった。
▼国土地理院 「地理院地図」
24.805479, 125.274625
沖縄地方(2014/02/19訪問)
タグ:沖縄県
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