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433 方崎・藤野崎=鹿児島市桜島小池町・藤野町(鹿児島県)岬はこじつけ薩摩と長州(銅像をどうぞ) [岬めぐり]

 今更のように言うことでもないが、薩摩は日本中の各地方のなかでも、とくにその特異性が際立ってみえるような気がするし、現に日本の近世の成立を考えるうえで、通り過ぎることができない。
 ほぼ似たような理由で並び称される長州と比べても、その潔さのような点においては抜きん出ているように思えるところもある。だいたい“県民性”とかいうものは、“血液型”と同様に「一部をもって全体を語る」という欠陥があるいいかげんなもので、これをまるまる信用するに値しない。だが、土地土地の風土や歴史や長い間の生活に根ざした特徴や違いがあることは、事実である。こと薩摩に関する限りは、なにか説明しがたい納得性もあるのだ。(因に、でんでんむしは、“B型”の“広島県出身者”であります。だから、どうなの?)
 革命の中心勢力が、その後の国の権力と権限とポストを壟断するということは、いつでもどこでも当然のようにあることで、その意味において「明治維新」という革命でも同様であった。
 一年ごとに勝手にや〜めたといって投げ出したり、選挙もなにもしないままに、また国民にはよくわからない水面下の大ボス小ボスの抗争によってその後釜のクビをころころすげ替えたりして、そういう姑息な手段で当座を糊塗して政権党の延命をはかり、しかも何年でもそれが通用するという変な国になってしまった今では、総理大臣などというものは、国民からみてなんのありがたみもなく、とうに尊敬の対象ではなくなってしまっている。
 功罪は相半ばしつつも、まだ理想に燃える人々が、この国をつくり動かそうと必死になっていた時代には、もちろんそうではなかった。初代総理大臣が長州から出て、そのあと数年ごとに長州と薩摩がその椅子を交互に占めていたが、それもその時期であればやむを得ないといえば言える。
 それ以来、長州がその後もいくつもの戦争をはさみながら、ごく最近に至るまで、山口県出身(それも選挙地盤を世襲しただけの話で、本人は山口県とは関係がなく「出身」とは言えないにもかかわらず)での首相を連綿と並べてたててきたことに比べると、薩摩にはそうした権勢欲がまったくない。
 鹿児島県出身の首相は、明治29年の第二次松方正義が二人目三回目で、それから大正12年の山本權兵衞まで間が空き、その後は現在まで一人もいないのである。
 よく「維新新政府には文官は長州から、武官は薩摩から人材を配置した」といわれるが、それも一時的にはそうした配慮があったかもしれぬが、決定的なことではない。当然どちらにも、文官も軍人もいたし、長州にも軍閥の首魁が首相になったりしているので、どちらがどうという話ではない。これも“県民性”や“血液型”と同じ理屈に過ぎまいが、ただ、東郷平八郎、大山巌や川上操六といった著名な軍人だけでなく、多くの薩摩隼人が職業軍人の道を歩んできたというのは、事実であるらしい。
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 鹿児島はこれが二度目だが、まだ城山にも天文館にも磯庭園にも行っていない。今回も、あちこち見物して歩く時間がなかったので、「番外編」として記録しておくほどの何事もない。鹿児島中央で電車を降り、加治木まで行くバスを待つ間、甲突川をちょっとだけ覗いてきただけなので、取りあえず、対岸に見た桜島の岬にかこつけておくことにした。
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 これも、かなりのムリヤリで、天気が悪くて桜島の岬も判然とはぜず、ただ、だいたいこの辺が方崎であろうか、この辺が藤野崎であろうか、この端っこの辺りが割石崎であろうか、という程度のいいかげんなものである。
 いわば、次の桜島訪問の機会までのつなぎに過ぎない。
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 巨大な維新の群像が立つ鹿児島中央駅前は、昔は西鹿児島という国鉄の拠点駅だったが、「西」がいつのまにか「中央」になってしまった。数年前にできた観覧車のある駅ビルから、少し北東寄りに歩くと、有名な甲突川に架かる高見橋に出る。
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 この川のほとりに、後の西郷隆盛や大久保利通が誕生し、共に成長した。盟友の二人が維新でも協力し、そして決別するという話は、多くの日本人のこころになにかを残してきた。
 盟友のつもりだった総理からクビを切られた鳩山前総務大臣も、「政府に疑これあり」とかいっちゃって引き合いにするなど、“引用活用自由自在”にできる便利なものらしい。
 地元ではなんといっても、西郷さんの人気に敵うものはない。それに対する大久保利通は、島津久光からは恨まれ、西郷とは政敵にならざるを得ず、地元からも評価されず、結局道半ばで不平分子に暗殺されてしまう。
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 まったく損な役回りで、甲突川河畔に彼の銅像ができたのは、比較的新しい。
 もっとも、鹿児島で銅像を建てようという気になれば、ネタには困らずキリがない。鹿児島中銅像だらけになってしまうだろう。駅前の群像は、その賢明な解決策というつもりではもちろんないだろう。そうであったとしても、群像が個々の建立プランを押しつぶすほどの力にはならない。
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 ほのかに色づきはじめた甲突川土手の桜並木を背景にして、高見橋の欄干にも銅像が建っているが、これにはちょっと泣ける。
 これが、維新の元勲でも希代の英雄でも高位高官の役人でもない、ただ子等を見守る無名の薩摩の母の像である。しかも、作者も大家や名人というのでもなく、地元の若い作家であるという。

▼国土地理院 「地理院地図」
31度35分46.62秒 130度35分59.53秒 31度37分16.49秒 130度37分49.22秒
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dendenmushi.gif九州地方(2009/03/19 訪問)

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タグ:鹿児島県
きた!みた!印(12)  コメント(2)  トラックバック(0) 
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きた!みた!印 12

コメント 2

dotenoueno-okura

おいどんも“血液型”“星座”などはバカ遊戯にすぎぬと思ふのでごわすが、地方地域に特有の性格傾向が見られることは否定でき申さん。ばってん、県民性とは言えぬぞな、もし。
率爾ながら全国共通語策定をめぐる南郷家のてんやわんやを想起しやした。井上ひさしうじの『国語元年』は傑作でござった。  
大きな働きをなした大久保が、とかく悪役といふか損な役回りにされるのはキャラクターのゆえでせうな。ロッキード裁判で証人喚問された際の御子孫のようすは痛痛しかったでがんす。
by dotenoueno-okura (2009-06-15 08:16) 

dendenmushi

@あれは原作を読んでいなくて、NHKがやったドラマしか見ていないけど、井上ひさしらしいうまい設定がしてありました。
 南郷家は薩摩で、そこへきた婿養子が長州出身の官吏。しかも、その家の女中頭が元旗本の奥方…そこへもってきて、下町の娘や会津や尾張の出身者が加わって、といった具合で…。
 しかし、井上ひさしといえば『四千万歩の男』ですが…。
by dendenmushi (2009-06-17 06:07) 

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