1217 天仁屋崎=名護市字天仁屋(沖縄県)ぜひバスを降りて行ってみたかった岬が続くのだが… [岬めぐり]
地図を見ていて、ここにはぜひ行ってみたいと思って計画をいろいろいじり回していた。だが、バスのダイヤがネックになってどうやってみてもうまくいかない。バスの終点まで行かずに、ここで降りて帰りのバスに乗るという手も考えてみたが、天仁屋の集落まで入って行くのは帰りの便だけなので、時間的にムリである。
しかたなく、ここもバスで通り過ぎるだけになってしまった。
この路線では、安部崎もギミ崎もバン崎も、どれも降りてみたい岬だったのに…。これらを拾いながら歩いて行くのは、山坂登りもあるうえどう少なく見積もっても10キロ以上は優にあるので相当大変そうだ。が、この早朝便で行って、夕方の便で帰ってくる一日仕事にすればなんとか行けそうかな。
泊まればいいじゃない…? 聖火だって泊まったんだから…?
残念ながらそうはいかないのだ。聖火のときには村中総出で臨時の宿泊所を建てたりしたそうだが…。
そういう機会がこの先あるかどうかわからないので、とにかくここはバスから眺めたところだけで…。
嘉陽を後にすると、バスは山の中に入って行く。331号線は標高120メートル前後の台地の上を上り下りを繰り返しながら進んで行く。往路の東村役場行きのバスは、どんどん山越えをして有津(あっつ)、有銘(あるめ)の入江まで降りてしまう。
折り返して帰ってくるバスでは、台地の道の途中に、天仁屋の標識がある脇道に入って行く。またしばらくゆっくり下って行くと、天仁屋の集落に到達する。
天仁屋崎の上の三角形の台地では、開拓が進んでいて、開墾して農地にする作業がまだ続いているようだった。バスから見ていると、どうやらパイナップルが主な作物のようである。
天仁屋のバス停まで行くと、バスはそこでUターンして戻っていく。このずっと先に左手に天仁屋崎、右手にバン崎という景色を想像していたが、海岸に降りる道はなさそうで、かなり苦労しそうだ。
まあ、それはおいといて、今回は天仁屋崎を北の平良から眺めたところで我慢しなければならない。
有津川を遡上していった山の中に、地理院地図はおもしろい名前を記している。「大湿帯」というのは字天仁屋のなかにあるが、小字名なのだろうか。他の地図にはこの表記は出てこない。
字面から連想するのは湿原が広がる光景だが、そこは地形としては台地の上で、あまり水には縁のなさそうな場所である。おもしろそうな名前に惹かれて調べてみると大湿帯(おーしったい)は、開拓集落の名残であるようだ。
本島北部のヤンバル地区には、廃藩置県後に琉球の士族などが国策に従って進めた開墾入植で、たくさんの開拓集落があたようだ。現在ではその多くは過疎か廃村になっているらしい。(ちょっと飛躍して…。“国策の大失態”にうらみつらみをあげれば、沖縄ではキリがないことになろう。いっそのこと琉球は独立したら…という考えが出てくるのも自然だろう。)
字天仁屋の領域がこれまたやたら広いが、これもそうした廃村または寸前の字を吸収していったからではないかと想像してみる。
名護市は天仁屋の台地が切れる北の有津までで終わり、そこから北へは国頭郡東村字有銘となる。
天仁屋の台地から降りてきて、有津から有銘へ入江を過ぎ、そして∴マーク付きのヒルギ林がある慶佐次(げさし)からまたひとつ出っ張りを越えて降りたところは伊是名。そこはもう平良湾になる。
▼国土地理院 「地理院地図」
26度34分5.61秒 128度9分1.94秒
沖縄地方(2015/04/07 訪問)
タグ:沖縄県
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