428 牛ノ頸=薩摩川内市港町(鹿児島県)クビもなが〜くして見てみました [岬めぐり]
ここは、「ハナ」ではなく「クビ」である。「岬・崎・鼻」でなくても、それが明らかに岬の形状を伴っている場合には、これも例外的に岬に含めることにしている。「首」もいくつかはあるが、「頸」の字はめったに登場しない。しかも、“ウシのクビ”なんて、いったいどこがクビなんでしょう?
結局、ここは川内駅に向かって走る肥薩おれんじ鉄道の運転席の隣から撮った写真と、平瀬鼻の堤防から南を遠く望んだときの写真しかない。牛ノ頚の隣は、川内火力発電所である。
ま、たまにはこういうのもありなんです。
西方駅の次の駅が薩摩高城(さつまたき)という。斜面の途中を線路と国道が走るここは、駅付近にはなにもない。西方から乗ったこどものひとりが一緒に降りたが、その子には迎えのお母さんが、ホームに続く斜路に軽自動車を停めて待っていた。でんでんむしには、誰も迎えてくれる人はいない。
どういうわけによるものか、駅の上の国道の脇には、道路を向いていくつもの墓が並んでいる。下のほうには、海辺にぽこぽこといくつもの山が固まって、一風変わった景色が広がっている。
当然これは後から見たのだが、電子国土の地図によると、それに川と入り江が加わってつくりだした浜には、丸いタンクのようなものが並んでいる。なにかの備蓄基地のように見えるが、駅から眺めた景色では、これまた黒い景色でよくわからない。
ここから南には、途中にひとつの出っ張りをはさんで唐浜という砂浜が続き、その先にこの牛ノ頚がある。
最初は、この薩摩高城から歩いて牛ノ頚へ行き、そこから道草という次の駅まで歩こうかと考えていた。薩摩高城と道草の二つの駅を結ぶ直線を底辺とすれば、牛ノ頚は正三角形の頂点に当る。“三角形の底辺は他の二辺の和より短い”という定理によって、およそ5キロ以上は歩かなくてはならない。
これが朝とかであれば、ごちゃごちゃ言う前に歩きはじめているのだが、あいにく陽は早くも西に沈みかけるという時刻で、国道をはるかに見渡せば、行けども行けども…。浜まででさえもはるかに遠く、またさらに道草の駅までが遠い。おまけに地図なしときては、とても悠々とのんびりと道草を食いながら歩くという雰囲気ではなくなってしまった。
というわけで、いったんはそのつもりで薩摩高城で電車を降りてはみたものの、辺りの雰囲気に負けて、断念してしまった。歩くのは苦にならないが、知らない町を日が暮れてから地図なしで歩くのは、いささか…。
次の電車で川内をめざすことにし、その電車が唐浜の手前で大きくカーブを切るところで、なんとか確認したという次第。
薩摩川内市の中心部は、新幹線の駅とおれんじ鉄道の駅が合流するところで、海岸からは10キロ以上も内陸に奥まった場所にある。川内川の河口右岸に火力発電所があり、その反対側左岸には原子力発電所もある。駅前がきれいに整備されているのは、そのおかげなのか。
川の南の原発側一帯は広く山地に覆われていて、そこを避けるようにして、南に延びる線路を走る鹿児島中央行きの電車に乗換え、串木野へ向かう。
そう、肥薩おれんじ鉄道は川内が終着始発駅で、ここからはJR鹿児島本線になるのだ。電車の雰囲気もがらりと変わる。
426の愛宕鼻のところでは、書くことが多かったので割愛したのだが、この日最後となるここでちょっと、追加補足しておこう。
短詩形文学の才能がまったくないでんでんむしも、鑑賞するのは好きなので、土曜日の昼には、松山からのNHK-BS2 『俳句王国』をみることがある。たまたま5月23日の放送では、兼題が「卯波」というものだった。“卯の花の咲く頃の波”という程度の想像はつくが、はじめて知る季語である。
みていると、ひとつだけ自分ならこれに○をつけるかな、という句が目にとまった。
岩鼻は誰の横顔卯波立つ
ケレンもなにもない、いかにもわかりやすい、岬めぐりをしているとすぐになるほどと思う句なのだが、その日の参加者の人気は得られず、一点も入らない。作者がだんだんとわかっていくが最後に残ったこの句は、その日の主宰である廣瀬直人氏の句であった。 そして、ちょっと時期的にはズレがあるような気もするけれど、南国鹿児島であればいいんじゃないのというノリで、426 愛宕鼻の先にキラキラと光って広がるあれこそ卯波だったのだ、と一人納得したのだった。
▼国土地理院 「地理院地図」
31度52分12.51秒 130度12分5.19秒
九州地方(2009/03/17 訪問)
結局、ここは川内駅に向かって走る肥薩おれんじ鉄道の運転席の隣から撮った写真と、平瀬鼻の堤防から南を遠く望んだときの写真しかない。牛ノ頚の隣は、川内火力発電所である。
ま、たまにはこういうのもありなんです。
西方駅の次の駅が薩摩高城(さつまたき)という。斜面の途中を線路と国道が走るここは、駅付近にはなにもない。西方から乗ったこどものひとりが一緒に降りたが、その子には迎えのお母さんが、ホームに続く斜路に軽自動車を停めて待っていた。でんでんむしには、誰も迎えてくれる人はいない。
どういうわけによるものか、駅の上の国道の脇には、道路を向いていくつもの墓が並んでいる。下のほうには、海辺にぽこぽこといくつもの山が固まって、一風変わった景色が広がっている。
当然これは後から見たのだが、電子国土の地図によると、それに川と入り江が加わってつくりだした浜には、丸いタンクのようなものが並んでいる。なにかの備蓄基地のように見えるが、駅から眺めた景色では、これまた黒い景色でよくわからない。
ここから南には、途中にひとつの出っ張りをはさんで唐浜という砂浜が続き、その先にこの牛ノ頚がある。
最初は、この薩摩高城から歩いて牛ノ頚へ行き、そこから道草という次の駅まで歩こうかと考えていた。薩摩高城と道草の二つの駅を結ぶ直線を底辺とすれば、牛ノ頚は正三角形の頂点に当る。“三角形の底辺は他の二辺の和より短い”という定理によって、およそ5キロ以上は歩かなくてはならない。
これが朝とかであれば、ごちゃごちゃ言う前に歩きはじめているのだが、あいにく陽は早くも西に沈みかけるという時刻で、国道をはるかに見渡せば、行けども行けども…。浜まででさえもはるかに遠く、またさらに道草の駅までが遠い。おまけに地図なしときては、とても悠々とのんびりと道草を食いながら歩くという雰囲気ではなくなってしまった。
というわけで、いったんはそのつもりで薩摩高城で電車を降りてはみたものの、辺りの雰囲気に負けて、断念してしまった。歩くのは苦にならないが、知らない町を日が暮れてから地図なしで歩くのは、いささか…。
次の電車で川内をめざすことにし、その電車が唐浜の手前で大きくカーブを切るところで、なんとか確認したという次第。
薩摩川内市の中心部は、新幹線の駅とおれんじ鉄道の駅が合流するところで、海岸からは10キロ以上も内陸に奥まった場所にある。川内川の河口右岸に火力発電所があり、その反対側左岸には原子力発電所もある。駅前がきれいに整備されているのは、そのおかげなのか。
川の南の原発側一帯は広く山地に覆われていて、そこを避けるようにして、南に延びる線路を走る鹿児島中央行きの電車に乗換え、串木野へ向かう。
そう、肥薩おれんじ鉄道は川内が終着始発駅で、ここからはJR鹿児島本線になるのだ。電車の雰囲気もがらりと変わる。
426の愛宕鼻のところでは、書くことが多かったので割愛したのだが、この日最後となるここでちょっと、追加補足しておこう。
短詩形文学の才能がまったくないでんでんむしも、鑑賞するのは好きなので、土曜日の昼には、松山からのNHK-BS2 『俳句王国』をみることがある。たまたま5月23日の放送では、兼題が「卯波」というものだった。“卯の花の咲く頃の波”という程度の想像はつくが、はじめて知る季語である。
みていると、ひとつだけ自分ならこれに○をつけるかな、という句が目にとまった。
岩鼻は誰の横顔卯波立つ
ケレンもなにもない、いかにもわかりやすい、岬めぐりをしているとすぐになるほどと思う句なのだが、その日の参加者の人気は得られず、一点も入らない。作者がだんだんとわかっていくが最後に残ったこの句は、その日の主宰である廣瀬直人氏の句であった。 そして、ちょっと時期的にはズレがあるような気もするけれど、南国鹿児島であればいいんじゃないのというノリで、426 愛宕鼻の先にキラキラと光って広がるあれこそ卯波だったのだ、と一人納得したのだった。
▼国土地理院 「地理院地図」
31度52分12.51秒 130度12分5.19秒
九州地方(2009/03/17 訪問)
タグ:鹿児島県
コメント 0