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『思い出の索引』★でんでんむし@アーカイブス☆わたしたちが生きてきた時代とは…まとめ2 [年表]

Dendenmushi_@yChronicle 作業を終えての感想として
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mark.jpg蛇足の蛇足
 2014/06/25から思いつきで始めてしまった『思い出の索引』年表づくりは、ほぼ10か月かかってやっと終了した。
 枯れた歴史としてはとりあえず1990年までを一区切りとしたが、いつも見ていてくださったみなさんからコメントもいただき、ありがとうございました。
 そんなことを考えたのも、2015年が終戦、いや敗戦の年から数えて70周年に当たるからで、この70年間こそが自分が物心ついてからのすべてであるからだ。自分が生きてきた時代のすべてが、この70年でもあった。もちろんそれは環境や時間の長短の違いはあれ、同時代に生きてきた皆さんとても同様であろう。
 そして、これをご覧になったみなさんには、またそれぞれに独自の『思い出の索引』ができることだろう。
          
 年表の文字を全部追って読むのは確かに苦労であるが、それは当初から想定していなかった。ただツラツラ眺めていれば、それぞれ見る人によっていろんな思い出が蘇ってくるかもしれない…。年表はその引き出しの材料としてつけてある。
 あえて年表の日付を入れなかったのは、ツラツラと見て、そうか大体こいうことがあって、こういう流れで世の中が動いていったのだという理解ができることを、期待し想定していた。つまりもともと、全部を順番に読んでいく必要はないのだ。ただ、それがあまりうまくいったとも思えない。
 こういうことは全部個人の記憶で書くことは不可能だから、いくつか手元の資料を使わせてもらっている。
 けれども、元にした出版物である年表は、いわゆる出来事を時系列に並べるという普通の伝統的な方法によって作成されている。おまけにどんな年表であっても、それぞれが世の中のできごとのごく一部を拾っているだけだし、それからまた取捨選択してしまえば、それらが世の中の流れを表しているわけでもないことになる。
 世の中のできごとのすべてを、細大漏らさず網羅することが、そもそもムリなので年表には自ずと限界がある。
 そこで、それぞれ目的やテーマにあわせた編集が行なわれることになるが、でんでんむしの目的は「自分はどんな時代に生きてきたのだろうか」ということである。
          
 通常の年表に並べて、個人的なイベントや思い出やその年の出来事にまつわる感想など、蛇足を付け加えてみた。
 そうすることによって、なんとかその時代の中で自分自身がなにを考えなにをしていたかと、世の中の流れを関連づけてみることはできないだろうか。それがこの年表の狙いであったが、やってみるとあまりうまくいったとも言えそうにない。
 やはり出来事の羅列から時代の流れを感じ取るのは、むずかしいのであろうが、何かそんなところに歴史の情報や教育に盲点もありそうにも思えてくる。
          
 でんでんむしは、日本はどうしてなぜあの戦争を始めたのか、そしてなぜもっと早くそれを終わらせることはできなかったのか、という疑問を抱き続けてきた。さらに言えば、戦後70年も経った今もなお、その負の遺産を引きずったまま周辺諸国ともぎくしゃくして、精算できていないのはなぜだろうか。
 個人の思い出とは別ジャンルというべきだろうが、世の中の動きはいつも大きく国際情勢、政治情勢によってつくられていく。戦争で父を原爆で祖母や家を失ったでんでんむしは、中学生のときに「理想の世界政府」という文を書いた。高校生の頃にはたくさんの戦記物も読んだ。戦争で大きく変転した環境を、運命として受け入れてきたが、この70年で決して日本が明日への希望をもち、よい方向に進んでいるとも思えないのが悲しい。
 そういうわけで、まとめでは日本の政治状況を中心に振り返ってみた。 
 現在の状況をみても、議論も尽くされたとは言えないまま、論点があいまいなまま改憲論議が進んで、まるで既定路線であるかのように言われ、日本を取り戻すという首相がなにをなにから取り戻そうというのか、やたら張り切って世界の十手持ちの手先に任ずるべく突き進んでいるようにみえてしまう。
 そして、その対抗軸は見事に雲散霧消してしまって、連立の相手も歯止めはおろか完全な補完勢力になっている。誰も牽制もできず止めることもできず、やっぱり株が上がらないと困るからねえと自民党支持が続く現状は、果たしてわれわれが望むべき最善ないしは次善の状況なのだろうか。
          
 自慢ではないが(自慢するときの決まり文句)、へそまがりでんでんむしは選挙で自民党に入れたことがない。常に少数派、反体制であるが、それは単にバランスを取りたいがためである。
 一党一派に都合がいいように権力が偏るのは、どちらにしてもよくない。左右のバランスが重要だと考えると、日本の戦中戦後は、保守の自民党系列と官僚支配があまりにも長く続きすぎた。
 一時期、政権の交代もあるにはあったが、未熟なそれを育てるという思考方法をもたない有権者は、すぐに見限ってしまう。マスメデイアも同様で、政治と金の問題に集約して叩きまくってきた。それが今は敵失に付け入って付け上がる巨大与党の前に、妙に萎縮しておとなしくなってしまっている。
 社会の木鐸であろうとしたはずの新聞も、いちおう全国紙を5紙とするとその3紙までが明確な右寄り政権派であり、政府広報ないしネトウヨ御用達と化している。嵩に懸かった自民党は、テレビの番組の端々にもこまめに介入することをなんとも思わない。そのテレビや新聞の経営者には、報道陣としての批判精神もなく首相とのお食事会に余念がないようだ。
 対して、野党は非力でくだらない勢力争いに終始し、ときどき声を上げる進歩的文化人とやらにも力はなく、対案を出せという居丈高な意見に対して、大方を納得させるような論調も指標も生まれてこないときている。そうして、だんだんと理想を語ることを忘れていく。
          
 改めて年表でできごとを振り返ってみると、結局のところ、敗戦後70年のすべての要因がそこに帰結するかのような感さえある。つまり、70年間の間、そのほとんどで政権を握ってきた保守政権が、ついに戦後処理をしないまま今日に至っている、という見方もできるのだ。
 第2次大戦において、日本と同じ枢軸国側で敗戦を迎えたドイツは、その政権と軍部が侵した暴虐非道ぶりは、日本のそれとは比較にならないくらいなのにもかかわらず、戦後のありかたは彼我の差が大きい。
 その違いは、ごく大まかに言えば、敗戦の事後処理と反省の仕方の違いであろう。未だに反省するだのお詫びしないだの言っている日本は、戦争責任を「一億相懺悔」で誤魔化してしまったために、戦争の反省が万事徹底しないままであった。多くの戦犯はすぐに社会復帰をし、要職に迎えられた。
 その背景には、ちょうどそのタイミングで起こった東西対立と朝鮮戦争の勃発が大きい。それらが戦争責任の追及をますます曖昧にし、戦争を遂行してきた人や思想の多くが、そのまま戦後社会に居座ってしまった…。
 それが日本の不幸であったと、そんな見方もできるのではないだろうか。
           
 ごくごくおおざっぱな、床屋政談的印象批評にすぎないし、いまさら言っても益のないことかもしれない。また、論旨も十分に整理されておらないうえに穴だらけで、あまり説得力もないが、敗戦後70年のでんでんむし的まとめも、そういうことになろうか。
 しょせん無力な一年金生活者が何を言おうと、関係はないのだが、それぞれが敗戦後70年を振り返り、考えてみることは、これからの日本を考えるうえで重要であるかもしれない。

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 dendenmushi.gif2015/04/21 記
 
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『思い出の索引』★でんでんむし@アーカイブス☆わたしたちが生きてきた時代とは…まとめ [年表]

『思い出の索引』のさくいん
★でんでんむし@アーカイブス☆
わたしたちが生きてきた時代とは…
まとめ
1901〜2015
各年数表示部分が1990年まではリンクボタンになっています
Dendenmushi_@y Chronicle
この100年、敗戦後70年をザザッと眺める
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1901明治34年  ・八幡製鉄所稼働・田中正造足尾鉱毒直訴・祖父15歳
1902明治35年  ・日英同盟・八甲田山雪中行軍・台湾島民に日本国籍・祖母4歳
1903明治36年  ・横浜-東京ペスト拡大・対露開戦論・非戦論・連合艦隊編成
1904明治37年  ・対露国交断絶・宣戦布告・旅順港封鎖・黄海海戦・203高地
1905明治38年  ・奉天会戦・日本海海戦・日露講和・反講和暴動・韓国保護条約
1906明治39年  ・第1次西園寺内閣・東北大飢饉・鉄道国有法・私鉄も国有化
1907明治40年  ・足尾と別子の銅山暴動・第3次日韓協約秘密覚書き内政指導
1908明治41年  ・日露樺太境界・第2次桂内閣・新聞記者同志会官僚政治打破
1909明治42年
 ・韓国併合を閣議決定・伊藤博文枢密院議長ハルピン駅射殺
1910明治43年
 ・韓国を朝鮮とし総督府設置・大逆事件・白瀬南極探検隊
1911明治44年  大逆事件被告24人に死刑判決・第2次西園寺内閣・辛亥革命
1912大正01年  清朝滅亡・天皇崩御改元・第1次バルカン戦争・大陸移動説
1913大正02年  ・憲政擁護運動熾烈化・3次桂内閣総辞職・山本内閣
1914大正03年  ・第2次大隈内閣・第1次大戦・対独宣戦・青島占領
1915大正04年  ・中国大総統袁世凱に21か条要求・日華条約・父誕生
1916大正05年  ・寺内内閣・独ロンドン空襲・記者会元老政権官僚政治排斥
1917大正06年  ・露2月革命・中国段内閣支援決定・露10革命ソビエト政権
1918大正07年  ・シベリア出兵・原内閣・スペイン風邪・大戦終結・母誕生
1919大正08年  ・朝鮮独立暴動・独ナチス伊ファッショ・ベルサイユ講和
1920大正09年  ・戦後恐慌・宮中某重大事件
1921大正10年  ・尾崎行雄軍備制限遊説・原東京駅で刺殺・孫文非常大総統
1922大正11年  ・高橋内閣・軍縮条約・太平洋諸島委任統治条約・ソ連邦
1923大正12年  ・関東大震災・朝鮮人迫害・第2次山本内閣・憲兵大杉栄扼殺
1924大正13年  ・清浦内閣・護憲運動・護憲3派第1次加藤内閣・曾祖父没
1925大正14年  ・ラジオ放送開始・治安維持法・男子普選第2次加藤内閣
1926昭和01年  ・広東汪兆銘蒋介石第1次若槻内閣・各地大争議・天皇崩御
1927昭和02年  ・田中内閣・山東出兵・大陸進出政策・南昌中共軍蜂起
1928昭和03年  第2次山東出兵国民政府軍と衝突・張作霖爆殺・憲兵隊思想係
1929昭和04年  ・共産党員検挙・天皇田中首相叱責・浜口雄幸内閣
1930昭和05年  ・世界恐慌・共産党大検挙・ロンドン軍縮・浜口狙撃・昭和恐慌
1931昭和06年  第2次若槻内閣・関東軍柳条溝爆破(満州事変)・犬養内閣
1932昭和07年  国民政府上海事変・満州国・犬養射殺・斉藤実内閣
1933昭和08年  ・独ナチス政権・小林多喜二虐殺・国際連盟退場・国際連盟脱退
1934昭和09年  ・出版法取締強化・岡田内閣・東北北海道冷害大凶作身売り
1935昭和10年  ・天皇機関説・中国共産党救国抗日宣言・永田鉄山皇道派に刺殺
193611年  ・2.26・広田弘毅内閣・スペイン内乱・大陸南方進出・日独協定
1937昭和12年  ・林内閣・盧溝橋日中軍衝突(日中戦争)・南京占領
1938昭和13年  ・国家総動員法・徐州占領・広東武漢三鎮占領・東亜新秩序声明
1939昭和14年  ・平沼内閣・ノモンハン・阿部内閣・独侵攻(第2次大戦)・@
1940昭和15年  ・米内内閣・吉田茂労組自発的解消・第2次近衛内閣・大政翼賛
1941昭和16年  ・東条戦陣訓・日ソ中立条約・独ソ戦・岸入閣・真珠湾・母没
1942昭和17年  ・マニラ・シンガポール・珊瑚海海戦・ミッドウエー・ソロモン
1943昭和18年  ガ島撤退・山本連合艦隊司令官・アッツ島・伊降伏
1944昭和19年  ・強制疎開・マリアナ沖・独降伏・サイパン玉砕・レイテ沖海戦
1945昭和20年  ・東京大空襲・沖縄戦・鈴木内閣・広島長崎原爆・降伏・父戦死
1946昭和21年  ・幣原内閣・極東国際軍事裁判・第1次吉田内閣・憲法公布
1947昭和22年  マッカーサー命令ゼネスト中止・憲法施行・片山哲内閣
1948昭和23年  ・芦田内閣・ソ連ベルリン封鎖・昭電事件・第2次吉田内閣
1949昭和24年  第3次吉田内閣・下山事件・三鷹事件・松川事件
1950昭和25年  ・憲法は自主防衛否定せず・全面講和は曲学阿世・朝鮮戦争
1951昭和26年  ・警察予備隊・マッカーサー罷免・対日平和・安保条約
1952昭和27年  ・自衛戦力違憲にあらず・メーデー・破防法・第4次吉田内閣
1953昭和28年  ・バカヤロー解散・第5次吉田・スターリン暴落・朝鮮休戦
1954昭和29年  ・ビキニ水爆第五福竜丸・佐藤栄作造船疑獄法相指揮権発動
1955昭和30年  ・保守合同・第3次鳩山内閣
1956昭和31年  ・フルシチョフスターリン批判・ハンガリー事件・石橋内閣
1957昭和32年  岸信介内閣・砂川強制測量・スプートニク
1958昭和33年  第2次岸内閣・警職法・東京タワー・@映画C・祖父没
1959昭和34年  ・皇太子成婚・三井三池・安保阻止国会デモ・@上京
1960昭和35年  ・岸渡米・羽田事件・安保採決強行・学生死亡・池田内閣
1961昭和36年  ・嶋中事件・地球は青かった・ベルリンに壁・@出版社
1962昭和37年  ・アルジェリア停戦・創価学会・原水禁分裂・キューバ危機
1963昭和38年  ・林房雄大東亜戦争肯定論・戦没者追悼式・ケネディ暗殺
1964昭和39年  ・トンキン湾事件・ベ戦争反対・新幹線・東京オリンピック
1965昭和40年  ・北爆開始・佐藤内閣・@この頃大阪で雑誌編集
1966昭和41年  航空機事故多発・文化大革命・建国記念日制定
1967昭和42年  美濃部都知事・自民得票率50%割る・佐藤訪米・中東戦争
1968昭和43年  ・三里塚闘争・南ベトナムテト攻勢・三億円事件・@東京へ
1969昭和44年  ・東大日大紛争・アポロ11号月面着陸・佐藤訪米
1970昭和45年  ・日本万国博・赤軍派よど号乗っ取り・日米安保は自動延長
1971昭和46年  ・沖縄返還協定・国連中国招請国府追放・@東京単行本編集
1972昭和47年  ・ニクソン訪中・沖縄施政権・列島改造論・第1次田中内閣
1973昭和48年  ・変動相場制・石油ショック・ベトナム和平・革新市長
1974昭和49年  ・田中金脈批判・三木内閣・ニクソンWG事件失脚
1975昭和50年  ・南ベトナムサイゴン政府降伏・現職靖国参拝・赤ヘル
1976昭和51年  ・ロッキード事件・総選挙自民敗北・福田内閣・天安門事件
1977昭和52年  ・参院選保革逆転はなく自民相体的安定・派閥解消
1978昭和53年  ・日中平和友好条約・第1次大平内閣・超法規
1979昭和54年  ・第2次石油ショック・東京サミット・安定多数確保失敗
1980昭和55年  ・社会党の内閣不信任案可決・大平急死同時選挙自民圧勝
1981昭和56年  ・鈴木内閣全閣僚靖国参拝・中国残留日本人孤児来日
1982昭和57年  ・中国政府が日本の教科書記述変更を非難・中曽根内閣
1983昭和58年  ・日韓新時代・日米は運命共同体・田中被告に実刑有罪判決
1984昭和59年  ・社会党自衛隊違憲合法論・新自ク連立改造内閣
1985昭和60年  ・国鉄改革・防衛費GNP1%枠撤廃・日航ジャンボ機墜落
1986昭和61年  ・中国と韓国が日本史教科書批判・同時選挙自民圧勝
1987昭和62年  ・朝日新聞阪神支局襲撃・売上税反対・廃案・竹下内閣
1988昭和63年  ・盧溝橋は偶発事件・中韓反発・消費税単独強行採決
1989平成01年  ・天皇崩御・リクルート事件・参院逆転・宇野→海部
1990平成02年  ・総選挙で自民安定多数・ソ連大統領制・多国籍軍10億
1991平成03年  ・湾岸戦争90億ドル追加・宮沢内閣・ソ連邦崩壊
1992平成04年  ・宮沢首相訪韓慰安婦で公式謝罪・PKO協力法・@退社
1993平成05年  ・新党・自民過半数割れ・非自民連立細川内閣・@神田
1994平成06年  ・小選挙区比例代表並立制・細川首相辞任・羽田→村山
1995平成07年  ・阪神淡路大震災・タレント知事・村山談話・オウム
1996平成08年  ・橋本内閣・民主党・第2次橋本内閣自民単独@湯島
1997平成09年  ・消費税5%・家永裁判で最高裁賠償命令・金融不安
1998平成10年  ・テポドン・参院自民惨敗・小渕内閣
1999平成11年  ・自自公連立小渕改造@湯島から月島へ徘徊地域変更
2000平成12年  ・自由党分裂・自公保連立・加藤の乱・日の丸君が代
2001平成13年  ・小泉純一郎内閣・参院自民過半数・米同時テロ9.11
2002平成14年  ・アフガン紛争・小泉改造内閣・小泉訪朝
2003平成15年  ・米イラク攻撃・第2次小泉内閣・自衛隊イラク派遣
2004平成16年  ・参院民主党改選比較第1党
2005平成17年  ・郵政選挙自民圧勝・第3次小泉内閣・中国反日デモ
2006平成18年  ・送金メール・安倍晋三内閣
2007平成19年  ・参院自民惨敗・安倍退陣・民主参院第1党・福田内閣
2008平成20年  ・テロ特措法参院否決・麻生内閣
2009平成21年  ・献金問題・総選挙で鳩山民主が圧勝・民社国連立内閣
2010平成22年  ・菅内閣・参院自民大勝・普天間尖閣@神楽坂
2011平成23年  3.11東日本大震災・原発・菅内閣不信任・野田内閣
2012平成24年  ・消費税増税法案小沢ら反対・自民政権奪還・尖閣国有化
2013平成25年  ・第2次安倍内閣・朴槿恵韓国反日政策・嫌韓・特定秘密・8%
2014平成26年  集団的自衛権・クリミア・大戦100周年・日清戦争120周年
2015平成27年  ・イスラム国人質・米キューバ59年ぶりの対話
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 dendenmushi.gif2015/04/19 記

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1990☆『思い出の索引』★でんでんむし@アーカイブス☆わたしたちが生きてきた時代とは… [年表]

われわれはどこから来て、どこへ行こうとしているのだろうか…? 

1990mark.jpg平成2年 庚午(かのえうま)
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◯南ア、終身刑の黒人指導者ネルソン・マンデラを釈放。
◯ソ連最高会議幹部会、大統領制の導入を決定。ゴルバチョフを選出。
◯ラトビア共和国がソ連邦からの独立を決議。リトアニア、エストニアがこれに続く。
◯伊共産党が共産主義と決別。
◯アフリカサンゴの植民地ナムビアが南アから独立。
◯台湾の李登輝総統が中国との敵対関係終結を表明。
◯ペルーで日系のフジモリ大統領が誕生。
◯イラク軍がクエートに侵入。クエートを制圧し支配下に。
◯国連安保理、イラクへの経済制裁を決定。
◯米ブッシュ大統領がサウジアラビアへ派兵を決定。
◯国連安保理、イラクが期限までに撤退しない場合の武力行使容認を決議。

◉総選挙を前に5党首がテレビ公開討論。
◉総選挙の結果、自民が追加公認を含め286で安定多数。
◉第2次海部内閣。官房長官坂本三十次。
◉社会党委員長に土井たか子3選。党規約から「革命」を削除。
◉韓国盧泰愚大統領が来日。天皇が「痛惜の念」を表明。
◉東京でカンボジア和平会談開催。
◉海部首相が首相として初となる沖縄戦没者追悼式に出席。
◉海部首相、イラク派遣多国籍軍へ10億ドルの資金援助などの中東支援策を発表。続いて、エジプトなど3国へ20億支援。
◉防衛白書から「ソ連の潜在的脅威」を削除。
◉梶山法相の米黒人差別発言が問題化。黒人議員連盟に陳謝の書簡。
◉金丸元副総理、田辺社会党副委員長を団長とする自社両党の訪朝団が平壌入り。植民地支配の謝罪と国交正常化を提案。
◉天皇即位の礼。現憲法下で初の大嘗祭。
◉沖縄県知事選挙で、大田昌秀琉球大名誉教授が当選。12年ぶりの革新県政復活。

・この年に亡くなった人にはこんな人も…。橋本登美三郎。東久邇宮稔彦王。北川冬彦。池波正太郎。藤山寛美。高峰三枝子。木暮実千代。出門英。宮田輝。若原一郎。高柳健次郎。滝田ゆう。土門拳。初井言榮。奥村土牛。芥川隆行。飛鳥田一雄。幸田文。浜口庫之助。堀田庄三。キース・ヘリング。サラ・ヴォーン。グレタ・ガルボ。エドウィン・O・ライシャワー。レナード・バーンスタイン。アート・ブレイキー。

◎都銀・地銀間のオンライン提携始まる。
◎天皇の戦争責任発言の本島等長崎市長が、市役所玄関で右翼団員に撃たれる。
◎夕張市で最後の三菱南大夕張炭鉱が閉山。
◎オウム真理教の熊本等の施設を、国土利用計画法違反容疑で捜索。
◎長崎県雲仙普賢岳が、1792(寛政4)以来200年ぶりに大噴火。(その後火砕流が頻発し、平成3年には43人の死者不明者を出す大惨事に。)
◎海外渡航者が1000万人を突破。
◎総人口に占める15歳未満の割合が過去最低。高齢者世帯が10%を超え、1世帯人数も3人を割る。
◎松下電器がファジイ家電第1号となる全自動洗濯機を発売。
◎コードレス電話の人気が急上昇。昭和62年の10万台が平成1年には240万台に。
◎ミニバイクから特殊大型車まで全運転免許取得者が6000万人を超える。16歳以上の60%超が免許をもっていることに。
◎札幌医大がドクター・ヘリを導入。
◎交通事故の死者が1万1227人で、16年間で最悪に。自動車乗車中の死者が40%と欧米型に近づく。
◎神戸三宮に天丼のファーストフード店。東京でも丸紅と日清製粉による「てんや」が開店。
◎梅雨前線の活発化で九州地方各地で山崩れや河川の氾濫。死者27人。
◎台風19号が和歌山県に上陸、本州を縦断して被害。死者不明者39人。
◎大阪鶴見緑地で「国際花と緑の博覧会」開幕。
◎TBSの秋山宇宙特派員を乗せたソ連のソユーズ11号打ち上げ。日本人初の宇宙飛行。

◎書籍にISBNバーコードがつく。
◎古紙暴落。東京都内に昭和60年に3000台あったちり紙交換も500台に激減。
◎コミック誌の発行部数が10年間で1.5倍に。全雑誌販売額の23%を占める。集英社の「週刊少年ジャンプ」が585万部でトップ。

■流 行:いか天・カーナビ・ミネラルウオーター。
■テレビ:ちびまる子ちゃん・渡る世間は鬼ばかり。
■邦 画:角川春樹/天と地と・黒沢明/夢・市川準/つぐみ・桑田佳祐/稲村ジェーン・篠田正浩/少年時代。
■洋 画:ジェリー=ザッカー/ゴースト=ニューヨークの幻・フィル=アルデン=ロビンソン/フィールド=オブ=ドリームス・ロバート=ゼメキス/バック=トゥ=ザ=フューチャー PART3。
■ 歌 :B.B.クイーンズ/おどるポンポコリン・米米CLUB/浪漫飛行・たま/さよなら人類・リンドバーグ/今すぐKiss Me・TUBE/あー夏休み・徳永英明/壊れかけのRadio・沢田知可子/会いたい・辛島美登里/サイレント・イヴ・山下達郎/Endless Game・坂本冬美/能登はいらんかいね・永井真理子/ZUTTO・大江千里/APOLLO・ドリームズ=カム=トゥルー/Ring! Ring!Ring!・伍代夏子/忍ぶ雨・晴山さおり/一円玉の旅がらす・吉田栄作/心の旅・BEGIN/恋しくて・井上陽水/少年時代・中森明菜/Dear Friend・矢沢永吉/PURE GOLD。
■ 本 :二谷友里恵/愛される理由・筒井康隆/文学部唯野教授・柴門ふみ/恋愛論・シドニィ=シェルダン/真夜中は別の顔・ドラゴンクエストⅣ公式ガイドブック。
■ことば:アッシーくん・ボーダーレス・バブル崩壊・3K・ファジイ。

❖年表の元ネタ主な参考資料河出書房新社『昭和・平成 家庭史年表』下川耿央・家庭総合研究会編。小学館『昭和・平成 現代史年表』神田文人編など。

dendenmushi.gif(2015/04/05 でんでんむし蛇足の記)
 スティーブ・ジョブスが「このまま一生、砂糖水を売り続けるのか」と言ってペプシにいたジョン・スカリーを引き抜いた話も、その引き抜いたスカリーにジョブスが追い出される話も、そしてまたジョブスがAppleに返り咲く話も、今ではすっかり有名で、きっとMacintoshが嫌いな人でもユーザーでもない人でも知っているのだろう。
 Macユーザーの間では、どうしてあのアトキンソンの名作HyperCardをカラー化してちゃんと活かしていかないんだろうという疑問があったのだが、それもこの権利がスカリーがらみだったからだ。復帰した後のジョブスがPDAにテコ入れしなかったのも、Newton自体がスカリーのプロジェクトだったからという説もある。おそらくそういうこともあったのだろう。
 グーテンベルグの肖像画をトレードマークにしていた、アルダス社の社長ポール・ブレイナードが1986年に提唱した言葉といわれているが、DTP(Desktop publishing)というのは、でんでんむし的にはあまり好きでない。だが、定着してしまったのでやむを得ず使うことにする。
 前にも書いたように当初は縦組みができなかったページレイアウトソフトPageMakerも、どうにか日本語化対応ができるが、その頃にはクオーク社のQuarkXPressが日本語組み版に目配りをしカラー対応もできることで、日本でのDTPを先行リードしていた。
 今では、それがアドビ社の InDesignに取って代わられているのは、Mac OS Xへの対応が遅れたからだといわれているが、最初からのユーザーであるでんでんむしにいわせれば、初期購入もアップグレードも価格がやたら高額であったことと、途中からトングルなどというものを導入したことで、もともとユーザー対応がうまくない、外資企業の商売ベタが原因であると思う。
 それまでの印刷所における作業工程の大部分が、自分の前のMacintoshでできるというのも、夢のような話だった。だが、それはずっとMacintoshの登場以来待ち望んでいたものだったので、環境が整うのを今か今かと待っていた。
 指定をして印刷所の作業者にそれをゆだねるのではなく、編集者がそれを行なえば指定をすると同時に目の前の画面で出力の状態で見ることができる。何人もの他人を介さなくても、編集者が自分のイメージのままに操作することができ、しかも具合が悪ければすぐ修正したりやり直したりできる。しかも、コストダウンにもつながる。
 しかし、日本のDTPは、アメリカでの急速な展開に比べると、随分時間がかかった。それもこれも、ひとえに漢字とかなとカナの日本語を扱うために生じる制約を克服するのに手間取ったからだ。それともうひとつは、印刷所の対応にも…。
 最初には、使えるフォントは、明朝とゴチックの2種類しかなかった。そのフォントをAppleに提供したのは、モリサワであった。日本の電算写植を制していたのは写研で、モリサワは大阪で取り残されていた。ウワサではAppleも最初は写研に交渉したらしいが、電算でウケにいっていた写研は相手にしない。そこでモリサワがDTPのフォントでは主流になったのだという。
 この年表の1924年(大正13年)の項で「写研とモリサワの因縁話は、ここから始まる」と書いていたのだが、もともとは石井茂吉と森沢信夫の二人が日本で最初の写真植字機の試作機を作っていた。それが袂を分かって別々の会社になっていたものだった。
 ジョブスとスカリーにしろ、写研とモリサワにしろ、クオークとアドビにしろ、歴史というものは、ほんとうに因縁が織りなすものなのだ。
 なんとかかんとかDTPの実用は、この年辺りから端物などからひっそりと始め、商品でもテストをしていた。本格的に全編集部的に導入するには、編集者一人一台の環境をつくっていかなければならないし、教育もしなければならない。だがそれは、自分ではやらず後に託すことになる。この年からまもなくして、会社を辞めることになるからだった。理由は身体的なことで、突然始まったひどい耳鳴りとめまいは、病院でメニエルと診断されたが、さまざまな治療法もまったく効かない。結局、近代医学とは違うアプローチで、ほぼ直るまでこの年から約2年半もかかってしまった。
     *     *     *     *
 この形式での年表・思い出の索引は、これでとりあえずひと区切り終わりです。まだまだ思い出は続いてありますが、歴史として枯れているのはこの辺りまで、ということですね。
 なんだか妙に個人的なことまで書いて、取りようによってはなんだ自慢話かあと言われそうな点もあったかもしれないですね。でもね、でんでんむしとしてはこれは孫が将来読んでくれればよい、と思っているんです。
 じいちゃんがどんな時代に生きてきたのか、なにをしていたのかを知りたいと思うときがきっとくるだろうからです。そして、家にあるがらくたや紙切れやその束の意味が初めてわかったりすると、きっと楽しいんじゃないですか。
 そんな気持ちで、自分語りを綴ってきたのですが、たまたま通りすがりの方々のお目を汚してしまいましたかね。年表の日だけは確実に無視されているという反応もあるので、ちょっと心配しています。
 時の流れをみつめる…。そんな意味も多少はありますよね。ま、そんなことでなにとぞご容赦を…。
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1989☆『思い出の索引』★でんでんむし@アーカイブス☆わたしたちが生きてきた時代とは… [年表]

われわれはどこから来て、どこへ行こうとしているのだろうか…? 

1989mark.jpg平成1年 己巳(つちのとみ)
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◯ソ連軍のアフガニスタン撤退完了。
◯ソ連、初の複数候補制の人民代議員選挙で改革派が各地で当選。
◯中国の前総書記胡耀邦が急死。学生など天安門広場で追悼集会。
◯北京の学生らがハンスト。戒厳令を発令。解放軍が戦車で制圧。
◯イランの最高指導者ホメイニ師死去。
◯ポーランドの下院選挙で「連帯」が圧勝。
◯東独市民1000人がオーストリアに脱出。東欧民主化運動の発端。
◯ハンガリー、人民共和国を「共和国」に改称。
◯東独、ベルリンの壁を実質的に撤去。28年間東西ベルリンを隔てていた壁が崩壊。
◯米ソ首脳によるマルタ会談。新時代の到来を宣言。
◯米、ノリエガ将軍を拘束する目的でパナマに侵攻するも失敗。
◯ルーマニア、チャウシェスク独裁政権が崩壊。大統領夫妻が処刑される。

◉天皇陛下、1月7日午前6時33分崩御。「昭和天皇」と追号。皇太子明仁即位。「平成」と改元。
◉国事行為として承継の儀、朝見の儀が行なわれる。
◉昭和天皇大喪の礼、新宿御苑で開催。163か国の元首ら、国際機関の代表などを含む9800人が参加。
◉消費税がスタート、3%課税で年収約6兆円の増収見込み。
◉中国の李鵬首相が来日。友好関係の発展を約束。
◉リクルート事件で高石前文部次官を収賄容疑で東京地検が起訴。
◉国会空転状態。竹下内閣の支持率が朝日調査で7%に急落。
◉竹下首相政治不信の責任を取って辞意表明。後継候補に伊東正義総務会長を推すも失敗し、宇野宗佑外相で固まる。
◉公明党矢野委員長、明電工疑惑など不祥事で退陣表明。後任に石田幸四郎委員長を緊急中央執行委員会で決定。
◉東京地検、藤波考生元官房長官、公明党池田克也前代議士を収賄容疑で起訴。捜査終結を宣言。
◉宇野内閣発足。官房長官塩川正十郎。
◉東京都議選で自民党大敗。社会党躍進。
◉参議院議員選挙で与野党が逆転。社会46,自民36、公明10、共産5、民社3、初登場の連合は11。
◉宇野首相の女性問題。選挙敗北と重なり2か月足らずで退陣表明。
◉自民党総裁に海部、林、石原の三氏が名乗り。両院議員総会で海部俊樹を選出。
◉海部内閣組閣。蔵相に橋本龍太郎。
◉官房長官の山下徳夫が女性問題で辞任。後任に森山真弓環境庁長官。
◉ソニーが米映画会社コロンビアを買収。
◉リクルート事件の初公判が各ルートで始まる。

・この年に亡くなった人にはこんな人も…。昭和天皇。松本重治。山階芳麿。芥川也寸志。手塚治虫。志賀義雄。五島昇。荒木道子。色川武大。西堀栄三郎。松下幸之助。殿山泰司。槇有恒。春日一幸。古谷綱正。鈴木信太郎。相沢忠洋。高田敏子。美空ひばり。辰巳柳太郎。森敦。古関裕而。入江徳郎。岡崎嘉平太。谷川徹三。佐伯勇。浦辺粂子。松田優作。開高健。田河水泡。勝間田清一。サルバドール・ダリ。ジョルジュ・シムノン。胡耀邦。セルジオ・レオーネ。アンドレイ・グロムイコ。ローレンス・オリヴィエ。ヘルベルト・フォン・カラヤン。ウィリアム・ショックレー。アーヴィング・バーリン。フェルディナンド・マルコス。カーメン・キャバレロ。ヴラディーミル・ホロヴィッツ。アンドレイ・サハロフ。リー・ヴァン・クリーフ。サミュエル・ベケット。

◎天皇の病名が十二指腸乳頭周囲腫瘍(がん)と発表。天皇をめぐる論議も盛んになる。
◎金融機関の完全週休2日制が始まる。
◎米の販売がコンビニや酒屋などでもできるようなる。昭和17年の食管法制定来初めて。
◎全国の相互銀行が普通銀行に移行。昭和26年から続いた相銀が消える。
◎昭和天皇の誕生日は「みどりの日」となる。
◎佐渡金山が閉山。1601(慶長6)年の発見以来、400年の歴史に幕。
◎横浜の坂本弁護士一家3人が行方不明になる。(オウム真理教の殺害と判明するのは6年後)
◎台風12号と13号が立て続けに首都圏を襲い、2週連続の局地的豪雨で22人が死亡。
◎伊豆伊東沖で海底火山が爆発。海底に火口を確認。手石海丘と命名。

◎横浜ベイブリッジ開通。全長860メートル、海面からは175メートル。
◎神奈川県横須賀市の海洋技術センターで「しんかい6500」が進水。世界一の潜水調査船。
◎佐賀県の吉野ヶ里遺跡で、銅剣・ガラス製管玉など発見。弥生時代最大の環濠集落、墳丘墓と推定。邪馬台国九州説に勢いをつける。
◎年に1冊も本を読まないという人が国民の30%。活字離れ。

■流 行:ドラクエ・昭和ブーム。
■テレビ:筑紫哲也 NEWS23・鳥越=畑 ザ・スクープ・いかすバンド天国。
■邦 画:今村昌平/黒い雨・宮崎駿/魔女の宅急便。
■洋 画:スティーヴン=スピルバーグ/インディ=ジョーンズ/最後の聖戦・ブルース=ベレスフォード/ドライビング=ミス=デイジー・ティム=バートン/バットマン。
■ 歌 :プリンセス=プリンセス/Diamonds・Wink/淋しい熱帯魚・森高千里/17才・爆風スランプ/Runner・TM NETWORK/GET WILD '89・小泉今日子/学園天国・永井真理子/ミラクル・ガール・レベッカ/One More Kiss・松任谷由実/ANNIVERSARY〜無限にCALLING YOU・石川さゆり/風の盆恋歌・井上陽水/リバーサイドホテル・和田アキ子/だってしょうがないじゃない・美空ひばり/川の流れのように。
■ 本 :吉本ばなな/TUGUMI・井上靖/孔子・村上春樹/ノルウェイの森・盛田昭夫=石原慎太郎/「NO」と言える日本・藤村由加/人麻呂の暗号。
■ことば:セクハラ・濡れ落葉・オバタリアン・けじめ。

❖年表の元ネタ主な参考資料河出書房新社『昭和・平成 家庭史年表』下川耿央・家庭総合研究会編。小学館『昭和・平成 現代史年表』神田文人編など。

dendenmushi.gif(2015/04/03 でんでんむし蛇足の記)
 昭和が終わったこの年には、天皇陛下だけでなくさまざまな昭和を彩って活躍した人びとが、たくさん去って行った。盛んに使われた“ひとつの時代が終わった”というのは、まさに多くの人びとの実感であったろう。

 思えば、自分でものごとを考えるようになった昭和27年からの中学時代から、ガリ版から始まって印刷所に出入りするようになり、出版社で編集の仕事してきて、コンピュータが身近にあるようになるまでの35年間は、自分がまさに生きてきた、それもまたひとつの時代であった。
 漠然と日本語表記の非効率さに疑問を持ち始めて以来、さまざまな道具やカードシステム、そして機器類に興味が向くようになり、その延長線上にコンピュータが現れる。あくまで一ユーザーとして、素人としてのかかわりに過ぎないので深くはないが、その関心は浅く広い。
 1945年にヴァニーヴァー・ブッシュが情報検索システム構想Memex(メメックス)を提唱していたということを知ったのは、Macintoshにさわるようになって、アラン・カーティス・ケイやテッド・ネルソンのことをいろいろ読んでいた頃だったろうか。
 そんな人たちのおかげで、素人であるユーザーのためのコンピュータ発達史のページは開かれていったわけだが、ブッシュが考えたような(その机の前に座って操作すれば、居ながらに情報を引き出し、リンクや注釈によって連想の軌跡を辿ることができる)ことは、それから半世紀後になってインターネットによって、ほぼ実現しているところが驚きである。
 人間の英知や、頭脳の働きや、それが産み出すモノやコトや、その社会のしくみは、実にふしぎなものだ。
 そういう関心がずっとあったので、この年に出したそういう世の中のいろいろなしくみを考えるという本も、そこからの派生であった。
 だいたいにおいて、企画を先に考えて、あるいは考えながら著者を探すという流儀の編集では、その企画を実現してくれる著者に行き着くまでが大変である。企画も著者がもってきてくれる編集は、はるかにらくちんであるが、出版のもともとは著者が主導することで成り立ってきた。
 それを変えたのが、カッパブックスの生みの親である神吉晴夫という編集者であった、といわれている。編集が企画を先に考えるやり方を“創作出版”ということもあるが、その原点はそこらへんにある。現在では、多くの出版社でそれをめざしたり、標榜したりしている。
 このやり方では、とくにでんでんむしのように「まだ誰も考えていないこと、やっていないことをやろう」とすると、大抵ではない。著名な著者はもちろん、すでに自分流を身につけてしまった著者は、まず使えない。
 そこで、フリーのライターや編集プロダクションなど、請負でもそれを実現できる技能をもつところを探すこともやってみた。
 そういうつきあいの中から、うまく波長が合って実現したのが、世の中のしくみに迫ろうというこの本だった。テーマが大き過ぎて限界もあったが、なんとかまとまって、なんとか売れる本にできた。
 「しくみ」を本のタイトルに使ったのも、これが最初かどうかは不明だが、売れた本としては初めてだったのではないか。この後も、しくみを解明していくというシリーズをつくったりしたが、しくみがわかればものごとの理解はしやすい。そういうでんでんむしの信念から生まれたのが、そういう本だった。「しくみ」もまた、今ではあちこちちでタイトルに盛んに使われている。
 しくみの本でもうひとつ考えたのは、文字と絵(イラスト・図)の渾然一体のページづくり、という表現方法であった。従来、イラストや図などは、文字原稿の付属的な情報形態に過ぎなかった。そのため、文字原稿ができたあとから適当にくっつけたりすることも多かった。
 そうではなく、最初からそのしくみを説明するのにイラストや図で説明するようにページ単位で表現しようというわけである。
 そして、それこそコンピュータでWYSIWYGでやるのがいちばんなのだが…。
 残念ながら、このときはまだそれを実現し表現できる環境が整っていなかった。そこで、写植の切り貼りでページをつくるという作業を延々とやってもらうことになった。
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1988☆『思い出の索引』★でんでんむし@アーカイブス☆わたしたちが生きてきた時代とは… [年表]

われわれはどこから来て、どこへ行こうとしているのだろうか…? 

1988mark.jpg昭和63年 戊辰(つちのえたつ)
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◯米イージス艦がペルシャ湾でイラン旅客機を誤認して撃墜。290人が死亡。
◯イラン・イラク戦争で停戦協定成立。開戦から7年。
◯アフガニスタン和平協定が成立し、ソ連軍が撤退。
◯米大統領選挙で共和党のブッシュが当選。
◯ブット女史がパキスタン初の女性首相に。
◯韓国前大統領が光州事件と一族の不正で謝罪。
◯アルメニアで大地震。数万人の犠牲者。
◯ソウルオリンピック開幕。160の国と地域が参加で参加数は最多。ベン・ジョンソン薬物使用でメダル剥奪。
◯中国上海近郊で列車事故。修学旅行の日本の高校生と教師ら29人死亡。

◉国土庁の地価公示、東京の地価は前年比で68.6%の上昇で史上最高。
◉奥野国土庁長官が「日中戦争に侵略の意図なく、盧溝橋事件は偶発事件」と発言し、問題化。中韓からも批判を受け辞任。
◉川崎市助役がリクルート社未公開株で不当利得。リクルート事件の発端。
◉中曽根前首相、宮沢蔵相、安倍幹事長ら秘書リクルート社未公開株取得が判明。江副浩正リクルート社会長が引責辞任。
◉竹下首相が訪中。李鵬首相との会談で8100億円の第3次円借款に合意。
◉社民連の楢崎弥之助がリクルートコスモス社長室長らの贈賄工作を告発。日テレが隠し撮りビデオ放映。
◉天皇の容態が急変。下血が止まらず。国事行為は皇太子に委任。見舞いの記帳各地で始まり、首相らの公式日程変更相次ぐ。
◉自民党が消費税等税制改革関連6法案を特別委員会で単独強行裁決。国会審議ストップ、半年間の弾力的運営など一部修正で衆院通過。
◉東京外為市場で1ドル=121円57銭の戦後最高値を記録。
◉衆議院リクルート問題調査特別委員会で証人喚問。議院証言法を改正し、テレビ撮影を禁止。
◉竹下首相が「ふるさと創生」で全市町村に一律1億円の交付金配布。
◉リクルート事件の証人証言と答弁に食い違いで宮沢蔵相が辞任。
◉税制改革関連6法案参議院本会議で成立。野党は26時間の牛歩戦術で抵抗。

・この年に亡くなった人にはこんな人も…。宇野重吉。有沢広巳。田谷力三。田宮虎彦。桑原武夫。17代目中村勘三郎。小沢栄太郎。山本健吉。荻昌弘。井手俊郎。武智鉄二。土光敏夫。清水幾太郎。中村汀女。茅誠司。草野心平。三木武夫。楠本憲吉。小磯良平。大岡昇平。イサム・ノグチ。ゲオルギー・マレンコフ。リチャード・P・ファインマン。ロバート・A・ハインライン。

◎53.85キロで世界最長の青函トンネルが開業。青函連絡船は80年の歴史に幕。
◎東京ドーム球場が、後楽園球場跡に開場。
◎世界最長となる道路と鉄道併用の瀬戸大橋が開通。海峡部9368メートル。宇高連絡船は廃止。
◎文部省が小学校学習指導要領で教えるべき10人に東郷平八郎元帥を含め問題化。
◎島根・鳥取の両県知事が中海・宍道湖の淡水化事業の凍結を表明。
◎横須賀沖の東京湾で、海上自衛隊の潜水艦「なだしお」と釣り船「第1富士丸」が衝突。30人死亡。防衛庁長官が辞任。
◎自民党の高校英語教科書の日本軍の残虐行為に関する記述が不適切との指摘を受け、出版社が大幅に改定。
◎天皇の容態悪化を受けて、行事・興行・広告・宣伝などに自粛が広がり、論議も。
◎東京地検がリクルート本社などを一斉捜索。前社長室長を逮捕。
◎労働基準法の改正により、フレックスタイム制が可能に。
◎北海道の十勝岳が噴火。26年ぶり。

◎粉塵公害防止のため、スパイクタイヤの製造を中止。
◎プロ野球の南海と阪急が身売り。ダイエーホークスとオリックスブレーブスに。
◎「平凡パンチ」休刊。「少年ジャンプ」は初の500万部。
◎ゲームソフト「ドラゴンクエストⅢ」が発売。ドラクエ・フィーバー。
◎4大婦人雑誌のひとつ講談社の「婦人倶楽部」が廃刊、68年の歴史に幕。
◎全日空が「スチュワーデス」の呼称を「キャビンアテンダント」に変更。
◎奈良二条大路の長屋王邸跡から、考古学史上最多となる大量の木簡を発見。
◎奈良県斑鳩町の藤ノ木古墳の石棺が開けられる。1400年ぶりに遺骨と多くの金銅製の副葬品が多数現れる。

■流 行:ワンレン・ボディコン・ドライビール。
■テレビ:クイズ百点満点・探偵!ナイトスクープ。
■邦 画:佐藤純弥/敦煌・宮崎駿/となりのトトロ・高畑勲/火垂るの墓・大友克洋/AKIRA。
■洋 画:ベルナルド=ベルトルッチ/ラストエンペラー・エイドリアン=ライン/危険な情事・リンゼイ=アンダー スン/八月の鯨。
■ 歌 :光GENJI/ガラスの十代/パラダイス銀河・長渕剛/乾杯・南野陽子/吐息でネット・荻野目洋子/ストレンジャーtonight・Wink/愛が止まらない 〜Turn It Into Love〜・TUBE/Beach Time・サザンオールスターズ/みんなのうた・吉幾三/酒よ・堀内孝雄/ガキの頃のように・川中美幸/豊後水道・小林幸子/雪椿。
■ 本 :広瀬隆/危険な話・吉本ばなな/キッチン・村上春樹/ダンス=ダンス=ダンス・いとうせいこう/ノーライフキング・シドニイ=シェルダン/ゲームの達人。
■ことば:ペレストロイカ・オバタリアン・DINKS・カウチポテト族。

❖年表の元ネタ主な参考資料河出書房新社『昭和・平成 家庭史年表』下川耿央・家庭総合研究会編。小学館『昭和・平成 現代史年表』神田文人編など。

dendenmushi.gif(2015/04/01 でんでんむし蛇足の記)
 やっぱりまた出してきた。消費税と名を変えて。さっそく前からの準備を活かして、企業の実務や対策を中心にした本を出した。
 当然ながらこれがよく売れて、なんとか専門出版社の面目は保つことができた。経営的にも、これが売れておおいに助かったが、こういうタイムリーな時期を得て売れる企画というのは、めったにあるものではない。いわば、特需のようなもので、売れたら売れたで、今度はそれがなくなる後のことを考えなければならない。
 どこまでやってもきりのない、しんどい仕事ではある。売れる本はごくわずかだが、そればかり追いかけているわけではない。毎日の米の飯とも言うべき、通常の地味な経営書・実務書も、絶やさず出し続けていかなければならない。これがまた、重要なのだ。
 この少し後くらいが、出版点数もピークになっていただろう。年間で100点を超える数もの新刊を毎年出し続けていた。いささか資源のムダ使いといわれそうなものも、まったくなかったとはいいきれない。
 売れる本だけを出すということはできない。だが、出したい本だけを出すということはできる。ただし、それは会社の事情が許せば…の話。
 前に、同じ編集者という名前で仕事をしていても、出版社によってやっていることの内容は随分異なるということを書いていた。
 出版社も同様で、大出版社から零細出版社まで、別な商売、異業種ではないかと思えるくらい差がある。基本的には出版という仕事は志のビジネスで、その志とビジネスが微妙な天秤ばかりの上にのっかっているようなものだ。そのバランスの取り方次第で、その出版社の業態やありようが決まってくるようにも思える。
 一般的に言えば、志を重視するなら、大きな組織にしてはならない。
 そんなこんなで、年間100以上の新刊を出すというのは、なかなかむずかしいところなのだ。
 何枚ものいやもっともっとたくさんの書類データを関連づけ、結びつけるしくみというのは、コンピュータで初めて実現した。その基本となっているのが、ハイパーテキストというリンクや検索で相互につながる、というものだ。誰でもがインターネットを使っている現在では、何を今さらという感じだろうが、でんでんむしはMacintoshを使っていて、喜びうれしかったのがお絵かきソフトもさることながら、MultiplanとHyperCardであった。
 前者はMicrosoftが初めて出した表計算ソフトの元祖で、後におなじみのExcelへと発展していくわけだが、近頃のExcelを使っていると、昔のMultiplanや最初のExcelのほうがずっと使い勝手がよかったような気がする。
 後者は、Appleのビル・アトキンソンがMacintoshのために1987年に開発した、ハイパーテキストを初めて具現化したような、カード型の情報処理ソフトのようなものだった。
 これが発表されたときには、さっそくダウンロード(だったと思う。なにしろ数百ページもある英文のマニュアルをせっせとプリントした記憶がある)して、楽しんだ。
 自分でもスタックと呼ばれるソフトをつくっていたが、ある有名なMacエバンジェリストのひとりが、それをおもしろがってくれて、創刊されたHyperCard専門雑誌に紹介してくれたこともあった。
 そんな人たちと、どこで知り合ったのだろう。もっぱら、マイナーな手づくりの情報誌と秋葉原のイケショップだったかもしれない。秋葉原は電気街も外れ、銀座線の末広町に近いところにあったその店が、当時は数少ないMacintoshユーザーの行き交う交差点のようになっていたからだ。
 今では、街中どこへ行っても、かじるには固そうなメタリックなリンゴマークのついたケータイをいじっている人を見かけないことはない。でんでんむしはへそまがりだから、街中にiPhone5があふれるようになった頃から初代iPhoneをやめてしまった。多数派に混じっているのは、どうも居心地がよくない。
 が、iPhoneが出るまでのずっと長い間、AppleもMacintoshも常に少数派であった。少数派は仲間を探して集まる習性がある。Macintoshのユーザー会をつくろうと思ったのは、いったいなにがきっかけだったのだろう。
 その頃はレインボーカラーの横縞リンゴマークだった。今でこそ直営店を中心にうまくやっているようだが、Appleの日本市場に対する方針は、長いこと定まっていなかったような印象があった。アップル・ジャパンの組織も安定せず、代理店をめぐってのごたごたも尾を引いたりしていたのだ。
 だから、ユーザーの間では「オレにアップル・ジャパンの社長をやらせれば、たちまち3倍くらいは売ってみせる」といった話が聞かれたりしたものだった。
 近頃なにかとお騒がせの会社を渡り歩いている“プロ経営者”とかいうものが話題になっているようだが、MacからMacへと喧伝されていたその人にしても、別にその手腕でどうかなったということはなく、たまたま革新的で魅力的な新製品であるiMacが登場しただけではないか、というのが多くのMacユーザーの声であろう。
 おっと、iMacが登場するのは1998年だから、またまた10年も先走ってしまったよ…。
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1987☆『思い出の索引』★でんでんむし@アーカイブス☆わたしたちが生きてきた時代とは… [年表]

われわれはどこから来て、どこへ行こうとしているのだろうか…? 

1987mark.jpg昭和62年 丁卯(ひのとう)
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◯中国共産党総書記胡耀邦が自由化の行きすぎと辞任。趙紫陽が後任に。
◯米が日本の半導体協定に違反とパソコンなどに100%関税実施を発表。
◯英総選挙で保守党が大勝。サッチャー首相三選。
◯ホーネッカー東独議長が初めて西独を訪問。
◯16年ぶりの韓国大統領選挙で、盧泰愚民政党総裁が当選。
◯南ア航空のジャンボ機がモーリシャス沖で墜落。日本人乗客47人。
◯大韓航空機がビルマ上空付近で行方不明。韓国は後に北によるテロと断定。
◯米ソ首脳がINF中距離核戦力全廃条約に調印。

◉政府与党の売上税案に対し、野党が売上税などの税制改革案に反対で一致。
◉中曽根首相の施政方針演説に売上税導入の説明がないと野党が補充説明を要求。
◉売上税反対の国民集会など各地で開かれる。
◉岩手県の参院補選で反売上税の社会党候補が自民党候補を大差で破る。
◉国鉄が114年の歴史に幕。分割民営化でJR6社が発足。
◉国土庁の地価公示で東京の地価が前年比76%の上昇。
◉統一地方選挙、道府県議・市町村議で自民敗北退潮。
◉衆院議長斡旋で「売上税は与野党合意なければ廃案」として予算案通過。
◉自民党と4野党の国会対策委員長会談で売上税の廃案を確認。
◉民間活力によりリゾート開発を進める総合保養地域整備法が公布。
◉自民党竹下派が経世会を結成。
◉天皇が腸通過障害で手術。初の沖縄訪問が中止に。
◉東京株式市場が前日のニューヨーク市場の大暴落を受け、14.9%の下落率で過去最大の下げ。
◉中曽根首相が自民党総裁に竹下登を指名。竹下内閣発足。副総理・蔵相に宮沢喜一。

・この年に亡くなった人にはこんな人も…。藤田省三。梶原一騎。渡辺晋。小山敬三。貝塚茂樹。亀井文夫。北村西望。佐野美津男。鶴田浩二。羽仁説子。臼井吉見。トニー谷。石原裕次郎。有島一郎。澁澤龍彦。岸信介。石森延男。栗島すみ子。深沢七郎。稲山嘉寛。野呂信次郎。南部圭之助。川口浩。石川淳。椋鳩十。アリステア・マクリーン。アンディー・ウォーホル。ダニー・ケイ。リタ・ヘイワース。アンドレス・セゴビア。フレッド・アステア。ポーラ・ネグリ。ジョン・ヒューストン。リー・マーヴィン。マーヴィン・ルロイ。リノ・ヴァンチュラ。ヤッシャ・ハイフェッツ。

◎最後の捕鯨船団が捕獲終了。35年にわたる南氷洋での日本の捕鯨に幕が下りる。
◎熊本地裁の水俣病訴訟、国や県の責任を認める原告勝訴の判決。
◎西宮市の朝日新聞阪神支局が覆面男に襲撃を受け、記者が死亡。名古屋本社社員寮も襲撃。
◎再審請求をしていた帝銀事件の平沢死刑囚が95歳で獄死。
◎首都圏のJR電車の名称を、著名人などによる会で「E電」と決定したと発表。しかし、その後まったく定着せず、立ち消えに。
◎首都圏各交通機関の駅で終日禁煙。
◎歌手のアグネス・チャンが出産後子連れで職場復帰。(アグネス論争)
◎日本医師会の生命倫理懇談会が脳死を個体死として認める決定。
◎逗子市の富野市長が知事斡旋に反対と辞任。選挙で再選され改めて全面返還を要求。
◎全日本民間労働組合連合会(連合)が発足。組合員555万。
◎日本のAIDS感染者が1000人に。
◎大和運輸がクール宅急便を始める。
◎首都高川口線と中央環状線が開通し東北縦貫道と接続。これにより、靑森=熊本八代間2002キロの日本縦断高速道路網が完成。
◎沖縄県那覇市で海邦国体が開催。これで42回を数える国体は開催県が一巡したことになる。
◎200海里の経済水域を守るため、沖ノ鳥島に緊急保全工事を決定。

◎広島カープの衣笠祥雄が2131試合連続出場。ゲーリックの記録を破る世界新記録。
◎日本テレビ、新春の箱根駅伝のテレビ中継開始。
◎「週刊平凡」「月刊平凡」が廃刊。
◎安田火災海上がゴッホの「ひまわり」を53億円で落札。
◎後楽園球場が50年の歴史に幕を下ろし閉場。
◎新国劇は70年で解散へ。
◎マドンナ、M・ジャクソン来日。
◎東京神田の三省堂書店が本の宅配便を開始。
◎昭和31年に「太陽の季節」でデビューした、“戦後のスター”石原裕次郎が肝臓がんで死去。

■流 行:超伝導ブーム。
■テレビ:朝まで生テレビ!・関口宏のサンデーモーニング。
■邦 画:伊丹十三/マルサの女・神山征二郎/ハチ公物語。
■洋 画:ブライアン=デ=パルマ/アンタッチャブル・     オリバー=ストーン/プラトーン・ロブ=ライナー/スタンド=バイ=ミー。
■ 歌 :近藤真彦/愚か者・長渕剛/ろくなもんじゃねえ・瀬川瑛子/命くれない・吉幾三/雪國・光GENJI/STAR LIGHT/ガラスの十代・長山洋子/ヴィーナス・菊池桃子/アイドルを探せ・坂本冬美/あばれ太鼓・大月みやこ/女の駅・石川さゆり/夫婦善哉・THE BLUE HEARTS/リンダリンダ・島倉千代子/人生いろいろ。
■ 本 :俵万智/サラダ記念日・村上春樹/ノルウェイの森・安部譲二/塀の中の懲りない面々・石ノ森章太郎/マンガ日本経済入門・宮本輝/優駿。
■ことば:マルサ・アスベスト・懲りない・かくありたい。

❖年表の元ネタ主な参考資料河出書房新社『昭和・平成 家庭史年表』下川耿央・家庭総合研究会編。小学館『昭和・平成 現代史年表』神田文人編など。

dendenmushi.gif(2015/03/30 でんでんむし蛇足の記)
 Macintoshのすぐれた特徴のひとつに、WYSIWYGということがある。でんでんむしがMacintoshに最初に惹かれたのは、革新的なユーザー・インターフェイスと、しろうとでも感覚的にいじってみることが容易にできるという点であったが、より実際的にはすでにアメリカではニューズレターの編集などで喧伝され実用化されていた、“編集機”としての可能性で、それを実現するのがWYSIWYGだった。
 ディスプレイに現れるものと、処理されてアウトプットされる内容が一致するという表現技術をさして、 What You See Is What You Get(見たままをそのままに)の頭文字からつくられた用語だといわれたが、これができれば編集の作業はほとんどMacintoshの画面上でできることになる。
 まだ、日本語も使えないうちからこれに飛びついたのも、日本語化などはいずれときが来れば自然になるものだという確信があったからだった。
 そして、ついに日本語が使えるようになった。
 アルダス社のPageMakerというソフトが、アメリカでは使われていたが、これも日本語化されたその当初は、なんと縦組みができなかった。このソフトは、その後、何でも取り込んでしまうアドビ社に買われてしまい、現在ではInDesignがページレイアウトソフトの代表格のようになっている。
 しかし、このページレイアウトソフトの日本語処理で、日本におけるいわゆるDTPの基礎を支えてきたのは、クォーク社のQuarkXPress で、アドビ社ではIllustrator やPhotoshop といったソフトがそれを手助けしていた。
 どうも、話が少し飛躍してしまったようだ。日本のDTPが実際に出版社の現場で始まるのは、もう少し後のことになる。
 この頃は、Macintoshの情報は雑誌などにはあふれていたが、単行本ではまだ少なく、誠文堂新光社から出た本が目だつくらいだった。価格も高いMacintoshの敷居は一般にはまだ高く、喜んで騒いでいたのは一部のコアなファンだけだったのだ。
 だが、Macintoshエバンジェリストの端くれだと思っている編集者としては、その本を出さないわけにはいかない。そう考えてこの年その作業を進めたMac入門書は、発売は1988年の1月になったが、新宿紀伊國屋など一部の書店では瞬間風速でかなりの数値を記録し、増刷にもなった。だが、その本はまだMacでつくったというわけではなかった。
 日本語で使えるコンピュータの動きは当然あって、アメリカ産のOSをローカライズするのではなく、日本独自のOSをつくろうという人も現れた。東大の坂村先生は東大の先生というイメージとは違って気さくな人で、この人とはSFファン同士ということでも話が楽しかった。TRONの本も岩波書店の本を先に出さないといけないのでその次ぎでよければ、ということで書いてもらって出版したのもこの年だった。これも岩波の本よりはよく売れたはずである。
 でんでんむしはその後も長い間Appleファンであったが、なにもAppleでなくても、日本のメーカーがそれを超えるようなものを出してくれれば、喜んで乗り換えますよ、と言ってきた。TRONで日本人による日本人のためのコンピュータをという夢は、いっそうふくらんでいた。
 しかし、結局は日米経済貿易交渉の過程で、見事にアメリカにしてやられた日本は、いまだに日の丸コンピュータの実現をみず、この分野でもアメリカの軍門にくだったままで残念無念なことこの上ない。
 でんでんむしの興味と関心で、コンピュータ分野もやってはいたが、いわば余技でそれが専門ではない。専門の分野では、かねてから課題になっていた大型間接税創設の話が、売上税という形で明確になってきた。そこで担当編集者をつけてその本を出すべく準備を進めていた。
 ところが、これが廃案になってしまった。けれども、でんでんむしの読みではこれは必ずすぐ後で出し直してくるだろうと思ったので、引き続き準備を進め、次の法案が固まるのを追うことにした。 
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1986☆『思い出の索引』★でんでんむし@アーカイブス☆わたしたちが生きてきた時代とは… [年表]

われわれはどこから来て、どこへ行こうとしているのだろうか…? 

1986mark.jpg昭和61年 丙寅(ひのえとら)
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◯米、スペースシャトル「チャレンジャー」打ち上げ直後に爆発。乗員7名死亡。
◯フィリピン大統領選マルコス当選するも、国軍が支持せず。アキノ大統領が主任宣言。マルコス亡命。
◯韓国の全大統領が89年に大統領直接選挙制へ改憲を言明。
◯スイスの国民投票で国連加盟を否決。
◯ソ連、チェルノブイリ原子力発電所で大事故。炉心溶融、放射能で周辺が汚染。死者31人。
◯オーストリア大統領、前国連事務総長のワルトハイムがナチ疑惑をおして当選。
◯レーガン大統領とゴルバチョフ書記長が、アイスランドのレイキャビクで会談。
◯中国安徽省合肥の学生、民主自由を要求してデモ。天津、上海、北京に波及。
◯ソ連、反体制派物理学者サハロフ夫妻の流刑を解除。

◉「建国記念の日を祝う会」主催の式典に首相以下閣僚17人が出席し、国家行事色を強調。
◉天皇在位60年記念式典、両国国技館で開催。
◉東京サミット開催、リビア名指しテロ反対、チェルノブイリ事故の情報要求を声明。
◉中国政府と韓国から「日本を守る国民会議」の日本史教科書の是正要求や批判を受け、政府が修正を要請。修正のうえ合格。
◉衆参両院同日選挙の結果、衆参で自民党圧勝。
◉第3次中曽根内閣、副総理金丸信、官房長官後藤田正晴。
◉16閣僚が靖国参拝。首相・外相らは近隣諸国へ配慮して公式参拝せず。
◉新自由クラブ、選挙で敗北し解党。田川誠一を除き自民党に復党。
◉藤尾文相の「日韓併合は韓国荷も責任がある」との発言により、日韓外相会談が延期に。首相は文相を罷免。
◉韓国訪問の中曽根首相が前大統領に陳謝。
◉社会党委員長選挙で、土井たか子が上田哲を破り当選。日本初の女性党首誕生。
◉自民党両院議員総会で党則改正。中曽根首相の任期を1年延長。
◉中曽根首相が「黒人などのいるアメリカは知識水準が低い」と発言、アメリカで激しい非難をあび、謝罪のメッセージ。国会で国民にも陳謝。
◉神奈川県警が共産党幹部の電話を盗聴していたことがNTTの調査で発覚。
◉国鉄の分割・民営化のための8法案が成立。
◉政府予算案で防衛費GNP1%枠を突破。整備新幹線の凍結も解除。
◉男女雇用機会均等法が施行。

・この年に亡くなった人にはこんな人も…。梅原龍三郎。石母田正。宮田東峰。原弘。前田久吉。小山田宗徳。三保敬太郎。前川國男。戸川エマ。杉原千畝。石坂洋次郎。木村秀政。荻須高徳。小佐野賢治。円地文子。島尾敏雄。増村保造。仁木悦子。東君平。松下正寿。ジェームズ・キャグニー。シモーヌ・ド・ボーヴォワール。ベニー・グッドマン。ヘンリー・ムーア。リリー・クラウス。ヴャチェスラフ・モロトフ。アンドレイ・タルコフスキー。

◎神奈川県逗子市、池子弾薬庫跡地の米軍住宅建設に反対する市民が起こした市議会リコール成立。建設推進派の富野市長の解任請求は不成立。市議会選挙は建設容認派が過半数。
◎第1次教科書裁判、国家賠償請求の控訴審で家永三郎敗訴。
◎東北自動車道の浦和=靑森間が全通。
◎マニラ郊外で、三井物産の若王子マニラ支店長が武装勢力に誘拐。後に身代金を払い救出。
◎伊豆大島三原山が209年ぶりの大噴火。島民などに避難命令。
◎三菱銀行有楽町支店前で現金輸送車が襲われ、3億3000万円が強奪される。1年後に犯人はフランス人と判明。
◎ビートたけしら12人が、取材方法に抗議し「FRIDAY」編集部に乱入。障害・暴行で逮捕。
◎ハレー彗星が地球に大接近。
◎英王室皇太子とダイアナ妃が来日。
◎「リーダーズダイジェスト」日本版が廃刊に。
◎文部省が初の「いじめ体罰実態調査。昭和60年上期の7か月で、いじめ15万5000件、体罰2819件と発表。
◎静岡県熱川温泉大東館で火災。非常ベルが作動せず、24人死亡。
◎富士写真フイルムが使い捨てのカメラ「写ルンです」を発売。この年だけでも300万本の大ヒットになるが、使い捨ての呼称は後に変更。
◎国鉄が手荷物取り扱い「チッキ」を廃止。明治5年以来続いた114年間の歴史に幕。
◎東京都心の再開発をめぐり地上げ屋が横行。

■流 行:激辛ブーム・レトロブーム・ダイアナ=ファッション。
■テレビ:世界=ふしぎ発見!・いい旅=夢気分・ニュースステーション。
■邦 画:畑正憲/市川崑協力/子猫物語・宮崎駿/天空の城ラピュタ・山田洋次/キネマの天地・熊井啓/海と毒薬。
■洋 画:ロバート=ゼメキス/バック=トゥ=ザ=フューチャー・ジェームズ=キャメロン/エイリアン2・トニー=スコット/トップガン・リチャード=ドナー/グーニーズ・     リチャード=アッテンボロー/コーラスライン。
■ 歌 :中森明菜/DESIRE・小林旭/熱き心に・テレサ=テン/時の流れに身をまかせ・渡辺美里/My Revolution・石川さゆり/天城越え・堀内孝雄/愛しき日々・うしろゆびさされ組/バナナの涙・少年隊/仮面舞踏会・荻野目洋子/ダンシング=ヒーロー・とんねるず/やぶさかでない。
■ 本 :家田荘子/極道の妻たち・阿川弘之/井上成美・磯村尚徳/アメリカからの警告』・ファミコンマガジン/スーパーマリオブラザーズ完全攻略本。
■ことば:ぷっつん・財テク・新人類。

❖年表の元ネタ主な参考資料河出書房新社『昭和・平成 家庭史年表』下川耿央・家庭総合研究会編。小学館『昭和・平成 現代史年表』神田文人編など。

dendenmushi.gif(2015/03/26 でんでんむし蛇足の記)
 たまたまその以前からつきあいのあった著者が、自分のかつての編集者としての経験を活かして書いてくれた原稿は、中国古典の故事成語に絞った四字熟語を集めたもので、出典がはっきりしているものだけになった。
 実は、編集者でんでんむしとしてはもっと広げて、たとえば「一球入魂」とか、「天地無用」「雨天決行」「規制緩和」とか、(三原じゅん子先生お気に入りの)「八紘一宇」「一億玉砕」なども、一章を設けて入れたかったのだが、そうなると二字熟語の組み合わせでいくらでもできてしまう。そうなるとまた別企画になる(こう書いておけば、そのうちどこかで本が出るかもしれない。ちょっと工夫は必要だけどね)ので、やはりここは古典に絞ることにした。やってみると、故事成語だけでもかなりな数があるので、それだけで充分に成り立つ。
 ページのつくりかたにも工夫が必要だった。漢字四文字をまずできるだけ大きく目立たせることで、ぱっとみた目の印象効果を狙ってレイアウトを考え、どこからでもぱらぱらめくってみるようにした。
 B6判並製のごく普通の本で、初版部数もいつものとおりで、編集者本人以外は誰も期待もせず、経営関係の本といっしょにそっと出したようなものだが、これが初版発売と同時に追加注文が相次ぎ、増刷も重ねていくうちに1万増刷というようなロング・ベストセラーになった。
 類書がないことは企画当初から確認済みで、これはいけるぞと密かに期待していたような動きがはっきりしたところで、今度はもっと収録語数を増やした本格的な辞典も企画し、この線の商品を育てて続けていくことにした。
 今これを読む人のほとんどは、そういう本っていっぱいあるよねと思うことだろう。事実、四字熟語の本はもう何年も前からいっぱい出ている。それらを集めてみれば「汗牛充棟」…。
 おそらく、あんな出版社で出して売れるのなら、うちで出せばもっと売れるだろう。漢字の本ならうちのほうが本家本元じゃないか。そんなふうに考えた版元は、少なくなかったろう。
 その後、同じように四字熟語をうたった本は、ごまんと出た。なにしろ、あの岩波書店まで出したくらいだ。本だけでなく、テレビの番組などでも四字熟語は盛んに使われるようになり、地味ながらブームといってもいいような様相を呈するようになる。
 長年週刊文春でコラムを書いていた中国文学者の高島俊男さんも、その現象を奇異に思われたのだろう。いったいいつからこんな本が出始めたのかを、ブームの経緯と源泉を調べて連載の一記事にした。そして、その最初のきっかけをつくったのがこの本だったと、コラムのなかで“四字熟語の本はこの本が最初”と証明してくれたのである。
 こういうのも、めずらしいだろう。だが、週刊誌で書かれたときには、見ていなくて知らなかった。後にそれを単行本「本が好き、悪口言うのはもっと好き」シリーズの何巻目かでそれを読んだときには、なにか昔の恋人と街で偶然すれ違ったような、不思議な感じがしたものだった。
 この頃には、印刷現場の大勢はオフ化が進行していたと思う。いつ頃からそれが顕著になり始めたかは、はっきりしないのだが、だいたい1980年代の初め頃からだったのではないか。確か、その頃からオフセット印刷の試行錯誤が始まっていた。
 こちらも興味があったので、印刷所の社長がやってきては、こんどこういうことができるようになった、こういう機械を入れたといって、売り込まれた。
 活字のよさやその伝統的なイメージを好む風潮も根強いものがあった。それに黎明期の電算の文字と馴染んできた活字とでは、見た目にもなにか曰く言い難い違いがあった。しばらくは、活字でなきゃダメだという声も強かったが…。
 けれども、脱鉛の趨勢には逆らえない。こちらもいつまでも活字にこだわるわけにもいかないので、実験台になる覚悟で電算写植の本もつくっていた。
 電算写植への切り替えは、印刷所にとってはかなりの設備投資であったが、簡単に言えば活版印刷の技術で養われた熟練の文選工や植字工をお払い箱にして、電算入力ができるオペレータに切り替えるという、業態改革に等しいものであった。
 それだけに後に引けない、必死なものだったが、電算への切り替えの当初はかなり苦労させられた。以前の熟練工が恋しく懐かしくなるようなことが、たくさん起こっていた。
 活版印刷の時代から、活字で表現できない図や表や絵などは、亜鉛版に焼き付けた凸版をつくっていた。そこに使う活字は写植の機械で印画紙に焼き込んだ文字を切り貼りして版下をつくるので、そうした細かい作業をやることを仕事にする人や会社もあった。
 また、デザイナーなども文字処理には写植を多用するので、自分のところで写植機を入れたりするところもあった。デザイナーの文字処理は、細かく文字の周りだけを印画紙部分を薄く切り取って版下をつくるという、これまたある種芸術的なワザによる作業が一般的であった。写植の需要は、電算とは別のところで、案外広かった。この時代、街のビルの窓には「写植」という文字が張り出されているところが眼についていたものだ。
 近頃、電車の中などで数独をやっているおじさんをみかけると、この頃の自分の姿を思うことがある。
 Macintoshでは、相変わらずBASICで遊んでいて、株もやらないのに株価グラフを描くプログラムを書いたり、マンデルブロー集合のプログラムを入れて、レーザーライターで長時間かけてプリントしたりしていた。
 BASICのプログラムをいじるのは、暗号を解くようなおもしろさがあった。実行してみても必ずエラーが出る。その原因となる印字ミスやバグがどこにあるのかを探すデバッグも遊びであった。もっぱら電車の中でそれをやっていたが、電車の中ではすぐに試してみることができないので、もっぱら紙と鉛筆でパズルを解くように推理しながら、論理の矛盾を見つけ出すようなものだった。
 この年になって、MacintoshはMacintosh Plusにアップグレードされ、そこで日本市場向けにつくられた新しいOSは「漢字Talk」と呼ばれた。
 やっと、Macintoshでも漢字が使えるようになったのだ。これで、BASICで遊ぶ時期も終わった。
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1985☆『思い出の索引』★でんでんむし@アーカイブス☆わたしたちが生きてきた時代とは… [年表]

われわれはどこから来て、どこへ行こうとしているのだろうか…? 

1985mark.jpg昭和60年 乙丑(きのとうし)
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◯米ソ外相会談がジュネーブで開かれ、包括的軍縮交渉で合意。
◯ブラジル21年ぶりの民政移管。
◯韓国で反体制派政治家グループが新韓民主党を結成。
◯韓国総選挙で新韓民主党が第一党に。(ただし、276議席中の67)
◯ソ連チェルネンコ書記長が死去。後任にゴルバチョフ。
◯ヴァイツゼッカー西独大統領が、“敗戦記念日”に「歴史を思い起こせ」と演説。
◯メキシコで大地震。
◯ソ連ゴルバチョフ書記長が対米軍縮新提案を発表。
◯コロンビアのネルバドデルルイス火山が大爆発。町がひとつ消え2万5000人が死亡。
◯メキシコで大地震が連発。首都メキシコシティなどでビルが倒壊、5526人が死亡。
◯レーガン、ゴルバチョフの米ソ首脳会談、ジュネーブで開催。
◯AIDSの恐怖が世界に拡大。
◯米英で、アフリカ救援募金ロックコンサート「ライブ・エイド」が開催。
◯中国共産党中央委員会の機関紙「人民日報」が、昭和12年の南京事件の中国人犠牲者は34万人、と発表。

◉石橋社会党委員長が、“ニュー社会党路線”の強化・発展を大会で強調。
◉竹下登を中心とする創政会、40人で初会合。
◉中曽根首相が“建国記念日を祝う会”主催の式典に初めて出席。
◉竹入・佐々木会談で、公明党と民社党の連合政権協議再開を確認。
◉最高裁が現行の議員定数配分規定は違憲と判決。
◉自民党が国家秘密法(スパイ防止法)案を議員立法として衆院に提出。(継続審議→廃案)
◉中曽根首相が防衛庁の中期業務見積もりの政府計画に格上げすることを指示。(防衛費GNP1%枠撤廃検討の具体化)
◉河本敏夫沖縄開発庁長官が、オーナーである三光汽船の倒産で辞任。
◉中曽根首相が戦後で首相で初となる靖国神社参拝。閣僚18人も公式参拝で野党批判強める。
◉国鉄の6分割・民営化を骨子とする「国鉄改革のための基本方針」を政府決定。
◉自民党が両院議員総会で憲法改正検討推進の新政綱を了承。
◉日本電電公社、日本専売公社が民営化。NTT(日本電信電話会社)、日本たばこ産業会社として発足。

・この年に亡くなった人にはこんな人も…。向坂逸郎。石川達三。国分一太郎。中野好夫。藤山愛一郎。藤堂明保。小池朝雄。笠置シズ子。野上弥生子。宮口精二。若山セツ子。今里広記。川口松太郎。谷口雅春。黒沼健。岩切章太郎。天知茂。坂本九。夏目雅子。源氏鶏太。大友柳太朗。入江相政。川上宗薫。永田雅一。白洲次郎。石山透。田中美知太郎。藤原釜足。加藤唐九郎。佐々木更三。立川清登。ユージン・オーマンディ。マルク・シャガール。シモーヌ・シニョレ。ロック・ハドソン。オーソン・ウェルズ。ユル・ブリンナー。フェルナン・ブローデル。

◎東北・上越の新幹線の始発が大宮から上野になる。
◎つくばで科学万博開催。
◎厚生省が国内のAIDS患者1号確認を発表。
◎徳島地裁、刑事事件では初となる死後再審「徳島ラジオ商事件」の富士茂子被告に無罪判決。
◎羽田発大阪行きのボーイング747日航ジャンボ機が、群馬県上野村御巣鷹山山中に墜落。乗客乗員520人が死亡、4人が奇跡的に生存救出。

◎三光汽船、5000億の負債(実質1兆円)で戦後最大の倒産。
◎プロ野球選手の労働組合(中畑清会長)が東京地方労働委員会で正式に認定される。
◎中核派の同時多発ゲリラで国鉄の通信線が各所で切断され、国電がマヒ。
◎新両国国技館落成。横綱北の海引退。
◎警視庁が「いじめ相談コーナー」を開設。横浜市教育委員会は「いじめ110番」を開設。
◎宇宙開発事業団が、日本人の宇宙飛行士3人を決める。TBSからもソ連の宇宙船に乗船させると発表。
◎北海道夕張市の三菱石炭鉱業でガス爆発。62人が死亡。
◎本州四国連絡橋の神戸=鳴門ルートの大鳴門橋が開通。全長1629メートルは“東洋一”。
◎関越自動車道の関越トンネル(全長11キロ弱)が開通。
◎詐欺容疑で取調中の豊田商事の会長が、自宅で2人組に刺殺される。
◎長野市の地滑りで特別養護老人ホームなどが埋没・倒壊。老人ホームの26人が死亡。

◎奈良県斑鳩町の藤ノ木古墳から大型石室と家型石棺、装飾馬具を発掘。
◎奈良県明日香村の伝飛鳥板蓋宮跡付近から大量の木簡発見。「大津皇子」の文字を確認。
◎セ・リーグで阪神タイガースが21年ぶりに優勝。日本シリーズも制してトラ・フィーバー。
◎東京・青山に「こどもの城」開館。(2015年に閉館となる)
◎キヤノンが5万円を切るワープロを発売。
◎任天堂のファミコン、前年夏から1年間で350万台を販売。ゲームソフト「スーパーマリオブラザーズ」4900円で発売。
◎出版各社の文庫本競争が盛況。
◎CD=ROM(コンパクトディスク型読み取り専用記憶装置)が普及し、初めての情報商品(三修社「最新科学技術用語事典」)も発売される。
◎郵政省電波研究所が、ハワイなど太平洋の島々が1年間に4〜8センチメートルずつ日本に向けて移動している、と発表。
◎環境庁が、日本列島の海岸を調査。この6年間で565キロメートルの自然海岸が消えた、と発表。

■流 行:ファミコン(スーパーマリオ)・焼酎。
■テレビ:ニュースステーション・金曜日の妻たちへ。
■邦 画:杉井ギサブロー/銀河鉄道の夜・市川崑/ビルマの竪琴・黒澤明/乱。
■洋 画:フランシス=フォード=コッポラ/コットンクラブ・ミロス=フォアマン/アマデウス・ウォルフガング=ペーターゼン/ネバーエンディング=ストーリー・デヴィッド=リーン/インドへの道。
■ 歌 :小泉今日子/なんてったってアイドル・大沢誉志幸/そして僕は途方に暮れる・吉幾三/俺ら東京さ行ぐだ・アン・ルイス/六本木心中・中村あゆみ/翼の折れたエンジェル・小林明子/恋におちて -Fall in love-・岩崎良美/タッチ・荻野目洋子/ダンシング=ヒーロー・おニャン子クラブ/セーラー服を脱がさないで。
■ 本 :堺屋太一/豊臣秀長・神坂次郎/元禄御畳奉行の日記。
■ことば:ダッチロール・金妻・パフォーマンス・疑惑・家庭内離婚。
 
❖年表の元ネタ主な参考資料三省堂『コンサイス世界年表』三省堂編修所編。河出書房新社『昭和・平成 家庭史年表』下川耿央・家庭総合研究会編。小学館『昭和・平成 現代史年表』神田文人編など。

dendenmushi.gif(2015/03/22 でんでんむし蛇足の記)
 日経が試験的に開始していたN-MIXは、ちょっと覗いてみるだけであったが、それに続いて初めての商用パソコン通信となるNIFTY-Serveがサービスを開始し、一般から会員を募集し始めた。日商岩井と富士通が合弁会社を起こし、アメリカのCompuServeからのライセンス供与も受けながら始めたこのネットワークは、当然両社の社員があらかじめIDを供与されていたようだが、一般からの会員募集受付が始まった当日ではなく2日目に申し込んだのは、なぜかちょっともたもたしていたからだ。
 そのため、ID番号はPAGの100番をちょっとだけ超えていたが、当時のMacntosh仲間たちは当日に申し込んで13番目だ15番目だと自慢していた。
 この頃のパソコンには、まだモデムが組み込まれてはいなかった。音響カプラはさすがに実用には難があるので、RS-232C端子にモデムを買ってきて外付けする。そのモデムの通信速度は300ボーだった。ピピーガガガー…といいながら接続するモデムを、Macintoshの上に載っけて始めたパソコン通信は、40~50あったフォーラムを中心にした、これまでにないまた新たな世界を開いてくれた。
 もうひとつあったPC-VANは縁がなかったが、どうちらかというとそっちはホビー色・マニア色が強かったようだ。NIFTY-Serveではいくつかのフォーラムに参加していたが、後から思えば当時のフォーラムの書き込み内容は、全般に水準が高かったような気もする。お先走りな…いや、当時としてはある程度先進的な意識を持った人が多く会員になっていたので、ということもあっただろう。
 それでも、書き込みに対する意見の衝突などでもめる(いまでいう炎上まではいかない)ことはあったし、管理人の手腕が期待されるところもあったが、結局見知らぬ人間同士がテキスト画面の上でやりあうことの危うさと限界は感じることはあった。そんな経験から、反省したり学んだりすることも多かった。
 NIFTY-Serveの始まりから隆盛そして停滞までは、10年くらいの歩みがあっただろうか。インターネットが登場したときに、ニフティはこれからどうするんだろうと、心配してあげたりしていたものだが…。
 社長のアイデアで出した漢字の雑学本が売れたので、これに続く漢字もので、今度はもう少しホネのあるものを出したら、もっと売れるのではないかと考えた。
 こう言うととにかく「売れる」ことばかり考えていたように聞こえるが、売れさえすればよいというわけではない。やはり、読者のためになる、読者に喜んでもらえる本をつくることが、常に第一義として念頭にあった。
 中身がないのに誇大な仕掛けをして売らんかな、というのとは一線を画し、地道にコツコツと売れる本を考えていきたい。著者の知名度や、流行やトピックを追いかけていくのではない、もう少しちゃんとしたオリジナルな企画で勝負をしたい。そう考えていた。
 その読者の支持は、やはり売れ部数に表れるわけだから、結果として売れる本を考えることになってしまう、というだけのことだ。
 漢字をネタにした分野では、もっともっといろんな方法ややり方があるはずだ。そう考えて、いろんな著者と会い、打診をしてみたところ、ある著者からおもしろいアイデアが出てきた。
 なるほど! これはいける! 直感でそう思って、思わず手を打った。というのも、国語や漢字に関するいろいろを調べていて、そのテーマについても「これはまだ単行本ではどこの出版社からも出していないのではないか」ということもあらかじめ知っていたからだ。問題はどういう本にするか、だ。
 さっそくその場でその著者に執筆を依頼した。そうか、たくさん集めて辞典にするところからやってみればいいのだ…。
 毎月本社で開かれる役員会に出たのは、8月は世間がお盆の休みに入るところであった。ホテルに帰ると、一時行方不明になっていた日航機が、群馬県と長野県の県境付近の山中に墜落した、と大騒ぎになっていた。大阪からの帰りに、名古屋で降りて、中央本線に乗り換えたのは、木曽福島の別荘で執筆中のその著者と原稿の確認と打合せが予定されていたからで、木曽の山に向かって行く特急列車の車内でラジオを聞いていると、生存者が救出されたというニュースが飛び込んできた。
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1984☆『思い出の索引』★でんでんむし@アーカイブス☆わたしたちが生きてきた時代とは… [年表]

われわれはどこから来て、どこへ行こうとしているのだろうか…? 

1984mark.jpg昭和59年 甲子(きのえね)
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◯米レーガン大統領が一般教書演説で「強いアメリカ」を強調。
◯ソ連のアンドロポフ書記長が死去。後任にチェルネンコ。
◯アフリカで飢餓が深刻化。各国から救援活動。
◯米レーガン大統領訪中で、4つの近代化政策支持。中国も米の軍事力増強を認める。
◯ソ連がロサンゼルス五輪への不参加を表明。東欧各国も同調。(モスクワ五輪ボイコットへのお返し)
◯インドのガンディー首相が暗殺される。

◉中曽根首相が訪中。胡耀邦共産党総書記、鄧小平党顧問委主任らと会談。日本の対中国経済協力拡大を討議。
◉国鉄の赤字ローカル線に代わる第三セクター「三陸鉄道」が開業。
◉自民党安全保障調査会が、防衛費のGNP比1%枠の見直し作業に。
◉自民党安全保障調査会、スパイ防止法案第3次案を作成。
◉国鉄再建監理委員会第2次緊急提言で、初めて分割・民営化の方向を明示。
◉全斗煥韓国大統領が来日。宮中晩餐会で天皇が「両国の間に不幸な過去が存したことは誠に遺憾」と表明。
◉日韓首脳会談で「日韓両国関係に新しい章を開く」と共同声明。
◉60年度政府予算案で防衛費は前年比6.9%の増加。

・この年に亡くなった人にはこんな人も…。児玉誉士夫。一万田尚登。三原脩。植村直己。渋沢秀雄。門前眞佐人。山口華楊。伊馬春部。金山次郎。長谷川一夫。霧島昇。林達夫。永野重雄。吉岡隆徳。大島清。森戸辰男。竹山道雄。野田宇太郎。今日出海。大河内一男。有吉佐和子。保富康午。御手洗毅。大川橋蔵。中西悟堂。美濃部亮吉。糸居五郎。カウント・ベイシー。ミシェル・フーコー。フランソワ・トリュフォー。インディラ・ガンジー。サム・ペキンパー。

◎植村直己が世界で初めてのマッキンリー冬季登山に成功。下山途中で消息を絶つ。
◎神奈川県逗子市の池子弾薬庫跡地に米軍家族住宅建設に反対する市民グループの富野暉一郎が市長選挙に当選。
◎週刊文春の記事「疑惑の銃弾」で、ロス疑惑騒動。
◎高松地裁、財田川事件の死刑囚再審裁判で、谷口被告に無罪判決。
◎江崎グリコ社長が短銃を持った2人組に誘拐。グリコ製品に毒物との脅迫状が報道機関に郵送される。スーパーなどグリコ製品の販売一時中止。
◎熊本名産のからしれんこん中毒で11人死亡。
◎中江滋樹主宰の投資コンサルタント業「投資ジャーナル」を警視庁が摘発。
◎グリコ事件犯人「かい人21面相」が森永製菓も脅迫。大阪のスーパーで青酸入りの森永製品を発見。
◎総理府が、調査では国民の9割が中流意識をもっていると発表。
◎長野県中部地震で木曽の王滝町で大規模な山崩れ。29人が死亡。

◎元留学生トルコ人から“トルコ風呂”の呼称を改めるよう厚生大臣に直訴。(その前に新聞に投書が載っていた。)
◎ひとり暮らしの老人が100万人を突破。
◎太平洋各地に大雪。東京では15年ぶりに22センチの積雪。交通機関乱れる。
◎東京中央区の東京国立近代美術館フイルムセンターが火災。貴重なフイルム多数焼失。
◎東京日劇跡にマリオン(有楽町センタービル)がオープン。
◎島根県荒神谷遺跡から358本の銅剣を発見。翌年には銅鐸・銅矛も。
◎人気力士高見山が引退。
◎「FRIDAY」が創刊。「FOCUS」は200万部突破。(F.F戦争)
◎週刊「少年ジャンプ」400万部突破。
 
■流 行:エリマキトカゲ・システム手帳。
■テレビ:くれない族の反乱・
■邦 画:伊丹十三/お葬式・篠田正浩/瀬戸内少年野球団・沢井信一郎/Wの悲劇・小松左京/さよならジュピター・
■洋 画:ジェームス=キャメロン/ターミネーター・マーティン=ブレスト/ビバリーヒルズ=コップ・愛と追憶の日々・ライト=スタッフ。
■ 歌 :わらべ/もしも明日が…。・五木ひろし/長良川艶歌・芦屋雁之助/娘よ・チェッカーズ/涙のリクエスト・中森明菜/飾りじゃないのよ涙は・吉川晃司/モニカ・薬師丸ひろ子/メイン=テーマ・杏里/悲しみがとまらない・小林麻美/雨音はショパンの調べ・テレサ・テン/つぐない・木村友衛/細川たかしなど競作/浪花節だよ人生は・高橋真梨子/桃色吐息・安全地帯/ワインレッドの心・プリンス/パープル=レイン・マドンナ/ライク=ア=ヴァージン・ヴァン=ヘイレン/JUMP。
■ 本 :浅田彰/構造と力・ホイチョイ=プロダクション/見栄講座・小学館/日本大百科全書・平凡社/大百科事典。
■ことば:マル金マルビ・普通のおばさんに。

❖年表の元ネタ主な参考資料河出書房新社『昭和・平成 家庭史年表』下川耿央・家庭総合研究会編。小学館『昭和・平成 現代史年表』神田文人編など。

dendenmushi.gif(2015/03/18 でんでんむし蛇足の記1984)
 Apple IIやTRS-80にはさわったことがなかったが、PETを買った頃に創刊された「ASCII」などの記事で、Apple Lisa のことは知っていた。それとほぼ同等に近い機能の新しいコンピュータが安くなってAppleから出るというニュースは、よし出たら絶対買うぞと心待ちにさせた。
 ジョージ・オーウェルの「1984年」をもじって「1984年は“1984年”にはならない」という、全米で放映されたTV-CMの話題が日本にも伝わってくる。CMにジョージ・オーウェルとは!と、いやがうえにも期待は高まる。
 北米で産する小ぶりのリンゴ品種の名をとってMacintosh と名付けられた、これまでのマイコンとはまったく別の雰囲気をもった新製品は、1月のアメリカでの発売に続いて、4月に日本でも帝国ホテルで行なわれた発表会と同時に発売になったので、その場ですぐに購入を申し込んだ。当時は、販売代理店が数社あってそれらが皆発表会会場に詰めていたが、たまたまCanon販売から買う形になった。
 それまで何年かBASICマシンをいじってきていたが、初めてのMacintoshが届いたときには、まずその外箱のデザインに感嘆し、開けた箱の中から出てくる付属部品や正方形のマニュアルのセンスの良さに驚いた。
 そして、実際に起動させると、9インチモノクロのスタートアップ画面の中央にニコニコマック(と後にはそう呼ばれるようになる)の起動画面が出てくる。アイコン(これもそれまでほとんどの日本人が使ったことのない言葉だったが、イコン(聖像)からきているとわかってなるほどと思った。)というものが並ぶデスクトップ画面が開いて、標準バンドルされていたMacPaintやMacWriteをマウスで操作したときの感動は、今思い返してみても新鮮だ。
 それまでのコンピュータとは、まったく次元の異なるものが、目の前にあったのだった。それらについて書き始めると、これまたキリがなくなるが、アイコンやマウスやクリックや…といった現在のコンピュータの基本になっているユーザー・インターフェイスを初めて一般化した記念すべきものだった。が、ゼロックスのスターやPARC(パロアルト研究所)とジョブスの話なども、もうだいぶ知られているのでこのくらいにしておいて…。
 とにかく、今日まで30年を超えることになったでんでんむしのAppleやMacintoshとの関わりは、この年から始まったわけである。
 最初のマイコン、社長に直訴して会社で買ってもらったコモドールのPETと、自腹で買った初代128KのMacintoshは、ほぼ同じくらいの値段だった。
 その社長の体調がすぐれず、有馬での企画会議も間隔が開いていた。それがいつだったかは定かではないが、結果的に最後となる東京出張でやってきたときには、投宿していた九段のホテルに呼び出されて食事をともにし、そんな自らの病気についても語ってくれた。
 いささか元気がなさそうなのが気になったが、終始穏やかに仕事の話からカープの野球まで会話を交わし、うちの息子の受験にまで気にかけてくれた。おかげさまでWの理工にはなんとか受かることができましたというと、そうかそうかと我がことのように喜んでくれた。…と、書いてはみたものの、このあたりの時期が合格発表の前だったか後だったか、実は記憶がはっきりしない。いずれにしてもそんな話題が出たことは確かだ。
 そして、社長と直接に話をしたのは、それが最後となった。
 大阪本社の総務部次長からの電話で、突然の訃報を聞いた夜、あれこれ想いをめぐらせていると、自然に涙が溢れてきてとまらなくなった。
 1961年に採用試験で拾ってもらって始まった社長との縁は、四半世紀近くになろうかという前にしてぷっつりと切れ、そしてMacintoshユーザーとしてのその後が始まったのである。1984年は、でんでんむしにとっては非常に大きな意味を持っていた通過点だった。
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1983☆『思い出の索引』★でんでんむし@アーカイブス☆わたしたちが生きてきた時代とは… [年表]

われわれはどこから来て、どこへ行こうとしているのだろうか…? 

1983mark.jpg昭和58年 癸亥(みずのとい)
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◯米の中距離ミサイル配備に反対して、西独・英・伊・蘭の各地で20万人集会。
◯ウィリアムズバーグで第9回となる先進国首脳会議。
◯フィリピンの有力野党議員アキノ暗殺。反マルコス運動が激化、
◯乗客乗員269人の大韓航空機が、サハリン沖でソ連軍機に撃墜される。ソ連は領空侵犯と発表。
◯ビルマのラングーンで爆弾テロ。韓国閣僚4人を含む16人が死亡。
◯グレナダに米軍が侵攻。

◉中曽根首相が韓国訪問、全斗煥大統領と会談。総額40億ドルの経済協力と教科書問題に決着をつけ、「日韓新時代」を声明。
◉米の要請により政府が武器技術供与を決定。野党が武器輸出三原則に反すると抗議。
◉中曽根首相が訪米、レーガン大統領に「日米は運命共同体」と表明。4海峡封鎖・日本列島浮沈空母化発言が問題化。
◉ロッキード裁判丸紅ルートで田中元首相に受託収賄・外為法違反で懲役5年の求刑。野党が辞職勧告決議案を提出。
◉米原子力空母エンタープライズ15年ぶりに佐世保入港。世界最大の原子力空母カールビンソンも初寄港。
◉シーレーン防衛で日米共同作戦研究開始。
◉第10回統一地方選挙で、北海道と福岡で革新知事。
◉サラリーマン新党(代表・青木茂)結成。
◉社会党大会で石橋委員長・田辺書記長を選出。
◉ロッキード裁判丸紅ルートの田中被告に懲役4年・追徴金5億円の実刑判決。首相が自発的辞職を勧告。
◉米レーガン大統領が訪日。日本の市場開放と防衛努力を要請。
◉総選挙で自民250と前回の衆参同日選挙から34議席減。新自由クラブと連立で第2次中曽根内閣、官房長官藤波孝生。

・この年に亡くなった人にはこんな人も…。中川一郎。里見弴。武井武雄。井上光貞。小林秀雄。森永太平。渋谷天外。片岡千恵蔵。尾崎一雄。高垣眸。中村鴈治郎。中原淳一。伊藤久男。寺山修司。東畑精一。東 龍太郎。羽仁五郎。中村草田男。山本薩夫。小泉文夫。花登筺。堀内敬三。田村泰次郎。金栗四三。安岡正篤。武見太郎。ジョージ・キューカー。カレン・カーペンター。テネシー・ウィリアムズ。アーサー・ケストラー。ベニグノ・アキノ。ジョアン・ミロ。

◎佐々木七恵が東京国際女子マラソンで日本人として初優勝。
◎瀬古利彦が国内最高記録で東京マラソン優勝。福岡国際でも優勝。
◎国鉄が勤務時間内に入浴した組合員1174人に対し、初の減給など処分を通告。
◎中国自動車道が着工17年で全線開通。吹田=下関間542.7キロ。
◎秋田沖を震源とする日本海中部地震。津波でさらわれるなど104人死亡。
◎戸塚ヨットスクールのしごき教育で中学生ら5人が死亡行方不明、戸塚宏校長を逮捕。
◎熊本地裁八代支部、免田事件再審で死刑囚に初の無罪判決。
◎山陰地方に集中豪雨で、死者119人。
◎海上保安白書で、現在の海図より日本列島の位置が北西に470メートルずれていると指摘。
◎三宅島雄岳が21年ぶりの大噴火。溶岩琉で阿古地区の9割400戸を焼失。
◎国鉄の赤字ローカル線廃止第1号となった白糠線でさよなら列車運転。
◎千葉県浦安市に「東京ディズニーランド」開園。
◎旧立川基地に国営昭和記念公園が開園。
◎山形県蔵王温泉のホテルから出火、隣りの旅館など6棟全焼。スキー客ら11人が死亡。
◎東京青山に西友ストアが無印良品の専門店を開店。

◎糸井重里、林真理子など、コピーライターの活躍が注目を集める。
◎NHKテレビの「おしん」が最高視聴率62.9%を記録。翌年にシンガポールに輸出されたのをはじめ、4年間に18か国で放送される。
◎写真週刊誌「FOCUS」が法廷の田中被告の盗み撮り写真を掲載。
◎講談社「ViVi」、平凡社「Free」、集英社「LEE」など女性雑誌の創刊が相次ぐ。
◎パソコンの普及台数が100万台を突破。ワープロも普及し始める。
◎任天堂が「ファミリーコンピュータ」を発売。ファミコンブーム起こる。

■流 行:ファミコン。
■テレビ:世界まるごとHOWマッチ!!・全国高等学校クイズ選手権・オールナイトフジ・おしん・金曜日の妻たちへ・ふぞろいの林檎たち・スチュワーデス物語。
■邦 画:市川崑/細雪・小林正樹/東京裁判・大島渚/戦場のメリークリスマス・森崎東/時代屋の女房・今村昌平/楢山節考。
■洋 画:アラン=J=パクラ/ソフィーの選択・エイドリアン=ライン/フラッシュダンス・ウォルター=ヒル/48時間。
■ 歌 :ちあきなおみ/細川たかし/瀬川瑛子など競作/矢切の渡し・ALFEE/メリーアン・YMO/君に、胸キュン。・EPO/う、ふ、ふ、ふ、・村下孝蔵/初恋・欧陽菲菲/ラヴ=イズ=オーヴァー・RATS&STAR/め組のひと・原田知世/時をかける少女・大川栄策/さざんかの宿・梅沢富美男/夢芝居・山明生/日野美歌/箱崎晋一郎など競作/氷雨・五木ひろし&木の実ナナ/居酒屋・森昌子/越冬つばめ・柳ジョージ/ランナウェイ・麻倉未稀/What a Feeling・尾崎豊/15の夜・カルチャー=クラブ/君は完璧さ・マイケル=ジャクソン/今夜はビート=イット。
■ 本 :大江健三郎/新しいよ人眼ざめよ・唐十郎/佐川君からの手紙・赤川次郎/探偵物語・浅田彰/構造と力―記号論を超えて。
■ことば:愛人バンク・にゃんにゃん・おしん・フォーカス・リフォーム。

❖年表の元ネタ主な参考資料河出書房新社『昭和・平成 家庭史年表』下川耿央・家庭総合研究会編。小学館『昭和・平成 現代史年表』神田文人編など。

dendenmushi.gif(2015/03/14 でんでんむし蛇足の記1983)
 前年に公開された洋画では、でんでんむし的注目作がたくさん並んでいた。スピルバーグの「E.T.」は、もうこの頃になるとSFとかいう意識で見る人はほとんどいなかったのではないかと思うが、「ブレードランナー」となると、ちょっとついて行けないという人が増える。「トロン」に至っては、見たという人もあまり多くはないのではないか。アカデミー賞の審査でも、まともな映画扱いをされなかったというくらいだ。
 コンピュータ・グラフィックスを駆使し、ストーリーもコンピュータ内部の話というわけで、なかなかの意欲作であったが、やっぱり見せ所は初めてのCG駆使というくらいで一般受けはしない。けれども、この映画の題名は、後にまたまったく別な日本独自のOSの名前として、インパクトをもたらし、その一端にかかわっることになるという点で、印象深い。
 もうひとつ、前年には中国旅行にも出かけていた。これも社長の指示だったが、それには彼自身の個人的な想いが背景にあったからで、それをかみしめながら日本人と縁の深い大陸の町を歩いてきた。
 旅行自体は出版や仕事とは、直接的なかかわりはなく、北京・南京・上海を回ってきただけだが、この頃はもう外国人の旅行が解禁されて何年かは経っていた。ただ、まだ人民元は使えず、外国人旅行者には兌換券というもので、ずっと張り付いたガイドら(監視役?)に連れて行かれる決まった場所でしか使えなかった。 だが、まったく自由時間がなかったわけではないので、南京では昔絵はがきなどで見た覚えのある門のある城壁の上まで登ってみた。そこで出会った小さな女の子に日本からもっていった千代紙をあげたら、それをもってすっ飛んで近くにあるらしい家のほうに駆けて行った。家に帰った彼女は、どう親に報告したのだろう。
 南京のホテルには、アメリカの高校生?の一団も泊まっていたが、彼らが連れて行かれるのは当時すでにできていた南京事件の記念館のようなものだったはずだが、われわれが案内されたコースにそれは入っていなかった。
 考えてみれば、でんでんむしの海外旅行経験は、すべて会社から派遣されたヨーロッパとアメリカとこの中国とくらいだ。個人で海外旅行に行ったことがないのは、お金がないこともさることながら、それ以上に積極的に行きたいというモチベーションがないからだ。
 唯一、父が戦死したというソロモン諸島のブカ島には行ってみたいという気はあった。遺骨も帰ってこないので、今もそこの土になっているはずだ。が、そこはなかなか旅行者が行けない場所らしい。
 戦後70年となる2015年には、天皇陛下がパラオを戦没者慰霊のため訪問されることが決まっている。パラオからソロモンまではまたさらに南東に赤道を越えて3000キロも離れているのではあるが、それでせめていっしょに慰霊ということにさせてもらったほうがよかろうか。
 それにしても、でんでんむしの父のように、大勢の日本人が兵隊として赤道を越えたはるか南の島まで行って、そこで死ななければならなかったのだろうか。
 それを知りたいと思う。そう思っていろいろな本も読んでいるが、最近読み始めた鳥居民の「昭和二十年」(草思社文庫 全13巻)は、なかなかに興味深い。
 ともかく、外国よりもなによりも、日本国内に知らないところ行ったことのない地域や場所がたくさんあるのに、わざに海外まで行く気にならない。岬めぐりだって、まだまだ終わらないのに…。
 たとえば、同じ東京にいても、通勤途上で見る風景にしても、自分で歩いた線はほんの限られた、か細い線でしかなく、それもだいたいは同じ所をぐるぐる回っているだけだ。
 お茶の水から水道橋の間の車窓には、神田川の深い谷が切れ込み、その向こう側は台地になっている。そこには順天堂大学と東京医科歯科大学の大きな病院がふたつ並んでいるが、いつもその前の道を少なからぬ人がお茶の水橋を渡って行くのを眺めながら、不思議に思っていた。あの人たちは、みんながみんな病院へ行くわけではなかろう。いったいどこへ行くのだろう。
 会社が三崎町から本郷へ移転することになって、気がついてみれば、自分もその道を歩いているのだった。病院の間の坂道を登っていくと本郷通りと蔵前橋通りが始まり、こうしてこれまであまり知らなかった本郷台地と縁ができた。
 だが、実を言えば、でんでんむしのBASICの先生であった理工志望の息子が、前年もこの年もこの丘の上にある大学を受験していたので、その前からすでに何度かうろうろしてはいた。塾にも行ったことがなかった息子のほうは結局準備不足で本郷には縁がなかったが、でんでんむしのほうは、これから十何年か後にその台地の南片隅に棲息することになって、お茶の水橋で駿河台と本郷台地を結びながらくまなく歩き回ることになった。けれども、それも準備計画していたというわけでもない。
 人と土地、地域とのかかわり方も、偶然や成り行きがその行方を決めるとはいいながら、またおもしろいものだ。
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