番外:本部半島=(名護市・今帰仁村・本部町)沖縄本島西海岸で目立っているけど岬はひとつしかない丸い出っ張り [番外]
沖縄本島北部の西海岸の、やんばるふんばる国頭村を南下していくと、奥間の道の駅を過ぎて田嘉里川を越えたところから大宜味村(おおぎみそん)になる。この村も海岸のわずかな平地に集落が点在する。途中に塩屋の入江を橋で渡るが、海岸沿いの道には岬と名のつくものがひとつもない。
その国道58号線を南下するバスの車窓に見えるのは、古宇利島・屋我地島のふたつの島で、小さな奥武島とともに橋でつながっている。
島といっても横から見る限りあまり島のようには見えず、かろうじて見える橋からどうにかそれと知れる。
津波山付近の境界線から始まる名護市は、屋我地島と古宇利島を結ぶ古宇利大橋の途中までで、その橋の北側と古宇利島は今帰仁村(なきじんそん)になる。
屋我地島の西には本島との間に4キロにわたるワルミ海峡という水道があって、その北の口にあるのが運天港。伊平屋島や伊是名島への連絡船は、そこから出ている。
橋と島で囲まれた羽地内海(はねじないかい)と呼ばれる水域周辺にも、岬のひとつやふたつくらいあってもよさそうなものだが、これがまったくない。
名護市がここらから本島東海岸までを押さえているわけだが、その付け根から西へ丸くぽこんと飛び出している半島状の出っ張りは、沖縄本島全図のなかでも際だって目立っている。そこを指し示す呼び名は地図にはないのだが、それもなにかと不便である。名護市の北西部と、国頭郡今帰仁村と国頭郡本部町、さらに西の島には伊江村があるこの出っ張りを、仮にここでは本部(もとぶ)半島と呼んでおくことにしよう。
本部半島全体でも、岬と名がつくものはただひとつだけしかない。それは半島北西部に飛び出た備瀬崎。本部の西には伊江村の伊江島があり、瀬底島水納島もあるがそこらにもなく、半島の名護湾側にもあってもよさそうなにそこにもなく、次の岬は…名護湾の南端にある部瀬名岬までない。
そもそも、数ある日本国土を形づくる海岸線の出っ張りや飛び出しに、岬の名前がつくものはごく一部でしかない。だが、その一部にだけわざわざ名前がつき、そして何世代にもわたってその名が伝えられていくのは、それなりの理由や背景があったからこそだろう。
でんでんむしは、岬の名がつき残っているのは、そこに人間との深い関わりがあったからこそだろうと思い、これまでもそう書いてきた。
だが、こうして沖縄本島の西海岸に回り込んで改めて眺め回してみると、今度は逆に、「なぜ岬の名前がつかないか」が改めて疑問に思えてくる。それは、単に答えを反対にして人間との関わりがない、もしくはそれが薄いから…というだけでもすまないような気がしてくるからだ。
沖縄本島の西海岸では、名前のある岬は辺土岬以南では、まず赤丸岬があった。それから以下に取りあげる予定の、本部の備瀬崎、名護湾の部瀬名岬とが控えている。その次は長くてでこぼこも多い恩納村でも真栄田岬ひとつだけで、次ぎには読谷村の残波岬があるくらい。
さらに南に下っても、浦添市の空寿崎と那覇空港内の大嶺崎があるだけで、南端部の喜屋部岬まで岬はない。
単純に東海岸と比べることにも、どちらが岬がいくつ多いとかいう数字にもあまり意味はないだろうが、岬の数だけで言えば東西の海岸線では倍以上の差がある。けれども、人との関わりという点だけからすると、東海岸と西海岸では地形的にも人口の周密度などからみても、際だった差があるようにも思えない。
それでもやはり、この本部半島で岬がひとつだけというのは、東西対抗では西側のマイナス要因のひとつになっている。
こうして、いつものように答えの見つからない堂々めぐりループに入ってしまう…。
ま、これもなにも答えをどうしても見つけたいというよりも、あれこれと下手な考えをひねくり回して遊んで楽しんでいるだけなんだけどね。
▼国土地理院 「地理院地図」
沖縄地方(2015/04/04〜05 訪問)
タグ:沖縄県
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