424 大崎=出水郡長島町山門野(鹿児島県)伊能測量隊の足跡をなぞって…地図がないと困るよね [岬めぐり]
毎度のことながら、岬の名がつくのとつかないのとの、その違いがどういう条件によるものかも、なかなかのナゾである。
阿久根市側は、黒之瀬戸大橋の北には、岬の名も結構あったのに、橋から南はこの先端の番所ノ鼻まで岬はない。
長島側も、橋から南には瀬戸の南端を仕切る重要ポイントと思われる場所があるにもかかわらず、そこには岬の名はなく、その西奥にある大崎のみである。
その大崎そのものは、残念ながら黒之浜の上辺りからでは望めないのだが、いちおうポイントなので記録しておくことに。
橋に別れを告げ、黒之上を過ぎようかというところで展望が開け、高い道路から黒之瀬戸の南側を見ると、一ノ瀬、多々羅島がある水道の南端がちょっとだけ顔を出す。この向うの山裾が、大崎になる。
ここでも、この瀬戸の潮流の速いことがよくわかる。道は50メートルもの高度を保っており、ところどころで急な斜面を海へ降りていく細い道があって、降りたところで小さな港と人家がある。だが、その道は海岸を辿っては行けない。そんな地形が、出水からずっと、この先の番所ノ鼻まで約15キロ近く続いていることになる。
わずかに前方にちらっとみえるのは、黒之浜であろう。またしても、伊能忠敬の測量隊は、どうやってこんなところを歩いて測量したのだろうと思う。もちろん、どうやったかは残されたわずかな道具や記録でわかってはいるけれども、それでもやはり、自分が同じところを歩いてみると、どこをどう歩いてどう計ったのか、不思議である。たとえば、ここではどこをどう歩いたのだろうか。
もちろん、こんな道路はなかった。道ばかり歩いて測量ができたわけもない。岬めぐりは、期せずして「沿海測地」の伊能測量隊の足跡をなぞって歩くことにもなる。
すぐに展望はなくなり、海は遠く隠れてしまう。黒之浜の集落のある凹みに近づいていくバスが通る広い道で、その脇にこんなもの発見。
忠敬さんのような偉大な先人のおかげで、われわれはいつもでもどこでも、正確な地図を使うことができる。これは、あたりまえのように思っているけれど、実は大変なことなのである。それは、自由で民主的な文明国の証しである。世界には、国民が自国の地図を自由に入手できないとか、制限されている国はまだまだ多いのだ。
地図を自由にできる喜びを満喫し、いつもひとかたならぬお世話になっているので、こういった水準点や三角点には敬意を払わなければならない。たいていは、野の花や薮の間で、そこらに無造作にあるのが水準点なのだが、ここのはちゃんと標識まで立ててもらっている。
ということは、これも国土地理院の地図にはなんらかの表示があるだろうか…。地図ちずチズ…?
あれ、地図はどこへいった? あの橋のたもとの鉄塔が立つ丘の上に置いてきたのだろうか。それとも、道を歩きながらジャケットを脱いだり担いだりしていたので、どこかで落としたのだろうか。
さて、困ったぞ。これから先、今日の残る行程は、地図なしで歩かなければならない…。
32度5分40.00秒 130度8分57.79秒
九州地方(2009/03/17 訪問)
合点! たしかに伊能うじが歩いた行程のほとんどには道らしい道はなかったでせう。また今日では名のある岬の多くにもまだ名前もなかったでせう。
地図を紛失するなど、探索者としては命取りの失策。あらためて地図の恩恵とそれを作成した人々の苦労を実感したことでせうな。
この辺りの海沿いは急峻ですなあ。伊豆の景色(これしか知らないゆえ)を連想してござる。
by dotenoueno-okura (2009-05-28 08:34)
@確か、伊能忠敬自身は、ここには来ていないと思うんですよ。この辺りはもう弟子たちの測量隊がその事業を引き継いでいたのではないかと思います。ちょっと、今は手元に伊能図がないので、あとでまた確認してみますけど…番所ノ鼻などの名が、当時からあったかどうかも合わせて…。
by dendenmushi (2009-05-30 07:28)