SSブログ

1084 ケーラ崎=石垣市名蔵・崎枝(沖縄県)群雄が割拠する八重山の戦国時代の終わりにこの岬であった事件 [岬めぐり]

kerazaki03.jpg
 「ケーラ崎」というのは、石垣島の西海岸、名蔵アンパルの北にあって、石垣市名蔵と石垣市崎枝のちょうど境界線上で、名蔵湾に向かって飛び出ている場所だと思われる。
 いかにも自信のなさそうな書き方をしているのは、実はここには実際に自分の足で下りていなくて、通りすがりバスの車窓と遠望からと、後からの情報であそこがそうかと確認しているに過ぎないからだ。
 というのも、この岬は国土地理院の地理院地図では明記されていない。そこから北東に1.7キロばかり行ったところにあるミジュン崎(「242 ミジュン崎=石垣島〔沖縄県)県庁へ行くより台湾へ行くほうが近い」) は、ちゃんとその名が記されているので、とうに項目に取り上げていたのだが、ケーラ崎は“ケ”の字もない。
 それで、これまではまったく気にすることもなくただバスで通り過ぎていただけだったのに、なぜここで一項目を立てなければ…と考えることになったかといえば、八重山の歴史についてちょこちょこ調べてちょこちょこ書いているうちに、ここがオヤケアカハチが仲間満慶山を襲って討ちとった場所らしいとわかってきたからなのだ。
kerazaki02.jpg
 八重山にとってのいわゆる“群雄割拠の戦国時代”は、1500(明応9)年の“オケヤアカハチの乱”を頂点とする時代までで、本土では室町時代の末期にあたる頃のことである。この事件の後は、八重山も琉球王朝の支配地域に組み入れられていき、とくに歴史的にも目立った動きはなくなるので、この時期が唯一八重山独自の歴史的時代として語り継がれる内容のある時代だったようだ。
 この時代、石垣島では北部の平久保には平久保加那按司、西北部の川平には仲間満慶山、南部の石垣には長田大主、そして南東部の大浜にはオヤケアカハチが、それぞれ勢力をもっていた。がそれぞれ、宮古島や西表島、波照間島などの周辺の島々の豪族とからんで、意見の違いや勢力争いも複雑になっていたことだろう。しかし、オヤケアカハチが“乱”の首謀者として、琉球王府軍に協力した宮古島の仲宗根豊見親に討ち取られるまでにも、さまざまな動きがあったはずである。その一部は「ミサキの神の美崎御嶽をはじめ石垣島にもたくさんのうたきがそこらじゅうに(35) (石垣島だより シーズン2)」の項 でも若干触れていた。
 その全部が、正確に伝える資料があるわけではないし、結局、歴史として残されるのは、勝者にとって都合のいいことばかりになることが多い。なので、琉球王朝の重税を拒否しようと立ち上がったオヤケアカハチを、残虐非道な悪者と決めつけることはできない。
 そのうえで、残された言い伝えでは、琉球王府に対抗するためには八重山が団結して戦うべきだと主張するオヤケアカハチに対し、妻の兄であった長田大主が宮古の仲宗根とも姻戚であったためもあって、立場を異にして西表に追われて逃れていた。平久保加那按司は西表の慶来慶田城用緒に攻めとられていたらしいし、琉球王府軍に対抗するためには、川平の仲間満慶山の協力は是非にも必要であったろう。
 それを求めるために、登野城に仲間氏を呼び出して会うべく会談をセットする。ところが、多少先の見えていた仲間氏は、時勢の動きには逆らえまいとその誘いを拒絶する。断られたオヤケアカハチは、部下に命じて会談から帰路につく途中で仲間を謀殺した、ということになっている。
kerazaki01.jpg
 謀殺というのは、このケーラ崎で落とし穴を掘って待ち伏せして襲って殺した、とされているからである。
 うーん、“落とし穴”…ねぇ。
 いかにも、後からつくった感が強く感じられるのは、へそまがりのでんでんむしだけだろうか。
 確かに、川平へ帰る道筋では、必ず通らなければならないケーラ崎が、待ちぶせするのは最適地であったことには違いない。しかも、このデッパリまでは名蔵で、ここから北側は崎枝になる。当時から崎枝は、川平の勢力圏内だったと考えるのが自然であり、もし待ち伏せして襲うとしても、ここが最後のチャンス、限度ぎりぎりの場所であったと思われる。
 「ケーラ」とは「斬られる」の意とする説もあるらしいが、同じことならユニークな“落とし穴”のほうを採用すべきだと思うなぁ。
kerazaki05.jpg
 現在でも、石垣の窯元か何かの施設などがあるケーラ崎から北側ミジュン崎にかけては、海岸の道に沿って細長い区画だけが崎枝となっている。
 この岬付近の海岸には、仲間氏終焉の地とかなんとかの碑も建っているらしいが、ここでは降りたことがないので写真はない。そういえば、地理院地図をよく見ると、岬の丸い出っ張りの少し南の名蔵の海岸に、石碑のマークがついていた。最近出来たからなのか、地図データが古いのか、そのほかの建物などの表記は、ここにはまったくない。
kerazaki06.jpg
 なにしろ、ケーラ崎周辺では、北のぶざま岳(これもおもしろい名前)と西の端隅っこにミジュン崎、このふたつしか地図上に文字表記がない。

▼国土地理院 「地理院地図」
24.416571, 124.133774
kerazakiM.jpg
dendenmushi.gif沖縄地方(2014/01/28訪問)

にほんブログ村 その他趣味ブログ
その他珍しい趣味へ 人気ブログランキングへ

タグ:沖縄県
きた!みた!印(22)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:地域

きた!みた!印 22

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

トラックバックの受付は締め切りました