SSブログ

番外:エメラルドビーチ=国頭郡本部町字備瀬(沖縄県)美ら海水族館もある国営沖縄記念公園の海洋博公園で [番外]

kinenkoen-13.jpg
 結構大きな本部半島にも、岬は備瀬崎ひとつしかないが、その南でちょこんと突き出ている、でんでんむしの角のようなふたつの出っ張りがある。そこにはエメラルドビーチという名が付けられていて、白い砂が目を射るように輝いている。
 ヤシの木も並んでいて、施設も整っているのだが、全体になんだかつくりものっぽい感じがするというか、なにか芝居の書き割りの中を歩いているような妙な感じがした。
kinenkoen-8.jpg
 そのためかどうかわからないが、結局このビーチを北から南へ横断する間、一度もカメラを構えてシャッターを押していなかった。
kinenkoen-9.jpg
 どういうわけなんだろう。なにか、ふしぎな雰囲気に圧倒されて、我を失っていたのかも知れないし、なにかの魔法にかかっていたのかも知れない。あるいは、もっと現実的に考えれば、一面を覆う白い砂に照りつける太陽光線がぎらぎらと反射して、単にあまりの暑さに大急ぎでビーチを横切り、建物を目指したためかも知れない。
kinenkoen-5.jpg
 魔法が解けて、我に返ったのは美ら海水族館のところまで来てからだった。そうだ。岬でなくてもここはやっぱり写真には撮っておかないと…。
 やっと気づいてシャッターを押したのは、水族館の上から北側を眺めたときである。ビーチの北向こうには、備瀬崎が伸びている。
kinenkoen-10.jpg
 その西には伊江島。ここは国営沖縄記念公園のうちの「海洋博公園」のなかである。地理院地図では「沖縄記念公園」としか表記がないが、国営沖縄記念公園には、もうひとつ「首里城公園」があるので、沖縄記念公園だけでは場所の特定をしたことにならない。が、心配しなくともここはそれよりも海洋博公園、いやいやそれよりも沖縄美ら海水族館で有名なのである。
kinenkoen-12.jpg
 そもそもからいえば、ここにこんな広大な国営公園ができているのは1975(昭和50)年から1976年にかけて開催された、沖縄国際海洋博覧会の跡地利用としてなのである。
kinenkoen-11.jpg
 そういえば、そんなんやってたんだなあというくらいしか記憶もないし縁もなかったのは、その当時はまだ沖縄へも行ったことがなかったからだろう。その博覧会は、時の首相佐藤栄作が通産官僚だった堺屋太一らに指示して、沖縄県の本土復帰記念事業として国が主導して実施した。堺屋を再び起用するなど、明らかに大阪万博の盛り上がりに便乗して二匹目のドジョウを狙ったものだったが、入場者数は想定を大きく下回って終わった。
kinenkoen-7.jpg
 エメラルドビーチは、その海洋博覧会のためにつくられたもので、日本初の人工ビーチだったのだ。沖縄の海を象徴するエメラルドグリーンと、サンゴの白い砂が美しいが、いかにも人工っぽいのも当然で、まさに作り物そのものだった。
 振り返ってみれば、この海洋博への大規模投資が、沖縄復帰後のインフラ整備の基になったという事実はある。しかし…、とそこには若干の疑問も挟み込む必要もあろう。58号線沿線の整備で植えられたヤシなどには、元来沖縄の植生ではないものまで含まれていたという。ヤシの木に白い砂に青い海と空と輝く太陽…そうしたイメージの根幹は、本土からやってきた人間が勝手に植え付けようとしたものではなかったか。その陰には悲惨な戦争と厳しい基地の島という現実から、本土からやってくる観光客の眼をそらすという意図もあっただろうし、その効果もあった。
 事実、堺屋は「沖縄の歴史の話はもうやめよう」と、あえてそれを封印したことを認めている(2015/06/08朝日新聞 朝刊)。
 本土の人間が沖縄の戦争と戦後の基地に土地を奪われてきた現実を、充分に理解し反芻する間もなく、そうした問題には蓋をしたまま、青い海とヤシの茂る白い砂の浜辺のイメージはつくりあげられていった。今にも本土と沖縄のギャップが、なかなか埋められない背景には、そういう一面があったこともまた事実であろう。
 ところで、このエメラルドビーチの説明には、「全国でも唯一といってよい礁湖(ラグーン)内にあるビーチ」というのがあちこちで使い回しされているのだが、はて?
 この意味するところが、どうもピンとこない。ラグーン内のビーチなど、めずらしくもないのでは…。これは「ビーチ造成当時には」ということなのだろうか。であれば、今ごろこういう説明を麗々しく残しておくことはないのだが。
 コピペで記事をつくることが一般に習慣化してしまって、誰でもどこでもやっているので、それでもいいのだと大目に見られているようなネット情報では、こうしたことも稀ではない。よくないことである。時代に合わせて制度自体の見直しが必要だとしても、まずは著作権の理解をもっと広めることを徹底することから始めなければ…。
kinenkoen-1.jpg
 本部半島の西端で南北に長く、広大な博覧会の跡地には、水族館のほか、イルカショーのオキちゃん劇場、植物園、プラネタリウム、郷土村などの施設もあるらしいが、広大な敷地をもてあましているような感じもなきにしもあらず。ここでも、一見すると日本人と変わらないが、話している言葉が違う人々が大勢やってきていた。
kinenkoen-3.jpg
 さて、そこで思い出したのが、2015年に例の官房長官が沖縄県知事と初めて会談したときのこと。官房長官は、“辺野古を認めればUSJをもってくる”というような意味の発言をしていた。これもずいぶん沖縄をバカにしたような話で、政府が考えてきて今も変わらず考えている“沖縄振興策”とは、結局あちこち補助金を振りまきお祭り会場をつくるくらいのことでしかない。
kinenkoen-4.jpg
 そのUSJ話は、根も葉もないことではなく、すでに根を張り芽が出て葉を広げ始めているようだ。2015年5月には実際に政府関係者が、当然のように関係者の念頭にあったらしいここ海洋博公園を視察に訪れている。
 実は辺野古をかかえる名護市にも、その候補地として名もあがっていたネオパークオキナワという観光施設があるのだが、その視察日程にはそこは入っていなかった。
kinenkoen-14.jpg

▼国土地理院 「地理院地図」
26度41分55.84秒 127度52分38.97秒
kinenkoenBM.jpg
dendenmushi.gif沖縄地方(2015/04/05 訪問)

にほんブログ村 その他趣味ブログ<br />その他珍しい趣味へ 人気ブログランキングへ
タグ:沖縄県
きた!みた!印(41)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:地域

きた!みた!印 41

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

トラックバックの受付は締め切りました