1213 辺野古崎2=名護市辺野古(沖縄県)基地と国立沖縄工業高等専門学校と国際情報通信金融特区で辺野古は… [岬めぐり]
港から眺めると、岬の先には島がある。灯台のある長島と平島(びらじま)がある。平島は白い砂浜がある緑の島で、区民のレクリエーションの場になっているという。だが、それも基地の拡張が行なわれれば、なくなってしまうのだろうか。(この疑問については後に判明する)
辺野古崎の先端から岩礁地帯が続き、それとふたつの島をくるむようにして珊瑚礁のリーフが取り巻いていると、地図ではわかるが遠目にはよくわからない。
予備工事はまさにこの岩礁地帯で続いており、それに抗議する人たちのカヤックがブイの周りあたりなのだろう。ぽつぽつとある。沖合いには海上保安庁の艦艇が浮かんでいた。数えてみると5隻もあった。最近、尖閣がひまなのでこっちへもきているのだろうか。
反対運動をしている人たちなのだろう。港の端の岸壁の上に大きなテントがあって、そこにバス一台でやってきた人々のグループが集まっていた。その人たちはやがて港の東にある砂浜に出て、そこにあるキャンプの境界を示しているフェンスの前に集まっていた。
フェンスには、旗やアピールを書いた布などが結びつけてある。それをまた、はがしていく沖縄の人もいるという。
こういう人たちも含めてか、辺野古にやって来たという人のブログなどもいくつかあって、それらが「デンデン墓」というのに目をとめて写真を載せたりしているが、どれも説明がないのでわからないとしている。
「デンデン墓」はこの地域の古い家デンデンさんの墓だったのだろうか。それが、時代を経て家の墓から地域の墓のようになっていった、そういうもののひとつではなかろうか。
辺野古では、旧暦3月の清明の節に行なわれる清明祭(シーミー)に、この地域にある按司墓や無縁墓などほかの墓のいくつかをまとめて、地域の先祖供養の行事があるようだ。そのなかにこのデンデン墓もある。
辺野古の住民も、古くから続いている家も、比較的新しく移ってきた家があろう。なかには基地で働いている人たちも、たくさんあるのではないかと想像される。
アップルタウンの上には、国道320号線が走っていて、そこを回廊が渡っている。そこが国立沖縄高専で、北側(右手)の本部校舎から寮(左手)を結ぶ通路である。寮は男子寮と女子寮の二棟で、全室オーシャンビュー南向き日当たり良好である。こういうとことろで、勉強してみたかったなあ。
前項で紹介した辺野古地区のホームページでは、全寮制の国立高専と地域のかかわりについて、その「はじめに」で、次のように書いている。
名護市辺野古区は、普天間飛行場代替施設の移設先として全国に注目を浴びていると思います。
しかし、一方では平成16年4月に全国では30年ぶりの国立沖縄工業高等専門学校が開校するなど、まちは大きく変化しようとしています。
この沖縄高専の開校により、平成18年4月には540名の学生と60名の教職員が集まり、2年後には約800名の学生と100名の教職員の合計約900名がこの地域で勉学し、その大半が居住する事になります。
私たちは今まで基地との交流によりまちを発展させてきました。
これからは、さらに沖縄高専、久辺地区における国際情報通信金融特区の中核拠点地区との交流によるまちづくりを進めていこうとしています。
そこで、ぜひ全国の皆さんに辺野古区がどのようなまちで、これからどう変わっていこうとしているのかを紹介し、交流を深めるためにこのホームページを開設しました。(平成18年10月)
だいぶ前のものだが、その後の更新はないようなので、その意図を汲んで、ここにも紹介させてもらった。が、いかさま古いなあ。ぜひ最新情報で更新をお願いします。
国道320号線を高専から東、名護市街のほうに行くと、キャンプシュワブのゲートがあり、その前の歩道で座り込みを続けている人たちの列と看板が並んでいる。(お断りしたように、実際の行動と説明の順序が逆なので、バスの進行方向左手(南側)にゲートがある。)
ここで、基地内を示す線を越えたとかで米軍に反対派の人が基地の警備員に逮捕された、という事件があった。逮捕するほうもされるほうも日本人で、米軍は表に出てこない。植民地支配では、支配者はその被支配民族をもって被支配者を管理し、ときに弾圧する。それは植民地の歴史においては、古今東西を問わず変わるところがない。そんことを思ってしまった。
▼国土地理院 「地理院地図」
沖縄地方(2015/04/06 訪問)
タグ:沖縄県
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