432 戸崎鼻=いちき串木野市大里(鹿児島県)白い砂浜に黒い雨落ちてきて [岬めぐり]
ソボクな疑問。なぜ「いちき」はかな書きで「串木野」は漢字なのだろう?
答え:両方漢字、両方ひらがなでは、どこで区切るのかがわからなくなるから…、それとひらがなを混ぜれば最長市名タイ記録に並ぶから…、かどうかはわからない。
とにかくここは、小泉劇場に幻影をみた観客たちが郵政選挙で自民党に大量に投票してしまったあの歴史的2005年に、串木野市と八房川の南にある日置郡市来町が合併して「いちき串木野市」となっている。
今夜の市来の宿は「国民宿舎吹上浜荘」という。では、市来からの海浜は、もう「吹上浜」なのか…と思って地図を確認すれば、そんな名称はついていない。長崎鼻の南部にも照島海岸という浜がある。その南に八房川から3キロ弱続く砂浜には「九州自然歩道」の表示はあるが、「吹上浜」とは書いていない。
国土地理院の地図で、「吹上浜」という表示が出てくるのは、日置市吹上町の付近のみである。そこは南北に緩い弧を描いて、30キロ近くにわたって広がる海岸で、その昔、特攻機が飛び立っていったところでもある。
市来のここもその北に続く吹上浜の一部だと、いいたくなる気持ちが国民宿舎の名前になったのだろう。その気持ちもわからんではないが、それを分断して区切りを明確に示しているのが、ほかならぬ戸崎鼻なのだ。
歩ける状態ならば、もちろん海岸の九州自然歩道を歩いていたところだが、市来の駅からもタクシーに乗る。
戸崎には小さな港がある。南に向かって飛び出した岬の上の高台に、集落が固まっている。東の海岸は砂浜ではなく、高い断崖絶壁が続いているのが遠目にもよくわかる。この付近までが旧市来で、その先は隣の日置市東市来町となる。市来もまた、区切られていたのだ。
タクシーでそのまま市来の町まで戻り、そこから海岸に出て、しばらくの間海と砂浜の景色を楽しむ。お天気がよくないので、あまりはっきりした展望ではない。
戸崎鼻から東側、右手遙かにぽんと飛び出している山が野間岳で、その右端が野間岬であろう。ここから、遙かな加世田の大浦川河口までの間には、岬はひとつもない。
吹上浜荘があるのは、二本の川がひとつになって海に注ぐところで、市来の町はその川のそばに中心部が集っている。
なんとかいう有名な焼酎の蔵元も、ここにあるらしい。市来の駅では、一台しかないタクシーを、いかにも出張帰りというおじさん3人組に先にとられてしまった。なにしろ、こっちはハンデがあるので、いたしかたない。串木野から呼んでもらったタクシーを待つことになった。串木野と市来の関係はそんな感じで、その運転手さんの話では、「じゃ、その人たちもその蔵元へ行かれたのでしょう」という。そうか、蔵元はおじさんのホット・スポットらしい。
酒が飲めないでんでんむしも、焼酎文化の高まりにはちょっとだけ興味がある。これもまた、地域文化といくらかは関わりもある。とくに鹿児島は焼酎でもたいしたものだ。東京都心のちょっとしたリカー・ショップには、何坪もの売り場に実にさまざまな焼酎がぎっしり並んでいて、実に壮観だ。
ここへくる途中には、電車から“神村学園”の看板が見えた。そこはまだ串木野エリアだったが、この名前も駅伝や甲子園で覚えがある。
「いやー、あそこはね。なかなかやり手の校長、理事長っていうんですか…が一代で築いた学校でね。そもそもの始まりは、“そろばん塾”からだったというんですからねえ、たいしたものです」
なるほど、そうだったのか。それはたいしたものだ。
“そろばん塾”かあ。こうみえても、でんでんむしの少年時代にも“そろばん塾”に数週間だけ行ったことがある。その頃「塾」といえば、だいたいそろばんか習字か、そんなもので、学習塾などはまだなかった。
寺子屋よろしく、畳の座敷に長い折畳み机を並べて、粗末なつくりの珠のすべらないそろばんをがちゃがちゃいわせていた。あの頃の自分は、なんだったのだろう…。
砂浜に寝そべって、そんなことをとりとめもなく考えているうちに、だんだんと空が暗くなってきた。そして、砂浜にポツポツと黒い跡を増やしながら、雨が降り注いできた。
▼国土地理院 「地理院地図」
31度39分43.54秒 130度17分57.13秒
九州地方(2009/03/18 訪問)
答え:両方漢字、両方ひらがなでは、どこで区切るのかがわからなくなるから…、それとひらがなを混ぜれば最長市名タイ記録に並ぶから…、かどうかはわからない。
とにかくここは、小泉劇場に幻影をみた観客たちが郵政選挙で自民党に大量に投票してしまったあの歴史的2005年に、串木野市と八房川の南にある日置郡市来町が合併して「いちき串木野市」となっている。
今夜の市来の宿は「国民宿舎吹上浜荘」という。では、市来からの海浜は、もう「吹上浜」なのか…と思って地図を確認すれば、そんな名称はついていない。長崎鼻の南部にも照島海岸という浜がある。その南に八房川から3キロ弱続く砂浜には「九州自然歩道」の表示はあるが、「吹上浜」とは書いていない。
国土地理院の地図で、「吹上浜」という表示が出てくるのは、日置市吹上町の付近のみである。そこは南北に緩い弧を描いて、30キロ近くにわたって広がる海岸で、その昔、特攻機が飛び立っていったところでもある。
市来のここもその北に続く吹上浜の一部だと、いいたくなる気持ちが国民宿舎の名前になったのだろう。その気持ちもわからんではないが、それを分断して区切りを明確に示しているのが、ほかならぬ戸崎鼻なのだ。
歩ける状態ならば、もちろん海岸の九州自然歩道を歩いていたところだが、市来の駅からもタクシーに乗る。
戸崎には小さな港がある。南に向かって飛び出した岬の上の高台に、集落が固まっている。東の海岸は砂浜ではなく、高い断崖絶壁が続いているのが遠目にもよくわかる。この付近までが旧市来で、その先は隣の日置市東市来町となる。市来もまた、区切られていたのだ。
タクシーでそのまま市来の町まで戻り、そこから海岸に出て、しばらくの間海と砂浜の景色を楽しむ。お天気がよくないので、あまりはっきりした展望ではない。
戸崎鼻から東側、右手遙かにぽんと飛び出している山が野間岳で、その右端が野間岬であろう。ここから、遙かな加世田の大浦川河口までの間には、岬はひとつもない。
吹上浜荘があるのは、二本の川がひとつになって海に注ぐところで、市来の町はその川のそばに中心部が集っている。
なんとかいう有名な焼酎の蔵元も、ここにあるらしい。市来の駅では、一台しかないタクシーを、いかにも出張帰りというおじさん3人組に先にとられてしまった。なにしろ、こっちはハンデがあるので、いたしかたない。串木野から呼んでもらったタクシーを待つことになった。串木野と市来の関係はそんな感じで、その運転手さんの話では、「じゃ、その人たちもその蔵元へ行かれたのでしょう」という。そうか、蔵元はおじさんのホット・スポットらしい。
酒が飲めないでんでんむしも、焼酎文化の高まりにはちょっとだけ興味がある。これもまた、地域文化といくらかは関わりもある。とくに鹿児島は焼酎でもたいしたものだ。東京都心のちょっとしたリカー・ショップには、何坪もの売り場に実にさまざまな焼酎がぎっしり並んでいて、実に壮観だ。
ここへくる途中には、電車から“神村学園”の看板が見えた。そこはまだ串木野エリアだったが、この名前も駅伝や甲子園で覚えがある。
「いやー、あそこはね。なかなかやり手の校長、理事長っていうんですか…が一代で築いた学校でね。そもそもの始まりは、“そろばん塾”からだったというんですからねえ、たいしたものです」
なるほど、そうだったのか。それはたいしたものだ。
“そろばん塾”かあ。こうみえても、でんでんむしの少年時代にも“そろばん塾”に数週間だけ行ったことがある。その頃「塾」といえば、だいたいそろばんか習字か、そんなもので、学習塾などはまだなかった。
寺子屋よろしく、畳の座敷に長い折畳み机を並べて、粗末なつくりの珠のすべらないそろばんをがちゃがちゃいわせていた。あの頃の自分は、なんだったのだろう…。
砂浜に寝そべって、そんなことをとりとめもなく考えているうちに、だんだんと空が暗くなってきた。そして、砂浜にポツポツと黒い跡を増やしながら、雨が降り注いできた。
▼国土地理院 「地理院地図」
31度39分43.54秒 130度17分57.13秒
九州地方(2009/03/18 訪問)
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