431 長崎鼻=いちき串木野市小瀬町(鹿児島県)歌なれば…いつも変わらぬ「さのさ節」 [岬めぐり]
犬辻鼻のある土川が、このバスの終点だったわけだが、そこですぐUターンして折り返すと、だんだんと乗客も増えてきた。串木野を経由してさらに先に行くらしいが、ちょうどうまい具合に長崎鼻の国民宿舎「串木野さのさ荘前」を通るので、そこまでバスに乗って行く。
そこまで行けは、長崎鼻は目と鼻の先。
バスの運転手さんにも、「昨日はさのさ荘に泊まったのか」と聞かれたのだ。そうなんです。ほんとはそうしたほうがよかったのかも…。そこは市営(地図には「シーサイドガーデンさのさ」という表示になっているので、名称が変わった?)らしいのでそれも考えたのだけれど、朝早く串木野西中前へ行くことを考えると、場所的には不便。
だが、もしそうしていたら、足を痛めることにはならず、羽島も土川も歩けていたかもしれない。そして、天狗鼻まで行く山中でクマさんにあっていたかもしれない。いやいや、足が痛くなるのが、バスを降りて山の中を歩いているときだったとしたら、そのほうが事態はいっそう深刻なことになっていたかもしれない…“たら”と“れば”には、キリがない。
串木野の元町、栄町という中心街で、多くの人が降りていくが、やはり若い人はいない。その先のさのさ荘前でバスを降りるときには、ちゃんと往復分の運賃を払った。それにしても、これだけ乗ったのに安い。
ずっと座席に座っていたので、足を休ませることにはなったが、動いていないところへ急に歩こうとすると、とても不自由だ。ゆっくりと、さのさ荘の玄関を入って、まずはロビーでコーヒーをいただくことにした。
うん、ここのコーヒーは、泡の立っていない薄茶色でない、ちゃんとした普通のコーヒーで、これなら気持ちをかき乱されることなく、くつろげるわいと、ひとまず安心した。
国民宿舎があるとこから、長崎鼻公園という松林など自然の植生を活かした海辺の林が続く。その西の先端が、長崎鼻。岬の先からは、500メートルはあろうかという、長いコンクリートの堤防が延びている。正面には、羽島崎と沖ノ島が見える。
ここのも照射灯を備えた標識灯のようだが、実は海上保安庁は“堤防の先にある標識灯もこういうのも全部ひっくるめて「灯台」と呼んでも苦しゅうない”と、考えているようなのだ。だが、でんでんむし的には、どうもこれにはすなおに「はい、そうでッか」と納得していない。灯台と標識灯の類いは、なんとなく区別したいような気がしてならないからだ。とはいうものの、自分で勝手に灯台と標識灯の線引きをするには、情報不足なので、今のところ深入りしないでいる。
ただし、ここの場合には明らかに堤防の先っちょにある標識灯とは異なり、名前までついていて燈光会の看板まである。この串木野港灯台の通称は「さのさ灯台」。
堤防の内側は串木の漁港である。ここは、かなり大きな港だが、カツオ、カジキなどの延縄(はえなわ)漁の基地として繁栄してきた。が、近年ではやはりなんといってもマグロである。港のそば河口の埋立て地には「まぐろ本町」という町名がついているくらいで、当然のようにそれを利用した名物ができている。
「まぐろラーメン」。
運転手さんイチオシは、市役所と文化センター前の「蘭蘭」であるという。かなり熱心に勧められたので、これは足が痛くてもなんとか行ってみなければなるまい。よたよたながら、歩いていると徐々に慣れてくる。
「蘭蘭」には、ちょうど開店直前のグッドタイミングで到着。バスの運転手さんから聞いたと、念のために言ってはみたが、際立った反応はなし。
複数の“ある理由”によって、「まぐろラーメン」の味の感想や、ラーメン写真の添付などはやめておくが、これはなかなかいけます。しかし、マグロの切り身は、もう少し大きいほうがいいと思う。
市役所へ行く途中に通ったのは、串木野高校前。文化祭かなにかなのか、塀には手書きのいろんな詞を書き連ねたパネルが並んでいる。もっぱら「志帆」ちゃん一人で書いたのかね? これは…。
高校生くらいの時期には、どこかにアナクロ的傾向が顔を出すものであるが、この看板にも若干その雰囲気がある。ここにも「串木野さのさ」というのがある。なるほど、灯台の説明にもあったが、ここの「さのさ」は有名らしい。いったいそれは、どういうものなんだろう。調べてみると、幕末から明治初期にかけてこの地に定着した民謡で、五島列島あたりの港に出入りしていた串木野漁船の乗組員が「五島さのさ」を持ち帰ってアレンジしたものだという。
「串木野さのさ祭り」では、3,000人の流し踊りがあって、すっかりこの地域の名物となっているらしい。この頃では、全国どこでもこういう地方の祭りの復権が盛んなようで、これは結構なことだと思う。地域の復興に、大きな意味をもっているような気もするのだ。
この歌詞が、民謡というより俗詠とでもいうか、いかにも漁師の間でつくられてきたという感じで、それがおもしろい。
志帆ちゃんが書いていた「ハア〜 百万の 敵に卑怯はとらねども 串木野港の別れには 思わず知らず胸せまり 男涙をついほろり…」に長々と続く文句には、「串木野の港よいとこ 一度はおいで」、「いつまでも あると思うな親と金」とか、「明日ありと 思う心の仇桜」など、どこかで聞いたような文句があちこちにある。また、「夢去りて 人に踏まれし道草の 露の情けにまた生きる たどる苦難の人生も 涙でくらす五十年」といった詠嘆調が多い。かと思うと、「ひょっとすりゃ これが別れとなるかも知れぬ 暑さ寒さに気をつけて 短気おこさず深酒を 飲むなと言うたがわしゃ嬉し」などという男女の情を謳うものもある。
「笑って暮らせ五十年 泣いて暮らすも五十年 五十六十蕾なら 七十八十は花盛り」という奄美大島あたりの島唄の系統とも似ているように思われるが、摩訶不思議な民謡、それが「串木野さのさ」である。
「蘭蘭」でタクシーを呼んでもらって串木野駅まで戻り、さっそく荷物をロッカーから出して、持ってきていた貼り薬を足に貼り、サポーターをする。やれやれと、顔を上げたところに、まぐろラーメンマップと串高の新聞が張り出してある。なにか、ほほえましい。そういえば、この新聞の題字も「いきいき串高」。「さのさ」と「いきいき」は、この町のキーワードなのか。
ここからJR鹿児島本線で、一駅先の「いちき」まで切符を買う。駅の案内図をみると、これがまことに変である。
公共交通機関の公式の案内が、こんないいかげんな、事実とまったく違う形で堂々と掲示されていてよいものだろうか、とはなはだ疑問。指宿枕崎線を実際の位置関係におこうとするとはみだしてしまうので、空いた空間に折り畳んで納めたという制作者の思考経緯は想像できるが、これも「地図」だ。そんなむちゃくちゃなことをしてはいけないのだ。本線を斜めに引くとか、少し工夫すればどうにでもなるではないか。
31度42分28.13秒 130度15分31.44秒
九州地方(2009/03/18 訪問)
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