817 東岬=八重山郡竹富町竹富(沖縄県)“星の砂”から“星のや”へ 君住む島に別れをつげる [岬めぐり]

北岬から西のコンドイ岬へ、そして今度はそこから島を横断して東岬へ向かう。竹富島の集落は、島の中心部の北寄りに固まっていて、その周囲を道路が周回し、そこからまた八方に海岸に伸びる道がある。海岸の周回道路は、東港からコンドイ岬の南の蔵元までしかなく、残り東と南の海岸には道がない。


東岬へも、島の中心の広い道路から分かれて、そうした海岸へ向かう細い一本道のひとつに入って行く。


でこぼこの道の周囲には、あるところでは牧草地のような場所もあるが、だんだん行くと未利用地ばかりで、細くなった道のうえには、たくさんの蝶がうるさいほどに舞っている。


東岬に出ると、開けた明るい海岸が広がり、左手の北東側には石垣島の中心部が近くに見える。


ここでもとくに目立つほどの出っ張りはなく、意識していなければ誰も岬だとは思わないだろう。白い砂浜には、砂地を這うようにハマヒルガオのような砂地のつる性植物が繁茂し、己の勢力を広げようと努力している。そのなかにハマユウらしい一株だけが、白いハタキのような花を咲かせている。

海岸の右手は、南西の方角にあたり、その遥か水平線上には、よく見ないとわからないような平らな島影がある。これが人口よりも“牛口”のほうがはるかに多い黒島で、竹富島からは十数キロも離れている。


この東岬の南西には、 Yahoo!地図やMapionでは“星砂の浜”という表示がしてあるが、いまではもう探すのも困難であるらしい。
『星の砂』のことを初めて知ったのは、1977(昭和52)年に発表された、小柳ルミ子サン(今年還暦)が自身でつけたというの同題名の歌による。
嫁ぐ日 岬に ひとりたたずみ
君住む島に 別れをつげる
…という東岬にぴったりの歌詞は、あのやたら電車や列車に乗りまくっていた関口知宏クンのお父さん関口宏サンで、作曲はあのヒデとロザンナの今は亡き出門英であったという。
歌のヒットとともに、“星砂の浜”の星砂は減少していったようだが、でんでんむしが、初めて八重山にやってきたときには、まだ西表島の北にある“星砂海岸”には、たくさんの星砂が浜を埋め尽くしていて、手のひらを砂浜についてみると星がいっぱいついてきた。これは、死滅した有孔虫の殻で、石でも砂でもない。

竹富島の“星砂の浜”は、いずれ名前だけになってしまいそうで、ネット地図から表記が消える日がくるかもしれない。
そのかわりに、新しく表記がつきそうなのが、星が変わって“星のや竹富島”ということになるのか。Yahoo!地図では、はやくも表示されているので、それを発見してやっと、竹富島に新しくできた大リゾートの在処を知ることができた。

軽井沢の千ヶ滝にあった老舗、星野ホテルが不振になると同時に代替わりして、後継者がホテルの再生を成功させた。そのノウハウをもってセミナーを開き、全国のホテル旅館の再生コンサルタントになってしまった、ということはよく知っていた。それが、今では全国あちこちにリゾートホテル経営に乗り出していて、トマムはともかく十和田のおいらせには一度泊まってみたいと計画中だが、まだ実現していない。そのいちばん新しい“星野リゾート”が、この竹富島だったというわけだ。
赤い瓦に石垣で囲まれた、いかにも島の平屋一軒家風の形式のコテージが、ずらりと並んでいて、新しい村がひとつできたようだ。
だが、リゾートセミナーで誰もが知りたいいちばんのマル秘ノウハウは、環境規制が厳しいはずの竹富島で新規大規模開発して、うまく開業にこぎ着けるまでのところにあるのかもしれない。
蝶の道の途中に道路ができていて、ダンプカーなどが出入りしていたようだったが、今になって思えばそこがその場所だったのだろう。東岬は、これまでほとんど人も行かないような場所だったが、これからは星のやリゾートの客はこぞって行くことになるから、賑やかになることだろう。
竹富島の南部は、広い一帯のほとんどが牧場などの私有地で、公道もなく、部外者の立ち入りはできないようになっているらしい。それと、南の海岸はきれいな丸い弧を描いているので、南だけには岬がないのである。
この竹富島の岬めぐりにあたって断ったように、コンドイ岬以外はネット地図にも表記がないのだが、ついでにこれらのネット地図で気になったことがある。
電子国土ポータルでは“文マーク”だけで、名称表示はもともとしていないが、Yahoo!地図やMapionでは、島の中央に“マル文マーク”と「竹富中」としてある。申し合わせたように、こういうヘンなところまでおなじなのは、共通しているZENRINのソースに問題があるのだろうが、これは地図としてまことにお粗末なセンスのなさである。
これでは竹富島には中学校だけあって小学校がないことになる。ついでだから教えてあげるが、ここは「竹富小中」と表示しなければならない。竹富町立竹富小中学校は、小中が一体になっている。(もっとも、makonさんの記事によると周年記念などのときは「竹富小学校」として独立した名を使っているので、同じ場所にあるという意味だけでの表記なのかもしれない。)

竹富島の岬めぐりは、朝早く石垣島を出てやってきた。一回りして、東港に戻り、帰りの船が石垣港に着くと、これから島の観光へ行こうという客で、桟橋はいっぱいだった。

▼国土地理院 「地理院地図」
24度19分14.88秒 124度6分5.70秒




竹富島。いつか行ってみたいです。
by cafelamama (2012-07-10 16:24)
@cafelamama さんの『ニュー・シネマ・パラダイス』、わたしも若い頃には映画関連の端っこの方にいたことがあるので、楽しく半分自分のことと重ねながら拝読しています。
「いつか」はきっとやってくる…。竹富島も、いまはたくさんのツアーがありますから、その気になればいつでも…。
by dendenmushi (2012-07-11 06:05)