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番外:So-net 有料プランにしてVol.1との統合をはかろうとしている… [番外DB]

 この「でんでんむしの岬めぐり」ブログの右往左往ぶりは、そのつど紹介してきている。簡単に言うと、Vol.1が2009年末近くになって、ちょうど500項目を越え、ファイル制限に近づいてきたので、紆余曲折を経た末に2010年2月から So-netの別ブログとしてVol.2を開始し、今日に至っている。
 ちょうどその別ブログを設けたと同時期に、So-netの有料プランが開設されたのだが、そのときにはあまりメリットがないと思っていたので、そのまま別ブログを続けてきた。
 しかし、このままだとまったく更新しないVol.1は、6か月経つと削除されてしまうおそれがあることがわかった。
 それに、Vol.2はカテゴリ(ブログ共通テーマ)を、「趣味・カルチャー」にして、Vol.1の「地域」と別に設定していたのだが、これも考えてみるとあまり意味がない。同じテーマのブログ内容は、やはりひとつのまとまりになっているほうが望ましい。それに、「趣味・カルチャー」は宣伝ブログがのさばっていて、なんとも気分がよくない。
 有料プランにすれば、ストレージ容量が3GBに増えるので、あえてブログを分割しなくてもよい。有料プランのメリットは、それだけしかない。その他のアクセス解析をリッチにとか、ファイルの種類を増やせることなどには今のところ関心がないし、いくつもブログがつくれるというのもさしあたって必要がない。だが、容量増だけでも有料にする意味はあるかもしれない…。
 そう考えて、有料登録をした。有料にしても、登録後に一瞬「登録しました」という文字がでるだけで、So-netからメールひとつ来るわけでもなく、なんの変化もない。なので、自分でなんとかしない限り、なんのメリットもないということらしい。
 とりあえずは、Vol.2のブログ共通テーマを、当初からの「地域」に戻しておくことにした。
 しかし、このままでは、同じカテゴリに同主旨のブログがふたつ存在するだけで、Vol.1とVol.2の統合を図らなければ、有料にした意味がない。
 さて、それはどうしたら可能なのだろう。
 手作業で、新規項目としてコピペをしながら、どちらかへ移転作業をしなければならないのだろうか。もちろん、手間からいっても、500項目以上あるVol.1のほうへ、まだ25項目しかないVol.2を追加移転して統合することになるだろうが…。
 さてさて…。
    ●       ●       ●   
 数週間前の情報によると、ブログのうち内容が広告ブログであるものについてはその旨を明記するように…という検討がされるらしい。これは、ぜひ早期に実施してほしいものだ。
 多くのブログサービスが無料で使うことができるのは、スポンサーがいてプロバイダが広告を取っているからであることは、よく理解できているつもりである。民放のテレビやラジオをタダで視聴しているのと、同じことである。だから、広告があるのがけしからんとは思わない。
 けれども、最近目立つ特徴的傾向として、一見普通の個人のブログのようなふりをして、実は企業のビジネスや商売やこづかい稼ぎを目的としたブログが増殖していることがあげられる。
 そのなかには、自分の欲望だけがむき出しで、仮にもブログの仮面の体裁を整えることさえしようとしていないものも少なくない。まったく中身のないこれらのブログは、「新型迷惑ブログ」とでもいうべきものである。
buga.jpg ひとつのカテゴリにネットオークションの商品リストを延々50項目にもわたってアップしたり、ホテル旅館の宣伝ガイドをズラリと並べたりするのも、情報といえばそうかもしれないが、それならば置き場所を限って整理してほしい。普通のブログのリストに混ざって、リストの場所ふさぎをするのが妥当だとは、どうにも思えない。
 もちろん、広告も場合によっては有用な情報たり得るわけで、形式論で排除を計るのもどうかとは思うが、かといって運営者側が何もコントロールをしないで、野放しにしておくのもいかがなものであろうか。
 もともとアフリエイトのようなものを当初からシステムに組み込み、公に認めたうえで出発しているのがブログなのだから、一般にブログ運営者は、こういう広告ブログにも寛大(鈍感)なようだ。So-net にしても、新規作成のウインドウに新たに「Yahoo!オークション商品紹介」とかいう欄を設けたくらいだから、あるいはこの程度は“禁止事項”にはあたらないと判断しているのかもしれないが、そのへんはアフリエイトもオークションもやっていないからよくわからない。
 また、トラックバックもブログの本来の機能ではあるが、これも適切な利用法が徹底されているとは言い難い。勝手に人のブログにつけたトラバを集めて並べたものを、自分のブログだという妙なことが横行しているが、これもほったらかしである。(いや、トラバは承認制という措置だけは講じてあるから、これはほったらかしではないという主張はできる。)
 ブログのまっとうなあり方のための努力とか、質の向上に対する姿勢は、どうも最初からブログ運営者自身に乏しいのではないかと疑わしくなる。著作権についても、運営者の姿勢としては通り一遍だし、テーマ内容の交通整理さえもきちんと管理しようとしないのは、どうも当事者としての責任を放棄しているようにしか見えない。
 ここまでいうと、ちょっと極端に過ぎる意見のような気もしないではないが、ブログ運営者の不作為の罪の芽は、なんとなくそのへんからすでに始まっているように思えてならない。
 そのことが、近い将来にブログの可能性そのものをも喪失させ、ブログの衰退を招くような結果につながる心配や危険性が、まったくないとは思えないのである。
 Twitter が人気なのは、その予兆であるかも知れない。しかし、でんでんむしとしては、Twitter はやろうとして最初につぶやいてはみたけれど、どうもその流儀がうまくのみ込めないでいる。買ってきた本も、読まずに積んである。
 やはり、ブログのほうがいい点も多いはずなのだから、利用者の啓発を含めて、なんとかブログをもっといい方向へ発展させるように考えてもらいたいものだが…。
denden.jpg(2010/03/20記)(2010/03/20記 2010/03/21Vol.2から移転統合)


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523 網懸崎=須崎市浦ノ内出見(高知県)横浪半島にかこまれた浦ノ内湾の行けない岬見えない岬 [岬めぐり]

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 網懸崎は、長崎の船着場から見ると右手にあり、その左手にはまだまだ広くて奥が深そうな水域が広がっている。横浪半島側の入江はとくに深く入り込んでいるので、湾の最奥部までは見通すことができない。
 前項で述べたように、浦ノ内湾全体でみれば網懸崎はだいたい中間くらいに位置しており、その付近一帯の水域では、宇佐から須崎にかけて盛んなタイのような高級魚の養殖が盛んである。
 この写真ではわからないが、末尾に貼り付けたGoogleの航空写真でみると、筏がたくさん並んでいる。
amikake02.jpg
 巡航船の終点は、夕方の二便だけは湾の西端にある半島の付け根の細くなったところの坂内まで行くが、これを除くと他の便はすべて浦ノ内東分の横浪止りである。せめて、坂内まで連れていってくれれば、そこから再び横浪半島の太平洋岸に出ることができる。
 そこには、前日は途中で引き返したので見ることができなかった甲崎という特徴的な細長い岬や、須崎湾の東を囲っている中ノ島に続くフラクタル図形のような出っ張りにある観音崎、九石鼻、畑下鼻、ノゾキノ鼻という岬が見えるはずだ。
 しかし、国土地理院の地図をよく読んでみると、それもまったく不可能だということがわかる。
 200メートル前後の山が連なるこの沿岸は、久通という集落の一か所を除くと、あとはすべて急激に切り立った断崖絶壁が延々と続いていて、海岸をめぐる道はまったくない。久通へ行くには鳥坂トンネルの上からさらに山道に入り数キロも谷を詰め山を越えなければならない。しかも、小さな入江の奥に保護された久通からは、南側の展望はきかないので、苦労して行った割には、報われない。
 当初の計画段階では、船で湾を横断して横浪に向かい、そこからバスでもあるのではないかと期待していたのだが、須崎市のバス路線は中ノ島を往復する一路線しかない。これも、市営である。
 中ノ島方面には是非にも行くべきかと考えていたが、ここがまた横浪半島とは近いようで遠い。どこまでも断崖絶壁が続き、道というものがない太平洋側の海岸は、あきらめるしかない。
 となると、荷物を背負って、仏坂を越えて須崎へ出るのも、なかなかしんどい。鳥坂トンネルを抜けて、もしかしたらいるかもしれないカワウソを騒がせて押岡川を下り、法印山の下を1キロもあるトンネルを歩いて中ノ島へ向かうのも、いささか躊躇された。
 そう、カワウソ。これはもうちょっと旧聞に属するので、忘れてしまっている人が多いはずであろう。でんでんむし自身も、実はああそういえばそうだったと、やっと思い出した。それが、そんなに昔のことではなかった記憶があるのだが、最後の目撃情報からも、もう17年も経っている。とすると、最近聞いた憶えがあるのは、別の関連情報でだったらしい。それがなんであったか、思い出せない。
 絶滅したと思われていたニホンカワウソの生息が、最後に捕獲確認されたのは30年前で、ここ須崎市でのことである。その後も須崎市のニホンカワウソ発見の場所は、新荘川をはじめ複数あるようだが、そのひとつにこの浦ノ内湾の西の押岡川でも目撃情報があったというのだ。
 こういうことは、なるべくそっとして静かに見守るしかないのであって、またどこかで見つかったとしても、テレビクルーが押し寄せるようなことはないことが望ましい。
 それにしても、数日前の繁殖飼育中のトキがゲージの中に侵入したテンによって全滅させられたというニュースは、このさまざまに発達した現代社会で、組織やしくみの狭間の間に、目立たない不作為やヒューマンエラーが重なって、何度も繰り返して起こるたくさんの悲劇の象徴のように見えるのだが…。
amikake03.jpg
 結局、あれこれ考えた末に、長崎から船を乗り換えて引返す道を選ぶことになったのだ。埋立に戻り、バスで高知駅まで引返すと、JR土讃線に乗り換え、山の中を抜けて須崎駅へ向かう。

(2010/03/18記 2010/03/21Vol.2から移転統合)

▼国土地理院 「地理院地図」
33度25分55.96秒 133度24分18.26秒
ngaamiM.jpg
dendenmushi.gif四国地方(2010/01/22 訪問)

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522 長崎=須崎市浦ノ内今川内(高知県)浦ノ内湾の成立はふたつの時期に分かれる? [岬めぐり]

 早期地震警戒システムとしては世界初という緊急地震速報(EEW)を、3月14日(日曜日)の夕方に起きた福島沖地震で初めて体験した。P波を捉えてS波が来る前に警報を出すというシステムは、これまで実際にその場面に遭遇したことがなかったのだが、その日は毎週楽しみにして見ているTBSのアニメ『鋼の錬金術師』が始まって間もなくだった。
 警報音とともに、画面に緊急速報の文字が出た。一瞬、こういうときすぐに机の下にでももぐり込むべきかどうすべきかわからず、思わず固まってしまったが、数十秒後に揺れが始まった。
 これは、えらいものである。たとえ数十秒であっても、いざとなればできることもあるはずだが、問題は自分のいる場所でのリスクがどの程度なのかが、瞬時に判断できないことであろう。
 先のチリ地震津波警報のときにも、『鋼の錬金術師』の録画にテロップが入ってじゃまだという苦情があったとかいう騒ぎもあったというが、ま、それもひとつの記録ですから、いいじゃないですか。
 それともうひとつ、津波が「大」でなかったと気象庁が謝ったりする必要なんて、これっぽっちもありませんよ。
naga02.jpg
 浦ノ内灰方の埋立から乗った巡航船が虎木岬を過ぎた辺りで、「次、長崎です。ここで降りられますか」と乗務員のおにいさんが声をかけてくれた。
 「降ります、降ります」
 浦ノ内今川内は横浪三里の南岸、横浪半島側の小さな出っ張りで、コンクリートの堤防がある。そのわずかな幅の斜面が長崎の船着場である。
 船の舳先につけられた古タイヤが、音もなくコンクリートに接岸した瞬間に、堤防側に飛び移る。なにもないところで、いささか不安になり、回頭していく船のおにいさんに、「ここで待っていればいいんですね?」と念を押す。
 「そうです。向うにもう見えてますよ。あの船が来ます」
naga01.jpg
 なるほど、向うからこちらにやってくる船影が見える。
 長崎は、出っ張りの内側に入ったところに数戸の集落があり、宇佐大橋の下から湾岸に続く細い道も、ここで途切れる。
 その長崎の写真がない。
 後から思えば、斜路を上がって、長崎の写真を撮るべきだったのだろうが、折り返しの船がどんどん近づいており、その船にここで乗客が待っていることをしっかり認識してもらわないと、さっさと通り過ぎてしまうだろう。そうなると、大変なことになるので、うかつにここを離れるわけにもいかないのである。
 そんなわけで、ここは長崎の船着き場の斜路から撮った船の写真ぐらいしかない。
naga03.jpg
 だいたい東西に伸びる浦ノ内湾全体からみれば、この長崎の位置は、まだ半分にも満たない。
 それなのになぜ、ここで巡航船を降りなければならなかったか、それは517 灰方崎の項で触れたとおりなのだが、もうひとつの理由がある。
 実を言うと、ここから見える網懸崎が、湾内最後の岬であって、これより湾の西奥に行っても、もう岬はないのである。距離的には半分以上あるのにもかかわらず、ひとつもない…。
 出っ張りがないわけではない。大小いくつもの出っ張りはたくさんあるが、岬・崎・鼻と名前がついているところが、この先では見事になくなる。
 これはいったいどうしたことか、大いに不思議なことである。
 またまた勝手な想像を膨らませてみると、この広い谷に海水が流れ込んできた時期は、大きく二段階に分かれるのではないだろうか、という仮説が成り立つ。そうした大規模な地殻変動をもたらすものは、大地震が考えられる。
 まずはじめに現在の湾の東半分ほどが水没した。その状態でかなり長い年月が人の暮しの間にあって流れた。それは、岬に名前がつけられるほどの長い時間であったろう。
 それからだいぶ経って、また新たな地殻変動が加わり、湾の西側まで水域が広がった…。その新しく拡大した水域には、岬の名がまったくついていない。そのうえ、これも単なる偶然なのかどうか、この水域だけに岸近くに小島が7つも点在しているのはなぜ…。
 こうしたシロウトの勝手な推測にも、いくらか妥当性があるのか、当たっているのか、それともまるで見当違いなのか、専門的な知見をおもちの方があればどなたか教えていただければありがたいのだが…。

(2010/03/16記 2010/03/21Vol.2から移転統合)

▼国土地理院 「地理院地図」
33度26分2.28秒 133度24分40.35秒
nagasakiM.jpg
dendenmushi.gif四国地方(2010/01/22 訪問)

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521 虎木岬・赤ヶ崎=須崎市浦ノ内出見(高知県)伝説は大切 [岬めぐり]

 でんでんむしの現在の居住地は東京都中央区であるが、住民票はかれこれ40年ほど鎌倉の隣町にある。先頃の鶴ヶ岡八幡宮の大銀杏が夜半の嵐に倒れたというニュースは、ざまざまな思い出と感慨を呼ぶ。
 この大銀杏のことを初めて知ったのは、まだ広島の洟垂れ小僧の時代に遡るのだから、なかなか古い縁があるのだ。小学生の頃、ぼろぼろになるまで愛読した唯一の聖典であった野ばら社の『児童年鑑』の日本史年表に、公暁の隠れ銀杏がイラストつきで出てきて、よく記憶に残っていた。高校の修学旅行で鎌倉鶴ヶ岡八幡宮を訪れて、初めてこれがあの大銀杏なのだと見上げた。その後、はからずもこの地域に住むことになり、折々長いつきあいだった。
 何が言いたいのかといえば、「伝説は大切」ということである。この伝説がなければ、広島のこどもと、鎌倉の大銀杏を繋ぐ接点は生じなかった。
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 はっきりした位置関係がわかるのでそれと特定できる、出見の虎木岬と赤ヶ崎、それにさらに南の網懸崎が大きく東に張り出して、横浪三里の水路を南北に変換している。
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 虎木岬の遠くには、幾重にも重なる山並みが連なる。左手奥に見えるのが、須崎市最北675メートルの虚空蔵山だろうか。そのずっと奥、ここから見えるわけではないが、西の彼方、愛媛県との県境には四国カルストもある標高1,500メートルの山脈が続いているはずだ。虚空蔵山の南には、弘法大師ゆかりの伝説がある仏坂が続く。
 弘法大師がそこを越えるとき、たなびく紫雲の中に諸仏が現われ、感激する大師が手をついた岩からは不動明王が出た…というのだが、そのことの真偽をうんぬんしたい人はいないだろう。そのことの真偽よりも、そういう話が伝わって仏坂があり、番外霊場としての岩不動尊が今にあるということが尊いのだと思うのである。
 このお不動さんは、そんな伝説のおかげで、ずいぶんと幅広い信仰の対象であったらしいが、明治の排仏毀釈の犠牲になった。遍路道がかろうじてそれを復活させた感もあるようだが、何事に寄らず時代を呑み込む“熱狂ほど怖いものはない”のである。
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 虚空蔵山の北、佐川町にもナウマン博士が地質調査に訪れ、その結果とともに町を紹介したという、これは伝説ではなく史実といえるが、その話を伝えるために町では地質館などの施設をつくって新しい伝説を将来に残そうとしているらしい。
 ナウマンといえば野尻湖で発見された象の名前だと思っている人が多いが、それは単に野尻湖だけが宣伝が行き届いているからである。伝説のつくり方がうまい、とでもいうべきなのか。
 その最初の発見は明治の初めで、場所は意外にも三浦半島の横須賀だった。当時最初にゾウ化石を発見し、研究の第一人者だったナウマン博士の名を、大正時代に槙山という人がつけた。正式名は「ナウマン・マキヤマ」というのが正しいらしい。伝説に頼ることのマイナス面は、細部が切り落とされ、えてして正確な伝承ができないことである。
 その後、日本の各地で、10万年以上も前に闊歩していたナウマン象の化石は見つかっている。佐川町ではいろいろな化石(ラセンつながりで、でんでんむしが欲しいアンモナイトなどの)も出るらしいが、ここでナウマン象の化石が出たわけではない。(505〜507項の浜名湖北部でも発見されていたようだ。)
 とにかく、あれやこれやで、付加体が押し上げられ、幾重にも重なり合ってきた高知県南西部は、地質学的にはとても重要なポイントであるらしい。 
 それにしても…化石は付加体にくっついてきたわけはないだろうから、そのあとでできたのだろうか、いやそれもおかしいな。付加体と化石の関係は、いったいどうなるのだろうと、シロウトの?には果てしがない。景色はそれには答えてくれない。
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 赤ヶ崎は、虎木岬の南の出っ張りで、ちょうど長崎と向き合うような位置にある。

(2010/03/14記 2010/03/21Vol.2から移転統合)

▼国土地理院 「地理院地図」
33度26分20.71秒 133度24分26.30秒ほか
fujuakaM-d99f2.jpg
dendenmushi.gif四国地方(2010/01/22 訪問)

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520 藤崎・灘ヶ鼻・荒神ヶ鼻=須崎市浦ノ内塩間(高知県)まあ、この辺がそうだろう [岬めぐり]

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 浦ノ内湾北側の浦ノ内塩間(しわい)には、東から順に藤崎、灘ヶ鼻、荒神ヶ鼻という名前の付いた出っ張りがあり、それぞれが隣り合って大小さまざまな入江を囲んでいる。その入江の奥に、小さな集落が点在している。
 藤崎と灘ヶ鼻に挟まれた深浦は、周辺ではいちばん人家が固まっているところで、船着場もここともう一か所あるらしいのだが、やはり乗降客がいないので接岸しないで、くるりと向きを変えてしまう。
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 そのせいだけではないが、走る船の窓越しに写真を撮ろうにも、どこがどの岬だか、なかなか特定しにくい。おまけに船の大きさからも構造上からも、船室の外に出ることはできない。
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 まあ、この辺がそうだろうとシャッターを押すしかないのである。
 帰りの船からの眺めとあわせて、適当に並べるしかないが、この地域の雰囲気が記録できれば、それでよい。
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 この辺りから養殖漁業のものらしい施設や筏が現われる。
 「三里」はわかるが、「横浪」とはどういうことだろうと、前に書いていたが、偶然「波がおだやかで、横方向に波紋を描くところから」横浪三里と呼ばれるようになったという説明に出くわした。
 文字通りの説明は一見納得してしまうが、へそまがりはさらに考えてしまう。
 結局のところ、複雑に入り組んだ湾内では波打ち際に寄せる波が発生しないこと。それに山に囲まれた水域がでこぼこはあるもののだいたい東西に広がっているので、風が通るとすれば東西に吹くだろう。その風が巻き起こすさざ波は、湾内を横に流れるように波紋を描くであろう。
 それが「横浪」の意味なのだろう。
 この巡航船は、シーズンにはお遍路さんでも利用する人がよくあると聞いた。三十六番札所の青龍寺から、次の三十七番札所へ向かうとき、横浪三里の北側に続く湾岸を、岬と入江にそってくねくねと歩くか、横浪半島の上の自動車道を行くか、この船で湾を横切るか、およそ三つのコースに分かれる。
 正統的な歩き遍路の場合は、やはり遍路道のなかでも有名なこの先の仏坂を通るはずで、半島の道は行かないだろう。やはり、この塩間の湾岸をくねくねというのがコースだろう。でも、この船に乗るくらいは、お大師さんも認めてくれそうな気がする。
 高知の遍路道は「修行の道場」とされるが、札所と札所の間隔が、もっとも開いている。ここから三十七番札所のある窪川までは約60キロ、そこからまた次の三十八番札所の足摺岬までは100キロ以上は、ただ歩くしかない。
torakou03.jpg

(2010/03/12記 2010/03/21Vol.2から移転統合)

▼国土地理院 「地理院地図」
33度26分38.05秒 133度25分3.14秒 33度26分36.25秒 133度24分37.81秒 33度26分35.73秒 133度24分19.27秒
fujuakaM-4d8e6.jpg
dendenmushi.gif四国地方(2010/01/22 訪問)

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519 大崎=須崎市浦ノ内今川内(高知県)とほうもない地質年代の時間を想像してみる [岬めぐり]

 太平洋側のフィリピン海プレートが、大陸側を形成するユーラシアプレートの下にもぐり込もうとしている境界は、南海トラフと呼ばれる水深4,000メートルもある海溝である。このプレートがもぐり込むところが“地震の巣”と称される場所で、東海地震も南海地震も、このひとつながりのトラフ沿いに起こると予想されている。
 前項で書いた「スロースリップ」の兆候が、この地域で続けば、地震のエネルギーは分散・緩和されるので、100プラスα年周期で予想される南海大地震の発生リスクは、少しだけ遠のくのではないかとも言われている。
 海側プレートに乗っかって陸側プレートの縁に固まる付加帯は、当然次々と押し上げられ重なりあっていくので、太平洋に面したところほど新しく形成されたものである。
 そう考えると、この横浪半島と浦ノ内湾(横浪三里)の形成も、日本列島のできる長い長い地質年代の時間のなかでは、比較的新しいできごとであったのだろう。
 海側から押し寄せる巨大なエネルギーが、横浪半島の壁のように急峻な海岸線をつくり、やがてまた別の時期に別の作用で、その内側に複雑な水域をつくったというのが、想像できる範囲としては妥当なところだろうか。
osaki01.jpg
 現代のわれわれが眼にすることができる景色が、どうしてそうなったか、想像できるのは、そのくらいまでで、ではこの大崎という出っ張りがどうしてできたかまでは見当もつかない。
 それはおそらく、さまざまな力がせめぎ合うなかで、“偶然にそうなった”というしかないのであろう。
osaki03.jpg
 それはまた、どこの岬でも、岬ではないところでも、大部分については同じことが当てはまるのだろう。
osaki03.jpg
 大崎の先端部分は、平らなところがあり、そこには建物があり、ヤシのように見える木が立っているので、別荘かなにかなのだろうか。浦ノ内湾を航行する船は、必ずこの岬を大きく迂回して進むことになる。

(2010/03/10記 2010/03/21Vol.2から移転統合)

▼国土地理院 「地理院地図」
33度26分20.97秒 133度25分2.45秒
fujuakaM.jpg
dendenmushi.gif四国地方(2010/01/22 訪問)

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518 松崎・城ヶ鼻・岩ヶ崎=須崎市浦ノ内下中山(高知県)動くプレートの縁に溜まったごみの上で [岬めぐり]

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 埋立をでた巡航船は、これから湾内のいくつもの船着場を巡りながら西に向かって湾を進んで行く。
 まず、向かうのは対岸の松崎である。松崎は、埋立のほぼ真南にあるが、船は真っすぐに西に向かって進み、岩ヶ崎が正面に見えてくるところで、大きく左へ舵を切る。つまり、湾内を迂回して進んでいる。
 国土地理院の地図にも、その航路が示されていて、同時に埋立沖に点線で囲った場所があり、航路はこれを避けているのだ。
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 はじめは浦ノ内湾のあちこちで行なわれている養殖魚場かなにかだと思っていたのだが、ここには浅瀬があるのだ。
 やっぱりね。湾の水深はそんなに深くはないらしい。
 その地図では、松崎と城ヶ鼻に船着場の印がある。しかし、この海岸線も岸に沿って、ほんの数軒の建物があるだけである。
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 そのため、船は船着場の近くに寄ってみて、人影がないことを確認すると、船を着けることなくまた回頭して次の船着場へと向かう。
 しかも、海上から見てもそれとわかるような桟橋などはまったくないので、どこが船着場かわからない。
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 松崎から西の並びには、城ヶ鼻、岩ヶ崎と続き、北の端に突き出たところが大崎となる。松崎と城ヶ鼻には、いちおう船着場はあるらしいのだが、乗る人も降りる人もいないので、接岸することはない。
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 なにも、ここに限ったことではなく、それは日本中のどこの海岸線を歩いていても感じることなのだが、日本列島の地形が複雑なのは、押し寄せるプレート(しかも複数の)が大陸の下にもぐり込もうとするときに外縁部に溜まった付加帯と呼ばれる岩石帯で、その多くが形成されているからであろう。
 プレートテクトニクスの理論は、ここ数十年の間に確立されてきたものだが、若い頃にそれに関するごく初期の啓発本を読んで、驚くと同時に“どうしてそんなことがわかるのだろう”といたく感銘を受けたことがある。
 学者のように「間違ったことを書いてはいけないからむずかしく書く」という必要がないので、極めて大雑把な例えで言うと、静かにゆっくりと押し寄せる波がそこらのちりあくたやごみや泡やを集めて海と砂の境を縁取るような風景を想像してみればいい。波はもぐり込むわけではないが…。
 プレートに乗っかって運ばれてきた岩石や土砂などは、プレートと一緒にもぐり込むことはなく、その縁に固まってしまう。そういう、いわば寄せ集めのミックスされたような岩石帯は、当然に細切れでごちゃごちゃでまとまりも整合性もなく、折れたり曲ったり複雑怪奇な様相を呈している。
 まあ、乱暴に言えば、そういう帯のような固まりが日本列島であり、われわれはその上に暮している、とも言えるわけだ。
 そして、今もなおプレートはわれわれの足元(それもせいぜい数十キロほどのところ)で、やすみなく深くマントルの中へともぐり込んでいる。
 昨日(2010/03/07)のニュースでは、南極の神奈川県ほどの大きさの氷山が流れ出したとか、全地球凍結を示す7億年前の地層が見つかったとかいうのと並んで、「四国の南西部でプレート境界が“ゆっくりすべりこむ”スロースリップ現象が起きていることが、GPS測地の観測で明らかになったと、国土地理院が発表した」というのもあった。
 この四国南西部は、付加帯の特徴がもっとも顕著な場所としても有名らしい。

(2010/03/08記 2010/03/21Vol.2から移転統合)

▼国土地理院 「地理院地図」
33度25分47.71秒 133度25分41.84秒ほか
matsuiwaM.jpg
dendenmushi.gif四国地方(2010/01/22 訪問)

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517 灰方崎=須崎市浦ノ内灰方(高知県)横浪三里はなかなかふしぎな場所なんです [岬めぐり]

 高知市の浦戸湾と紛らわしいが、浦ノ内湾という名のほうが正式名称で、「横浪三里」というのは通称であるらしい。通称といえば、この湾を南で土佐湾と隔てている壁のような半島には、名前が地図などにないということを前に書いていたのだが、どうやらこれも一般には「横浪半島」と言われているようだ。
 横浪三里という名は、何となく想像をかき立てる。もっぱら地図旅行しかできなかったこどもの頃から、その名はしっかりと覚えていた。“三里”というのは、その距離や規模を示しているものだとは、すぐに想像できるが、では“横浪”とはなんだろう。横浪(横波)という言葉は確かにあるが、それがここで意味するものはナンだろう。
 調べようとしてみたが、これがわからない。
 前項で、この湾のふしぎな地形は、陥没沈降によってできたものだろうという仮説を述べたが、もしそうなら、この湾の水深はさほど深くはないのではないか。それを専門的に裏付ける情報はないだろうか。また、これに対して、横浪半島の地形は、海から大きく盛り上がったことを思わせる。
 それらについても、ネットで調べる限りは、きちんとした情報が得られない。自治体や観光協会などの情報も、なぜかたいていは簡単過ぎてほとんど中身がなく、知りたがり屋を満足させるものではない。こういうとき、でんでんむしが頼りにするのがwikipediaなのだが、横浪三里という項目さえない(探せない?)のである。
 2010/03/04のashi.comの情報によれば、wikipediaの管理人も書き手も少ないこと、日本ではその内容も芸能界情報に偏り過ぎているのだという。それを読んだときにも、一瞬おっちょこちょいは、じゃあ一肌脱ごうか…という気分になりかけたのを、かろうじて思いとどまった。
 先だってのチリ地震津波にさいしては、テレビは一日中赤い線で囲まれた日本列島を画面に出していた。津波の状況を太平洋岸の各地の港から中継していたが、須崎港もNHKでは何度か映し出されていた。これが、高知港ではなく、なぜ須崎港なのか。
 実はそれにもちゃんとした理由があるのである。それこそが、でんでんむしの仮説を証明できるできごとであるはずなのだが…。
haikata01.jpg
 宇佐大橋を渡って左へ川を越えると、もう須崎市で、そこには埋立という小字地名があるから、この海岸は埋立でできたところなのだろう。そこは「浦ノ内灰方」といい、浦ノ内湾を囲む地名には、すべてこのように湾の名が冠してある。
 「いやぁ、ちょっとわかりにくところなのでご案内します」といいながら運転席を降りてきた宿の人に導かれて、工場か倉庫かなにかのような建物の前をずんずん入って曲りこんだところで堤防切の切れ目があり、その前に小さな建物がある。「ここが巡航船の乗場です」という。なるほど、こりゃ知らない人間にはわかりっこない場所だ。
nabeudonaka03.jpg
 ここまできて、かけられた看板を見て、やっと初めてそうだとわかる。看板の文字の字間が変なので一見「埋立市」のように読めるが、「須崎市営巡航船」の「埋立(乗船場の)待合室」の意味である。
 ドアを開けて中に入ると狭い待合室だった。先客の男の人が2人いて「おはようございます」というので挨拶を返す。なにはおいても、まず壁に貼ってある時刻表とあらかじめ調べてきた情報に違いがないかを確認する。これを確かめておかなければ、とんでもない目に遭うという経験を何度かして、そこから学んだ。
 ほかにルートはないかとチェックしてみたが、やはり一日4便の便数が増えているわけもなく、船で湾の奥の終点まで行ってしまうと帰れない。予定通り、湾の中程の長崎まで行って、そこでいったん下船する。そして、反対側から来る埋立行きの別の船に乗り換えて戻ってくる。
 それしか、方法がない。堤防の切れ目のところに小さな船が停まっている。これが須崎市営の浦ノ内湾を結ぶ唯一の公共交通機関である。「巡航船」という呼名がまたいいねぇ。
 船の背後に見えているのが埋立地で、水産試験場などがあるらしいが、その先端も、灰方崎という岬である。
nabeudonaka04.jpg
 灰方崎の写真も、走る船の上から撮ったつもりだったのに、よくみるとこれがほとんどなかった。
 その反対側から突き出ているのが、大崎ということになる。
 先ほど、待合室にいた人は、この巡航船の乗組員だった。乗客は、ほかにはおばさんが1人。おそらく、採算がとれないからと廃止してしまうわけにはいかないのである。採算は度外視しても、市営でこの航路を守らなければならない大きな理由がある。
funenoknak2.jpg
 浦ノ内湾はその独特の地形が影響していることもあるが、沿岸にはほとんど平地がない。埋立のような場所もあるが、それも少ない。山と山に隔てられた谷筋に、ぽつぽつと集落が点在するが、それを結ぶ道路も北側ではなんとかつながっているという状態である。
 朝と午後の便は、学校と家を結ぶ貴重な通学路になっているようだ。

(2010/03/06記 2010/03/21Vol.2から移転統合)

▼国土地理院 「地理院地図」
33度26分26.52秒 133度25分25.31秒
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dendenmushi.gif四国地方(2010/01/22 訪問)

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516 小宇津賀鼻・鍋烏頭岬・中崎=土佐市宇佐町井尻・下中山(高知県)逆光の中に探す岬 [岬めぐり]

 東京の吉祥寺駅に近い「井之頭公園」は、その名の通りやがては神田川に合流する玉川上水の水源である。「頭」が水源ならば、当然に「尻」は、その水域の終末を意味する。
 土佐市宇佐町の井尻は、東西およそ10数キロにおよぶ浦ノ内湾の湾口にあたっているので、そういう名になったとも考えられる。ちょうどS字型にくねった水域が海につながるところは、最も狭くなっていて、そこに宇佐大橋が架かっている。
kouzu05.jpg
 もちろん、「井」は湧水のイメージが強く、海水を意味するものではないが、ここ横浪三里の地形をみると、ある時代この水域一帯は川の流れる谷だったとの推測もできそうなのである。それが陥没して、複雑な形をした入江になったのではないか。
 これは、あくまでもでんでんむしの仮説に過ぎず、なんらかの証拠があってそう言っているわけではない。ただ、景色が残してくれた状況証拠は、そういう結論に導いてくれる。
 井尻の集落は、橋の下に鍵型に突き出たところに集中していて、そこから湾にそって南西方向に続く細い道が、宇津賀、鍋烏頭(なべうど)、堂ノ浦と小さな集落を綴っている。
 そして、そこには小宇津賀鼻・鍋烏頭岬・中崎と、三つの岬がある…はずなのだが…。
kouzu04.jpg
 青龍寺へ参拝して帰ってきてから、これから船に乗るというと、それなら埋立の乗船場までご案内します、というお言葉に甘えて国民宿舎土佐の車で宇佐大橋を渡り、ここまで連れてきてもらったのだ。
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 そこから南東の方向に、これらの岬は見えるのだが、なにしろ冬の朝日とまともに向かい合うことになって、写真はさっぱりだった。
koutsuga01.jpg
 それに、横に水平な位置から正面に向いても、岬は見栄えがしないものなのだ。ということは、これから先、湾内の岬の多くに同様の心配がある。
 橋に近い小さな出っ張り、小宇津賀鼻はなかなかわかりにくい。
 鍋烏頭岬はわりと大きな固まりになって、そこから防波堤のようなものをともなった中崎向き合っているのがわかる。
nabeudonaka01.jpg
 中崎は、小さな島のように見えるが、地図でみると橋でつながって船溜まりをつくっている。
 この間に市境が走っているので、鍋烏頭岬は土佐市、中崎は須崎市になる。
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 中崎の奥も入江になっていて、その堂ノ浦から少し山の中に入って行ったところが、明徳義塾のある場所になる。
 ここからしばらくは、浦ノ内湾の南岸沿いの途中までは、車がやっと通れるくらいの細い道があるようだが、それも行止りになってしまう。

(2010/03/04記 2010/03/21Vol.2から移転統合)

▼国土地理院 「地理院地図」
33度26分2.34秒 133度26分22.40秒 33度25分57.19秒 133度26分4.79秒 33度25分48.68秒 133度25分58.61秒
uzunabeM.jpg
dendenmushi.gif四国地方(2010/01/22 訪問)

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515 地ノ鼻=須崎市浦ノ内福良(高知県)この項は故あってカンタンになります… [岬めぐり]

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 ものごとの目標の立て方には、いろいろな考え方がある。岬めぐりも、日本全国津々浦々を、どう回るか、シラミつぶしにシャカリキに全部回るか、それにはこだわらず、だいたいでいいからひと回りするかで、だいぶ違う。
 でんでんむしの岬めぐりは、後者の方針を採用している。その理由にもまたいろいろあるが、いちばんの理由は“あまりムリをすると楽しくない”ということであり、二番目の理由は、“どうやってみても公共交通機関では行けないところも多い”ということである。
jinohana01.jpg
 土佐市の白ノ鼻から須崎港までは、曲がりくねった道をまっすぐおおまかにみても、20キロ近くはありそうだ。バスが通っていないこの道も、状況が許せば、このまま自転車で行きたいところだが…。
 この日は、早めに宿に戻って、ゆっくりお風呂にも入りたい。それに、延々と続くくねくね道を、登ったり降りたりしながらこの先どこまでも行けないので、適当なところで折り返さなければならない。
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 帷子崎を少し過ぎた辺りで、遠く地ノ鼻が見えてきた。
 うん、今日はここら辺りが、潮時というものだろう。
 奥に見える地ノ鼻の手前に、尾根が張り出しているが、その下が観音崎にあたるはずだが、それは手前の山に隠れて見えない。
 島のように見えるその山の先も、地続きの岬なのだが、ここには岬崎鼻の名はない。jinohana03.jpg


(2010/03/02記 2010/03/21Vol.2から移転統合)

▼国土地理院 「地理院地図」
33度23分53.58秒 133度24分32.78秒
tinohanaM.jpg
dendenmushi.gif四国地方(2010/01/21 訪問)

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514 帷子崎=須崎市浦ノ内下中山(高知県)海も浜も遠く故郷さえもなお遠くして [岬めぐり]

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 別に関連はないのだろうけれど、ツヅラの次がカタビラときた。
 こうしてみると、日本語にも絶滅危惧種がたくさんあると、今更のように思う。「とばり」という字に「帳」を当てるようになって、「帷」などという字は、地図上の名称くらいしか、使われることもないのだろう。
 誰が決めたのか知らないが、天気予報が「宵の口」という言葉を追放した頃から、もういちいち憤慨するのもバカらしくなってしまったが、「夜の帷が降りる頃…」(あれ、これ書いていてふと思ったけど、これ“ジェット・ストリーム”にありましたかね)などという表現は、もともと話し言葉ではないので、文学の世界でしか日本語を保護できる場所はないのかも知れない。だが、これがまた、最近は頼りにならない。
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 ツヅラ崎の手前から、もうすでに土佐市を離れ、須崎市に入っている。この岬は、約1キロ程の長さで、土佐湾に向かって突き出している。両側は切り立った崖のようになっていて、付け根の太いところでも幅が200メートルもないくらいの細長い岬である。
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 この細長い岬の東半分が下中山という字名で、西半分は浦ノ内今川内という字名になる。
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 この姿を薄絹の帷に例えるのは、ムリがあるとは思うが、細い尾根は衝立のように見える。この半島の南側の海岸は、すべておおむねこんな感じで、砂浜は小さくて狭くて使い道はないらしく、海岸に集落がある場所は須崎市の池ノ浦と久通の二か所しかない。
 やっぱり、海が遠い海岸なのである。
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 帷子崎の上を走る道路脇には、駐車スペースがあり、車を停めてひと休みする場所になっている。そこには、岬の標識板と並んで、明徳義塾の生徒達が描いた看板も立っている。自動車道から北へ下る枝道のところには、学校の案内板が鳥獣保護区の赤い標識と並んでいる。
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 明徳義塾は、竜岬に国際キャンパスがあったが、その本拠はこの帷子崎の北側の、横波三里の堂ノ浦の盆地のような地形の中に固まっている。
 中高一貫のこの私立学校の名前は、ご多分に漏れず甲子園で初めて聞いたのかも知れない。あるいはほかのスポーツ(相撲とか)だったのかも知れないが、相撲には興味がないので、やはり野球だろう。それでも高知といえば、高知商業、高知高校?という時代が長かったので、この学校が野球で全国に名を売ったのも、そう大昔からのことではないのだ。
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 それはともかく、こんな人里離れた山の中では、通学することもできないだろうから、全校全寮制なのだろう。とすると、これはまた今どきめずらしい、なんとも浮世離れした世界ではある。
 とはいえ、全生徒になんらかのクラブ活動を義務づけしているというのも、県外や海外から受け入れている生徒が7割というのも、こういう立地条件や学校の特殊性故のことで、親元から遠く離れて勉学に励むことができるそういう場所の提供も、教育の多様性を考えると意義があることなのだろう。
 例の元横綱の下の名前ね、“明徳”というのですよ。どうやら、この学校が日本に連れてきたかららしい。

(2010/02/28記 2010/03/21Vol.2から移転統合)

▼国土地理院 「地理院地図」
33度24分30.47秒 133度25分42.62秒
katabiraM.jpg
dendenmushi.gif四国地方(2010/01/21 訪問)

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513 ツヅラ崎=須崎市浦ノ内下中山(高知県)マウンテンバイクで走るつづらおり [岬めぐり]

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 もともと、岬の名の由来など、ほとんどの場合いくら詮索してもわからないのが普通で、そんな努力や期待はとうの昔に放棄してしまっている。前項の「伊坂ノ鼻」にしたって、伊坂さんという人が滑り落ちたからなのかどうかわからない。人の名前でないとすると、ほかには見当もつかない。そこでぱったりと、思案は行き詰まってしまう。
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 このツヅラ崎は、どうして「ツヅラ崎」なのだろう。ここへ来て、なんとなくそうかなと思ったことがあった。
 「ツヅラ」そのものが、時代劇やお話ではなじみがあるが、現代ではあまり眼にすることがないだろう。が、古い家なら衣装箱としてどこかにあるかもしれない。網代に編み上げた材料の幅が結構広いので、はじめは木の皮かなにかを使用しているのかと思っていたが、これは「ツヅラフジ」という山野に自生するつる性落葉木のつるで編んだものなのだ。
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 そして、ツヅラ崎へ来てみると、いかにもそれらしく見えてくる。この枯れたつるが、ツヅラフジなのかそうではないのか、知識のないでんでんむしには判別はしかねる。だが、そうなのだと思い込む方が、ペダルをこぐ足取りも軽くなりそうだ。
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 宿に着くと、さっそく自転車を借りて自動車道を西に行けるところまで行ってみようと走り出した。
 半島にも名前はついていないし、ここを貫いて走る県道47号線にも名前がついていない。道路のほうには昔来たときには、“よこなみハイウエイ”とか呼んでいたような気もするが、まあこういう観光目的の命名はどうでもよい。今では、とくにそんな標識もなにもなかった。ただ、Googleでは「横浪黒潮ライン」と表示している。
 前にもふれたように、この道路は竜岬のところから登りにかかり、国民宿舎土佐のあたりから、ずっと標高150メートル前後のところを、山に沿ってくねくね曲りながら通っている。幅も広い自動車道は、なにしろ山また山の中を走るので、かなりのアップダウンもある。
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 青龍寺の裏の宇都賀山が、この半島の最高点で、標高255メートル。そう高い山はないものの、半島の幅が狭いうえに、北側南側ともに入江や岬ででこぼこになっているので、平地はほとんどなく、有効な土地利用はできないのだろう。横浪三里側の一部を除いて、人家はほとんどない。
 借りた自転車はマウンテンバイクで、ハンドルが横真っすぐなヤツで、これはどうも苦手である。どうしてハンドルを棒のようにしたのだろう。なにがどういう利点があるのだろう。わからない。
 それでも、下りは快適だ。車も滅多に来ないので、ブレーキをかけずに風を切ってスピードを上げられる。けれども、下った後には、必ず登りが待っている。変速機はついているが、こいでもこいでも空回りするような感じもよけい疲れる。
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 ツヅラ崎へ向かう途中で、一か所だけ別荘のような建物が数軒ある場所があった。その先のカーブでは、軽自動車が何台も停まっている。こんなところで何をしているのだろう。
 この道からは、海岸まで降りる道はなく、あってもけもの道のようなものだろう。そして、海ははるか下で遠い。
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(2010/02/26記 2010/03/21Vol.2から移転統合)

▼国土地理院 「地理院地図」
33度24分46.07秒 133度26分23.40秒
tsutzurazakiM.jpg
dendenmushi.gif四国地方(2010/01/21 訪問)

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512 伊坂ノ鼻=土佐市宇佐町竜(高知県)恩師のために一宇を建立した空海の見た風景とは [岬めぐり]

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 人間の記憶というのは妙なもので、十数年も前のこととなると、ほとんど忘れているのに、ある場面、ある瞬間の情景だけが、そこだけ切り取って保存しておいたように鮮明である。
 自動車道からそれて、国民宿舎土佐へ向かう急坂のコンクリート壁を円を巻いて車が登るとき、「そうだ、確かにここには同じようにして来たことがある」とそのときの記憶が甦る。
 ここのすばらしさは、なんといってもその眺望で、ここから先にも同様の施設もなく、山の上で唯一の存在価値を誇っている。国民宿舎だから、食事も料金なみだし、部屋は畳で布団も自分で勝手に敷けという、いたってお手軽なものだが、かえって気楽でいいし、一人でもごたごたいわずに泊めてくれるところがなによりである。
 もっとも、今はシーズンオフの平日、食事の時にテーブルに仕度してある席を数えてみたら、15人にも満たなかった。
 ここから眺める白ノ鼻の手前400メートルくらいのところに、伊坂ノ鼻という名を持つ岬がある。
 ホンの小さな出っ張りで、なぜここにわざわざ名前をつけなければならなかったのか、不思議に思える。その伊坂ノ鼻は、微妙な位置にあって、国民宿舎土佐からは、屋上に上がってみてもわずかに隠れてしまって見えない。
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 宿舎の野天風呂からも、白ノ鼻は見えるが、伊坂ノ鼻は影になる。
 結局、翌朝に青龍寺から自動車道を上って戻る途中に、卯尾付き保安林の標識のある山に一か所だけある切れ目から、フェンス越しに覗いて、やっと見えた。
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 朝の弱い光の中にくろぐろと立つ岩は、非力だが、強い精神を秘めた人間の家族像のようにも見える。なるほど、これにはなにか名前くらいつけたくもなろう。
 だが、ここから南に延びる五色ヶ浜という名がついた断崖の海岸線には、似たような岩もいろいろある。
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 宿舎の裏手からは、青龍寺の奥の院につながる細道がある。ここへ行って見れば展望が期待できるかも知れない。
 なぜならば、青龍寺こそが八十八ヶ所のうち、空海が恵果から真言密教の奥義を授けられた寺の名だからである。帰国した空海は、「恩師のために一宇を建立したし景勝の地に留まれ」といって独鈷杵を投げた。その到達場所がここだった、ということになっている。つまり、本来の青龍寺の場所は奥の院である。ここと山の下の青龍寺を結ぶ遍路道は、自動車道によって切断されているが、奥の院への道はきれいに整備されている。どうやら、これは国民宿舎土佐の努力もあるように思われた。
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 NHKの番組で、卓球選手の女性が八十八ヶ所を歩くというのを放送していたときに、この遍路道の道標を独力でつくって、要所に掲示している人というのが紹介されたことがある。
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 それまで、何の気なしに見ていたこのマークだが、四国の多くの人びとの接待の精神とあわせて、胸を打つものがある。
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 残念ながら、奥の院からの展望は、さっぱりであった。空海が悪いわけでも、独鈷杵が落ちるところを間違えたわけでもあるまい。人間の手がおよばない自然は、長い年月の間にすっかり変わってしまう。
 『空海の風景』(司馬遼太郎)という本は、もう随分昔になるが、そのタイトルに魅かれて読んだ本である。空海の見た風景、空海がつくりだした風景とは、どんなものだったのだろう。
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 これも奥の院からではないが、西の海に、うっすらと陸地が見えている。右手の高い山が今ノ山(標高869メートル)だとすれば、その左手の先端は、まぎれもなく足摺岬である。

(2010/02/24記 2010/03/21Vol.2から移転統合)

▼国土地理院 「地理院地図」
33度25分39.07秒 133度27分32.46秒
isakanohanaM.jpg
dendenmushi.gif四国地方(2010/01/21〜22 訪問)

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511 白ノ鼻=土佐市宇佐町竜(高知県)ふたつの灯台の明りがシンクロする瞬間 [岬めぐり]

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 高知県は太平洋に面しているが、海岸線が大きく湾曲しているので、その内側を土佐湾とも呼ぶ。ただ、この湾は東の出っ張り室戸岬と、西の出っ張り足摺岬を直線で結んでも123キロもある。あまりに大き過ぎるうえ、湾口がどこだかわからないほど、太平洋に向かって開けっ広げに開け過ぎているので、湾としての実感を味わうのはむずかしい。
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 ちょうどその海岸線の中間にあって、懸命に飛び出して目立とうとしているのが、この白ノ鼻である。
 崎山という114メートルほどの山が、土佐湾にせりだしていて、周囲は崖に覆われている。竜岬の反対側、東にせり出す山の高いところに灯台はあるが、海岸をめぐる道もないので、およそ人が立ち入ることもまるでなさそうな場所である。
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 岬の下には、岩礁が点在して、絶え間なく波が岩を食んでいる。
 ここの岩礁には、「白碆」という名が付けられている。波と石を重ねるという文字の意味するところは、言い得て妙である。
 「碆」は「はえ」または「ばえ」と読む。ネット上にある辞書やかな漢字変換では出てこない文字であるが、地図上では全国各地に点在する。
 だいたいにおいて、岬と岩礁は、相性が良くて、多くの岬ではセットのようになっている。だが、ここのように岬の名とは別に、岩礁が「碆」のついた名をもっていることはそう多くはない。
 むしろ、「碆」があるところでは、岬には名前がつかないことのほうが多いのである。現に、白ノ鼻の1.2キロほど南の大きな出っ張りは、形は立派な岬なのだが、名前はなく、その下に転がるように続いている岩礁の方にのみ「高地碆」と名がある。
 実は、この横浪三里を囲う半島には、そういう場所が20もある。
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 宇佐と須崎を結んで、この半島を走るただ一本くねくね延びる自動車道は、ほぼ150メートルくらいの高いところを走る。竜岬のつけ根、“黄金大師”の看板がある浜から登りが始まり、ほぼ登りきったあたりから脇道を上ると、国民宿舎土佐がある。結婚式場も併設しているので、見晴しのよいところにはチャペルのような、中近東あたりの寺院(いや、エーゲ海のつもりか)のような白い装飾の建造物があるが、白ノ鼻を眺めるには、ここがベストポジションなのだ。
 白ノ鼻の向うには、土佐湾が広がる。よく晴れた日には、室戸岬まで見えるそうだが、このときは徳島県との県境の山並みがときに見える程度だった。
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 そんなに遠くまでは見えないが、西の岬は初日の予定が崩れて計画していたのに行けなかった仁淀川河口に近い文庫鼻、そのさらに向うの東に飛び出している岬が、ここから13キロ離れた桂浜の下竜頭岬であろう。
 距離を測るには、縮尺で見当をつけることもできるが、Mapionでは「キョリ測」というのがあって便利だったよなあ、と思い出して、地図ソースがZENRINに移行した2009年の4月以来、ひさしぶりに覗いてみた。
 ところが…! あいかわらずというかやっぱりというか、でんでんむしがMapionを使えなくなった理由そのものなのだが、上竜頭も下竜頭もなく、桂浜の∴記号の位置まで一般常識とは違う灯台の西の浜についた、とんでもない地図になっている。そして、ネット上の日本地図の多く(ほとんどといっていい)は、この地図が使われている。このことや、Mapionが使えなくなって以来、いろいろ困ってあちこちしたことは、Vol.1で書いたので繰り返さない。
 それにしても、この事態はなんとも悲しいね。
 悲しいことはまだあって、09年にうろうろしている途中で発見したALPSLAB baseは、ALPSの地図でこのソースはYahoo Japanに提供されているものと同じだ。とても使いよかった(距離を測るとき以外は)ので、もっぱらこれを愛用していた。
 ところが、である。このALPSLAB baseが、2010年3月でサービスを終了するというのだ。世の中って、どうしてこうなるのかねえ。レストランなんかでもそうで、「おお、この店はいいかな」と思っていると、そういうところから先に閉店してしまう。グレシャムの法則は生きていて(ほんとはちょっと違うけど)、常によいものがシェアNo.1を占め、世の中にはびこるわけではい。
 夜、部屋から外を眺めると、岬の灯台が瞬いている。しばらく見ていると、白ノ鼻の灯台の明りと、下竜頭岬の灯台の明りが、シンクロする瞬間があることがわかった。当然といえば当然で、めずらしくもないが、ほら、こんなことでもなんとなくうれしいじゃないですか。
 そこでぇ〜。夜だと景色がわからないので、翌日、まだ朝も明けきらぬうちに…。
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(2010/02/22記 2010/03/21Vol.2から移転統合)

▼国土地理院 「地理院地図」
33度25分50.03秒 133度27分43.59秒
shiranohanaM.jpg
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510 竜岬=土佐市宇佐町竜(高知県)竜の岬のある竜に来て第三十六番札所青龍寺に参拝 [岬めぐり]

 竜は架空の存在でありながら、古来から日本人の精神に大きな影響を及ぼしてきた。もとは、大陸から移入された概念かも知れないが、天空を駆ける人知を超えた存在を、想像から生み出し、それを崇敬してきたというのも、なかなかすばらしい発想ではある。
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 「竜」という地名は、ここともうひとつ愛媛県伊予岩松にある。「龍」も和歌山県龍神村と大分県にある。岬の名前としては、「龍」または「竜」の字がつくところは、全国に30いくつもあるが、「竜岬」そのものは他にはなくここだけである。(桂浜のふたつの岬も、上竜頭岬と下竜頭岬という。頭につくだけでなく、含まれる岬の名の数を入れると、もっと数は多くなる。)
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 ただ、これをどう読むのか、「岬」と書いて「さき」と読ませる例も多くあるし、文字には書いていないけど「ヶ」「が」を読ませるというのまであるので、「りゅうみさき」なのか「りゅうがさき」なのか「りゅうざき」なのか「りゅうがみさき」なのか、どこにも情報がないので断定しかねる。そう思うと、われわれの国語というのは、いかにも融通無碍である。
 竜岬を眺めていると、なんとなく竜の頭に見えてくるというのは、かなりムリなこじつけで、なにかの形からこの地の名前や岬の名前が派生したと考えると、それは横浪三里と、それを囲うように東西に伸びる半島の地形以外にはない。
 しかし、その形は、竜にでもなって天に昇って見下ろさない限り、目にはし難いものなはずである。
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 竜岬の付け根には船溜まりと小さな砂浜があり、道沿いにある食堂の宣伝らしいが、“黄金大師”と大書した大きな柱のような看板が三本も立っており、真ん中の看板の上には、弘法大師のつもりの座像が乗っかっている。
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 この奥には、第三十六番札所青龍寺があり、ここは遍路道でもある。
 中年になった頃だったが、突然、四国遍路にでも出たいという衝動に駆られたことがある。こどもは次々大学受験で仕事も忙しい大変なときに、そんな実現可能性などまったくないことを、どうして考えたのだろう。今思えば、それも不思議である。
 “でも遍路”であるから、どうせたいしたことではないのだが、そういうときにあえてすべてを投げうって遍路に出るというのこそが、ほんとうの遍路のような気がしないでもない。
 観光バスで、くるくる回るのとか、リタイアしてヒマになったから行こうかというのは、厳密に考えるとどうも違うように思えてくるのだ。でも、まあ、それも人それぞれですから…ね。
 第一、岬めぐりも自分にとっての遍路だと、勝手な理屈をつけているでんでんむしとしては、なんでもありでいいのです。
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 ついでながら、少しは殊勝な気持ちになって、青龍寺に参拝する。(実際には、青龍寺を訪れたのは翌日の朝である。山の上にある宿舎の裏にある奥の院から、山中の淋しい遍路道を下って行ったので、この項の記述順ではない。)
 青龍寺は山裾の奥まったところにあって、その前一帯が広い沼沢地になっている。なぜか、そこは竜ではなく蟹ヶ池という。
 案内板によると、もとは希少種のトンボの生息地だったが、絶滅してしまったので、現在は湿地そのものをかろうじて保護しているらしい。
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 蟹ヶ池の向うには、大きな建物とテニスコートがある。ここは明徳義塾の国際キャンパスということになっているが、実はその前にはあの有名な“グリーンピア”だったと、タクシーの運転手さんに教わって、なんだか一挙に納得してしまった。テニスコートの脇には、使われなくなって草に埋もれそうになっている“元流れるプール”がある理由も…。
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 そして、有名といえば、あの毎度お騒がせの元横綱のお名前、ナンでしたっけ? いやいや、しこ名だけでなく、下の名前も…。ね、それも一挙納得です。それもこれもお大師様のお導きでしょう、などとふざけたことを言ってはいけません。

(2010/02/20記 2010/03/21Vol.2から移転統合)

▼国土地理院 「地理院地図」
33度25分58.80秒 133度27分27.52秒
ryugamisakiM.jpg
dendenmushi.gif四国地方(2010/01/21〜22 訪問)

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509 色見崎=土佐市宇佐町竜(高知県)土佐節、かつお節、よさこい節… [岬めぐり]

iromizai03.jpg 色見崎は、宇佐の湾をはさんで荻岬の南の対岸に位置している。ただ、この岬は全体が埋立護岸で、両側に防波堤が延びて、一部は駐車場兼公園のようになっているので、その名前が残るだけ。iromizai01.jpg
iromizai04.jpgiromizai05.jpg その名もすごい「かにごく道」で、かつお茶漬けをいただいた後、タクシーを呼んでもらって、宇佐大橋を渡り、ここまでやってきたのだが、萩の浜周辺のことも書いておかなければならない。前項でちょっとだけふれた、土佐節の碑と、くじらのモニュメントの写真。
ogimisaki08.jpg かつお節のことを、このあたりでは「土佐節」と呼ぶ。その技法は、江戸時代後期にはかなり全国あちこちで広まっていたようだが、それぞれ秘伝として一部にその技術や製法が限定されていたフシがある。
 宇佐の海岸に建っていた「改良土佐節発祥の浦」の石碑には、播磨屋亀蔵・左之助という人が、紀州印南の漁師から教わった製法に改良を重ね、この地に定着させた、といわれを記していた。亀蔵の生誕200年の記念に昭和56年に建てられたというこの碑では、彼らが明治政府の産業振興政策に協力して、全国各地に招かれて指導にあたった功績を讃えている。
ogimisaki09.jpg 土佐はかつおだけでなく、「よさこい節」の文句にもあるようにくじらでも有名だった。もちろん、今ではホエール・ウオッチングに、その名残を残すのみ。こんなくじらを見ていると、どうしても昨今のニュースが思い起こされる。
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 国際政治的な駆け引きにまるで弱い日本が、ついに現在のような状況に追い込まれたのは、いたしかたのない点もあるし、そんなに日本人の誰もがくじらを食べたいとは思っていないはずだが、シー・シェパードのような横暴に、政府がなんらか毅然とした態度を示すことは必要であろう。
iromizai02.jpg
 前項の荻岬の写真でも、宇佐の湾にはその沖合に一筋の防波堤が横たわっている。写真では砂浜か堤防かあまりよくわからないが、地図で見ると、その向うには砂洲がはっきり示されている。湾内はたいの養殖場になっていると、これも地図には記してある。
 こんな川も流れ込んでいない湾内に、砂洲ができるのもめずらしい。潮の流れが回るためか、はたまた船の航行と波除けのために、人工的につくられたものか…。
 宇佐大橋の西側は、横浪三里という別名をもつ入り組んだ浦ノ内湾が続いているが、こちらへは翌日のコースに予定しているので、この日は国民宿舎土佐へ向かうため、橋を渡ってまっすぐ南へ向かい、土佐市宇佐町竜までやってきた。
 土佐市は、仁淀川を境として高知市の西隣に高知自動車道を軸にして広がる。横浪三里は宇佐大橋の付近だけが市域で、その南にあって太平洋に並行して延びる半島は、東の端っこだけが土佐市にあたるここ宇佐町竜には、色見崎をはじめ四つの岬がある。
 実は、ここも初めてではない。もっとも、最初に来たときは、車で桂浜から宇佐まで直行し、国民宿舎土佐でランチタイムを過ごして、須崎経由で四万十を目指した。人の運転する車に乗って、ただやたら長い道をひたすら走るだけだったので、ほとんど記憶がないが、それでも“再訪”には違いない。

(2010/02/18記 2010/03/21Vol.2から移転統合)

▼国土地理院 「地理院地図」
33度26分2.79秒 133度27分6.04秒
iromisakihokaM.jpg
dendenmushi.gif四国地方(2010/01/21 再訪)

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508 荻岬=土佐市宇佐町宇佐(高知県)ややこしや「荻」の岬に「萩」の浜 [岬めぐり]

 明らかに違うとはいえ、「萩」と「荻」は、やはりなんとなく紛らわしい。人の名前など、「おぎわら」さんか「はぎわら」さんかと確かめようとすると「いいえ、ハギハラです」などと…。荻は群生するが、萩はあたり一面が萩の原というような場所はあまり想像できない。そう考えると、「萩原」姓のほうは景色を写したものではなく、つくりものっぽい。
 荻は、元来水生植物なので、あるいはこの岬の周辺にも荻が生い茂っていたのかも知れぬ。
 そういえば、萩と荻の両方を歌いこんだ歌があったなあと、思い出して調べてみると、ありましたよ。百人一首では「君がため惜しからざりし命さえ長くもがなと思いけるかな」で有名な藤原義孝の歌で、「秋はなほ夕まぐれこそただならね荻の上風萩の下露」というのがある。西行法師にも、「をじか伏す萩咲く野辺の夕露をしばしもためぬ荻の上風」(山家集)というのがある。
 案外なことに、この荻と萩をあわせて歌い込むという手口は、どうやら型でもあるらしく、ほかにもそういう歌はいくつかあるのである。
 この2つの文字を並列する必然性は、自然科学的にはおそらく何もあるまいから、文字の形と読みの音に着目しての“知的遊戯”ということだろう。
ogimisaki01.jpg
 荻岬のバス停で降りたときには、前日までの雨がまだ余韻を残しているような空模様だった。この写真は、翌日に国民宿舎土佐の上からズームインしたもの。
 ここから逆コースで、道なりに荻岬に戻りながら接近していくと、岬の形は変化していく。岬をつくっているのは、標高55メートルの小山で、そこから南西に続く浜辺は、大半は埋立てられたり船溜まりになっているものの、「萩の浜」という名前が海水浴場に残っている。
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ogimisaki06.jpgogimisaki07.jpg
 あれっ! ちょっと待ってよ。これは「荻の浜」の間違いじゃないの?
 やっぱり、長い間にちゃんと「萩」と「荻」が混同されてきた、これがその証拠だと思えなくもない。
 お昼時になったので、どこかで昼食をと思ったが、岬の付け根にある「荻の茶屋」は、看板はあるもののどうも入るのがためらわれるようなところだった。
 土佐節発祥の浦の碑や、親子クジラのモニュメントを写真に撮りながら、入ったのは、そこらで唯一の「かにごく道」という「荻の茶屋」とはまた対照的な店。入るとドライバー諸氏御用達らしかったが、かつお茶漬けをいただくことにした。
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 前項で、岬めぐりのプランと結果のズレについて書いたのだが、この高知県西部シリーズも、その出足から予定が大きく狂ってしまった。
 早朝の便で羽田を発って、高知龍馬空港(そういう名前になっているとは知らなんだ)に着いてすぐ超豪華座席のリムジンバスで高知駅前に向かった。事前に調べて立てた計画では、バスターミナルで3分の時間があり、桂浜へ行くバスに接続するはずだった。
 ところが、降りてみるとあるはずの桂浜行きバスの乗場を示す標識が、どこにもない。うろうろしていては、時間をムダにしてしまう。停まっていたバスの運転手さんに聞くと、駅をはさんで反対側に移ったのだという。やれやれ。「パビリオンのようなものができていますから、その先です」という声に礼をいいながら、“パビリオンってなに?”と考えたが、そんなことを詮索するより、はやくそこへ行かないとバスは出てしまう。これを逃すとこの日の竜頭岬と文庫鼻をめぐる計画が総崩れになってしまう。
 駅にもそれらしいガイドはないし、駅をはさんで反対側に行くとだんだん淋しくなってきて、パビリオンどころではない。駅はずれのガードの向うに広場のようなものが見えた。なるほど、坂本龍馬にあやかった急ごしらえの観光用の小屋掛けができている。何を見せるのか知らないが、入場料をとるらしい。それはどうでもよくて、バスバス…。
 停まっているバスは、団体貸切のバスだけで、どこにもそれらしいバスはいない。どうやら、間に合わなかったようだ。
 そもそも、この高知シリーズの計画は、去年の秋に超割の予約をしたときから決めていたので、そのあとで2010年NHKの大河ドラマが“龍馬”になると知って、“ありゃま”と思った次第。
 さっそく、変な形でその観光ブームを当て込んだ動きに翻弄されてしまった、というわけだ。バスの時刻表などは今年になってからチェックしたのに、乗場の変更などがネットで告知されていないし、バスターミナルでも駅でも、看板ひとつ、貼紙ひとつないというのは、龍馬ブームに便乗する姿勢としていかがなものであろうか。
 ブツブツ言ってみても始まらないので、あきらめのよいでんでんむしとしてはあわてずさわがず、宇佐行きのバスで荻岬へ直行する第二プランのほうに変更したというわけだ。

(2010/02/16記 2010/03/21Vol.2から移転統合)

▼国土地理院 「地理院地図」
33度26分49.08秒 133度27分25.20秒
ogimisakiM.jpg
dendenmushi.gif四国地方(2010/01/21 訪問)

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507 白山鼻=浜松市西区佐浜町(静岡県)まあとりえといえばあきらめだけは妙によいのである [岬めぐり]

 もともと几帳面な性格でもないし、マメな人間でもない。計画性も一見あるようにみえるが、実はたいていのことは行き当たりばったりである。
 この「岬めぐり」も、そもそもそのつもりではないので人様の参考になるような旅の記録にはなっていないし、計画の立て方や実行の結果も、マヌケなところが多くて、かなりいい加減である。
 過去に既に行ったところのデータ管理さえ、まるでなっていないので、この浜名湖東部も、弁天島から北上して浜名湖ロイヤルホテルに泊り、白山鼻を見ながらフラワーパークへ行ったこともあるのだが、その写真がどこにも見当たらない。
 浜名湖の岬で、あとひとつ残った白山鼻へは、また再び来ることもないだろうから、ことのついでにここで記録しておかなければなるまい。
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 そこで、今回もあわよくば自転車で白州か佐浜町辺りまで行ければいいかなという気もあったが、大草山まで登るだけで大変だったので、ここからさらに南下して同じ道をまた登って帰ってくることも、そのまま弁天島まで行ってレンタサイクルを乗り捨てることも、どちらもすぐにあきらめてしまった。
hakusanhana03.jpg
 あきらめだけは、妙によいのである。そして、それこそがいろんなこととうまく折り合いをつけていく、唯一の秘訣である。(もちろん、コトとシダイによることはことわるまでもあるまいが…)
 そんなのんきなことを言えるのは、これまでの人生であまり深刻で悲惨な目にあってこなかったからだ、といえばそうかもしれない。
 人生では数多くの岐路に立たされ、どっちへ踏み出すかでその後は大きく変わってくる。ただ、幸せなことは、常にその両方を経験することも、あとから追体験することもやり直すことも不可能であるから、人間は常にあきらめて現状を肯定するしかないのである。
 …と、大きく出ておいて、いきなり卑近な話に戻ると、このときも国民宿舎かんざんじ荘からさらに登って、ロープウエイのところまで行けば、もう少し高度が上がるので、白山鼻の遠望写真も、もうちょっとはましなものが撮れたかもしれなかった。
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 だが、この日の強風で、マフラーをどこかで飛ばしてきたことに気づいてしまった。それを探してうろうろしているうちに、山上に登る気も失せてしまった。マフラーも発見できなかった。
 人生って、そういうもんでしょ。
 帰りはまた天竜浜名湖線で新所原に戻り、豊橋まで行って新幹線に乗って帰ってきた。帰りの天竜浜名湖線で、こんな真っすぐな線路を見ると、いつもつい写真を撮りたくなってしまうのは、人生ではこんなにスッキリ一直線に走れないからだろう(またまた牽強付会)と、勝手にこじつけて納得。
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 ほんとうは、真っすぐな道より、曲がりくねった道のほうがおもしろいこともあるのだろうが、曲がりくねった道は写真にならない。
 この「岬めぐり」の古い読者の方がおられれば、これまでもところどころで「写真が見当たらない」ということを書いていたことをご記憶かもしれない。
 若い頃の一時期、写真に凝ろうという気も芽生えかけたこともあったが、なにか空しさが先に立って、やりとげなかった。コンピュータだけは、そのマイコン時代の萌芽期から一貫して使ってきたので、周辺技術の進化にたいしては常にほとんど第一期ユーザーであった。デジタルカメラも、そのいちばん最初に一般に売り出された製品はAppleの“一つ目の双眼鏡”のようなシロモノで、これ以来フィルムカメラを使うことがなくなってしまった。
 そのデータは、iPhotoの中に次々に放り込んで、フォルダをつくってはいるのだが、これもコンピュータを買い替えたり、システムが大きく切り変わったときなどが、どうも問題らしい。
 また、デジタルデータで保管したつもりの画像データは、プリントした写真に輪をかけて散逸しやすい。というより、探しにくい。MOに入れたつもりのデータは、もはや機器そのものをはずしてしまっているので、探し出せない。
 新技術の進歩の過程では、ある程度やむを得ないこととはいえ、デジタルデータの整理という基本でさえ、完全な道筋は未だに見通せないでいる。
 そんなこんなで、「過去に訪ねたことがあるのに、写真が見当たらないので再訪する必要がある」という地域は、まだあと四つもある。
 ひとつは京都府の最北端・經ヶ岬を始めとする丹後半島であり、玄界灘に面した宗像市周辺であり、また日本最西端の与那国島の西崎であり、いまひとつは四国最南端・足摺岬に至る高知県西部である。丹後半島の写真がなぜないか、それにはまたはっきりした理由もあるのだが、それはまたその再訪時にとっておくことにしよう。
 次回からは、このうちの高知県西部の再訪岬めぐりを始める。

(2010/02/14記 2010/03/21Vol.2から移転統合)

▼国土地理院 「地理院地図」
34度44分23.14秒 137度38分8.87秒
hakusanhanaM.gif
dendenmushi.gif東海地方(2009/12/05 訪問)

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506 黒岩崎=浜松市西区呉松町(静岡県)“産”がつくった“学”もある浜名湖橋の東… [岬めぐり]

 一度も泊まったことがない人でも、館山寺温泉という名だけは知っていることだろう。昔から、“浜名湖といえば舘山寺”というイメージがあったように思うが、どうやらそれは比較的新しい観光キャンペーンによって刷り込まれたものらしい。
 なぜなら、空海の創建になるという秋葉山系の寺院のことは、古いらしいけれどもさほどに著名な名刹というわけでもなく、温泉が開発されたのは1958年(昭和33)年と、そう大昔のことではないからである。
 浜名湖はその北東岸に大きく細長く南に向かって突き出た半島で、東の湖面の一部が区画されているが、半島付け根部分に内浦という入江があり、その出入り口が舘山寺の山によって狭く絞られている。
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 黒岩崎は、そこと向かい合う大草山の北西端に位置して、2つに分かれている。北東側の岬は東名高速道路に提供し、全面的に明け渡しているので、現在黒岩崎という地図上の表記は南西側の出っ張りだけについている。あるいは、もともと2つの出っ張りの一方だけについていたという説も成り立つが、そうだとするとそれなりの理由も聞きたくなる。
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 また、この岬がはっきり見えるポジションを探すのも大変だった。
 前項で書いた浜松ホトニクスは、大草山の北一帯にも広大な敷地をもっていて、そこに浜松ホトニクス産業開発研究所がある。また、隣接して光産業創成大学院大学が置かれている。理事長が浜松ホトニクス株式会社の社長という、いわゆる産学協同というより、ベンチャー企業家の育成支援などを目指して、正真正銘“産”がつくった“学”なのである。
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 この会社が、ちょっと一般に有名になったのは、小柴昌俊がノーベル物理学賞を受賞してからだろうか。あのカミオカンデの壁面?には、浜松ホトニクス製の光電子増倍管がずらりと並んでいたからである。
 ほとんど経済オンチであることに、ある種の誇りさえもっているでんでんむしは、前々から日本という一国の経済が、自動車産業によって左右されるという構造そのものに、非常な不信と危惧を抱いていた。自動車などはしょせんアメリカのマネに過ぎず、そんなものをアメリカでいくら売ったとしても、いつか必ず反発を招き、しっぺ返しを食らうであろうことは、目に見えている。
 確かに多くの人の生活がかかっていることは事実としても、そんなトヨタ1つに依存することが、国としての望ましいことではないというのは、簡単な理屈である。トヨタ叩きのリコール騒ぎも、クルマは自分たちの文化そのものだというアメリカ社会に潜在する日本への反感が底辺にあり、そうしたでんでんむし的視点からは、しごく当然の予想された事態の一コマとしか思えない。
 なにか具体的な意味のある提言だとは、到底思えないのだが、それでも「もしかしたら、日本の進むべき道は、アメリカ型クルマ社会の後追いではなく、もっと別の選択もあったのではないか」というのは、いつも消え去ることがない。同様に、1つのトヨタより、100のあるいは1000の浜松ホトニクスなどのほうが、よほど尊重すべきことのような気がしてならない。
 浜松ホトニクスのフェンスに囲まれたところから道を探しながら、やっと大草山に自転車を引っぱり上げ、みかんのなる斜面から山道に入る。生い茂る木々の切れ間から舘山寺をのぞきながら、道なりに行くと山をぐるりと一周することになった。途中、ロープウエイが音もなく頭上を通り過ぎるが、上に上がる道がない。結局、山を一周りして自動車道に戻って国民宿舎まで辿り着いたが、えらい大回りである。
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 トヨタに乗っていればかく必要もない大汗をかいてしまったので、なにはともあれ、立ちより湯に浸かって…。そして、やっぱりうなぎだな。

(2010/02/12記 2010/03/21Vol.2から移転統合)

▼国土地理院 「地理院地図」
34度46分30.20秒 137度36分59.96秒
kuroiwasakiM.gif
dendenmushi.gif東海地方(2009/12/05 訪問)

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505 崎山=浜松市北区細江町気賀(静岡県)「崎」が先でもやっぱりこれも岬 [岬めぐり]

 浜名湖の西岸を走る天竜浜名湖線にも、何度も乗ったことがある。奥浜名湖とも称され、浜名湖にくっついている猪鼻湖・三ケ日周辺や、その東の寸座には泊 まったこともある。
 ここらにも、名前がついていてもいっこうにおかしくない立派な出っ張りはいくつもある。「津々崎」とか「大崎」とか、地名に吸収されてしまったところも ある。
 とにかく、数少ない浜名湖の岬で、しかもその北岸で唯一その名を地図上に留めているのが、「崎山」である。「岬」も「鼻」もないが、「崎」だけはあり、 しかもそれが前についている。これはめずらしいが、れっきとした岬の名前である。
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 寸座の南側に飛び出し、対岸の黒岩崎と対になっている。そしてこの2つの岬の上を結んで、東名高速道路の浜名湖橋が架かっている。ここでも、橋を架ける ときには、最短距離のコースを優先し、そのために岬の上を通過するという、よくあるパターンそのままになっている。寸座ではビラに泊り、桟橋から船にも 乗った。そのときには既に東名も開通していたから、橋も崎山も見ていたはずなのだが、さっぱり記憶にないし、写真も見つからない。
 その頃は、まだこういうところまで岬として意識してなかったらしい。
sakiyama08.jpg ぐるっと 西岸を半周して、湖の最深部にあたる気賀駅で電車を降りた。
 あらかじめ調べてきたことは、この駅でレンタサイクルがあるということだけである。
 無人駅の前にはズラリと自転車が並んでいたが、誰も人がいない。駅の建物で唯一営業している食堂で聞くと、そこが窓口をやっていた。
sakiyama03.jpg 浜名湖に は、360度ではないようだが、いちおう自転車専用道がめぐっている。澪つくし橋を渡り、細江大橋を越えて伊目に出ると、強い風にあおられて波打つ湖面の かなたに、崎山をまたぐ東名が見えてくる。
sakiyama02.jpgsakiyama11.jpg そこか ら、ひたすら湖岸の自転車道を南下するが、南風がまともに吹き付けてきて、なかなか自転車が進まない。
 こういう場合、往路が向かい風なら帰路は追い風になるというのは理屈だが、これまでの経験では、なぜか往復とも向かい風ということも少なくないのも不思 議だ。
 やっと浜名湖橋のそば、一部ではつとに有名な会社である浜松ホトニクスがあるところまで来てみると、今度は道がなくなってしまった。地図にも道は途中で 消えたようになっていたので、予想はしていたが、なんの標識も案内図もないので、四苦八苦してなんとかかんとか自転車を大草山の上まで押し上げた。
 山の上にある国民宿舎のところから眺めると、崎山は正面に俯瞰することができる。
sakiyama06.jpg 地図で は、この橋から北側一帯の湖には「引佐(いなさ)細江」という名も併記してある。ここらはかつては“浜北市”という独立した市であったが、今では浜松市の 一部になっている。そんな名前に、ひっかかるものを感じていた。三ケ日もそうだが、ここら一帯には、旧石器時代の人類の営みが、あれこれ痕跡として残って いるのだ。
 当時の北浜名湖周辺は、人が漁労採取の生活をするのに、好適の地であったのだろう。多少風のきつい日をがまんすれば…。
 確か、日本で最古の人骨も、この付近に数ある遺跡のひとつから出ていたはずだ。(今、これを書いている数日前には、八重山諸島の石垣島の洞窟からは、浜 北人よりさらに数千年も古い2万年前の人骨が発見された、というニュースが伝えられた。)
 帰りの道では、こんなものを発見。マンホールのフタには中央には銅鐸と澪標、縁には銅鏡の三角縁がデザインされている。これも浜北市時代ならではの痕跡 であろう。sakiyama12.jpg
 東海道は、浜名湖をどうして渡っていたのだろう。おそらくは橋はなく、渡し船だったのではないだろうか。新居の関所には行かなかったのでよくわからない が、もうひとつこの湖の北を迂回するルートもあった。あまり利用度が高いようには思えないが、姫街道と呼ばれた道が通る気賀には、復元された関所もあっ た。sakiyama10.jpgsakiyama09.jpg
denden.jpg東海地方(2009/12/05再訪)(2010/02/09記 2010/03/21Vol.2から移転統合) ▼国土地理院 「地理院地図」
34度46分51.26秒 137度36分48.22秒

dendenmushi.gif東海地方(2009/12/05 再訪)

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504 正太寺鼻=湖西市入出(静岡県)おやおや意外に高い防波堤が… [岬めぐり]

 入出マリーナのそばから、宇津山の付け根を越えて、反対側の湖岸に出るべく、畑の中の道を登る。農家というほどたいしたものではなかったが、祖父がその晩年を畑仕事で過ごしていたので、こういう畑の景色にはなんともいえない懐かしさと親しみがある。
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 すぐにでも、この湖面が見える畑の中へ入っていって、土や作物や草の中に溶け込んでしまいたいような、そんな気分にさえなってしまうのは、自分自身もとうとう祖父の生きた年を越えてしまった、という感慨とともにあるからであろう。
 畑を抜けると家々の間を通る道が、湖に沿って延び、そこに人びとの暮らしは集中している。狭い松見ヶ浦に面してではなく、広い浜名湖に向かい合わないと、ここでの生活は成り立たないのだろう。
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 正太寺(しょうたいじ)というバス停の標識があるが、バスの方は滅多にやってこない。立派な石組みの参道を登った山の上にお寺があるが、こちらの用件はお寺参りではなく、この先端の正太寺鼻を訪ねたい。ところが、お寺の下の道はすぐに行止りになってしまう。それならばと、坂道を登ってみるが、それも人家の門扉に阻まれてしまう。
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 結局、正太寺鼻は、少し入出集落の南に下って、防波堤の隙間から遠く眺めるしかない。このように、人が立ち入ることもできない岬に、ちゃんと名前がついているのは、もっぱら船から見ての識別の必要性が高かったからではないかと推測される。
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 ところどころにコンクリート堤防の切れ間に湖岸を四角に切り抜いたような船溜まりがあるが、それにしても、浜名湖岸でこんな高い防波堤が必要なのだろうかと、ふと疑問に思ってしまう。
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 穏やかな湖面を眺めていると、想像しにくいが、それも過去の経験に学んだ結果に相違ないのだろう。
 集落のメインストリートを、住民が大勢歩いてくる。なにか、先ほどまであった集会でも終わったかのようだ。公園にはまだたくさんの人が集っている。
 なるほど。この日は湖西市では防災訓練かなにかの行事が行なわれていたのだ。それで、新所原のヘルメット中学生たちとも結びついた。
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 “東海大地震”という言葉が飛び交うようになってから、もう随分な年月が経過しているような気がする。このあと、湖北部の気賀に行ったときにも防災放送のスピーカーが訓練の連絡事項を叫んでいたので、この訓練は浜名湖周辺すべての市町村が合同で行なっていたものらしい。地元では忘れた頃にやってくる天災の脅威を常に意識しようと努力が続けられている。
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 入出の町の中心は、愛知県と静岡県の県境の山懐から流れ出てきた太田川の河口左岸に広がる場所で、その何倍もの広さがある右岸一帯は、干拓でできた田畑らしい。
 町から小さな峠を越え、ここらも整然と碁盤目に道が走る新開地のようなところを抜け、再び歯医者の建物と一体になっている知波田駅に戻る。

(2010/02/07記 2010/03/21Vol.2から移転統合)

▼国土地理院 「地理院地図」
34度45分26.61秒 137度32分16.77秒
syotaijiM.gif
dendenmushi.gif東海地方(2009/12/05 訪問)

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503 洲ノ鼻=湖西市利木(静岡県)浜名湖・浜松…といえばうなぎだったわけですが…? [岬めぐり]

 箱根の芦ノ湖を渡る頃から断続的に続いていた雨が、新幹線がトンネルを抜けたあたりから本格的になっていて、音を立てて窓を洗う。西から接近中の低気圧に突っ込むようにして、浜松へ向かう。
 芦ノ湖のついでに、浜名湖の岬も回ってこようという魂胆である。ここも、もちろん初めてではないのだが、岬めぐりとして書くには、改めて歩いてみる必要がある。
 こういう内陸の…といっても、海とつながっている汽水湖である浜名湖の場合には、この表現はあまりあてはまらないが…湖沼にある岬・崎・鼻も、案外にあるので、無視はできないのだ。
 雨の浜松でいったん降りて、ガード下の漁協直営店でうなぎを食べる。浜松へ来ると、いつもここでいただくことにしている。駅前の観光客で賑わうひつまぶしの店もいいのだが、ひとりでは気軽なのがいちばんなのだ。ひさしぶりに来て見ると、周辺が再開発されたのか、小奇麗にはなっているが、うなぎ屋の隣が吉牛という、妙なテナント配置になっている。
 浜松といえばうなぎ。そういう知識は、実際に東海道線を行き交う電車の窓から、延々と続く養鰻池に、ところどころで畔の水車が回り、噴水のように水が舞っていたあの光景を見ることで、確かなものに裏打ちされていた。
 ところが、今ではどうだろう。新幹線から眺められる養鰻池は、ほとんど全部埋立てられてみごとにその姿を消している。
 浜松のうなぎは、どこにいるのだろう。
 東海道線に乗り換えて、浜名湖を鉄橋で渡り、新居町を過ぎ、鷲津で降りる。関所つながりで新居町で降りてもよかったのだが、鷲津にしたのは、宿泊施設の関係である。
 比較的新しいビジネスホテルができているので、どんなところかと行ってみると、これがいかにも“マンションのつもりで建ててみたけど、気が変わってビジネスホテルにしてみました”というもので、駅はずれの住宅街の中にある。
 設備は新しいし、センスも悪くない。無料の朝食バイキングも、無料にしては充実している。古い観光地であった弁天島周辺にはホテルや旅館もあるが、ここから豊橋までの湖西地域をカバーするビジネスホテルのニーズも、小さくはないと見込んだのは、正解だったのかもしれない。
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 翌日は雨も上がって、快晴となった。鷲津から一駅西の新所原まで行き、そこから天竜浜名湖鉄道に乗り換える。一両編成の電車に乗り換えるとき、そのホームから公園の広場にたくさんの中学生らが集っているのが見えた。この日は土曜日で学校は休みのはずだ。それがなんのためなのか、このときにはまだわからなかった。
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 新所原からは、三駅先の駅が知波田である。知波田の駅は医院の建物を兼ねている。この線では、こういうケースが多い。そこから少し歩くと、松見ヶ浦という名のついた入江が見えてくる。
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 洲ノ鼻は、この入江の口を、巾着のように絞っている岬である。
 浜名湖は、広い汽水域の恵みを受ける漁業もあるが、マリンレジャーの施設も至るところにある。この松見ヶ浦もそのひとつらしく、マリーナや別荘のような建物が湖畔に並ぶ。
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 入江の南側には、宇津山という標高50メートルほどの小山をもった出っ張りがあり、その先端は正太寺鼻であるが、そこへ行く道は途中で消えている。出っ張りの付け根一帯に入出という地名がついているのは、なんとなく出船入船を連想させるが、それは思い込みに過ぎないのであろう。
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 入出の北側、松見ヶ浦に面しては、特別大きなマリーナがあり、たくさんのヨットが係留されている。ここは公共マリーナだという。
 洲ノ鼻のはるか(といっても実際には2キロちょっとくらい)に、赤いアーチ橋が見える。これは猪鼻湖の出入口にあたる新瀬戸橋である。
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(2010/02/06記 2010/03/21Vol.2から移転統合)

▼国土地理院 「地理院地図」
34度45分37.27秒 137度31分54.37秒
sunohanaM.gif
dendenmushi.gif東海地方(2009/12/05 訪問)

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タグ:静岡県
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