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521 虎木岬・赤ヶ崎=須崎市浦ノ内出見(高知県)伝説は大切 [岬めぐり]

 でんでんむしの現在の居住地は東京都中央区であるが、住民票はかれこれ40年ほど鎌倉の隣町にある。先頃の鶴ヶ岡八幡宮の大銀杏が夜半の嵐に倒れたというニュースは、ざまざまな思い出と感慨を呼ぶ。
 この大銀杏のことを初めて知ったのは、まだ広島の洟垂れ小僧の時代に遡るのだから、なかなか古い縁があるのだ。小学生の頃、ぼろぼろになるまで愛読した唯一の聖典であった野ばら社の『児童年鑑』の日本史年表に、公暁の隠れ銀杏がイラストつきで出てきて、よく記憶に残っていた。高校の修学旅行で鎌倉鶴ヶ岡八幡宮を訪れて、初めてこれがあの大銀杏なのだと見上げた。その後、はからずもこの地域に住むことになり、折々長いつきあいだった。
 何が言いたいのかといえば、「伝説は大切」ということである。この伝説がなければ、広島のこどもと、鎌倉の大銀杏を繋ぐ接点は生じなかった。
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 はっきりした位置関係がわかるのでそれと特定できる、出見の虎木岬と赤ヶ崎、それにさらに南の網懸崎が大きく東に張り出して、横浪三里の水路を南北に変換している。
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 虎木岬の遠くには、幾重にも重なる山並みが連なる。左手奥に見えるのが、須崎市最北675メートルの虚空蔵山だろうか。そのずっと奥、ここから見えるわけではないが、西の彼方、愛媛県との県境には四国カルストもある標高1,500メートルの山脈が続いているはずだ。虚空蔵山の南には、弘法大師ゆかりの伝説がある仏坂が続く。
 弘法大師がそこを越えるとき、たなびく紫雲の中に諸仏が現われ、感激する大師が手をついた岩からは不動明王が出た…というのだが、そのことの真偽をうんぬんしたい人はいないだろう。そのことの真偽よりも、そういう話が伝わって仏坂があり、番外霊場としての岩不動尊が今にあるということが尊いのだと思うのである。
 このお不動さんは、そんな伝説のおかげで、ずいぶんと幅広い信仰の対象であったらしいが、明治の排仏毀釈の犠牲になった。遍路道がかろうじてそれを復活させた感もあるようだが、何事に寄らず時代を呑み込む“熱狂ほど怖いものはない”のである。
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 虚空蔵山の北、佐川町にもナウマン博士が地質調査に訪れ、その結果とともに町を紹介したという、これは伝説ではなく史実といえるが、その話を伝えるために町では地質館などの施設をつくって新しい伝説を将来に残そうとしているらしい。
 ナウマンといえば野尻湖で発見された象の名前だと思っている人が多いが、それは単に野尻湖だけが宣伝が行き届いているからである。伝説のつくり方がうまい、とでもいうべきなのか。
 その最初の発見は明治の初めで、場所は意外にも三浦半島の横須賀だった。当時最初にゾウ化石を発見し、研究の第一人者だったナウマン博士の名を、大正時代に槙山という人がつけた。正式名は「ナウマン・マキヤマ」というのが正しいらしい。伝説に頼ることのマイナス面は、細部が切り落とされ、えてして正確な伝承ができないことである。
 その後、日本の各地で、10万年以上も前に闊歩していたナウマン象の化石は見つかっている。佐川町ではいろいろな化石(ラセンつながりで、でんでんむしが欲しいアンモナイトなどの)も出るらしいが、ここでナウマン象の化石が出たわけではない。(505〜507項の浜名湖北部でも発見されていたようだ。)
 とにかく、あれやこれやで、付加体が押し上げられ、幾重にも重なり合ってきた高知県南西部は、地質学的にはとても重要なポイントであるらしい。 
 それにしても…化石は付加体にくっついてきたわけはないだろうから、そのあとでできたのだろうか、いやそれもおかしいな。付加体と化石の関係は、いったいどうなるのだろうと、シロウトの?には果てしがない。景色はそれには答えてくれない。
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 赤ヶ崎は、虎木岬の南の出っ張りで、ちょうど長崎と向き合うような位置にある。

(2010/03/14記 2010/03/21Vol.2から移転統合)

▼国土地理院 「地理院地図」
33度26分20.71秒 133度24分26.30秒ほか
fujuakaM-d99f2.jpg
dendenmushi.gif四国地方(2010/01/22 訪問)

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タグ:高知県
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