504 正太寺鼻=湖西市入出(静岡県)おやおや意外に高い防波堤が… [岬めぐり]
入出マリーナのそばから、宇津山の付け根を越えて、反対側の湖岸に出るべく、畑の中の道を登る。農家というほどたいしたものではなかったが、祖父がその晩年を畑仕事で過ごしていたので、こういう畑の景色にはなんともいえない懐かしさと親しみがある。
すぐにでも、この湖面が見える畑の中へ入っていって、土や作物や草の中に溶け込んでしまいたいような、そんな気分にさえなってしまうのは、自分自身もとうとう祖父の生きた年を越えてしまった、という感慨とともにあるからであろう。
畑を抜けると家々の間を通る道が、湖に沿って延び、そこに人びとの暮らしは集中している。狭い松見ヶ浦に面してではなく、広い浜名湖に向かい合わないと、ここでの生活は成り立たないのだろう。
正太寺(しょうたいじ)というバス停の標識があるが、バスの方は滅多にやってこない。立派な石組みの参道を登った山の上にお寺があるが、こちらの用件はお寺参りではなく、この先端の正太寺鼻を訪ねたい。ところが、お寺の下の道はすぐに行止りになってしまう。それならばと、坂道を登ってみるが、それも人家の門扉に阻まれてしまう。
結局、正太寺鼻は、少し入出集落の南に下って、防波堤の隙間から遠く眺めるしかない。このように、人が立ち入ることもできない岬に、ちゃんと名前がついているのは、もっぱら船から見ての識別の必要性が高かったからではないかと推測される。
ところどころにコンクリート堤防の切れ間に湖岸を四角に切り抜いたような船溜まりがあるが、それにしても、浜名湖岸でこんな高い防波堤が必要なのだろうかと、ふと疑問に思ってしまう。
穏やかな湖面を眺めていると、想像しにくいが、それも過去の経験に学んだ結果に相違ないのだろう。
集落のメインストリートを、住民が大勢歩いてくる。なにか、先ほどまであった集会でも終わったかのようだ。公園にはまだたくさんの人が集っている。
なるほど。この日は湖西市では防災訓練かなにかの行事が行なわれていたのだ。それで、新所原のヘルメット中学生たちとも結びついた。
“東海大地震”という言葉が飛び交うようになってから、もう随分な年月が経過しているような気がする。このあと、湖北部の気賀に行ったときにも防災放送のスピーカーが訓練の連絡事項を叫んでいたので、この訓練は浜名湖周辺すべての市町村が合同で行なっていたものらしい。地元では忘れた頃にやってくる天災の脅威を常に意識しようと努力が続けられている。
入出の町の中心は、愛知県と静岡県の県境の山懐から流れ出てきた太田川の河口左岸に広がる場所で、その何倍もの広さがある右岸一帯は、干拓でできた田畑らしい。
町から小さな峠を越え、ここらも整然と碁盤目に道が走る新開地のようなところを抜け、再び歯医者の建物と一体になっている知波田駅に戻る。
(2010/02/07記 2010/03/21Vol.2から移転統合)
▼国土地理院 「地理院地図」
34度45分26.61秒 137度32分16.77秒
東海地方(2009/12/05 訪問)
すぐにでも、この湖面が見える畑の中へ入っていって、土や作物や草の中に溶け込んでしまいたいような、そんな気分にさえなってしまうのは、自分自身もとうとう祖父の生きた年を越えてしまった、という感慨とともにあるからであろう。
畑を抜けると家々の間を通る道が、湖に沿って延び、そこに人びとの暮らしは集中している。狭い松見ヶ浦に面してではなく、広い浜名湖に向かい合わないと、ここでの生活は成り立たないのだろう。
正太寺(しょうたいじ)というバス停の標識があるが、バスの方は滅多にやってこない。立派な石組みの参道を登った山の上にお寺があるが、こちらの用件はお寺参りではなく、この先端の正太寺鼻を訪ねたい。ところが、お寺の下の道はすぐに行止りになってしまう。それならばと、坂道を登ってみるが、それも人家の門扉に阻まれてしまう。
結局、正太寺鼻は、少し入出集落の南に下って、防波堤の隙間から遠く眺めるしかない。このように、人が立ち入ることもできない岬に、ちゃんと名前がついているのは、もっぱら船から見ての識別の必要性が高かったからではないかと推測される。
ところどころにコンクリート堤防の切れ間に湖岸を四角に切り抜いたような船溜まりがあるが、それにしても、浜名湖岸でこんな高い防波堤が必要なのだろうかと、ふと疑問に思ってしまう。
穏やかな湖面を眺めていると、想像しにくいが、それも過去の経験に学んだ結果に相違ないのだろう。
集落のメインストリートを、住民が大勢歩いてくる。なにか、先ほどまであった集会でも終わったかのようだ。公園にはまだたくさんの人が集っている。
なるほど。この日は湖西市では防災訓練かなにかの行事が行なわれていたのだ。それで、新所原のヘルメット中学生たちとも結びついた。
“東海大地震”という言葉が飛び交うようになってから、もう随分な年月が経過しているような気がする。このあと、湖北部の気賀に行ったときにも防災放送のスピーカーが訓練の連絡事項を叫んでいたので、この訓練は浜名湖周辺すべての市町村が合同で行なっていたものらしい。地元では忘れた頃にやってくる天災の脅威を常に意識しようと努力が続けられている。
入出の町の中心は、愛知県と静岡県の県境の山懐から流れ出てきた太田川の河口左岸に広がる場所で、その何倍もの広さがある右岸一帯は、干拓でできた田畑らしい。
町から小さな峠を越え、ここらも整然と碁盤目に道が走る新開地のようなところを抜け、再び歯医者の建物と一体になっている知波田駅に戻る。
(2010/02/07記 2010/03/21Vol.2から移転統合)
▼国土地理院 「地理院地図」
34度45分26.61秒 137度32分16.77秒
東海地方(2009/12/05 訪問)
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