509 色見崎=土佐市宇佐町竜(高知県)土佐節、かつお節、よさこい節… [岬めぐり]
色見崎は、宇佐の湾をはさんで荻岬の南の対岸に位置している。ただ、この岬は全体が埋立護岸で、両側に防波堤が延びて、一部は駐車場兼公園のようになっているので、その名前が残るだけ。
その名もすごい「かにごく道」で、かつお茶漬けをいただいた後、タクシーを呼んでもらって、宇佐大橋を渡り、ここまでやってきたのだが、萩の浜周辺のことも書いておかなければならない。前項でちょっとだけふれた、土佐節の碑と、くじらのモニュメントの写真。
かつお節のことを、このあたりでは「土佐節」と呼ぶ。その技法は、江戸時代後期にはかなり全国あちこちで広まっていたようだが、それぞれ秘伝として一部にその技術や製法が限定されていたフシがある。
宇佐の海岸に建っていた「改良土佐節発祥の浦」の石碑には、播磨屋亀蔵・左之助という人が、紀州印南の漁師から教わった製法に改良を重ね、この地に定着させた、といわれを記していた。亀蔵の生誕200年の記念に昭和56年に建てられたというこの碑では、彼らが明治政府の産業振興政策に協力して、全国各地に招かれて指導にあたった功績を讃えている。
土佐はかつおだけでなく、「よさこい節」の文句にもあるようにくじらでも有名だった。もちろん、今ではホエール・ウオッチングに、その名残を残すのみ。こんなくじらを見ていると、どうしても昨今のニュースが思い起こされる。
国際政治的な駆け引きにまるで弱い日本が、ついに現在のような状況に追い込まれたのは、いたしかたのない点もあるし、そんなに日本人の誰もがくじらを食べたいとは思っていないはずだが、シー・シェパードのような横暴に、政府がなんらか毅然とした態度を示すことは必要であろう。
前項の荻岬の写真でも、宇佐の湾にはその沖合に一筋の防波堤が横たわっている。写真では砂浜か堤防かあまりよくわからないが、地図で見ると、その向うには砂洲がはっきり示されている。湾内はたいの養殖場になっていると、これも地図には記してある。
こんな川も流れ込んでいない湾内に、砂洲ができるのもめずらしい。潮の流れが回るためか、はたまた船の航行と波除けのために、人工的につくられたものか…。
宇佐大橋の西側は、横浪三里という別名をもつ入り組んだ浦ノ内湾が続いているが、こちらへは翌日のコースに予定しているので、この日は国民宿舎土佐へ向かうため、橋を渡ってまっすぐ南へ向かい、土佐市宇佐町竜までやってきた。
土佐市は、仁淀川を境として高知市の西隣に高知自動車道を軸にして広がる。横浪三里は宇佐大橋の付近だけが市域で、その南にあって太平洋に並行して延びる半島は、東の端っこだけが土佐市にあたるここ宇佐町竜には、色見崎をはじめ四つの岬がある。
実は、ここも初めてではない。もっとも、最初に来たときは、車で桂浜から宇佐まで直行し、国民宿舎土佐でランチタイムを過ごして、須崎経由で四万十を目指した。人の運転する車に乗って、ただやたら長い道をひたすら走るだけだったので、ほとんど記憶がないが、それでも“再訪”には違いない。
(2010/02/18記 2010/03/21Vol.2から移転統合)
▼国土地理院 「地理院地図」
33度26分2.79秒 133度27分6.04秒
四国地方(2010/01/21 再訪)
その名もすごい「かにごく道」で、かつお茶漬けをいただいた後、タクシーを呼んでもらって、宇佐大橋を渡り、ここまでやってきたのだが、萩の浜周辺のことも書いておかなければならない。前項でちょっとだけふれた、土佐節の碑と、くじらのモニュメントの写真。
かつお節のことを、このあたりでは「土佐節」と呼ぶ。その技法は、江戸時代後期にはかなり全国あちこちで広まっていたようだが、それぞれ秘伝として一部にその技術や製法が限定されていたフシがある。
宇佐の海岸に建っていた「改良土佐節発祥の浦」の石碑には、播磨屋亀蔵・左之助という人が、紀州印南の漁師から教わった製法に改良を重ね、この地に定着させた、といわれを記していた。亀蔵の生誕200年の記念に昭和56年に建てられたというこの碑では、彼らが明治政府の産業振興政策に協力して、全国各地に招かれて指導にあたった功績を讃えている。
土佐はかつおだけでなく、「よさこい節」の文句にもあるようにくじらでも有名だった。もちろん、今ではホエール・ウオッチングに、その名残を残すのみ。こんなくじらを見ていると、どうしても昨今のニュースが思い起こされる。
国際政治的な駆け引きにまるで弱い日本が、ついに現在のような状況に追い込まれたのは、いたしかたのない点もあるし、そんなに日本人の誰もがくじらを食べたいとは思っていないはずだが、シー・シェパードのような横暴に、政府がなんらか毅然とした態度を示すことは必要であろう。
前項の荻岬の写真でも、宇佐の湾にはその沖合に一筋の防波堤が横たわっている。写真では砂浜か堤防かあまりよくわからないが、地図で見ると、その向うには砂洲がはっきり示されている。湾内はたいの養殖場になっていると、これも地図には記してある。
こんな川も流れ込んでいない湾内に、砂洲ができるのもめずらしい。潮の流れが回るためか、はたまた船の航行と波除けのために、人工的につくられたものか…。
宇佐大橋の西側は、横浪三里という別名をもつ入り組んだ浦ノ内湾が続いているが、こちらへは翌日のコースに予定しているので、この日は国民宿舎土佐へ向かうため、橋を渡ってまっすぐ南へ向かい、土佐市宇佐町竜までやってきた。
土佐市は、仁淀川を境として高知市の西隣に高知自動車道を軸にして広がる。横浪三里は宇佐大橋の付近だけが市域で、その南にあって太平洋に並行して延びる半島は、東の端っこだけが土佐市にあたるここ宇佐町竜には、色見崎をはじめ四つの岬がある。
実は、ここも初めてではない。もっとも、最初に来たときは、車で桂浜から宇佐まで直行し、国民宿舎土佐でランチタイムを過ごして、須崎経由で四万十を目指した。人の運転する車に乗って、ただやたら長い道をひたすら走るだけだったので、ほとんど記憶がないが、それでも“再訪”には違いない。
(2010/02/18記 2010/03/21Vol.2から移転統合)
▼国土地理院 「地理院地図」
33度26分2.79秒 133度27分6.04秒
四国地方(2010/01/21 再訪)
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