507 白山鼻=浜松市西区佐浜町(静岡県)まあとりえといえばあきらめだけは妙によいのである [岬めぐり]
もともと几帳面な性格でもないし、マメな人間でもない。計画性も一見あるようにみえるが、実はたいていのことは行き当たりばったりである。
この「岬めぐり」も、そもそもそのつもりではないので人様の参考になるような旅の記録にはなっていないし、計画の立て方や実行の結果も、マヌケなところが多くて、かなりいい加減である。
過去に既に行ったところのデータ管理さえ、まるでなっていないので、この浜名湖東部も、弁天島から北上して浜名湖ロイヤルホテルに泊り、白山鼻を見ながらフラワーパークへ行ったこともあるのだが、その写真がどこにも見当たらない。
浜名湖の岬で、あとひとつ残った白山鼻へは、また再び来ることもないだろうから、ことのついでにここで記録しておかなければなるまい。
そこで、今回もあわよくば自転車で白州か佐浜町辺りまで行ければいいかなという気もあったが、大草山まで登るだけで大変だったので、ここからさらに南下して同じ道をまた登って帰ってくることも、そのまま弁天島まで行ってレンタサイクルを乗り捨てることも、どちらもすぐにあきらめてしまった。
あきらめだけは、妙によいのである。そして、それこそがいろんなこととうまく折り合いをつけていく、唯一の秘訣である。(もちろん、コトとシダイによることはことわるまでもあるまいが…)
そんなのんきなことを言えるのは、これまでの人生であまり深刻で悲惨な目にあってこなかったからだ、といえばそうかもしれない。
人生では数多くの岐路に立たされ、どっちへ踏み出すかでその後は大きく変わってくる。ただ、幸せなことは、常にその両方を経験することも、あとから追体験することもやり直すことも不可能であるから、人間は常にあきらめて現状を肯定するしかないのである。
…と、大きく出ておいて、いきなり卑近な話に戻ると、このときも国民宿舎かんざんじ荘からさらに登って、ロープウエイのところまで行けば、もう少し高度が上がるので、白山鼻の遠望写真も、もうちょっとはましなものが撮れたかもしれなかった。
だが、この日の強風で、マフラーをどこかで飛ばしてきたことに気づいてしまった。それを探してうろうろしているうちに、山上に登る気も失せてしまった。マフラーも発見できなかった。
人生って、そういうもんでしょ。
帰りはまた天竜浜名湖線で新所原に戻り、豊橋まで行って新幹線に乗って帰ってきた。帰りの天竜浜名湖線で、こんな真っすぐな線路を見ると、いつもつい写真を撮りたくなってしまうのは、人生ではこんなにスッキリ一直線に走れないからだろう(またまた牽強付会)と、勝手にこじつけて納得。
ほんとうは、真っすぐな道より、曲がりくねった道のほうがおもしろいこともあるのだろうが、曲がりくねった道は写真にならない。
この「岬めぐり」の古い読者の方がおられれば、これまでもところどころで「写真が見当たらない」ということを書いていたことをご記憶かもしれない。
若い頃の一時期、写真に凝ろうという気も芽生えかけたこともあったが、なにか空しさが先に立って、やりとげなかった。コンピュータだけは、そのマイコン時代の萌芽期から一貫して使ってきたので、周辺技術の進化にたいしては常にほとんど第一期ユーザーであった。デジタルカメラも、そのいちばん最初に一般に売り出された製品はAppleの“一つ目の双眼鏡”のようなシロモノで、これ以来フィルムカメラを使うことがなくなってしまった。
そのデータは、iPhotoの中に次々に放り込んで、フォルダをつくってはいるのだが、これもコンピュータを買い替えたり、システムが大きく切り変わったときなどが、どうも問題らしい。
また、デジタルデータで保管したつもりの画像データは、プリントした写真に輪をかけて散逸しやすい。というより、探しにくい。MOに入れたつもりのデータは、もはや機器そのものをはずしてしまっているので、探し出せない。
新技術の進歩の過程では、ある程度やむを得ないこととはいえ、デジタルデータの整理という基本でさえ、完全な道筋は未だに見通せないでいる。
そんなこんなで、「過去に訪ねたことがあるのに、写真が見当たらないので再訪する必要がある」という地域は、まだあと四つもある。
ひとつは京都府の最北端・經ヶ岬を始めとする丹後半島であり、玄界灘に面した宗像市周辺であり、また日本最西端の与那国島の西崎であり、いまひとつは四国最南端・足摺岬に至る高知県西部である。丹後半島の写真がなぜないか、それにはまたはっきりした理由もあるのだが、それはまたその再訪時にとっておくことにしよう。
次回からは、このうちの高知県西部の再訪岬めぐりを始める。
(2010/02/14記 2010/03/21Vol.2から移転統合)
▼国土地理院 「地理院地図」
34度44分23.14秒 137度38分8.87秒
東海地方(2009/12/05 訪問)
この「岬めぐり」も、そもそもそのつもりではないので人様の参考になるような旅の記録にはなっていないし、計画の立て方や実行の結果も、マヌケなところが多くて、かなりいい加減である。
過去に既に行ったところのデータ管理さえ、まるでなっていないので、この浜名湖東部も、弁天島から北上して浜名湖ロイヤルホテルに泊り、白山鼻を見ながらフラワーパークへ行ったこともあるのだが、その写真がどこにも見当たらない。
浜名湖の岬で、あとひとつ残った白山鼻へは、また再び来ることもないだろうから、ことのついでにここで記録しておかなければなるまい。
そこで、今回もあわよくば自転車で白州か佐浜町辺りまで行ければいいかなという気もあったが、大草山まで登るだけで大変だったので、ここからさらに南下して同じ道をまた登って帰ってくることも、そのまま弁天島まで行ってレンタサイクルを乗り捨てることも、どちらもすぐにあきらめてしまった。
あきらめだけは、妙によいのである。そして、それこそがいろんなこととうまく折り合いをつけていく、唯一の秘訣である。(もちろん、コトとシダイによることはことわるまでもあるまいが…)
そんなのんきなことを言えるのは、これまでの人生であまり深刻で悲惨な目にあってこなかったからだ、といえばそうかもしれない。
人生では数多くの岐路に立たされ、どっちへ踏み出すかでその後は大きく変わってくる。ただ、幸せなことは、常にその両方を経験することも、あとから追体験することもやり直すことも不可能であるから、人間は常にあきらめて現状を肯定するしかないのである。
…と、大きく出ておいて、いきなり卑近な話に戻ると、このときも国民宿舎かんざんじ荘からさらに登って、ロープウエイのところまで行けば、もう少し高度が上がるので、白山鼻の遠望写真も、もうちょっとはましなものが撮れたかもしれなかった。
だが、この日の強風で、マフラーをどこかで飛ばしてきたことに気づいてしまった。それを探してうろうろしているうちに、山上に登る気も失せてしまった。マフラーも発見できなかった。
人生って、そういうもんでしょ。
帰りはまた天竜浜名湖線で新所原に戻り、豊橋まで行って新幹線に乗って帰ってきた。帰りの天竜浜名湖線で、こんな真っすぐな線路を見ると、いつもつい写真を撮りたくなってしまうのは、人生ではこんなにスッキリ一直線に走れないからだろう(またまた牽強付会)と、勝手にこじつけて納得。
ほんとうは、真っすぐな道より、曲がりくねった道のほうがおもしろいこともあるのだろうが、曲がりくねった道は写真にならない。
この「岬めぐり」の古い読者の方がおられれば、これまでもところどころで「写真が見当たらない」ということを書いていたことをご記憶かもしれない。
若い頃の一時期、写真に凝ろうという気も芽生えかけたこともあったが、なにか空しさが先に立って、やりとげなかった。コンピュータだけは、そのマイコン時代の萌芽期から一貫して使ってきたので、周辺技術の進化にたいしては常にほとんど第一期ユーザーであった。デジタルカメラも、そのいちばん最初に一般に売り出された製品はAppleの“一つ目の双眼鏡”のようなシロモノで、これ以来フィルムカメラを使うことがなくなってしまった。
そのデータは、iPhotoの中に次々に放り込んで、フォルダをつくってはいるのだが、これもコンピュータを買い替えたり、システムが大きく切り変わったときなどが、どうも問題らしい。
また、デジタルデータで保管したつもりの画像データは、プリントした写真に輪をかけて散逸しやすい。というより、探しにくい。MOに入れたつもりのデータは、もはや機器そのものをはずしてしまっているので、探し出せない。
新技術の進歩の過程では、ある程度やむを得ないこととはいえ、デジタルデータの整理という基本でさえ、完全な道筋は未だに見通せないでいる。
そんなこんなで、「過去に訪ねたことがあるのに、写真が見当たらないので再訪する必要がある」という地域は、まだあと四つもある。
ひとつは京都府の最北端・經ヶ岬を始めとする丹後半島であり、玄界灘に面した宗像市周辺であり、また日本最西端の与那国島の西崎であり、いまひとつは四国最南端・足摺岬に至る高知県西部である。丹後半島の写真がなぜないか、それにはまたはっきりした理由もあるのだが、それはまたその再訪時にとっておくことにしよう。
次回からは、このうちの高知県西部の再訪岬めぐりを始める。
(2010/02/14記 2010/03/21Vol.2から移転統合)
▼国土地理院 「地理院地図」
34度44分23.14秒 137度38分8.87秒
東海地方(2009/12/05 訪問)
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