522 長崎=須崎市浦ノ内今川内(高知県)浦ノ内湾の成立はふたつの時期に分かれる? [岬めぐり]
早期地震警戒システムとしては世界初という緊急地震速報(EEW)を、3月14日(日曜日)の夕方に起きた福島沖地震で初めて体験した。P波を捉えてS波が来る前に警報を出すというシステムは、これまで実際にその場面に遭遇したことがなかったのだが、その日は毎週楽しみにして見ているTBSのアニメ『鋼の錬金術師』が始まって間もなくだった。
警報音とともに、画面に緊急速報の文字が出た。一瞬、こういうときすぐに机の下にでももぐり込むべきかどうすべきかわからず、思わず固まってしまったが、数十秒後に揺れが始まった。
これは、えらいものである。たとえ数十秒であっても、いざとなればできることもあるはずだが、問題は自分のいる場所でのリスクがどの程度なのかが、瞬時に判断できないことであろう。
先のチリ地震津波警報のときにも、『鋼の錬金術師』の録画にテロップが入ってじゃまだという苦情があったとかいう騒ぎもあったというが、ま、それもひとつの記録ですから、いいじゃないですか。
それともうひとつ、津波が「大」でなかったと気象庁が謝ったりする必要なんて、これっぽっちもありませんよ。
浦ノ内灰方の埋立から乗った巡航船が虎木岬を過ぎた辺りで、「次、長崎です。ここで降りられますか」と乗務員のおにいさんが声をかけてくれた。
「降ります、降ります」
浦ノ内今川内は横浪三里の南岸、横浪半島側の小さな出っ張りで、コンクリートの堤防がある。そのわずかな幅の斜面が長崎の船着場である。
船の舳先につけられた古タイヤが、音もなくコンクリートに接岸した瞬間に、堤防側に飛び移る。なにもないところで、いささか不安になり、回頭していく船のおにいさんに、「ここで待っていればいいんですね?」と念を押す。
「そうです。向うにもう見えてますよ。あの船が来ます」
なるほど、向うからこちらにやってくる船影が見える。
長崎は、出っ張りの内側に入ったところに数戸の集落があり、宇佐大橋の下から湾岸に続く細い道も、ここで途切れる。
その長崎の写真がない。
後から思えば、斜路を上がって、長崎の写真を撮るべきだったのだろうが、折り返しの船がどんどん近づいており、その船にここで乗客が待っていることをしっかり認識してもらわないと、さっさと通り過ぎてしまうだろう。そうなると、大変なことになるので、うかつにここを離れるわけにもいかないのである。
そんなわけで、ここは長崎の船着き場の斜路から撮った船の写真ぐらいしかない。
だいたい東西に伸びる浦ノ内湾全体からみれば、この長崎の位置は、まだ半分にも満たない。
それなのになぜ、ここで巡航船を降りなければならなかったか、それは517 灰方崎の項で触れたとおりなのだが、もうひとつの理由がある。
実を言うと、ここから見える網懸崎が、湾内最後の岬であって、これより湾の西奥に行っても、もう岬はないのである。距離的には半分以上あるのにもかかわらず、ひとつもない…。
出っ張りがないわけではない。大小いくつもの出っ張りはたくさんあるが、岬・崎・鼻と名前がついているところが、この先では見事になくなる。
これはいったいどうしたことか、大いに不思議なことである。
またまた勝手な想像を膨らませてみると、この広い谷に海水が流れ込んできた時期は、大きく二段階に分かれるのではないだろうか、という仮説が成り立つ。そうした大規模な地殻変動をもたらすものは、大地震が考えられる。
まずはじめに現在の湾の東半分ほどが水没した。その状態でかなり長い年月が人の暮しの間にあって流れた。それは、岬に名前がつけられるほどの長い時間であったろう。
それからだいぶ経って、また新たな地殻変動が加わり、湾の西側まで水域が広がった…。その新しく拡大した水域には、岬の名がまったくついていない。そのうえ、これも単なる偶然なのかどうか、この水域だけに岸近くに小島が7つも点在しているのはなぜ…。
こうしたシロウトの勝手な推測にも、いくらか妥当性があるのか、当たっているのか、それともまるで見当違いなのか、専門的な知見をおもちの方があればどなたか教えていただければありがたいのだが…。
(2010/03/16記 2010/03/21Vol.2から移転統合)
▼国土地理院 「地理院地図」
33度26分2.28秒 133度24分40.35秒
四国地方(2010/01/22 訪問)
警報音とともに、画面に緊急速報の文字が出た。一瞬、こういうときすぐに机の下にでももぐり込むべきかどうすべきかわからず、思わず固まってしまったが、数十秒後に揺れが始まった。
これは、えらいものである。たとえ数十秒であっても、いざとなればできることもあるはずだが、問題は自分のいる場所でのリスクがどの程度なのかが、瞬時に判断できないことであろう。
先のチリ地震津波警報のときにも、『鋼の錬金術師』の録画にテロップが入ってじゃまだという苦情があったとかいう騒ぎもあったというが、ま、それもひとつの記録ですから、いいじゃないですか。
それともうひとつ、津波が「大」でなかったと気象庁が謝ったりする必要なんて、これっぽっちもありませんよ。
浦ノ内灰方の埋立から乗った巡航船が虎木岬を過ぎた辺りで、「次、長崎です。ここで降りられますか」と乗務員のおにいさんが声をかけてくれた。
「降ります、降ります」
浦ノ内今川内は横浪三里の南岸、横浪半島側の小さな出っ張りで、コンクリートの堤防がある。そのわずかな幅の斜面が長崎の船着場である。
船の舳先につけられた古タイヤが、音もなくコンクリートに接岸した瞬間に、堤防側に飛び移る。なにもないところで、いささか不安になり、回頭していく船のおにいさんに、「ここで待っていればいいんですね?」と念を押す。
「そうです。向うにもう見えてますよ。あの船が来ます」
なるほど、向うからこちらにやってくる船影が見える。
長崎は、出っ張りの内側に入ったところに数戸の集落があり、宇佐大橋の下から湾岸に続く細い道も、ここで途切れる。
その長崎の写真がない。
後から思えば、斜路を上がって、長崎の写真を撮るべきだったのだろうが、折り返しの船がどんどん近づいており、その船にここで乗客が待っていることをしっかり認識してもらわないと、さっさと通り過ぎてしまうだろう。そうなると、大変なことになるので、うかつにここを離れるわけにもいかないのである。
そんなわけで、ここは長崎の船着き場の斜路から撮った船の写真ぐらいしかない。
だいたい東西に伸びる浦ノ内湾全体からみれば、この長崎の位置は、まだ半分にも満たない。
それなのになぜ、ここで巡航船を降りなければならなかったか、それは517 灰方崎の項で触れたとおりなのだが、もうひとつの理由がある。
実を言うと、ここから見える網懸崎が、湾内最後の岬であって、これより湾の西奥に行っても、もう岬はないのである。距離的には半分以上あるのにもかかわらず、ひとつもない…。
出っ張りがないわけではない。大小いくつもの出っ張りはたくさんあるが、岬・崎・鼻と名前がついているところが、この先では見事になくなる。
これはいったいどうしたことか、大いに不思議なことである。
またまた勝手な想像を膨らませてみると、この広い谷に海水が流れ込んできた時期は、大きく二段階に分かれるのではないだろうか、という仮説が成り立つ。そうした大規模な地殻変動をもたらすものは、大地震が考えられる。
まずはじめに現在の湾の東半分ほどが水没した。その状態でかなり長い年月が人の暮しの間にあって流れた。それは、岬に名前がつけられるほどの長い時間であったろう。
それからだいぶ経って、また新たな地殻変動が加わり、湾の西側まで水域が広がった…。その新しく拡大した水域には、岬の名がまったくついていない。そのうえ、これも単なる偶然なのかどうか、この水域だけに岸近くに小島が7つも点在しているのはなぜ…。
こうしたシロウトの勝手な推測にも、いくらか妥当性があるのか、当たっているのか、それともまるで見当違いなのか、専門的な知見をおもちの方があればどなたか教えていただければありがたいのだが…。
(2010/03/16記 2010/03/21Vol.2から移転統合)
▼国土地理院 「地理院地図」
33度26分2.28秒 133度24分40.35秒
四国地方(2010/01/22 訪問)
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