512 伊坂ノ鼻=土佐市宇佐町竜(高知県)恩師のために一宇を建立した空海の見た風景とは [岬めぐり]
人間の記憶というのは妙なもので、十数年も前のこととなると、ほとんど忘れているのに、ある場面、ある瞬間の情景だけが、そこだけ切り取って保存しておいたように鮮明である。
自動車道からそれて、国民宿舎土佐へ向かう急坂のコンクリート壁を円を巻いて車が登るとき、「そうだ、確かにここには同じようにして来たことがある」とそのときの記憶が甦る。
ここのすばらしさは、なんといってもその眺望で、ここから先にも同様の施設もなく、山の上で唯一の存在価値を誇っている。国民宿舎だから、食事も料金なみだし、部屋は畳で布団も自分で勝手に敷けという、いたってお手軽なものだが、かえって気楽でいいし、一人でもごたごたいわずに泊めてくれるところがなによりである。
もっとも、今はシーズンオフの平日、食事の時にテーブルに仕度してある席を数えてみたら、15人にも満たなかった。
ここから眺める白ノ鼻の手前400メートルくらいのところに、伊坂ノ鼻という名を持つ岬がある。
ホンの小さな出っ張りで、なぜここにわざわざ名前をつけなければならなかったのか、不思議に思える。その伊坂ノ鼻は、微妙な位置にあって、国民宿舎土佐からは、屋上に上がってみてもわずかに隠れてしまって見えない。
宿舎の野天風呂からも、白ノ鼻は見えるが、伊坂ノ鼻は影になる。
結局、翌朝に青龍寺から自動車道を上って戻る途中に、卯尾付き保安林の標識のある山に一か所だけある切れ目から、フェンス越しに覗いて、やっと見えた。
朝の弱い光の中にくろぐろと立つ岩は、非力だが、強い精神を秘めた人間の家族像のようにも見える。なるほど、これにはなにか名前くらいつけたくもなろう。
だが、ここから南に延びる五色ヶ浜という名がついた断崖の海岸線には、似たような岩もいろいろある。
宿舎の裏手からは、青龍寺の奥の院につながる細道がある。ここへ行って見れば展望が期待できるかも知れない。
なぜならば、青龍寺こそが八十八ヶ所のうち、空海が恵果から真言密教の奥義を授けられた寺の名だからである。帰国した空海は、「恩師のために一宇を建立したし景勝の地に留まれ」といって独鈷杵を投げた。その到達場所がここだった、ということになっている。つまり、本来の青龍寺の場所は奥の院である。ここと山の下の青龍寺を結ぶ遍路道は、自動車道によって切断されているが、奥の院への道はきれいに整備されている。どうやら、これは国民宿舎土佐の努力もあるように思われた。
NHKの番組で、卓球選手の女性が八十八ヶ所を歩くというのを放送していたときに、この遍路道の道標を独力でつくって、要所に掲示している人というのが紹介されたことがある。
それまで、何の気なしに見ていたこのマークだが、四国の多くの人びとの接待の精神とあわせて、胸を打つものがある。
残念ながら、奥の院からの展望は、さっぱりであった。空海が悪いわけでも、独鈷杵が落ちるところを間違えたわけでもあるまい。人間の手がおよばない自然は、長い年月の間にすっかり変わってしまう。
『空海の風景』(司馬遼太郎)という本は、もう随分昔になるが、そのタイトルに魅かれて読んだ本である。空海の見た風景、空海がつくりだした風景とは、どんなものだったのだろう。
これも奥の院からではないが、西の海に、うっすらと陸地が見えている。右手の高い山が今ノ山(標高869メートル)だとすれば、その左手の先端は、まぎれもなく足摺岬である。
(2010/02/24記 2010/03/21Vol.2から移転統合)
▼国土地理院 「地理院地図」
33度25分39.07秒 133度27分32.46秒
四国地方(2010/01/21〜22 訪問)
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