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1972☆『思い出の索引』★でんでんむし@アーカイブス☆わたしたちが生きてきた時代とは… [年表]

われわれはどこから来て、どこへ行こうとしているのだろうか…? 

1972mark.jpg昭和47年 壬子(みずのえね)
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◯北アイルランド、ロンドンデリーでカトリック系住民と英軍衝突。市民13人死亡。
◯米、ニクソン大統領が中国訪問。北京に到着、米中共同宣言。平和五原則に合意。
◯北アイルランドのテロ頻発し、英が一年間の直接統治を発表。
◯米ソを含む47か国が、モスクワで生物兵器禁止条約に調印。
◯キッシンジャー補佐官が訪ソ。パリで北ベトナム特別顧問と秘密会談。
◯パリ会談中断。2か月後に再開。
◯米、ニクソン大統領が北ベトナムの全港湾喜来封鎖の強硬措置。
◯米、ニクソン大統領が訪ソ。米ソ共同声明。
◯ワシントン・ポスト紙が対北ベトナム外交交渉の秘密文書を暴露。
◯西独ミュンヘンのオリンピックでアラブゲリラがイスラエル選手村を銃撃事件起こり、警官隊と銃撃戦で15人死亡。
◯西独・ポーランドが33年ぶりに外交関係樹立。
◯米ソ、SALT(戦略兵器制限交渉)条約を批准。
◯米大統領選挙でニクソンが大勝。
◯北爆を北緯20度以北に拡大。

◯パキスタンが英連邦を脱退。ブット大統領が中国訪問。
◯インドとバングラデシュが友好協力平和条約に調印。
◯北ベトナム軍が全土に渡る大攻勢。ミグ戦闘機がトンキン湾の米艦隊を初攻撃。米軍もハノイ、ハイフォンを爆撃。
◯セイロンが新憲法、国名をスリランカと改称。
◯イスラエルテルアビブ空港で、日本人ゲリラ3人による乱射事件。26人死亡。
◯中国が前年の林彪事件を公表。
◯ニクソンが対北ベトナム和平協定案に同意。
◯南ベトナム大統領、解放戦線と直接交渉の用意があると声明。

◉佐藤首相がワシントンを訪問、ニクソン大統領と沖縄返還を5/15とする共同声明発表。
◉第11回冬季オリンピックが札幌で開催。
◉連合赤軍5人が、軽井沢浅間山荘に立て篭もり銃撃戦。逮捕後、自供により14人のリンチ殺害も判明。
◉沖縄返還交渉の公電を洩らした外務省蓮見事務官と毎日新聞西山記者を逮捕。
◉沖縄の施政権が返還される。沖縄県が発足。
◉田中通産相が「日本列島改造論」を発表。
◉佐藤首相が引退表明。
◉自民党臨時党大会で、決選投票で福田赳夫を破った田中角栄が総裁に。
◉連続2797日の記録を立てた佐藤内閣が総辞職。
◉田中角栄内閣の成立。三木、大平、中曽根らが入閣。
◉田中首相が中国訪問。共同声明で日中国交正常化。
◉国府が対日外交関係を断絶宣言。
◉第二次田中内閣、福田内務相で入閣。

・この年に亡くなった人にはこんな人も…。平林たい子。鏑木清方。広瀬正。霧立のぼる。川端康成。水野成夫。伊東深水。中村雨紅。小汀利得。川上澄生。東海林太郎。柳家金語楼。飯田蝶子。杉本京太。モーリス・シュヴァリエ。エドガー・スノー。フレドリック・ブラウン。マウリッツ・エッシャー。ジョン・エドガー・フーヴァー。ハリー・S・トルーマン。

◎グアム島のジャングルから元日本兵横井庄一帰還。
◎住友金属鉱山が別子銅山の閉鎖を発表。
◎古河鉱業が足尾銅山の閉鎖を発表。
◎北陸トンネル内で急行列車が火災。死者29人、重軽傷者719人。
◎全購連と全販連が合併して、全国農業協同組合連合会が発足。
◎大阪千日前、千日デパートのビル火災で118人が死亡。
◎三井物産と三菱商事が日中貿易四条件の受入を表明。
◎名古屋地裁四日市支部が四日市ぜんそく訴訟判決で、6社に損害賠償を命じる。
◎森永ヒ素ミルク事件で、森永乳業が後遺症との因果関係を認める。
◎東京・神奈川・千葉の一都二県が、“東京湾は死の海”との調査結果を発表。
◎東京内幸町のNHK放送会館を三菱地所が354億円で落札。(坪1111万円)
◎内海魚から高濃度のPCBが検出されたと政府が公表。
◎筑波研究学園都市への各機関などの移転が開始。
◎台風並み低気圧通過の春山富士山で遭難。死者24人。
◎昭和13年に樺太国境を越えてソ連に亡命した岡田嘉子が34年ぶりの帰国。
◎ダイエーが売上高で三越を抜き、小売業1位に。
◎大蔵省が海外渡航時の外貨持ち出し制限を撤廃。
◎国鉄東京駅に総武・横須賀線の地下ホーム開設。総武地下新線の東京=錦糸町間も開通。横須賀線と総武線の乗り入れ直通運転。
◎新幹線、新大阪=岡山間も開業、延伸。
◎フィリピンのルバンで元日本兵3人の生存が確認、1人射殺される。
◎次期主力機に日航がボーイング747SR、全日空がロッキードL1010の導入を決定。
◎封書20円、はがき10円に郵便料金値上げ。
◎カシオ計算機、パーソナル電卓「カシオミニ」発売。1万2800円で飛ぶように売れる。10か月で100万台突破。
◎中国から贈られたパンダが上野動物園に到着。
◎パンダ公開の上野動物園、初日に1万5000人が殺到。押し合いへし合いしながら進む大行列に「立ち止まらないで進んでください」と。
◎奈良明日香村の高松塚古墳で、極彩色の壁画発見。
◎川端康成が神奈川県逗子の仕事場マンションでガス自殺。
◎映画・演劇・タウン情報誌「ぴあ」創刊。

■流 行:列島改造論で土地ブーム・ベルばら・パンダ。
■テレビ:木枯らし紋次郎。
■邦 画:熊井啓/忍ぶ川・深作欣二/軍旗はためく下に・山田洋次/故郷。
■洋 画:フランシス=フォード=コッポラ/ゴッドファーザー・ボブ=フォッシー/キャバレー・ロナルド=ニーム/ポセイドン=アドベンチャー・サム=ペキンパー/ゲッタウェイ。
■ 歌 :ちあきなおみ/喝采・古井戸/さなえちゃん・遠藤賢司/カレーライス・宮史郎とぴんからトリオ/女のみち・小柳ルミ子/瀬戸の花嫁・よしだたくろう/旅の宿・結婚しようよ・天地真理/ひとりじゃないの・山本リンダ/どうにもとまらない・青い三角定規/太陽がくれた季節・和田アキ子/あの鐘を鳴らすのはあなた・トワ=エ=モワ/虹と雪のバラード・橋幸夫/子連れ狼・奥村チヨ/終着駅・麻丘めぐみ/芽ばえ・ペドロ&カプリシャス/別れの朝・郷ひろみ/男の子女の子・三善英史/雨・森昌子/せんせい・ガロ/学生街の喫茶店・あがた森魚/赤色エレジー・アグネス=チャン/ひなげしの花・朱里エイコ/北国行きで。
■ 本 :有吉佐和子/恍惚の人・山崎豊子/サンダカン八番娼館・遠藤周作/ぐうたら人間学。
■ことば:恥ずかしながら帰ってまいりました・あっしにはかかわりのねえことで・未婚の母・同棲時代・恍惚・総括・三角大福。

❖年表の元ネタ主な参考資料三省堂『コンサイス世界年表』三省堂編修所編。河出書房新社『昭和・平成 家庭史年表』下川耿央・家庭総合研究会編。小学館『昭和・平成 現代史年表』神田文人編など。

dendenmushi.gif(2015/02/02 でんでんむし蛇足の記1972)
 グアム島の元日本兵が帰還したというこの年のニュースは、もう戦争の記憶も薄れかけていて、経済成長という言葉に浮き足立って土地ブームに踊らされ始めていた日本人をおおいに驚かせた。
 国連の中国招請の決議にさいしては、重要事項指定決議の提案国になってなんとか国府の追放を防ごうと努力してきた日本政府も、佐藤に変わった田中首相の訪中で、世界の大勢に従うことになる。
 しかし、へそまがりでんでんむしは、中国と仲良くなるに越したことはないが、そんなに急にうまくいくものだろうかと疑念があった。相手の国の体制が少しでも変わればともかく…。
 さて、新たな使命をもって始めた実務書編集だが、経理・税務・総務・人事といった会社のいわゆる実務の指針になるような情報は、それまで主として雑誌などが多く、単行本では専門書ばかりで類似の出版物は少なかった。
 そういうその道では名の通った専門家に執筆を依頼するには、あまりにも敷居が高すぎた。こういう本というモデルがないうえに、聞いたこともないような出版社がいろいろ注文をつけようとしたところで、まず話も聞いてもらえない。
 そこで、直接販売ルートでやっている雑誌の経験を活かして、できるだけ実務家のかかえる問題点にいちばん近いところにいる実務家その人に執筆してもらおうと考えた。実務家というのは、現実に会社で現場でその仕事に携わっている、あるいはそういう経験をもつ人だから、読者にもいちばん近い人のことである。
 だが、そういう人は毎日の業務が多忙で、一冊の単行本の原稿を書く時間となると、日曜休日と夜しかない。おまけに、ほとんどの人が原稿を書くという経験はまずない。生まれて初めてという人に、原稿を書いてもらうというのも大変なことだ。あるいは“むちゃ”というべきかも知れない。
 しかし、そこは著者の意欲に期待しながら、できる限りのサポートを編集者がしてあげなければならない。
 最初に出したのは経理実務の入門書で、著者はある上場会社で経理係長をしている人だった。中小企業ではなかったが、経理の基本の入門については同じだから問題はない。
 幸い、書くことにも興味があり、意欲も充分だったので、比較的進行もどうにかうまくいって、原稿の内容もよいできだった。
 そうしてやっと初めての単行本を送り出してみると、今度は不安がよぎる。もしかして、読者がまったくいなかったらどうしよう。1冊も売れないということはないだろうが、ほとんど売れないで返品の山になったらどうしよう…。
 日本の出版の基本は、委託販売という返品許容の制度で成り立っている。書店に並んでいる新刊本は、原則として出版社が預けたような形になっていて、売れれば追加の注文もあり得るが、売れなければどしどし返品されてくる。
 返品になって出版社に帰ってきた本は、一冊何百円という原価がかかっているので、そのまま棄てるわけにはいかない。汚れやすい傷みやすいカバーを取り替え、小口や天地と呼ばれる本のページ切断面に紙やすりをかけて汚れを落としきれいにして再出荷する。その作業が、前の項目でも出てきた再生作業なのだ。
 返品をゼロにすることはできないが、売れ行きが堅調であれば、返品も再出荷して消化でき、それでも足りなければ増刷しなければならない。
 編集者としては、この「増刷」の声を聞くと、とりあえずやっとほっとする。
 毎日、営業の部屋へ降りて行って、取次からもらってくる短冊の束を1枚1枚めくるのが日課となった。短冊と呼ばれる紙片は、本の間に挟まっているもので、これに書店や取次がハンコを押して部数を記入して返してくれれば、それが注文書になる。
 自分が担当してつくった本が、どこそこの書店から1冊、あるいは10冊と注文が来る。こんなうれしいことはない。直接、読者と接触できない編集者は、そうした注文書のむこうに、一人一人の買ってくれた読者を思い浮かべ、感謝する。
 もちろん、注文はそれだけではないが、その短冊のなかに具体的な手応えを感じることができた。
 幸い、最初の単行本はしばらくして増刷の声がかかった。
 この頃では、この辺りの事情も取次・書店のコンピュータ化が進んでいて、パブラインなどネット上で即数字が上がってきたりするのだが、こういうのって編集としてはどうなんだろうと思う。が、幸か不幸か自分には経験がないのでよくわからない。古い人間としては、何人もの人の手を経て、時間をおいて送られてきたスリップを、1枚1枚めくるのとはまったく違うのだろう。
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1971☆『思い出の索引』★でんでんむし@アーカイブス☆わたしたちが生きてきた時代とは… [年表]

われわれはどこから来て、どこへ行こうとしているのだろうか…? 
 
1971mark.jpg昭和46年 辛亥(かのと いのしし)
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◯米ワシントンで統一反戦大集会。50万人参加。
◯英、貨幣制度を十進法に移行。
◯エドガー・スノー、毛沢東がニクソンと会談する用意ありとする記事を「LIFE」誌に発表。
◯西独が外為市場を閉鎖、通貨不安が西欧州に拡大。
◯拡大パリ会談で、南臨時政府代表が7項目提案。
◯キッシンジャー大統領補佐官が、秘密裏に北京を訪問。
◯ニクソン米大統領が、翌年5月までに訪中すると発表。
◯北アイルランドで、英駐留軍とカトリック系住民が衝突。
◯仏、南太平洋ムルロア環礁で水爆実験。
◯ニクソン米大統領の、訪ソを発表。
◯国連で日本などが提案した逆重要事項決議案が否決され、中国招請・国府追放のアルバニア案が可決。国府は国連を脱退。ユネスコも中国招請・国府追放を決定。
◯米史上最大の5メガトン級地下核実験をアムチトカ島で実施。
◯10か国蔵相会議、金1オンス=38ドルを決定。スミソニアン体制発足。

◯南ベトナム政府軍のラオス侵攻作戦。失敗に終わる。
◯パキスタンのヤヒヤ大統領・アワミ連盟ラーマン総裁・ブット人民党党首の三者会談が決裂。内戦状態に。ラーマンはバングラデシュ独立を宣言。
◯米軍事法会議が南ベトナムソンミ村虐殺事件のカリー注意に終身重労働の刑を判決。
◯林彪副主席らの毛沢東暗殺計画が失敗し、林彪はソ連脱出を計って墜死。
◯カンボジア、ロン・ノル軍事独裁体制。
◯中国が大気圏内で核実験。
◯インド軍が、東パキスタンへ全面攻撃。戦火は西パキスタンへも拡大、全面戦争に。
◯パキスタンが国連の即時停戦撤退案を受入。インドがバングラデシュの独立を承認。

◉18都道府県の知事選挙で、東京都では美濃部都知事が再選。大阪府では社共両党が推す黒田了一が当選。
◉沖縄返還協定の調印式。東京とワシントンで宇宙中継。屋良主席は出席を辞退。
◉富山地裁がイタイイタイ病の原因はカドミウムと判決。住民側の勝訴。三井金属が控訴。
◉第三次改造佐藤内閣。福田外相、田中通産相。
◉ニクソンの“頭越し訪中”に、政府は衝撃。
◉ニクソンのドル防衛策で、東証株価が史上最大の暴落。ニクソンショック、ドルショック。
◉政府が変動相場制への移行を決定。
◉新潟地裁が阿賀野川有機水銀中毒の原因は昭和電工と判決。
◉成田空港公団が1坪地主らの土地第1次強制執行。
◉天皇皇后両陛下が初めて広島の原爆慰霊碑に参拝。

◉佐藤首相が現職首相として初めて広島平和記念式典に出席。
◉沖縄県祖国復帰協議会など10万余が沖縄返還協定の批准に反対スト。
◉返還協定に反対の集会やデモが32都道府県で実施。
◉協定の強行採決に反対する抗議行動が全国883か所で行なわれ、1800人が逮捕。
◉関西・関東の財界が訪中使節団を派遣。
◉10か国蔵相会議をうけ、政府は1ドル=308円の基準レートを告示。
◉衆議院で、自民党の単独採決で沖縄関連四法案を可決。

・この年に亡くなった人にはこんな人も…。横山エンタツ。深田久弥。内田百閒。高橋和巳。平塚らいてう。左卜全。山口蓬春。松永安左エ門。山下清。徳川夢声。大川博。松村謙三。志賀直哉。金田一京助。8代目桂文楽。ココ・シャネル。イーゴリ・ストラヴィンスキー。ルイ・アームストロング。フルシチョフ。

◎三菱重工とクライスラーが自動車部門で資本提携。
◎横綱・大鵬が引退。在位58場所、優勝32回。
◎日本国内航空と東亜航空が合併し、東亜国内航空に。
◎第一銀行と日本勧業銀行が合併し、第一勧業銀行に。
◎群馬県の女性誘拐薩事件の容疑者・大久保清を逮捕。
◎ラルフ・ネーダーが来日。
◎奈良の飛鳥地方が歴史的風土特別保存地区に指定。
◎東名高速の東京=神戸間に国鉄バスの夜行ドリーム号誕生。
◎東亜国内航空のYS-11機ばんだい号が函館郊外に墜落。68人全員死亡。
◎岩手県雫石町で全日空機と自衛隊機が空中衝突。全日空機の162人全員死亡。
◎名古屋で開催の世界卓球選手権大会に中国チームを招請。(ピンポン外交)
◎神奈川県葉山御用邸が放火により全焼。
◎日清食品がカップヌードル発売。
◎東京八王子市で全国初のノーカーデー実施。
◎西新宿に京王プラザホテル開業。
◎日本マクドナルド、銀座三越内にハンバーガー店1号店開店。
◎ミスタードーナッツが大阪箕面市で1号店。

◎映画5社のひとつ大映が倒産。
◎高島屋が東京12ch(現テレ東)で、テレビ通販を開始。
◎日本テレビ「スター誕生」第1回放送で森昌子が合格第1号に。
◎毎日新聞に連載の横山隆一「フクちゃん」が5,534回で終了。さすがに「角帽にゲタ・絣の着物」ではねえ。
◎「少年マガジン」などの売れ行きが減少。「少年画報」などが休刊。
◎ベアトリス・ポター「ピーター・ラビットのおはなし」を福音館書店が刊行。

■流 行:ボウリング・Tシャツとジーパン・アメリカンクラッカー。
■テレビ:スター誕生・仮面ライダー。
■邦 画:西村昭五郎/団地妻 昼下りの情事(日活ロマンポルノ第1作。)
■洋 画:ノーマン・ジュイソン/屋根の上のバイオリン弾き・ガイ・ハミルトン/007 ダイヤモンドは永遠に・デヴィッド・リーン/ライアンの娘。
■ 歌 :尾崎紀世彦/また逢う日まで・小柳ルミ子/わたしの城下町・加藤和彦と北山修/あの素晴しい愛をもう一度・南沙織/17才・欧陽菲菲/雨の御堂筋・鶴田浩二/傷だらけの人生・五木ひろし/よこはま=たそがれ・加藤登紀子/知床旅情・森進一/おふくろさん・渚ゆう子/京都慕情・上條恒彦と六文銭/出発の歌・ジローズ/戦争を知らない子供たち・朝丘雪路/雨がやんだら・シモンズ/恋人もいないのに・にしきのあきら/空に太陽がある限り。
■ 本 :大岡昇平/レイテ戦記・高野悦子/二十歳の原点・陳舜臣/阿片戦争・大原富枝/椀という女。
■ことば:脱サラ・がんばらなくっちゃ・シラケ・ごみ戦争。
 
❖年表の元ネタ主な参考資料三省堂『コンサイス世界年表』三省堂編修所編。河出書房新社『昭和・平成 家庭史年表』下川耿央・家庭総合研究会編。小学館『昭和・平成 現代史年表』神田文人編など。

dendenmushi.gif(2015/01/25 でんでんむし蛇足の記1971)
  少しずつ体調も戻ってきたところで、久しく行っていなかった山に行きたいと考えた。リハビリのつもりで、秋田の駒ヶ岳に登ったのは、行ったことのないところ東京からもできるだけ遠いところ、あまりたくさん歩かなくても済むところと、たくさんの条件をクリアできるところだったからだ。
 そのコースで帰りに泊まった雫石で、その直後に自衛隊機と民間機の空中衝突事故が起こったのには驚いた。飛行機と飛行機が空中で鉢合わせするなどということが、どうして起こるのだろう。
 そんなふうに思ってしまうが、飛行機も決められた航空路を飛んでいるわけで、なにもない大空を勝手気ままに飛んでいるわけではない。
 出版も何でもいいから出す、という出版社はまずない。それぞれ、自分たちで選んで引いた航路に沿って飛ぼうとしている。
 久し振りに社長に呼ばれて、書籍出版部の副編集長を命じられたのは、実務関係の単行本を出したいという方針があってのことだった。大阪からいっしょに転勤していた編集長のもとで進めていた、経営・自己啓発関係の単行本の編集体制も、どうにか軌道に乗りかけてきたと判断されたのだろう。それを拡充するために、雑誌のもう一方の本線である、経理・税務関係の単行本を出すというのは、社長の長年の念願でもあったらしい。それをやれと言われたのである。
 大阪に本社が移転してまだ間がない頃だったと思うが、東京で単行本を始めたときに、社長が本社員を集めて話をしたことがある。
 そのときに語られた社長の言葉で、深く心に残っていたのが「世の中の本はみんな四角の本ばかりだ。三角の本をつくりたい。」という意味のことだった。
 なるほど! それはいいなあ。「三角の本」かあ。いいこと言うなあ!
 素直にそう思って、その場でもおおいに賛同した記憶がある。どうやら、それを覚えていたらしい。
 中小企業のために、実務家に役に立つ必要な情報を届けるという、会社の拠って立つ理念を、単行本で具現化するという新たな使命を与えられた。
 書店の店頭も、時代とともに眼にもわかるかわからないかという変化を、常に続けて動いている。1971年当時の店頭状況を想像してもらうのはむずかしいが、この頃はまだ実務書とかビジネス書とかいう名前もなく、もちろんそういう分類や棚も売場もなかった。
 大きな本屋では「法律」と「経済・経営」といった表札のついた棚区分はあって、こういう分野をひっくるめて「ホーケー書」などと呼ばれていたのである。なんか、あまりいい語感とは思えない。「会計」という棚もあったが、「経理」はない。そこに並んでいる本は、どれもこれもみんながちがちの専門書で、ページ数も多くて定価も高い、ハードカバーや箱入りの本が多かった。
 そういう店頭を経由して、自分が読者にどんな本を届けるべきなのか。
 比喩や喩えというものは、ものごとの本質を表現するのには便利なことが多いが、それでは具体的にどうするかという方法を示してくれるわけではない。それを示すことまでは、社長の仕事ではない。
 「三角の本」は、精神としてはある方向を示してはくれるが、実際それをどうつくっていくかは、編集者が自分で考えなければならない。
 “ピンからキリまで”というのは、言葉の意味としては最高と最低の上下関係を意味するので、編集者の多様性にあてはめるには、あまり適当ではないかも知れない。むしろ、編集という仕事の幅や違いが生じるのは、出版社にはそれぞれ独自のカラーがあり、それをつくっているのが会社の方針や理念であり、そこで仕事をする編集者のセンスや考え方にも違いがあることで、当然なのだ。
 “同文同軌”という四字熟語の本来の意味は、同じ文化と文字をもち道路の轍(わだち)の幅も統一されている、つまり天下を統べるということだ。出版の世界では、天下統一はあり得ないことであるし、またそれは望ましいことでもなかった。戦国時代さながらに、それぞれに旗印を掲げて、微妙に幅の違った独自規格の轍を、自分たちの領土に刻みこむことによって領域の主張をしようとして走り回っている。
 会社の方針に従って、編集者が考え工夫することで、独自の轍の跡を大地に広く深く刻んでいくことになり、大空に航空路を設定していくことになると言ってもよいのだろう。(ちょっと苦しい喩えかな。)
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1970☆『思い出の索引』★でんでんむし@アーカイブス☆わたしたちが生きてきた時代とは… [年表]

われわれはどこから来て、どこへ行こうとしているのだろうか…? 
 
2015年は「戦後70年」…。さまざまにやかましくにぎやかになりそうだが、
やはりそういうくくりでは、どのようにして戦争の道へ入っていったかが
またしても曖昧になってしまう。
 100年のまとめて通して理解すべきではないか。
この年表を始めたのは、そういう思いもあったからなのだが…。
 
1970mark.jpg昭和45年 庚戌(かのえいぬ)
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◯米中、ワルシャワ会談再開。
◯東西両独首相が初めて会談。西独が東独の承認を拒否。
◯米英仏ソ、ベルリン問題で11年ぶりに会談。
◯米軍、南ベトナム軍とともにカンボジアに侵攻。米国内で侵攻反対の反戦デモが激化。
◯米ワシントンで平和大集会開催。
◯英総選挙で保守党が勝利。ヒース内閣。
◯英、EC加盟交渉を開始。
◯チェコ共産党が、ドプチェク前第一書記を除名。
◯ブラジルとウルグアイで、都市ゲリラが西独大使、米大使館員を誘拐する事件が続発。
◯伊が中国との国交樹立を声明。
◯国連総会で中国代表権問題を表決。中国招請・国府追放のアルバニア案が過半数を得る。
◯ノーベル文学賞に、ソ連のソルジェニーツィン(「収容所群島」など)。

◯イスラエル機がスエズ地区を爆撃。カイロを無差別爆撃。
◯米、中東停戦四大国会議を提案。
◯アラブ連合とイスラエルが米提案を受諾。90日間の停戦。ニューヨークで和平協議開始。
◯米軍がベトナム北爆を再開。
◯カンボジア、シアヌーク殿下が王国民族連合政府の樹立を発表。
◯カンボジア、民族統一戦線がアンコールワットを占領。
◯ヨルダンで軍事政権、シリアが内線に介入。
◯アラブ連合、ナセル大統領が急死。サダトが後任。
◯ニクソン米大統領がインドシナ和平五項目を提案。北ベトナムは拒否。
◯カナダが中国と国交。国府はカナダと断交。
◯米軍がハノイ近郊の捕虜収容所で救出作戦。失敗。

◉第三次佐藤内閣。防衛庁長官に中曽根康弘。
◉繊維対米輸出自主規制。日米繊維交渉は決裂。
◉自動車の排気ガス(一酸化炭素)規制拡大を閣議で了承。
◉沖縄復帰準備委員会が発足。
◉日本万国博覧会が大阪千里丘陵で開催。77か国が参加、期間中に6421万人が入場の史上最高。
◉羽田発福岡行きの日航機よど号が、赤軍派にハイジャックされ金浦経由で平壌へ。
◉松村健三が中国周恩来首相と会見。
◉日米安保条約、自動延長へ。
◉佐藤首相を本部長とする中央公害対策本部が発足。
◉汚水排出の届出義務など河川法施行令の強化を閣議決定。
◉戦後初めて沖縄を含む国勢調査。人口1億466万人。
◉日中国交回復促進議員連盟、379人が参加して発足。
◉新華社通信が尖閣列島は中国領と報道。
◉沖縄コザ市でMPの交通事故処理に怒る市民5000人が米憲兵隊と衝突。
◉愛知外相が米石油会社の尖閣列島油田調査に国民政府が許可したことに抗議したと答弁。
◉公害対策基本法、“経済との調和”条項を削除して成立。

・この年に亡くなった人にはこんな人も…。榎本健一。2世花柳壽輔。円谷英二。鈴木茂三郎。小桜葉子。岡晴夫。内田吐夢。西條八十。月形龍之介。川島正次郎。大宅壮一。三島由紀夫。2代目桐竹紋十郎。バートランド・ラッセル。ジミ・ヘンドリックス。ジャニス・ジョプリン。シャルル・ド・ゴール。

◎東大宇宙航空研究所、ラムダ4S型5号機の打ち上げに成功。「おおすみ」と命名される初の人工衛星。
◎山陽新幹線の六甲トンネル(16250m、日本最長、世界3位)の開通式。
◎銀座・新宿・浅草・池袋で歩行者天国の試行。
◎八幡製鉄と富士製鉄が合併し、新日本製鐵に。
◎三島由紀夫が盾の会と市ヶ谷の陸上自衛隊総監部でクーデターをアジって割腹自殺。
◎都心の主要交差点でスクランブル方式採用。
◎シャープが液晶LSIの電卓を発売。この年、電卓の生産100万台突破。
◎政府が日本の呼称を「ニッポン」に統一。
◎大阪天六の地下鉄工事現場でガス爆発。79人死亡。
◎米の生産調整開始。150万トンを減産。
◎学校給食に米飯提供の実験を開始。
◎交通事故死者が1万6765人で史上最悪を記録。1日平均で死者49.5人。
◎住宅ローン緩和、住宅金融専門会社も。金融公庫は民間マンションにも適用。
◎東京晴海で初の住宅産業展「グッドリビングショー」開催。
◎建設省第1回の地価公示価格発表。全国最高は銀座と新宿東口の1平方m220万円。

◎米ぬか油中毒事件でカネミ社長らを福岡地検が起訴。
◎東京都が光化学スモッグ警戒発令体制。
◎厚生省がスモン病発病の疑いでキノホルムの使用と販売中止を通達。
◎チッソの株主総会で一株株主が企業の責任を追及し混乱。
◎静岡県田子の浦港でヘドロ追放の住民大会。
◎家永教科書裁判で東京地裁が教科書検定は教育への国の不当介入で違憲と判断。
◎藤原弘達の「創価学会を斬る」への創価学会による出版妨害表面化。
◎公明党、出版妨害事件を受けて政教分離を決定。
◎ケンタッキー・フライドチキン、万博で日本初登場。
◎東京で唯一の畳敷き寄席末広亭が経営難で閉場。
◎「あしたのジョー」主人公の死を悼む読者からの投書が多数。講談社で追悼式。
◎NHKのテレビ契約者が2200万突破。うち400万弱がカラー契約。
◎国鉄が「ディスカバー・ジャパン」の観光キャンペーン。
◎キヤノンが初めてとなる普通紙コピーPPC複写機を発売。
◎三和銀行が、預金の受入・払出できる現金預け払い機を設置。

◎「anan」「non・no」が創刊。アンノン族。

■流 行:SLブーム・ちり紙交換屋・自然食。
■テレビ:樅の木は残った・時間ですよ・日本史探訪・細うで繁盛記。
■邦 画:山本薩夫/戦争と人間・山田洋次/家族。
■洋 画:イージーライダー・明日に向かって撃て。
■ 歌 :菅原洋一/今日でお別れ・藤圭子/圭子の夢は夜ひらく・ザ・ドリフターズ/ドリフのズントコ節・由紀さおり/手紙・・ベッツィ&クリス/白い色は恋人の色・ちあきなおみ/四つのお願い・いしだあゆみ/あなたならどうする・渚ゆう子/京都の恋・ヒデとロザンナ/愛は傷つきやすく・トワ・エ・モワ/空よ/誰もいない海・岸洋子/希望・和田アキ子/笑って許して・長谷川きよし/別れのサンバ・ソルティー・シュガー/走れコウタロー・加藤登紀子/知床旅情。
■ 本 :イザヤベンダサン/日本人とユダヤ人・塩月弥栄子/冠婚葬祭入門・石牟礼道子/苦海浄土。
■ことば:ハイジャック・ウーマンリブ・ヘドロ・鼻血ブー・スキンシップ。

❖年表の元ネタ主な参考資料三省堂『コンサイス世界年表』三省堂編修所編。河出書房新社『昭和・平成 家庭史年表』下川耿央・家庭総合研究会編。小学館『昭和・平成 現代史年表』神田文人編など。

dendenmushi.gif(2015/01/21 でんでんむし蛇足の記)
 築地のはずれのビルにあった東京事務所への通勤は、越谷からだと日比谷線の築地で降りればすぐだった。しかし、横須賀線で通勤となると、新橋で乗り換えて有楽町から歩かないといけない。会社の規定では地下鉄は通勤費が出ないのである。銀座通りと昭和通りを横切って、築地二丁目から築地橋まで往復2.5キロくらいを毎日歩いて通っていた。
 その当時はまだ築地橋の通りには、晴海通りの京橋郵便局の前から水天宮行きの都電が走っていて、前々年には爆破事件があった横須賀線も当然現在のように地下ではなく、一部で東海道線と同じ線路を分け合いながら地上を走っていた。
 当初の住居地選定のもくろみ通り、座って通勤できるので本も読めてよかったのだが、車内禁煙でもなくご丁寧に座席の壁側には吸い殻入れまでついていたので、混雑にも構わずに煙を盛大に吐き出す人も多かった。
 当時定期購読していた「暮しの手帖」が、70年4月刊行の「2世紀5号」に「たばこをのみはじめた息子に与える手紙」という特集記事を掲載した。これは、喫煙の健康被害をデータで示していたが、同時に受動喫煙の害にふれた初めての一般的な記事だったのではないかと思ったが、ほかにもあって知らなかっただけだろう。
 当時、小さな所帯だった東京では、みんな一部屋に集まっていて、一日中たばこの煙にいぶされていてくんせいにになっているタラのようだったので、この記事をコピーして社内に回覧した。なにしろ、家に帰って風呂に入るとき下着に染みこんだニオイがものすごかった。
 あまり感心した用語とは思えないが、「嫌煙権」という言葉が使われ始めるのは、このときからまだ8年も後のことになる。
 築地には電通もあって有名なうなぎ屋もあって、ごくたまにそこへ行くと、それらしい人がいたりした。銀座を横切って通う通勤路は、ただ通り過ぎるだけだったが、それでもいろいろ観察するのがおもしろい。
 後にApple Store Ginza ができるサエグサビルの裏には、文祥堂のショウウィンドウがあった。おそらくそこでも見ていたような気もするのだが、この頃タイプライターで遊んでいた。英語はダメだからカナタイプである。
 おそらく、イタリアの本社はその当時経営の苦境にあったはずなので、日本法人のオリジナル企画だったのかも知れないが、オリベッティのolivetti Lettera32というものである。英文タイプのこの型は1963年に発売されていたが、カタカナで使いたいというニーズは、そう多くはなかったはずであろう。日本人でもこんなものを買うのは、よほどヘンである。
 タイプライターで原稿を書くというのに憧れていたというだけで、これを買ってしまった。電動ではない旧式の手動なので、下手に早く打とうとするとアームがからまってしまうヤツである。もちろん、なんの実用にもならなかったが、タイプを打つという体験はできた。この機械はデザインが洒落ていて、スタイルとして完成していると思った。
 今でも、そこらに置いとけばインテリアになるくらいのものだが、未だにそういうのが似合う住環境にないので、ケースに入ってホコリをかむっている。
 実用になっていた日本語のタイプと言えば、邦文タイプがあった。その発明者・杉本京太が亡くなるのは、この翌年になる。そういえば、中央線が万世橋の上を過ぎるとき、いつも向かいのビルの窓に「和文タイプ」の看板文字があったが、あれはタイピスト学校だったのだろう。邦文タイプは、大企業の社長室や秘書室の近くにあって専門の技能を持ったタイピストが、要するに文書の清書をする役割を担っていた。
 東京事務所は東京支社になって、築地から三崎町へ引っ越すことになった。やっと、ビルの1階に倉庫と出荷と返品受入の作業場が持てることになったが、商品管理・総務経理はもうお役ご免になってしまっていて、税法法令集を手伝いながら霞ヶ関回りをしたり、耐用年数表の単行本を手がけたりしていた。
 新しい通勤経路は、東京駅で横須賀線から中央線に乗り換え、お茶の水から総武線で水道橋まで行く。その頃も横須賀線は東京駅の13番線だったかどうか、はっきり覚えていないのだが、松本清張がトリックに使った時よりははるかに列車の本数も増え、もうホーム越しに15番線の「あさかぜ」を見ることもできなくなっていたのではないか。
 大阪の万博にも、全社員が行くことになっていた。ところが、その頃はまだ体調が戻らず、横須賀線の電車に乗っていることができなくなってしまう。戸塚くらいまでが限界で、心臓があえぐようにどきどきして、気分が悪くなる。とても満員の車内に座っていられなくなり、途中で降りてしまうようなことがしばしばだった。退院後日赤で診てもらうと胆嚢炎ではないという。倒れた病因はよくわからないままだったが、自律神経失調だろうといわれていた。
 そんな状況で、万博へ行くというその当日も、横須賀線で横浜まで行けないで降りてしまい、万博には行けなかった。こうして、大阪の万博に行っていない数少ない?日本人の一人となった。
 水道橋には、少年画報社や秋田書店、それに線路の向こうには芳文社があった。「少年画報」には、忘れられない思い出もある。こどもの頃、盆と正月に入るこずかいでこの雑誌を買っていたのは、付録がおもしろいのが多かったからで、法隆寺のパノラマなどをつくっていたのをよく覚えていた。
 ご近所さんともいえたあちらはみなマンガ雑誌が受けに入っていて大儲け、こちらはあいかわらず地道に赤字を積みあげているという状態で、同じ出版社とはいええらい違いだった。(ところが、さしものマンガブームにも陰りが見えはじめており、「少年画報」はこの翌年には休刊となってしまうが…。)
 だが、もともと出版という世界は格差世界なのである。この年、山本書店という小さな個人出版社が出した本が、あれよあれよという間に数百万部のベストセラーになっていく。そんな意味では、この格差はあっという間に逆転できるくらいの格差とも言えるが、それはほんの一時のことに過ぎないので、少々のことでは格差は変わらない。
 そんな世界で同じ編集者といっても、まさにさまざまでピンからキリまで…というのはちょっと当たらないのだが…。
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タグ:年表

1969☆『思い出の索引』★でんでんむし@アーカイブス☆わたしたちが生きてきた時代とは… [年表]

われわれはどこから来て、どこへ行こうとしているのだろうか…? 
 
2015年は「戦後70年」…。さまざまにやかましくにぎやかになりそうだが、
やはりそういうくくりでは、どのようにして戦争の道へ入っていったかが
またしても曖昧になってしまう。
 100年のまとめて通して理解すべきではないか。
この年表を始めたのは、そういう思いもあったからなのだが…。
 
1969mark.jpg昭和44年 己酉(つちのととり)
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◯拡大パリ会談、席の配置で合意。
◯米大統領にニクソン就任。
◯伊、中華人民共和国の承認を決定。
◯ワルシャワ条約加盟国軍が東独・チェコ領内で合同軍事演習。
◯チェコ、ドプチェク第一書記を解任。新聞・雑誌の事前検閲を復活。
◯英、北アイルランドで暴動。鎮圧に軍隊の派遣を決定。
◯仏、ドゴールが大統領辞任。ポンピドー前首相が当選。
◯アポロ11号が月面着陸。人類が初めて月面に立つ。
◯チェコ共産党中央委総会で、ドプチェク連邦議会議長を解任。ソ連介入を正当化。
◯米国内各地でベトナム反戦統一行動デモ。欧州にも波及。
◯ニューズ・ウィークが南ベトナム米軍の大量殺戮事件を報道。
◯国連総会で、地下爆発を含む核実験停止を決議。
◯米ニクソン大統領が南ベトナム第三次撤兵計画(5万人)を発表。

◯ベトナム和平のための拡大パリ会談開催。
◯イスラエル・アラブ両軍がスエズ運河地帯で砲撃戦。
◯中ソ東部国境で二度にわたり武力衝突。(ウスリー川珍宝島)
◯中共九全大会中間報告で、林彪副主席を毛沢東の後継者と規定。
◯中ソ軍が黒竜江ゴルジンスキー島、新疆ウィグル自治区で武力衝突。
◯北ベトナム、ホー・チ・ミン大統領が死去。

◉東大闘争支援の学生らが御茶ノ水駅・明大・中大付近にバリケード占拠。
◉機動隊員8500人を導入して、東大安田講堂の封鎖解除。374人逮捕。
◉加藤東大総長と坂田文相の会談で、東大の入試中止を決定。
◉衆院運輸委員会で国鉄運賃値上げを強行採決。
◉衆院内務委員会で国家公務員の総定員法案を強行採決。
◉社共両党主催の沖縄デー中央集会に13万人参加。学生デモ隊が線路内に入り新幹線・国電が一時止まる。
◉政府が自主流通米制度の実施を決定。
◉ASPACが伊豆の川奈で開催。反対の学生デモが機動隊と衝突。
◉昭和43年の国民総生産は51兆円で資本主義国第2位と経済企画庁が発表。
◉参院本会議で防衛二法案を強行採決。
◉参院本会議での抜き打ち採決で大学運営臨時措置法案成立。
◉国際反戦デーで各地に学生ゲリラ、1505人逮捕。
◉警視庁が大菩薩峠で武闘訓練中の赤軍派53人を逮捕。
◉名古屋地裁が大須事件に騒乱罪成立と判断、100人に有罪。
◉佐藤首相訪米阻止のゲリラが蒲田などで続発し、逮捕者2093人。
◉佐藤=ニクソン会談、共同声明で安保堅持と72年中の“核抜き本土並み”沖縄施政権返還。
◉第32回総選挙。師走選挙で野党第1党の社会党が、140から90に減少の大敗し、公明党が25から47に躍進。
◉東京証券取引所の大納会で、ダウ平均株価2358円の史上最高を記録。
◉繊維輸出に米からの規制要求。

・この年に亡くなった人にはこんな人も…。東くめ。成瀬巳喜男。坂本繁二郎。井植歳男。市川雷蔵。中山義秀。小泉純也。安藤鶴夫。正力松太郎。木々高太郎。長谷川如是閑。伊藤整。中村岳陵。石田波郷。獅子文六。大谷竹次郎。ジョン・ウィンダム。ベン・シャーン。ドワイト・D・アイゼンハワー。ジュディ・ガーランド。シャロン・テート。ホー・チ・ミン。劉少奇。

◎東名高速道路の大井松田=御殿場感が開通して全線開通。名神高速道路とも直結して、東京=西宮間536.4キロ全通。
◎水田の休耕、代作物への転換奨励金が決まる。
◎日経連が大学の紛争多発は、偏向教育が原因だと見解。
◎警視庁が紛争大学は112校でさらに増えると予想したが、年内に重症校はなくなる。
◎海外渡航の外貨持ち出し枠を500ドルから700ドルに増やす。
◎東洋一の八重洲大地下街が完成。
◎皇居外苑の北の丸公園が開場。
◎住友銀行がキャッシュカードと暗証番号による現金自動支払機を設置。
◎東急玉川線(玉電)が廃止される。
◎美濃部東京都知事が都営ギャンブル廃止を声明。
◎東京新宿西口地下広場のフォーク集会を道交法違反で取り締まり。7000人の参加者をガス弾で解散させる。
◎千葉県松戸市が「すぐやる課」を設置。
◎住宅公団の千葉花見川団地7081戸が完成。
◎東京都板橋区高島平団地の建設開始。
◎パルコ池袋店開店。
◎東京平河町に1億円のマンションが登場。
◎自動車保有台数が1652万台。アメリカに次いで世界二位。
◎東京都世田谷区に玉川高島屋開店。郊外型ショッピングセンターの第1号。(昭和52年までに全国で郊外型CSは558店に)

◎夏の甲子園大会決勝、三沢高:松山商業の試合が、延長18回0:0で引き分け再試合。翌日の再試合で松山商業が16年ぶりの優勝。
◎映画「男はつらいよ」シリーズ第1作が公開。
◎民放の音楽FMラジオ局が開局。
◎ソニーと松下がそれぞれ別規格の家庭用ビデオを発売。
◎駅売り専門のタブロイド判「夕刊フジ」が創刊。

■流 行:マキシコート・パンタロン。
■テレビ:8時だよ!全員集合・ゲバゲバ90分・水戸黄門。
■邦 画:山田洋次/男はつらいよ・篠田正浩/心中天網島・浦山桐郎/私が棄てた女。
■洋 画:ジョン・シュレシンジャー/真夜中のカウボーイ・ロマン・ポランスキー/ローズマリーの赤ちゃん。
■ 歌 :由紀さおり/夜明けのスキャット・内山田洋とクール=ファイブ/長崎は今日も雨だった・森進一/港町ブルース・カルメン=マキ/時には母のない子のように・藤圭子/新宿の女・弘田三枝子/人形の家・奥村チヨ/恋の奴隷・新谷のり子/フランシーヌの場合・森山良子/禁じられた恋・ザ=キング=トーンズ/グッド=ナイト=ベイビー・ピーター/夜と朝のあいだに・水前寺清子/三百六十五歩のマーチ・鶴岡雅義と東京ロマンチカ/君は心の妻だから・高田恭子/みんな夢の中・千賀かほる/真夜中のギター・アン真理子/悲しみは駈け足でやってくる・はしだのりひことシューベルツ/風・トワ=エ=モア/或る日突然・皆川おさむ/黒猫のタンゴ。
■ 本 :藤原弘達/創価学会を斬る・海音寺潮五郎/天と地と・丹羽文雄/親鸞・三島由紀夫/春の雪・庄司薫/赤ずきんちゃん気をつけて・司馬遼太郎/坂の上の雲。
■ことば:アッと驚くためごろー・にゃロメ・オーモーレツ。
 
❖年表の元ネタ主な参考資料三省堂『コンサイス世界年表』三省堂編修所編。河出書房新社『昭和・平成 家庭史年表』下川耿央・家庭総合研究会編。小学館『昭和・平成 現代史年表』神田文人編など。

dendenmushi.gif(2015/01/15 でんでんむし蛇足の記)
  中学生の頃には、漢字の書き取りが苦手で、放課後残されて漢字テストを受けさせられていた。国語の先生からは「お前がそんなことでどうする!」と叱られたが、字画が多くて書きにくく覚えにくい漢字混じりの日本語には、なにか問題があるのではないか、と考えていた。
 漢字のおもしろさはわかる。だが、しょせん記号ではないか。わからなければ辞書を引けばいい。それが書けないからといって、居残りまでさせてテストするようなことか?、と…思っていたわけですね。生意気な中学生だ。
 アメリカ映画に出てくる新聞記者のように、タイプライターでぱちぱちと原稿が書けるというのがうらやましかった。だからといって、カタカナ文字論者のように割り切ることもできないし、漢字には漢字の楽しみやおもしろさもある。ぱっとみて形で意味までわかる表意・表形文字というのは、アルファベットの羅列の国語よりは進んでいるのではないか。
 書き取りと同様に、計算も苦手で、そろばんも暗算もまるでダメだ。まったく取り柄がない。
 それなのに、書籍出版部門の総務経理・商品管理の仕事をやらされることになった。総務経理のほうは、所帯も少人数の出先だからまだたいしたことはないが、商品管理が問題であった。ちゃんとした倉庫がなく、事務所は5階で返品はエレベーターもない地下階に詰め込まれている。よくこんな立地条件で出版事業をやろうということになったものだと、自分の業務として改めてみると大きな問題があることに気がついた。
 それだけでなく、その管理事務組織がものすごく合理性に欠けるもので、本の一点一点と取引先別について縦横計の帳尻を合わせるようにつくられた大きな表で、取引先ごとに出納管理をし棚卸し評価をするようになっていた。担当者が手分けして一点の表1枚計算が合うと、まるで渾身の芸術作品がひとつ完成したかのように喜んだりしていた。だがまだ、あと何十点もある。せいぜい商品の数がせいぜい10点とか限られているのであれば、そういう単品管理もできないことはないだろうが、商品は毎月増えていく。こんなことをしなくても、棚卸し評価は最終仕入原価法で充分ではないか。
 毎月、数人の担当者は、何十枚もの大きな表の、その1枚1枚の帳尻合わせにそろばんをはじいて夜遅くまで残業しなければならい、といった大変な苦労を強いられていた。このままでは、とんでもないことになる。
 理屈では簡単で正確にできる縦横計だが、納品伝票・返品伝票と突き合わせて、最後の右下の合計欄を数量と金額をぴったり合わせるのはなかなかむずかしい。
 それを数十点も合わせなければならないが、そもそも対外的には請求書をちゃんとトータルで出せばいいのであって、そんな必要がどこにあるのだろうか。そんなこんなのもやもやを抱えながらやっていた。
 それでも、そろばんの能率を上げるために、計算と結果が印字できる加算機を導入することはできないだろうかとも考えてみたが、どうもそろばんができる人の頭は、その必要を認めない。
 1969年といえば、あのシャープが世界初となるLSI電卓「QT-8D」を開発した年ということになっている。また、キヤノンもキヤノーラを出したりするのだが、でかくて価格も高いそれらが自分たちの仕事に福音をもたらす、というところまではまだまだ至らなかった。今、みんなが使っているような電卓が登場するまでには、まだ数年の時が必要だったので、あいかわらずみんなそろばんをぱちぱちやっていた。
 その数年の時の間に、苛烈な開発競争が繰り広げられていくのだが、その過程で、後のコンピュータのCPUも生まれてくる。世界初のマイクロプロセッサとなるIntel 4004の誕生の陰には嶋正利という一人の日本人技術者の力があった。そして、さらにはIntel 8080→Z 80→Z 8000へとその流れが大きく拡大していくのだが、そんな話を知ることになるのも、もっと後からのことだった。
 この頃、司馬遼太郎はサンケイ新聞で「坂の上の雲」を連載していた。
 夏の甲子園の決勝は、取次(要するに出版物を専門にあつかう問屋のようなもの)へ行く用があって、営業といっしょに出かけ帰りの喫茶店でみていたが、なかなか終わらないので困った。
 家庭用ビデオが普及し始め、VHSとベータのふたつの規格ができていたが、テープの大きさがベータのほうがこじんまりとまとまっていて、設計が優れていると思った。それに、なんとなくソニーを応援したかったので、ベータを買っていた。
 本郷の安田講堂では大変なことになっていたり、神田お茶の水周辺ではカルチェラタンとか言って騒いでいたが、築地橋の事務所では自分たちのことでてんやわんやであった。
 とにかく、そろばんでもっと楽に合理的にできる商品管理態勢と事務管理システムをつくりなおさなければ、どうしょうもないことは、だんだんはっきりしてきたが、1年近く経ったところで体に変調をきたし、突然意識不明になってバタンと倒れた。後から思えば、そのとき頭をぶっつけなくて幸いだったが、救急車で運ばれて入院するという、初めての体験をした。病院の診断は胆嚢炎で、入院先ではすぐ手術をするといわれたが、こんなところで手術などされたくないと、なんとかごまかし断って出てきた。
 結局、本社から経理のエライ人が入れ替わり長期出張で来たりして、問題点をやっと認識してもらい、なんとか新システムの構築と移行はできたが、これで「やっぱりあいつじゃダメだ」という烙印を押されてしまったらしかった。
 漢字を書き順やらとともにそんなにたくさん覚えなくても、日本語がすらすら書けるようになればいいなあ。
 計算が苦手でも、縦横計なんぞはパパッとできて間違わない機械は、そのうちできるんじゃないのか。
 おちこぼれの小唄みたいなことは、ますます確信に変わっていく。「アシタという字は明るい日と書くのね〜」という歌も聞こえてきた。
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1968☆『思い出の索引』★でんでんむし@アーカイブス☆わたしたちが生きてきた時代とは… [年表]

われわれはどこから来て、どこへ行こうとしているのだろうか…? 
 
2015年は「戦後70年」…。さまざまにやかましくにぎやかになりそうだが、
やはりそういうくくりでは、どのようにして戦争の道へ入っていったかが
またしても曖昧になってしまう。
 100年のまとめて通して理解すべきではないか。
この年表を始めたのは、そういう思いもあったからなのだが…。
 
1968mark.jpg昭和43年 戊申(つちのえさる)
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◯チェコ、ノボトニー大統領が辞任、後任にスボボダ。
◯米、ウエストモーランド南ベトナム援助軍司令官を解任。
◯米ジョンソン大統領が大統領選不出馬と北爆の一方的停止を発表。
◯国人指導者キング牧師がメンフィスで暗殺される。各地で暴動。
◯仏、パリで学生デモが激化。凱旋門を占拠。ゼネストも。
◯北ベトナムと米のパリ会談始まる。
◯チェコ領内にソ連軍戦車部隊が侵入。東欧5か国軍も参加。
◯米、ロバート・ケネディ上院議員がロサンゼルスで暗殺。
◯米、ワシントンに黒人貧者の行進10万人集会。
◯チェコ、ドプチェク第一書記が自由化の一時的制限を発表。
◯米オリンピック委員会が表彰式で抗議の意思を示した黒人2選手を追放。

◯北朝鮮が米情報収集鑑プエブロ号の捕獲を公表。
◯南ベトナム、ソンミ村で米軍による虐殺事件。
◯イスラエル軍がヨルダン領に侵入。緊急安保理開催。
◯南ベトナム、民族解放戦線がサイゴンに猛攻撃。
◯イラクで無血クーデター。
◯イランで大地震。1万人が死亡。
◯中国共産党が、劉少奇国家主席を除名。
◯第1回の拡大パリ和平会談が南ベトナム政府の出席拒否で延期。
◯イスラエル遊撃隊がベイルート空港を奇襲。

◉原子力空母エンタープライズが佐世保に入港。今後の継続入港を認めると政府統一見解。
◉アンガー沖縄高等弁務官が行政主席の直接公選制を認めると言明。
◉倉石農相が現行憲法は他力本願で軍艦や大砲が必要と発言。
◉成田空港建設に反対する農民・学生が警官隊と大衝突。
◉米と小笠原返還協定に調印。小笠原の施政権が返還され東京都に帰属。
◉反日共系学生が東大の安田講堂を占拠。警官隊との攻防。
◉第8回参議院選挙でタレント議員(石原慎太郎・青島幸男・今東光ら)が多数当選。
◉文部省が学指導要領を改定。神話教育も復活。
◉日大紛争で大衆断交。会頭が辞職を表明。
◉東大のストが拡大、全学ストへ。
◉国際反戦統一行動デーに総評・中立労連が実力行使。新宿駅西口広場を学生デモが占拠。(騒乱罪を適用)
◉明治百年の記念式典。
◉最高裁が八海事件の4被告に無罪判決。
◉全共闘系と民青系の両派学生が東大で集会デモ、
◉自民党臨時党大会で佐藤総裁を三選。改造佐藤内閣。
◉日本のGNPが西独を抜いて自由主義圏第2位。
◉いざなぎ景気。

・この年に亡くなった人にはこんな人も…。円谷幸吉。奥野信太郎。柳家三亀松。藤田嗣治。万城目正。子母澤寛。広津和郎。村岡花子。中村天風。佐藤千夜子。マーティン・ルーサー・キング。ヘレン・ケラー。バージニア・リー・バートン。ジョン・スタインベック。

◎金嬉老がライフル銃をもって静岡県寸又峡温泉で籠城。
◎東名高速道路の一部開通。
◎富山県のイタイイタイ病は神岡鉱業所による公害と厚生省が発表。
◎郵便番号制度と交通反則通告制度が始まる。
◎和田札幌医大教授が心臓移植手術。
◎水俣病の原因は新日本窒素水俣工場の排水と厚生省が断定。
◎川端康成がノーベル文学賞を受賞。
◎府中市で現金輸送車の3億円が、白バイ警官を装う犯人に強奪される。
◎大塚食品が初のレトルト食品「ボンカレー」を発売。
◎福岡・カネミ倉庫の米ぬか油による中毒事件。熱媒体のPCBが原因で死者28人。
◎東京都千代田区に36階147メートルの霞ヶ関ビル完成。初の超高層ビル。
◎北海道十勝沖でM7.8の地震。死者30人、被災家屋3000余戸。
◎神奈川県横須賀市の自衛隊少年工科学校内の人工池で、渡河訓練中の生徒13人が死亡。
◎兵庫県有馬温泉の観光旅館「池之坊満月城」で火災、死者30人。違法建築で問題に。

■流 行:パンティ=ストッキング。
■テレビ:夜のヒットスタジオ・連想ゲーム・巨人の星。
■邦 画:熊井啓/黒部の太陽・岡本喜八/肉弾・今村昌平/神々の深き欲望。
■洋 画:フランクリン・J・シャフナー/猿の惑星・スタンリー・キューブリック/2001年宇宙の旅・アーサー・ペン/俺たちに明日はない・マイク・ニコルズ/卒業。
■ 歌 :千昌夫/星影のワルツ・ピンキーとキラーズ/恋の季節・鶴岡雅義と東京ロマンチカ/小樽のひとよ・ザ・タイガース/花の首飾り・ザ・テンプターズ/エメラルドの伝説・伊東ゆかり/恋のしずく・青江三奈/伊勢佐木町ブルース・ヒデとロザンナ/愛の奇跡・小川知子/ゆうべの秘密・島倉千代子/愛のさざなみ・黛ジュン/天使の誘惑・森進一/盛り場ブルース・都はるみ/好きになった人・ロス・プリモス/たそがれの銀座・いしだあゆみ/ブルーライトヨコハマ・高石友也/受験生ブルース。
■ 本 :司馬遼太郎/竜馬がゆく・羽仁五郎/都市の論理。
■ことば:昭和元禄・ハレンチ・サイケ・ノンポリ・タレント候補。

❖年表の元ネタ主な参考資料三省堂『コンサイス世界年表』三省堂編修所編。河出書房新社『昭和・平成 家庭史年表』下川耿央・家庭総合研究会編。小学館『昭和・平成 現代史年表』神田文人編など。

dendenmushi.gif(2015/01/09 でんでんむし蛇足の記)
 東京への転勤命令が出たのは、総務・経理関係の雑誌編集から販売・マーケティング関係の雑誌編集に異動して、1年も経たない急なものだったが、この年から本格的に東京進出体制が具体化し始めたからであったろう。
 東京事務所では、雑誌の連載記事を集めた単行本などの出版も始めてはいたが、そのてこ入れに本社から編集長が異動することになり、それと同時での転勤であったが、でんでんむしの役目は単行本ではなくて、3つある雑誌編集部全体の東京駐在員としてであった。
 昔とはずいぶん違ってきたなと思うことはたくさんあるが、なかでも荷物の配送は身近なだけに顕著に感じられる。それまで、東京へ行ったり、また広島へ帰ったりするときには、チッキという手荷物と貨物の中間のような扱いで切符を買って手続きをしなければならなかった。荷造りも自分でしなければならず、たいへんやっかいなものだった。
 東京転勤に際しては、東京事務所が借家を探してくれて、そこへは日通のトラックで荷物を運び、新幹線で移動して上野かどこかの旅館で一晩過ごし、翌朝現地へ行ってトラックが着くのを待った。まだ、引越便などというものはなく、日通にもそんな意識はなかった。
 新しい住家は、埼玉県の越谷であった。当時の東京事務所が築地にあったので、日比谷線が東武線北越谷まで乗り入れを始めていたこの沿線は、通勤に便利だったのだ。だが、ここでまた大阪の京阪電車に輪をかけたような通勤ラッシュをイヤというほど味わうことになった。とくに北千住から上野の間が最高にひどかった。この当時の日比谷線の車両は、銀色に光るジュラルミンのような金属板にラインが入った角の丸い車体だった。
 越谷は今ではマンションもたくさん建っているが、その頃にはまだまだ田圃や畑も多く残っていて、その間を水路が縦横に走っていて、漁業組合まであった“水郷”だった。そういえば聞こえはいいが、門真に続いて会社が選んだ場所は、鬼門ではなかろうがまたしても低湿地帯だったわけで、家は小さいがいちおうは一戸建てで、広い敷地の農家が母屋の裏に4戸並べて建てた貸家であった。そこから東武線の駅までは、雨でも降ろうものなら長靴なしではとうてい歩けないような道を15分くらいも歩いただろうか。
 大阪から東京へ転勤になるというときに、ひとつの決断をした。もうまた大阪へ帰ることもないだろう。どこか腰を据える場所を探したほうがよさそうだ。
 関東平野のなかにある越谷の家では、夏などは朝の4時にはもう朝日が差し込む。平野のない広島育ちには、どうにも落ち着かない。やっぱり、住むなら川や海があって、山もそばにあるところがいい。いくつか分譲地なども見て回ったが、結局最終的に関東の地図を見ながら選んだのが、横須賀線が走っている三浦半島周辺だった。他の私鉄沿線と違って、ここはもう先に開発の余地がないので、通勤電車で座れなくなるということはなかろう。
 広島の土地を売っても、首都圏ではその何分の一かの土地しか手に入らないが、なんとか土地を買い、銀行から借金をして翌年には自分で設計して小さな家を建てた。
 住宅ローンや大型の分譲地開発や住宅展示場なども、まだ本格的に始まるちょっと前だった。
 東京駐在員の仕事は、さほど忙しいことはなかったが、週に3晩は市ヶ谷にあったエディター・スクールの夜間講座に通い、そこでの内容を毎月本社に帰って、編集部の若手たちに伝えるという任務もあった。
 出版界ではときどき、やたらむずかしくてごつくて価格も高い本、あまり一般的とは思えないような本がバカ売れすることがある。新しいところでは2014年末から話題のトマ・ピケティの「21世紀の資本」がそうだ。ちょっと遡れば、一見してあまりいいタイトルとは思えなかったジャレド・ダイアモンドの「銃・病原菌・鉄」があり、もっと前にはダグラス・ホフスタッターの「ゲーデル、エッシャー、バッハ - あるいは不思議の環」などがある。この年の羽仁五郎の「都市の論理」もまあそうだったと言えるだろうか。
 もう何度も書いたような記憶もあるが、スタンリー・キューブリック監督の「2001年宇宙の旅」が初公開されたのもこの年で、やっぱりこれは1968年の忘れられないできごとだったので、重複してもここで書いておかないわけにはいかない。
 この頃、東京事務所では細々とやっていた単行本の編集出版を担当する部門を兼ねていたので、納品や返品の処理をする業務があった。細々やっていても返品は膨大で、毎月その再生作業を総動員でやっていた。組織的には、いちおう別であるが同じ部屋にいる雑誌編集部所属の自分も、当然それを手伝う。
 この再生作業の終わった後で、部署のレクリエーションとして映画鑑賞に行くというので、その幹事役に、「それならこれ、これ観に行こうよ!」と強力にプッシュしておいた。みんなで行かなくても一人でも行けたのだが、なにかそのときは自分の興奮をみんなにも分けたい、という気持ちが強かった。
 根回しが功を奏して、作業後にテアトル東京(銀座一丁目の高速道路脇にあった)の大画面で公開されたばかりのこの映画を観に行った。ところが、広い映画館内は客の入りも悪くがらがらで、連れて行った連中も、作業の疲れから途中からほとんどが居眠りをしはじめる始末。
 後でも、「ああ、なんかお猿さんがたくさんでてましたねえ」「よく眠れました」というような案配で、すこぶるその評判はよくなかった。
 でんでんむしはひとり感動して、いよいよこういう映画が現われるようになったかと、アーサー・クラークの作品を思いながら感慨にひたっていた。とくに、お猿さんが空へ投げ上げた骨がくるくるとまわると、宇宙を行くパンナムのシャトルに切り替わって、「美しく青きドナウ」が流れてくる…。スローテンポでワルツを踊るステーションにシャトルが向かう。その音楽と映像の融合に一大エポックをつくった名場面では、胸が震えたものだ。
 この年のロードショウは興行的には惨敗で、早々に打ち切りとなってしまったが、年末の「キネマ旬報」の年間ベストでは、第1位に上げられていた。しかし、この映画が、広く一般に支持を広げるのは、10年後のリバイバル上映で行列ができるまで待たなければならなかった。
 すっかりその陰になってしまったが、SFファンとしては「猿の惑星」にも、注目しておかなければならないのだが…。
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1967☆『思い出の索引』★でんでんむし@アーカイブス☆わたしたちが生きてきた時代とは… [年表]

われわれはどこから来て、どこへ行こうとしているのだろうか…? 
 
2015年は「戦後70年」…。さまざまにやかましくにぎやかになりそうだが、
やはりそういうくくりでは、どのようにして戦争の道へ入っていったかが
またしても曖昧になってしまう。
 100年のまとめて通して理解すべきではないか。
この年表を始めたのは、そういう思いもあったからなのだが…。
 
1967mark.jpg昭和42年 丁未(ひのとひつじ)
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◯ベトナム参戦の米軍は47万3000と国防総省が発表。
◯英ソ両国首脳が、ベトナム和平への道は北爆の停止が先決との見解で一致。
◯ギリシャ陸軍のクーデターで軍事政権。
◯英、EEC加盟申請を発表。
◯米、デトロイト市で最大の黒人暴動が発生。非常事態宣言、連邦政府軍派遣、各地に波及。
◯米、ワシントンで反戦集会に10万人参加。デモ隊が国防省前に座り込む。
◯米、マクナマラ国防長官が辞任。

◯北京で反ソデモ。モスクワで中国外交官暴行事件。
◯インドネシア国会がスカルノ解任決議。スカルノはスハルトに全権委譲。
◯上海市、北京市に革命委員会。
◯米軍・南ベトナム政府連合軍が非武装地帯南半部に侵攻。
◯アラブ連合ナセル大統領がアカバ湾の封鎖を発表。
◯アラブ諸国とイスラエルが開戦。中東動乱始まる。
◯アラブ連合がスエズ運河を封鎖。イスラエルはガザを占領。シナイ半島を攻略。
◯ソ連がイスラエルと国交断絶。
◯香港で反英デモ。越境乱入。英政庁が香港国境を閉鎖。
◯北京の英大使館にデモ隊が放火。
◯南ベトナム大統領にグエン・バン・チュウ、副大統領にグエン・カオキ。

◉第二次佐藤内閣。
◉日本航空が世界一周線の営業開始。
◉青年医師連合がインターン制度に反対して医師試験をボイコット。
◉東大宇宙航空研の人工衛星第1号ロケット打ち上げに失敗。
◉東京都知事に、社共推薦の美濃部亮吉が当選。
◉閣議で資本取引自由化の基本方針を決定。
◉佐藤首相が韓国の朴正熙大統領の就任式典に出席。
◉佐藤首相の南ベトナムを含む東南アジア歴訪に反対する学生デモが羽田で警官隊と衝突。学生一人死亡。(第1次羽田事件)
◉吉田茂の死。戦後初の国葬。
◉沖縄那覇で沖縄即時無条件返還要求県民大会開く。
◉佐藤首相の米訪問で全学連が抗議デモ。(第2次羽田事件)
◉日米共同声明、沖縄返還は時期を明示せず、小笠原の1年以内の返還。

・この年に亡くなった人にはこんな人も…。広川弘禅。鮎川義介。山本周五郎。柳原白蓮。窪田空穂。轟夕起子。山下太郎。壺井栄。新村出。吉田茂。笠信太郎。ラダ・ビノード・パール。ロバート・オッペンハイマー。コンラート・アデナウアー。アーサー・ランサム。ヴィヴィアン・リー。ジョン・コルトレーン。ルネ・マグリット。ヒューゴー・ガーンズバック。チェ・ゲバラ。愛新覚羅溥儀。ジュリアン・デュヴィヴィエ。オーティス・レディング。

◎東洋工業が初のロータリーエンジンのマツダコスモスポーツを発表。
◎自動車保有台数が1000万台を突破。
◎新宿駅構内で米軍タンク車と貨車が衝突。国電1100本が運休。
◎国鉄上越線の新清水トンネル開通。
◎残っていた都電の銀座線など9路線が廃止に。これにより荒川線(三ノ輪=早稲田)のみが残る。
◎テレビ受信契約者数が2000万台を突破。普及率は83.1%。
◎果汁なしのレモン飲料、乳分の少ないコーヒー牛乳など「うそつき食品」が問題化。
◎タカラがリカちゃん人形を発売。
◎西日本各地で豪雨被害。死者行方不明者371人。
◎手塚治虫の「火の鳥」が「COM」で連載開始。
◎新潟北部と山形・福島で豪雨被害。死者行方不明者146人。
◎東京新宿にフーテン族。これに続いて、アングラ族やヒッピー族も。
◎TBSが日本の放送局で初の北ベトナム取材のドキュメンタリー番組「ハノイ=田英夫の証言」を放送。政府・自民党が問題化して、田はTBSを退社。
◎四日市ぜんそく患者9人が石油コンビナート6社を相手取って提訴。初の大気汚染公害訴訟。

■流 行:グループサウンズ(GS)・ミニスカート・占星術。
■テレビ:ハノイ=田英夫の証言・スパイ大作戦。
■邦 画:小林正樹/上意討ち・岡本喜八/日本のいちばん長い日・大怪獣空中戦 ガメラ対ギャオス。
■洋 画:セルジオ・レオーネ/夕陽のガンマン・ジッロ=ポンテコルヴォ/アルジェの戦い・ノーマン=ジュイソン/夜の大捜査線。
■ 歌 :ザ・タイガース/僕のマリー・ジャッキー吉川とブルーコメッツ/ブルー=シャトー/ザ・ピーナッツ=恋のフーガ・美空ひばり/真赤な太陽・佐良直美/世界は二人のために・森山良子/この広い野原いっぱい・ダーク=ダックス/銀色の道・中村晃子/虹色の湖・伊東ゆかり/小指の想い出・ザ=フォーク=クルセダーズ/帰ってきたヨッパライ。
■ 本 :大江健三郎/万延元年のフットボール・有吉佐和子/華岡青洲の妻・多湖輝/頭の体操・宮崎康平/まぼろしの邪馬台国。
■ことば:フーテン・アングラ。

❖年表の元ネタ主な参考資料三省堂『コンサイス世界年表』三省堂編修所編。河出書房新社『昭和・平成 家庭史年表』下川耿央・家庭総合研究会編。小学館『昭和・平成 現代史年表』神田文人編など。

dendenmushi.gif(2015/01/03 でんでんむし蛇足の記)
 この年表をつくり始めた動機には、だんだんあやふやになる記憶を整理しておこうというのもあった。印刷所のことを書いておかなければと思って、雑誌編集部での仕事の内容を思い起こそうとしても、西成区の教科書会社に印刷を依頼していたその頃の出張校正の実態がどうだったのか、全部やっていたのか担当記事だけだったのかどうもぼやけていてはっきりしない。
 広島では広島でいちばん大きな印刷所で印刷をやっていて、その最後の下版までをチェックするのも自分の仕事だった。その当時は雑誌一号分にまるまる全部最終的に眼を通して印刷に回していた。発行日を厳守しなければならない雑誌では、この出張校正がすべての編集作業の最後のまとめになる。
 この時代の印刷は活版印刷が主流で、簡単に言うと鉛の活字を原稿に従って一字一字拾って、それを本の形にまとめ一ページごとに版に組み上げ、その版を機械に載せ、インクをつけて紙をその上に通して印刷するというしくみになっていた。
 今では、社外の人間が印刷所の工場現場に入ることも許されないということもありそうだが、当時は編集者と印刷所の現場担当者とは直接やりとりをしていた。工場長だとか職長だとか各現場の担当者のところへ行っては、指示や確認をするから、だんだん顔見知りになり、親しくなる。工場で印刷の進行を見守るのも、たいへんおもしろかった。
 そうした現場には、年季を積んだ職人さんたくさんいて、たまに「ここおかしいんじゃ…」と、若い編集者に控えめに教えてくれる人もいた。
 いったん下阪して印刷を始めている刷り出しを見ていて、そこで重大なミスを発見したりすると、文選の現場に飛んで行って活字をもらい、印刷機のところにとって返すと「すみません!」と機械を止めてもらい、版を緩めて活字を入れ替えてもらう、というような芸当もやっていた。
 広島で雑誌を印刷していた頃の工場長が、ぜひ工場を見に来いとわざわざ特別に呼んでくれたことがあった。それはドイツから最新鋭の印刷機が搬入されて、向こうから技術者が来て運転を始めたときのことだった。広島では初めてだと得意そうなうれしそうな、工場長の顔が今も浮かんでくる。
 それが活版輪転機ではなかったかと思えるのだが、このあたりの記憶はマダラボケではっきりしない。その大きな印刷機には「HEIDELBERG」の文字が、これ見よがしに光っていたものだった。
 活版印刷も活字に直にインクをつけて印刷する方式から、紙型と鉛版をとって輪転機にかけるようになったり、印刷機もどんどん進歩していく。しかし、いわばハンコにインクをつけて、それを紙に押しつけるという印刷方式で、グーテンベルグ以来その基本が変わることなく、長い間世界中で使われてきた。印刷=活字というイメージはかなり広く定着していたのである。
 初めて印刷所の中に足を踏み入れたのは、中学生の頃だったが、薄暗くてなにか油のようなものが染みこんだ板の床にスリッパに履き替えて上がると、鈍く光る小さな活字が収まった小箱が、斜めになった棚にぎっしりずらっと並んでいて、裸電球がぶら下がっている。その間を小さな箱と折りたたんだ原稿らしい紙を見ながら、文選工と呼ばれていた人たちが活字を拾って行ったり来たりしている。
 活字は字母といわれる雌型に、鉛を鋳込んでつくられている。本文用の小さな活字は、常に新しいものが鋳込み直されて供給されるが、大きい活字は印刷後版を解いて、また活字棚に戻されている。
 その棚に隣り合う作業台が植字(ちょくじ・しょくじ)工の領分で、文選が拾ってきた活字を、編集者が指定した割付レイアウトにしたがってページに組んでいく。作業者ごとに小さなブースが棚に仕切られていて、木の腰掛け椅子に小さな座布団などを敷いている人もいる。大小さまざまのインテル(詰め物)に囲まれたそこに座って、1ページごとに組むと、それを糸でぐるぐる巻いて木のお盆のような箱に載せる。これが“ゲラ”といわれるもので、それにインクをつけて刷りだしたものをゲラ(校正刷り)と呼ぶようになった。
 最初の広島の映画団体機関紙をやっていたときには、現場の人がやってみろと言ってくれたので、自分で活字をページに組む作業をやってみようとしたことがある。本や雑誌の活字を読んでいる人が、その活字と活字の間の空間を意識することは、まずないだろう。だが、その空白部分には、活版の場合には何十種類というさまざまな大きさのインテルが、ぎっしりと隙間なく組み合わせられ埋め込まれている。
 これをきっちり組み上げることができるのは緻密な計算があってのことで、シロウトが見よう見まねでやってみてもうまくいかないことがよくわかった。
 印刷にしても、ただ機械がやるというようなものでなく、非常に細かな職人技が、印刷工程の至るところに積み重ねられていて、そこにも確かなプロの技が息づいていた。きれいな印刷に仕上げるには、たとえば印圧やインキのかすれなどを調整するために、小さな紙片をローラーに貼り付けたりもしていた。
 今現在、そうした活版印刷の現場は、実稼働設備としてはほぼ存在していない。あるとしたら、せいぜい大手印刷会社の歴史的・博物的保管としてその一部があるくらいだろう。大きな流れとして、このあと急速に進行する電算化とオフセット印刷への移行によって、活版は姿を消してしまうからだ。
 活字の現場がなくなってしまったのは、ひとつには活字やインテルという鉛を扱う作業が、人体に有害として規制ができたことがあるが、やはり技術の歴史的な変遷によるところが大きい。そのなかで、でんでんむしには忘れられない機械がある。正式な名前があったのかどうかも知らないが、自動鋳造文選機とでもいうべきその人間大のロボットのような機械があったが、それが活躍した時期は非常に短かったように思う。
  原稿データを入力した鑽孔テープをこれに連動させ、原稿の並びにしたがって逐次活字を鋳造して並べて打ち出していくのである。それは、活版からオフへの移行の谷間に咲いて、すぐに絶滅してしまう花のようであった。
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1966☆『思い出の索引』★でんでんむし@アーカイブス☆わたしたちが生きてきた時代とは… [年表]

われわれはどこから来て、どこへ行こうとしているのだろうか…? 

1966mark.jpg昭和41年 丙午(ひのえうま)
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◯ソ連の無人月探査機ルナ9号が月面軟着陸。
◯ソ連の金星3号が106日飛行して金星に到達。
◯米のジェミニ8号が標的とドッキングに成功。
◯米のサーベイヤー1号も月への軟着陸に成功。
◯国連のウ・タント事務総長が、北爆の停止と解放戦線の和平交渉参加を提唱。
◯米の各地で、ベトナム反戦デモなど運動広がる。
◯米の中間選挙で共和党が伸びる。上院で初の黒人議員が当選。
◯スペインのフランコ総統が新国家基本法で独裁緩和を提唱。
◯アルゼンチン軍部が無血クーデター。
◯『プラウダ』が初めて毛沢東を反レーニン主義と批判。
◯ローデシア問題。

◯印パ両国軍の撤退。
◯シリアでクーデター。
◯ガーナでエンクルマ大統領の北京訪問中にクーデター。
◯南ベトナム、サイゴン、ユエやダナンで反政府・反米デモ激化。
◯北京で紅衛兵百万人文化大革命祝賀集会。紅衛兵の活動が全土に拡大。
◯「人民日報」、「紅旗」が紅衛兵を支持。
◯南ベトナム、民族解放戦線が初めてサイゴン攻撃。
◯米軍機がハノイの住宅街を爆撃。
◯紅衛兵の北京上京を制限し始める。
◯北京の壁新聞、劉少奇・鄧小平の自己批判を掲出報道。
◯インドネシア、スカルノがスハルトに全権委譲。

◉沖縄立法院で初の行政主席の間接選挙。(野党各派退場)
◉佐藤首相が沖縄防衛に日本も参加と言明。
◉公労協・交通共闘統一スト。戦後最大の交通スト。
◉米原潜が横須賀に初入港。
◉閣議で東京国際空港の建設地を千葉県成田市三里塚に決定。
◉政府が建国記念日審議会を設置。
◉自民党代議士田中彰治が恐喝・詐欺容疑で逮捕。
◉荒船運輸大臣の国鉄ダイヤ改正介入問題、上山防衛庁長官の自衛隊機による選挙区入り、国有農地払い下げ問題、バナナ汚職事件など一連の汚職・政治腐敗が問題化。政界の“黒い霧”。
◉学者・文化人など884人が2月11日を建国記念日とすることに反対声明。
◉総評54単産がベトナム反戦統一スト決行。

・この年に亡くなった人にはこんな人も…。川田順。川端龍子。山中峯太郎。小宮豊隆。小泉信三。安倍能成。鈴木大拙。高畠華宵。大下宇陀児。荒木貞夫。亀井勝一郎。アルベルト・ジャコメッティ。バスター・キートン。モンゴメリー・クリフト。マーガレット・サンガー。ウォルト・ディズニー。

◎全日空B727機が羽田空港着陸前に東京湾に墜落。133人死亡。
◎カナダ航空DC8型機が濃霧で羽田空港防潮堤に激突。64人死亡。
◎BOACのB707型機が富士山付近で空中分解、墜落炎上。124人死亡。
◎全日空YS-11型機が松山空港で墜落。50人死亡。
◎千葉大付属病院医局員がチフス菌・赤痢菌の人体実験の容疑で逮捕。
◎日産自動車がプリンス自動車工業を合併。
◎東京銀座にソニー・ビル落成。
◎「玉川上水を守る会」誕生。このあと全国あちこちに誕生する“守る会”の第1号で、命名は金子光晴。
◎広島市議会が原爆ドームの永久保存を決議。
◎台風29号が関東・中部地方を直撃。山梨県足和田村で山津波発生。死者・行方不明者314人。

◎ビートルズが来日、武道館で公演。
◎社用族が利用するバーやクラブが林立、ホステス35万人。
◎この年、日本人の出国者が34万人を超え、初めて外国人入国者を上回る。その半数は沖縄・アメリカ行き。
◎ニチボウ貝塚女子バレーボールチームが258連勝でストップ。
◎ヒノエウマで出産数が136万人と今世紀最低に。前年比25%の減少。
◎交通事故死者数が1万3,904人で過去最高。
◎「巨人の星」が少年マガジンで連載開始。
◎サンデー・マガジンの少年マンガ雑誌がともに100万部突破。
◎「カラーテレビ、クーラー、カー」の3Cが新三種の神器に。
◎ソニーの盛田昭夫が「学歴無用論」(文藝春秋社)を出版し、学歴論争が盛んに。
◎恋愛結婚が見合い結婚を上回る。

■流 行:エレキ=ブーム・ビートルズ=ブーム・怪獣ブーム。
■テレビ:おはなはん・サンダーバード・笑点・ウルトラマン・銭形平次。
■邦 画:山本薩夫/白い巨塔・ゴジラエビラモスラ南海の大決闘・サイボーグ009。
■洋 画:オーソン・ウェルズ/市民ケーン・クロード・ルルーシュ/男と女・デヴィッド・リーン/ドクトル・ジバゴ・アルフレッド=ヒッチコック/引き裂かれたカーテン・ルネ=クレマン/パリは燃えているか・ジョン・ヒューストン/天地創造。
■ 歌 :加山雄三/君といつまでも・マイク真木/バラが咲いた・千昌夫/星影のワルツ・山本リンダ/こまっちゃうナ・布施明/霧の摩周湖・西郷輝彦/星のフラメンコ・美空ひばり/悲しい酒・ザ=ワイルドワンズ/想い出の渚・ザ=スパイダース/夕陽が泣いている・美川憲一/柳ヶ瀬ブルース・ザ=ブロード=サイド=フォー/若者たち・青江三奈/恍惚のブルース。
■ 本 :遠藤周作/沈黙・高橋和巳/邪宗門・阿川弘之/山本五十六・小泉信三/海軍主計大尉小泉信吉・毛沢東/毛沢東語録。
■ことば:交通戦争・黒い霧・びっくりしたなーもう・だよーん・けろよーん。

❖年表の元ネタ主な参考資料三省堂『コンサイス世界年表』三省堂編修所編。河出書房新社『昭和・平成 家庭史年表』下川耿央・家庭総合研究会編。小学館『昭和・平成 現代史年表』神田文人編など。

dendenmushi.gif(2014/12/24 でんでんむし蛇足の記)
 遠い星空のかなたでは、最初は大きく水をあけられていた米がソに追いつき、宇宙開発競争が激化していたこの年、地球の空ではなにかのタタリではないかと思うほど、大きな飛行機事故が多発していた。
 この年には、ビートルズの来日という騒ぎがあった。いわゆるポップス系とかポピュラーなクラシックくらいしか聴いていなかったので、実はこの頃のビートルズというのは興味からも意識からも遠い存在で、その音楽を楽しめるようになるのはもっとだいぶ後になってからだった。
 出版界では、あの分厚いマンガ週刊誌が完全に定着し、電車の中で大人がそれをめくっているという光景にもだんだん慣れていた。(この頃はまだ気になっていて、ほんとに慣れるのはもう少し後になってからかな?)
 前年から配本が始まっていた中央公論社の「日本の歴史」全26巻は、第1回配本の井上光貞「神話から歴史へ」から好調な売れ行きで、歴史本ブームとともに全集ものの出版企画が相次ぐ活況を呈していた。
 定価は450円也、判型が四六の小ぶりで上製箱入り、かつてブームを起こしたという「円本」を思わせるつくりもプラスしたのだろう。
 裏山に登れば横穴古墳があちこちにあるというような環境に住んで、ちょうど歴史にもより具体的な興味を持ち始めた頃だったので、毎回配本ごとに楽しみに読んでいた。
 まともな歴史家や普通の一般人からは完全に無視されていたが、やはりこの頃、読み物として非常におもしろいと思ったのは、デニケンの「未来の記憶」など一連のもので、後にはいわゆる“トンデモ本”として括られる類いのものだった。
 これもちょっと日本人にはマネのできない、酒席の話題向きのホラにしてもスケールの非常に大きな壮大な話で、完全にSFに通じるところがある。たとえば、SFの古典的名作になりつつあるホーガンの「星を継ぐもの」の連作やアーサー・クラークの「幼年期の終わり」など、後に「2001年宇宙の旅」の骨格となる作品は、人類の想像と英知をはるかに凌駕する巨大な存在がこの大宇宙にはあるのではないか、という胸躍る想像がどんどん広がっていくので、興奮させられた。
 この流れが、後にSFXなどの新たな表現手法を手に入れた映画界では、SF映画が完全に認知され隆盛を誇るようになり、出版界でもいわばデニケンの亜流ともいえるグラハム・ハンコックのベストセラーを産み出すことになる。
 日本ではこの年に初公開されたことになっている映画「市民ケーン」は、実はテレビでは5年前の1961年に放送(NHK?)されたことがある。このときは、家にテレビもなく、広島八丁堀の喫茶店「白十字」のテレビで、店員さんに頼んで最後まで観た記憶がある。映画史上もモデル問題でもいろいろ話題を提供したこの映画は、オーソン・ウエルズのラジオ番組(火星人襲来のラジオドラマ放送を、ホンモノの実況だと思った人々がパニックになった)で、その非凡さを認めたプロデューサーが後押ししてできたと逸話は語る。
 実をいうと、仕事や勉強以外で個人読者としての興味で読む本はそんなものばかりで、高尚な本はさっぱり縁がなく、文学作品さえも読んでいなかった。早い話、今だに直木賞は読むが芥川賞は読めない(笑)。
 こういうことを書くと非常に不遜に思われるだろうが、純文学というのがどうにも性に合わない。読んでいないわけではなくて、中学高校時代には図書館にあった何種類かの日本文学全集などでいちおう読んだつもりである。もちろん、こどもが読んでわかるようなものでないが、それから社会人になっても、文学作品に親しむという習慣が定着しなかったのは、とにかくどうもしっくりこなかったから、としか言いようがない。
 1954年の年表で「◎光文社「カッパブックス」の刊行開始。」という項目を挙げていたが、でんでんむしのこれも個人的な感覚では、書店の店頭でみる本の構成は、これ以降徐々に変わってきたように思う。一般の人が気軽に読めるような本が、少しずつながら増えていくのは、1955年の「◎新書ブーム。発行点数2733点で、全単行本の12.7%。」からと言えるような気がするのだ。
 同じ出版社という看板を掲げている会社で、専門的とはいえいちおう編集という仕事をしながらも、書店店頭や東京中心の出版事情には直接関わりはなかった。直販で大阪という二重のハンデを負っている身では、それらも遠い世界のことで、もっぱら読者としての関わりしかなかった。だから、業界の外野にいたこの頃は、書店を見て歩くのは楽しかった。
 毎日通勤で、近鉄大阪線の法善寺から高安を経て鶴橋・上六へ出る途中、布施から東に行ったところに、八戸ノ里という駅があった。新聞記者時代の司馬遼太郎も、この駅で乗り降りしていたのだろうか。この頃は、それもまだまったく知らずにいた。
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1965☆『思い出の索引』★でんでんむし@アーカイブス☆わたしたちが生きてきた時代とは… [年表]

われわれはどこから来て、どこへ行こうとしているのだろうか…? 

1965mark.jpg昭和40年 乙巳(きのとみ)
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◯米、月ロケット・レインジャー8号を打ち上げ。
◯米の黒人指導者・マルコムXが暗殺される。
◯ソ・ボスホート2号を打ち上げ、レオーノフ中佐が人類初の宇宙遊泳。米も負けじとホワイト中佐が宇宙遊泳。
◯米ワシントンで反戦デモ。
◯ドミニカで内乱。米海兵隊がドミニカ上陸。後に米州機構の調停で停戦。
◯英、鉄鋼大手14社の国有化を発表。
◯西独がイスラエルとの外交関係を樹立。
◯コロンビアで学生の反米デモ激化。非常事態宣言。
◯米、二人乗り衛星船ジェミニ2号打ち上げ。
◯米、ジョンソン大統領が南ベトナムに5万人増派を声明。米兵力は12.5万に。
◯米ロサンゼルスで黒人暴動、州兵出動。
◯米、世界最大の原子力空母エンタープライズを第七艦隊に配属。
◯米ワシントンで2.5万人の平和大行進。

◯韓国が南ベトナムに2,000人派兵。
◯南ベトナム・サイゴンで反米デモ。グエン=カーン司令官がクーデター。
◯米軍機による北ベトナム・ドンホイ爆撃。(北爆の開始)
◯オーストラリア、フィリピン、ニュージランドがベトナム派兵を決定。
◯シンガポールがマレーシアから分離独立。
◯韓国で日韓条約締結を単独可決。ソウルで反対デモに戒厳令。
◯インドとパキスタン国境で両国軍が衝突。(印パ戦争)後に安保理の停戦決議を受けて停戦。
◯中部ジャワでインドネシア軍と共産系分子が戦争状態に。
◯フィリピン、マルコス大統領当選。
◯ローデシアが一方的独立を宣言。国連安保理が非難決議。
◯コンゴでクーデター。モブツ司令官が大統領に就任。
◯チベット自治区が発足。
◯米軍機がハイフォン郊外のウォンビ発電所を爆撃。
◯中国で姚文元が呉晗の「海瑞罷官」を批判。(文化大革命の始まり)

◉中教審が「期待される人間像」中間草案を発表。
◉山陽特殊製鋼が倒産。負債総額480億円、中小下請に連鎖倒産。(高度成長時代の終りを告げる)
◉「あらゆる国の核実験に反対する」原水爆禁止国民会議結成。
◉日韓会談で、漁業・請求権・在日韓国人の法的地位の合意事項に調印。
◉アメリカの北爆に反対し小田実らが「ベトナムに平和を!市民・文化団体連合」(ベ平連)を結成。初のデモ行進。
◉全国の高校進学率が70%を超える。最高は東京の86.8%、最低は青森の54.3%.
◉社会党臨時党大会、新委員長に佐々木更三を選出。
◉田中蔵相が山一証券に日銀特別融資(無制限・無期限)を発表。
◉家永三郎が教科書検定は違憲として、国に対し損害賠償請求訴訟を提起。
◉大蔵省が景気刺激策として公共事業費などの繰り上げ支出を決定。
◉日本原子力発電東海発電所で、初の営業用原子力発電。
◉衆議院で議長発議により、参議院では自民・民社で日韓条約可決。
◉閣議で国債発行を決定。戦後初の赤字国債。
◉戦後最大の証券不況、物価問題深刻化。

・この年に亡くなった人にはこんな人も…。花柳章太郎。飛田穂洲。三船久蔵。久原房之助。樺島勝一。中澤不二雄。大賀一郎。河野一郎。江戸川乱歩。谷崎潤一郎。池田勇人。上原げんと。高見順。安西冬衛。岡崎勝男。11代目市川團十郎。河上丈太郎。山田耕筰。米川正夫。ウィンストン・チャーチル。ナット・キング・コール。マルコムX。李承晩。ル・コルビュジエ。E・E・スミス。アルベルト・シュバイツァー・サマセット=モーム。

◎日本航空が海外旅行パッケージツアー「ジャルパック」を発売。
◎長野県松代町で地震、松代群発地震の始まり。(約5年間も続き有感地震は6万回を超える)
◎東京農大ワンゲル部で“死のしごき”事件。
◎水質汚染が激しく、神戸須磨を除く京阪神の海水浴場を閉鎖。
◎四日市公害認定患者1号認定。公害患者を守る会発足。
◎新潟県阿賀野川流域で、水俣病に似た症状の患者確認。
◎愛知県犬山市に明治村が開村。
◎国鉄が特急券指定券などを電算機で処理する「みどりの窓口」開設。
◎初の国産旅客機YS-11が、日本国内航空の東京=徳島・高知線に続き、東亜航空が広島=大阪(伊丹)線など国内線に就航開始。
◎大阪市営地下鉄四つ橋線の西梅田駅=大国町駅間が開業。
◎日本信号が信号機に人の形がつく歩行者信号灯を製作。(2014年12月1日の新聞の川柳欄に「なんで男性だけなんだろう」というのがあった)
◎東京湾のごみ捨て場“夢の島”で、ハエが大発生。ハエとネズミ駆除大作戦実施。
◎家庭内に風呂をもつ家が全国で67.8%にのぼる。浴場の経営が立ちゆかなくなる。
◎福岡県山野炭鉱で坑内ガス爆発。死者237人。
◎日本漁船7隻がマリアナ沖で台風29号に遭遇。208人が行方不明。
◎有楽町駅前に東京交通会館が完成。
◎朝永振一郎がノーベル物理学賞を受賞。
◎富士写真フイルム、コンパクト8ミリ映写機「シングル8」発売。わたしにも写せます。
◎わが国初のコンパクトカセットレコーダーをアイワが18,000円で発売。
◎カシオ、世界初の記憶装置付き電子式卓上計算機を発売。
◎富士通、FACOM230を完成。汎用コンピュータの基礎となる。
◎アートネイチャーが創業。
◎松下電器が完全週5日制を導入実施。

◎市川崑の「東京オリンピック」に河野一郎国務相が「芸術的過ぎる」と批判。記録重点に再編集した一本も別にできる。
◎作家・戸川幸夫が沖縄・西表島北部で頭骨と毛皮を発見したヤマネコ。2年後に日本哺乳動物学会が新種と鑑定し「イリオモテヤマネコ」と命名。
◎有馬記念でシンザンが優勝し、初の五冠馬となる。
◎第1回となるプロ野球ドラフト会議開催。(堀内・藤田平・長池・鈴木啓ら)
◎中央公論社「日本の歴史」全25巻の初期配本分がベストセラーに。歴史書ブーム。
◎マンガ「おばけのQ太郎」「ゲゲゲの鬼太郎」「おそ松くん」などが人気。

■流 行:ミニスカート・エレキギター・レーシングカー。
■テレビ:ザ=ガードマン・小川宏ショー・アフタヌーンショー・11PM・サザエさん。
■邦 画:市川崑/東京オリンピック・黒沢明/赤ひげ・熊井啓/日本列島・
■洋 画:テレンス=ヤング/007サンダーボール作戦・ロバート=ワイズ/サウンド=オブ=ミュージック・フェデリコ・フェリーニ/8½。
■ 歌 :加山雄三/君といつまでも・田代美代子&和田弘とマヒナスターズ /愛して愛して愛しちゃったのよ・倍賞千恵子/さよならはダンスの後で・北島三郎/兄弟仁義・函館の女・帰ろかな。
■ 本 :開高健/ベトナム戦記・岡村昭彦/南ベトナム戦争従軍記・三浦綾子/氷点・
■ことば:やったるで・フィーリング・かぎっ子・期待される人間像・しごき。

❖年表の元ネタ主な参考資料三省堂『コンサイス世界年表』三省堂編修所編。河出書房新社『昭和・平成 家庭史年表』下川耿央・家庭総合研究会編。小学館『昭和・平成 現代史年表』神田文人編など。

dendenmushi.gif(2014/12/18 でんでんむし蛇足の記)
 新幹線が開通したことと、カセットテープレコーダーなるものが登場したことは、出張事情を大きく変化させることになった。
 雑誌の編集部では、主に誌面のレイアウトや座談会やインタビュー、それに取材記事の執筆などが担当する中心的な仕事であったが、場合によっては東京まで出かけなければならない。でかい(今流行りのころころバッグの小さいのくらい)ソニーのオープンリールのテープレコーダーをよっこらしょと抱えて、大阪から夜行寝台の「明星」だか「銀河」だかに乗って行っていたのである。
 それが、新幹線とテレコの登場によって、大幅に負担が軽減され、ありがたかった。日帰りは楽でもないが、当時はまだビジネスホテルも現在のように普及しておらず、泊まるよりは新幹線でさっさと帰ってきたほうがよいという一面もあった。
 座談会やインタビューの記事をまとめるには、まず録音を再生して聴きながら、それを文字に起こすという作業が前提になる。ところが、これが結構な難作業で、基本的にはちょっと聴いてはそれを原稿用紙(これも400字詰めではなく800字詰に近いものでないとやりにくい)に書き取り、また続きを聴き…ということを、延々と繰り返さなくてはならない。テレコの再生→一時停止→再生という操作は、そういう作業を想定していないようで、がちゃがちゃといちいちハンドルを動かさなくてはならない。
 そこで、ちゃんとそういう道具も登場した。どこへどのように接続したのかは忘れたが、足踏みで一時停止と解除ができるペダルである。これは便利!
 カセットテレコの登場は、たちまちオープンリールやペダルを無用のものにしてしまった。「わたしにも写せます」のほうは、活字媒体の世界ではまだまだ別のことに過ぎなかった。
 こんなことを書いているのも、ICレコーダを記者会見のテーブルに並べたり、ノートブックを開けて直接キー操作をしている現在の取材風景からは、とうに想像の外になってしまった昔の文字起こしのことも、記録に留めておきたい、と思ったからだ。とにかく、機器の進歩でどんどん旧式の機器が陳腐化してしまうという現象は、この頃から顕著になり始める。
 編集者の仕事は文字起こしでは終わらない。腕の見せ所は、それから後の原稿にするところで、これにもいろいろな工夫が必要だった。座談会やインタビューといえば、しゃべった話をそのまま書けばいいのだろうと思っている人がいるだろうが、残念ながらそうはいかないのだ。
 模型飛行機を飛ばしていた昔から空への憧れがあったため、東亜国内航空がYS-11を大阪=広島に飛ばすことになって、広島への所用で帰ったときに、さっそくこれに乗ってみた。飛行機初体験である。当時の広島空港は観音にあって、小さな窓からそれまで地図と写真でしか見たことのない広島のデルタを眺めて感動した。その記憶は今も鮮やかなのだが、そのときに見た広島湾の水があまりきれいとは言えず、ひどく気になった。
 経済成長とともに、公害が問題化しつつあったが、まだ環境汚染という意識には間遠いものがあった。たまに来て見る隅田川も、この頃は臭くてしょうがなかったような記憶もある。
 「みどりの窓口」も、それまでの特急券指定券入手の困難さめんどくささを一変させた。年末年始やお盆など、現在では車で高速道路でというほうが一般化しているが、この頃はまだ高速道路網も完備しておらず、マイカーも普通とは言えなかった。帰省するにもどこかへ行くにも、国鉄の指定券を入手するために駅には大行列ができたり整理券が配られたりする始末だった。
 それが、窓口ですぐに買えたり、あるいは買えないということがすぐにわかるというのは画期的なことだった。
 いよいよ、電子計算機(コンピュータ)が、生活に関わっていくようになる、これが最初の動きだったと言えるのかもしれない。
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1964☆『思い出の索引』★でんでんむし@アーカイブス☆わたしたちが生きてきた時代とは… [年表]

われわれはどこから来て、どこへ行こうとしているのだろうか…? 

1964mark.jpg昭和39年 甲辰(きのえたつ)
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◯パナマ運河地帯で、学生と米軍衝突、騒乱。
◯仏が中華人民共和国を承認。
◯キプロスでギリシャ系とトルコ系の住民が衝突。国連安保理が警察軍派遣を可決。
◯ブラジルで軍部によるクーデター。カステロ将軍が大統領に。
◯ニューヨークで白人警官が黒人少年を射殺。争乱が続発。
◯米月ロケット、チャレンジャー号が月面の近接撮影に成功。
◯トンキン湾事件勃発。米が国籍不明の魚雷艇と応戦と発表。
◯米議会がジョンソン大統領の東南アジア軍事措置を支持。
◯米、ケネディ暗殺に関するウォーレン報告を公表。
◯英総選挙で労働党が勝利、ウィルソン内閣成立。
◯ソ連でフルシチョフが首相兼第一書記を解任され、コスイギンが首相に。
◯米、民主党ジョンソンが大統領選挙で当選。

◯南ベトナム軍部クーデター。グェン・カーン将軍が首班に。
◯ラオスでは右派軍のクーデター。
◯韓国で朴政権打倒デモ。ソウルに戒厳令。学生デモ各地に波及。
◯駐南ベトナム米大使が辞任し、テーラー統合参謀本部議長が後任。
◯トンキン湾事件を受けて、米軍機が北ベトナムを報復攻撃。
◯独裁政権に反政府運動が拡大し、グェン・カーン大統領辞任。
◯コンゴ内戦。反政府軍が人民共和国を宣言。
◯中国が初の原爆実験。
◯民族解放戦線が南ベトナムのビエンホア米軍基地を奇襲。
◯コンゴ、スタンレービルにベルギー降下部隊が降下し、人質救出。
◯南ベトナム若手将校団が政治家を逮捕、国家評議会を解散。
◯アフリカで、タンザニア共和国、マラウイ共和国、ザンビア共和国、ケニア共和国が誕生。

◉吉田茂元首相が台湾を訪問。蒋介石総統に池田親書を手交。
◉米大使館前でライシャワー大使が少年に刺され負傷。輸血が問題化。
◉国際通貨基金(IMF)8条国に移行。自由化率93%に。
◉総評の太田議長らが池田首相と会談。公労協ストは中止。
◉戦後初の戦没者叙勲を決定。
◉東京地裁、三無事件に破防法を初適用して有罪判決。
◉原子力委員会が原潜寄港は安全性に問題なしと結論。政府は原潜寄港受諾を米に通告。
◉サブロック積載の原潜は事前協議の対象とする政府統一見解。
◉池田首相入院。

◉第18回オリンピック東京大会開催。
◉自民党議員総会で、佐藤栄作を後継首班に指名。
◉池田内閣総辞職、全閣僚再任で佐藤内閣誕生。
◉原潜シードラゴン号が佐世保に寄港。
◉全日本労働総同盟結成。
◉公明党の結成大会。
◉日本特殊鋼が会社更生法適用を東京地裁に申請。
◉第7次日韓会談開始。
◉琉球立法院が日本復帰、施政権返還要請決議を満場一致で可決。
◉日銀が日本共同証券に400億円の特別融資。
◉粗鋼生産高が、3979万トンで世界第3位に。

・この年に亡くなった人にはこんな人も…。八波むと志。尾崎士郎。高碕達之助。辰野隆。太田垣士郎。三好達治。朝倉文夫。堤康次郎。佐藤春夫。大野伴睦。金山平三。佐田啓二。3代目三遊亭金馬。三木露風。2代目広沢虎造。アラン・ラッド。エルンスト・クレッチマー。ダグラス・マッカーサー。レイチェル・カーソン。ジャワハルラール・ネルー。コール・ポーター。ノーバート・ウィーナー。

◎国鉄、電子式座席予約装置を開設。
◎新潟地震で死者26人、全壊全焼2250戸。昭和石油の原油タンク爆発。昭和大橋賀崩壊。液状化が初めて確認される。
◎東京の水不足が深刻化。第四次の給水制限。
◎東京モノレール、浜松町=羽田空港間で開業。
◎東海道新幹線開業(東京=新大阪間4時間)。
◎海外渡航が自由化。ハワイが渡航先人気のトップ。
◎東京オリンピックで、重量挙げ、体操、女子バレーボールなど18種目で金。

◎野球留学中の村上雅則が大リーグ・ジャイアンツに入団。初の日本人大リーガー。
◎東京でホテル・ニューオータニ、東京プリンスホテル開業。
◎カルビー製菓、かっぱえびせん発売。
◎大関酒造がワンカップ大関を発売。
◎十條キンバリー、クリネックスティッシュを発売。
◎東京・上野の国立西洋美術館で、朝日新聞社主催「ミロのヴィーナス展」開催。フランス国外で初。
◎東京12チャンネル開局。
◎「平凡パンチ」「ガロ」創刊。
◎石森章太郎「サイボーグ009」、藤子不二雄「オバケのQ太郎」・白土三平/カムイ伝などマンガ週刊誌などで連載開始。

■流 行:シェー!・みゆき族・プレタポルテ。
■テレビ:ひょっこりひょうたん島・大河ドラマ/赤穂浪士・木島則夫モーニングショー・ミュージックフェア。
■邦 画:今井正/越後つついし親不知・今村昌平/赤い殺意・斎藤武市/愛と死をみつめて。
■洋 画:突然炎のごとく・アメリカ=アメリカ・マイ=フェア=レディ。
■ 歌 :美空ひばり/柔・坂本九/明日があるさ・都はるみ/アンコ椿は恋の花・水前寺清子/涙を抱いた渡り鳥・ペギー葉山/学生時代・岸洋子/夜明けのうた・ザ・ピーナッツ/ウナ・セラ・ディ東京。
■ 本 :北杜夫/楡家の人びと・大仏次郎/パリ燃ゆ・大江健三郎/個人的な体験・柴田翔/されどわれらが日々。
■ことば:おれについてこい!・ウルトラC・太った豚になるより痩せたソクラテスになれ。
 
❖年表の元ネタ主な参考資料三省堂『コンサイス世界年表』三省堂編修所編。河出書房新社『昭和・平成 家庭史年表』下川耿央・家庭総合研究会編。小学館『昭和・平成 現代史年表』神田文人編など。

dendenmushi.gif(2014/12/14 でんでんむし蛇足の記)
 結婚して間もなく、本社の移転にともなって広島から大阪へ転勤になったが、その大阪で最初に住んだところは門真。引っ越し荷物の送り先には「大阪府北河内郡門真町」とあった。会社が探してくれたアパートは6畳1間でトイレは共同、タンスが入口からも窓からも入らない。しかたがないので、その日のうちに近所に建っていた文化住宅を自分で探して入居した。
 “文化住宅”というのは「文化」のレベルを押し下げているとしか思えないような住宅だったが、玄関(ドアではなくガラス障子の引き戸)の三和土と台所が並んでいて、その向うに4畳半と6畳の和室が続き、狭いテラスとトイレがくっついている。それが6〜7軒くらい1階と2階にズラーっと並び、それが道の両側に向かい合っている。玄関につながる2階の通路はアーケード式になっていて、これがなんとなく西部劇に出てくる開拓の町のような印象があった。道路もまだ舗装が完成していないところが多くて、そこへ根無し草が丸まって転がってくればまさにピッタリという光景である。
 2階と1階は別々で、うちの下は開店したばかりのお寿司屋さんだった。新しい街には、若い駆け落ち者やそれらしい者などが住んでいたりして、そこは大阪らしくすぐに声を掛けあい内輪の話も筒抜けになる。うちにテレビがないと知ると、若い夫婦者の奥さんが「そんなん今時かわいそうやわ」といって要らなくなった古いテレビを旦那に運ばせてむりやり置いていった。うちは別にテレビなんかいらんのやけどなあ。
 だが、それをつけてみるとちょうど衛星中継が始まったところで、飛び込んできたのがアメリカのケネディ大統領が暗殺される映像だったので、それは1963年のことだった。
 引っ越してすぐに、門真町は門真市になるが、そこは松下電器の本社があるところだった。有名な話だが、最初この地は大阪の東北で鬼門に当たるという反対論を、松下幸之助は日本中が東北に向いているじゃないかと押し切ったというが、要は地代がいちばん安い低湿地帯だった。
 水田や蓮田が広がるなかに、それをつぶしてどんどん文化住宅が建っていた。始めは天神橋に近いところにあった会社まで通勤するには、京阪電車は比較的便利な線だったのが、門真になった主な理由だったのだろう。この京阪電車がすごい! 初めて体験する都会の通勤(痛筋)電車は、古川橋から京橋まではとにかくギュウギュウすし詰めの超満員。当時の京阪は天満橋が終始点駅で、そこから天神橋筋まで中之島を横切って通っていた。
 文化住宅は大阪の周辺では、門真に限らずあちこちでバンバン建っていた。新聞の不動産広告では“文化”の文字がぎっしり並んでいた。だが、これはおそらく関西(京阪神)だけの特異な現象だっただろうと思う。
 風呂はないので、京阪電車の古川橋駅付近の銭湯まで、石けんかたかた鳴らして通った。夫婦で行って、どちらかが出て来るのを待つという門真の“神田川”だったが、その歌はまだ生まれていない。銭湯はその名も“幸福温泉”で、駅前には“幸福市場”があった。各商店のにぎやかな呼び声は、いかにも大阪らしさを感じた。
 水田は見慣れているけれど、こんなに広い一面のレンコン畑を見るのは初めてだった。青青と葉を広げ、きれいな花も咲く時期も冬枯れの時期も、それぞれ味わいがある。とくに、冬場の寒い時に行なわれるレンコン掘りは、体半分近くまで泥田に浸かりながら、舟を浮かべて探り出し掘り出したレンコンを収穫していく大変な作業だと感心した。(今ではもうそんなことはしないで、エアポンプで空気を送り込んで掘り起こす。)
 こどもが産まれて、今度は近鉄大阪線の法善寺駅付近に自分で貸家を探してきて、住んでいた。近鉄大阪線のラッシュ区間は京阪電車ほど長くはなかった。門真は山が少し遠い。やっぱり山のそばに住みたいなあと考えて、生駒信貴の山並みが南の大和川で切れそうになる手前のところ(柏原市)を選んだのである。
 イチゴ畑やブドウ畑が広がる河内平野の山裾は、古い歴史を秘めたところでもあって、なかなか趣があった。近鉄大阪線は、当時は上六が終点だったので、そこからはバスに乗り換えて後に東梅田に移った会社まで通っていた。地下鉄はまだ御堂筋線しかなかった。
 この頃から、ちょっと凝りはじめたのが古寺巡礼で、日曜日にはよく奈良や京都のお寺を訪ね歩いた。和辻哲郎の「古寺巡礼」はだいぶ古いけれど、中村直勝の本などもとてもよいガイドになって、多少は仏のこころに添うことができたような気もしていた。
 古代史への興味が湧いてきたのも、そこいらじゅうに古墳があるこの地域の環境に触発されたことが大きい。
 借家はブドウ農家が古い集落に隣り合う畑に建てたもので、少し高いところからは広い河内平野を見渡すことができ、夏ともなると河内音頭の囃子がブドウ畑を越えて流れてくる。
 後になってから、そうだ本場の河内音頭を一度くらい見に行けばよかったと思ったりもするが、当時はやはり新参の流れ者として、そういう余裕はなかったのだろう。
 東海道新幹線ができて、東京オリンピックが開かれたこの年、会社ぐるみで新幹線に乗ってオリンピックを観に行った。といっても、総務の担当者や開設して間もない東京事務所の連中は入場券を取るのに大変な苦労をしたらしいが、競技もなにも選んでいるような状態ではなかったので、とにかく手に入った入場券で、各自バラバラにだけどある程度はまとまって、順番に五月雨式に行くことになった。でんでんむしが当たった券は、駒沢競技場でのあまり聞かない国どこやらとどこやらの男子バレーの試合であったから、もっぱら新幹線に乗りに行ったようなものだった。
 広島から始まり、西日本が中心だった出版社も、出版社としてはいずれは東京に進出しなければ勝負にならなかった。それは一部では以前から自明のビジョンでもあったらしい。社内預金制度の会の名もそれを示していたし、非公式には「第二社歌」(第一はない)というのがあるといい、それがなんと村田英雄の「王将」だというのだ。
  「明日は東京へ出て行くからは なにがなんでも勝たねばならぬ…」
  大阪への本社移転は、そのための中継点であり、東京オリンピックへ全社員が行こうというのも、その布石であったかもしれぬ。
 
 (これからまた、しばらくの間、平常運転で隔日更新に戻ります。12/15)
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1963☆『思い出の索引』★でんでんむし@アーカイブス☆わたしたちが生きてきた時代とは… [年表]

われわれはどこから来て、どこへ行こうとしているのだろうか…? 

1963mark.jpg昭和38年 癸卯(みずのとう)
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◯ドゴール仏大統領が、英のEEC加盟拒否を声明。
◯仏と西独が協力条約に調印。(パリ=ボン枢軸)
◯米原潜スレッシャー号が、ボストン沖で沈没。乗組員129人全員死亡。
◯女性宇宙飛行士テレシコワ少尉を乗せた、ソの人間衛星船ボストーク6号が地球を48周して帰還。
◯米ソ直通通信(ホットライン)協定。
◯フルシチョフ首相が東西不可侵と部分的核停を提案。
◯ソ、中国共産党とモスクワで会談するも、物別れに。
◯米英ソが核実験停止会議。
◯大気圏内、宇宙空間、水中における核兵器実験禁止条約に調印。(部分的核実験禁止条約)
◯ドゴール大統領が部分的核実験禁止条約に仏は不参加を表明。
◯人種差別の撤廃と雇用の拡大を求める20万人の「ワシントン大行進」。
◯ドゴールがベトナムの民族自決・独立・平和・統一を主張。
◯西独のアデナウアー、英のマクミラン両首相が辞任。後任は、エアハルトとヒューム。
◯米、クーデター後の南ベトナム新政権を承認。
◯ケネディ大統領が、テキサス州ダラスで暗殺される。(ジョンソン副大統領が大統領に就任)
◯東独、クリスマス期間中の西ベルリン市民の東独訪問について西ベルリン市と協定。
◯モスクワで開かれた中ソ両国共産党会談が始まるも決裂。

◯イラクとシリアで、バース党によるクーデター起こる。
◯ラオスでパテト・ラオ軍がジャール平原を奪取。両派首脳会談。
◯南ベトナム、ユエで反政府デモ。
◯インドネシアではスカルノ大統領を終身国家元首に。
◯南ベトナム、サイゴンで僧侶が焼身自殺。
◯南ベトナム、戒厳令。軍隊と警察が寺院を占領。僧侶や学生を逮捕。
◯カンボジアが南ベトナムと断交。
◯シンガポール、完全独立を宣言。
◯「人民日報」と「紅旗」がソ連共産党公開状への批判を6回にわたり掲載。
◯マレーシア連邦が発足。
◯南ベトナムでクーデター。ゴ大統領兄弟が殺害される。臨時政府発足。
◯イラクで大統領がクーデター、バース党政権を倒す。

◉IMF理事会から8条国移行の対日勧告。
◉ガット理事会から11条国への移行決定を通告。
◉原子力科学者154人が原子力潜水艦寄港反対を声明。日本学術会議もこれに続く。
◉新産業都市として水島など13か所、工業整備特別地区に鹿島など6か所を指定。
◉第9回原水禁大会が分裂。
◉政府主催の第1回戦没者追悼式。
◉最高裁が松川事件の再上告を破棄、被告全員の無罪が確定。
◉最高裁が砂川事件の再上告を棄却、被告7人の有罪が確定。
◉「火主水従」への発電方式の流れが決定的になる。
◉第4次池田内閣。全閣僚留任。
◉中小企業近代化促進法公布。

・この年に亡くなった人にはこんな人も…。佐佐木信綱。渋沢敬三。石井茂吉。野村胡堂。夏目鏡子。久保田万太郎。長谷川伸。大田洋子。小津安二郎。力道山。セオドア・フォン・カルマン。ジョルジュ・ブラック。ジャン・コクトー。エディット・ピアフ。ゴ・ディン・ジエム。ジョン・F・ケネディ。エルネスト・レクオーナ。ダイナ・ワシントン。

◎北陸地方に豪雪被害。赤痢蔓延などで156人死亡。
◎宮内庁が雑誌「平凡」の連載小説「美智子さま」の中止を申し入れ、5月号で連載中止になる。
◎東京・入谷で4歳の幼児が誘拐される。(吉展ちゃん事件)
◎埼玉県狭山市で女子高校生誘拐殺害事件。死刑判決の被告が自白撤回。(狭山事件)
◎大阪駅前に初の横断歩道橋が完成。二番目は東京の五反田駅前。
◎国鉄がATS(列車自動停止装置)の使用を開始。
◎生存者叙勲が復活。
◎雑誌「中央公論」に林房雄の「大東亜戦争肯定論」を掲載。
◎ニセ札に対処するため、新1000円札(伊藤博文)発行。
◎横須賀線鶴見付近で二重衝突事故。161人死亡。
◎三池炭坑三川鉱でガス爆発。死者458人。一酸化炭素中毒による後遺症も問題化。
◎東京都内に正体不明の“草加次郎”による連続爆発物事件。

◎門司・小倉・八幡・戸畑・若松の5市が合併して、人口105万の北九州市が発足。
◎キヤノンが大企業では初の週5日制、三菱電機は第1と第3土曜日を休日に踏み切る。(週休2日制が広がり始める)
◎大阪・千里ニュータウンの入居開始。
◎国土地理院が基本図に2万5000分の1を採用。
◎東京医科歯科大学の齊藤洋三助教授が、初めて「スギ花粉症」を報告。
◎東大総長茅誠司らが「小さな親切運動」を提唱。

◎初の日米間テレビ宇宙中継の受信実験に成功。映し出されたのはケネディ暗殺の映像だった!
◎第14回NHK紅白歌合戦が歴代最高視聴率81.4%(関東地区、ビデオリサーチ調べ)。
◎NHK大河ドラマ第1作「花の生涯」放映。
◎連続テレビアニメ国産第1号「鉄腕アトム」放映開始。「鉄人28号」「エイトマン」と続く。
◎小松左京・星新一らが日本SF作家協会を設立。
◎プロレスラー力道山が、赤坂のキャバレーでやくざに刺殺される。
◎NHKが女子社員を表わす“BG”を放送禁止用語に。女性週刊誌が募集した“OL”が使われるようになる。
◎邦画5社がこれまで続けてきた劇映画のテレビ放映禁止を解除。

■流 行:ボウリング・ダイヤブロック・レゴ。
■テレビ:NHK大河ドラマ・鉄腕アトム・アップダウンクイズ・キユーピー3分クッキング・ロンパールーム。
■邦 画:黒沢明/天国と地獄・今井正/武士道残酷物語・田坂具隆/五番町夕霧楼。
■洋 画:デヴィッド=リーン/アラビアのロレンス・テレンス=ヤング/007は殺しの番号・ジョン=スタージェス/大脱走・アーサー=ペン/奇跡の人。
■ 歌 :舟木一夫/高校三年生・三田明/美しい十代・三波春夫/東京五輪音頭・梓みちよ/こんにちは赤ちゃん・ザ=ピーナッツ/恋のバカンス・真理ヨシコ/おもちゃのチャチャチャ・坂本九/見上げてごらん夜の星を。
■ 本 :山口瞳/江分利満氏の優雅な生活・司馬遼太郎/竜馬がゆく・占部都美/危ない会社・河野実=大島みち子/愛と死をみつめて・井上清/日本の歴史。
■ことば:三ちゃん農業・バカンス・かわいこちゃん・かぎっ子・キーパンチャー。

❖年表の元ネタ主な参考資料三省堂『コンサイス世界年表』三省堂編修所編。河出書房新社『昭和・平成 家庭史年表』下川耿央・家庭総合研究会編。小学館『昭和・平成 現代史年表』神田文人編など。

dendenmushi.gif(2014/12/12 でんでんむし蛇足の記)
 SFにのめり込んでいくようになるのが、日本SF作家協会ができる前の年くらいからだった。ミステリーも読んだが、SFのほうがおもしろいと思った。(福島正美責任編集の「SFマガジン」では、手塚治虫が「鳥人大系」の連載を始めていたという記憶があったので、念のためにと確認してみたら、それは1971年からで、記憶とはなんと8年もズレていた。)
 映画だのSFだのそういう個人的な興味と、仕事の内容を一致させるのは、まず普通の場合できっこない。趣味や興味と仕事は別。それは誰でもそう思うだろう。しかし、事前に出版物などの内容がわかっていたら、ひょっとしたらこの会社をわざわざ選んだだろうか…。実際には、出版という同じジャンルでの選択の余地などまったくなく、他との比較などもできなかったわけだが、そんな思いも自分にあった。そういう、個人的興味からすれば明らかに畑違いであるはずの編集部の中に、ずっと居着いてしまうことになったのは、自分なりの役割とやりがいも感じられたからであろうと、これは後になってみて思う。
 一言でいえば、言葉・文章でいかに伝えるという点では、編集の基本は扱う情報のジャンルを問わない。これができなければ、どんな分野の編集でもできないだろう。
 税法の法令集も出していて、その校正もよくやった。法令の文章というのは、よく読めばなかなか味のある、そして精緻に組み立てられた日本語文である。門前の小僧でも経を読むというのに、門の中に入ってしまった小僧がこれを読まなくてどうする。
 勉強をしなければならないと思うが、これを読めばいいという入門書・参考書がなかなかなかった。この経験も、後に単行本の編集をやるときに、役に立った。
 いちばん大きかったのは、社長の意気に感じたことで、及ばずながら力になろうじゃないか、役に立とうじゃないか、そんな気持ちにもなっていた。その人は、満州から引き揚げてきてさあなにを仕事にするかというとき、ちょうどシャウプ税制で難儀をしていた事業者や個人のために、自分で税金の解説を書いて売り歩いたという苦労をしてきたという。
 それから10年かけて出版社らしい形になってきたが、よく「大企業なんてものは、きれいな大きなビルに入って大勢が寄ってたかってかっこよくやっているが、実はその中身はくだらんことが多いんだ」「中小企業が大企業のマネをしてはいけない。ほんとうに中小企業のためになる、役立つ情報はどこにもないではないか」というようなことを言っていた。
 中小企業の数は、1963年当時で400万くらいであった。その後1996年まで増加し続け、ピークには600万社を超えるがそれからは減少に転じ、最新の発表統計では385万社(者)となっている。50年の間にいったん増えて、また50年前の水準以下になっているわけだ。
 中小企業白書は、毎年判で押したように、“わが国企業数の99.7%、従業者数の7割、付加価値額(製造業)の5割強を占めるなど、「日本経済の基盤を形成」している”といってきたが、その基本状況にも長い間大きな変化はなさそうである。中小企業の定義は、若干時期によって微妙に変わっているが、大筋製造業では資本金3億円以下・300人以下で、サービス業ではこれが5,000万円以下・100人以下になる。
 1963年当時で400万あった中小企業の多くは、戦後にあるいは昭和25年以降に新規に設立されている、といってよい。新しい日本が復興と新生への期待を膨らませつつあるなかで、自らの才覚によって創業し、それに後からだんだんと信念のようなものが自信とともに養われていく…。多くの中小企業経営者がそんな経緯の中で事業を発展拡大して、そこへまた新規参入組や個人経営から法人成りで会社になるのも増加してきた。
 いわゆる高度経済成長期の中核をなしていたともいえる、1962(昭和37)年から1966(昭和41)年にかけて、ちょうど中小企業の数もどんどん増えピークに達していた時代には、そんな一面もあった。
 入社した会社の社長も、自らも中小企業そのものであるが、中小企業こそ国の柱である、その中小企業経営のために資する出版をという、固い信念の持ち主であった。そのためにも、中小企業のメッカでもある大阪に本拠を置くべきだと、本社移転という大技に踏み切ったのである。
 そして、雑誌の数も増やし、税務のみに留まらず企業経営(経営者)、総務経理部門、販売営業部門のそれぞれにわたる情報提供を志した。それは、きわめて時機にかなった経営戦略で、雑誌の部数も徐々に伸ばしていった。
 担当していた総務経理部門の雑誌では、各企業の求人が重要なテーマにもなり、「金の卵」と言われるようになっていた地方から都会へ働きに出る人の数も増え続けていた。
 高度成長は、そうした勤勉な労働力や多くの中小企業の努力と底力によって、時勢のめぐり合せもうまく噛みあって現出されていったと言える。
 初めて住むことになった大阪は、ほんまおもろいとこやったわ。
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