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1982☆『思い出の索引』★でんでんむし@アーカイブス☆わたしたちが生きてきた時代とは… [年表]

われわれはどこから来て、どこへ行こうとしているのだろうか…? 

1982mark.jpg昭和57年 壬戌(みずのえいぬ)
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◯ポーランド問題でNATO外相会議が対ソ制裁宣言。
◯アルゼンチン軍がフォークランド諸島を占領。
◯西独で反核大行進。欧米各都市で反核運動。
◯イスラエル、シナイ半島をエジプトに返還。
◯英軍が、アルゼンチン軍を攻撃しフォークランドを奪回。
◯イスラエル、ベイルートを包囲。PLOの西ベイルート退去で合意成立後退去。
◯イスラエル軍によるパレスチナ難民キャンプ虐殺事件。
◯ソ連のブレジネフ書記長が死去。後任にアンドロポフ元KGB長官が就任。
◯ポーランド、ワレサ(議長)を釈放。
◯米、上院外交委員会が日本に対する防衛力増強決議案を可決。
◯韓国の金大中、米国へ出国。

◉日米安保協議委員会、極東有事研究に着手で合意。
◉東京地裁、ロッキード事件全日空ルートで若狭会長、渡辺元副社長らに執行猶予付き有罪判決。
◉政府が8月15日を「戦没者を追悼し平和を祈念する日」と決定。
◉鈴木首相は、従来の首相が「私人」としてきた靖国参拝について、公人か私人かの区別を明確にしない方針を示す。
◉反核・軍縮の「平和のための東京行動」。
◉215品目の関税率引き下げなど、政府が市場開放措置。
◉国連軍縮特別総会に向けた反核署名、国民運動推進連絡会議が2753万余人分を集めて国連事務総長に提出。
◉東京地裁、ロッキード事件全日空ルートの橋本元運輸相佐藤元運輸政務次官に有罪判決。
◉文部省の教科書検定が統制色を強め、中国への「侵略」を「進出」と変える。これに対し、中国政府が非難。
◉韓国政府も教科書の日本植民地支配の記述に抗議、是正を要求。
◉第3次臨調答申で、国鉄・電電・専売の三公社の分割民営化と省庁統廃合などを提言。
◉公職選挙法改正。参院全国区に拘束名簿式比例代表制度導入。
◉鈴木首相が中国・韓国などアジア諸国からの教科書批判に対し、政府の責任で是正することを決定。来日中の趙紫陽中国首相に説明。
◉派閥間の調整が不成立で、自民党総裁候補決定選挙。1位の中曽根康弘が組閣。官房長官後藤田正晴。

・この年に亡くなった人にはこんな人も…。北村寿夫。堀越二郎。三益愛子。志村喬。江利チエミ。衣笠貞之助。水原茂。大中寅二。西脇順三郎。池田弥三郎。坪田譲治。中田ダイマル。佐分利信。灰田勝彦。石本秀一。諸橋轍次。三波伸介。フィリップ・K・ディック。イングリッド・バーグマン。グレース・ケリー。グレン・グールド。マリオ・デル・モナコ。レオニード・ブレジネフ。アルトゥール・ルービンシュタイン。ロイ・ジェームス。

◎底引き網漁船第28あけぼの丸がベーリング海で転覆。死者32人。
◎東京永田町のホテルニュージャパンで火災。死者33人。防火設備の不備欠陥に非難。横井英樹社長逮捕。
◎日航福岡発羽田行きDC-8型機が羽田空港着陸寸前で海中に墜落。24人死亡、150人が負傷。機長の心身症が原因。
◎桂離宮の大修理が終了。
◎東北新幹線が盛岡まで開業。新潟への上越新幹線も開業。
◎教科書検定で「侵略」が「進出」と書き換えられ問題化。
◎右翼の妨害を恐れた島原市議会が日教組大会の開催に反対、ホテルで分散開催。
◎九州北西部、山口県などで豪雨被害。長崎市の死者不明者は299人に。重文の眼鏡橋も壊れる。
◎大型台風10号が、本州中部を横断、富士川鉄橋や中央自動車道に被害。80人が死亡・行方不明。
◎三越本店の“古代ペルシャ秘宝展”の展示物のほとんどが偽物と判明。
◎三越岡田茂社長を取締役会が解任。腹心の裏切りに「なぜだ!」。
◎三越岡田元社長と納入業者の竹久みちが脱税容疑で逮捕。元社長の特別背任容疑で再逮捕。
◎教科書検定で削除された日本軍の沖縄戦での住民虐殺の記述回復を求める決議案を沖縄県議会が採択。
◎北炭夕張炭鉱が閉山。
◎500円硬貨発行。
◎東京の葛飾・足立・江戸川の3区長が建設省に下水道整備促進を陳情。3区の普及率は25%、都内の平均は74%。
◎資生堂が「薬用不老林」を発売。他社からも新製品が続出し養毛剤ブームとなる。従来禁句とされていた表現がCMなどで使われ、この年から“ハゲ”のマイナスイメージが転換し養毛剤もネアカ商品に。
◎学校側の要請で、卒業式に警官を派遣した中学・高校は、全国で1528校。
◎ユニチャームの使い捨ておむつ「ムーニー」が大ヒット。前年比20.6倍の売上げに。

◎東京浅草の国際劇場、SKD公演を最後に閉館。
◎「岩波ブックレット」、「新潮45+」、「大活字本」刊行。
◎3.10に9惑星が太陽から見て95どの角度内に納まる惑星大直列を1050年ぶりに観測。
◎電電公社がカード式公衆電話を設置を開始。テレホンカード利用開始。
◎電電公社がわが国初の携帯用文書作成機を開発。(ワープロ)
◎東京地裁、コンピュータ・プログラムも著作権法で保護される著作物と判決。
◎第一勧銀がパーソナル・コンピュータを使った家計・ローンの相談サービスを開始。

■流 行:国鉄のフルムーン・エアロビクス・ゲートボール・テレカ・養毛剤。
■テレビ:笑っていいとも!。
■邦 画:深作欣二/蒲田行進曲・大林宣彦/転校生。
■洋 画:スティーブン=リズバーガー/トロン・スティーヴン=スピルバーグ/E.T.・テッド=コッチェフ/ランボー・クリント=イーストウッド/ファイヤーフォックス・ヒュー=ハドソン/炎のランナー・ジャミー=ユイス/ミラクル=ワールド ブッシュマン・リドリー=スコット/ブレードランナー
■ 歌 :細川たかし/北酒場・あみん/待つわ・岩崎宏美/聖母たちのララバイ・松田聖子/赤いスイートピー・渚のバルコニー・中森明菜/少女A・山下久美子/赤道小町ドキッ・一風堂/すみれ September Love・シュガー/ウエディング=ベル・上田正樹/悲しい色やね・オフコース/YES-YES-YES・わらべ/めだかの兄妹・研ナオコ/夏をあきらめて・三好鉄生/涙をふいて・高樹澪/ダンスはうまく踊れない。
■ 本 :鈴木健二/気くばりのすすめ・穂積隆信/積木くずし・江本孟紀/プロ野球を10倍楽しく見る方法・小学館/日本国憲法。
■ことば:んちゃ・るんるん・ネクラ・ネアカ・心身症・逆噴射。

❖年表の元ネタ主な参考資料三省堂『コンサイス世界年表』三省堂編修所編。河出書房新社『昭和・平成 家庭史年表』下川耿央・家庭総合研究会編。小学館『昭和・平成 現代史年表』神田文人編など。

dendenmushi.gif(2015/03/10 でんでんむし蛇足の記1982)
 あれはお前さんの言うとおりだったなあ…。そんなふうに社長が述懐したのは、江本孟紀の本がベストセラーになって騒がれたときだった。実はその前から、テレビ野球を観戦するためのガイドブックを出したらどうかという提案をしていたのだが、いまひとつピンとこなかったらしく、時期尚早と見送りになっていた経緯があったからだ。
 だが、考えただけでは企画とも言えず、実現しなければ、意味もない。
 ビジネス書からジャンルを広げて一般書へも挑戦していくという社長の意思は、数学分野での小さな成功の積み重ねで徐々に確かになっていったようだ。数学の苦手なでんでんむしも、数学のおもしろさはわかる。そういうレベルで出した雑学本的なものが売れて、今度はもう少し突っ込んだものもやろう。営業がもってきたのは微分積分の本を出して欲しいという注文だった。なんで微積なの?とそのことはちょっと意外だったが、なるほどデータをみるとこれがよく売れている。といっても、当時は数学のやさしい本もなく、講談社のブルーバックスを指標にするくらいだったが、そこに読者のニーズがあることがわかった。これも数学の専門書ではなく、うち流にもっとくだいてやろう。
 するとこれがまた、ビジネスマン以外の読者層にもよく売れていた。今でこそ、微積の入門書はたくさん出ているが、その最初はこの本がだったろう。これに気をよくして、営業からはもっと理工関係の入門書を増やしてくれと言う。
 確かに、理工書は専門の版元があり、ポッと出の出版社がちょっとくらいつついても、うまくはいかないだろうが、入門の本レベルであれば、なんとでもやりようがある。そう考えて数学や計算、電気の基礎知識に関する本などを次々に企画して出していた。
 しかし、版元が自分の枠を越えて異分野に進出するのはなかなかむずかしい。点数も本線のビジネス書が主流で、その合間にやる入門理工書は出す点数も限られるから、どうしても余技の域を出ない。理工書は、むずかしい専門的なテーマでも、これを素人でもわかるようにという手法がまだ成り立ったから、多少はなんとかなった。けれども、一般書となるとまた別だ…。
 漢字の本を出すようにというのは、社長から出たアイデアだった。そうか、そういう分野に手を広げてもいいのか。そこで、これを手始めに一般書に近いものは新書判でスタイルを変えてやることにした。この本も漢字が楽しくなるようなごく肩の凝らないものだったが、読者からの反響も大きくあって版を重ねることができた。社長のためにも、これはおおいに喜ばしいことだった。
 この年の年表資料には、「電電公社がわが国初の携帯用文書作成機を開発。(ワープロ)」という項目があったので、そのままあげておいた。これが具体的にどういうものだったか、記憶が定かではない。
 けれども、日本語が使えて漢字が扱えるワープロというものが世の中に現れてきた最初は、1978年発表の東芝の日本語ワードプロセッサJW-10であったはずだ。ただ、これは価格が600万円を超えていた。ペンタッチのシャープ書院とかもあったが、1980年に富士通が発表した「日本語電子タイプライタ OASYS 100」あたりから徐々に本格化し一般化していく。
 富士通は、この新製品開発に当たって、名前の公募などまでやっていたような気がする。このときから親指シフトを備え、長い間ワープロといえばこの人というくらい、当時開発技術部長だった神田泰典氏が、あちこちに登場していた。神田氏にも会いに行ったことがあるが、そのときは執筆依頼が実現せず、OASYSとも縁がなくて、でんでんむしが初めてワープロを使ってみたのは、価格が初めて100万円くらいまで下がったときに日立のワープロを会社で導入したときだった。
 あれも、この年くらいのことではなかっただろうか。
 素人のくせに知りたがり屋のでんでんむしは、BASICで遊んでいるうちに、マイコンとマイコンをつないでデータをやりとりすることができるのではないかと考えた。
 マイコンにはRS232Cポートというものがついている。これを使えばいいんじゃないか。音響カプラというものもでてきて、電話の受話器をこれに置けば電話回線を使った通信もできる…。その方法は、もっとみんなが知りたいことじゃなかろうか。
 そう考えて、最初にマイコンの本を書いてもらった防大の先生を研究室に訪ねた。すると、先生の研究室では部屋中にケーブルが張り巡らせてあって、マイコンがつながっている。
 これだ!、これを取材して書かせてくださいとお願いして、日本で初めて(のはずである)のマイコンをつないでデータをやりとりする方法の本を出した。
 その検証を全部編集部でやらせることにして、これはなかなかおもしろかった。ケーブルなど必要な材料も、編集担当者に秋葉原まで買いに行かせ、ビルの窓からケーブルをたらして下の階にあるマイコンとつなぐ。
 BASICで簡単なプログラムを書いて、片方のマイコンのキーボードから「A」と入力すると、もう片方の画面に「A」という文字が現れる…!
 高柳健次郎の「イ」にも匹敵する…というようなたいしたことでは、もちろんないのだが…。音響カプラで、自宅と会社を電話でつなぐ実験もやってみたが、これも成功した。やっぱり、マイコンはひとつだけではなく、つながって意味がある…。
 日立のワープロにもRS232Cポートがついていた。これを活用できれば、日本語のやりとりもできるはずだ。そう言って、メーカーに掛けあってみたりしたが、漢字コードは公開できないとか何とかでまったく話が通じなかった。
 「パソコン通信」とかいう言葉が登場するのは、まだ何年も先の話だったので、ちょっと先走り過ぎの企画だったのかもしれない。本の売れ行きも、そこそこという程度で、あまり大きくは広がらなかったが、マニアックな人の間では評判がよかったらしい。
 後に、1980年代後半になってパソコン通信ブームが起こった頃、関連の仕事をしている出会った何人かの人から、「あの本、わたしも買って読みましたよ」と言われて、とてもうれしかったという記憶がある。
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1981☆『思い出の索引』★でんでんむし@アーカイブス☆わたしたちが生きてきた時代とは… [年表]

われわれはどこから来て、どこへ行こうとしているのだろうか…? 

1981mark.jpg昭和56年 辛酉(かのととり)
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◯エルサルバドルで内戦激化。
◯イラン、米大使館人質444日ぶりに解放。
◯中国四人組の裁判で、江青らに死刑判決。
◯ポーランド、ヤルゼルスキー国防相が首相に。
◯米下院に日本車の輸入制限法案が提出される。
◯EC首脳会議で対日貿易摩擦を討議。
◯仏大統領選でミッテランが当選。
◯中国共産党が文化大革命を批判的に総括。
◯レーガン米大統領が中性子爆弾の製造再開を許可。
◯エジプト、サダト大統領が暗殺される。ムバラクが後任。
◯ポーランドに戒厳令。ワレサ「連帯」議長を軟禁。
◯オタワの先進国首脳会議で、ソ連の「脅威」について議論。

◉政府が2月7日を「北方領土の日」と決定。
◉鈴木首相がASEAN5か国訪問。フィリピンに420億円の円借款インドネシアに189億円を追加資金供与などを約束。
◉民社党佐々木委員長が「自衛隊合憲確認のための国民会議」を提唱。
◉国鉄経営再建特別措置法施行令を公布。赤字ローカル線77路線の廃止。
◉土光会長の臨時行政調査会が初会合。第1次で「小さな政府」を答申。
◉対米乗用車輸出自主規制、168万台で合意。
◉鈴木首相訪米。レーガン大統領と共同声明で日米「同盟関係」を謳う。
◉「同盟関係」には、軍事的側面は含まないと外交当局との間で軋轢に。
◉伊東外相と高島外務次官が責任を取り辞任。
◉飛鳥田社会党委員長、社公合意について事実上の凍結宣言。
◉新自由クラブと社会民主連合が衆議院に統一会派を結成。
◉鈴木首相、租税特別措置法の見直しなど増税を示唆。財界反発。
◉中道4党の幹事長書記長会談で合同の国会対策委員会設置など検討。
◉中国残留日本人孤児、初の正式来日。47人のうち26人の身元が判明。

・この年に亡くなった人にはこんな人も…。前尾繁三郎。福原麟太郎。谷内六郎。宮本常一。市川房枝。蜷川虎三。荒畑寒村。出光佐三。堀口大學。佐伯孝夫。水戸光子。五所平之助。大塚博堂。吉野源三郎。水原秋桜子。神近市子。向田邦子。湯川秀樹。石井光次郎。西尾末広。十河信二。伴淳三郎。芥川比呂志。小林勇。田辺茂一。横溝正史。ビル・ヘイリー。ルネ・クレール。ボブ・マーリー。宋慶齢。ウィリアム・ワイラー。カール・ベーム。ウィリアム・ホールデン。ナタリー・ウッド。

◎ローマ法王、マザー・テレサ、ワレサ「連帯」議長がそれぞれ来日。
◎「サヨナラ日劇」フェスティバル閉幕。日劇は48年の歴史に幕。
◎台湾で旅客機が墜落。向田邦子ら日本人18人も死亡。
◎三和銀行茨木支店の女子行員が、1億3000万円をオンライン悪用詐取。マニラで逮捕。
◎北炭夕張新鉱でガス突出事故。救援隊の10人を含む93人が死亡。火災発生で59遺体を収容できず注水。
◎ロッキード裁判丸紅ルート公判で榎本被告の元妻が、被告が5億円受領を認める発言をしていたと証言。「蜂の一刺し」発言。
◎食糧管理法改正、29年続いた米穀通帳が廃止される。
◎秋田市が空き瓶空き缶の改修事業を開始。京都市議会も初の空き缶条例を可決。全国で空き缶空き瓶の散乱と再資源化が問題に。
◎大蔵省が紙幣の全面デザイン変更。1万円札が福沢諭吉、5000円札が新渡戸稲造、1000円札は夏目漱石に。
◎宅配便の扱い量が1億個。郵便小包を抜く。
◎昭和55年の企業倒産件数が1万8212件で過去最高。
◎鳥取県の皆生温泉でわが国初のトライアスロン大会を開催。
◎東京銀座の昭和通りでトラック運転手が1億円入りの風呂敷包みを拾得。持ち主現れず、拾得者の所有に。
◎神戸の博覧会「ポートピア'81」開幕。
◎神戸市にわが国初となる新交通システム「ポートライナー」開通。

◎京大福井謙一教授が、フロンティア電子理論によってノーベル化学賞。
◎レコード大手13社が貸しレコード店など4社を著作権侵害で提訴。
◎山階鳥類研究所が沖縄本島山原8やんばる)地区で国内では62年ぶりとなる新種の鳥を発見。「ヤンバルクイナ」と命名。翌年天然記念物に指定。
◎教育社「ニュートン」創刊。科学誌ブームの先がけ。
◎常用漢字1945字を決定。昭和21年の制定以来、35年ぶりに改定。
◎奈良県明日香村の水落遺跡から、漏刻台の遺構を発見。
◎大型実用静止気象衛星、「ひまわり2号」初の自力打ち上げに成功。
◎東京神田の三省堂書店が改築開店。

■流 行:ノーパン喫茶・なめネコ・アラレちゃんなどのキャラクター玩具。
■テレビ:クイズ面白ゼミナール・北の国から・おれたちひょうきん族・放送回数6417回の『スター千一夜』が22年半の歴史に幕。
■邦 画:齋藤貞郎/子どものころ戦争があった・富野喜幸/機動戦士ガンダム・小栗康平/泥の河・相米慎二/セーラー服と機関銃。
■洋 画:デヴィッド=リンチ/エレファント=マン・フォルカー=シュレンドルフ/ブリキの太鼓・アンジェイ=ワイダ/約束の土地・スティーヴン=スピルバーグ/レイダース=失われたアーク《聖櫃》。
■ 歌 :寺尾聰/ルビーの指環・近藤真彦/ギンギラギンにさりげなく・松田聖子/風立ちぬ・竜鉄也/奥飛騨慕情・五輪真弓/恋人よ・山本譲二/みちのくひとり旅・都はるみ/大阪しぐれ・松任谷由実/守ってあげたい・松村和子/帰ってこいよ・西田敏行/もしもピアノが弾けたなら・杉田かおる/鳥の詩』南佳孝/スローなブギにしてくれ・中島みゆき/ひとり上手・矢野顕子/春咲小紅・薬師丸ひろ子/セーラー服と機関銃・来生たかお/夢の途中・石川ひとみ/まちぶせ・チャゲ&飛鳥/万里の河。
■ 本 :井上ひさし/吉里吉里人・黒柳徹子/窓ぎわのトットちゃん・田中康夫/なんとなく、クリスタル・安岡章太郎/流離潭・青島幸男/人間万事塞翁が丙午。
■ことば:校内暴力・ハチの一刺し・なめんなよ・ブリッ子・クリスタル・熟年。

❖年表の元ネタ主な参考資料河出書房新社『昭和・平成 家庭史年表』下川耿央・家庭総合研究会編。小学館『昭和・平成 現代史年表』神田文人編など。

dendenmushi.gif(2015/03/06 でんでんむし蛇足の記1981)
 BASICマシンが出たときに、“マイコンで株”というのが宣伝に使われた。自分で株価を入力していけば、ローソク足を描いてくれるというので、この手のソフトもいくつか出た。けれども、BASICで会社の実務に使えるプログラムをつくるのは大変である。
 そこへ登場したのがPIPS IIという、コマンドを組み合わせて、ある程度実用的な事務処理ができるようにしたシステムで、SORDといういまでいうベンチャー企業が売り出した。試しに使ってみたら、なるほどこれはこれでおもしろい。
 SORDの商売は、後にAppleがやることになるハードとソフトをセットで売る方式なので、会社でも一台入れて、実際に編集の事務的業務に使えるようにやってみた。本も出したりして、社長とも会ったりしていたが、結果的にはあまり一般的に広がらず、長続きしなかった。PIPS自体はその後もCP/M版やDOS版からWindows版まで、なんとか命脈は保ってはいたらしいが、そこまではおつきあいできなかった。
 1981年の夏には、アメリカではIBM PCが発表された。やはり、IBMが動くのとベンチャーがやるのとでは影響力がまったく違う。これの普及によって、Personal Computerもいよいよ実用の世界に入っていくことになるが、それはまだアメリカでの話。
 日本では、漢字が使えないと、やはり実用にはならない。それでも日立・シャープ・日本電気・沖・三菱・東芝・富士通・そしてソニー…と各電機メーカーがこぞってBASICマシンを出していた時代があった。雑誌も何種類も出ていて、それに載っていた広告や、ショウなどで配布されるパンフレットでは、各社がそれぞれに若い女性タレントを起用して宣伝にこれ努めていた。比較的後発だったソニーは松田聖子、富士通はなぜかタモリだった。それも今ではとても信じられないような時代であった、と言えるだろう。
 コンピュータももちろん素人のでんでんむしには、技術的なことなど詳しいことはさっぱりわからないのだが、ひょっとしたらこの時期に、将来の日の丸コンピュータを見据えた政策と企業マインドを合致させる可能性はあったのではないか、と今でも思うことがある。夢に過ぎない、といえばそれもあたっていよう。だが、この時期に夢見る日本人が、ひとりもこの世界に現れなかったことが、将来ともに情報機器分野でも完全にアメリカの支配下におかれることになってしまうのだ。これは素人の夢であった。
 価格も、だんだん安くなり、個人でコモドール・ジャパンのVIC-1001やHPのハンドヘルド機、そして最後には16ビットでカラー画面の富士通のFM-Vを買ったりして、あいかわらず遊んでいた。そういう状況がこれからまだ数年続くのだ。
 ビジネス書だけでなく、もっと多くの読者を引きつけられるような企画を、いろいろ考えなくてはならないが、やはり借り物や付け焼き刃ではうまくはいかない。自分自身のニーズを拡大して、またそれを絞り込み、普遍化する…。そういう作業が必要であった。
 いわゆる自己啓発書の分野でも、従来にない新しい切り口でノウハウを提供するという試み、たとえば人脈とか根回しとか…の本もなんとか成功した。会社のつくりかたの本も売れたが、朝日の広告で効果があるはずの、もっと一般書に寄った分野の企画が必要だろうと考えていた。
 それとても、自分でも興味があるところを、うまくピックアップしていかなければ売れる本にはならないだろう。
 そこで、地図がある。だが、これもまともに考えたのではごくマニアックな狭い本にしかならない。そういうのもあるが、ここはもう少し広げていきたい。ビジネスマンの一般常識科目としては、グローバル化という言葉はまだその頃にはなくて、せいぜいが国際化だったが、それがどんどん進もうというなか、世界情勢を知るネタを世界地図から拾ってみる、というのはどうだろうか。世界地図から、世界を知ろうというわけである。
 特別な発想ではないが、まだそういう本はどこからも出ていない。
 たまたま会員制の情報誌を出していた人がいたので、この人ならとアタリをつけて会いに行った。このケースも、著者とのノリもよくてたいした齟齬もなく原稿ができ、出してみるとこれがまたよく売れた。
 今でこそ、地図からなんとかといった類いの本はごまんと出ているが、この本はその先鞭をつけたとも言えるのではないか。
 世界地図があれば日本地図もある。それも当然考えていたが、そちらのほうは著者とのノリが悪くて、結局実現しなかった。
 編集者の苦労は、企画は考えても自分で書くわけではないから、それに関心があり書く力がある著者をいかに見つけてきてうまく実現させるかにかかっている。その点、企画も著者任せの編集にはない苦労が、「創作出版」にはよけいにあるのだ。
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1980☆『思い出の索引』★でんでんむし@アーカイブス☆わたしたちが生きてきた時代とは… [年表]

われわれはどこから来て、どこへ行こうとしているのだろうか…? 

1980mark.jpg昭和55年 庚申(かのえさる)
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◯米カーター大統領がソ連のアフガニスタン侵攻に対し、穀物輸出制限。
◯米、モスクワ五輪のボイコットを提唱。
◯胡耀邦が中国共産党総書記に就任。劉少奇が名誉回復。
◯米がイランの駐米大使館の人質救出作戦に失敗。
◯ユーゴスラビアのチトー大統領死去。
◯韓国全土に非常戒厳令。光州市のデモ隊を戒厳軍が鎮圧。
◯モスクワオリンピック開催。米・日・西独・中国などが不参加。
◯ポーランドのグダニスクで造船労働者のスト。自主労組「連帯」を結成。
◯韓国、全斗煥大統領が就任。
◯イラン・イラク戦争勃発。
◯米、レーガン大統領が就任。

◉社会党・公明党が連合政権構想で正式合意。
◉共産党が社・公合意を批判。社共対決。
◉自民党の浜田幸一議員、ラスベガス賭博疑惑発覚。議員辞職。
◉社会党が提出した、内閣不信任案に自民党非主流派が欠席で可決。
◉大平首相が急死。首相代理伊東正義。
◉衆参同日選挙の結果、自民党の圧勝に終わる。
◉鈴木善幸内閣誕生。外相に伊東正義。
◉鈴木内閣の閣僚18人が、いっせいに靖国神社参拝。
◉公明・民社・社民連・新自クの中道4党の首脳が、野党混迷状況の打破について会談。
◉政府が「閣僚の靖国神社公式参拝は憲法20条との関係で問題がある」との答弁書。閣内から反発。
◉ECとの貿易摩擦問題について、外相が豪雨型輸出回避に努めると声明。
◉防衛首脳の定期協議で、日本の防衛力増強を米が強く要請。

・この年に亡くなった人にはこんな人も…。江崎利一。新田次郎。大屋晋三。伊藤雄之助。梅根悟。五味康祐。吉川幸次郎。中山伊知郎。土岐善麿。大内兵衛。東山千栄子。沢田美喜。大平正芳。早川徳次。江上トミ。林家三平。河上徹太郎。嵐寛寿郎。越路吹雪。梅田晴夫。ジャン=ポール・サルトル。アルフレッド・ヒッチコック。スティーブ・マックイーン。ジョン・レノン。カーネル・サンダース。マーシャル・マクルーハン。

◎家元制度に反対する前衛舞踊家が国立劇場で家元花柳寿輔に刃傷。
◎山口百恵の婚約発表。引退へ。
◎京都の冷泉家が藤原定家の「明月記」など秘蔵の古文書を公開。
◎トラック運転手が銀座で現金1億円入りの風呂敷包みを拾得し届け出。時効までに所有者が現れず所有者となる。
◎「イエスの方舟」の教祖逮捕。(女性多数と2年にわたる集団失踪事件)
◎牛丼の吉野家が倒産。
◎富士山砂走りの登山道で落石。死者12人。
◎国鉄静岡駅地下街でガス爆発事故。死者14人。
◎30年間行方が不明だった元共産党政治局員伊藤律が北京から帰国。
◎奈良東大寺大仏殿の昭和の大修理が完了し、落慶法要。
◎長嶋茂雄読売監督が辞任。王貞治が引退し助監督に就任。
◎栃木県川治温泉の川治プリンスホテルが全焼。45人死亡。
◎2浪中の予備校生が川崎市内の自宅で両親を金属バットで撲殺。
◎米セントへレンズ火山が大噴火。噴煙が北半球に拡散。日本では明治38年以来の記録的冷夏に。
◎東陶が「ウォシュレット」を発売。
◎日本の自動車の生産台数が初めて1000万台を超え世界一に。
◎大和運輸の宅急便の荷扱い量が急増。(昭和51年に170万個→55年には3300万個)一方で国鉄の小荷物は49年7600万個→55年3900万個と半減。
◎東京で「ぼけ老人を支える家族の会」発足。

◎富士通が日本語電子タイプライタを発表。
 
■流 行:ルービックキューブ・漫才ブーム。
■テレビ:シルクロード・クイズ番組。
■邦 画:熊井啓/天平の甍・黒澤明/影武者・鈴木清順/ツィゴイネルワイゼン。
■洋 画:地獄の黙示録・クレイマークレイマー。
■ 歌 :もんた&ブラザーズ/ダンシング・オールナイト・クリスタルキング/大都会・ロス・インディオス&シルビア/別れても好きな人・オフコース/さよなら・シャネルズ/ランナウェイ・松田聖子/青い珊瑚礁・谷村新司/昴・竹内まりや/不思議なピーチパイ・ジューシー・フルーツ/ジェニーはご機嫌ななめ・五輪真弓/恋人よ・八神純子/パープルタウン・山口百恵/さよならの向う側・沢田研二/TOKIO・八代亜紀/雨の慕情・都はるみ/大阪しぐれ・RCサクセション/雨上がりの夜空に・北島三郎/風雪ながれ旅・川中美幸/ふたり酒・松村和子/帰ってこいよ・チャゲ&飛鳥/万里の河。
■ 本 :向田邦子/思い出トランプ・山口百恵/蒼い時・大岡信/折々のうた。
■ことば:それなりに・カラスの勝手でしょ・ビニ本。

❖年表の元ネタ主な参考資料三省堂『コンサイス世界年表』三省堂編修所編。河出書房新社『昭和・平成 家庭史年表』下川耿央・家庭総合研究会編。小学館『昭和・平成 現代史年表』神田文人編など。

dendenmushi.gif(2015/03/02 でんでんむし蛇足の記1980)
 五年前に購入して当初観音崎に置いていたヨットは、三浦半島の西海岸の秋谷に一時期置いていた。仕事が忙しくて、乗る時間もそうそう取ることができなかったが、より近くて浜から出し入れに便利な森戸海岸に移した。これもただ海岸に転がしておくことはできないので、ちゃんと置き場を確保しなければならない。
 まだ裕次郎灯台などというものができる前の森戸の海では、地元の漁師さんの浜小屋に置かせてもらうことができたが、この頃になると、マストを立て帆を上げて帆走することよりも、オールで漕ぎだして五目釣りを楽しむことのほうが主になっていた。森戸神社の沖にある名島という岩島の周辺では、ベラやキスが釣れるくらいで、まったくの遊びだったが、その時間は貴重で、その効果もいつまでも持続できる。人様に言える道楽といえば、それくらいのことだった。
 仕事では、新刊の点数や目標となる売上高のハードルは年々高くなっていた。制作は各編集長ごとに責任分野を決めて、役員になってからは、企画専従度をできるだけ高めたいと思っていた。もともと「三角の本」などということを考える社長は、単行本の企画業務にもできるだけ関わりたいようであった。自身は大阪の本社にいて、書籍部門は東京にある。そこで、その橋渡し、つなぎ役をやらされることになるのも、自然な成り行きであっただろう。
 3か月に一度くらいの割合で、社長と二人だけで有馬温泉に二泊か三泊くらいこもって、企画の検討だけをすることになった。企画を決めるのにそんなに時間はかからんじゃろと思われるだろうが、社長にしてみれば、その時間こそが書籍部門のすべてを考えるために必要な時間であった。秘書に全商品の売れ行きの実績数字を独自に記録させた資料をもっていて、それをめくりながら、この本はどうして売れないのか、これはなぜ売れたのか、自分で納得のいくまでチェックしながら、新企画も審議する。
 そのためには、事前に編集部員からの提案企画も集めて、自分がやりたい企画と会社として出すべき本の企画を考えて、リストアップして資料を整えておかなければならない。
 二人だけのやりとりだから、気も張るし疲れるが、企画を考えながら検討していくという作業は、結果的には実りも大きかった。このような態勢で企画を決定していくという方法は、社長が体調を崩すことになるまで数年間続いた。
 この間、多くのユニーク企画を決めることができたし、そのなかから多くの読者の支持を得た本もたくさん生まれた。ビジネス書の枠をできるだけ広げていくという作業も、マンツーマンで忌憚のない意見交換をする過程で、トップの理解を得ながら進めることができた。朝日全五の書籍広告を続けていくにもふさわしい商品のラインの積み重ねが、そうしてできていった。
 社長自身も、企画を考えるのを楽しんでいたようで、自分でも手帳にメモしていたアイデアを披露したりする。そのアイデアもできるだけ本になるように話をうまく膨らましたり、まとめたりする。そうしてできた本のなかでも売れるものがある。
 こういう企画まで踏み出してよいのかどうか、方針の確認もできて、こちらとしても都合がよいこともあった。
 漢字の本をやろうというのは、社長が言い出したことだし、仏教入門書として主要なお経を知ることができるような本を出したいというと、それもOKしてくれた。それだけでなく、それならいろんなお経をやるのではなく、やるなら般若心経だけにしてやったほうがよい、などと言う。ちょっと狙いは変わってしまうのだが、まあそれでもよかろうとやってみると、これがまた非常によく売れたりした。
 そんな日の夕食の席で、「なあ、書籍の出版というのはおもしろいなあ。ワシもほかのことはしなくて済めば、こればっかりやっていたいくらいだが…」と洩らしたのは、本音だったのだろう。
 そんな社長の、出版人らしい気分を少しは味わうことができたのであろう時間を一緒させてもらって、いい孝行ができたのではないかと、後になって思ったものだ。
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1979☆『思い出の索引』★でんでんむし@アーカイブス☆わたしたちが生きてきた時代とは… [年表]

われわれはどこから来て、どこへ行こうとしているのだろうか…? 

1979mark.jpg昭和54年 己未(つちのとひつじ)
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◯米中国交回復。台湾とは断交。
◯カンボジアのポルポト政権崩壊。ベトナムの支援によりヘンサムリン政権。
◯ホメイニ師主導によるイラン革命。
◯エジプトとイスラエルが平和条約に調印。
◯米スリーマイル島原発で放射能漏れ事故。
◯英総選挙で保守党が勝利、サッチャー政権が誕生。
◯米ソが第2次戦略兵器制限条約(SALT2)に調印。
◯西独、ナチスを含む殺人罪の時効を撤廃。
◯韓国釜山で反政府暴動。
◯朴大統領が暗殺される。
◯イランで学生が米大使館を占拠。
◯韓国、粛軍クーデター。
◯ソ連、アフガニスタンに侵攻。

◉国際石油資本が対日原油供給の削減を通告。(第2次石油ショック)
◉統一地方選挙で「地方の時代」のフレーズが氾濫。
◉第5回先進国首脳会議が、東京で開催。各国別の石油輸入抑制目標を決めた東京宣言。
◉第35回総選挙。自民248、社会107、公明57、共産39、民社35、新自ク4、社民連2、無所属19で、自民「安定多数」に届かず。
◉宮本共産党委員長が社会党の右傾化を批判。
◉飛鳥田社会党委員長、全野党共闘を維持しつつ社公中軸志向を表明。
◉竹入公明・佐々木民社の両委員長が中道政権構想協議会の発足を決定。
◉東条英機などA級戦犯14人が、ひそかに靖国神社に合祀されていたことが判明。
◉大蔵省が土地取得融資の自粛を金融機関に要請。
◉政府が省エネ運動。ノーネクタイを提唱。半袖スーツの省エネルックは売れず。

・この年に亡くなった人にはこんな人も…。大田黒元雄。保利茂。成田知巳。藤浦洸。近藤日出造。安藝ノ海節男。小畑実。蕗谷虹児。巌本真理。藤本真澄。大下弘。荒正人。中島健蔵。朝永振一郎。猪俣勝人。瀬田貞二。中野重治。竹鶴政孝。石田退三。椎名悦三郎。初代水谷八重子。平櫛 田中。初代引田天功。ニーノ・ロータ。朴正煕。

◎東京で第1回国際女子マラソン開催。(公式フルマラソン)
◎初の国公立大学共通1次試験実施。
◎奈良田原町で、太安万侶の墓誌が発見される。
◎江川卓が阪神入団の即日に小林繁とトレードで読売へ移籍。(コミッショナー要望)世論が沸騰する。(“江川る”の新語も)
◎ビル暖房は19度以下にするなど、石油消費削減対策を政府が発表。
◎ECの対日基本文書で「ウサギ小屋に住む働ききちがい」と日本人を表現していることが判明。
◎ガソリンスタンドも日曜祝日の全面休業。
◎環境庁のカラ出張が問題に、郵政省や総理府でも。
◎木曽の御岳山が初の噴火。
◎ソニーがヘッドフォンステレオ「ウオークマン」発売。
◎スギ花粉症患者が友の会を結成。
◎松下電子が真空管の製造を中止し、日本での生産はなくなる。(IC時代へ)
◎喫茶店のインベーダーゲームが全国で28万台
◎日本電気がパーソナルコンピュータPC8001を発売。?
◎滋賀県議会が琵琶湖富栄養化防止条例を可決。
◎ティッシュペーパーの生産量がチリ紙を上回る。

■流 行:天中殺・激写。
■テレビ:3年B組金八先生・必殺仕事人・西部警察・ズームイン!!朝!。
■邦 画:今村昌平/復讐するは我にあり・りんたろう/銀河鉄道999。
■洋 画:マイケル=チミノ/ディアハンター・フランシス=コッポラ/地獄の黙示録。
■ 歌 :渥美二郎/夢追い酒・ジュディ・オング/魅せられて・さだまさし/関白宣言・八代亜紀/舟唄西城秀樹/YOUNG MAN (Y.M.C.A.)・小林幸子/おもいで酒・サザンオールスターズ/いとしのエリー・甲斐バンド/HERO・海援隊/贈る言葉・松坂慶子/愛の水中花・沢田研二/カサブランカ・ダンディ・ゴダイゴ/銀河鉄道999・アリス/チャンピオン・千昌夫/北国の春・BORO/大阪で生まれた女・オフコース/愛を止めないで・円広志/夢想花・牧村三枝子/みちづれ・チューリップ/虹とスニーカーの頃・久保田早紀/異邦人。
■ 本 :加賀乙彦/宣告・五木寛之/四季=奈津子・和泉宗章/天中殺入門・エズラ=F=ヴォーゲル/ジャパン=アズ=ナンバーワン・講談社/昭和万葉集。
■ことば:ナウい・ダさい・ウサギ小屋。

❖年表の元ネタ主な参考資料河出書房新社『昭和・平成 家庭史年表』下川耿央・家庭総合研究会編。小学館『昭和・平成 現代史年表』神田文人編など。

dendenmushi.gif(2015/02/26 でんでんむし蛇足の記1979)
 今となっては正確な日付がわからないのだが、ある研究所を訪問してコモドールのPETと初めて出会ったのは、この前年1978年の秋頃だったろうか。一目見るなり、「これだ!」と思ったのは、デモ用に画面に描かれていた縦棒グラフに惹かれたのかもしれない。こんなことができる機械こそ、自分が中学生の頃からぼんやりと夢にみ、そろばん実務に音を上げながら待ち望んでいたものであり、これからのビジネス業務を大きく変えるのではないか。そう直感した。
 輸入品で当時のお金で80万円を超えていたので、とても個人では買えない。理由やらなにやら説明して、それをわかってもらうのはむずかしい。まして社内稟議して物品購入の手続きを踏んでいては、とても買えない。そこで一計を案じた。「とにかく、何も言わずに80万円わたしにください!」と社長に直訴したのだ。社長がえらいと思ったのは、ほんとうに何も言わず何も聞かず、それを承知してくれたことだ。
 そんなことが社長に言えたのも、この年から取締役の端くれに加えられ、役員会などなにかと社長と直接話ができる機会も増えていたからだ。
 コモドールのPET 2001の「PET」は、Personal Electronic Transactor(個人用電子実行機)の略で、パーソナルコンピュータとしては世界初のものとされている。カナダやアメリカの教育市場でよく売れたらしい。
 キーボードは四角いマス目になっていて、その横にカセットレコーダが組み込まれていて、モノクロディスプレイの黒い画面には40桁×25行でキャラクタが薄い青文字で表示。全体が鉄製のカバーですっぽりと覆われていて、まるで“白いダースベーダー”のような格好をしていた。
 OSは Commodore BASIC であったから、まずはBASICの勉強から始めなければならない。「トラ技」の定期購読者で、秋葉原へ行って部品を買ってきてテレビでピンポンゲームを作ったりしていた中学生の息子に、コマンドを教わりながら、創刊された「ASCCII」にまるまるその画面が掲載されていたプログラムを写しながら入力して、カセットテープに記憶させる。
 そんな作業を繰り返しながら、なんとか BASICによるプログラムづくりを覚えていった。
 コンピュータというものがぼつぼつ一般に意識されるようになってきた1979年はそのようにして始まり、初めてのコンピュータ入門書も出した。だが、この頃のコンピュータは、実際に触ったていた人はごく少数の専門家やマニアだけで、一般にはまだ単にお話だけの世界だった。
 この頃のBASICマシンには、コモドールだけでなくタンディ・ラジオシャック社のTRS-80やアップルのApple IIもあったのだが、たまたまPETから入ったのも、不思議な縁があった。東洋工業で広島カープの王シフトをコンピュータで計算したとW氏が書いた本で知っていたが、その人がカタカナを載せたPETを販売する会社を始めていたのだ。
 1978年から、日立のベーシックマスターやシャープのMZ-40Kという4ビットマイコンのトレーニングキットなど、BASICマシンは国産でもいくつか発売が始まっていたが、まだまだ一般には広がっていない。
 実は、「国産マイコン」としては、さらに遡ることができる。1976年には日本電気取締役だった大内淳義が書いた確か新書判スタイルの本が廣済堂から出ていて、一部ですごく売れて話題になったことがあった。それがTK-80という8080マイクロプロセッサのトレーニングキットの解説書だったのだが、このときにはBASICではなくマシン語だけで、マニアの間で売れただけだった。画面もなく、8つか6つくらいの数字が出る窓(まだ液晶ではなく赤く光る線)があるだけだった。
 その日本電気も、PETを買った1年後にあたる1978年の秋になって、8ビットのNEC PC8000を発売する。この頃になると、ずっと他社の動向をみて量産量販に自信がついたか、価格もずっと下がって定価は168,000円に設定されていた。
 最初にその言葉を使い始めたのは日立のベーシックマスターだったが、「パーソナルコンピュータ」という言いかたがぼつぼつ普及し始めたのもこの頃のことである。
 さて、それでなにができるか、となると、少ないメモリとBASICでは、たいしたことはできない。簡単なゲームを入力しては遊んでいるくらいだった。
 だが、これを何か仕事に役立てなくては、何も聞かず何も言わずに80万出してくれた社長にも申し訳がたたない。
 BASICで実用的なプログラムをつくることを目的とした本を企画して、お話から一歩も二歩も踏み込んだ内容の本をつくることにした。
 幸い防大の先生で、当時まだ少なかったBASICに詳しい人があったので、横須賀は走水の丘に訪ねては打合せを重ね、執筆してしてもらった。
 出版できたのは1980年になったが、これが日本では二番目のマイコンビジネス書となった。一番目になれなかったのは、その十日ほど前にマイコン入門の本が別の版元から出てしまったからだ。その本は、すぐに店頭では見なくなったが、「くわしくなる本」と銘打ったこちらの本は、大方の外野予想に反して増刷に次ぐ増刷を重ねた。
 BASICでの簡単なデータの入力、計算処理、出力、記録保存といった一連の事務的な処理ができるようにした基本プログラムがついているので、読者がこれを参考にして自分である程度実用的なプログラムができるようにしてあるのが、その後しばらく間を置いて続々出てくることになる、後続のありきたりの入門書とはちょっとひと味違うところだった。
 自分でも、この原稿をチェックする意味も兼ねて、住所録のデータベースプログラムをつくってみた。
 カタカナだけど、宛名の印刷もできるようにした。この頃定期購読で送られてくる雑誌の宛名は、カタカナだった。つまり、まだ漢字が使えなかったのだ。DMなども、カタカナで印字したラベルを貼り付けて出しているのが普通になっていた。
 年賀状は、PETでキー入力できるキャラクタだけを細かく並べて、アラレちゃんの顔を描いてつくった。宛名はもちろんカタカナでコンピュータにつくった住所録から印字。これ以降、毎年の年賀状では、その年ごとに新しく出た機種や機能やソフトなどを使って表現していたのだが、受け取るほうにはその意味がわからない。ヘンなヤツのヘンな賀状だと思われていたのだろう。
 この年に出した用語事典には「意味がわかる」というタイトルをつけた。これもタイトルとしてはまだどこにもないユニークなものだったが、別に奇をてらったわけでもなく、素朴にその本の用途・効用をそのまま表したつもりだった。
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1978☆『思い出の索引』★でんでんむし@アーカイブス☆わたしたちが生きてきた時代とは… [年表]

われわれはどこから来て、どこへ行こうとしているのだろうか…? 

1978mark.jpg昭和53年 戊午(つちのえうま)
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◯伊、モロ首相誘拐、後遺体で発見。
◯西独のボンで先進国会議。
◯米キャンプデービッドにエジプト・イスラエル首脳を招いて会談。
◯米中国交正常化を発表。
◯ソ連の有人宇宙船、ソユーズ26号が宇宙ステーションと初の宇宙三連結。

◯ベトナム・カンボジアの国境紛争。
◯イランで反政府デモ。(イスラム革命の始まり)
◯アフガニスタンで軍事クーデター。
◯ベトナム、カンボジアに侵攻。
◯イランの首都テヘランで王制打倒デモ、戒厳令布告。

◉社会民主連合結成、代表田英夫。
◉長洲一二らの発起で、中道革新勢力結集を目指す超党派政策集団「21世紀クラブ」発足。
◉栗栖倒幕議長の超法規的発言で更迭。
◉福田首相が有事立法研究の促進を指示。
◉日中平和友好条約調印。
◉中国副首相鄧小平が来日。天皇と田中元首相(井戸を掘った人を忘れない)を訪問。
◉円高で1ドル=175円50銭を記録。
◉自民党総裁予備選挙で大平幹事長が1位。
◉第1次大平内閣。
◉総理府が建国記念奉祝運営委員会主催の式典を後援。

・この年に亡くなった人にはこんな人も…。濱田庄司。花森安治。岡潔。長谷川才次。山手樹一郎。五島美代子。東郷青児。岡鹿之助。安田靫彦。片山哲。柴田錬三郎。水原弘。古賀政男。石田禮助。山岡荘八。大松博文。渡辺紳一郎。田宮二郎。クルト・ゲーデル。ダミア。アラム・ハチャトゥリアン。郭沫若。ウィリアム・ユージン・スミス。ジョルジョ・デ・キリコ。

◎成田空港第二期工事、反対派の鉄塔要塞を強制撤去。機動隊と衝突41人逮捕。
◎嫌煙権確立をめざす人びとの会結成。
◎成田空港管理棟に過激派が乱入し機器類を破壊。開港予定日が延期。
◎機動隊1万人で厳戒のなかで成田空港開港式。
◎ネズミ講防止法。警視庁はサラ金の実態調査。
◎サラ金地獄が社会問題に。大蔵省が銀行生保にたいし、サラ金への融資を自粛するように要望。
◎東京原宿に「ブティック竹の子」開店。(竹の子族)
◎永大産業が倒産。負債総額1800億円。
◎ヴァンジャケットが倒産。負債500億円はアパレル業界最大。
◎伊豆大島近海地震M7。宮城沖地震M7.4。
◎中央大学が理工学部を除き、駿河台から八王子へ移転。(大学の郊外移転)
◎東京池袋に60Fの超高層ビル、サンシャイン60が完成。240メートル。
◎福井県敦賀で初の発電用原子炉ふげんが臨界。世界で8番目の送電開始。
◎沖縄県で「車は左・人は右」の交通ルール適用開始。

◎喫茶店などにテーブル型のインベーダーゲーム機が置かれ大人気に。
◎古賀政男に国民栄誉賞。
◎キャンディース、後楽園球場でさよなら公演。
◎東京で国内初となる女子のフルマラソン大会開催。
◎隅田川で早慶レガッタと両国の花火大会が17年ぶりに復活。
◎ドラフト会議で阪神が江川を指名するも、前日に読売と契約していたことが判明。(空白の一日で混乱)
◎西武ライオンズの誕生。(クラウンライターズを買収)
◎横浜スタジアム完成。
◎少年マンガ週刊誌主要五誌の発行部数が1000万部を超える。
◎筑摩書房、会社更生法の適用を申請。負債は53億だが出版業界では過去最大。
◎東京駅八重洲南口前に八重洲ブックセンター開店。売り場面積最大。

■流 行:女性のブーツ・タンクトップ・ディスコブーム・郊外レストラン・インベーダーゲーム。
■テレビ:おていちゃん・24時間テレビ・ザ=ベストテン。
■邦 画:曾根崎心中/増村保造・野村芳太郎/事件。
■洋 画:スティーヴン=スピルバーグ/未知との遭遇・ジョージ=ルーカス/スター=ウォーズ・ジョン=バダム/サタデーナイトフィーバー。
■ 歌 :ピンク・レディー/サウスポー・甲斐バンド/HERO・堀内孝雄君/のひとみは10000ボルト・中島みゆき/わかれうた・キャンディーズ/微笑がえし・サザンオールスターズ/勝手にシンドバッド・矢沢永吉/時間よ止まれ・山口百恵/プレイバックPart2・いい日旅立ち・渡辺真知子/かもめが翔んだ日・庄野真代/飛んでイスタンブール・松山千春/季節の中で・平尾昌晃&畑中葉子/カナダからの手紙・郷ひろみ&樹木希林林/檎殺人事件・八神純子/みずいろの雨・円広志/夢想花・北島三郎/与作。
■ 本 :有吉佐和子/和宮様御留・中沢けい/海を感じる時・森村誠一/野生の証明・ガルブレイス/不確実性の時代。
■ことば:あーうー・なんちゃって・窓際族・嫌煙権・家庭内暴力・口裂け女・サラ金。
 
❖年表の元ネタ主な参考資料河出書房新社『昭和・平成 家庭史年表』下川耿央・家庭総合研究会編。小学館『昭和・平成 現代史年表』神田文人編など。

dendenmushi.gif(2015/02/22 でんでんむし蛇足の記1978)
 街にはピンク・レディーの「UFO」が流れ、インベーダーゲームが人気となってあっという間に全国に広まったこの年には、スピルバーグの「未知との遭遇」やルーカスの「スター・ウォーズ」が日本でも公開され、多くの観客を動員した。
 まさに昔からのSFファンとしては、「ついにここまできたか!」という感慨がひとしおであったが、「スター・ウォーズ」については、格別の思い出もある。この情報も早くから伝わっていて、たまたまこの年の始めにアメリカの出版事情視察旅行に会社から派遣されて行ったので、その訪米中にどこかで早く観たいと思っていた。
 ところが、日本生産性本部が主催したこのアメリカ視察旅行は、東海岸と西海岸でそれぞれ出版社訪問などの予定がぎっしりと詰まっていて、どうにか自由な時間が取れたのは、帰途に寄ったハワイのホノルルだった。そこでやっと観ることができたのだが、帰ってきて「アメリカでもう観てきたぞ」と自慢できたのは、ほんの数か月の短い間だけのことでしかなかった。
 スペース・オペラというのは、それまで日本人にはあまりなじがないジャンルだっただろうが、アメリカでは昔から人気のあるもので、ペーパーバックなどがたくさん出ていた。その一部は東京創元社が文庫で出していたので、バロースの火星シリーズや金星シリーズなども手当たり次第読んでいたものだ。
 アメリカで訪れた出版社も、社内の応接室でのレクチャーだけでなく、編集の現場なども見せてくれたところもあり、それぞれ印象が深かった。なかでも、お土産に分厚い大判の全米ロードマップをくれたニューヨークのランド・マクナリー社は、ここが出していた地図帳や地球儀などは、平凡社などを通じてもっていたので、なにかしら親近感があった。
 なんとなく、アメリカはハウツウの先進国であるような、そういう勝手な先入観があったのだが、この視察では、訪問出版社にそういうところがなかったためか、また書店を歩いても当初期待していたような「HOW TO」の極意に迫るというようなことは、できなかった。やっぱり、それは自分で考えて実践するしかない。
 一般にもそうだが、日本の出版界でも「ハウツウもの」は、数段低く見られていた。へそまがりは、そういうところにもおおいに反発していたのである。
 「ハウツウもの」上等じゃあねえか! そういう啖呵のひとつもきりたいところで、そんな気持ちで次々と企画を考えていた。
 ビジネスマンの幅広い教養や知識を身につける本や、その導入まで入口までをガイドする入門書というジャンルは、当初はまだほとんど類書がなかったので、常に新たな挑戦であった。
 その点では、この年に出した数学のごくやさしい、むずかしいと敬遠されている数学のおもしろさを伝える、という狙いの本は一歩これまでの範疇を超えるものだったが、これがまた広い読者の支持を得ることができた。
 でんでんむしは、数学は苦手である。同じように、苦手だからなんとか知りたいという人も多いのではないか、という発想から生まれた。現在では、この手の本もたくさん出ているが、当時はほとんどなかった。
 アメリカ旅行とは直接関係はなかったが、全米のヒット・チャートを紹介するテレビの番組が始まっていて、これを見るのも楽しみにしていた。その番組をせっせとベータに録画していたのだが、それも今では再生して見ることができなくなって、数年前に処分してしまった。
 あ、念のために言っておきますけど、でんでんむしは数学だけでなく英語もだめなので、別に歌の意味がわかって聞いているわけではない。わからなくても聞ける、見ておもしろい。これは、すばらしいことだ。
 ビデオ・クリップというのは、映像がなかなかそれぞれ凝っていて、後には有名な映画監督などが手がけたりするようにもなるのだが、そのハシリの頃から録画していた。でも、ベータが見られなくなっても、今ではABBAもシーナ・イーストンも、カルチャー・クラブもデュラン・デュランもホール&オーツも…。それが全部 You Tube で見られる。それも、なんだかなあ。それにしてもベータって、いったいなんだったんでしょうね。
 一冊の本で生まれる一人の著者とのふれあいは、たいていの場合はお互いビジネスだからそれだけで終わってしまう。それでいいのであって、それ以上のことを望むこともないが、たまにはそれ以上に関わり方が広がっていくこともある。
 S氏ともSFなどの話から盛り上がって、彼が余技としてやっていたマイナーな書評誌への寄稿を依頼されたのも、この頃だった。SFの書き手はたくさんいるので、できるだけそれ以外の分野の本を取りあげて書いてほしい、とのことで、しばらく毎号勝手な雑文を書かせてもらっていたのも、楽しい思い出となった。
 「大阪の出版社から石井ひさいちという新進の漫画家と組んで本を出す」という話を聞いたときには、自分がやっている出版とは畑違いということであまりピンとこなかったので、あとから同じ編集者としてその不明を恥じることになる。だが、驚いたのはそれからS氏はどんどん本を書いて著者として大成し、マイナーだったその書評誌も、結構メジャーになっていったことだった。
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1977☆『思い出の索引』★でんでんむし@アーカイブス☆わたしたちが生きてきた時代とは… [年表]

われわれはどこから来て、どこへ行こうとしているのだろうか…? 

1977mark.jpg昭和52年 丁巳(ひのとみ)
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◯ECが200海里水域宣言。
◯米でジミー・カーター大統領就任。
◯米・ソ2大国が200海里漁業専管水域を実施。
◯ボイジャー1号の打ち上げ。
◯ニューヨーク大停電。
◯ルフトハンザ航空181便ハイジャック事件。
◯パキスタンで軍事クーデター。

◯中国共産党3中全会で、鄧小平が副主席に復活
◯中国共産党11全大会で、文革終結宣言と4つの近代化新党規約決定。
◯エジプトのサダト大統領がイスラエルを訪問(アラブ諸国の元首として初のイスラエル訪問。後にイスラエル承認)。

◉ロッキード事件丸紅ルート初公判。31日全日空ルート初公判。
◉日米漁業協定調印。200海里経済水域規定に基づく初の漁業協定。
◉社会党全副委員長江田三郎が離党、社会市民連合結成を表明するも急死。
◉中山千夏らを代表とする「革新自由連合」が発足。
◉ソ連が日ソ漁業条約の破棄を通告。領土問題を棚上げして日ソ漁業暫定協定に調印。
◉日本の領海を海岸から12海里(従来は3海里)と定める領海法と200海里漁業水域法施行。
◉社会党の成田委員長が反自民の全野党政権構想を提唱。
◉共産党の宮本委員長が社会党に革新統一戦線を提唱。
◉公明党と民社党が連合政府樹立をめざす合意書。
◉社会党、楢崎弥之助、田英夫、秦豊が離党、新しい流れの会を結成。
◉社会党、横浜市の飛鳥田一雄市長の委員長就任。

・この年に亡くなった人にはこんな人も…。高橋亀吉。末川博。竹内好。木川田一隆。田中絹代。村山知義。木戸幸一。清水善造。賀屋興宣。 奈良光枝。江田三郎。小西得郎。熊谷守一。村山長挙。山田かまち。今東光。前田青邨。秋田實。海音寺潮五郎。望月優子。
ジョン・ディクスン・カー。ロベルト・ロッセリーニ。ヴェルナー・フォン・ブラウン。エルヴィス・プレスリー。レオポルド・ストコフスキー。マリア・カラス。ビング・クロスビー。チャールズ・チャップリン。

◎東京港区で拾ったコーラを飲んで2人死亡。(青酸コーラ無差別殺人事件)
◎警視庁が23年ぶりに覚醒剤取締本部を設置。研ナオコ、内藤やす子、美川憲一、井上陽水らが逮捕される芸能界マリファナ汚染事件。
◎共通1次試験のため大学入試センターが発足。
◎日本初の静止気象衛星となる「ひまわり1号」打ち上げに成功。
◎文部省、小中学校の指導要領を改定。{ゆとりの教育・国歌の規定)
◎読売の王貞治がホームラン世界新記録の756号を達成(対ヤクルト戦)。
◎国民栄誉賞が創設され、王貞治が第1回目の受賞者に。
◎台風9号(沖永良部台風)が日本の観測史上1位となる最低気圧907.3hPaを記録。
◎パリ発東京行きの日航機が日本赤軍にハイジャックされる。ダッカ空港に着陸。犯人の要求を飲んで同志9人を釈放し身代金を払う。
◎福岡地裁、カネミ油症事件判決で被害者側全面勝訴。
◎ハイジャック防止法が成立。
◎山梨県、ミレーの「種まく人」など3点の絵画作品を3億1500万円で購入。(翌年開館の山梨県立美術館で公開)
◎北海道洞爺湖畔の有珠山が32年ぶりに噴火活動を開始。
◎東京新宿の歌声喫茶「灯」が閉店。
◎国鉄のリニアモーターカー走行実験、世界初の浮上走行に成功。
◎200海里問題で漁獲量が2割減、価格も上昇し魚ころがしなどの言葉も。魚離れムードが起こる。

◎プロ野球の大洋球団が建設中の横浜スタジアムへ移転することを川崎市へ通達。このシーズン終了後、横浜大洋ホエールズに改称。
◎キャンディーズが日比谷野外音楽堂のコンサートで「普通の女の子に戻りたい」と解散宣言。
◎白黒テレビ放送が例外を除いて廃止され、完全カラー放送へ移行。
◎全米女子プロゴルフ選手権で樋口久子が優勝。(日本人初の世界タイトル)
◎小学館『コロコロコミック』を創刊。

■流 行:カラオケ・ディスカウントショップ。
■テレビ:男たちの旅路・岸辺のアルバム・ROOTS。
■邦 画:森谷司郎/八甲田山・山田洋次/幸福の黄色いハンカチ・舛田利雄/宇宙戦艦ヤマト。
■洋 画:ロッキー・スター=ウォーズ(日本での公開は1978年)
■ 歌 :沢田研二/勝手にしやがれ・ピンク・レディー/UFO・ウォンテッド・キャンディーズ/やさしい悪魔・暑中お見舞い申し上げます・小林旭/昔の名前で出ています・千昌夫/北国の春・八代亜紀/おんな港町・石川さゆり/津軽海峡=冬景色・さだまさし/雨やどり・山口百恵/秋桜・ハイ=ファイ=セット/フィーリング・渡辺真知子/迷い道・アリス/冬の稲妻・狩人/あずさ2号・高田みづえ/硝子坂・紙ふうせん/冬が来る前に・河島英五/酒と泪と男と女・岩崎宏美/思秋期・イーグルス/ホテル=カリフォルニア・ABBA/ダンシング=クイーン。
■ 本 :大岡昇平/事件・新田次郎/八甲田山死の彷徨・五木寛之/戒厳令の夜・丸谷才一/文章読本・アーサー=ヘイリー/ルーツ。
■ことば:よっしゃよっしゃ・普通の女の子に戻りたい。

❖年表の元ネタ主な参考資料河出書房新社『昭和・平成 家庭史年表』下川耿央・家庭総合研究会編。小学館『昭和・平成 現代史年表』神田文人編など。

dendenmushi.gif(2015/02/18 でんでんむし蛇足の記1977)
 でんでんむし流儀の本づくりでは、具体的にはいくつものポイントがあるが、その基本はまず「わかりやすい」ということに置いていた。自分自身が読みたいと思う本、自分という読者のために自分がわかる本をつくるということは、結果として編集者のレベル以上のものはつくることができない、ということになる。もちろん、多少は背伸びしたとしても、基本はそうならざるを得ないわけである。
 学歴も学識もないでんでんむしだが、想像力はそれなりにあるつもりだから、自分の興味と関心を最大限に広げて、企画を広げていくしかない。
 そんななかで、この年にはたまたま、後々までロングセラーになる数点の新刊が出せた。それは、経理の知識を事典として1項目1ページにまとめたものや、バランスシートをどう読むかというものや、文書の書き方などの本であった。
 こう書くと何の変哲もない企画のようだが、そこがタイトルやつくりや書き方で、まったく売れ方も違ってくる。そこがおもしろいし、そこが編集のノウハウとでもいうものであろう。これらはいずれも版を重ねてそれぞれが何十万部という結果をもたらすことになる。
 これは、時期的にも非常にラッキーなことだった。
 「わかる」と「事典」を組み合わせたタイトルは、今でもたくさんありそうだが、この年に出したこの本が最初だった。人が本を読む目的はさまざまだが、「わかる」というのは本を買う・読みたいという動機づけの最たるものと言える。とくに経理のようなある程度専門の分野で、しかもそれを知っておかなければならない人の裾野が広いような場合、潜在的な読者は少なからずある、それも確かなニーズを持つ固定層があるはずだ。
 そう考えて企画したのが、これともうひとつが「バランスシート」だった。これは経済記事をやっていたときからあまたにあったもので、新聞の決算公告をどう読み取るかというもので、こうなるとただ経理を仕事にしている人だけでなく、一般のビジネスマンにも必要な本になる。
 経理のほうは、机の上に置いて何かのときにぱらぱら見ればいい、“経理マンの手帖”のようなイメージで考えていたものが、いろいろひねくりまわした結果、1ページでひとつのポイントがわかる、という形にするのに苦労した。つまり、単なる経理用語事典にはしたくなかったからだ。
 少し厚手の本でほかの本より定価も高めで、初版も4000部と押さえてのスタートだったが、じわじわと売れた。
 バランスシートのほうは、出したとたんにある程度の手応えもあったので、これも読み通りだったが、内容的にもただのB/Sの解説書にはなっていないところがよかったと思う。
 文書の書き方というのは、これは営業が「“始末書の書き方の本はないか”と聞いてくるお客さんがあるんだが…」と書店さんからの声を届けてくれたところから始まった。
 う〜ん始末書ねえ!? これもわからんではないが本にまとめるのは単独ではむずかしい。束にして勝負だな。退職届とか、そういう“普通でない”文書の書き方を入れたらいいんだ。
 しかし、タイトルには困った。何日も考えあぐねたすえに、ある晩ふとひらめいたのが「他人に聞けない」というフレーズだった。同僚や上司に書き方を聞くわけにもいかん…そうかそれならコレだ!
 これも、ただの文書の書き方ではこうはいかなかった。ロングで版を重ねたうえに、このタイトルはその後あちこちで真似られた。
 なるほど、これが経営者の決断であり会社を動かすということなんだなあ、とつくづく感じた。新しい書籍出版部の態勢を自らリードしていこう、そういう社長の気概を痛切に感じた。この年にはそういうできごとがあった。
 編集と営業の管理職全員を東京に近い温泉地のホテルに数日間カンヅメにして、大方針決定会議を開いたのだが、これが社長の考えをみんなが理解し、その後の出版活動に指針を与え、目標を共有することにつながった。
 路線の変更はないが、さらなる拡充と新展開への挑戦である。なかでもみんなが驚いたのは、書籍広告を毎月一回、朝日新聞の全五段でうつ新施策であった。それまで、日本経済新聞には広告も出していたが、「朝日」ときた。当時、朝日の全五段の書籍広告を出しているのは、超大手の文芸書などの出版物だけで、中小の版元でしかもビジネス書でそんなことを考える者は誰もいなかった。
 それだけに、画期的には違いない。しかし、編集にしてみれば、朝日の全五段広告に耐えられるだけの出し物を揃えなければならない。それを続けていかなければならない。これはまた、大変である。
 たまたま、そういった新刊があったので、この戦略はある程度うまくいったように思う。ならんだタイトルからして、これまでにはなかった本だ。朝日新聞の読者にしてみれば、あまり聞いたこともない出版社が、突然出てきたような印象もあったかも知れない。
 この年の新刊で目だって売れた三点にしても、朝日の全五広告が後押ししたことは確かだろう。ただ、それにかける広告費と本の売上額がバランスするかどうかは、疑問である。まあ、はっきり言ってしまえば「広告して本が売れるのなら苦労はない」のである。
 広告には多分に先行投資的な意味もあるし、なにしろそんな出版社なんか知らないよという人のほうがまだまだ圧倒的に多いなかで、知名度をあげるためという効果のほうが大きい。対取次・書店に対しても、そしてもちろん読者にも…。
 思いっきり背伸びしてのことには間違いがなく、分相応とはいえない広告政策だったが、チャレンジの錦の御旗でもあった。
 この会議では、かねてから考えてきた路線は再確認され、おりからだんだんと認識され始めていたビジネス書の範疇をさらに押し広げることも決められた。その方針にしたがって、もっともっと背伸びをしなければならない。
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1976☆『思い出の索引』★でんでんむし@アーカイブス☆わたしたちが生きてきた時代とは… [年表]

われわれはどこから来て、どこへ行こうとしているのだろうか…? 

1976mark.jpg昭和51年 丙辰(ひのえたつ)
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◯米、バイキング1号が火星に軟着陸。
◯米ソ地下核実験制限条約に調印。
◯ベトナム、南北統一のための総選挙。
◯ベトナム統一国会をハノイで開催、国名をベトナム社会主義共和国とする。(南北ベトナム統一)
◯シリア軍が侵攻、レバノンで戦闘再開。5か月で終結へ。
◯南アフリカで黒人高校生のデモに警官隊が発砲。暴動が全国に拡大。
◯カンボジア、シアヌーク殿下が元首に就任。
◯周恩来中国首相が死去。
◯韓国金大中らが民主救国宣言。金大中逮捕。
◯北京の天安門広場で、群衆の暴動。
◯中国共産党中央委員会が鄧小平を解任。
◯カンボジアでポルポト政権。大虐殺の始まり。
◯インドネシア、東チモールを統合。
◯中国毛沢東主席が死去。後任に華国縫主席就任。
◯中国で文革を主導した四人組逮捕。(江青、王洪文、張春橋、姚文元)
◯第21回オリンピック、モントリオールで開催。

◉民間調査会社が、前年の企業倒産は1万2606件、負債総額は1兆9146億円で、史上最高と発表。
◉米上院の公聴会で、ロッキード社コーチャン副会長が日本政府高官に8億5000万円を贈与したと証言。
◉衆議院予算委員会でロッキード事件の小佐野賢治、若狭得治、渡辺尚次、檜山広ら証人喚問。
◉児玉誉士夫を臨床取り調べ。脱税で起訴。 
◉河野洋平、田川誠一ら6名が自民党を離党。新自由クラブを結成。
◉東京地検ロッキード事件で丸紅前専務大久保利春、全日空専務沢雄次らを逮捕。続いて、丸紅前専務伊藤宏、全日空社長若狭得治、丸紅前会長檜山広を逮捕。
◉東京地検が田中前首相を逮捕。受託収賄罪と外為法違反で起訴。
◉佐藤孝行、橋本登美三郎を受託収賄容疑で逮捕。
◉福田・大平・田中の反主流派がロッキード事件の解明に積極的な三木首相の退陣をはかる挙党体制確立協議会を結成。(三木おろし)
◉法務省が衆院特別委員会で、灰色高官として二階堂進、佐々木秀世、福永一臣、加藤睦月の氏名を公表。
◉ソ連の最新鋭戦闘機ミグ25が函館空港に強行着陸。ベレンコ中尉米亡命。
◉天皇在位50年式典。
◉第34回総選挙で、前回比22議席減の249議席で、自民が結党以来初めて過半数を割り、衆院委員長の与党独占が18年ぶりに崩れる。
◉三木内閣総辞職。福田内閣発足。

・この年に亡くなった人にはこんな人も…。檀一雄。舟橋聖一。大濱信泉。藤原義江。林語堂。福島正実。武者小路実篤。安川第五郎。石橋正二郎。武田泰淳。福田蘭堂。北條誠。周恩来。アガサ・クリスティ。パーシー・フェイス。ルキノ・ヴィスコンティ。マックス・エルンスト。ハワード・ヒューズ。キャロル・リード。マルティン・ハイデッガー。毛沢東。アンドレ・マルロー。ロザリンド・ラッセル。

◎鹿児島で国内初の5つ子誕生。(排卵誘発剤論議起こる)
◎東京地裁、雑誌「面白半分」掲載の野坂昭如「四畳半襖の下張り」をわいせつ文書として有罪判決。
◎山形県酒田市で大火。1774戸を焼失。
◎東海道新幹線の延べ乗客が10億人を突破。「こだま」16号車が初めて禁煙車両に指定。
◎東京高裁、マッド・アマノのモンタージュ(白川義員の写真を合成)は、オリジナルな作品と認める。
◎大和運輸が「クロネコヤマト」の宅急便を開始。
◎戦後最大の雨台風17号が長崎から日本海へ。西日本中心に169人が犠牲。
◎国鉄総武・横須賀線の東京=品川間の地下線が開通。
◎総理府統計局、総人口の8.1%が65以上と発表。高齢化社会への加速を示唆。
◎戦後生まれが総人口の半数を超える。
◎具志堅用高がWBA世界ジュニアフライ級チャンピオンに。
◎平凡出版(現マガジンハウス)が「POPEYE」を創刊。
◎神奈川県藤沢市に「東急ハンズ」第1号店が開店。
◎できたての弁当を売る「ほっかほっか亭」第1号店が埼玉県草加市に開店。
◎1等1000万円が40本のジャンボ宝くじ発売。各地の売り場に客が殺到し、混乱で死者が出る騒ぎに。

■流 行:ジョギング・サーフィン。
■テレビ:となりの芝生・落日燃ゆ・徹子の部屋・プロ野球ニュース。
■邦 画:市川崑/犬神家の一族・大島渚/愛のコリーダ。
■洋 画:ミロス=フォアマン/カッコーの巣の上で・シドニー=ルメット/狼たちの午後。
■ 歌 :都はるみ/北の宿から・二葉百合子/岸壁の母・キャンディーズ/春一番・ピンク=レディー/ペッパー警部・因幡晃/わかって下さい・荒井由実/あの日にかえりたい・太田裕美/木綿のハンカチーフ・山口百恵/横須賀ストーリー・川橋啓史と斎藤こず恵/山口さんちのツトム君・内山田洋とクール=ファイブ/東京砂漠・新沼謙治/嫁に来ないか・丸山圭子/どうぞこのまま・森田公一とトップギャラン/青春時代。
■ 本 :森村誠一/人間の証明・村上龍/限りなく透明に近いブルー・山崎豊子/不毛地帯・徳大寺有恒/間違いだらけのクルマ選び・城山三郎・毎日が日曜日・渡部昇一/知的生活の方法。
■ことば:ピーナッツ・記憶にございません・灰色高官・み〜んな悩んで大きくなった。

❖年表の元ネタ主な参考資料河出書房新社『昭和・平成 家庭史年表』下川耿央・家庭総合研究会編。小学館『昭和・平成 現代史年表』神田文人編など。

dendenmushi.gif(2015/02/14 でんでんむし蛇足の記1976)
 実務書では、失敗もあったが全体的にはそこそこ売れる本を、なんとかかんとか続けて出していた。ところが、この年に先輩の編集長が別の出版社をつくるというので退社することになった。そのため、一人残ったでんでんむし編集長が実務書だけでなく、経営・自己啓発書を中心にやっていた部門を含めて、書籍編集部全体をまとめていかなければならなくなってしまった。
 出版社や編集者の世界では、独立したり分かれたりは、よくあることで、そうめずらしいことではない。新しい出版社ができると、それはたいていどこそこの出版社にいただれそれがやっているといった噂話がすぐに広まる。
 また、出版社に勤めている者が別の出版社に移るということもあったが、社長の方針でいっさいの引き抜きスカウト人事などはやってこなかった。新卒も中途採用もあるが、全部自前の社員を育てていこうというのでやってきた。そのために、まったく経験のない素人集団で始めた書籍部門の黒字化にも、随分時間がかかったとも言えたのかも知れない。
 そんなわけで、さあ後をどうするか、これが問題だ。社長にもいろいろ不安もあったはずだろうが、残った編集長にすべてを託すしか仕方がなかったのだろう。一挙に責任が広く大きくなってしまったが、経営・自己啓発書のスタッフがちゃんと機能しているので、たちまち本を出すのに困るようなことはないものの、書籍部門全体の売上計画などをどう達成していくかが大きな問題であった。
 そのためには、どうしても実務書の枠からはみ出したところで挑戦してみないと普通の数字ばかりでは厳しい。なにか、おや!?というような企画が必要で、それこそある程度三角にとんがっていないと、インパクトは与えられない。
 そういう意識は、最初の経済入門書が成功して以来、ずっとあったので、いろいろな仕掛けを考えていた。
 そんなもののなかから、この年のヒットとなったのは、会社の数字に強くなるといったテーマの本だった。一般の会社に勤めている人であれば、経理部門でなくても、どこにいてどんな仕事をしていても、ある程度の経営数字が読めなければならない。そういう読者層を広げる狙いで企画していた。
 これもまた無名の若手著者で、タイトルこそ以前カッパブックスの大ベストセラーにあったものの借用だったが、それももう広く一般に使われるようになっていた言葉なので、誰が使ってもおかしくない。経理とか経営ではなく、“会社の数字”としたところが、新しいオリジナルの着眼点である。
 文章は要点だけで少なくして、ただページを広げて見開きで図版を眺めているうちになんとなくわかる、そういう本にしたかった。著者も意欲的に取り組んでくれて、図を描く方策もなんとかなって、これまでにはどこにもなかったようなユニークな本ができた。
 数字にはいたって強くないでんでんむしが、こんな本をつくるのもおかしいが、こういうものはむしろ読者に近い人間がつくるほうが案外にいいものだ。
 考えてみると、でんでんむし流儀の基本は、まず自分がほしい本、あったらいいだろうなと思う本をつくる、ということにあった。
 振り返ってみると、いちおう成功したと思える本の企画は、だいたい例外なくその類いのものだった。
 この場合も、そんな思惑がうまく当たって、実務書の枠を大きく超える大ヒット作になった。この本があったおかげで、書籍部門の編集長が抜けてしまうという緊急事態から予想された問題が顕在化することもなかった、とも言える。
 東京駅の北側では開通していた地下の総武本線が、南の東京=品川間も地下路線が開通し、横須賀線も地下駅に乗り入れ、総武線と乗り入れることになった。このため、横須賀線も東京駅が終始初駅ではなくなったが、総武選できてそのまま横須賀線に乗っていくという人は少なかったので、相変わらず東京駅からも座って通うことができた。
 東京駅の地下ホームは、ビルでいうと地下5階くらいにも相当するといわれていた。やはり、最初のうちはなんとなく不気味な感じもしたが、毎日乗り降りしていれば、だんだんそれにも慣れていく。それでも、新橋の地下ホームで線路の向こうの壁の間から、水が勢いよく流れているのを見たりすると、やっぱり不安になったりする。
 通勤の車内も、本を読んだりゲラを読んだりするのに適した、貴重な一人の時間であった。だからその環境は非常に重要なので、横須賀線が全面車内禁煙になったときには、とてもうれしかった。
 1970(昭和45)年の項目では、たばこの煙のことを書いていながら、そのことを書いていなかった。実はちょうどその年の終わり頃から、車内禁煙になったのではないかと思う。
 これも、どうも記憶がはっきりしないが、この頃から週休2日制になっていたのかも知れない。
 このブログを読んでいるというある人から、「よく覚えているね。記憶力がいいね」などと言われるといささか具合が悪い。記憶力はさっぱりよくないし、ほとんど忘れかけているからだ。日記でもきちんとつけていれば、いつどういうことがあったかも、振り返ってみることができるが、それもない。
 だから、このさい残っている記憶と、記録されている事実とを照合し、それらを整理して残しておくのが目的で、思い返しながら自分語りを続けている。
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1975☆『思い出の索引』★でんでんむし@アーカイブス☆わたしたちが生きてきた時代とは… [年表]

われわれはどこから来て、どこへ行こうとしているのだろうか…? 

1975mark.jpg昭和50年 乙卯(きのとう)
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◯ギリシャ・トルコ両国首相がキプロス平和解決で合意。
◯英、EC残留か否かを問う初の国民投票実施。結果残留。
◯ヘルシンキで全ヨーロッパ安保首脳会議。共存体制確認。
◯パリ郊外ランブイエで先進六か国首脳会議。
◯ポルトガル、軍部右派のクーデターが失敗。政権議会選挙が行なわれるも、政変が続く。
◯ペルーで無血クーデター。ベラスコ大統領を解任。
◯スペイン反政府テロリスト5人を処刑。マドリッドで抗議デモ。フランコ支持の集会も。
◯EC9か国外相がスペインとの経済交渉の中止を表明。
◯スペイン、フランコ総統が死去。カルロス王子が国王に即位。
◯カルロス国王への抗議スト。アリアス内閣が自由化を掲げて発足。

◯南ベトナム中部高原で解放戦線が集中攻撃。
◯南ベトナム、ブレーク、コンツム二省を放棄。
◯クアンチン省陥落、ユエに続いてダナンも陥落。
◯エチオピア、帝政の廃止。
◯サウジアラビア、ファイサル国王が暗殺され、ハリド新国王。
◯南ベトナム、解放戦線の攻勢が続き、ニャチャンが陥落。内閣総辞職、大統領が辞任。後任のフォン大統領がズオン・バン・ミン将軍に全権委譲。
◯南ベトナム、サイゴン政権が無条件降伏。革命政府樹立。
◯カンボジア、ロンノル大統領が亡命。プノンペン陥落。政府軍降伏。
◯国府、蒋介石総統が死去。
◯ラオス、プーマ首相が内戦終結を宣言。
◯韓国朴大統領が緊急措置令を発動し、反政府活動を厳禁。
◯エジプト、8年ぶりにスエズ運河を再開。
◯フィリピン、タイが中国との国交を回復。
◯バングラデシュで、軍部がクーデター。ラーマン大統領を殺害。(再クーデター)
◯カンボジア、シアヌーク元首が5年半ぶりに帰国。
◯アンゴラ、独立を宣言するも内戦が激化。
◯ラオス、王制を廃し、人民民主共和国に。
◯東チモールの親インドネシア派が首都ディリを占拠。

◉マラッカ海峡でタンカー祥和丸が座礁。大量の原油が流出。
◉ソニーが8000人の一時帰休。日立製作所が4000人の賃金カット。
◉私立大学連盟調査で、大卒採用予定者の取り消し・自宅待機が53社と発表。
◉公示価格が対前年で戦後初の低下。
◉経済企画庁が昨年の実質GPNは前年比で1.8%低下と発表。
◉統一地方選挙。首長では、美濃部三選・黒田再選、神奈川長洲。自民単独の退潮と革新分裂。自・民連合の圧勝。
◉英女王夫妻が来日。
◉興人が倒産。負債1500億円。
◉日本赤軍がクアラルンプールの米・スエーデン大使館を占拠。
◉天皇皇后両陛下、アメリカを訪問。帰国後、初の公式記者会見。
◉ランブイエの主要先進国会議に三木首相が出席。
◉公労協スト権スト、192時間の新記録。
◉大阪空港公害訴訟で、大阪高裁が住民勝訴の判決。
◉財政特例法案が成立。2兆3000億円の赤字国債発行。
◉金大中事件で中断していた日韓定期閣僚会議が、1年9か月ぶりに開かれる。

・この年に亡くなった人にはこんな人も…。荻野久作。香山滋。南部僑一郎。石坂泰三。戒能通孝。中川善之助。古畑種基。渡辺一夫。梶山季之。佐藤栄作。林武。金子光晴。きだみのる。加東大介。堂本印象。棟方志功。林房雄。角川源義。鹿島守之助。正木ひろし。井上成美。深代惇郎。辻木谷實。蒋介石。ジョゼフィン・ベーカー。ドミトリ・ショスタコーヴィチ。アーノルド・J・トインビー。ハンナ・アレント。

◎山陽新幹線、岡山=博多間が開通。東京=博多が6時間56分。
◎自動車の50年度排ガス規制が発効。
◎沖縄海洋博覧会、開催。
◎台湾との空路再開で合意。
◎不況が深刻化。完全失業者は100万人を突破。49年度の倒産件数は1万1600件で戦後最高。
◎カシオ計算機4500円の電卓を発売。
◎ソニー・ベータとビクター・VHSがそれぞれ別規格の家庭用YTR機を発売。
◎昭和49年の1億円以上の高額所得者は1320人で、前年比の8割減。
◎国鉄室蘭線のSL列車が廃止になり、鉄道開通以来103年の歴史に幕。
◎歌舞伎俳優で人間国宝の坂東三津五郎、フグ中毒死。
◎広島カープ、球団創設以来26年目でセ・リーグ初優勝!。読売ジャイアンツは初の最下位。

◎エポック社が「テレビテニス」。テレビゲームの第1号。
◎総広告費は1兆2375億円。媒体別でテレビが新聞を抜いて、4208億円で首位に。
◎第2次大戦中のヨーロッパ戦線で流行った「リリー・マルレーン」が流行。女性歌手7人がレコードを出す。
◎全英オープン大会女子ダブルスで、沢松和子:アン・キヨムラ組が優勝。日本人初。
◎高校野球に金属バット導入。プロ野球パ・リーグでは指名打者制導入。
◎中沢啓治「はだしのゲン」(汐文社)刊行。
◎マンガ同人誌約30のサークルが集まって即売会を開始。
◎日本リクルートセンター「就職情報」を発刊。
◎講談社駅売り夕刊紙「日刊ゲンダイ」発行。

■流 行:紅茶キノコ。
■テレビ:欽ちゃんのドンとやってみよう!・テレビ三面記事ウイークエンダー。
■邦 画:浦山桐郎/青春の門・山本薩夫/金環蝕。
■洋 画:ジョン・ギラーミン/タワーリング=インフェルノ・スティーヴン=スピルバーグ/ジョーズ。
■ 歌 :布施明/シクラメンのかほり・さくらと一郎/昭和枯れすゝき・ダウン・タウン・ブギウギ・バンド/港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ・沢田研二/時の過ぎゆくままに・バンバン/『いちご白書』をもう一度・キャンディーズ/年下の男の子・ハートのエースが出てこない・風/22才の別れ・野口五郎/私鉄沿線・子門真人/およげ! たいやきくん・細川たかし/心のこり・岩崎宏美/ロマンス・アリス/今はもう誰も・小坂恭子/想い出まくら・中島みゆき/アザミ嬢のララバイ・時代・荒井由実/ルージュの伝言・あの日にかえりたい・かまやつひろし/我が良き友よ・イルカ/なごり雪・チューリップ/サボテンの花・甲斐バンド/裏切りの街角・塩見大治郎/それ行けカープ。
■ 本 :有吉佐和子/複合汚染・司馬遼太郎/播磨灘物語・檀一雄/火宅の人・深田裕介/新西洋事情。
■ことば:赤ヘル・わたしつくる人ぼく食べる人・ひかりは西へ。

❖年表の元ネタ主な参考資料三省堂『コンサイス世界年表』三省堂編修所編。河出書房新社『昭和・平成 家庭史年表』下川耿央・家庭総合研究会編。小学館『昭和・平成 現代史年表』神田文人編など。

dendenmushi.gif(2015/02/10 でんでんむし蛇足の記1975)
 高度経済成長だと世の中で言われているうちでは、そういう実感を持つことがなにもなかったが、経済指標が不況を示しだしたこの頃になって、やっとそのおこぼれが回ってきた。
 まず、わが広島カープがルーツの後を受けた古葉竹識監督の下で念願の初優勝を果たし、赤ヘルブームが起こる。「一度でいいから優勝してくれ!」と長年思い続けていたことが、ついに実現したのだ。
(カープのことはあちこちでふれているが、でんでんむしのカープへの想いについてはこちらなどを…。)
  □29:ふるさとは遠きにありて思ふものそして… [ある編集者の記憶遺産]
 当然、その優勝決定の瞬間には、現場に立ち会いたいと願っていたが、それは会社からほど近い後楽園球場になった。そのスタンドを埋めたカープファンのどよめきが、水道橋駅と線路を越えて会社まで伝わってきたと、後から聞いたが、その数日前から日本にいなかったのだ。
 初めての体験となる海外旅行で、ヨーロッパをめぐっていたので、カープV1のニュースはスイスで知った。この旅行は、各出版社から乗り合いで参加するブックフェア視察と銘打ったツアーにすぎないのだが、それに会社から派遣されていた。
 どういうわけか、その一行のなかには、アンパンマンで大ブレークするずっと前のやなせたかし氏も参加していて、こどものためにといってサインをもらったり、ミーハー旅行をしてきた。
 いちおう湘南と呼ばれる地方に住んでいて、瀬戸内海とはまたまったく違う海に接していると、この海をヨットで走ってみたくなる。どんなきっかけだったのか忘れているが、YAMAHAのヨットを買ってしまった。…というといかにもだが、ヨットといっても日本で言うのはセールボートのことで、当時はシーホッパーという薄っぺらい船体で、すぐにチン(沈)するのが全盛だったが、それは向きではない。いちばん安い、小さなこどもの練習用のずんぐりFRP胴体の9フィートのを選んだ。これはボートにもなるようオールがついているシロモノだったが、これくらいがちょうどいい。
 思えば、これがでんでんむしのバブル期だったんだなぁ。
 会社も大阪に本社ビルを建てたし、創業25周年の祝いは全社員が有馬温泉に大集合して盛大に行なわれた。ちょうどその週末に広島市民球場にパ・リーグの覇者阪急ブレーブスを迎えて日本シリーズが始まるので、後楽園に行けなかった分もと、現地解散になったその足で広島へ向かった。この年から、新幹線が博多まで延伸され、まさに「ひかりは西へ」で広島へも行きやすくなっていたが、山陽新幹線はトンネルばかり多くて、“さよう感心せん”。
 ただ、中国山地の特徴とも言うべき、ぽこぽこした山が連続する間を、突き抜けていくそのトンネルにも、独特の個人的感慨があった。
 「ある編集者の記憶遺産」のほうでは、年少期の記憶を整理していたが、そこにも書いたように、その昔走り回って遊んでいた山の多くが宅地開発されていた。わずかに残った北寄りの山地の下を、新幹線はトンネルで抜けていく。トンネルをパッと出ると、左手に広島の街並みが展開し、右手には懐かしい呉娑々宇の山が聳えている。
 カープの日本シリーズを観に、新幹線で安芸トンネル、そして府中トンネルを抜けて広島に帰ってこようとは…。(感激の涙!)
 日本シリーズの広島市民球場は、赤い帽子で埋まって(今のような赤Tシャツやユニはなかった)、外野レフトスタンドの一角だけ、赤い封筒に貼った切手のように色が違っていた。結果は、元広島にいた上田監督が率いエース山口が投げた阪急に歯が立たなかったが、みんなセ・リーグのV1だけで充分に満足していて、街中にそういう雰囲気があった。
 「それ行けカープ〜若き鯉たち〜」の歌が、そこらじゅうに流れていたが、この歌は当時カープフアンを代表する名物おばさんだった雑誌「酒」編集者の佐々木久子(いつだったか、神宮球場のネット裏内野席でおみかけしました)が主宰していた「カープを優勝させる会」のメンバーだった作詞家の有馬三恵子と作曲家の宮崎尚志の作品である。1975年の発表である塩見大治郎が歌っていたオリジナルのレコードは、この8月にリリースされたばかりであった。(ちょっと気恥ずかしい感じがしていたが、改めてよく味わって聴くと、なかなかいい歌である。昨年マツダスタジアムで流されていた、こういうのも出た(音程外しているのもあるが)ので、このブログではめったにやらないが貼り付けておく。カープファン限定クリックを推奨!!

 カープもそうだが、創業25年という中小企業はこの頃たくさんあった。高度成長というのは、そういう企業が揃って、なにがしかの成果を得た時期ということができる。
 東京から帰ってきた広島で、縁あってこの会社に入社してから、大阪を経てまた東京へと異動しながら、その間に15年という歳月が経っていた。
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1974☆『思い出の索引』★でんでんむし@アーカイブス☆わたしたちが生きてきた時代とは… [年表]

われわれはどこから来て、どこへ行こうとしているのだろうか…? 

1974mark.jpg昭和49年 甲寅(きのえとら)
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◯キッシンジャー米国務長官訪ソ、ブレジネフとの会談でSALT問題で共同声明。
◯米ワシントンでニクソン弾劾のデモ。
◯仏ポンピドー大統領急死による大統領選。ミッテランが決選投票で敗れ後任はジスカールデスタンに。
◯ニクソン大統領訪ソ。
◯キプロス国防軍のクーデター。トルコがキプロス派兵。
◯米最高裁がニクソンのテープ提出を決定。下院司法委員会が弾劾訴追「司法妨害」を可決。(ウオーターゲート事件)
◯ニクソンが全国放送で大統領辞任を表明。フォードが昇任。
◯ポルトガルがギニア=ビサウ、モザンビークの独立を承認。
◯国連総会、キプロスからの外国軍隊の完全撤退決議案を採択。
◯フォード米大統領が訪日、韓国訪問後、ウラジオストックでソ連のブレジネフと会談。
◯PLOに国連の常駐オブザーバー資格を認める。

◯カンボジア解放勢力のプノンペン攻撃が激化。
◯パキスタン、ブット首相がバングラデシュを承認。
◯ラオスでプーマ首班の連合政府。
◯韓国朴大統領が改憲運動禁止、民青学連事件で緊急措置権発動。大統領狙撃事件、夫人死亡。
◯インドが地下核実験、6番目の核保有国になる。
◯エチオピアで軍事臨時政権、皇帝廃位、閣僚処刑。
◯キプロスでクーデター、トルコ軍再び上陸。和平会談も決裂、戦闘再開、停戦。
◯ビルマで反政府運動激化、戒厳令。

◉田中首相の東南アジア訪問でバンコク、ジャカルタで反日デモにあう。
◉春闘共闘委81単産、600万人が交通中心のゼネスト。
◉北京で日中航空協定に調印、台湾は日台空路停止を声明。
◉経団連会長に土光敏夫を選出。
◉参議院選挙で保革接近。
◉三木副総理が首相の政治姿勢を批判して辞任。福田蔵相、保利行官長も辞任。
◉土光経団連会長が国民協会との縁切りを表明。
◉三菱重工、三井物産、大成建設で企業爆破事件が連続して起こる。
◉実験航海中の原子力船「むつ」で放射能漏れ。
◉東洋紡績が3000人の希望退職者を募集。繊維不況深刻化。
◉「文藝春秋」11月号で立花隆の「田中角栄研究--その金脈と人脈」を特集掲載。
◉金脈問題が政治問題化。田中首相が辞意表明。
◉自民党実力者会談で椎名裁定、三木武夫を次期総裁に推す。
◉三木内閣発足。福田副総理、大平蔵相、永井文相。
◉佐藤元首相にノーベル平和賞。
◉三木首相が、総裁選、政治資金、選挙について党近代化の試案を提示。
◉昭和48年度のGNP(国民総生産)が115兆6752億円と初めて100兆円を超える。

・この年に亡くなった人にはこんな人も…。山本有三。岩田専太郎。田中耕太郎。香月泰男。福田平八郎。吉田五十八。清水崑。深尾須磨子。高田敏子。曾我廼家十吾。南原繁。木村伊兵衛。小唄勝太郎。務台理作。花菱アチャコ。いわさきちひろ。山本嘉次郎。花田清輝。宮本三郎。田坂具隆。堀久作。池田敏雄。三島海雲。デューク・エリントン。ヴァネヴァー・ブッシュ。エーリッヒ・ケストナー。チャールズ・リンドバーグ。オスカー・シンドラー。ダヴィッド・オイストラフ。ヴィットリオ・デ・シーカ。ウォルター・リップマン。

◎ルバング島で30年間戦争を続けていた小野田寛郎少尉と接触に成功。元上官の“武装解除して帰国せよ”との命令により帰国。後にブラジル永住を表明。
◎東京上野の国立博物館で、モナリザ展開催。期間中160万人が入場。
◎日本女性隊がマナスル登頂に成功。(女性初の8000メートル級登頂)
◎北の海が史上最年少で55代横綱に。
◎インドネシアのモロタイ島で台湾高砂族出身の元日本兵中村輝夫が発見される。
◎米、国鉄、地下鉄、バス、郵便小包など公共料金の一斉値上げ。
◎三菱石油水島製油所から重油4万キロリットルが流出。瀬戸内海東部から紀伊水道まで汚染。
◎国土庁が地価公示価格の上昇率が年32.4%で過去最高と発表。48年度中の全国平均地価上昇率は22.4%。
◎全国消費者物価、対前年26.3%の暴騰。
◎東京西新宿に新宿住友ビル完成。52階200メートル。三井ビル55階212メートル。
◎世界2位となる山陽新幹線関門トンネル貫通。1万8713メートル。
◎高校進学率が90%を超え、集団就職列車も姿を消す。
◎週休2日を民間企業の50%が実施。
◎コンビニエンスストア第1号店「セブンイレブン」が東京台東区に開店。
◎伊豆半島地震、M6.8死者不明者29人、家屋全半壊171戸。
◎台風8号で九州北部から瀬戸内海、東海にかけて豪雨被害。死者不明者90人。

◎NHKテレビ放送を夜11時までに自粛。石油・電力節減のためで、民放も放送時間を短縮。
◎プロ野球読売ジャイアンツの長嶋茂雄が現役引退。
◎NHK「ニュースセンター9時」キャスター磯村尚徳放送開始。
◎藤子不二雄の「ドラえもん」(小学館)刊行。
◎大手出版社による文庫競争。

■流 行:超能力ブーム・オカルトブーム・カイト(洋ダコ)。
■テレビ:ニュースセンター9時・寺内貫太郎一家・宇宙戦艦ヤマト・パンチDEデート。
■邦 画:山本薩夫/華麗なる一族・野村芳太郎/砂の器。
■洋 画:ジョージ=ロイ=ヒル/スティング・デイヴィッド=ミラー/ダラスの熱い日・ウィリアム=フリードキン/エクソシスト・ジュスト=ジャカン/エマニュエル夫人。
■ 歌 :山口百恵/ひと夏の経験・森昌子/おかあさん・伊藤咲子/ひまわり娘・梓みちよ/二人でお酒を・森進一/襟裳岬・グレープ/精霊流し・りりィ/私は泣いています・西城秀樹/傷だらけのローラ・野口五郎/甘い生活・海援隊/母に捧げるバラード・山本コウタローとウィークエンド/岬めぐり・八代亜紀/しのび恋・殿さまキングス/なみだの操・さくらと一郎/昭和枯れすすき・中条きよし/うそ・フィンガー5・学園天国・敏いとうとハッピー&ブルー/わたし祈ってます・テレサ・テン/空港。
■ 本 :森敦/月山・リチャード=バック/五木寛之訳/かもめのジョナサン。
■ことば:便乗値上げ・狂乱物価・金脈・青天の霹靂・内ゲバ。

❖年表の元ネタ主な参考資料三省堂『コンサイス世界年表』三省堂編修所編。河出書房新社『昭和・平成 家庭史年表』下川耿央・家庭総合研究会編。小学館『昭和・平成 現代史年表』神田文人編など。

dendenmushi.gif(2015/02/06 でんでんむし蛇足の記1974)
 実務書の企画を考えること自体は、そうむずかしいことではない。各企業に共通の法的な規制に基づく手続きやそれらに伴う業務があるので、そういった仕事に初めて携わる人が、これは便利だ!役に立つ!と思ってもらえるような情報提供をするところから順に考えていった。
 ただ、そういうテーマの取り出し方をしても、読者からの手応えにはばらつきがあって、売れるものと売れないものがでてくるのはしかたがない。だがその違いが、テーマにあるのか、内容のつくりかたにあるのか、となるとにわかに判断し難いところもある。
 社会保険の実務手引き書をつくったのは、どんな企業にも必ずある業務で、むずかしいとは言えないが、毎月の保険料を徴収して納めなければならず、めんどうな業務だからである。これを、一年を通じて、従業員の各種異動に伴って必要になる届け出や手続きをまとめるという企画は、社会保険労務士の資格を持つある会社の総務部長に書いてもらった。
 これも着実に売れ続け、大ロングセラーになって、増刷と改定を繰り返していた。後年、社長がよく言っていた感想は、「こんな本でも売れるんだなあ」というものだった。それは、本がひどいのにという意味ではなく、こんなどうということはないやさしいことなのに…というつもりだったのだ。もちろん、内容も誰にでもできるように手取り足取りで懇切ていねいに、届け出書式はきちんとその書き方を解説した。そのばかばかしいくらいの当たり前さが、社長の感想の元になったのだろう。
 これは、ある意味で実務書の強みをいかんなく発揮した象徴的な本だったと言えるのだろう。そういう本がだんだん増えていけば、業績にはおおいに貢献できる。
 だが、地味な本ばかりつくっていると、少しはもっと派手にパアッと売れそうな本もつくってみたいよね。
 実務の手引き書から少し読者の幅を広げようと挑戦したのが、経済知識の入門書だった。これは、実務家だけでなくビジネスマン一般に誰でも必要なものではないか。そういうことを常々考えてもやもやしていたのだが、それだけでは企画にならない。
 だからこの本の企画が生まれたのも偶然ではないが、そのきっかけとひらめきは偶然にやってきた。
 横須賀線での通勤は、もくろみ通り毎日座って通える。そのうち座れなくなったらそのときはグリーン車に乗ればよい。最初からそう思っていたのだが、グリーン車に乗るのは随分後になってから、もう現役を引退してからのことになった。
 座っていての1時間は立っての30分よりは楽で、本や新聞を読んだり、ゲラを読んだりして過ごすのだが、当時の横須賀線は全車両がボックス型で、今のように横長になっているのではない、4人掛けの座席が中心であった。
 ある朝のこと、座って日経新聞をたたんで読んでいると、途中駅から乗ってきたおじさんたちが座る。しばらくして、ハッと気がついた。
 なんと、自分がいるボックス席では自分も含めて4人のおじさんが、揃って日本経済新聞を開いている…。
 そうだ!これだ!…と、新聞記事をネタにした経済入門書の企画は、ここでひらめいた。これならいける!
 2ページの見開きで1項目の解説を積み重ねていくという手法は、当時すでにあったのでオリジナルな発明ではなかったが、新聞の経済面の記事を取りあげて展開するという本はまだなかった。これで企画が決まった。
 この本ではまず最初に、著者を誰にするかという問題もあった。実務書であれば無名でも初めて原稿を書く人でも、実務家であればよかったが、経済知識の入門書となると、ある程度著者の知名度も必要なのではないか。経済となれば、有名な著者も結構いる。
 それも当然考えたが、著者にとって名前も聞いたことのないような実績のない出版社から頼まれても、引き受けてはくれない。どうせそうなら、いっそこういう分野でも無名の著者でも売れる本はできるんだ、ということを証明してやればよい。
 実は、現在でもそうなのだが、出版社の営業や編集者だけでなく、書店においても、著名な著者なら売れるという神話が根強くはびこっていた。とにかく、すべてをそこへもっていく。へそまがりだから、そりゃ違うんじゃないかな、とずっと思っていた。
 だってそうでしょ。有名な著者なら売れるというのだったら、だからみんな有名な著者ばかり追いかけるというのなら、新しい著者は出てくる余地がないじゃありませんか。最初から有名な人なんて…。
 とあるシンクタンクの、若手のスタッフが執筆を引き受けてくれた。当然、無名である。幸い、こちらのアイデアを理解してくれたので、本もよく売れて版を重ね、後に続くシリーズの記念すべき最初の一冊にもなった。
 タイトルを決めるにさいしては、先輩編集長の一言が、それまでの実務書感覚から一歩を踏み出す後押しをしてくれた。
 この本が売れてから、似たようなテーマ、タイトル、新聞記事をネタにするという手法が、あちこちで使われた。本のタイトルや編集技法には、著作権がない。マネシホーダイなのだ。これでいちばん驚いたのは当の新聞社だったのかもしれない。狙いは同じだが本格的な本を年度版で出し始めたし、その後何年か経って全面改訂版をつくろうとしたときには、新聞記事の掲載について版面権を主張してきた。
 この年の物故者のなかに、池田敏雄の名があるが、この頃はまだなんにも知らずにいた。
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1973☆『思い出の索引』★でんでんむし@アーカイブス☆わたしたちが生きてきた時代とは… [年表]

われわれはどこから来て、どこへ行こうとしているのだろうか…? 

1973mark.jpg昭和48年 癸丑(みずのとうし)
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◯拡大EC、イギリス・アイルランド・デンマークが加盟。
◯ニクソン米大統領が、北ベトナム全土への米軍の攻撃中止を指令。
◯パリ会談再開、ベトナム和平協議に調印。
◯欧州通貨危機。米、ドル10%切り下げ。
◯北アイルランド・アルスター住民投票で98%が英領に留まるを支持。
◯米盗聴事件。FBIがホワイトハウスに立ち入り調査。
◯ギリシャ王制を廃止、大統領制共和国へ。軍事クーデター。
◯ソ連、ソルジェニーツィン、サハロフ批判キャンペーン開始。
◯チリ軍部のクーデター、アジェンデ大統領自殺。ソ連断交。
◯アルゼンチンでペロン政権。
◯第四次中東戦争。国連安保理、停戦決議案を採択。
◯OAPECが原油生産量の25%削減と年末以降の追加削減。
◯スペイン、ブランコ首相が暗殺される。
◯ジュネーブで中東和平会議。
◯キッシンジャー米国務長官と北ベトナム労働党レ・ドク・ト政治局員にノーベル平和賞。レ・ドク・トは辞退。

◯ベトナム和平協定にもとづく捕虜釈放始まる。
◯ラオス、ビエンチャン政府と愛国戦線が和平協定。
◯在南ベトナムの米軍、最終撤退が完了。
◯韓国で反政府運動拡大。
◯エジプトとイスラエルが停戦協定に調印。

◉円の変動相場制に移行。
◉動労の順法闘争。高崎線上尾駅で乗客占拠騒乱。都内国電32駅でも騒乱が波及。
◉熊本地裁、水俣病訴訟判決でチッソに9億円の損害賠償を命じる。
◉政府が小選挙区制など選挙制度改正方針を決定。野党が反発して審議拒否。
◉社公共三党の主催で32万人が統一抗議行動。
◉アラブゲリラ5人がアムステルダム離陸の日航機を乗っ取り。ドバイ、ダマスクスを経てリビアのベンガジで乗客解放後、機体爆破。
◉韓国元大統領候補の金大中が、東京九段のホテルから、韓国人5人に連行される。後にソウルの自宅に戻る。
◉外務次官が駐日韓国大使に金東雲一等書記官の出頭を要請。
◉札幌地裁が長沼ナイキ訴訟で自衛隊違憲の判決。
◉米空母ミッドウエー、横須賀を母港として入港。
◉エクソン、シェルが原油価格の30%引き上げを発表。追って10%の供給削減を通告。(石油ショック)
◉ベトナム民主共和国との国交樹立。
◉神戸市長選挙の結果、六大都市の首長が全部革新首長になる。
◉三木特使がアラブ諸国歴訪。
◉田中改造内閣、急死した愛知蔵相に代わって福田赳夫。
◉石油需給適正化、国民生活安定緊急措置法成立。
◉OAPECが、日本を友好国と認定。

・この年に亡くなった人にはこんな人も…。円谷一。島田啓三。初山滋。池島信平。南都雄二。椎名麟三。菊田一夫。石橋湛山。大佛次郎。美土路昌一。大辻伺郎。近衛秀麿。吉屋信子。時実利彦。倉金章介。5代目古今亭志ん生。我妻栄。サトウハチロー。浜田廣介。早川雪洲。愛知揆一。浪花千栄子。パール・バック。ノエル・カワード。パブロ・ピカソ。ジョン・フォード。J・R・R・トールキン。パブロ・カザルス。

◎東京ごみ戦争、江東区が杉並区のごみ搬入を阻止。
◎出光石油徳山工場で、コンビナートが爆発。
◎国鉄・中央線の「婦人子供専用車」を廃止。「シルバーシート」登場。
◎関門橋が開通。全長1068メートルで東洋一。
◎熊本の大洋デパートで昼火事。3階以上が猛火、客ら103人が死亡。
◎京成スカイライナー、上野=成田空港間で運転開始。
◎東京都が都営ギャンブルを全廃。
◎北海道夕張鉱業所でガス爆発。61人死亡。
◎国税庁が昭和47年度の高額所得者を公表。上位100人のうち94人が“土地成金”。
◎鉄道弘済会の駅売店が「キヨスク」となる。(便利で小さな売店)
◎環境週間に、7道県でノーカーデー。
◎物価急上昇。
◎エネルギー危機で、省資源・省エネ・節約志向強まる。

◎フィリップスがわが国初となるコーヒーメーカーを発売。
◎アース製薬「ごきぶりホイホイ」を発売。
◎アリコ・ジャパン、戦後初の外国生命保険会社営業開始。
◎大阪梅田地下街拡張で阪急三番街完成。梅田地下街は日本最大に。
◎各地でトイレットペーパーや洗剤などの買い溜め騒動。
◎川上監督の読売ジャイアンツが日本シリーズ9連覇。
◎東京都内のちり紙交換業者は2000軒と大幅に増加。
◎NHKテレビで「刑事コロンボ」放送開始。人気。
◎海外渡航者が200万人突破。うち女性が51万人。
◎「るるぶ」「旅に出ようよ」「旅行ホリデー」など旅行関係の雑誌・情報誌も創刊。
◎祝日法の改正で、祝日と日曜日が重なった場合、翌日が振替休日に。

■流 行:終末論・オセロゲーム・ゴルフブーム・フォークソング。
■テレビ:刑事コロンボ・国盗り物語・子連れ狼。
■邦 画:斎藤耕一/津軽じょんがら節・深作欣二/仁義なき戦い・森谷司郎/日本沈没。
■洋 画:ジョージ=ロイ=ヒル/スティング・ジョージ=ルーカス/アメリカン=グラフィティ・ウィリアム=フリードキン/エクソシスト・フレッド=ジンネマン/ジャッカルの日・ドルトン=トランボ/ジョニーは戦場へ行った。
■ 歌 :沢田研二/危険なふたり・宮史郎とぴんからトリオ/女のみち・内山田洋とクール=ファイブ/そして、神戸・五木ひろし/ふるさと・夜空・かぐや姫/神田川・井上陽水/傘がない・夢の中へ・心もよう・天地真理/恋する夏の日・アグネス・チャン/草原の輝き・チューリップ/心の旅・ペドロ&カプリシャス/ジョニィへの伝言・浅田美代子/赤い風船・八代亜紀/なみだ恋・麻丘めぐみ/わたしの彼は左きき・桜田淳子/わたしの青い鳥・森昌子/中学三年生・山口百恵/青い果実・あべ静江/みずいろの手紙・赤い鳥/紙風船・フィンガー5/個人授業・チェリッシュ/てんとう虫のサンバ・山本リンダ/狙いうち・美川憲一/さそり座の女・小坂明子/あなた。
■ 本 :司馬遼太郎/国盗り物語・五島勉/ノストラダムスの大予言・宮尾登美子/櫂・山崎豊子/華麗なる一族・フレデリック=フォーサイス/ジャッカルの日。
■ことば:石油ショック・省エネ・じっと我慢の子であった・ちょっとだけよ。

❖年表の元ネタ主な参考資料三省堂『コンサイス世界年表』三省堂編修所編。河出書房新社『昭和・平成 家庭史年表』下川耿央・家庭総合研究会編。小学館『昭和・平成 現代史年表』神田文人編など。

dendenmushi.gif(2015/02/04 でんでんむし蛇足の記)
 それまでやってきた雑誌は直販であったため、毎号の企画や内容の善し悪しで売れるわけでは、必ずしもないので、読者の反応はつかみにくかった。だが、書店売りの単行本となると、事情は一気に変わる。企画・タイトル・狙い・原稿の善し悪しなどは、すぐに売れる・売れないという明確な形で突きつけられる。
 編集者にとっては厳しいけれど、それはそれでおもしろいし、やりがいがある。
 編集者もピンからキリまで…と書いていたが、同じ名称でくくられていても、実際にやっていることは、出版社や出版物の性格などによって、実にさまざまで大きく異なるだろう。
 原稿など書いたことがないというような実務家を起用して、本づくりをするということは、原稿の書き方からリードしながら、いちおう書き上がった原稿にも多くの注文をつけたり、書き直しを依頼したりしなければならない。ときには、原稿に編集者が大幅に手を加えなくてはならないような場合も起こりうる。それは、その人が持っているノウハウや知識があれば、それを伝える技術がなくてもそこを編集者がカバーしてあげれば、より多くの人の役に立てることができるからだ、と割り切っていた。
 いわゆる文芸書や大先生の玉稿をいただいてくる大出版社の大編集者のみなさんとは、まずこの扱っている原稿のレベルというか、完成度からして状況がまったく違うのである。
 いわば、原稿づくりからして、著者と編集者の二人三脚のような形にならざるを得ないことも多い。本当は、締切にはきちんと完成原稿が貰えれば、それに越したことはないので、それを理想としていることは言うまでもない。
 順序が逆になってしまうが、企画も編集者が考えなくてはならない。
 どんな原稿をどのように書くかは、ほとんど作家・著者の胸三寸・筆先三寸次第という出版・編集とは、ここがまた大違いになる。
 どんなテーマ・タイトルで、どんな人にお願いして、どのように書いてもらうか、はほぼ一体化してしまうので、企画とはこれらをひっくるめてのことと考えたほうがよい。売れる本になるか売れない本になるかも、ここである程度決まってくると言える。
 しかし、売れた売れなかったは結果論。本を出してみなければ、それはまずわからない。また、編集の技法として、こうすればこう考えれば売れる本になるといったことは、どこにもないし誰にもわからない。
 そういうなかで、出版活動をやらなければならない編集者には、なかなか苦労が多いものだった。
 ところで、「売れる売れない」という言葉の意味や解釈も、出版社によって基準が異なる。ご近所だったマンガ雑誌などを出している出版社では“100万部”などというおそろしい数字がごく普通に使われていたのかも知れないが、こちらはせいぜい初版部数が4000とか5000部で、1000という増刷がそれに続いていければまず一安心。トータルで3万部にもなれば、大いばりできるといった程度ではあった。
 売れるスピードにも、本によって差がある。一般にベストセラーといわれるようなものになると、毎日増刷を決めたり、初版部数の何倍もの増刷になったりすることもあるが、経理や総務関係の実務解説書では、そんなことはあり得ない。
 そのかわり、何年も増刷を重ねて、初版4000部で始めた本が、何年かかけて数十万部に達するということもあり得るのだ。ウサギとカメの競争ではないが、一見派手で速そうなウサギよりも、鈍くさい明らかに走るのは速くないのろカメのほうが、最終的に勝利を得ることがある。
 そういうことを、自身の体験として実感できるようになるのは、まだもう少し先の話で、とにかく少しでも読者の役に立つ一点一点の新刊を、地道に積み重ねていくことに懸命だった。
 こどもの頃から好きだった模型づくりは、プラモデルが登場してからこれも大きく変わった。木を削ることから始めなければならないソリッドモデルと違って、半完成品のプラスチックのパーツを貼り合わせて組み立てればよいプラモデルは、簡単で速く仕上がる。
 それはそれで楽しいのだが、こうなると逆に、もっと手間暇のかかる模型づくりに興味が戻っていく。銀座の伊東屋でロープの会という集まりが帆船模型の展覧会を開いているのをみて、むしょうにやりたくなってしまったのもこの頃だった。
 輸入品の帆船模型のキットは、国産のプラモのようにきめ細かくなく、万事おおまかであったが、値段は高い。船の胴体も舷側の板を曲げながら細い釘で打ち込んでいかなければならない。そう次から次へできるものではないが、何か月もかけるその工程が楽しめる。
 実務書づくりも、面倒だし手間はかかってやっかいだけれど、その過程を楽しめるようになりたいものだと思っていた。
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