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1969☆『思い出の索引』★でんでんむし@アーカイブス☆わたしたちが生きてきた時代とは… [年表]

われわれはどこから来て、どこへ行こうとしているのだろうか…? 
 
2015年は「戦後70年」…。さまざまにやかましくにぎやかになりそうだが、
やはりそういうくくりでは、どのようにして戦争の道へ入っていったかが
またしても曖昧になってしまう。
 100年のまとめて通して理解すべきではないか。
この年表を始めたのは、そういう思いもあったからなのだが…。
 
1969mark.jpg昭和44年 己酉(つちのととり)
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◯拡大パリ会談、席の配置で合意。
◯米大統領にニクソン就任。
◯伊、中華人民共和国の承認を決定。
◯ワルシャワ条約加盟国軍が東独・チェコ領内で合同軍事演習。
◯チェコ、ドプチェク第一書記を解任。新聞・雑誌の事前検閲を復活。
◯英、北アイルランドで暴動。鎮圧に軍隊の派遣を決定。
◯仏、ドゴールが大統領辞任。ポンピドー前首相が当選。
◯アポロ11号が月面着陸。人類が初めて月面に立つ。
◯チェコ共産党中央委総会で、ドプチェク連邦議会議長を解任。ソ連介入を正当化。
◯米国内各地でベトナム反戦統一行動デモ。欧州にも波及。
◯ニューズ・ウィークが南ベトナム米軍の大量殺戮事件を報道。
◯国連総会で、地下爆発を含む核実験停止を決議。
◯米ニクソン大統領が南ベトナム第三次撤兵計画(5万人)を発表。

◯ベトナム和平のための拡大パリ会談開催。
◯イスラエル・アラブ両軍がスエズ運河地帯で砲撃戦。
◯中ソ東部国境で二度にわたり武力衝突。(ウスリー川珍宝島)
◯中共九全大会中間報告で、林彪副主席を毛沢東の後継者と規定。
◯中ソ軍が黒竜江ゴルジンスキー島、新疆ウィグル自治区で武力衝突。
◯北ベトナム、ホー・チ・ミン大統領が死去。

◉東大闘争支援の学生らが御茶ノ水駅・明大・中大付近にバリケード占拠。
◉機動隊員8500人を導入して、東大安田講堂の封鎖解除。374人逮捕。
◉加藤東大総長と坂田文相の会談で、東大の入試中止を決定。
◉衆院運輸委員会で国鉄運賃値上げを強行採決。
◉衆院内務委員会で国家公務員の総定員法案を強行採決。
◉社共両党主催の沖縄デー中央集会に13万人参加。学生デモ隊が線路内に入り新幹線・国電が一時止まる。
◉政府が自主流通米制度の実施を決定。
◉ASPACが伊豆の川奈で開催。反対の学生デモが機動隊と衝突。
◉昭和43年の国民総生産は51兆円で資本主義国第2位と経済企画庁が発表。
◉参院本会議で防衛二法案を強行採決。
◉参院本会議での抜き打ち採決で大学運営臨時措置法案成立。
◉国際反戦デーで各地に学生ゲリラ、1505人逮捕。
◉警視庁が大菩薩峠で武闘訓練中の赤軍派53人を逮捕。
◉名古屋地裁が大須事件に騒乱罪成立と判断、100人に有罪。
◉佐藤首相訪米阻止のゲリラが蒲田などで続発し、逮捕者2093人。
◉佐藤=ニクソン会談、共同声明で安保堅持と72年中の“核抜き本土並み”沖縄施政権返還。
◉第32回総選挙。師走選挙で野党第1党の社会党が、140から90に減少の大敗し、公明党が25から47に躍進。
◉東京証券取引所の大納会で、ダウ平均株価2358円の史上最高を記録。
◉繊維輸出に米からの規制要求。

・この年に亡くなった人にはこんな人も…。東くめ。成瀬巳喜男。坂本繁二郎。井植歳男。市川雷蔵。中山義秀。小泉純也。安藤鶴夫。正力松太郎。木々高太郎。長谷川如是閑。伊藤整。中村岳陵。石田波郷。獅子文六。大谷竹次郎。ジョン・ウィンダム。ベン・シャーン。ドワイト・D・アイゼンハワー。ジュディ・ガーランド。シャロン・テート。ホー・チ・ミン。劉少奇。

◎東名高速道路の大井松田=御殿場感が開通して全線開通。名神高速道路とも直結して、東京=西宮間536.4キロ全通。
◎水田の休耕、代作物への転換奨励金が決まる。
◎日経連が大学の紛争多発は、偏向教育が原因だと見解。
◎警視庁が紛争大学は112校でさらに増えると予想したが、年内に重症校はなくなる。
◎海外渡航の外貨持ち出し枠を500ドルから700ドルに増やす。
◎東洋一の八重洲大地下街が完成。
◎皇居外苑の北の丸公園が開場。
◎住友銀行がキャッシュカードと暗証番号による現金自動支払機を設置。
◎東急玉川線(玉電)が廃止される。
◎美濃部東京都知事が都営ギャンブル廃止を声明。
◎東京新宿西口地下広場のフォーク集会を道交法違反で取り締まり。7000人の参加者をガス弾で解散させる。
◎千葉県松戸市が「すぐやる課」を設置。
◎住宅公団の千葉花見川団地7081戸が完成。
◎東京都板橋区高島平団地の建設開始。
◎パルコ池袋店開店。
◎東京平河町に1億円のマンションが登場。
◎自動車保有台数が1652万台。アメリカに次いで世界二位。
◎東京都世田谷区に玉川高島屋開店。郊外型ショッピングセンターの第1号。(昭和52年までに全国で郊外型CSは558店に)

◎夏の甲子園大会決勝、三沢高:松山商業の試合が、延長18回0:0で引き分け再試合。翌日の再試合で松山商業が16年ぶりの優勝。
◎映画「男はつらいよ」シリーズ第1作が公開。
◎民放の音楽FMラジオ局が開局。
◎ソニーと松下がそれぞれ別規格の家庭用ビデオを発売。
◎駅売り専門のタブロイド判「夕刊フジ」が創刊。

■流 行:マキシコート・パンタロン。
■テレビ:8時だよ!全員集合・ゲバゲバ90分・水戸黄門。
■邦 画:山田洋次/男はつらいよ・篠田正浩/心中天網島・浦山桐郎/私が棄てた女。
■洋 画:ジョン・シュレシンジャー/真夜中のカウボーイ・ロマン・ポランスキー/ローズマリーの赤ちゃん。
■ 歌 :由紀さおり/夜明けのスキャット・内山田洋とクール=ファイブ/長崎は今日も雨だった・森進一/港町ブルース・カルメン=マキ/時には母のない子のように・藤圭子/新宿の女・弘田三枝子/人形の家・奥村チヨ/恋の奴隷・新谷のり子/フランシーヌの場合・森山良子/禁じられた恋・ザ=キング=トーンズ/グッド=ナイト=ベイビー・ピーター/夜と朝のあいだに・水前寺清子/三百六十五歩のマーチ・鶴岡雅義と東京ロマンチカ/君は心の妻だから・高田恭子/みんな夢の中・千賀かほる/真夜中のギター・アン真理子/悲しみは駈け足でやってくる・はしだのりひことシューベルツ/風・トワ=エ=モア/或る日突然・皆川おさむ/黒猫のタンゴ。
■ 本 :藤原弘達/創価学会を斬る・海音寺潮五郎/天と地と・丹羽文雄/親鸞・三島由紀夫/春の雪・庄司薫/赤ずきんちゃん気をつけて・司馬遼太郎/坂の上の雲。
■ことば:アッと驚くためごろー・にゃロメ・オーモーレツ。
 
❖年表の元ネタ主な参考資料三省堂『コンサイス世界年表』三省堂編修所編。河出書房新社『昭和・平成 家庭史年表』下川耿央・家庭総合研究会編。小学館『昭和・平成 現代史年表』神田文人編など。

dendenmushi.gif(2015/01/15 でんでんむし蛇足の記)
  中学生の頃には、漢字の書き取りが苦手で、放課後残されて漢字テストを受けさせられていた。国語の先生からは「お前がそんなことでどうする!」と叱られたが、字画が多くて書きにくく覚えにくい漢字混じりの日本語には、なにか問題があるのではないか、と考えていた。
 漢字のおもしろさはわかる。だが、しょせん記号ではないか。わからなければ辞書を引けばいい。それが書けないからといって、居残りまでさせてテストするようなことか?、と…思っていたわけですね。生意気な中学生だ。
 アメリカ映画に出てくる新聞記者のように、タイプライターでぱちぱちと原稿が書けるというのがうらやましかった。だからといって、カタカナ文字論者のように割り切ることもできないし、漢字には漢字の楽しみやおもしろさもある。ぱっとみて形で意味までわかる表意・表形文字というのは、アルファベットの羅列の国語よりは進んでいるのではないか。
 書き取りと同様に、計算も苦手で、そろばんも暗算もまるでダメだ。まったく取り柄がない。
 それなのに、書籍出版部門の総務経理・商品管理の仕事をやらされることになった。総務経理のほうは、所帯も少人数の出先だからまだたいしたことはないが、商品管理が問題であった。ちゃんとした倉庫がなく、事務所は5階で返品はエレベーターもない地下階に詰め込まれている。よくこんな立地条件で出版事業をやろうということになったものだと、自分の業務として改めてみると大きな問題があることに気がついた。
 それだけでなく、その管理事務組織がものすごく合理性に欠けるもので、本の一点一点と取引先別について縦横計の帳尻を合わせるようにつくられた大きな表で、取引先ごとに出納管理をし棚卸し評価をするようになっていた。担当者が手分けして一点の表1枚計算が合うと、まるで渾身の芸術作品がひとつ完成したかのように喜んだりしていた。だがまだ、あと何十点もある。せいぜい商品の数がせいぜい10点とか限られているのであれば、そういう単品管理もできないことはないだろうが、商品は毎月増えていく。こんなことをしなくても、棚卸し評価は最終仕入原価法で充分ではないか。
 毎月、数人の担当者は、何十枚もの大きな表の、その1枚1枚の帳尻合わせにそろばんをはじいて夜遅くまで残業しなければならい、といった大変な苦労を強いられていた。このままでは、とんでもないことになる。
 理屈では簡単で正確にできる縦横計だが、納品伝票・返品伝票と突き合わせて、最後の右下の合計欄を数量と金額をぴったり合わせるのはなかなかむずかしい。
 それを数十点も合わせなければならないが、そもそも対外的には請求書をちゃんとトータルで出せばいいのであって、そんな必要がどこにあるのだろうか。そんなこんなのもやもやを抱えながらやっていた。
 それでも、そろばんの能率を上げるために、計算と結果が印字できる加算機を導入することはできないだろうかとも考えてみたが、どうもそろばんができる人の頭は、その必要を認めない。
 1969年といえば、あのシャープが世界初となるLSI電卓「QT-8D」を開発した年ということになっている。また、キヤノンもキヤノーラを出したりするのだが、でかくて価格も高いそれらが自分たちの仕事に福音をもたらす、というところまではまだまだ至らなかった。今、みんなが使っているような電卓が登場するまでには、まだ数年の時が必要だったので、あいかわらずみんなそろばんをぱちぱちやっていた。
 その数年の時の間に、苛烈な開発競争が繰り広げられていくのだが、その過程で、後のコンピュータのCPUも生まれてくる。世界初のマイクロプロセッサとなるIntel 4004の誕生の陰には嶋正利という一人の日本人技術者の力があった。そして、さらにはIntel 8080→Z 80→Z 8000へとその流れが大きく拡大していくのだが、そんな話を知ることになるのも、もっと後からのことだった。
 この頃、司馬遼太郎はサンケイ新聞で「坂の上の雲」を連載していた。
 夏の甲子園の決勝は、取次(要するに出版物を専門にあつかう問屋のようなもの)へ行く用があって、営業といっしょに出かけ帰りの喫茶店でみていたが、なかなか終わらないので困った。
 家庭用ビデオが普及し始め、VHSとベータのふたつの規格ができていたが、テープの大きさがベータのほうがこじんまりとまとまっていて、設計が優れていると思った。それに、なんとなくソニーを応援したかったので、ベータを買っていた。
 本郷の安田講堂では大変なことになっていたり、神田お茶の水周辺ではカルチェラタンとか言って騒いでいたが、築地橋の事務所では自分たちのことでてんやわんやであった。
 とにかく、そろばんでもっと楽に合理的にできる商品管理態勢と事務管理システムをつくりなおさなければ、どうしょうもないことは、だんだんはっきりしてきたが、1年近く経ったところで体に変調をきたし、突然意識不明になってバタンと倒れた。後から思えば、そのとき頭をぶっつけなくて幸いだったが、救急車で運ばれて入院するという、初めての体験をした。病院の診断は胆嚢炎で、入院先ではすぐ手術をするといわれたが、こんなところで手術などされたくないと、なんとかごまかし断って出てきた。
 結局、本社から経理のエライ人が入れ替わり長期出張で来たりして、問題点をやっと認識してもらい、なんとか新システムの構築と移行はできたが、これで「やっぱりあいつじゃダメだ」という烙印を押されてしまったらしかった。
 漢字を書き順やらとともにそんなにたくさん覚えなくても、日本語がすらすら書けるようになればいいなあ。
 計算が苦手でも、縦横計なんぞはパパッとできて間違わない機械は、そのうちできるんじゃないのか。
 おちこぼれの小唄みたいなことは、ますます確信に変わっていく。「アシタという字は明るい日と書くのね〜」という歌も聞こえてきた。
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タグ:年表
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