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1965☆『思い出の索引』★でんでんむし@アーカイブス☆わたしたちが生きてきた時代とは… [年表]

われわれはどこから来て、どこへ行こうとしているのだろうか…? 

1965mark.jpg昭和40年 乙巳(きのとみ)
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◯米、月ロケット・レインジャー8号を打ち上げ。
◯米の黒人指導者・マルコムXが暗殺される。
◯ソ・ボスホート2号を打ち上げ、レオーノフ中佐が人類初の宇宙遊泳。米も負けじとホワイト中佐が宇宙遊泳。
◯米ワシントンで反戦デモ。
◯ドミニカで内乱。米海兵隊がドミニカ上陸。後に米州機構の調停で停戦。
◯英、鉄鋼大手14社の国有化を発表。
◯西独がイスラエルとの外交関係を樹立。
◯コロンビアで学生の反米デモ激化。非常事態宣言。
◯米、二人乗り衛星船ジェミニ2号打ち上げ。
◯米、ジョンソン大統領が南ベトナムに5万人増派を声明。米兵力は12.5万に。
◯米ロサンゼルスで黒人暴動、州兵出動。
◯米、世界最大の原子力空母エンタープライズを第七艦隊に配属。
◯米ワシントンで2.5万人の平和大行進。

◯韓国が南ベトナムに2,000人派兵。
◯南ベトナム・サイゴンで反米デモ。グエン=カーン司令官がクーデター。
◯米軍機による北ベトナム・ドンホイ爆撃。(北爆の開始)
◯オーストラリア、フィリピン、ニュージランドがベトナム派兵を決定。
◯シンガポールがマレーシアから分離独立。
◯韓国で日韓条約締結を単独可決。ソウルで反対デモに戒厳令。
◯インドとパキスタン国境で両国軍が衝突。(印パ戦争)後に安保理の停戦決議を受けて停戦。
◯中部ジャワでインドネシア軍と共産系分子が戦争状態に。
◯フィリピン、マルコス大統領当選。
◯ローデシアが一方的独立を宣言。国連安保理が非難決議。
◯コンゴでクーデター。モブツ司令官が大統領に就任。
◯チベット自治区が発足。
◯米軍機がハイフォン郊外のウォンビ発電所を爆撃。
◯中国で姚文元が呉晗の「海瑞罷官」を批判。(文化大革命の始まり)

◉中教審が「期待される人間像」中間草案を発表。
◉山陽特殊製鋼が倒産。負債総額480億円、中小下請に連鎖倒産。(高度成長時代の終りを告げる)
◉「あらゆる国の核実験に反対する」原水爆禁止国民会議結成。
◉日韓会談で、漁業・請求権・在日韓国人の法的地位の合意事項に調印。
◉アメリカの北爆に反対し小田実らが「ベトナムに平和を!市民・文化団体連合」(ベ平連)を結成。初のデモ行進。
◉全国の高校進学率が70%を超える。最高は東京の86.8%、最低は青森の54.3%.
◉社会党臨時党大会、新委員長に佐々木更三を選出。
◉田中蔵相が山一証券に日銀特別融資(無制限・無期限)を発表。
◉家永三郎が教科書検定は違憲として、国に対し損害賠償請求訴訟を提起。
◉大蔵省が景気刺激策として公共事業費などの繰り上げ支出を決定。
◉日本原子力発電東海発電所で、初の営業用原子力発電。
◉衆議院で議長発議により、参議院では自民・民社で日韓条約可決。
◉閣議で国債発行を決定。戦後初の赤字国債。
◉戦後最大の証券不況、物価問題深刻化。

・この年に亡くなった人にはこんな人も…。花柳章太郎。飛田穂洲。三船久蔵。久原房之助。樺島勝一。中澤不二雄。大賀一郎。河野一郎。江戸川乱歩。谷崎潤一郎。池田勇人。上原げんと。高見順。安西冬衛。岡崎勝男。11代目市川團十郎。河上丈太郎。山田耕筰。米川正夫。ウィンストン・チャーチル。ナット・キング・コール。マルコムX。李承晩。ル・コルビュジエ。E・E・スミス。アルベルト・シュバイツァー・サマセット=モーム。

◎日本航空が海外旅行パッケージツアー「ジャルパック」を発売。
◎長野県松代町で地震、松代群発地震の始まり。(約5年間も続き有感地震は6万回を超える)
◎東京農大ワンゲル部で“死のしごき”事件。
◎水質汚染が激しく、神戸須磨を除く京阪神の海水浴場を閉鎖。
◎四日市公害認定患者1号認定。公害患者を守る会発足。
◎新潟県阿賀野川流域で、水俣病に似た症状の患者確認。
◎愛知県犬山市に明治村が開村。
◎国鉄が特急券指定券などを電算機で処理する「みどりの窓口」開設。
◎初の国産旅客機YS-11が、日本国内航空の東京=徳島・高知線に続き、東亜航空が広島=大阪(伊丹)線など国内線に就航開始。
◎大阪市営地下鉄四つ橋線の西梅田駅=大国町駅間が開業。
◎日本信号が信号機に人の形がつく歩行者信号灯を製作。(2014年12月1日の新聞の川柳欄に「なんで男性だけなんだろう」というのがあった)
◎東京湾のごみ捨て場“夢の島”で、ハエが大発生。ハエとネズミ駆除大作戦実施。
◎家庭内に風呂をもつ家が全国で67.8%にのぼる。浴場の経営が立ちゆかなくなる。
◎福岡県山野炭鉱で坑内ガス爆発。死者237人。
◎日本漁船7隻がマリアナ沖で台風29号に遭遇。208人が行方不明。
◎有楽町駅前に東京交通会館が完成。
◎朝永振一郎がノーベル物理学賞を受賞。
◎富士写真フイルム、コンパクト8ミリ映写機「シングル8」発売。わたしにも写せます。
◎わが国初のコンパクトカセットレコーダーをアイワが18,000円で発売。
◎カシオ、世界初の記憶装置付き電子式卓上計算機を発売。
◎富士通、FACOM230を完成。汎用コンピュータの基礎となる。
◎アートネイチャーが創業。
◎松下電器が完全週5日制を導入実施。

◎市川崑の「東京オリンピック」に河野一郎国務相が「芸術的過ぎる」と批判。記録重点に再編集した一本も別にできる。
◎作家・戸川幸夫が沖縄・西表島北部で頭骨と毛皮を発見したヤマネコ。2年後に日本哺乳動物学会が新種と鑑定し「イリオモテヤマネコ」と命名。
◎有馬記念でシンザンが優勝し、初の五冠馬となる。
◎第1回となるプロ野球ドラフト会議開催。(堀内・藤田平・長池・鈴木啓ら)
◎中央公論社「日本の歴史」全25巻の初期配本分がベストセラーに。歴史書ブーム。
◎マンガ「おばけのQ太郎」「ゲゲゲの鬼太郎」「おそ松くん」などが人気。

■流 行:ミニスカート・エレキギター・レーシングカー。
■テレビ:ザ=ガードマン・小川宏ショー・アフタヌーンショー・11PM・サザエさん。
■邦 画:市川崑/東京オリンピック・黒沢明/赤ひげ・熊井啓/日本列島・
■洋 画:テレンス=ヤング/007サンダーボール作戦・ロバート=ワイズ/サウンド=オブ=ミュージック・フェデリコ・フェリーニ/8½。
■ 歌 :加山雄三/君といつまでも・田代美代子&和田弘とマヒナスターズ /愛して愛して愛しちゃったのよ・倍賞千恵子/さよならはダンスの後で・北島三郎/兄弟仁義・函館の女・帰ろかな。
■ 本 :開高健/ベトナム戦記・岡村昭彦/南ベトナム戦争従軍記・三浦綾子/氷点・
■ことば:やったるで・フィーリング・かぎっ子・期待される人間像・しごき。

❖年表の元ネタ主な参考資料三省堂『コンサイス世界年表』三省堂編修所編。河出書房新社『昭和・平成 家庭史年表』下川耿央・家庭総合研究会編。小学館『昭和・平成 現代史年表』神田文人編など。

dendenmushi.gif(2014/12/18 でんでんむし蛇足の記)
 新幹線が開通したことと、カセットテープレコーダーなるものが登場したことは、出張事情を大きく変化させることになった。
 雑誌の編集部では、主に誌面のレイアウトや座談会やインタビュー、それに取材記事の執筆などが担当する中心的な仕事であったが、場合によっては東京まで出かけなければならない。でかい(今流行りのころころバッグの小さいのくらい)ソニーのオープンリールのテープレコーダーをよっこらしょと抱えて、大阪から夜行寝台の「明星」だか「銀河」だかに乗って行っていたのである。
 それが、新幹線とテレコの登場によって、大幅に負担が軽減され、ありがたかった。日帰りは楽でもないが、当時はまだビジネスホテルも現在のように普及しておらず、泊まるよりは新幹線でさっさと帰ってきたほうがよいという一面もあった。
 座談会やインタビューの記事をまとめるには、まず録音を再生して聴きながら、それを文字に起こすという作業が前提になる。ところが、これが結構な難作業で、基本的にはちょっと聴いてはそれを原稿用紙(これも400字詰めではなく800字詰に近いものでないとやりにくい)に書き取り、また続きを聴き…ということを、延々と繰り返さなくてはならない。テレコの再生→一時停止→再生という操作は、そういう作業を想定していないようで、がちゃがちゃといちいちハンドルを動かさなくてはならない。
 そこで、ちゃんとそういう道具も登場した。どこへどのように接続したのかは忘れたが、足踏みで一時停止と解除ができるペダルである。これは便利!
 カセットテレコの登場は、たちまちオープンリールやペダルを無用のものにしてしまった。「わたしにも写せます」のほうは、活字媒体の世界ではまだまだ別のことに過ぎなかった。
 こんなことを書いているのも、ICレコーダを記者会見のテーブルに並べたり、ノートブックを開けて直接キー操作をしている現在の取材風景からは、とうに想像の外になってしまった昔の文字起こしのことも、記録に留めておきたい、と思ったからだ。とにかく、機器の進歩でどんどん旧式の機器が陳腐化してしまうという現象は、この頃から顕著になり始める。
 編集者の仕事は文字起こしでは終わらない。腕の見せ所は、それから後の原稿にするところで、これにもいろいろな工夫が必要だった。座談会やインタビューといえば、しゃべった話をそのまま書けばいいのだろうと思っている人がいるだろうが、残念ながらそうはいかないのだ。
 模型飛行機を飛ばしていた昔から空への憧れがあったため、東亜国内航空がYS-11を大阪=広島に飛ばすことになって、広島への所用で帰ったときに、さっそくこれに乗ってみた。飛行機初体験である。当時の広島空港は観音にあって、小さな窓からそれまで地図と写真でしか見たことのない広島のデルタを眺めて感動した。その記憶は今も鮮やかなのだが、そのときに見た広島湾の水があまりきれいとは言えず、ひどく気になった。
 経済成長とともに、公害が問題化しつつあったが、まだ環境汚染という意識には間遠いものがあった。たまに来て見る隅田川も、この頃は臭くてしょうがなかったような記憶もある。
 「みどりの窓口」も、それまでの特急券指定券入手の困難さめんどくささを一変させた。年末年始やお盆など、現在では車で高速道路でというほうが一般化しているが、この頃はまだ高速道路網も完備しておらず、マイカーも普通とは言えなかった。帰省するにもどこかへ行くにも、国鉄の指定券を入手するために駅には大行列ができたり整理券が配られたりする始末だった。
 それが、窓口ですぐに買えたり、あるいは買えないということがすぐにわかるというのは画期的なことだった。
 いよいよ、電子計算機(コンピュータ)が、生活に関わっていくようになる、これが最初の動きだったと言えるのかもしれない。
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