SSブログ

1963☆『思い出の索引』★でんでんむし@アーカイブス☆わたしたちが生きてきた時代とは… [年表]

われわれはどこから来て、どこへ行こうとしているのだろうか…? 

1963mark.jpg昭和38年 癸卯(みずのとう)
_------.jpg

◯ドゴール仏大統領が、英のEEC加盟拒否を声明。
◯仏と西独が協力条約に調印。(パリ=ボン枢軸)
◯米原潜スレッシャー号が、ボストン沖で沈没。乗組員129人全員死亡。
◯女性宇宙飛行士テレシコワ少尉を乗せた、ソの人間衛星船ボストーク6号が地球を48周して帰還。
◯米ソ直通通信(ホットライン)協定。
◯フルシチョフ首相が東西不可侵と部分的核停を提案。
◯ソ、中国共産党とモスクワで会談するも、物別れに。
◯米英ソが核実験停止会議。
◯大気圏内、宇宙空間、水中における核兵器実験禁止条約に調印。(部分的核実験禁止条約)
◯ドゴール大統領が部分的核実験禁止条約に仏は不参加を表明。
◯人種差別の撤廃と雇用の拡大を求める20万人の「ワシントン大行進」。
◯ドゴールがベトナムの民族自決・独立・平和・統一を主張。
◯西独のアデナウアー、英のマクミラン両首相が辞任。後任は、エアハルトとヒューム。
◯米、クーデター後の南ベトナム新政権を承認。
◯ケネディ大統領が、テキサス州ダラスで暗殺される。(ジョンソン副大統領が大統領に就任)
◯東独、クリスマス期間中の西ベルリン市民の東独訪問について西ベルリン市と協定。
◯モスクワで開かれた中ソ両国共産党会談が始まるも決裂。

◯イラクとシリアで、バース党によるクーデター起こる。
◯ラオスでパテト・ラオ軍がジャール平原を奪取。両派首脳会談。
◯南ベトナム、ユエで反政府デモ。
◯インドネシアではスカルノ大統領を終身国家元首に。
◯南ベトナム、サイゴンで僧侶が焼身自殺。
◯南ベトナム、戒厳令。軍隊と警察が寺院を占領。僧侶や学生を逮捕。
◯カンボジアが南ベトナムと断交。
◯シンガポール、完全独立を宣言。
◯「人民日報」と「紅旗」がソ連共産党公開状への批判を6回にわたり掲載。
◯マレーシア連邦が発足。
◯南ベトナムでクーデター。ゴ大統領兄弟が殺害される。臨時政府発足。
◯イラクで大統領がクーデター、バース党政権を倒す。

◉IMF理事会から8条国移行の対日勧告。
◉ガット理事会から11条国への移行決定を通告。
◉原子力科学者154人が原子力潜水艦寄港反対を声明。日本学術会議もこれに続く。
◉新産業都市として水島など13か所、工業整備特別地区に鹿島など6か所を指定。
◉第9回原水禁大会が分裂。
◉政府主催の第1回戦没者追悼式。
◉最高裁が松川事件の再上告を破棄、被告全員の無罪が確定。
◉最高裁が砂川事件の再上告を棄却、被告7人の有罪が確定。
◉「火主水従」への発電方式の流れが決定的になる。
◉第4次池田内閣。全閣僚留任。
◉中小企業近代化促進法公布。

・この年に亡くなった人にはこんな人も…。佐佐木信綱。渋沢敬三。石井茂吉。野村胡堂。夏目鏡子。久保田万太郎。長谷川伸。大田洋子。小津安二郎。力道山。セオドア・フォン・カルマン。ジョルジュ・ブラック。ジャン・コクトー。エディット・ピアフ。ゴ・ディン・ジエム。ジョン・F・ケネディ。エルネスト・レクオーナ。ダイナ・ワシントン。

◎北陸地方に豪雪被害。赤痢蔓延などで156人死亡。
◎宮内庁が雑誌「平凡」の連載小説「美智子さま」の中止を申し入れ、5月号で連載中止になる。
◎東京・入谷で4歳の幼児が誘拐される。(吉展ちゃん事件)
◎埼玉県狭山市で女子高校生誘拐殺害事件。死刑判決の被告が自白撤回。(狭山事件)
◎大阪駅前に初の横断歩道橋が完成。二番目は東京の五反田駅前。
◎国鉄がATS(列車自動停止装置)の使用を開始。
◎生存者叙勲が復活。
◎雑誌「中央公論」に林房雄の「大東亜戦争肯定論」を掲載。
◎ニセ札に対処するため、新1000円札(伊藤博文)発行。
◎横須賀線鶴見付近で二重衝突事故。161人死亡。
◎三池炭坑三川鉱でガス爆発。死者458人。一酸化炭素中毒による後遺症も問題化。
◎東京都内に正体不明の“草加次郎”による連続爆発物事件。

◎門司・小倉・八幡・戸畑・若松の5市が合併して、人口105万の北九州市が発足。
◎キヤノンが大企業では初の週5日制、三菱電機は第1と第3土曜日を休日に踏み切る。(週休2日制が広がり始める)
◎大阪・千里ニュータウンの入居開始。
◎国土地理院が基本図に2万5000分の1を採用。
◎東京医科歯科大学の齊藤洋三助教授が、初めて「スギ花粉症」を報告。
◎東大総長茅誠司らが「小さな親切運動」を提唱。

◎初の日米間テレビ宇宙中継の受信実験に成功。映し出されたのはケネディ暗殺の映像だった!
◎第14回NHK紅白歌合戦が歴代最高視聴率81.4%(関東地区、ビデオリサーチ調べ)。
◎NHK大河ドラマ第1作「花の生涯」放映。
◎連続テレビアニメ国産第1号「鉄腕アトム」放映開始。「鉄人28号」「エイトマン」と続く。
◎小松左京・星新一らが日本SF作家協会を設立。
◎プロレスラー力道山が、赤坂のキャバレーでやくざに刺殺される。
◎NHKが女子社員を表わす“BG”を放送禁止用語に。女性週刊誌が募集した“OL”が使われるようになる。
◎邦画5社がこれまで続けてきた劇映画のテレビ放映禁止を解除。

■流 行:ボウリング・ダイヤブロック・レゴ。
■テレビ:NHK大河ドラマ・鉄腕アトム・アップダウンクイズ・キユーピー3分クッキング・ロンパールーム。
■邦 画:黒沢明/天国と地獄・今井正/武士道残酷物語・田坂具隆/五番町夕霧楼。
■洋 画:デヴィッド=リーン/アラビアのロレンス・テレンス=ヤング/007は殺しの番号・ジョン=スタージェス/大脱走・アーサー=ペン/奇跡の人。
■ 歌 :舟木一夫/高校三年生・三田明/美しい十代・三波春夫/東京五輪音頭・梓みちよ/こんにちは赤ちゃん・ザ=ピーナッツ/恋のバカンス・真理ヨシコ/おもちゃのチャチャチャ・坂本九/見上げてごらん夜の星を。
■ 本 :山口瞳/江分利満氏の優雅な生活・司馬遼太郎/竜馬がゆく・占部都美/危ない会社・河野実=大島みち子/愛と死をみつめて・井上清/日本の歴史。
■ことば:三ちゃん農業・バカンス・かわいこちゃん・かぎっ子・キーパンチャー。

❖年表の元ネタ主な参考資料三省堂『コンサイス世界年表』三省堂編修所編。河出書房新社『昭和・平成 家庭史年表』下川耿央・家庭総合研究会編。小学館『昭和・平成 現代史年表』神田文人編など。

dendenmushi.gif(2014/12/12 でんでんむし蛇足の記)
 SFにのめり込んでいくようになるのが、日本SF作家協会ができる前の年くらいからだった。ミステリーも読んだが、SFのほうがおもしろいと思った。(福島正美責任編集の「SFマガジン」では、手塚治虫が「鳥人大系」の連載を始めていたという記憶があったので、念のためにと確認してみたら、それは1971年からで、記憶とはなんと8年もズレていた。)
 映画だのSFだのそういう個人的な興味と、仕事の内容を一致させるのは、まず普通の場合できっこない。趣味や興味と仕事は別。それは誰でもそう思うだろう。しかし、事前に出版物などの内容がわかっていたら、ひょっとしたらこの会社をわざわざ選んだだろうか…。実際には、出版という同じジャンルでの選択の余地などまったくなく、他との比較などもできなかったわけだが、そんな思いも自分にあった。そういう、個人的興味からすれば明らかに畑違いであるはずの編集部の中に、ずっと居着いてしまうことになったのは、自分なりの役割とやりがいも感じられたからであろうと、これは後になってみて思う。
 一言でいえば、言葉・文章でいかに伝えるという点では、編集の基本は扱う情報のジャンルを問わない。これができなければ、どんな分野の編集でもできないだろう。
 税法の法令集も出していて、その校正もよくやった。法令の文章というのは、よく読めばなかなか味のある、そして精緻に組み立てられた日本語文である。門前の小僧でも経を読むというのに、門の中に入ってしまった小僧がこれを読まなくてどうする。
 勉強をしなければならないと思うが、これを読めばいいという入門書・参考書がなかなかなかった。この経験も、後に単行本の編集をやるときに、役に立った。
 いちばん大きかったのは、社長の意気に感じたことで、及ばずながら力になろうじゃないか、役に立とうじゃないか、そんな気持ちにもなっていた。その人は、満州から引き揚げてきてさあなにを仕事にするかというとき、ちょうどシャウプ税制で難儀をしていた事業者や個人のために、自分で税金の解説を書いて売り歩いたという苦労をしてきたという。
 それから10年かけて出版社らしい形になってきたが、よく「大企業なんてものは、きれいな大きなビルに入って大勢が寄ってたかってかっこよくやっているが、実はその中身はくだらんことが多いんだ」「中小企業が大企業のマネをしてはいけない。ほんとうに中小企業のためになる、役立つ情報はどこにもないではないか」というようなことを言っていた。
 中小企業の数は、1963年当時で400万くらいであった。その後1996年まで増加し続け、ピークには600万社を超えるがそれからは減少に転じ、最新の発表統計では385万社(者)となっている。50年の間にいったん増えて、また50年前の水準以下になっているわけだ。
 中小企業白書は、毎年判で押したように、“わが国企業数の99.7%、従業者数の7割、付加価値額(製造業)の5割強を占めるなど、「日本経済の基盤を形成」している”といってきたが、その基本状況にも長い間大きな変化はなさそうである。中小企業の定義は、若干時期によって微妙に変わっているが、大筋製造業では資本金3億円以下・300人以下で、サービス業ではこれが5,000万円以下・100人以下になる。
 1963年当時で400万あった中小企業の多くは、戦後にあるいは昭和25年以降に新規に設立されている、といってよい。新しい日本が復興と新生への期待を膨らませつつあるなかで、自らの才覚によって創業し、それに後からだんだんと信念のようなものが自信とともに養われていく…。多くの中小企業経営者がそんな経緯の中で事業を発展拡大して、そこへまた新規参入組や個人経営から法人成りで会社になるのも増加してきた。
 いわゆる高度経済成長期の中核をなしていたともいえる、1962(昭和37)年から1966(昭和41)年にかけて、ちょうど中小企業の数もどんどん増えピークに達していた時代には、そんな一面もあった。
 入社した会社の社長も、自らも中小企業そのものであるが、中小企業こそ国の柱である、その中小企業経営のために資する出版をという、固い信念の持ち主であった。そのためにも、中小企業のメッカでもある大阪に本拠を置くべきだと、本社移転という大技に踏み切ったのである。
 そして、雑誌の数も増やし、税務のみに留まらず企業経営(経営者)、総務経理部門、販売営業部門のそれぞれにわたる情報提供を志した。それは、きわめて時機にかなった経営戦略で、雑誌の部数も徐々に伸ばしていった。
 担当していた総務経理部門の雑誌では、各企業の求人が重要なテーマにもなり、「金の卵」と言われるようになっていた地方から都会へ働きに出る人の数も増え続けていた。
 高度成長は、そうした勤勉な労働力や多くの中小企業の努力と底力によって、時勢のめぐり合せもうまく噛みあって現出されていったと言える。
 初めて住むことになった大阪は、ほんまおもろいとこやったわ。
_----.jpg
タグ:年表
きた!みた!印(26)  コメント(2)  トラックバック(0) 
共通テーマ:地域

きた!みた!印 26

コメント 2

desidesi

私が生まれたのは、BGがOLになった年か。
ケネディ“暗殺”っていうけど、
よく考えるとド派手な事件ですよね。
911にしろ、アメリカはなんか変な国。
子供の頃から映画やその他メディアを通じて、
かっこいいイメージを刷り込まれている気がします。
by desidesi (2014-12-27 06:24) 

dendenmushi

@結局、ケネディ暗殺事件も真相はヤミのなかって感じですからね。やっぱり、あの国は西部劇ですとも言えるかもね、今でも。
なんでもいいけど、そういう指標があると、単に過ぎ去った過去でもなくなります。
by dendenmushi (2014-12-29 06:50) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

トラックバックの受付は締め切りました