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1971☆『思い出の索引』★でんでんむし@アーカイブス☆わたしたちが生きてきた時代とは… [年表]

われわれはどこから来て、どこへ行こうとしているのだろうか…? 
 
1971mark.jpg昭和46年 辛亥(かのと いのしし)
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◯米ワシントンで統一反戦大集会。50万人参加。
◯英、貨幣制度を十進法に移行。
◯エドガー・スノー、毛沢東がニクソンと会談する用意ありとする記事を「LIFE」誌に発表。
◯西独が外為市場を閉鎖、通貨不安が西欧州に拡大。
◯拡大パリ会談で、南臨時政府代表が7項目提案。
◯キッシンジャー大統領補佐官が、秘密裏に北京を訪問。
◯ニクソン米大統領が、翌年5月までに訪中すると発表。
◯北アイルランドで、英駐留軍とカトリック系住民が衝突。
◯仏、南太平洋ムルロア環礁で水爆実験。
◯ニクソン米大統領の、訪ソを発表。
◯国連で日本などが提案した逆重要事項決議案が否決され、中国招請・国府追放のアルバニア案が可決。国府は国連を脱退。ユネスコも中国招請・国府追放を決定。
◯米史上最大の5メガトン級地下核実験をアムチトカ島で実施。
◯10か国蔵相会議、金1オンス=38ドルを決定。スミソニアン体制発足。

◯南ベトナム政府軍のラオス侵攻作戦。失敗に終わる。
◯パキスタンのヤヒヤ大統領・アワミ連盟ラーマン総裁・ブット人民党党首の三者会談が決裂。内戦状態に。ラーマンはバングラデシュ独立を宣言。
◯米軍事法会議が南ベトナムソンミ村虐殺事件のカリー注意に終身重労働の刑を判決。
◯林彪副主席らの毛沢東暗殺計画が失敗し、林彪はソ連脱出を計って墜死。
◯カンボジア、ロン・ノル軍事独裁体制。
◯中国が大気圏内で核実験。
◯インド軍が、東パキスタンへ全面攻撃。戦火は西パキスタンへも拡大、全面戦争に。
◯パキスタンが国連の即時停戦撤退案を受入。インドがバングラデシュの独立を承認。

◉18都道府県の知事選挙で、東京都では美濃部都知事が再選。大阪府では社共両党が推す黒田了一が当選。
◉沖縄返還協定の調印式。東京とワシントンで宇宙中継。屋良主席は出席を辞退。
◉富山地裁がイタイイタイ病の原因はカドミウムと判決。住民側の勝訴。三井金属が控訴。
◉第三次改造佐藤内閣。福田外相、田中通産相。
◉ニクソンの“頭越し訪中”に、政府は衝撃。
◉ニクソンのドル防衛策で、東証株価が史上最大の暴落。ニクソンショック、ドルショック。
◉政府が変動相場制への移行を決定。
◉新潟地裁が阿賀野川有機水銀中毒の原因は昭和電工と判決。
◉成田空港公団が1坪地主らの土地第1次強制執行。
◉天皇皇后両陛下が初めて広島の原爆慰霊碑に参拝。

◉佐藤首相が現職首相として初めて広島平和記念式典に出席。
◉沖縄県祖国復帰協議会など10万余が沖縄返還協定の批准に反対スト。
◉返還協定に反対の集会やデモが32都道府県で実施。
◉協定の強行採決に反対する抗議行動が全国883か所で行なわれ、1800人が逮捕。
◉関西・関東の財界が訪中使節団を派遣。
◉10か国蔵相会議をうけ、政府は1ドル=308円の基準レートを告示。
◉衆議院で、自民党の単独採決で沖縄関連四法案を可決。

・この年に亡くなった人にはこんな人も…。横山エンタツ。深田久弥。内田百閒。高橋和巳。平塚らいてう。左卜全。山口蓬春。松永安左エ門。山下清。徳川夢声。大川博。松村謙三。志賀直哉。金田一京助。8代目桂文楽。ココ・シャネル。イーゴリ・ストラヴィンスキー。ルイ・アームストロング。フルシチョフ。

◎三菱重工とクライスラーが自動車部門で資本提携。
◎横綱・大鵬が引退。在位58場所、優勝32回。
◎日本国内航空と東亜航空が合併し、東亜国内航空に。
◎第一銀行と日本勧業銀行が合併し、第一勧業銀行に。
◎群馬県の女性誘拐薩事件の容疑者・大久保清を逮捕。
◎ラルフ・ネーダーが来日。
◎奈良の飛鳥地方が歴史的風土特別保存地区に指定。
◎東名高速の東京=神戸間に国鉄バスの夜行ドリーム号誕生。
◎東亜国内航空のYS-11機ばんだい号が函館郊外に墜落。68人全員死亡。
◎岩手県雫石町で全日空機と自衛隊機が空中衝突。全日空機の162人全員死亡。
◎名古屋で開催の世界卓球選手権大会に中国チームを招請。(ピンポン外交)
◎神奈川県葉山御用邸が放火により全焼。
◎日清食品がカップヌードル発売。
◎東京八王子市で全国初のノーカーデー実施。
◎西新宿に京王プラザホテル開業。
◎日本マクドナルド、銀座三越内にハンバーガー店1号店開店。
◎ミスタードーナッツが大阪箕面市で1号店。

◎映画5社のひとつ大映が倒産。
◎高島屋が東京12ch(現テレ東)で、テレビ通販を開始。
◎日本テレビ「スター誕生」第1回放送で森昌子が合格第1号に。
◎毎日新聞に連載の横山隆一「フクちゃん」が5,534回で終了。さすがに「角帽にゲタ・絣の着物」ではねえ。
◎「少年マガジン」などの売れ行きが減少。「少年画報」などが休刊。
◎ベアトリス・ポター「ピーター・ラビットのおはなし」を福音館書店が刊行。

■流 行:ボウリング・Tシャツとジーパン・アメリカンクラッカー。
■テレビ:スター誕生・仮面ライダー。
■邦 画:西村昭五郎/団地妻 昼下りの情事(日活ロマンポルノ第1作。)
■洋 画:ノーマン・ジュイソン/屋根の上のバイオリン弾き・ガイ・ハミルトン/007 ダイヤモンドは永遠に・デヴィッド・リーン/ライアンの娘。
■ 歌 :尾崎紀世彦/また逢う日まで・小柳ルミ子/わたしの城下町・加藤和彦と北山修/あの素晴しい愛をもう一度・南沙織/17才・欧陽菲菲/雨の御堂筋・鶴田浩二/傷だらけの人生・五木ひろし/よこはま=たそがれ・加藤登紀子/知床旅情・森進一/おふくろさん・渚ゆう子/京都慕情・上條恒彦と六文銭/出発の歌・ジローズ/戦争を知らない子供たち・朝丘雪路/雨がやんだら・シモンズ/恋人もいないのに・にしきのあきら/空に太陽がある限り。
■ 本 :大岡昇平/レイテ戦記・高野悦子/二十歳の原点・陳舜臣/阿片戦争・大原富枝/椀という女。
■ことば:脱サラ・がんばらなくっちゃ・シラケ・ごみ戦争。
 
❖年表の元ネタ主な参考資料三省堂『コンサイス世界年表』三省堂編修所編。河出書房新社『昭和・平成 家庭史年表』下川耿央・家庭総合研究会編。小学館『昭和・平成 現代史年表』神田文人編など。

dendenmushi.gif(2015/01/25 でんでんむし蛇足の記1971)
  少しずつ体調も戻ってきたところで、久しく行っていなかった山に行きたいと考えた。リハビリのつもりで、秋田の駒ヶ岳に登ったのは、行ったことのないところ東京からもできるだけ遠いところ、あまりたくさん歩かなくても済むところと、たくさんの条件をクリアできるところだったからだ。
 そのコースで帰りに泊まった雫石で、その直後に自衛隊機と民間機の空中衝突事故が起こったのには驚いた。飛行機と飛行機が空中で鉢合わせするなどということが、どうして起こるのだろう。
 そんなふうに思ってしまうが、飛行機も決められた航空路を飛んでいるわけで、なにもない大空を勝手気ままに飛んでいるわけではない。
 出版も何でもいいから出す、という出版社はまずない。それぞれ、自分たちで選んで引いた航路に沿って飛ぼうとしている。
 久し振りに社長に呼ばれて、書籍出版部の副編集長を命じられたのは、実務関係の単行本を出したいという方針があってのことだった。大阪からいっしょに転勤していた編集長のもとで進めていた、経営・自己啓発関係の単行本の編集体制も、どうにか軌道に乗りかけてきたと判断されたのだろう。それを拡充するために、雑誌のもう一方の本線である、経理・税務関係の単行本を出すというのは、社長の長年の念願でもあったらしい。それをやれと言われたのである。
 大阪に本社が移転してまだ間がない頃だったと思うが、東京で単行本を始めたときに、社長が本社員を集めて話をしたことがある。
 そのときに語られた社長の言葉で、深く心に残っていたのが「世の中の本はみんな四角の本ばかりだ。三角の本をつくりたい。」という意味のことだった。
 なるほど! それはいいなあ。「三角の本」かあ。いいこと言うなあ!
 素直にそう思って、その場でもおおいに賛同した記憶がある。どうやら、それを覚えていたらしい。
 中小企業のために、実務家に役に立つ必要な情報を届けるという、会社の拠って立つ理念を、単行本で具現化するという新たな使命を与えられた。
 書店の店頭も、時代とともに眼にもわかるかわからないかという変化を、常に続けて動いている。1971年当時の店頭状況を想像してもらうのはむずかしいが、この頃はまだ実務書とかビジネス書とかいう名前もなく、もちろんそういう分類や棚も売場もなかった。
 大きな本屋では「法律」と「経済・経営」といった表札のついた棚区分はあって、こういう分野をひっくるめて「ホーケー書」などと呼ばれていたのである。なんか、あまりいい語感とは思えない。「会計」という棚もあったが、「経理」はない。そこに並んでいる本は、どれもこれもみんながちがちの専門書で、ページ数も多くて定価も高い、ハードカバーや箱入りの本が多かった。
 そういう店頭を経由して、自分が読者にどんな本を届けるべきなのか。
 比喩や喩えというものは、ものごとの本質を表現するのには便利なことが多いが、それでは具体的にどうするかという方法を示してくれるわけではない。それを示すことまでは、社長の仕事ではない。
 「三角の本」は、精神としてはある方向を示してはくれるが、実際それをどうつくっていくかは、編集者が自分で考えなければならない。
 “ピンからキリまで”というのは、言葉の意味としては最高と最低の上下関係を意味するので、編集者の多様性にあてはめるには、あまり適当ではないかも知れない。むしろ、編集という仕事の幅や違いが生じるのは、出版社にはそれぞれ独自のカラーがあり、それをつくっているのが会社の方針や理念であり、そこで仕事をする編集者のセンスや考え方にも違いがあることで、当然なのだ。
 “同文同軌”という四字熟語の本来の意味は、同じ文化と文字をもち道路の轍(わだち)の幅も統一されている、つまり天下を統べるということだ。出版の世界では、天下統一はあり得ないことであるし、またそれは望ましいことでもなかった。戦国時代さながらに、それぞれに旗印を掲げて、微妙に幅の違った独自規格の轍を、自分たちの領土に刻みこむことによって領域の主張をしようとして走り回っている。
 会社の方針に従って、編集者が考え工夫することで、独自の轍の跡を大地に広く深く刻んでいくことになり、大空に航空路を設定していくことになると言ってもよいのだろう。(ちょっと苦しい喩えかな。)
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