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1962☆『思い出の索引』★でんでんむし@アーカイブス☆わたしたちが生きてきた時代とは… [年表]

われわれはどこから来て、どこへ行こうとしているのだろうか…? 

1962mark.jpg昭和37年 壬寅(みずのえとら)
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◯ケネディ米大統領が、対キューバ全面禁輸を指令。キューバは米州機構を脱退。
◯仏パリで反OASデモが警官隊と衝突。政府のデモ弾圧に100万人の抗議デモ。
◯米、グレン中佐搭乗の人間衛星船フレンドシップ7号の打ち上げに成功。ミノルタカメラを搭載。
◯仏、OAS最高指導者サラン元将軍を逮捕。反逆罪で終身刑判決。
◯米、太平洋での核実験、ネバダの大気圏内核実験を再開。
◯ニューヨーク市場が1929年以来の大幅な下げとなる大暴落。
◯ILO本会議で週40時間とする労働時間短縮案を採択するも、日本は棄権。
◯米、通信衛星テルスターを打ち上げ。
◯ソ、人間衛星船ボストーク3号の打ち上げ。
◯ソ、対キューバ武器援助を表明。
◯キューバのソ連ミサイル基地建設に対し、米が海上封鎖を開始。キューバ危機。
◯ソ、米の対キューバ不侵略を条件に、攻撃的兵器の撤去を命じる。
◯米、海上封鎖を解除。

◯南ベトナムに米軍事援助政令部を置く。
◯ビルマでネ・ウイン将軍が無血クーデター。中立政策を宣言。
◯仏とアルジェリア臨時政府が停戦協定(エビアン協定)に調印。アルジェリア戦争終結。
◯韓国、尹大統領が辞任、朴正熙が代行。
◯ラオスで右派軍が敗退を続け、米第七艦隊の派遣を決定。
◯プーマ首相のもとに、ラオス三派連合政府樹立。
◯アルジェリア住民投票で99.7%が独立を支持し、独立宣言発表。
◯イラン西北部で大地震。2万人が死亡。
◯中印国境紛争。軍事衝突。

◉社会党使節団(鈴木茂三郎団長)が訪中。共同声明で「米帝は日中共同の敵」を確認。
◉最高裁の八海事件再上告審で差し戻し判決。
◉創価学会が参院選で15議席を獲得。公明党を結成。(このため、これまで使われてきた「公明選挙」が使えなくなる。)
◉石炭鉱業調査団が、スクラップ・アンド・ビルド方式など石炭対策を答申。
◉最高裁が“昭和の巌窟王”吉田石松の再審請求を認める。(昭38無罪判決)
◉日中LT貿易の開始。
◉池田首相の私設諮問機関「人づくり懇談会」発足。
◉陸上自衛隊北海道松島演習場で地元の酪農家などが電話線切断。(恵庭事件)

・この年に亡くなった人にはこんな人も…。4代目中村時蔵。鳥井信治郎。4代目吉田文五郎。室生犀星。西東三鬼。中谷宇吉郎。柳田国男。吉川英治。大河内伝次郎。飯田蛇笏。小倉金之助。正宗白鳥。名取洋之助。ブルーノ・ワルター。アドルフ・アイヒマン。ウィリアム・フォークナー。ジョルジュ・バタイユ。マリリン・モンロー。チャールズ・ロートン。ヘルマン・ヘッセ。

◎東京都の常住人口が推定1,000万人を突破。(世界一の大都市)
◎テレビ受信者が1,000万人を超える。
◎常磐線三河島駅で三重衝突。
◎北陸本線の北陸トンネル開通。13.87キロは日本最長。
◎三宅島が大噴火。
◎日本航空機製造が、YS11の初飛行に成功。
◎原子力研究所の国産原子炉1号炉に点火。
◎A2型インフルエンザが全国で猛威を振るい、死者が6000人。
◎東京のスモッグが問題化。
◎北九州市に東洋一の吊橋「若戸大橋」が開通。
◎世界最大のタンカー「日章丸」13万トンが佐世保重工業で進水。
◎首都高1号線、東京の京橋=芝浦間で開通。初の都市ハイウエイ。
◎小型ヨットで太平洋を横断した堀江謙一が、93日かけてサンフランシスコに入港。
◎南氷洋捕鯨シロナガス換算で6,574頭、過去最高記録。

◎NHKテレビ「私は誰でしょう」に出演の藤原あきが参議院選挙全国区で116万5000票を獲得して、トップ当選。タレント議員の第1号。
◎ファイティング原田が世界フライ級チャンピオンに。
◎国民休暇村第1号が、鳥取県大山国立公園にオープン。
◎富士ゼロックスが国産初の電子複写機を完成。
◎軽四輪ブーム。マツダ・キャロル、スズライト・フロンテ、三菱ミニカなど、37〜39万円。

◎スーパーマーケットが急増。全国で2700店。(昭38には5000店に)
◎伊藤喜工業所(イトーキ)が、初のスチール製の学童机と椅子を発売。
◎ライオン歯磨(ライオン)が従業員持ち家制度と社内預金制度を始める。各社にも広がる。
◎東京・隅田川のボートレースが中止に。工場排水のよる川の汚染と川船の増加が理由で、昭和53年の早慶レガッタ復活まで中止が続いた。
◎長野県・野尻湖で、考古学者と地質学者に市民も加わってナウマン象などの化石発掘調査。
◎大正製薬、リポビタンDを発売。
◎コカコーラが「スカッとさわやか」をキャッチフレーズに。
◎赤塚不二夫「おそ松くん」を少年サンデーに連載開始。

■流 行:山岡荘八の「徳川家康」・孫子の兵法・作戦要務令。
■テレビ:ベンケーシー・コンバット・てなもんや三度笠・隠密剣士。
■邦 画:浦山桐郎/キューポラのある街・小林正樹/切腹。
■洋 画:ミケランジェロ=アントニオーニ/情事・イェジー=カワレロウィッチ/尼僧ヨアンナ・ケン=ピーターソン/101匹ワンちゃん大行進・イングマール=ベルイマン/野いちご・グァルティエロ=ヤコペッティ/世界残酷物語。
■ 歌 :中尾ミエ/可愛いベイビー・橋幸夫吉=永小百合/いつでも夢を・ジェリー藤尾/遠くへ行きたい=倍賞千恵子/下町の太陽。飯田久彦/ルイジアナ=ママ・弘田三枝子/ヴァケイション。
■ 本 :村山知義/忍びの者・高橋和巳/悲の器・梶山季之/黒の試走車・安部公房/砂の女。
■ことば:人づくり・無責任時代・ハイそれまでよ・青田買い・総会屋。

❖年表の元ネタ主な参考資料三省堂『コンサイス世界年表』三省堂編修所編。河出書房新社『昭和・平成 家庭史年表』下川耿央・家庭総合研究会編。小学館『昭和・平成 現代史年表』神田文人編など。

dendenmushi.gif(2014/12/10 でんでんむし蛇足の記)
 今でもそのことを思うと、人の一生のできごとや流れ、なりゆきは、人との出会いというふしぎな縁(えにし)で繋ぎ合わされ結ばれ、それぞれの人生が織りなされていくものなのだ、というごくありきたりな感慨にひたってしまう。
 広島でも早々になんとか仕事を見つけたいと思っていたところ、「出版社」を名乗る会社が新聞に三行よりももっと大きな求人広告を出していた。おお、広島にも出版社があるんじゃないか。これはチャンスかもと応募したのが1961年のことである。
 職種は総務経理から営業そして編集と網羅していたが、編集で応募した。折り返し採用試験の案内が送られてきて、試験会場の商工会議所のビルに行ってみると、60人もの人が入社試験を受けに来ている。
 午前の作文だの論文だのその他ユニークな試験方法の筆記試験が終わると、そこで半数以上がどっと帰り、残った者は午後から面接に臨む。
 社長らしい人が真ん中に座って、何人かまとめて口頭試問があったが、自分の番はあっという間に終わってしまう。いちばんえらそうな人の反応があまりよいとは言えなかったので、こりゃだめだなと思っていると、最終選考に残った5人くらいで、それから会社に連れて行かれた。
 こういうことは後からだんだんにわかってくるものだが、どうやらその試験はセールスマン採用のためのもので、編集採用はまったくのおまけであったようだ。採用の経緯も、社長の一存によるものだったらしい。
 だが、ここでおかしい(おもしろい)のは肝心の試験を受ける本人が、その出版社がどんなものを出しているのか、まったく知らなかったということである。普通は、社名や出版物の名前もその内容や傾向も、多少はわかって応募するのだろうが、社名だってそれまで知らなかったのだからしかたがない。
 要するに、一般にもあまり知られていない出版社だったわけだが、とにかくそこで編集部に採用すると告げられ、翌日から勤め始める。
 そうして入った会社は、主に直接販売ルートで雑誌などを出しており、読者は企業ならびに経営者とスタッフ向けなので、広告宣伝もしないし書店にもない。一般に知られていないのも当然だった。
 本社はそのときにはまだ広島で、大阪に支社があり、その他各地に営業所があり、社員数はその当時でどのくらいいたのか、全社で百数十人はいたのだろうか。その後では世の中に合わせて成長期を迎え、多いときには三百人を超える社員をかかえるまでになるのだが、このときはまだその前であった。
 それまで、会社だの仕事だのといっても、せいぜい数人でやっている職場しか経験したことがないので、初めて体験する会社らしい会社勤めである。
 編集部は広島と大阪にあって、広島の編集部では企業の経理・税務関係の月刊誌を編集していた。7〜8人くらいいた部員は当然大卒ばかりで、その内容の専門性もあって商科大学出身の人も数人いた。そのなかにいきなり放り込まれたわけで、当初は会社勤めのイロハから学ばなければならないようなことも多々あった。
 そのうえ、仕事の内容が専門的で高度なものだから、なにもかもチンプンカンプンである。そっち方面の知識も素養も、高校の就職コースには簿記という科目が申し訳程度にくっついていて、その試験で満点をとったことはあっても、およそゼロといっていい。おまけに、基本的に数字は苦手ときている。
 はたして、やっていけるのだろうかどうだろうか。本人もそう思っていたが、周りもそう思っていたに違いない。変なのを採用したが、こりゃぁ大変だぞ〜。
 しかし、結局はそれから30数年の長きにわたって、その会社で編集の仕事を務めることになるのだから、まったく不思議といえば不思議で、人間も世の中もわからないものだ。
 入社した年がその会社の10周年ということで、早々にその記念を兼ねて各地(この当時はまだ西日本が中心)から全社員が別府温泉に集合するという大イベントがあった。
 この当時は、宴会といえば大広間にロの字型にお膳が並んで、差しつ差されつ、酌をして回る如才ない人間もいるという昔ながらのスタイルで、酒が飲めないといえば「そんなんでお前、編集が勤まるか!」というような時代であった。
 カラオケはまだなかったので、余興というのも部所別対抗でなにか出し物を考えてやらなければならないという。編集長から、新入りの役目としてなにか考えてやれとご下命があった。
 宴席の余興なんて、こういうのはいちばん苦手で、イヤなのだがしかたがない。会社というのは、イヤなこともやらなければならないところなのだ。
 だが、やるからには、他の部所がやらないようなもので、いちおう部員が全員参加できて、個々人の負担が少ないもので、舞台でもある程度見栄えがするものがいい。浴衣は着てるし、番傘も下駄も旅館に充分あるし、はちまきはタオルで間に合う。そう考えて「白浪五人男」をやることにして、台詞には出演者のネタも混ぜて台本を書き、振り付けをした。
 大いに受けて、賞をもらった。小学校の修学旅行以来の別府は、また新たなスタートであった。 
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タグ:年表
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1961☆『思い出の索引』★でんでんむし@アーカイブス☆わたしたちが生きてきた時代とは… [年表]

われわれはどこから来て、どこへ行こうとしているのだろうか…? 

1961mark.jpg昭和36年 辛丑(かのとうし)
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◯米、キューバと国交断絶。
◯仏の国民投票、ド大統領のアルジェリア自決政策を圧倒的多数が支持。
◯米、ジョン・F・ケネディが大統領に就任。
◯イスラエルで元ナチのアイヒマン裁判、上告を棄却し死刑執行。
◯ソ連がガガーリン少佐を乗せた世界初の人間衛星船ボストーク1号の打ち上げに成功。2号ではチトフ少佐搭乗。
◯米支援の反革命軍が、キューバ上陸を企てるも失敗。撃滅される。
◯キューバ、カストロ首相が社会主義共和国を宣言。
◯米マーキュリー計画、人間ロケット1号2号の打ち上げ成功。
◯東独、東西ベルリン境界線に壁を構築。
◯仏、OASによるドゴール大統領の暗殺未遂事件。
◯国連事務総長ハマーショルドが、ローデシアで飛行機事故死。
◯米、最大ミサイル、タイタンの発射に成功。
◯ソ、50メガトン核爆発実験。
◯国連総会で核兵器使用禁止宣言・アフリカ非核武装宣言を可決。
◯国連総会、植民地独立宣言の履行状況についての決議採択。

◯コンゴのルムンバ首相が監禁、殺害される。
◯アルジェリアの仏軍が反乱。
◯韓国で軍事クーデター、戒厳令を敷き反共体制を宣言。張都暎首班の軍人内閣。
◯イラクのカセム首相がクエートの合併を声明。英とクエートは反対声明。
◯韓国国家再建最高会議議長の張都暎が失脚。副議長の朴正熙少将が後任。
◯シリアで反エジプトのクーデター。新政権はアラブ連合を脱退。
◯アラブ連合はヨルダン、トルコと国交断絶。
◯南ベトナム、ゴディンジェム大統領が非常事態宣言、全権を掌握。

◉新島でミサイル試射場反対闘争が激化。
◉深沢七郎の「風流夢譚」に怒る右翼少年が、中央公論社嶋中社長邸を襲撃。二人を殺傷。
◉社会党大会で委員長に河上丈太郎を選出。
◉ライシャワー新駐日大使が着任。
◉池田内閣改造、佐藤栄作、河野一郎、藤山愛一郎、三木武夫ら有力者入閣。
◉松川事件の差し戻し審で、仙台高裁が全員無罪の判決。
◉安保体制批判のフルシチョフ親書を、見本市で来日のミコヤンが池田首相に手交。池田返書で反論。
◉ソ連の核実験再開に抗議、米にも再開中止を要請。
◉旧軍人らのクーデター計画が発覚。(三無事件)

・この年に亡くなった人にはこんな人も…。古川緑波。村松梢風。下中弥三郎。赤木圭一郎。柳宗悦。小川未明。喜多村緑郎。花井蘭子。東久邇成子。麻生豊。津村謙。津田左右吉。葛原しげる。矢内原忠雄。ダシール・ハメット。パトリス・ルムンバ・ゲイリー・クーパー。カール・グスタフ・ユング。アーネスト・ヘミングウェイ。梅蘭芳。

◎上野の東京文化会館落成。
◎大阪の国鉄環状線、西九条=天王寺間が開通。
◎大阪・釜ヶ崎で2000人が暴動化。
◎本州各地に集中豪雨の被害続出。死者357人。
◎台風18号が近畿地方に猛威をふるい、死者202人、98万戸が被災。(第二室戸台風)
◎総延長1135キロの愛知用水が完工、通水式。
◎中央公論社が、「思想の科学」天皇制特集号の発売を中止に。
◎「宴のあと」で私生活を露骨に描かれたとして、有田八郎が著者と版元を告訴。初のプライバシー侵害訴訟。
◎日航、国内線でもジェット機就航。東京=札幌、コンベア880、124人乗り。一日一便。続いて沖縄便にも。
◎文化出版局、婦人雑誌「ミセス」創刊。
◎大関の大鵬と柏戸が揃って横綱になり、柏鵬時代始まる。
◎大松監督率いる日紡貝塚女子バレーボールチームが欧州遠征。24戦して無敗、「東洋の魔女」と呼ばれる。

■流 行:レジャーブーム・Gパン・ホンコンシャツ・ツイスト。
■テレビ:娘と私・夢で逢いましょう・シャボン玉ホリデー・七人の刑事・アンタッチャブル・ローハイド・ララミー牧場。
■邦 画:松山善三/名もなく貧しく美しく・松田定次/赤穂浪士・黒沢明/用心棒。
■洋 画:ロバート=ワイズとジェローム=ロビンス/ウエストサイド物語・エリア=カザン/草原の輝き・アラン=レネ/夜と霧・アルベール=ラモリス/素晴らしい風船旅行・ルイ=マル/地下鉄のザジ。
■ 歌 :渡辺マリ/東京ドドンパ娘・石原裕次郎=牧村旬子/銀座の恋の物語・フランク永井/君恋し・村田英雄/王将・坂本九/上を向いて歩こう。
■ 本 :岩田一男/英語に強くなる本・小田実/なんでも見てやろう・平凡社/国民百科事典全7巻。
■ことば:プライバシー・わかっちゃいるけどやめられない・不快指数・地球は青かった・東洋の魔女。

❖年表の元ネタ主な参考資料三省堂『コンサイス世界年表』三省堂編修所編。河出書房新社『昭和・平成 家庭史年表』下川耿央・家庭総合研究会編。小学館『昭和・平成 現代史年表』神田文人編など。

dendenmushi.gif(2014/12/08 でんでんむし蛇足の記)
 安保騒動で日本中が沸騰していたように思われたときには、自分も国会周辺のデモに参加しなければならないような気もした。そこで、2度くらいノコノコ出かけていったが、実はデモに参加するというのでもなく、ただその空気を感じに行ったという、はっきり言えばヤジウマと変わらない。女子大生が亡くなったときには、議事堂を挟んでその現場の反対側のほうにいた。
 その年の暮れには、社会党の浅沼委員長が刺殺されるという事件が起こったが、ちょうどその時刻には現場となった日比谷公会堂の半地下にあった共同通信社のラボにいた。
 東京では、ラジオからはトニー・ザイラーの歌がやたら流れていた頃だった。さるところからもらった「近代劇全集」を片っ端から読みながら、作劇とか物語の創作をいろいろと試みた結果、自分は決してレジナルド・ローズにはなれないということを、やっとはっきり自覚することになった。
 要するにフィクションを組み立てるということが、非常に苦痛でうまくできない。ウソでもいいからと思うのだが、それがどうしてもできない。
 そんなこんなもんもん(というほどでもなく、“やっぱり”という感じか)としているうちに、金もないしいつまでもフラフラもできないと、仕事を見つけてきた。
 八重洲と有楽町の間付近の小さな出版社というのか雑誌社というのか、今思うと半分総会屋のような業界ゴロといっていいのだろう。その頃はそういう変な会社が成り立っていた。社長と編集長と以下5人くらいで、やっていることはさほど悪いことをしているわけではない。
 社長の顔が利くらしい電力・ガス業界関係の出版(主に社長や会長の伝記作成)をやるのがメインの収益事業であったらしいが、“社旗”を立てた黒塗りの自家用車に運転手もいて、それで自民党本部の大ボス小ボスなどにも出入りしていた。どうも、“マスコミ”らしい体裁を保つために、雑誌もどきの出版物を出していたのではないかと、後からは思えるのだが、その編集制作を担当することになった。
 メインのほうは、ほとんど社長がトップ・セールスで話をつけてきて、編集長という肩書きの人が一人で取材して原稿を書くという形だったので、そこにはタッチしなかったが、「なるほど、こういう商売もあるのか」と、広島と比べて東京のおもしろさ、得体のしれなさを感じていた。
 やっていることには多少フィクサー的でいかがわしいところがあるにしても、社長以下みな気分のいい人で、すぐに馴染んで好き勝手に雑誌づくりをやっていた。それを取り仕切っていたのは社長の息子という人で、この人がまたごくおとなしくまともである。この人があの社長の後を継いで、やっていけるのだろうかと心配するくらいだった。
 浅沼委員長が刺殺されたとき、なぜその現場の日比谷公会堂にあった共同通信のラボにいたのかといえば、その雑誌編集の仕事で必要な写真を探しに行っていたのである。
 その小さな会社が入っていた小さなビルは今も残っているが、昼食を取りに行っていた有楽町フードセンターも東京都庁の大食堂も砂場のそば屋もなくなっている。確かめたことはないが、その会社ももうないのであろう。
 あるとき、社長がこういうフレーズでポスターの素案を考えてくれと、メモを差し出して言う。細かい表現がどうだったか忘れているが、「みんなの所得を倍にする七本の柱」というような主旨だった。一晩でスケッチを描いて翌日渡したら、ニコニコとして受け取った社長はそれを丸めて鞄に入れ、ボードに「一陽来復」と書くと、そのまま黒塗りの自家用車でどこかへ出かけていった。
 それからしばらくして、広島出身で初の総理大臣となった池田勇人が、「所得倍増計画」を発表した。
 なんかしらんが、やっぱり、東京はおもしろいとこだヮ…。
 明けて翌年は1961年、安保の重苦しい雰囲気もだんだんに薄らいで、首相が退陣するだけでこうも変わるのか、と思うほどだった。(そのとき、怨嗟のなかで退陣を余儀なくされて、憤懣やるかたない前首相は、孫を相手にいろいろ吹き込んだのかもしれない。その吹き込まれた孫が、「じっちゃんの名にかけて」と祖父の思いをそのまま受け継ぎ、今この時期に首相として現れてきてなにやらを取り戻そうとか、なんとかミクスで三本の矢などを持ち出していうことになろうとは、当時誰もまったく想像できないことだった。事実はつくり話よりも奇であり怪である。)
 お正月は世田谷の社長の家に招かれたりして、和気あいあいとなんとなくこのままいくのかなと思っていたが、やはりそうはいかなかった。
 次の人生の転機というヤツが、どうやら訪れていたようだ。それを説明するのはむずかしいが、とにかくいろいろあって、広島へ帰らなければならなくなってしまったのである。
(これを読んでくれたある人から、日比谷公会堂にあったのは「共同通信」ではなくて「時事通信」ではないかとメールをもらった。ええっ! そうだったっけ?  いやぁ記憶では「共同通信」なんだけどなあ。(^0^;))
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1960☆『思い出の索引』★でんでんむし@アーカイブス☆わたしたちが生きてきた時代とは… [年表]

われわれはどこから来て、どこへ行こうとしているのだろうか…? 

1960mark.jpg昭和35年 庚子(かのえね)
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◯仏がサハラ砂漠で初の原爆実験に成功し、第4の核保有国に。
◯ソ連最高会議が領空侵犯した米偵察機U-2を撃墜と発表。
◯米原子力潜水艦トライトン号が、世界一周潜水航海に成功と発表。
◯ソ連が人工衛星船第一号の打ち上げに成功。
◯東西首脳によるパリ会談で、ソが米のスパイ飛行を非難し、会談は流会。
◯仏ド・ゴール大統領が、アルジェリア停戦を提案。
◯米、キューバ糖の輸入を禁止。
◯ソが米に対し、キューバへの干渉にはロケットでキューバ支援すると警告。
◯中国に派遣中のソ連人専門家1300人を1か月以内に引き揚げると中国に通告。
◯米潜水艦からのポラリス・ミサイルの水中発射に成功。
◯キューバが、米資産の接収を宣言。
◯ソ人工衛星船第二号、犬2匹を乗せて打ち上げ。引き続いて犬のほか昆虫や植物を載せた三号機も。
◯フルシチョフが米訪問、国連総会で全面完全軍縮など提案演説。
◯米、原子力空母エンタープライズ号が進水。
◯米大統領選挙で民主党のケネディが当選。
◯ローマで第17回オリンピック開催。

◯南ア連邦各地で、人種差別反対の暴動が多発。
◯韓国で選挙不正抗議に次いで李承晩大統領辞任要求デモが激化、流血。李承晩は辞任しハワイへ亡命。
◯ラオスでクーデターの後、中立政府ができるが、右派の将軍が決起し内戦が本格化。プーマ首相はカンボジアに亡命。
◯キプロスの独立に次いで、この年はアフリカ植民地が多く宗主国から独立を果たす。(カメルーン、コンゴ、ガーナ、ダオメー、ニジェール、オートポルタ、象牙海岸、中央アフリカ、マリ連邦、ナイジェリア連邦)
◯コンゴ全土に非常事態宣言、ベルギーと国交断絶。大統領と首相が相方を追放。国連で緊急総会開く。
◯南ベトナムで民族解放戦線(ベトコン)が結成される。

◉貿易為替の自由化根本方針で3年間での達成を目標。
◉岸首相らの安保調印全権団が渡米。全学連などが羽田空港に座り込み。
◉新日米安保・行政協定に調印。
◉民主社会党結成。委員長西尾末広。
◉三井鉱山三池鉱業所で全山ロックアウト。無期限スト闘争。
◉社会党大会で委員長に浅沼稲次郎選出。
◉安保阻止国会デモで、全学連と警官隊が衝突。
◉政府・自民党が警官隊を国家に導入して、安保条約・会期延長の単独採決を強行。国会は空白状態になる。
◉連日国会周辺をデモ隊が取り巻く。
◉米大統領来日の先触れに新聞係秘書ハガチーが来日。羽田で一時デモ隊が包囲。
◉安保阻止のデモ隊を右翼が襲撃。全学連デモ隊が国会内に入り、この混乱時に東大生樺美智子が死亡。
◉閣議で米大統領アイゼンハワーの訪日の延期を要請することを決定。
◉社会党顧問の河上丈太郎が、右翼少年に刺され負傷。
◉国会包囲のデモ隊が膨れ上がり、一説では周辺で33万人とも。
◉新安保は自然成立。岸首相は辞意を表明。岸内閣総辞職。
◉池田勇人内閣の成立。石田労相が三池争議の職権斡旋。
◉浅沼社会党委員長が日比谷公会堂の演説会壇上で、右翼少年山口二矢に刺殺される。
◉三池争議が解決。
◉ソニーが江崎玲於奈らの発明エサキダイオードの特許取得。
◉宮内庁と右翼が雑誌中央公論の深沢七郎の小説「風流夢譚」に抗議、中央公論社が陳謝。
◉総選挙で自民党の単独過半数は変わらず、第二次池田内閣。
◉池田首相、所得倍増計画を発表。

・この年に亡くなった人にはこんな人も…。火野葦平。藤原銀次郎。賀川豊彦。樺美智子。浅沼稲次郎。吉井勇。和辻哲郎。アルベール・カミュ。クラーク・ゲーブル。ボリス・パステルナーク。

◎ソニーが世界初のトランジスタ・テレビを発売。8インチ6万9800円。
◎三陸地方にチリ地震の津波が押し寄せ、死者139人、4万6000戸が被災。
◎東京・山谷のドヤ街で3000人がマンモス交番を襲撃。
◎オリンピック・ローマ大会で、体操ニッポン、個人団体で金。
◎石川島播磨重工業が発足。
◎皇太子妃、浩宮を出産。
◎カラーテレビの本放送開始。
◎国勢調査で、総人口は9,341万8,501人。
◎大和銀行が住宅融資を開始、三和・東海・三菱の各行も続く。
◎東洋工業が「マツダ・クーペ」を発売。(いちばん安い小型四輪車で三輪メーカーから四輪メーカーへ)
◎積水ハウスが本格的なプレハブ住宅を発売。
◎グアム島のジャングルから二人の元日本兵が発見され、帰国。
◎初のロングサイズ煙草「ハイライト」発売。デザインは和田誠。
◎東京芝浦電気がわが国初のカラーテレビを42万円で発売。各社も続く。
◎日航が同社初のジェット機DC-8型機でサンフランシスコ便就航開始。
◎都営地下鉄の押上=浅草橋間が開通。京成と相互乗り入れ。地下鉄と郊外電車の乗入れの始まり。
◎川崎球場を本拠地とする三原監督の大洋ホエールズが日本シリーズV。
◎四日市市でぜんそく患者が増加。公害診断を開始。
◎日本人の年間労働時間は2400時間で過去最高に。
◎女子の平均初婚年齢は、24.4歳。
◎女性の平均寿命が70の大台を超えて70.19歳、男性は65.32歳。
◎小型農業用トラクターが初輸入され、農業の機械化が始まる。
◎タカラがビニール人形「ダッコちゃん」発売(180円)。大ヒット。

■流 行:即席ラーメン・ダッコちゃん・ホンコンフラワー・ヌーベルバーグ。
■テレビ:ブーフーウー。
■邦 画:堀川弘通/黒い画集・大島渚/青春残酷物語・市川崑/おとうと。
■洋 画:ルネ=クレマン/太陽がいっぱい・マルセル=カミュ/黒いオルフェ・ウィリアム=ワイラー/ベンハー・スタンリー=クレイマー/渚にて・アルフレッド=ヒッチコック/サイコ。
■ 歌 :松尾和子和田浩とマヒナスターズ/誰よりも君を愛す・西田佐知子/アカシアの雨がやむ時・橋幸夫/潮来笠・守屋浩/ありがたや節・藤島恒夫/月の法善寺横丁。
■ 本 :黒岩重吾/背徳のメス・高木彬光/白昼の死角・謝国権/性生活の知恵・北杜夫/どくとるマンボウ航海記・松田道雄/わたしは赤ちゃん・アダムソン/野生のエルザ。
■ことば:声なき声・レジャー・インスタント・私はウソは申しません。
 
❖年表の元ネタ主な参考資料三省堂『コンサイス世界年表』三省堂編修所編。河出書房新社『昭和・平成 家庭史年表』下川耿央・家庭総合研究会編。小学館『昭和・平成 現代史年表』神田文人編など。

dendenmushi.gif(2014/12/06 でんでんむし蛇足の記)
 この当時は、青山の墓地下にシナリオ作家協会がシナリオ会館をもっていて、そこで研究生を募集して半年の講座を組んでいた。オリンピックのときだと思うが、墓地下から麻布霞町、広尾、青山高樹町、六本木の周辺が道路拡張工事で様変わりしてしまったので、その頃にはもうなくなったのだろう。シナリオ作家協会が後進の指導育成をやるというのも、言ってみれば自分たちの競争相手・商売敵を養成しようというようなものだから、随分余裕をかましているような話だ。が、協会の貴重な収入源でもあったし、そうそうカンタンにはプロになれるわけがない、そんなにヤツがいるわけはないということもわかっていたのだろう。
 とにかく、そこの入所試験を受けて合格通知をもらい、事務局を辞して喜び勇んで上京したものだ。
 今思うと、シナリオ作家になりたいというよりも、大学代わりの東京遊学のような気持ちのほうが強かったのかもしれない。
 麻布霞町のお茶屋さんに借りた四畳半から、週5日の講座に通った。科目があって、それぞれいろいろな先生(作家協会の会員が主)の講義はそれぞれおもしろかった。たまにはテレビドラマ作法の講義もあって、その講師は志賀信夫氏であったが、この当時からぼつぼつ映画人もテレビを無視できなくなっていることがわかる。
 けれども、当時のテレビはビデオ以前なので、場面転換のところではたいした意味もなくテーブルの上の花瓶と花を映し、そこでカメラが引くところへ前のセットから役者が移動して入る…といったことをやっていた。やっぱり、テレビにはあまり魅力を感じなかった。
 週一回は映画評論家の登川直樹氏が選んだフィルムをもってきて、それを上映しながら話をしてくれる。そこでは、当時すでに名画の仲間入りをしていた古い作品ばかりなのだが、ここではじめて観た映画ばかりでこれもいい経験だった。
 そのなかで印象に残る作品は、ジャン・ギャバンとエリッヒ・フォン・シュトロハイム、ピエール・フレネーが好演した、ジャン・ルノワールの「大いなる幻影」であった。脚本はルノワールとシャルル・スパークが共同で執筆した1937年公開のこの映画は、日本では翌年に輸入されたときには、検閲にかかって上映禁止となっている。反戦的な内容が当時戦争につき進む権力の気に入らなかったらしい。日本での公開は戦後の1949(昭和24)年になってからだった。
 そのほか研究所では、テレビ局や撮影所の見学などもあったり、シナリオ梗概のプレゼンなどが経験できたのもおもしろかった。
 研究所が休みの日は、東京に出てきた三四郎が、あちこち歩き回るようなもので、とにかく東京中を隅から隅まで(といっても、まあだいたい)、とくにこれという目的もないがふらふらするのである。
 そんなでんでんむしに声をかけてくれ、親しく東京を教えてくれる、奇特な人がいた。
 「キミねえ、あそこへ行ったかい」「これはみておかなきゃダメだよ」と田舎モンを指導するだけでなく、「キミ、明日の朝は4時上野集合だよ」とか言って、不忍池のハスが開くときの音を聞きに行こう、などといろいろ連れ回し世話を焼いて言うのである。早稲田の演劇博物館へ行くと言うと、「あそこにはね、浮世絵の版木が一式あるからね、見といたほうがいいよ」などという。
 思えばそのJさんは、会社に行っているわけでもないし、店をやっているのでもない、実に不思議な人で、まさに奇縁というべきであった。
 同期の研究生の中ではいちばんの年嵩で目立っていたそのおじさんは、いかにも江戸っ子気質の人で、家に呼ばれてご馳走してくれたりするようになったりした。どういうわけか、気に入られていたらしい。同期の研究生では、最年少であったからだろうか。
 理由のひとつとしてかんがえられるのは、でんでんむしが毎月歌舞伎座に通っていると知って、若いのに感心感心、ういヤツじゃと思ったのかも知れない。その世界にもやたら詳しく、いっしょに木挽町へ行ったときには大向こうからの掛け声も、堂にいっていた。
 奥さんが銀座でバーをやっていて、一度はそこにも画廊回りのあとで昼間ちょっとだけ寄ったことがあるが、まあ言ってみれば髪結いの亭主か高等遊民なのであろう。が、この変わったおじさんにこの頃連れて行ってもらった場所や教えてもらったコトやモノなどは、間違いなくでんでんむしの貴重な財産となった。
 修学旅行できたときにはなかった、東京タワーができたばかりで、お上りさん丸出しで、展望台に上った。世はまさに「三丁目の夕日」そのままだったのである。
 銀座通りを歩けば、浩宮誕生を祝うアドバルーンやまん幕、旗が風になびいていたが、このあとの夏前から、政治の季節となり、大デモが首都を覆い尽くすことになる。
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1959☆『思い出の索引』★でんでんむし@アーカイブス☆わたしたちが生きてきた時代とは… [年表]

われわれはどこから来て、どこへ行こうとしているのだろうか…? 

1959mark.jpg昭和34年 己亥(つちのとい)
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◯キューバでカストロの革命軍がバチスタ政権を打倒。カストロが首相に。
◯米、ダレス国務長官辞任。
◯ジュネーブで米英仏ソの四国外相会談。ベルリン、ドイツ問題など協議。
◯米、IRBMにサルを乗せたジュピターを発射。
◯ソ、犬うさぎを乗せたロケットを発射。
◯米、アラスカに次いでハワイが50番目の州になる。
◯ソ連の宇宙ロケットが月面に着弾。
◯フルシチョフがアメリカ訪問。国連総会で軍備全廃演説。キャンプ・デービッドでアイゼンハウワーと会談。
◯ソ連が宇宙ステーションを打ち上げ、月の裏側の写真を公開。

◯英・ギリシャ・トルコでキプロスの独立を認める協定調印。
◯チベットで反乱。中国地方軍がラサを全面攻撃。地方政府を解散。反乱軍本拠を占領。
◯ダライ・ラマの亡命をインドのネール首相が受け入れる。
◯シンガポールが独立(英連邦)。
◯南アフリカのダーバンで黒人の暴動。
◯ラオスでパテトラオが蜂起、内戦が再開。
◯中印国境で武力衝突。
◯アルジェリア臨時政府がド・ゴール仏大統領の和平提案を条件付受け入れ。
◯フルシチョフ訪中するも共同声明なし。中ソ対立を浮き彫りに。
◯ラオス王国軍が権力掌握。

◉浅沼訪中視察団長、北京で「米帝国主義は日中共同の敵」と発言。
◉自衛のための敵基地攻撃は合憲と、政府統一見解。
◉東京地裁、安保条約による米軍駐留は違憲と判断。(砂川事件伊達判決)
◉皇太子結婚で、4万8738人が特赦・減刑・執行猶予・復権。
◉安保改定阻止国民会議の結成。
◉安保阻止第八次統一行動のデモ隊2万人が国会を囲む。
◉三井鉱山が指名解雇強行で、三井三池争議。
◉日本原子力発電に英コールダーホール原子炉の設置許可。
◉最高裁が、駐留軍は日本の戦力ではないと砂川事件伊達判決を破棄。
◉日朝赤十字による朝鮮人の北朝鮮への帰還第1船が新潟港を出港。

・この年に亡くなった人にはこんな人も…。鳩山一郎。高浜虚子。永井荷風。金森徳次郎。芦田均。苫米地義三。3代目中村時蔵。五島慶太。阿部次郎。高島象山。北大路魯山人。セシル・B・デミル。フランク・ロイド・ライト。ジョン・フォスター・ダレス。ビリー・ホリデイ。

◎皇太子成婚式。テレビ中継の視聴者は1,500万人と推定。これを機にテレビ普及に拍車。
◎三重県警が山岸会(世界急進Z革命団)を手入れ。
◎田中聡子が200メートル背泳で世界新記録。
◎日産自動車がダットサン・ブルーバードを発売。(マイカー時代へ)
◎最高裁が松川事件の差し戻し判決。
◎台風15号中部地方に大被害。伊勢湾台風と命名。死者5041人、57万戸被災。
◎西尾末広ら安保問題の食い違いから離党。33人が社会クラブ結成。
◎水俣病問題、漁民1500人が新日本窒素水俣工場に乱入。
◎東京で個人タクシー173人に営業許可。
◎メートル法の実施。ただし、“坪”だけは昭和41年まで認められた。
◎国税庁が、東京銀座4丁目角を坪156万円と評価。
◎第3次南極観測隊が昭和基地で1年間生き延びたカラフト犬タローとジローを発見保護。
◎関西電力の黒部トンネルが貫通し、大町トンネルと直結。
◎オリンパスペン発売。
◎決定済みの東海道新幹線計画に新運輸省が駅を追加。岐阜羽島駅。政治駅として問題化するが、その後開業した駅前にはその政治家夫婦の銅像が建った。
◎全国の会社数が50万社を超える。

◎朝日新聞社「朝日ジャーナル」を創刊。
◎音の出る雑誌「朝日ソノラマ」創刊。ソノシート普及。
◎米マックスファクターが日本進出。ミス・ユニバース1位になった児島明子を専属モデルに。
◎読売新聞社が「日本の歴史」全12巻の刊行開始。これ以降歴史本ブーム。
◎講談社「週刊少年マガジン」、小学館「週刊少年サンデー」が同日創刊発売。
◎東京後楽園球場の読売対阪神の試合を天皇が観戦。長島が村山からサヨナラホームラン。
◎スキー3冠のトニー・ザイラーが来日。スキーブーム。
◎この年下期から翌年下期にかけて“岩戸景気”。

■流 行:ミッチーブーム。週刊誌ブーム。
■テレビ:スター千一夜・ローハイド・番頭はんと丁稚どん・兼高かおる世界の旅。
■邦 画:小林正樹/人間の条件・内田吐夢/浪速の恋の物語・斉藤武市/ギターを持った渡り鳥。
■洋 画:アンジェイ=ワイダ/灰とダイヤモンド・ルイ=マル/恋人たち・クロード=シャブロル/いとこ同志・ミケランジェロ=アントニオーニ/さすらい・シドニー=ルメット/十二人の怒れる男。
■ 歌 :ペギー=葉山/南国土佐を後にして・水原弘/黒い花びら・フランク永井・松尾和子/東京ナイトクラブ・
■ 本 :安本末子/にあんちゃん・三島由紀夫/不道徳教育講座・正宗白鳥/今年の秋。
■ことば:わたしの選んだ人・カミナリ族・タフガイ・岩戸景気・神風タクシー・白タク。

❖年表の元ネタ主な参考資料三省堂『コンサイス世界年表』三省堂編修所編。河出書房新社『昭和・平成 家庭史年表』下川耿央・家庭総合研究会編。小学館『昭和・平成 現代史年表』神田文人編など。

dendenmushi.gif(2014/12/04 でんでんむし蛇足の記)
 映画推薦委員のひとりYさんは、なかなかの理論派で、彼が当時熱心にイチオシ(これは今の言葉だが)していたのが、アンジェイ・ワイダであった。1956年の「地下水道」に続いて、この年には「灰とダイヤモンド」が話題を集めた。だが、正直に言って、評論家大絶賛のこの映画のいったいどこがそんなにすばらしいのか、よくわからないのだった。
 それよりも、素直に感動できたのがシドニー・ルメットの「十二人の怒れる男」で、レジナルド・ローズの脚本のみごとにうなってしまった。この頃すでに、映画はカラーで大画面に大勢が移行しつつあったが、白黒の小さな画面で、しかもほとんどが裁判所の法廷と陪審員室の狭い空間だけ、おまけに監督は舞台の人というこの映画こそ、もっとも映画らしいような気がした。
 改めて朝から映画館に座ったまま、3回もたて続けにみてしまった。(当時は、入替え制ではなかった。)
 日本映画にもいい作品はたくさんあって、この時代は東宝の黒沢明に松竹の木下恵介が張りあい、小津安二郎や溝口健二などの大御所も健在で、市川崑がいてそこへ成瀬巳喜男や今井正らの作品を痛烈批判した増村保造が飛び込んでくるなどなど…といった、まさに百花繚乱の時代であったともいえる。
 だが、個人的な好みで言えば、どちらかというと洋画のほうがおもしろいと思っていた。このしばらく後になるが、“自分なりの映画ベスト3”をムリにでもと考えてみたことがある。その結果は、
  「十二人の怒れる男」・「第三の男」・「七人の侍」
である。ずっと後になってこれに「2001年宇宙の旅」が加わって、ムリヤリベスト4になるが、これは現在に至るまで変わらない。数字がついた題名ばかりになったのは偶然で、なにも意図的ではないが、やはり感受性の鋭い若い頃に観た作品のほうが印象が強いということだろう。(「第三の男」の場合は、映画史的な意味から外せないと思ったことも、ここにあげる要素になっている。)
 委員ではなかったが製菓会社のSさんも親しくしてくれて、この人とその同僚と3人でこの夏には北アルプスへ登った。
 でんでんむしは、この頃のろのろと中国山地の山々をあちらこちら一人で歩き回っていた。そんな山歩き話から、自分たちの計画に熱心に誘ってくれたのだ。
 北アルプスとなると、一人でふらふらとも行けまい。これは二度とないチャンスかも知れないと、お誘いに応じて連れていってもらうことにしたのだが、実際に、名古屋から松本へ入り、大糸線の有明から燕岳・槍ケ岳・徳沢・上高地・八方尾根・唐松岳・祖母谷・欅平・黒部・富山…という、この山行きが最初で最後の貴重なアルプス登山体験になった。
 この最後の行程で東尋坊へ寄り、それが「岬めぐり」の原点になったことは、前にもどこかで書いた。
 レジナルド・ローズや橋本忍のような脚本は、とうてい自分には書けないだろうということは、当然わかっていた。だが、「キネマ旬報」だったか「映画評論」だったかの広告で、“シナリオ研究生募集”の文字をみたとき、自分の中でなにかがはじけてしまった…。
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1958☆『思い出の索引』★でんでんむし@アーカイブス☆わたしたちが生きてきた時代とは… [年表]

われわれはどこから来て、どこへ行こうとしているのだろうか…? 
 
1958mark.jpg昭和33年 戊戌(つちのえいぬ)
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◯米の第1号人工衛星打ち上げに成功。陸軍の3号機も打ち上げ。
◯仏、ド・ゴール内閣成立。国民議会は6か月の期限付き全権委任。
◯米の原子力潜水艦ノーチラス号が、北極の潜行横断に成功。
◯ソの共産党中央幹部会が、元首相のブルガーニンを除名。
◯フルシチョフがアイゼンハワーに対し「中国への攻撃はソ連への攻撃と見なす」と警告。
◯ソのパステルナークにノーベル文学賞。受賞は拒否される。
◯米、大陸間弾道弾の試射に成功。
◯仏で新憲法公布。第五共和制へ。ド・ゴール大統領に就任。

◯エジプトとシリアが合併して、アラブ連合共和国となる。イエメンも加わって連邦制に。
◯レバノンのトリポリで反米暴動が全国的な反乱に発展。
◯イラクで軍部のクーデター。ファイサル王朝が倒れカセム首相の共和国に。
◯米海兵隊がレバノンに上陸。英落下傘部隊がヨルダンに降下。
◯フルシチョフが中国を訪問し、毛沢東・周恩来と会談。
◯国連総会でアラブ10カ国共同提案のレバノン・ヨルダン解決案を全会一致で可決。
◯中国が金門島を大規模砲撃。米軍が台湾・沖縄に大兵力を結集。
◯レバノン・ヨルダンから米英軍が撤退。
◯蒋介石・ダレス共同声明で本土侵攻を否定。
◯朝鮮から中国人民義勇軍が撤退。
◯スーダン、セネガルなど、アフリカの仏植民地がそれぞれ仏共同体内共和国を宣言。

◉インドネシアと平和条約・賠償協定調印。
◉第4次となる日中貿易協定調印に、国府が抗議。
◉文部省が小中学校の「道徳」教育の実施要綱を通達。
◉米英ソ三国に核実験停止要求の口上書を伝達。
◉自民岸・社会鈴木の両党首が、不信任案上程による衆議院解散で一致。
◉長崎切手展で中国国旗汚辱事件。中国側が商談停止契約取消しを通告。
◉話合い解散の選挙結果、自民278・社会166。第二次岸内閣。
◉総評・日教組が勤評反対の統一行動。
◉安保改定交渉。警職法改正案。
◉岸首相がNBC放送で「憲法第九条は廃止の時」と語る。
◉警職法反対国民会議を結成。
◉衆議院本会議で会期延長を抜き打ち強行採決。社会党登院拒否。
◉両党首会談で、警職法は審議未了で妥協。
◉自民党反主流派の三閣僚(池田勇人・三木武夫・灘尾弘吉)が辞任。

・この年に亡くなった人にはこんな人も…。徳永直。横山大観。久保栄。山川均。戸田城聖。木村荘八。ジョルジュ・ルオー。ロナルド・コールマン。アンリ・ファルマン。モーリス・ド・ヴラマンク。タイロン・パワー。ヴォルフガング・パウリ。

◎紀阿海峡で和歌山=小松島航路に就航の「南海丸」が沈没、167人死亡。
◎富士重工が軽自動車スバル360を発表。
◎道路公団の世界初の海底国道トンネル、開通式。関門国道トンネルは着工から21年で開通。
◎神宮外苑の国立競技場が竣工。
◎台風22号で中伊豆・関東に被害。死者行方不明1,269人。狩野川が氾濫、公式に「狩野川台風」と命名。
◎一万円札発行。
◎東京タワーが完成。高さ333メートルはエッフェル塔を抜いて世界一。
◎アラビア石油がクウェートの海底油田開発で国王と協定に調印。
◎国鉄東海道線、東京=神戸間に特急「こだま」を運行。
◎熊本の阿蘇山が大爆発。観光客12人が死亡。
◎B・C級戦犯18人が巣鴨拘置所を仮出所し、巣鴨プリズンは閉鎖。
◎静岡。下田沖で全日空機DC3型機が墜落、死者33人。
◎第2次南極観測隊が悪天候で昭和基地に近寄れず。越冬を断念するが15頭のカラフト犬を連れ帰ることができず置き去りになる。
◎東京大空襲で焼失していた、東京・浅草の浅草寺本堂が再建落成。
◎日本新聞協会加盟のマスコミ各社は、皇太子妃の正式発表まで報道規制を敷いていたが、「週刊女性」が“正田美智子内定”を掲載し問題化。

◎テレビ受信契約数が100万台を突破する。
◎日本ビクターがステレオレコードを発売。
◎米軍向けだったレタス、セロリ、カリフラワーなどの洋野菜が、家庭にも浸透し始める。
◎渡辺製菓が「粉末ジュースの素」(無果汁)を発売。粉末ブームの先鞭。
◎日清食品が「チキンラーメン」を発売。インスタント食品の先駆け。
◎1本(?)270円のプラ製の輪をお腹や腰で回す「フラフープ」が爆発的人気に。しかし、体に悪い影響があるとの風評が立って、あっという間に下火になる。
◎ラジオ東京(TBS)のテレビドラマ「私は貝になりたい」(岡本英彦:演出、橋本忍:脚本、フランキー堺:主演)が話題になり、芸術祭賞も受賞。
◎紙芝居が減少し、貸本屋のマンガが人気に。
◎マルサン商店が初の国産プラモデルを発売。
◎東京日劇でウエスタン・カーニバル開催。ロカビリー・ブーム。
◎日本シリーズで読売に三連敗の西鉄が、稲尾の連投で四連勝で日本一。

■流 行:フラフープ・サックドレス。
■テレビ:バス通り裏・事件記者・光子の窓・月光仮面・私は貝になりたい。
■邦 画:木下恵介/楢山節考・市川崑/炎上・豊田四郎/駅前旅館・野村芳太郎/張込み・薮下泰次/白蛇伝(初の長編色彩動画)
■洋 画:ルイ=マル/死刑台のエレベーター・ピエトロ=ジェルミ/鉄道員・ジャック=タチ/ぼくの伯父さん・ジョン=スタージェス/老人と海・ウィリアム=ワイラー/大いなる西部・セシル=B=デミル/十戒・キャロル=リード/鍵。
■ 歌 :松山恵子/だから言ったじゃないの・若原一郎/おーい中村君・島倉千代子/からたち日記・平尾昌章/星はなんでも知っている・ダイアナ。
■ 本 :山本周五郎/樅の木は残った・松本清張/点と線・石川達三/人間の壁・高見順/昭和文学盛衰史・阪本藤良/経営学入門。
■ことば:いかす・しびれる・団地族・ながら族・神さま仏さま稲尾さま。
 
❖年表の元ネタ主な参考資料三省堂『コンサイス世界年表』三省堂編修所編。河出書房新社『昭和・平成 家庭史年表』下川耿央・家庭総合研究会編。小学館『昭和・平成 現代史年表』神田文人編など。

dendenmushi.gif(2014/12/02 でんでんむし蛇足の記)
 祖父の容体が悪化して、広島市民病院へ入院するとき、叔母が車をでんでんむしが卒業して正式に勤務を始めたばかりの事務局のある建物の前まで連れてきてくれたので、最後になんとか安心させることができた。叔父のお陰である。
 そして、でんでんむしの高校卒業と就職を見届けるまで待っていたかのように、3月の末というのにめずらしいほどの大雪が降って冷え込んだ朝、祖父はその生涯を終えた。原爆被爆者の救済措置は、やっとその年から制度が始まろうかという段階で、それは間にあわなかった。
 広島市の中心繁華街八丁堀は多くの映画館が集っていたところでもあったが、その一角に「文映」という広島ではちょっと有名な映画館があった。高校時代に超満員の立ち見で「エデンの東」を観たのもここだった。洋画の主だった作品を封切り上映するほか、合間では名画座のような役割をしていたが、初めての職場は、その映画館にくっついた別棟にあった。
 事務局では、会員に配布する機関紙兼映画の公開封切り予定表を編集する仕事もあった。原稿は、会員のなかの委員会が毎月推薦映画を選定して、その紹介やらなにやらの原稿を委員に書いてもらう。
 自分で原稿を書くことは少なかったが、印刷物にするまでの一切と、それを会員に配布するのも月に一度の仕事だった。また、推薦映画の割引券のデザインを考えてつくるとかもしたが、こういう場合はあらかじめ上映館に回ってくる、ちらしなど宣伝に使えるカットやロゴや写真などをもらってくる。
 でんでんむしが初めて世間の風にあたったとき、その仕事を通じて、さまざまな職場の映画好き・映画通の人々と知りあえたことは、滅多にない幸運だった。ひとつの会社で同僚や上司と知りあうという以上に、これは勉強になったと、後からは理屈がつく。
 やはりその頃が全盛期ではなかったと思われる、「キネマ旬報」や「映画評論」「スクリーン」などの映画雑誌を毎号見ながら、そういう人々が映画の話をするのを聴くのも楽しかった。
 そんな人の中には、市役所に勤めているTさんという人もいた。この人も中学の動員中に被爆していて、ケロイドを隠す包帯をいつも手に巻いていた。すっと後のことだが、テレビで原爆資料館の館長としてTさんの姿を見て懐かしかった。
 そればかりではなく、もちろん料金を払っても観たが、多くの場合映画がタダで観られるという仕事上の余禄もあったのが大きい。
 ここで働いたのは2年にしかならなかったが、その間に年間では200本ぐらいの映画は観ていた勘定になるだろうか。この頃には、“3本立て”というのもあったが、さすがにこれはくたびれた。
 名作も駄作も、映画はどんな映画でもそれなりに楽しみ方があって、おもしろい。 そう思えるこの頃がいちばんよかった。
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1957☆『思い出の索引』★でんでんむし@アーカイブス☆わたしたちが生きてきた時代とは… [年表]

われわれはどこから来て、どこへ行こうとしているのだろうか…? 
 
1957mark.jpg昭和32年 丁酉(ひのととり)
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◯英イーデン首相がスエズ戦争責任で辞任。後任はマクミラン。
◯仏・西独・伊・ベネルックス3国がEEC(欧州経済共同市場)条約。
◯西独が徴兵制による連邦軍を組織。
◯英、クリスマス島で第1回水爆実験。米ソも核爆発実験を強行。
◯ソ、共産党中央委員会でマレンコフ、モロトフらを反党グループとして追放。
◯ソ、大陸間弾道弾ICBMの実験成功と発表。
◯米、国防省がIRBMの実験成功と発表。
◯ユーゴ・ポーランドが、オーデルナイセ国境を承認する共同宣言。
◯アーカンソー州知事の命令により州兵100人が出動し、黒人9人の高校通学を阻む。リトルロック高校事件。
◯ソ連が人工衛星スプートニク1号の打ち上げに成功。年末には続いて犬を乗せた2号も。
◯フルシチョフが東西首脳会談を提唱。
◯共産党代表者会議で平和共存、軍拡競争停止、核実験即時停止など宣言。
◯米、人工衛星打ち上げに失敗。

◯国連総会でAA25か国提案のイスラエル撤退決議案を可決。
◯イスラエル、ガザ地区からの撤退を表明。
◯アルジェリア、民族解放戦線が全土で軍事行動。
◯マラヤ連邦が英から独立。
◯米スパイのシリア政府転覆の陰謀が発表され、両国関係悪化。
◯インドネシア、オランダ人所有全プランテーションの接収、ロイヤルダッチシェルの接収、オランダ領事館の活動停止を要求。
◯カイロで第1回アジア・アフリカ人民連帯会議開催。

◉群馬県相馬ヶ原射撃場で、薬莢拾いの農婦が米兵に射殺される事件が発生(ジラード事件)。
◉石橋湛山首相が病気のため、岸外相が臨時首相代理。翌日内閣総辞職、岸信介内閣が全閣僚留任で発足。
◉衆議院本会議で原水爆禁止を決議。
◉公労協争議が激化。佐賀県教組の人員整理反対休暇闘争で幹部12名逮捕。
◉核武装について「攻撃的兵器は違憲」との政府統一見解を発表。
◉岸首相は「自衛権の範囲内なら核兵器保持も可能」と参議院で答弁。
◉岸首相、蒋介石との会談で、「大陸反攻に同感」と言明。
◉日本原子力発電の設立。
◉岸首相訪米で日米新時代、安保委設置、米地上軍の撤退を共同声明。
◉日教組が勤務評定反対集会を全国で開催。愛媛県教組のピケに警官隊出動。
◉瀬長那覇市長が追放。
◉改造岸内閣、外相に藤山愛一郎。
◉この年下期から翌年下期にかけて「なべ底不況」続く。

・この年に亡くなった人にはこんな人も…。牧野富太郎。志賀潔。小林一三。重光葵。小林古径。羽仁もと子。川田晴久。川合玉堂。久生十蘭。徳富蘇峰。愛新覚羅慧生。マキノ光雄。大川周明。ヴィクトル・スタルヒン。ハンフリー・ボガート。アルトゥーロ・トスカニーニ。ジョン・フォン・ノイマン。ジャン・シベリウス。クリスチャン・ディオール。

◎山形県油戸炭坑(三菱鉱山)が閉山。大手石炭会社の炭鉱閉山第1号。
◎名古屋地下街が開業。東京の渋谷地下街、大阪でも初の難波地下センターが誕生。
◎住宅公団の千葉県柏市光ケ丘団地で“ニュータウン”の名称が初めて使われる。
◎トヨタ自動車が995CCの小型車「コロナ」を65万8500円で発売。
◎東京通信工業が世界最小のトランジスタラジオ「ポケッタブルラジオ」を発売。
◎東京通信工業の江崎玲於奈が、エサキダイオードを発明。
◎日本ヘリコプター輸送が全日本空輸と改称。
◎糸川英夫らが秋田県道川海岸で、国産ロケット1号機カッパー4C型の発射に成功。
◎南極観測隊がオングル島に上陸、昭和基地を設営。
◎日本石油化学川崎事業所にわが国初となる石油化学プラント。「コンビナート」の用語もここから始まる。

◎インフルエンザが大流行。学童だけで50万人、休校も相次ぐ。
◎東京・八重洲の大丸が主婦や若い女性のパートタイマーを募集。初めてこの言葉が使われる。
◎電気釜が急速に普及。
◎元満州国皇帝の姪、愛新覚羅慧生が学習院大学の同級生と天城山中で心中。
◎東京湾で夢の島のごみ埋立てが始まる。
◎東京・数寄屋橋ショッピングセンターが開店し、この工事で「君の名は」の数寄屋橋という橋はなくなる。
◎東京高円寺の商店街が、夏枯れ時の客寄せに“阿波踊り”を始める。

◎NHKと日本テレビがカラーテレビの実験局を開局。
◎そごう東京店(有楽町そごう)が開店。初日30万人以上の来店者。
◎チャタレー事件の最高裁判所大法廷判決で、訳者出版社等の被告人有罪が確定。
◎日本初の女性週刊誌「週刊女性」が河出書房で創刊、後に主婦と生活社から発行。
◎松本清張の「点と線」が雑誌「旅」に連載開始。これが後の推理小説ブームのきっかけとなる。
◎ダークダックスが結成され、初めての演奏会を開催。
◎熱海にモーテルの第1号。
◎美空ひばりが国際劇場で公演中に塩酸をかけられ負傷。
 
■流 行:ロックンロール。
■テレビ:私だけが知っている・ダイヤル110番・名犬ラッシー。
■邦 画:黒沢明/蜘蛛巣城・渡辺邦男/明治天皇と日露大戦争・川島雄三/幕末太陽伝・木下恵介/喜びも悲しみも幾歳月。
■洋 画:道・ビリー=ワイルダー/翼よあれがパリの灯だ・デビット=リーン/戦場にかける橋・ヴァイダ=ラースロー/汚れなき悪戯・ヴィンセント=ミネリ/炎の人ゴッホ。
■ 歌 :島倉千代子/東京だよおっ母さん・浜村美智子/バナナボート・三波春夫/チャンチキおけさ・フランク永井/有楽町で逢いましょう。
■ 本 :深沢七郎/楢山節考・宇野千代/おはん・三島由紀夫/美徳のよろめき・井上靖/氷壁。
■ことば:よろめき(よろめいちゃう)・グラマー・ストレス・デラックス・ナンともうしましょうか。

❖年表の元ネタ主な参考資料三省堂『コンサイス世界年表』三省堂編修所編。河出書房新社『昭和・平成 家庭史年表』下川耿央・家庭総合研究会編。小学館『昭和・平成 現代史年表』神田文人編など。

dendenmushi.gif(2014/11/30 でんでんむし蛇足の記)
 今頃のように家族でどこへでも行く、海外へでも平気で行く、そういう時代ではなかった昔は、修学旅行というのは、こどもの見聞と経験を広める、ほとんど唯一の機会であった。小学校では別府へ行き初めて海底トンネルを通って九州へ行った。中学の修学旅行で初めて尾道より遠く、京阪奈に行った。高校の修学旅行は、ちょっと変わっていて、定番だった日光をはずした代わりに、静岡の登呂遺跡と日本平、鎌倉と江ノ島、大船の松竹撮影所、横浜大桟橋そして東京へというコースだった。
 でんでんむしが、初めて箱根を越え、関東へやってきたわけだが、鎌倉を歩いて波枕の江ノ島の旅館でも、まさか自分がこの近辺に長いこと住むことになろうとは、夢にも思わなかった。
 それから3年後に、今度は一人で夜行寝台急行の「安芸」に乗って箱根を越えたときには、朝の通勤時間が始まる大船駅のホームに並ぶたくさんの人をみて、この一人一人が仕事を持っていて、それが待つ横浜や東京の会社や仕事場に通うのだと思ったとき、妙に感動したものだ。
 人が一生の仕事を見つけるのは、なかなかむずかしい。そのむずかしさを避けるために、「とにかく大きな有名な会社に入る」という選択が可能ならばそれがいちばんの理想とされてきた。あるいは、「公務員ならば安泰で先々は年金も有利だから食いッパぐれがない」というのも、親がよく言いそうなことだ。
 でんでんむしには、そういうことを言ってくれる親もいなかったが、有名な会社にはいるというのも、公務員になるというのも、「何を自分の一生の仕事にするか」という設問に対する答えとはなり得ないように思った。
 大学の4年間もあれば、そのうちにいろいろ見えてきたりするのだろうが…。
 高校も卒業が迫ってくると、就職クラスでは誰がどこに受かったというような話が出てき始める。自分も、なんか考えなければならないのだが、どうにも切迫感がない。ただ、ボーッとしていたというのが実情だった。というのも、具体的にどこそこに就職してどんな仕事をするか、ということが、まったくリアルに思い浮かべることができないのである。
 前任の図書委員長だった先輩は、地元の銀行だかに就職したとかいう話を聞かされても、自分が同じようにそういう広島の会社のどこかに入るという、入らなければならないというモチベーションがさっぱりなかった。
 ただ、漠然と自分のような中途半端な人間は、広島では生きていけないような気がしてはいたが、それを公言するのもはばかられる。とにかく、祖父を安心させることが当面必要なことだった。
 寝たきりになることも多くなっていた祖父は、隣に住まわせていた叔父を頼りにしていたようで、就職先の世話を頼まれていたらしい。その叔父が「映画が好きならちょうどその関係の仕事をしている戦友がいる」と紹介してくれたのは、当時全国各地で広がっていた映画の職域サークルの団体事務局であった。
 就職先としては極めて不安定で零細で、頼りになるようなところでもなければ、一生をゆだねるようなところでもないとは思っていた。だが、当時の自分にとってはこれ以上は望めないような気がして、おおいに気に入った。幸い、先方にも気に入ってもらったらしいので、事務局長以下わずか4人がきりもりするその事務局の仕事をすることになった。
 ちょうど人手が足りなかったところだというので、卒業の前から学校帰りには事務局に寄って雑用を手伝ったりしていた。
 会員は広島市内の官公庁・民間企業の大中小を問わず、映画好きが集まるグループで、事務局にはそれぞれの代表者が出入りする。当然、会員になれば映画料金が割引になるというメリットもあるので、当時はまだ娯楽の王様の地位を守っていた映画のファンは多かったのである。
 テレビの影響という歴史的マイナス要因は、この頃はまだ顕在化してはおらず、折から邦画も洋画も後にも先にもない黄金時代を迎えようとしていた。
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1956☆『思い出の索引』★でんでんむし@アーカイブス☆わたしたちが生きてきた時代とは… [年表]

われわれはどこから来て、どこへ行こうとしているのだろうか…? 
 
1956mark.jpg昭和31年 丙申(ひのえさる)
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◯東独がワルシャワ条約機構に加盟。
◯ソ連共産党大会で平和共存路線を採択。フルチショフ第1書記が秘密会でスターリン批判。
◯ロンドンで英ソ、モスクワで仏ソの首脳会談。
◯米、ビキニで水爆の投下実験。
◯ポーランドのボズナニで反政府暴動。
◯ポーランド統一労働者党ゴムルカ第1書記を選出。(10月革命〜)
◯ハンガリーのブダペストで学生労働者の反政府暴動。(ハンガリー事件)
◯ナジがハンガリー首相に就任。ソ連軍が鎮圧に出動。
◯ハンガリー、ワルシャワ条約脱退・中立を宣言。
◯再びソ連軍がハンガリー介入。ブダペストを砲撃。
◯ガダル首相の新政権誕生。ナジ元首相がポーランド大使館に亡命。
◯カストロ率いる革命軍がメキシコからキューバに上陸。
◯ハンガリー全土に戒厳令布告。国連総会でソ連非難決議。

◯仏、モロッコ、チュニジアの独立を承認。
◯パキスタン・イスラム共和国が発足。
◯朝鮮派兵16か国が休戦監視委員会の韓国撤退を決定。
◯英、スエズ運河基地から撤退を完了。
◯エジプト共和国、ナセルが初代大統領に就任。
◯ナセル大統領がスエズ運河会社の国有化宣言。
◯アルジェリア人民解放軍が攻勢。
◯イスラエル軍がエジプト侵攻。スエズ戦争開始。
◯英仏のスエズ進軍要求をエジプトが拒否。英仏軍がエジプト攻撃。
◯エジプト、英仏と断交。
◯国連緊急総会で、英仏イスラエルの即時撤退を要求。(AA諸国決議案採択)
◯英仏軍エジプトから撤退。

◉自民党大会で初代総裁に鳩山一郎を選出。
◉河野一郎農相が訪ソ、日ソ漁業交渉、調印。
◉小選挙区法案、教科書法案を提出。(大混乱を招き不成立)
◉小選挙区制反対の国民大会開催。自民党に有利な案で“ハトマンダー”と批判。
◉参議院内に警官隊出動で教育委員会法を可決。教育委員会は公選制から任命制へ。
◉第四回参議院議員選挙で、革新系が3分の1を超える。
◉重光外相モスクワで日ソ交渉再開。歯舞色丹の二島返還というソ連案に対し、政府は国後択捉を含む四島返還を求めて拒否。
◉日ソ交渉が領土問題で行き詰まり難航。領土問題は棚上げで収拾へ。首相が交渉全権団を率いてモスクワ入り。
◉日ソ国交回復共同宣言、通商航海について議定書交換、批准書調印。(平和条約は継続交渉とし条約締結時に歯舞色丹を返還)
◉砂川町第二次強制測量で衝突流血。測量中止。
◉文部省が教科書調査官をおく。
◉自民党大会で、石橋湛山が総裁に就任。
◉国連総会で、日本の加盟が全会一致で可決される。
◉鳩山内閣が総辞職、石橋内閣が誕生。
◉沖縄米民生府がプライス勧告で軍用地を無期限に拡大接収。反対運動高まり島ぐるみ闘争に発展。
◉沖縄・那覇市長に人民党の瀬長亀次郎が当選。

・この年に亡くなった人にはこんな人も…。石田一松。緒方竹虎。高村光太郎。梁瀬長太郎。宮城道雄。三木武吉。溝口健二。会津八一。ミスタンゲット。A・A・ミルン。マリー・ローランサン。ベルトルト・ブレヒト。アルフレッド・キンゼイ。

◎槙有恒隊長の日本登山隊がマナスル初登頂に成功。
◎中央気象台が気象庁として発足。日本道路公団も発足。
◎佐久間ダムの竣工。
◎「興安丸」がソ連からの最後の集団帰国者1025人を乗せ舞鶴港に入港。
◎第1次南極観測隊が観測船「宗谷」で東京港を出港。(翌年南極到着)
◎国鉄東海道本線の米原=京都間の電化。東海道本線全線電化が完了。
◎オリンピック、メルボルン大会。体操で4種目に優勝。
◎コルチナダンペッツオの冬期大会では、猪谷千春が男子回転で銀メダル(冬期大会初のメダル)。
◎新潟・弥彦神社の初詣で福モチまきに参拝客が殺到。124人圧死の大事故。
◎医薬分業の実施始まる。
◎売春防止法を公布。翌年の施行を前に特殊浴場に衣替えをはかる業者も。
◎熊本県水俣市の新日本窒素付属病院が、原因不明の中枢神経疾患多発を保険所に報告。(会社が初めて水俣病を確認)
◎住宅公団が千葉・稲毛、大阪・金岡などで初の入居者募集・入居を開始。(ステンレス流し、水洗トイレ、シリンダー錠つきの団地スタイル)
◎愛媛県教委が勤務評定の実施を決定。

◎新潮社「週刊新潮」創刊(新聞社ではなく出版社による初の週刊誌)。週刊誌ブーム。
◎中野好夫「文藝春秋」に、“もはや戦後ではない”と書き、戦後論が盛んになる。「経済白書」にもこの文言が使われ、流行語に。
◎吉本隆明・武井昭夫「文学者の戦争責任」刊。戦争責任論が盛んになる。
◎テレビに料理番組が登場。
◎「主婦の友」がB5判に。婦人雑誌の大型化進む。
◎映画館新設のブーム。全国で7,000館。東京では敗戦時の4倍にあたる452館。

■流 行:ホッピング・挽歌スタイル・カリプソスタイル。
■テレビ:チロリン村とくるみの木・お笑い三人組・東芝日曜劇場。
■邦 画:市川崑/ビルマの竪琴・小津安二郎/早春・溝口健二/赤線地帯・古川卓巳/太陽の季節。
■洋 画:ヴァレンタイン=デイヴィース/ベニイ=グッドマン物語・ルネ=クレマン/居酒屋・ウォルト=ディズニー/わんわん物語。
■ 歌 :三橋美智也/リンゴ村から・哀愁列車・鈴木三重子/愛ちゃんはお嫁に・曽根史郎/若いお巡りさん・ペギー=葉山/ケ=セラ=セラ・小坂一也/ハート=ブレイク=ホテル。
■ 本 :石原慎太郎/太陽の季節・五味川純平/人間の条件・三島由紀夫/金閣寺・原田康子/挽歌・谷崎潤一郎/鍵。
■ことば:一億総白痴化・もはや戦後ではない。
 
❖年表の元ネタ主な参考資料三省堂『コンサイス世界年表』三省堂編修所編。河出書房新社『昭和・平成 家庭史年表』下川耿央・家庭総合研究会編。小学館『昭和・平成 現代史年表』神田文人編など。

dendenmushi.gif(2014/11/28 でんでんむし蛇足の記)
 年表に出てくるようなことが、直接かかわってくるようなことは、ほとんどまったくなかった。だが、最後のシベリアからの帰国者を乗せた「興安丸」が舞鶴に帰って来るというニュースは、少ない親戚一同の大事件となった。別姓の従弟たちの父親が、それで帰ってくると知らせがあったのだ。
 1937年の項で、満州に渡ったきり帰ってこなかった“おばさん”がいたと書いていた。“おばさん”は満州で亡くなって、残されたこどもたちだけが艱難辛苦の末に命からがら奇跡的に帰国できた。その夫が、最も長く厳しい抑留生活を強いられたのは、終戦時の肩書きや立場もあったのだろう。
 従弟たちは舞鶴まで出迎えに行き、みんなも大喜びで広島駅に迎えることになったのは当然だが、叔父が「むりに行かなくてもいいぞ」というのだ。
 父親の遺骨すらも帰ることもなかったでんでんむしのことを、気遣ってくれたのであろう。
 出迎えに行くことはなんの抵抗もなかったが、これが契機となって、自分の父親はどうして亡くなったのだろう、と具体的に考え始めた。それから1943年の項で書いたように、高校の図書館で戦記物を読みふけったのである。
 帰国した叔父さんは、祖父のところにも挨拶に来たし、何度か会うことはあった。抑留生活のことを聞くのはなぜかためらわれたが、革のブーツを履いていたのが印象に残った。。
 高校へ自転車通学をしていた頃で、帰りに的場の交差点を自転車で渡ろうとするとき、親族の仕事を手伝い始めていた叔父さんがバタンコの助手席に乗って、偶然に通りかかって名前を呼んでくれ声をかけてくれた。互いに走りながら「やあ」「こんにちは」というのがやっとであったが、それがその叔父さんとの最後の接触になった。喜びの後に突然の普通でない死には、従弟たちへの悔やみの言葉も探せないでいた。
 まだまだ、戦後は終わっていなかった。
 高校では就職コースのクラスは呑気なもので、島倉千代子の「りんどう峠」や三橋美智也などの流行歌の歌詞を回して口ずさんだり、午後の授業を抜け出して映画を観に行ったりもしていた。どうしてそんな映画を観に行ったのかもよくわからないが、映画の中でたいした脈絡もなくクラブかダンスホールのような場面が出てきて、そこへデビューしたての島倉千代子が「この世の花」を歌を歌う。(この頃の邦画では、こうした劇中挿入歌がひとつのお約束のようになっていた。)
 彼女が同じ高校へ行っていれば上級生にいたくらいの、ほぼ同世代として、ははあこういう世界もあるのかという素朴な驚きもあった。
 切手を集めていたおかげで、年表項目にも直接は関係ないまでも、できごととして把握できていたことはたくさんあった。たとえば、この年でいえば、マナスル初登頂・佐久間ダムの竣工・第1次南極観測隊・東海道本線全線電化などのできごとは、だんだん多色刷りできれいになっていく切手の絵とともに親しみ深いものだった。
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1955☆『思い出の索引』★でんでんむし@アーカイブス☆わたしたちが生きてきた時代とは… [年表]

われわれはどこから来て、どこへ行こうとしているのだろうか…? 
 
1955mark.jpg昭和30年 乙未(きのとひつじ)
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◯ソ連が対独戦争状態の終結を宣言。マレンコフが辞任しブルガーニン元帥が首相に就任。
◯米国務省が、ヤルタ会談の秘密資料を公開。
◯英は水爆製造計画を、仏は原爆製造計画をそれぞれ公表。
◯米はネバダ州での原爆実験を開始。物理学者3名が実験反対を表明。
◯英、チャーチル首相が辞任し、イーデン内閣が誕生。
◯ソ、英仏との友好条約の破棄を表明。
◯西独がNATOに加盟。東独承認の国とは外交関係をもたないと表明。
◯西ヨーロッパ連合発足。
◯ラッセル・アインシュタイン宣言。原水爆戦争の危険を各国に警告。
◯米英仏が、東独の不承認をソ連に通告。
◯米モンゴメリー市で、人種差別バス撤廃ボイコット運動をキング牧師が指導。
◯ソ連が日本の国連加盟案に拒否権を発動。

◯仏が南ベトナム政府に全権委譲。仏軍がサイゴンから撤退。
◯中国軍が北朝鮮から撤退開始。
◯南ベトナムでクーデター、パオダイ首席の退位。
◯北ベトナム、ホー首席が北京・モスクワを訪問し援助を依頼協定。
◯中台海峡の金門島廈門地域で砲撃戦が始まる。
◯南ベトナムの国家主席選挙でゴ・ディン・ジェムがパオダイに大勝。
◯ゴ・ディン・ジェム大統領のベトナム共和国が成立。

◉日本共産党が左翼冒険主義を自己批判。
◉第二次鳩山内閣、民主党単独少数で成立。
◉第1回原水爆禁止世界大会広島大会開催。
◉石炭鉱業合理化臨時措置法を公布。
◉民主党が「うれうべき教科書問題」第1集を刊行。
◉米軍がオネストジョン(原子砲)の到着を発表。
◉国勢調査で、総人口は8927万5529人。平均世帯人数は4.97人で35年間ほとんど変わらず。
◉愛知用水公団の発足。
◉左右の社会党統一大会、鈴木茂三郎委員長、浅沼稲次郎書記長。
◉保守合同で自由民主党結成、代行委員鳩山、緒方、三木、大野。
◉第3次鳩山内閣。
◉原子力基本法、原子力委員会設置法を公布。
◉この年の下期から神武景気始まる。

・この年に亡くなった人にはこんな人も…。岡田茂吉。坂口安吾。下村湖人。宮武外骨。佐々木禎子。安井曾太郎。ポール・クローデル。チャーリー・パーカー。アルベルト・アインシュタイン。トーマス・マン。ジェームズ・ディーン。サイ・ヤング。モーリス・ユトリロ。

◎トヨタ自動車工業が「トヨペットクラウン」を発売。
◎国鉄宇高連絡船「紫雲丸」が沈没、168人死亡。
◎在日朝鮮人総連合会結成。
◎東京通信工業が、トランジスタラジオを発売。
◎丹頂(マンダム)が、女性化粧品を廃して男性整髪料専門に。
◎カルチャーセンター第1号の産経学園が、150の講座を開講。
◎東大生産技術研究所が国産ロケット1号機の発射実験に成功。
◎NHKテレビが初めて衆議院選挙の開票速報。
◎日本住宅公団が発足。初めて「DK」表示が使われるようになる。
◎三重県四日市、山口県徳山・岩国の旧海軍燃料廠を払い下げ。石油化学コンビナートの形成が始まる。
◎原爆症患者の死亡が相次ぐ。広島原爆資料館開館。

◎岡山県下で乳児の発熱、下痢、肝臓肥大が多数。原因は森永の粉ミルクにヒ素が混入していたため。森永ヒ素ミルク中毒事件。
◎厚生省が合成洗剤は有効で無害と全国に通達。
◎東京都が蚊と蝿をなくす運動を開始。
◎東京・新宿駅ホームに、学生アルバイトの“押し屋”登場。
◎プラモデルがブームになり、商品は100種を越える。
◎セルロイドのキューピーは製造禁止に。
◎新書ブーム。発行点数2733点で、全単行本の12.7%。
◎平凡社「世界大百科事典」32巻、岩波書店「広辞苑」(新村出)、大修館「大漢和辞典」13巻(諸橋轍次)がそれぞれ刊行。
 
■流 行:マンボスタイル・慎太郎刈り・ポニーテール・ボディビル。
■テレビ:私の秘密・日真名氏飛び出す・サザエさん。
■邦 画:成瀬巳喜男/浮雲・内田吐夢/血槍富士・豊田四郎/夫婦善哉・木下恵介/野菊の如き君なりき。
■洋 画:ルイス=フォーブス/これがシネラマだ・ジョージ=シートン/喝采・エリア=カザン/エデンの東・リチャード=ブルックス/暴力教室・ルネ=クレマン/鉄路の闘い。
■ 歌 :島倉千代子/りんどう峠・この世の花・三橋美智也/女船頭歌・春日八郎/別れの一本杉・菅原都々子/月がとっても青いから・宮城まり子/ガード下の靴みがき。
■ 本 :正木ひろし/裁判官・大岡信/現代詩試論・長谷川伸/日本捕虜志。
■ことば:ノイローゼ・モノセックス・太陽族・書きますわよ。
 
❖年表の元ネタ主な参考資料三省堂『コンサイス世界年表』三省堂編修所編。河出書房新社『昭和・平成 家庭史年表』下川耿央・家庭総合研究会編。小学館『昭和・平成 現代史年表』神田文人編など。

dendenmushi.gif(2014/11/26 でんでんむし蛇足の記)
 振り返ってみると、環境の格差、地域による格差は、極めて大きい。そんな当たり前のことを考えると、昔は今よりももっとその差が大きかった。それを少しでも縮めた最大の要因は、“情報”が全国ほぼあまり差なしに行き渡るようになったからだとも言えるのだろう。
 全国のできごとも、新聞やラジオを通じて得られる。この前年に起きた青函連絡船「洞爺丸」の沈没事故などは、新聞の一面に黒地に白抜きの大見出しが踊り、船底をさらした写真が大きく載って、衝撃的だったのはよく覚えている。しかし、そういう大事件や事故のニュースが伝えられても、どこか遠い国のできごとのような感じしかしなかった。(現に、長い間「洞爺丸」の沈没海域は、ぼんやりと青森側だと思い込んでいた。)
 一度も行ったことがない東京や中央で起きていることをイメージすることはできず、ほとんど意識にもなかった。なにしろ、この頃のいちばん遠くへ行った経験が小学校の修学旅行で行った別府で、東は同じ県内の尾道までだった。広島の郊外は、まだまだ田舎だけの狭い世界で、のんびりのほほんとした時間がゆっくり流れていた。
 1955年の大学進学率は、10.1%だったと、文部科学省の調査はいう。2013年でも50.8%だというから、これは全国平均であろう。実際は地域格差が想像以上に大きく、中央や都市部ではこれより高く、地方ではこれよりもっと低かっただろう。
 広島は師範学校もあったし、教育熱心ともいわれていた地域だったらしいが、郊外の田舎ではあたりを見回しても大学へ行ったという家はどこにもない。それでも義務教育を終えると、なんとなく高校には行くのが自然というくらいの雰囲気はあったので、なんとなく市内の公立高校の入試を受けて入った。が、それもかなりの低空飛行であったはずだ。
 この受験する高校を選ぶときにも、工業科か商業科が普通科かという選択肢はあったのだが、どう考えてみても自分の将来とは結びつかない。消去法で普通に普通科に入るしかなかった。
 けれども、高校ではもう大学進学競争は始まっていた。2年生になるときに、進学コースと就職コースでクラス分けがされる。とても大学まで行く資力も学力もないことははっきり認識していたので、迷わず就職コースを選んだが、その広島城の北にある高校ではその当時70%が進学コースだった。
 高校までの通学は、始めと終りではバスに乗っていた。この場合は、堀越のバス停から国道2号線を通り、広島駅を経由して終点の紙屋町まで行き、そこから原爆で赤く焼けた石垣が残る広島城跡の間を抜けて学校まで1.5キロほど歩く。広島はバス網の発達しているところで、待つほどもなく次々とやってくるくらいだったが、途中で自転車通学にした。国道2号線もその当時の交通量では、自転車で停留所に停まっているバスを追い越していくことも悠々できた。男子も女子も自転車通学は盛んで、中学では一緒だった工業学校や商業学校へ行く連中と、抜きつ抜かれつルールのない競争をしていた。
 どういうわけだか、なにがきっかけというのもよくわからないのだが、中学から文芸部と新聞部で編集のまねごとをはじめていた。高校でも新聞部ではあったが、予算がないため年に一二度くらいしか出せないので、それだけではつまらない。家にあったガリ版で見様見真似の勝手な新聞をつくって近所に配って歩いていた。相当変なこどもである。
 なぜガリ版などが家にあったかといえば、隣に住んでいた下の叔母が、筆耕の内職をしていたからだ。使わなくなった謄写版セットをもらって、自分で鉄筆を握って、ガリガリと原紙を切って、リンクをつけたローラーでひとなでするとプリントができる…。これは、すごく魅力的なことだった。
 もうひとつ魅力的なことは、竹ひごをロウソクの炎であぶって曲げ模型飛行機をつくって飛ばすこと。いろいろな飛行機をつくっては壊していた。小さな狭い世界で、空を飛ぶ夢は、よくみていたものだ。
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1954☆『思い出の索引』★でんでんむし@アーカイブス☆わたしたちが生きてきた時代とは… [年表]

われわれはどこから来て、どこへ行こうとしているのだろうか…? 
 
1954mark.jpg昭和29年 甲午(きのえうま)
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◯米、世界初の原子力潜水艦ノーチラス号が進水。
◯米、ビキニ環礁水域で水爆実験を実施。
◯ソ、モスクワで東欧8か国の経済会議を開催。
◯米最高裁が公立学校における人種差別を違憲とする判決。
◯米、オッペンハイマー博士を休職処分、原子力委員会が危険人物と認定。
◯仏、マンデス・フランス急新社会党内閣が誕生し、インドシナ即時休戦を公約。
◯ソ連で世界初となる原子力発電所が運転操業、送電開始。
◯インドシナ休戦協定(ジュネーブ協定)が成立するも、米は調印せず単独宣言。
◯米上院が、共産党非合法化案を可決。マッカーシー非難決議案も可決。
◯西独の再軍備、NATO加盟、主権回復を認めるロンドン協定に、西側9か国が調印。
◯国連総会が原子力平和利用決議を採択。

◯エジプト首相にナセルが就任。大統領を罷免して実感を握る。
◯アルジェリア、民族解放戦線が闘争宣言を発表。
◯ベトナム、ディエンビエンフーが陥落。
◯仏軍がトンキン=デルタ南部全域を放棄。
◯周恩来がホー・チ・ミンと会談。
◯南ベトナムにゴ・ディン・ジェム政権。
◯北ベトナム、ホー・チ・ミンが大統領就任、ハノイを首都と定める。

◉衆議院が造船汚職容疑の有田二郎議員の逮捕を許諾。
◉同じく逮捕許諾請求の出た自由党幹事長佐藤栄作について、犬養法相が検事総長に対し指揮権を発動し、逮捕を阻止。法相辞職。
◉ビキニ水爆実験で、第五福竜丸が被災。久保山愛吉が死亡。
◉日教組が教育二法案反対の一斉休暇闘争。
◉衆議院本会議で警官隊導入。
◉国家地方警察と自治体警察を都道府県警察に一元化。
◉防衛庁、自衛隊の発足。
◉鳩山・重光ら6者が会談、反吉田新党結成で一致。
◉財界首脳5者会談も、吉田引退保守合同で一致。
◉自由党の新党準備派と改進党、日本自由党が合同し、日本民主党結成。総裁鳩山一郎。
◉自由党議員総会で吉田総裁引退、後任に緒方竹虎。
◉吉田内閣総辞職。鳩山内閣成立。

・この年に亡くなった人にはこんな人も…。本多光太郎。相馬愛蔵。岸田國士。伊東忠太。来栖三郎。福井英一。初代中村吉右衛門。御木本幸吉。尾崎行雄。吉田茂。オーギュスト・リュミエール。ロバート・キャパ。アラン・チューリング。シドニー=ガブリエル・コレット。アンリ・マティス。ライオネル・バリモア。ヴィルヘルム・フルトヴェングラー。

◎皇居参賀38万の群衆が将棋倒しで混乱、17人が死亡。
◎青函連絡船「洞爺丸」が、台風15号の函館湾で転覆沈没。死者1155人。
◎私鉄総連が賃上げスト。
◎近江絹糸、人権争議でスト。日鋼室蘭争議でロックアウト。
◎国鉄、青函海底隧道(青森三厩=北海道吉岡)起工式。
◎帝都高速度交通営団(東京メトロ)、戦後初となる地下鉄(池袋=お茶の水)開通。
◎築地市場でマグロから強い放射能が検出され、400トン以上を廃棄処分。
◎日航、わが国初の国際線、東京(羽田)=サンフランシスコ線開設。
◎円未満の小額通過の廃止。
◎武田薬品が「アリナミン」を発売、ビタミンブームの引き金に。
◎大阪東区法円坂町で難波宮跡発掘発見。
◎広島、平和記念公園が完成開園。
◎国立東京第一病院に、人間ドックを開設。
◎プロパンガスが家庭に普及し始める。
◎ヒロポン中毒患者20万人、と厚生省が発表。
◎日光のいろは坂が開通。

◎ロンドンの世界卓球選手権大会で日本が男女とも団体優勝。男子シングルスでは荻村伊智朗が優勝。卓球ニッポン。
◎光文社「カッパブックス」の刊行開始。
◎蔵前国技館の国際プロレス、力道山・木村組対シャープ兄弟の試合をNHKと日テレが中継放送。
◎マリリン・モンローが来日。
◎洋画の日本語吹き替えの第1号、ディズニーの「ダンボ」封切。
◎東京・六本木に俳優座劇場が開場。
◎文藝春秋「漫画読本」を創刊。
◎「暮しの手帖」が、誌上商品テストを開始。
◎日本ビクターがEPレコードを開発。45回転録音機も登場。
◎NHKテレビで、竹越美代子・小池幸の美容体操を放送開始。

■流 行:Hライン・美容体操・プロレス・ヘップバーン=スタイル。
■テレビ:今晩はメイ子です・こんにゃく問答。
■邦 画:黒沢明/七人の侍・木下恵介/二十四の瞳・本多猪四郎/ゴジラ・河野寿一/里見八犬伝。
■洋 画:ウィリアム=ワイラー/ローマの休日・アンソニー=マン/グレン=ミラー物語・ウィリアム=フリードキン/恐怖の報酬・マルセル=カルネ/嘆きのテレーズ・ルネ=クレマン/しのび逢い。
■ 歌 :岡本敦郎/高原列車は行く・旗照男/愛の賛歌・春日八郎/お富さん・菊池章子/岸壁の母・原爆許すまじ。
■ 本 :伊藤整/文学入門・女性に関する12章・三島由紀夫/潮騒・中村武志/目白三平。
■ことば:死の灰・三種の神器。

❖年表の元ネタ主な参考資料三省堂『コンサイス世界年表』三省堂編修所編。河出書房新社『昭和・平成 家庭史年表』下川耿央・家庭総合研究会編。小学館『昭和・平成 現代史年表』神田文人編など。

dendenmushi.gif(2014/11/24 でんでんむし蛇足の記)
  家の回りに若干の畑が広がっていたが、祖父の“にわか百姓”も結構忙しかったようで、よく手伝いをさせられていた。“にわか百姓”のくせに(あるいは“だからこそ”なのか)ずいぶんいろいろな作物をつくっていた。麦や小麦や蔬菜の類は言うに及ばず、サツマイモ・ジャガイモ・コイモ(里芋)の芋類、大豆や小豆の豆類からカボチャやスイカ・ウリ、粟やサトウキビからゴマまでつくっていたが、いつも同時にそれら全部をつくるわけではない。祖父にはそれなりの思惑があったのだろうが、種まき・植えつけ、草取りから始まって収穫まで、作物が違えばそれぞれによっていろいろな作業がある。
 田んぼも少し奥まったところに一枚だけもっていたので、苗代づくりから脱穀まで、米づくりの一通りをそばでちょろちょろしながら経験したのは、今考えてみれば大きい。そのほかにも、タケノコの採れる竹やぶもあり、もっていたのか借りていたのかよくわからないが、柿の木が何本もある山もあった。
 最初は、広かった畑も、だんだんと切り売りしていったので、後にはでこぼこの変な形の畑しか残らなくなってしまうのだが、最初の頃手伝いさせられるのがどうもイヤだったのは、近所の家から下肥を集めてくる作業だった。汲み出すのは祖父がやるがそれを木の桶に入れて天秤棒の片方を担いだり、あるいは手押し車に載せて運ばなければならない。
 ときどきは遠くの肥料工場まで荷車を引いて、魚カスなどの金肥を買いにいくこともあった。そのうち、化学肥料も多少は使うようにはなるが、作物だけをつくっていたのでは自分のところで消費するだけで金にはならない。いくらか、市場に運んでいってわずかなお金をもらってきたこともあるが、相当量がまとまらなければ市場への出荷はあまりメリットもなかったのだろう。
 そこで祖父が始めたのは、キュウリやナスやネギなどの苗を育てて、種苗店に卸す仕事であった。これは硫安を溶いた水をきちんとやらなければ、いい苗には育たない。その水やりも大変な作業だったが、成育の早い作物を毎日見ていると、なにか不思議な元気が湧いてくるような気もした。
 はじめは、いやいややらされていた畑仕事の手伝いも、少したつと自分からの興味も湧いてくるようになる。
 高校生になる頃には、畑の一角に自分の花壇をつくって草花を咲かせたり、ある年などは目の前の小川から川砂を取ってきて、刺し芽からはじめて大輪の菊を咲かせたこともある。
 引退はしたが、祖父のもともとの本職は左官である。だが、祖父の場合は多少は大工もできる。そうした技能を活かすこともあった。前にあった借家も畑もだんだんと手放したが、現金収入のない家はやっていけないと考えてのことだろう。
 畑を潰してそこに借家を建てた。人の力も借りなければならないが、だいたいは自分で差配し自分でやる。どこからか売りに出た古家を買ってきて解体して運んでもらって、また組建て直すのだが、昔の木造家屋はだいたい壁は竹を割って網代に組んだ芯をつくり、土を練って塗り固める。だから、解体しても使えるのは柱などだけで、外壁や内塗壁などは全部新しくしなければならない。だが、それは専門なのだから問題ない。ほとんど一人で家一軒仕上げてしまう。
 これは壁土を祖父のそばまで少しずつ運ぶくらいしかほかに手伝うことはあまりないので、なかなかえらいもんだなあと、感心してみていた。ずっと後のいつだったか、上越国境に近い谷川温泉の有名な一軒宿に泊まったことがあった。そこでは近頃みない立派な塗り壁が、近代建築の中に芸術的にうまく使われていて、その壁をみて祖父を思い出してひそかにジーンとしてしまった。
 戦後はやがてすぐに広島の復興という時期が到来することは、誰の目にも明らかであったはずだから、仕事に復帰してまだまだ活躍もできたはずなのに、どうしてそれをしなかったのだろう。その疑問は、自分が大人になってから改めて抱いた。だが、少し長い目で見れば、土壁塗りの木造住宅という建築様式自体が、急速な変化のなかでしだいに衰退していくことになり、やがて戦前からのそういう建築も、だんだんとすべて新建材をぽんぽんと張り合わせる建て方に置き換わっていくので、将来性があるとはいえなかった。しかし、“総合建築業”に転換していく道もあったわけで、後年には自分がその頃中学生ではなく大人であったなら、祖父を扶けて仕事ができたかも知れないと夢想したこともある。
 中学では、演劇好きの先生が二人もいて、その先生に引っ張られる形で何度か文化祭などの舞台に立った。ブレヒト劇は広島市の旧広島市民球場があったところにあった児童文化会館で演じ、3年の秋にはそこで「夕鶴」の与ひょうをやることになって、猛練習をした。先生が「これなら、山本安英にみてもらえる」とか言うところまでやったのに、なぜかその舞台は突然中止になってしまった。
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1953☆『思い出の索引』★でんでんむし@アーカイブス☆わたしたちが生きてきた時代とは… [年表]

われわれはどこから来て、どこへ行こうとしているのだろうか…?

1953mark.jpg昭和28年 癸巳(みずのとみ)
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◯ユーゴ、チトーが大統領に就任。
◯米、大統領にアイゼンハウアー、国務長官にダレスが就任。
◯アイゼンハウアーが一般教書でヤルタ秘密条項の破棄を表明。(台湾の中立化を解除)
◯ソ、スターリンが死去し、後任首相にマレンコフ。
◯英、エリザベス2世の戴冠式。
◯米、原子力スパイ容疑のローゼンバーグ夫妻の死刑を執行。
◯ソ、マレンコフが水爆保有を発表。水爆実験に成功。
◯ソ、副首相兼内相のベリアを免職、党から除名。後に6名とともに銃殺刑と発表。
◯ソ、党第一書記にフルチショフが就任。
◯東独で、反ソ民衆がソ連軍と衝突。
◯米英仏の三巨頭がバミューダ会談。
◯英登山隊のヒラリーと案内人テンジンがエベレスト初登頂に成功。

◯国府が中ソの諸条約の無効を宣言。
◯韓国が日本海の竹島領有を宣言。
◯中、周恩来首相が朝鮮休戦会談の再開を提案。
◯国連軍と共産軍の傷病捕虜の交換。休戦会談再開。
◯韓国で休戦反対のデモが起こるも、休戦協定に調印。
◯米韓は安全保障条約を締結。
◯韓国、竹島への海軍駐在を声明。
◯印パ、カシミール問題などで首脳会談。
◯ベトナム、ホーチミン軍が大攻勢。
◯ベトナム、人民軍がタケックを占領し、インドシナ二分に成功。

◉米からフリゲート艦の貸与を受ける。MSA日米交渉。
◉李ラインに出漁した日本漁船が韓国警備艇にだ捕される事件が頻発。
◉吉田首相が衆議院予算委員会で野党議員に「バカヤロー!」。
◉衆議院吉田首相の懲罰動議を可決。
◉吉田首相、広川農相を罷免。
バカヤロー解散。
◉東京証券市場が大暴落。(スターリン暴落)
◉自由党22議員が分党派を結成。衆議院が内閣不信任案を可決。国会解散(バカヤロー解散)。総選挙。
◉第五次吉田内閣、少数与党で成立。
◉石川県内灘の無期限使用を閣議決定。用地接収反対運動で警官隊と衝突。米軍の試射開始。
◉スト規制法案に反対のストが波状的に繰り返される。
◉標準人口を8000人以上とする町村合併促進法公布。(このため、9895あった市町村が、昭和31年には3975に減少する。)
◉恩給法改正で、軍人恩給が復活。
◉日韓会談が、「日本の朝鮮統治は朝鮮に恩恵を与えた」との日本代表発言で決裂する。
◉保全経済会が休業。
◉奄美群島返還日米協定に調印。
◉太平洋戦争の激戦地だったサイパン、テニアンなど南方の8島へ初の遺骨収集団が出発。
◉中国からの引揚げ再開第一陣が、興安丸・高砂丸で舞鶴港に入港。

・この年に亡くなった人にはこんな人も…。秩父宮雍仁親王。斎藤茂吉。峠三吉。堀辰雄。阪東妻三郎。折口信夫。徳田球一。ヨシフ・スターリン。セルゲイ・プロコフィエフ。ラウル・デュフィ。モイズ・キスリング。エドウィン・ハッブル。ユージン・オニール。

◎ファッションモデルの伊藤絹子がミス・ユニバース3位に。
◎山田敬蔵がボストンマラソンで優勝。
◎中央気象台、台風の呼称を外国人女性名から発生番号順に変更。
◎鉄道弘済会が東京駅八重洲口にコインロッカーを開設。
◎武田薬品が虫下し薬サントニンの合成に成功。
◎アメリカの知能テストが導入され、全国に普及。
◎森永製菓が銀座に球型のネオン塔を設置。
◎東京・青山にわが国初のスーパーマーケット紀ノ国屋が開店。
◎郡是(グンゼ)が、シームレスストッキングの製造を開始。
◎大阪・梅田に初の高層建築、第一生命ビル地上12階地下3階。屋上のビヤガーデンも第一号。
◎東京有楽座でシネマスコープ第一作の「聖衣」封切り。
◎理研光学(リコー)が大衆向け「リコーフレックス」を発売。
◎イギリスと係争中のイランに出光興産がタンカー「日章丸」を派遣して大量の石油を購入。
◎三洋電機が初の噴流式電気洗濯機を2万8,500円で発売。

◎手塚治虫の「リボンの騎士」が講談社「少女クラブ」で連載開始。
◎NHKが東京地区でテレビの本放送を開始。

◎NHK第3回紅白歌合戦を日劇から中継放送。大相撲のテレビ中継も始まる。
◎民間のテレビ局、日本テレビも開局。
◎しかしテレビの普及率は0.02%。大卒初任給が8,000円で、テレビは20万円もしたので、↓庶民はもっぱら…。

■流 行:街頭テレビ・真知子巻き。
■テレビ:ジェスチャー・山びこ学校・紅白歌合戦。
■邦 画:今井正/ひめゆりの塔・島耕二/十代の性典・大庭秀雄/君の名は。
■洋 画:ジョージ=スティーヴンス/シェーン・ヴィットリオ=デ=シーカ/終着駅・ルネ=クレマン/禁じられた遊び。
■ 歌 :織井茂子/君の名は・高英男/雪の降るまちを・街のサンドイッチマン/鶴田浩二。
■ 本 :山岡荘八/徳川家康・伊藤整/火の鳥・菊田一夫/君の名は・サン=テグジュベリ/星の王子さま・ボーボワール/第二の性。
■ことば:八頭身・さいざんす・むちゃくちゃでござりまする。

❖年表の元ネタ主な参考資料三省堂『コンサイス世界年表』三省堂編修所編。河出書房新社『昭和・平成 家庭史年表』下川耿央・家庭総合研究会編。小学館『昭和・平成 現代史年表』神田文人編など。

dendenmushi.gif(2014/11/22 でんでんむし蛇足の記)
 祖父の若い頃は遊びも派手な職人の世界で、それなりの贅沢もした、できたのであろうが、戦後はなにひとつ贅沢もできず、またしなかった。酒や煙草の嗜好品は手放すことはなかったが、それも晩酌を楽しみ、仕事の合間には刻み煙草(「みのり」か「ききょう」)を、手製のキセルに詰めてぷかぷかする程度のことであった。
 ある時期は、趣味と実益を兼ねてか、夜釣りによく行っていた。道具も今のような立派な竿やテグスがあったわけではないが、それでもよくチヌを釣ってきていた。鉛の棒が道具箱の隅にあったのは、それを溶かして自分で好みの錘をつくっていたからだろう。ついて行ったこともあるが、寒くて閉口しまたそういうときに限って釣れないので、猿猴川の砂洲でエサにする小さなカニを捕るのを手伝うくらいにしておいた。
 チヌは、一般にクロダイと称されるが、なにか昔食べたチヌとは違うような気がするのも、記憶の微妙なところなのだろう。新橋から虎ノ門へ行く間に、ちょっと有名な広島郷土料理の店がある。そこで、チヌそうめん(タイだったかな?)というのがメニューにあった。祖父がチヌを釣ってきたときはこれもよく食べた。懐かしかったので、それを注文してみたのだが、やっぱり微妙に記憶とは違う感じがしたものだ。
 戦前は宴席でいい酒も飲んでいただろうが、戦後はもっぱら山ひとつ向うにあった当時“朝鮮部落”と呼んでいた谷間の集落まで、一升瓶を抱えて密造の焼酎を買いに行くのがでんでんむしの役目で、そこには学校の同級生もいた。
 賭事もやらずいたって真面目一本の性格だが、多少の目端も利いたらしく、蓄えた金で広島の郊外に田地田畑を買い、借家までもっていたようで、これが戦後の生活の支えになっていた。だが、戦後の投資では大失敗をしている。それが、死ぬまで祖父が百姓になってひきこもってしまうことになる要因でもあったのではないか、と後からは思える。
 この年の年表に「保全経済会」の文字があるのをみて、思い出すことがある。戦後はこれに代表される金融事件が続発しているのだが、祖父もかなりの大金を金融会社に預けたらしいが、結局それは返ってこなかった。もちろんそんなことをこどもに話すことはなかったが、後から出てきた紙切れや叔母の話によると、そういうことがあった。
 一度だけ、ついてくるように言われて、中折れ帽にインバネスに桐の下駄という姿の祖父にくっついて広島の兜町である銀山町まで行ったことがある。後から思えば、あれは取り立て交渉に行ったものだろう。
 帰りに広島駅前のバラックの飲食店街の「びっくり食堂」で、びっくりするほど大きな湯豆腐を手酌を重ねる祖父のそばで食べた記憶が、妙に鮮やかなのだ。
 その記憶とともに、でんでんむしがその後だんだん強く感じるようになったことは金融とか投資などというもの、さらにいえばお金がお金を産むというしくみのすべてに対する、ある種のいかがわしさとそこはかとない嫌悪感のようなものであった。 
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