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1966☆『思い出の索引』★でんでんむし@アーカイブス☆わたしたちが生きてきた時代とは… [年表]

われわれはどこから来て、どこへ行こうとしているのだろうか…? 

1966mark.jpg昭和41年 丙午(ひのえうま)
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◯ソ連の無人月探査機ルナ9号が月面軟着陸。
◯ソ連の金星3号が106日飛行して金星に到達。
◯米のジェミニ8号が標的とドッキングに成功。
◯米のサーベイヤー1号も月への軟着陸に成功。
◯国連のウ・タント事務総長が、北爆の停止と解放戦線の和平交渉参加を提唱。
◯米の各地で、ベトナム反戦デモなど運動広がる。
◯米の中間選挙で共和党が伸びる。上院で初の黒人議員が当選。
◯スペインのフランコ総統が新国家基本法で独裁緩和を提唱。
◯アルゼンチン軍部が無血クーデター。
◯『プラウダ』が初めて毛沢東を反レーニン主義と批判。
◯ローデシア問題。

◯印パ両国軍の撤退。
◯シリアでクーデター。
◯ガーナでエンクルマ大統領の北京訪問中にクーデター。
◯南ベトナム、サイゴン、ユエやダナンで反政府・反米デモ激化。
◯北京で紅衛兵百万人文化大革命祝賀集会。紅衛兵の活動が全土に拡大。
◯「人民日報」、「紅旗」が紅衛兵を支持。
◯南ベトナム、民族解放戦線が初めてサイゴン攻撃。
◯米軍機がハノイの住宅街を爆撃。
◯紅衛兵の北京上京を制限し始める。
◯北京の壁新聞、劉少奇・鄧小平の自己批判を掲出報道。
◯インドネシア、スカルノがスハルトに全権委譲。

◉沖縄立法院で初の行政主席の間接選挙。(野党各派退場)
◉佐藤首相が沖縄防衛に日本も参加と言明。
◉公労協・交通共闘統一スト。戦後最大の交通スト。
◉米原潜が横須賀に初入港。
◉閣議で東京国際空港の建設地を千葉県成田市三里塚に決定。
◉政府が建国記念日審議会を設置。
◉自民党代議士田中彰治が恐喝・詐欺容疑で逮捕。
◉荒船運輸大臣の国鉄ダイヤ改正介入問題、上山防衛庁長官の自衛隊機による選挙区入り、国有農地払い下げ問題、バナナ汚職事件など一連の汚職・政治腐敗が問題化。政界の“黒い霧”。
◉学者・文化人など884人が2月11日を建国記念日とすることに反対声明。
◉総評54単産がベトナム反戦統一スト決行。

・この年に亡くなった人にはこんな人も…。川田順。川端龍子。山中峯太郎。小宮豊隆。小泉信三。安倍能成。鈴木大拙。高畠華宵。大下宇陀児。荒木貞夫。亀井勝一郎。アルベルト・ジャコメッティ。バスター・キートン。モンゴメリー・クリフト。マーガレット・サンガー。ウォルト・ディズニー。

◎全日空B727機が羽田空港着陸前に東京湾に墜落。133人死亡。
◎カナダ航空DC8型機が濃霧で羽田空港防潮堤に激突。64人死亡。
◎BOACのB707型機が富士山付近で空中分解、墜落炎上。124人死亡。
◎全日空YS-11型機が松山空港で墜落。50人死亡。
◎千葉大付属病院医局員がチフス菌・赤痢菌の人体実験の容疑で逮捕。
◎日産自動車がプリンス自動車工業を合併。
◎東京銀座にソニー・ビル落成。
◎「玉川上水を守る会」誕生。このあと全国あちこちに誕生する“守る会”の第1号で、命名は金子光晴。
◎広島市議会が原爆ドームの永久保存を決議。
◎台風29号が関東・中部地方を直撃。山梨県足和田村で山津波発生。死者・行方不明者314人。

◎ビートルズが来日、武道館で公演。
◎社用族が利用するバーやクラブが林立、ホステス35万人。
◎この年、日本人の出国者が34万人を超え、初めて外国人入国者を上回る。その半数は沖縄・アメリカ行き。
◎ニチボウ貝塚女子バレーボールチームが258連勝でストップ。
◎ヒノエウマで出産数が136万人と今世紀最低に。前年比25%の減少。
◎交通事故死者数が1万3,904人で過去最高。
◎「巨人の星」が少年マガジンで連載開始。
◎サンデー・マガジンの少年マンガ雑誌がともに100万部突破。
◎「カラーテレビ、クーラー、カー」の3Cが新三種の神器に。
◎ソニーの盛田昭夫が「学歴無用論」(文藝春秋社)を出版し、学歴論争が盛んに。
◎恋愛結婚が見合い結婚を上回る。

■流 行:エレキ=ブーム・ビートルズ=ブーム・怪獣ブーム。
■テレビ:おはなはん・サンダーバード・笑点・ウルトラマン・銭形平次。
■邦 画:山本薩夫/白い巨塔・ゴジラエビラモスラ南海の大決闘・サイボーグ009。
■洋 画:オーソン・ウェルズ/市民ケーン・クロード・ルルーシュ/男と女・デヴィッド・リーン/ドクトル・ジバゴ・アルフレッド=ヒッチコック/引き裂かれたカーテン・ルネ=クレマン/パリは燃えているか・ジョン・ヒューストン/天地創造。
■ 歌 :加山雄三/君といつまでも・マイク真木/バラが咲いた・千昌夫/星影のワルツ・山本リンダ/こまっちゃうナ・布施明/霧の摩周湖・西郷輝彦/星のフラメンコ・美空ひばり/悲しい酒・ザ=ワイルドワンズ/想い出の渚・ザ=スパイダース/夕陽が泣いている・美川憲一/柳ヶ瀬ブルース・ザ=ブロード=サイド=フォー/若者たち・青江三奈/恍惚のブルース。
■ 本 :遠藤周作/沈黙・高橋和巳/邪宗門・阿川弘之/山本五十六・小泉信三/海軍主計大尉小泉信吉・毛沢東/毛沢東語録。
■ことば:交通戦争・黒い霧・びっくりしたなーもう・だよーん・けろよーん。

❖年表の元ネタ主な参考資料三省堂『コンサイス世界年表』三省堂編修所編。河出書房新社『昭和・平成 家庭史年表』下川耿央・家庭総合研究会編。小学館『昭和・平成 現代史年表』神田文人編など。

dendenmushi.gif(2014/12/24 でんでんむし蛇足の記)
 遠い星空のかなたでは、最初は大きく水をあけられていた米がソに追いつき、宇宙開発競争が激化していたこの年、地球の空ではなにかのタタリではないかと思うほど、大きな飛行機事故が多発していた。
 この年には、ビートルズの来日という騒ぎがあった。いわゆるポップス系とかポピュラーなクラシックくらいしか聴いていなかったので、実はこの頃のビートルズというのは興味からも意識からも遠い存在で、その音楽を楽しめるようになるのはもっとだいぶ後になってからだった。
 出版界では、あの分厚いマンガ週刊誌が完全に定着し、電車の中で大人がそれをめくっているという光景にもだんだん慣れていた。(この頃はまだ気になっていて、ほんとに慣れるのはもう少し後になってからかな?)
 前年から配本が始まっていた中央公論社の「日本の歴史」全26巻は、第1回配本の井上光貞「神話から歴史へ」から好調な売れ行きで、歴史本ブームとともに全集ものの出版企画が相次ぐ活況を呈していた。
 定価は450円也、判型が四六の小ぶりで上製箱入り、かつてブームを起こしたという「円本」を思わせるつくりもプラスしたのだろう。
 裏山に登れば横穴古墳があちこちにあるというような環境に住んで、ちょうど歴史にもより具体的な興味を持ち始めた頃だったので、毎回配本ごとに楽しみに読んでいた。
 まともな歴史家や普通の一般人からは完全に無視されていたが、やはりこの頃、読み物として非常におもしろいと思ったのは、デニケンの「未来の記憶」など一連のもので、後にはいわゆる“トンデモ本”として括られる類いのものだった。
 これもちょっと日本人にはマネのできない、酒席の話題向きのホラにしてもスケールの非常に大きな壮大な話で、完全にSFに通じるところがある。たとえば、SFの古典的名作になりつつあるホーガンの「星を継ぐもの」の連作やアーサー・クラークの「幼年期の終わり」など、後に「2001年宇宙の旅」の骨格となる作品は、人類の想像と英知をはるかに凌駕する巨大な存在がこの大宇宙にはあるのではないか、という胸躍る想像がどんどん広がっていくので、興奮させられた。
 この流れが、後にSFXなどの新たな表現手法を手に入れた映画界では、SF映画が完全に認知され隆盛を誇るようになり、出版界でもいわばデニケンの亜流ともいえるグラハム・ハンコックのベストセラーを産み出すことになる。
 日本ではこの年に初公開されたことになっている映画「市民ケーン」は、実はテレビでは5年前の1961年に放送(NHK?)されたことがある。このときは、家にテレビもなく、広島八丁堀の喫茶店「白十字」のテレビで、店員さんに頼んで最後まで観た記憶がある。映画史上もモデル問題でもいろいろ話題を提供したこの映画は、オーソン・ウエルズのラジオ番組(火星人襲来のラジオドラマ放送を、ホンモノの実況だと思った人々がパニックになった)で、その非凡さを認めたプロデューサーが後押ししてできたと逸話は語る。
 実をいうと、仕事や勉強以外で個人読者としての興味で読む本はそんなものばかりで、高尚な本はさっぱり縁がなく、文学作品さえも読んでいなかった。早い話、今だに直木賞は読むが芥川賞は読めない(笑)。
 こういうことを書くと非常に不遜に思われるだろうが、純文学というのがどうにも性に合わない。読んでいないわけではなくて、中学高校時代には図書館にあった何種類かの日本文学全集などでいちおう読んだつもりである。もちろん、こどもが読んでわかるようなものでないが、それから社会人になっても、文学作品に親しむという習慣が定着しなかったのは、とにかくどうもしっくりこなかったから、としか言いようがない。
 1954年の年表で「◎光文社「カッパブックス」の刊行開始。」という項目を挙げていたが、でんでんむしのこれも個人的な感覚では、書店の店頭でみる本の構成は、これ以降徐々に変わってきたように思う。一般の人が気軽に読めるような本が、少しずつながら増えていくのは、1955年の「◎新書ブーム。発行点数2733点で、全単行本の12.7%。」からと言えるような気がするのだ。
 同じ出版社という看板を掲げている会社で、専門的とはいえいちおう編集という仕事をしながらも、書店店頭や東京中心の出版事情には直接関わりはなかった。直販で大阪という二重のハンデを負っている身では、それらも遠い世界のことで、もっぱら読者としての関わりしかなかった。だから、業界の外野にいたこの頃は、書店を見て歩くのは楽しかった。
 毎日通勤で、近鉄大阪線の法善寺から高安を経て鶴橋・上六へ出る途中、布施から東に行ったところに、八戸ノ里という駅があった。新聞記者時代の司馬遼太郎も、この駅で乗り降りしていたのだろうか。この頃は、それもまだまったく知らずにいた。
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タグ:年表
きた!みた!印(32)  コメント(2)  トラックバック(0) 
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きた!みた!印 32

コメント 2

なぁ

やっと生まれ年になりました♪
以前も何かの記事で「自分の生まれ年はやたら航空機事故が多かった」
って記憶があったんですが、国内で大きいのが4件もあったんですね・・・
いまなら大騒ぎですね(当時も大騒ぎだったとは思いますけど)。
by なぁ (2014-12-25 23:45) 

dendenmushi

@ なぁ さんはこの年にお生まれですか。このときに「なぁ」じゃなくて、「おぎゃぁ」とこの世にでてきた…。
このときには赤ん坊と大人の差は、すごく大きかったはずなのに、今ではこちらが追いつき追い越されてますよね。
それもおもしろいなぁと思います。
大騒ぎでしたね、一時的には飛行機に乗ろうという人も減ったかどうかはわかりませんが…。
by dendenmushi (2014-12-26 15:48) 

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