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1975☆『思い出の索引』★でんでんむし@アーカイブス☆わたしたちが生きてきた時代とは… [年表]

われわれはどこから来て、どこへ行こうとしているのだろうか…? 

1975mark.jpg昭和50年 乙卯(きのとう)
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◯ギリシャ・トルコ両国首相がキプロス平和解決で合意。
◯英、EC残留か否かを問う初の国民投票実施。結果残留。
◯ヘルシンキで全ヨーロッパ安保首脳会議。共存体制確認。
◯パリ郊外ランブイエで先進六か国首脳会議。
◯ポルトガル、軍部右派のクーデターが失敗。政権議会選挙が行なわれるも、政変が続く。
◯ペルーで無血クーデター。ベラスコ大統領を解任。
◯スペイン反政府テロリスト5人を処刑。マドリッドで抗議デモ。フランコ支持の集会も。
◯EC9か国外相がスペインとの経済交渉の中止を表明。
◯スペイン、フランコ総統が死去。カルロス王子が国王に即位。
◯カルロス国王への抗議スト。アリアス内閣が自由化を掲げて発足。

◯南ベトナム中部高原で解放戦線が集中攻撃。
◯南ベトナム、ブレーク、コンツム二省を放棄。
◯クアンチン省陥落、ユエに続いてダナンも陥落。
◯エチオピア、帝政の廃止。
◯サウジアラビア、ファイサル国王が暗殺され、ハリド新国王。
◯南ベトナム、解放戦線の攻勢が続き、ニャチャンが陥落。内閣総辞職、大統領が辞任。後任のフォン大統領がズオン・バン・ミン将軍に全権委譲。
◯南ベトナム、サイゴン政権が無条件降伏。革命政府樹立。
◯カンボジア、ロンノル大統領が亡命。プノンペン陥落。政府軍降伏。
◯国府、蒋介石総統が死去。
◯ラオス、プーマ首相が内戦終結を宣言。
◯韓国朴大統領が緊急措置令を発動し、反政府活動を厳禁。
◯エジプト、8年ぶりにスエズ運河を再開。
◯フィリピン、タイが中国との国交を回復。
◯バングラデシュで、軍部がクーデター。ラーマン大統領を殺害。(再クーデター)
◯カンボジア、シアヌーク元首が5年半ぶりに帰国。
◯アンゴラ、独立を宣言するも内戦が激化。
◯ラオス、王制を廃し、人民民主共和国に。
◯東チモールの親インドネシア派が首都ディリを占拠。

◉マラッカ海峡でタンカー祥和丸が座礁。大量の原油が流出。
◉ソニーが8000人の一時帰休。日立製作所が4000人の賃金カット。
◉私立大学連盟調査で、大卒採用予定者の取り消し・自宅待機が53社と発表。
◉公示価格が対前年で戦後初の低下。
◉経済企画庁が昨年の実質GPNは前年比で1.8%低下と発表。
◉統一地方選挙。首長では、美濃部三選・黒田再選、神奈川長洲。自民単独の退潮と革新分裂。自・民連合の圧勝。
◉英女王夫妻が来日。
◉興人が倒産。負債1500億円。
◉日本赤軍がクアラルンプールの米・スエーデン大使館を占拠。
◉天皇皇后両陛下、アメリカを訪問。帰国後、初の公式記者会見。
◉ランブイエの主要先進国会議に三木首相が出席。
◉公労協スト権スト、192時間の新記録。
◉大阪空港公害訴訟で、大阪高裁が住民勝訴の判決。
◉財政特例法案が成立。2兆3000億円の赤字国債発行。
◉金大中事件で中断していた日韓定期閣僚会議が、1年9か月ぶりに開かれる。

・この年に亡くなった人にはこんな人も…。荻野久作。香山滋。南部僑一郎。石坂泰三。戒能通孝。中川善之助。古畑種基。渡辺一夫。梶山季之。佐藤栄作。林武。金子光晴。きだみのる。加東大介。堂本印象。棟方志功。林房雄。角川源義。鹿島守之助。正木ひろし。井上成美。深代惇郎。辻木谷實。蒋介石。ジョゼフィン・ベーカー。ドミトリ・ショスタコーヴィチ。アーノルド・J・トインビー。ハンナ・アレント。

◎山陽新幹線、岡山=博多間が開通。東京=博多が6時間56分。
◎自動車の50年度排ガス規制が発効。
◎沖縄海洋博覧会、開催。
◎台湾との空路再開で合意。
◎不況が深刻化。完全失業者は100万人を突破。49年度の倒産件数は1万1600件で戦後最高。
◎カシオ計算機4500円の電卓を発売。
◎ソニー・ベータとビクター・VHSがそれぞれ別規格の家庭用YTR機を発売。
◎昭和49年の1億円以上の高額所得者は1320人で、前年比の8割減。
◎国鉄室蘭線のSL列車が廃止になり、鉄道開通以来103年の歴史に幕。
◎歌舞伎俳優で人間国宝の坂東三津五郎、フグ中毒死。
◎広島カープ、球団創設以来26年目でセ・リーグ初優勝!。読売ジャイアンツは初の最下位。

◎エポック社が「テレビテニス」。テレビゲームの第1号。
◎総広告費は1兆2375億円。媒体別でテレビが新聞を抜いて、4208億円で首位に。
◎第2次大戦中のヨーロッパ戦線で流行った「リリー・マルレーン」が流行。女性歌手7人がレコードを出す。
◎全英オープン大会女子ダブルスで、沢松和子:アン・キヨムラ組が優勝。日本人初。
◎高校野球に金属バット導入。プロ野球パ・リーグでは指名打者制導入。
◎中沢啓治「はだしのゲン」(汐文社)刊行。
◎マンガ同人誌約30のサークルが集まって即売会を開始。
◎日本リクルートセンター「就職情報」を発刊。
◎講談社駅売り夕刊紙「日刊ゲンダイ」発行。

■流 行:紅茶キノコ。
■テレビ:欽ちゃんのドンとやってみよう!・テレビ三面記事ウイークエンダー。
■邦 画:浦山桐郎/青春の門・山本薩夫/金環蝕。
■洋 画:ジョン・ギラーミン/タワーリング=インフェルノ・スティーヴン=スピルバーグ/ジョーズ。
■ 歌 :布施明/シクラメンのかほり・さくらと一郎/昭和枯れすゝき・ダウン・タウン・ブギウギ・バンド/港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ・沢田研二/時の過ぎゆくままに・バンバン/『いちご白書』をもう一度・キャンディーズ/年下の男の子・ハートのエースが出てこない・風/22才の別れ・野口五郎/私鉄沿線・子門真人/およげ! たいやきくん・細川たかし/心のこり・岩崎宏美/ロマンス・アリス/今はもう誰も・小坂恭子/想い出まくら・中島みゆき/アザミ嬢のララバイ・時代・荒井由実/ルージュの伝言・あの日にかえりたい・かまやつひろし/我が良き友よ・イルカ/なごり雪・チューリップ/サボテンの花・甲斐バンド/裏切りの街角・塩見大治郎/それ行けカープ。
■ 本 :有吉佐和子/複合汚染・司馬遼太郎/播磨灘物語・檀一雄/火宅の人・深田裕介/新西洋事情。
■ことば:赤ヘル・わたしつくる人ぼく食べる人・ひかりは西へ。

❖年表の元ネタ主な参考資料三省堂『コンサイス世界年表』三省堂編修所編。河出書房新社『昭和・平成 家庭史年表』下川耿央・家庭総合研究会編。小学館『昭和・平成 現代史年表』神田文人編など。

dendenmushi.gif(2015/02/10 でんでんむし蛇足の記1975)
 高度経済成長だと世の中で言われているうちでは、そういう実感を持つことがなにもなかったが、経済指標が不況を示しだしたこの頃になって、やっとそのおこぼれが回ってきた。
 まず、わが広島カープがルーツの後を受けた古葉竹識監督の下で念願の初優勝を果たし、赤ヘルブームが起こる。「一度でいいから優勝してくれ!」と長年思い続けていたことが、ついに実現したのだ。
(カープのことはあちこちでふれているが、でんでんむしのカープへの想いについてはこちらなどを…。)
  □29:ふるさとは遠きにありて思ふものそして… [ある編集者の記憶遺産]
 当然、その優勝決定の瞬間には、現場に立ち会いたいと願っていたが、それは会社からほど近い後楽園球場になった。そのスタンドを埋めたカープファンのどよめきが、水道橋駅と線路を越えて会社まで伝わってきたと、後から聞いたが、その数日前から日本にいなかったのだ。
 初めての体験となる海外旅行で、ヨーロッパをめぐっていたので、カープV1のニュースはスイスで知った。この旅行は、各出版社から乗り合いで参加するブックフェア視察と銘打ったツアーにすぎないのだが、それに会社から派遣されていた。
 どういうわけか、その一行のなかには、アンパンマンで大ブレークするずっと前のやなせたかし氏も参加していて、こどものためにといってサインをもらったり、ミーハー旅行をしてきた。
 いちおう湘南と呼ばれる地方に住んでいて、瀬戸内海とはまたまったく違う海に接していると、この海をヨットで走ってみたくなる。どんなきっかけだったのか忘れているが、YAMAHAのヨットを買ってしまった。…というといかにもだが、ヨットといっても日本で言うのはセールボートのことで、当時はシーホッパーという薄っぺらい船体で、すぐにチン(沈)するのが全盛だったが、それは向きではない。いちばん安い、小さなこどもの練習用のずんぐりFRP胴体の9フィートのを選んだ。これはボートにもなるようオールがついているシロモノだったが、これくらいがちょうどいい。
 思えば、これがでんでんむしのバブル期だったんだなぁ。
 会社も大阪に本社ビルを建てたし、創業25周年の祝いは全社員が有馬温泉に大集合して盛大に行なわれた。ちょうどその週末に広島市民球場にパ・リーグの覇者阪急ブレーブスを迎えて日本シリーズが始まるので、後楽園に行けなかった分もと、現地解散になったその足で広島へ向かった。この年から、新幹線が博多まで延伸され、まさに「ひかりは西へ」で広島へも行きやすくなっていたが、山陽新幹線はトンネルばかり多くて、“さよう感心せん”。
 ただ、中国山地の特徴とも言うべき、ぽこぽこした山が連続する間を、突き抜けていくそのトンネルにも、独特の個人的感慨があった。
 「ある編集者の記憶遺産」のほうでは、年少期の記憶を整理していたが、そこにも書いたように、その昔走り回って遊んでいた山の多くが宅地開発されていた。わずかに残った北寄りの山地の下を、新幹線はトンネルで抜けていく。トンネルをパッと出ると、左手に広島の街並みが展開し、右手には懐かしい呉娑々宇の山が聳えている。
 カープの日本シリーズを観に、新幹線で安芸トンネル、そして府中トンネルを抜けて広島に帰ってこようとは…。(感激の涙!)
 日本シリーズの広島市民球場は、赤い帽子で埋まって(今のような赤Tシャツやユニはなかった)、外野レフトスタンドの一角だけ、赤い封筒に貼った切手のように色が違っていた。結果は、元広島にいた上田監督が率いエース山口が投げた阪急に歯が立たなかったが、みんなセ・リーグのV1だけで充分に満足していて、街中にそういう雰囲気があった。
 「それ行けカープ〜若き鯉たち〜」の歌が、そこらじゅうに流れていたが、この歌は当時カープフアンを代表する名物おばさんだった雑誌「酒」編集者の佐々木久子(いつだったか、神宮球場のネット裏内野席でおみかけしました)が主宰していた「カープを優勝させる会」のメンバーだった作詞家の有馬三恵子と作曲家の宮崎尚志の作品である。1975年の発表である塩見大治郎が歌っていたオリジナルのレコードは、この8月にリリースされたばかりであった。(ちょっと気恥ずかしい感じがしていたが、改めてよく味わって聴くと、なかなかいい歌である。昨年マツダスタジアムで流されていた、こういうのも出た(音程外しているのもあるが)ので、このブログではめったにやらないが貼り付けておく。カープファン限定クリックを推奨!!

 カープもそうだが、創業25年という中小企業はこの頃たくさんあった。高度成長というのは、そういう企業が揃って、なにがしかの成果を得た時期ということができる。
 東京から帰ってきた広島で、縁あってこの会社に入社してから、大阪を経てまた東京へと異動しながら、その間に15年という歳月が経っていた。
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タグ:年表
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コメント 2

右左あんつぁん

カープの応援歌を初めてじっくり聴きました。
イヤー、最高ですね。あの初優勝の感激が蘇ってきました。
涙が出るなー。

時代としてはベトナム戦争の終結という、資本主義の暗部が明らかになってきた、日本の進む先に道がない、新しい文化を切り開かねばならない不安がよぎり始めた頃ですね。
by 右左あんつぁん (2015-02-11 10:28) 

dendenmushi

@今ちょうどNHK-FMで、「今日は一日“プロ野球ソング”三昧 IN 沖縄」というのをやっていて、これからカープの歌が放送されるところですよ〜。
by dendenmushi (2015-02-11 15:35) 

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