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1980☆『思い出の索引』★でんでんむし@アーカイブス☆わたしたちが生きてきた時代とは… [年表]

われわれはどこから来て、どこへ行こうとしているのだろうか…? 

1980mark.jpg昭和55年 庚申(かのえさる)
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◯米カーター大統領がソ連のアフガニスタン侵攻に対し、穀物輸出制限。
◯米、モスクワ五輪のボイコットを提唱。
◯胡耀邦が中国共産党総書記に就任。劉少奇が名誉回復。
◯米がイランの駐米大使館の人質救出作戦に失敗。
◯ユーゴスラビアのチトー大統領死去。
◯韓国全土に非常戒厳令。光州市のデモ隊を戒厳軍が鎮圧。
◯モスクワオリンピック開催。米・日・西独・中国などが不参加。
◯ポーランドのグダニスクで造船労働者のスト。自主労組「連帯」を結成。
◯韓国、全斗煥大統領が就任。
◯イラン・イラク戦争勃発。
◯米、レーガン大統領が就任。

◉社会党・公明党が連合政権構想で正式合意。
◉共産党が社・公合意を批判。社共対決。
◉自民党の浜田幸一議員、ラスベガス賭博疑惑発覚。議員辞職。
◉社会党が提出した、内閣不信任案に自民党非主流派が欠席で可決。
◉大平首相が急死。首相代理伊東正義。
◉衆参同日選挙の結果、自民党の圧勝に終わる。
◉鈴木善幸内閣誕生。外相に伊東正義。
◉鈴木内閣の閣僚18人が、いっせいに靖国神社参拝。
◉公明・民社・社民連・新自クの中道4党の首脳が、野党混迷状況の打破について会談。
◉政府が「閣僚の靖国神社公式参拝は憲法20条との関係で問題がある」との答弁書。閣内から反発。
◉ECとの貿易摩擦問題について、外相が豪雨型輸出回避に努めると声明。
◉防衛首脳の定期協議で、日本の防衛力増強を米が強く要請。

・この年に亡くなった人にはこんな人も…。江崎利一。新田次郎。大屋晋三。伊藤雄之助。梅根悟。五味康祐。吉川幸次郎。中山伊知郎。土岐善麿。大内兵衛。東山千栄子。沢田美喜。大平正芳。早川徳次。江上トミ。林家三平。河上徹太郎。嵐寛寿郎。越路吹雪。梅田晴夫。ジャン=ポール・サルトル。アルフレッド・ヒッチコック。スティーブ・マックイーン。ジョン・レノン。カーネル・サンダース。マーシャル・マクルーハン。

◎家元制度に反対する前衛舞踊家が国立劇場で家元花柳寿輔に刃傷。
◎山口百恵の婚約発表。引退へ。
◎京都の冷泉家が藤原定家の「明月記」など秘蔵の古文書を公開。
◎トラック運転手が銀座で現金1億円入りの風呂敷包みを拾得し届け出。時効までに所有者が現れず所有者となる。
◎「イエスの方舟」の教祖逮捕。(女性多数と2年にわたる集団失踪事件)
◎牛丼の吉野家が倒産。
◎富士山砂走りの登山道で落石。死者12人。
◎国鉄静岡駅地下街でガス爆発事故。死者14人。
◎30年間行方が不明だった元共産党政治局員伊藤律が北京から帰国。
◎奈良東大寺大仏殿の昭和の大修理が完了し、落慶法要。
◎長嶋茂雄読売監督が辞任。王貞治が引退し助監督に就任。
◎栃木県川治温泉の川治プリンスホテルが全焼。45人死亡。
◎2浪中の予備校生が川崎市内の自宅で両親を金属バットで撲殺。
◎米セントへレンズ火山が大噴火。噴煙が北半球に拡散。日本では明治38年以来の記録的冷夏に。
◎東陶が「ウォシュレット」を発売。
◎日本の自動車の生産台数が初めて1000万台を超え世界一に。
◎大和運輸の宅急便の荷扱い量が急増。(昭和51年に170万個→55年には3300万個)一方で国鉄の小荷物は49年7600万個→55年3900万個と半減。
◎東京で「ぼけ老人を支える家族の会」発足。

◎富士通が日本語電子タイプライタを発表。
 
■流 行:ルービックキューブ・漫才ブーム。
■テレビ:シルクロード・クイズ番組。
■邦 画:熊井啓/天平の甍・黒澤明/影武者・鈴木清順/ツィゴイネルワイゼン。
■洋 画:地獄の黙示録・クレイマークレイマー。
■ 歌 :もんた&ブラザーズ/ダンシング・オールナイト・クリスタルキング/大都会・ロス・インディオス&シルビア/別れても好きな人・オフコース/さよなら・シャネルズ/ランナウェイ・松田聖子/青い珊瑚礁・谷村新司/昴・竹内まりや/不思議なピーチパイ・ジューシー・フルーツ/ジェニーはご機嫌ななめ・五輪真弓/恋人よ・八神純子/パープルタウン・山口百恵/さよならの向う側・沢田研二/TOKIO・八代亜紀/雨の慕情・都はるみ/大阪しぐれ・RCサクセション/雨上がりの夜空に・北島三郎/風雪ながれ旅・川中美幸/ふたり酒・松村和子/帰ってこいよ・チャゲ&飛鳥/万里の河。
■ 本 :向田邦子/思い出トランプ・山口百恵/蒼い時・大岡信/折々のうた。
■ことば:それなりに・カラスの勝手でしょ・ビニ本。

❖年表の元ネタ主な参考資料三省堂『コンサイス世界年表』三省堂編修所編。河出書房新社『昭和・平成 家庭史年表』下川耿央・家庭総合研究会編。小学館『昭和・平成 現代史年表』神田文人編など。

dendenmushi.gif(2015/03/02 でんでんむし蛇足の記1980)
 五年前に購入して当初観音崎に置いていたヨットは、三浦半島の西海岸の秋谷に一時期置いていた。仕事が忙しくて、乗る時間もそうそう取ることができなかったが、より近くて浜から出し入れに便利な森戸海岸に移した。これもただ海岸に転がしておくことはできないので、ちゃんと置き場を確保しなければならない。
 まだ裕次郎灯台などというものができる前の森戸の海では、地元の漁師さんの浜小屋に置かせてもらうことができたが、この頃になると、マストを立て帆を上げて帆走することよりも、オールで漕ぎだして五目釣りを楽しむことのほうが主になっていた。森戸神社の沖にある名島という岩島の周辺では、ベラやキスが釣れるくらいで、まったくの遊びだったが、その時間は貴重で、その効果もいつまでも持続できる。人様に言える道楽といえば、それくらいのことだった。
 仕事では、新刊の点数や目標となる売上高のハードルは年々高くなっていた。制作は各編集長ごとに責任分野を決めて、役員になってからは、企画専従度をできるだけ高めたいと思っていた。もともと「三角の本」などということを考える社長は、単行本の企画業務にもできるだけ関わりたいようであった。自身は大阪の本社にいて、書籍部門は東京にある。そこで、その橋渡し、つなぎ役をやらされることになるのも、自然な成り行きであっただろう。
 3か月に一度くらいの割合で、社長と二人だけで有馬温泉に二泊か三泊くらいこもって、企画の検討だけをすることになった。企画を決めるのにそんなに時間はかからんじゃろと思われるだろうが、社長にしてみれば、その時間こそが書籍部門のすべてを考えるために必要な時間であった。秘書に全商品の売れ行きの実績数字を独自に記録させた資料をもっていて、それをめくりながら、この本はどうして売れないのか、これはなぜ売れたのか、自分で納得のいくまでチェックしながら、新企画も審議する。
 そのためには、事前に編集部員からの提案企画も集めて、自分がやりたい企画と会社として出すべき本の企画を考えて、リストアップして資料を整えておかなければならない。
 二人だけのやりとりだから、気も張るし疲れるが、企画を考えながら検討していくという作業は、結果的には実りも大きかった。このような態勢で企画を決定していくという方法は、社長が体調を崩すことになるまで数年間続いた。
 この間、多くのユニーク企画を決めることができたし、そのなかから多くの読者の支持を得た本もたくさん生まれた。ビジネス書の枠をできるだけ広げていくという作業も、マンツーマンで忌憚のない意見交換をする過程で、トップの理解を得ながら進めることができた。朝日全五の書籍広告を続けていくにもふさわしい商品のラインの積み重ねが、そうしてできていった。
 社長自身も、企画を考えるのを楽しんでいたようで、自分でも手帳にメモしていたアイデアを披露したりする。そのアイデアもできるだけ本になるように話をうまく膨らましたり、まとめたりする。そうしてできた本のなかでも売れるものがある。
 こういう企画まで踏み出してよいのかどうか、方針の確認もできて、こちらとしても都合がよいこともあった。
 漢字の本をやろうというのは、社長が言い出したことだし、仏教入門書として主要なお経を知ることができるような本を出したいというと、それもOKしてくれた。それだけでなく、それならいろんなお経をやるのではなく、やるなら般若心経だけにしてやったほうがよい、などと言う。ちょっと狙いは変わってしまうのだが、まあそれでもよかろうとやってみると、これがまた非常によく売れたりした。
 そんな日の夕食の席で、「なあ、書籍の出版というのはおもしろいなあ。ワシもほかのことはしなくて済めば、こればっかりやっていたいくらいだが…」と洩らしたのは、本音だったのだろう。
 そんな社長の、出版人らしい気分を少しは味わうことができたのであろう時間を一緒させてもらって、いい孝行ができたのではないかと、後になって思ったものだ。
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タグ:年表
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