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1977☆『思い出の索引』★でんでんむし@アーカイブス☆わたしたちが生きてきた時代とは… [年表]

われわれはどこから来て、どこへ行こうとしているのだろうか…? 

1977mark.jpg昭和52年 丁巳(ひのとみ)
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◯ECが200海里水域宣言。
◯米でジミー・カーター大統領就任。
◯米・ソ2大国が200海里漁業専管水域を実施。
◯ボイジャー1号の打ち上げ。
◯ニューヨーク大停電。
◯ルフトハンザ航空181便ハイジャック事件。
◯パキスタンで軍事クーデター。

◯中国共産党3中全会で、鄧小平が副主席に復活
◯中国共産党11全大会で、文革終結宣言と4つの近代化新党規約決定。
◯エジプトのサダト大統領がイスラエルを訪問(アラブ諸国の元首として初のイスラエル訪問。後にイスラエル承認)。

◉ロッキード事件丸紅ルート初公判。31日全日空ルート初公判。
◉日米漁業協定調印。200海里経済水域規定に基づく初の漁業協定。
◉社会党全副委員長江田三郎が離党、社会市民連合結成を表明するも急死。
◉中山千夏らを代表とする「革新自由連合」が発足。
◉ソ連が日ソ漁業条約の破棄を通告。領土問題を棚上げして日ソ漁業暫定協定に調印。
◉日本の領海を海岸から12海里(従来は3海里)と定める領海法と200海里漁業水域法施行。
◉社会党の成田委員長が反自民の全野党政権構想を提唱。
◉共産党の宮本委員長が社会党に革新統一戦線を提唱。
◉公明党と民社党が連合政府樹立をめざす合意書。
◉社会党、楢崎弥之助、田英夫、秦豊が離党、新しい流れの会を結成。
◉社会党、横浜市の飛鳥田一雄市長の委員長就任。

・この年に亡くなった人にはこんな人も…。高橋亀吉。末川博。竹内好。木川田一隆。田中絹代。村山知義。木戸幸一。清水善造。賀屋興宣。 奈良光枝。江田三郎。小西得郎。熊谷守一。村山長挙。山田かまち。今東光。前田青邨。秋田實。海音寺潮五郎。望月優子。
ジョン・ディクスン・カー。ロベルト・ロッセリーニ。ヴェルナー・フォン・ブラウン。エルヴィス・プレスリー。レオポルド・ストコフスキー。マリア・カラス。ビング・クロスビー。チャールズ・チャップリン。

◎東京港区で拾ったコーラを飲んで2人死亡。(青酸コーラ無差別殺人事件)
◎警視庁が23年ぶりに覚醒剤取締本部を設置。研ナオコ、内藤やす子、美川憲一、井上陽水らが逮捕される芸能界マリファナ汚染事件。
◎共通1次試験のため大学入試センターが発足。
◎日本初の静止気象衛星となる「ひまわり1号」打ち上げに成功。
◎文部省、小中学校の指導要領を改定。{ゆとりの教育・国歌の規定)
◎読売の王貞治がホームラン世界新記録の756号を達成(対ヤクルト戦)。
◎国民栄誉賞が創設され、王貞治が第1回目の受賞者に。
◎台風9号(沖永良部台風)が日本の観測史上1位となる最低気圧907.3hPaを記録。
◎パリ発東京行きの日航機が日本赤軍にハイジャックされる。ダッカ空港に着陸。犯人の要求を飲んで同志9人を釈放し身代金を払う。
◎福岡地裁、カネミ油症事件判決で被害者側全面勝訴。
◎ハイジャック防止法が成立。
◎山梨県、ミレーの「種まく人」など3点の絵画作品を3億1500万円で購入。(翌年開館の山梨県立美術館で公開)
◎北海道洞爺湖畔の有珠山が32年ぶりに噴火活動を開始。
◎東京新宿の歌声喫茶「灯」が閉店。
◎国鉄のリニアモーターカー走行実験、世界初の浮上走行に成功。
◎200海里問題で漁獲量が2割減、価格も上昇し魚ころがしなどの言葉も。魚離れムードが起こる。

◎プロ野球の大洋球団が建設中の横浜スタジアムへ移転することを川崎市へ通達。このシーズン終了後、横浜大洋ホエールズに改称。
◎キャンディーズが日比谷野外音楽堂のコンサートで「普通の女の子に戻りたい」と解散宣言。
◎白黒テレビ放送が例外を除いて廃止され、完全カラー放送へ移行。
◎全米女子プロゴルフ選手権で樋口久子が優勝。(日本人初の世界タイトル)
◎小学館『コロコロコミック』を創刊。

■流 行:カラオケ・ディスカウントショップ。
■テレビ:男たちの旅路・岸辺のアルバム・ROOTS。
■邦 画:森谷司郎/八甲田山・山田洋次/幸福の黄色いハンカチ・舛田利雄/宇宙戦艦ヤマト。
■洋 画:ロッキー・スター=ウォーズ(日本での公開は1978年)
■ 歌 :沢田研二/勝手にしやがれ・ピンク・レディー/UFO・ウォンテッド・キャンディーズ/やさしい悪魔・暑中お見舞い申し上げます・小林旭/昔の名前で出ています・千昌夫/北国の春・八代亜紀/おんな港町・石川さゆり/津軽海峡=冬景色・さだまさし/雨やどり・山口百恵/秋桜・ハイ=ファイ=セット/フィーリング・渡辺真知子/迷い道・アリス/冬の稲妻・狩人/あずさ2号・高田みづえ/硝子坂・紙ふうせん/冬が来る前に・河島英五/酒と泪と男と女・岩崎宏美/思秋期・イーグルス/ホテル=カリフォルニア・ABBA/ダンシング=クイーン。
■ 本 :大岡昇平/事件・新田次郎/八甲田山死の彷徨・五木寛之/戒厳令の夜・丸谷才一/文章読本・アーサー=ヘイリー/ルーツ。
■ことば:よっしゃよっしゃ・普通の女の子に戻りたい。

❖年表の元ネタ主な参考資料河出書房新社『昭和・平成 家庭史年表』下川耿央・家庭総合研究会編。小学館『昭和・平成 現代史年表』神田文人編など。

dendenmushi.gif(2015/02/18 でんでんむし蛇足の記1977)
 でんでんむし流儀の本づくりでは、具体的にはいくつものポイントがあるが、その基本はまず「わかりやすい」ということに置いていた。自分自身が読みたいと思う本、自分という読者のために自分がわかる本をつくるということは、結果として編集者のレベル以上のものはつくることができない、ということになる。もちろん、多少は背伸びしたとしても、基本はそうならざるを得ないわけである。
 学歴も学識もないでんでんむしだが、想像力はそれなりにあるつもりだから、自分の興味と関心を最大限に広げて、企画を広げていくしかない。
 そんななかで、この年にはたまたま、後々までロングセラーになる数点の新刊が出せた。それは、経理の知識を事典として1項目1ページにまとめたものや、バランスシートをどう読むかというものや、文書の書き方などの本であった。
 こう書くと何の変哲もない企画のようだが、そこがタイトルやつくりや書き方で、まったく売れ方も違ってくる。そこがおもしろいし、そこが編集のノウハウとでもいうものであろう。これらはいずれも版を重ねてそれぞれが何十万部という結果をもたらすことになる。
 これは、時期的にも非常にラッキーなことだった。
 「わかる」と「事典」を組み合わせたタイトルは、今でもたくさんありそうだが、この年に出したこの本が最初だった。人が本を読む目的はさまざまだが、「わかる」というのは本を買う・読みたいという動機づけの最たるものと言える。とくに経理のようなある程度専門の分野で、しかもそれを知っておかなければならない人の裾野が広いような場合、潜在的な読者は少なからずある、それも確かなニーズを持つ固定層があるはずだ。
 そう考えて企画したのが、これともうひとつが「バランスシート」だった。これは経済記事をやっていたときからあまたにあったもので、新聞の決算公告をどう読み取るかというもので、こうなるとただ経理を仕事にしている人だけでなく、一般のビジネスマンにも必要な本になる。
 経理のほうは、机の上に置いて何かのときにぱらぱら見ればいい、“経理マンの手帖”のようなイメージで考えていたものが、いろいろひねくりまわした結果、1ページでひとつのポイントがわかる、という形にするのに苦労した。つまり、単なる経理用語事典にはしたくなかったからだ。
 少し厚手の本でほかの本より定価も高めで、初版も4000部と押さえてのスタートだったが、じわじわと売れた。
 バランスシートのほうは、出したとたんにある程度の手応えもあったので、これも読み通りだったが、内容的にもただのB/Sの解説書にはなっていないところがよかったと思う。
 文書の書き方というのは、これは営業が「“始末書の書き方の本はないか”と聞いてくるお客さんがあるんだが…」と書店さんからの声を届けてくれたところから始まった。
 う〜ん始末書ねえ!? これもわからんではないが本にまとめるのは単独ではむずかしい。束にして勝負だな。退職届とか、そういう“普通でない”文書の書き方を入れたらいいんだ。
 しかし、タイトルには困った。何日も考えあぐねたすえに、ある晩ふとひらめいたのが「他人に聞けない」というフレーズだった。同僚や上司に書き方を聞くわけにもいかん…そうかそれならコレだ!
 これも、ただの文書の書き方ではこうはいかなかった。ロングで版を重ねたうえに、このタイトルはその後あちこちで真似られた。
 なるほど、これが経営者の決断であり会社を動かすということなんだなあ、とつくづく感じた。新しい書籍出版部の態勢を自らリードしていこう、そういう社長の気概を痛切に感じた。この年にはそういうできごとがあった。
 編集と営業の管理職全員を東京に近い温泉地のホテルに数日間カンヅメにして、大方針決定会議を開いたのだが、これが社長の考えをみんなが理解し、その後の出版活動に指針を与え、目標を共有することにつながった。
 路線の変更はないが、さらなる拡充と新展開への挑戦である。なかでもみんなが驚いたのは、書籍広告を毎月一回、朝日新聞の全五段でうつ新施策であった。それまで、日本経済新聞には広告も出していたが、「朝日」ときた。当時、朝日の全五段の書籍広告を出しているのは、超大手の文芸書などの出版物だけで、中小の版元でしかもビジネス書でそんなことを考える者は誰もいなかった。
 それだけに、画期的には違いない。しかし、編集にしてみれば、朝日の全五段広告に耐えられるだけの出し物を揃えなければならない。それを続けていかなければならない。これはまた、大変である。
 たまたま、そういった新刊があったので、この戦略はある程度うまくいったように思う。ならんだタイトルからして、これまでにはなかった本だ。朝日新聞の読者にしてみれば、あまり聞いたこともない出版社が、突然出てきたような印象もあったかも知れない。
 この年の新刊で目だって売れた三点にしても、朝日の全五広告が後押ししたことは確かだろう。ただ、それにかける広告費と本の売上額がバランスするかどうかは、疑問である。まあ、はっきり言ってしまえば「広告して本が売れるのなら苦労はない」のである。
 広告には多分に先行投資的な意味もあるし、なにしろそんな出版社なんか知らないよという人のほうがまだまだ圧倒的に多いなかで、知名度をあげるためという効果のほうが大きい。対取次・書店に対しても、そしてもちろん読者にも…。
 思いっきり背伸びしてのことには間違いがなく、分相応とはいえない広告政策だったが、チャレンジの錦の御旗でもあった。
 この会議では、かねてから考えてきた路線は再確認され、おりからだんだんと認識され始めていたビジネス書の範疇をさらに押し広げることも決められた。その方針にしたがって、もっともっと背伸びをしなければならない。
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