1976☆『思い出の索引』★でんでんむし@アーカイブス☆わたしたちが生きてきた時代とは… [年表]
われわれはどこから来て、どこへ行こうとしているのだろうか…?
1976昭和51年 丙辰(ひのえたつ)
◯米、バイキング1号が火星に軟着陸。
◯米ソ地下核実験制限条約に調印。
◯ベトナム、南北統一のための総選挙。
◯ベトナム統一国会をハノイで開催、国名をベトナム社会主義共和国とする。(南北ベトナム統一)
◯シリア軍が侵攻、レバノンで戦闘再開。5か月で終結へ。
◯南アフリカで黒人高校生のデモに警官隊が発砲。暴動が全国に拡大。
◯カンボジア、シアヌーク殿下が元首に就任。
◯周恩来中国首相が死去。
◯韓国金大中らが民主救国宣言。金大中逮捕。
◯北京の天安門広場で、群衆の暴動。
◯中国共産党中央委員会が鄧小平を解任。
◯カンボジアでポルポト政権。大虐殺の始まり。
◯インドネシア、東チモールを統合。
◯中国毛沢東主席が死去。後任に華国縫主席就任。
◯中国で文革を主導した四人組逮捕。(江青、王洪文、張春橋、姚文元)
◯第21回オリンピック、モントリオールで開催。
◉民間調査会社が、前年の企業倒産は1万2606件、負債総額は1兆9146億円で、史上最高と発表。
◉米上院の公聴会で、ロッキード社コーチャン副会長が日本政府高官に8億5000万円を贈与したと証言。
◉衆議院予算委員会でロッキード事件の小佐野賢治、若狭得治、渡辺尚次、檜山広ら証人喚問。
◉児玉誉士夫を臨床取り調べ。脱税で起訴。
◉河野洋平、田川誠一ら6名が自民党を離党。新自由クラブを結成。
◉東京地検ロッキード事件で丸紅前専務大久保利春、全日空専務沢雄次らを逮捕。続いて、丸紅前専務伊藤宏、全日空社長若狭得治、丸紅前会長檜山広を逮捕。
◉東京地検が田中前首相を逮捕。受託収賄罪と外為法違反で起訴。
◉佐藤孝行、橋本登美三郎を受託収賄容疑で逮捕。
◉福田・大平・田中の反主流派がロッキード事件の解明に積極的な三木首相の退陣をはかる挙党体制確立協議会を結成。(三木おろし)
◉法務省が衆院特別委員会で、灰色高官として二階堂進、佐々木秀世、福永一臣、加藤睦月の氏名を公表。
◉ソ連の最新鋭戦闘機ミグ25が函館空港に強行着陸。ベレンコ中尉米亡命。
◉天皇在位50年式典。
◉第34回総選挙で、前回比22議席減の249議席で、自民が結党以来初めて過半数を割り、衆院委員長の与党独占が18年ぶりに崩れる。
◉三木内閣総辞職。福田内閣発足。
・この年に亡くなった人にはこんな人も…。檀一雄。舟橋聖一。大濱信泉。藤原義江。林語堂。福島正実。武者小路実篤。安川第五郎。石橋正二郎。武田泰淳。福田蘭堂。北條誠。周恩来。アガサ・クリスティ。パーシー・フェイス。ルキノ・ヴィスコンティ。マックス・エルンスト。ハワード・ヒューズ。キャロル・リード。マルティン・ハイデッガー。毛沢東。アンドレ・マルロー。ロザリンド・ラッセル。
◎鹿児島で国内初の5つ子誕生。(排卵誘発剤論議起こる)
◎東京地裁、雑誌「面白半分」掲載の野坂昭如「四畳半襖の下張り」をわいせつ文書として有罪判決。
◎山形県酒田市で大火。1774戸を焼失。
◎東海道新幹線の延べ乗客が10億人を突破。「こだま」16号車が初めて禁煙車両に指定。
◎東京高裁、マッド・アマノのモンタージュ(白川義員の写真を合成)は、オリジナルな作品と認める。
◎大和運輸が「クロネコヤマト」の宅急便を開始。
◎戦後最大の雨台風17号が長崎から日本海へ。西日本中心に169人が犠牲。
◎国鉄総武・横須賀線の東京=品川間の地下線が開通。
◎総理府統計局、総人口の8.1%が65以上と発表。高齢化社会への加速を示唆。
◎戦後生まれが総人口の半数を超える。
◎具志堅用高がWBA世界ジュニアフライ級チャンピオンに。
◎平凡出版(現マガジンハウス)が「POPEYE」を創刊。
◎神奈川県藤沢市に「東急ハンズ」第1号店が開店。
◎できたての弁当を売る「ほっかほっか亭」第1号店が埼玉県草加市に開店。
◎1等1000万円が40本のジャンボ宝くじ発売。各地の売り場に客が殺到し、混乱で死者が出る騒ぎに。
■流 行:ジョギング・サーフィン。
■テレビ:となりの芝生・落日燃ゆ・徹子の部屋・プロ野球ニュース。
■邦 画:市川崑/犬神家の一族・大島渚/愛のコリーダ。
■洋 画:ミロス=フォアマン/カッコーの巣の上で・シドニー=ルメット/狼たちの午後。
■ 歌 :都はるみ/北の宿から・二葉百合子/岸壁の母・キャンディーズ/春一番・ピンク=レディー/ペッパー警部・因幡晃/わかって下さい・荒井由実/あの日にかえりたい・太田裕美/木綿のハンカチーフ・山口百恵/横須賀ストーリー・川橋啓史と斎藤こず恵/山口さんちのツトム君・内山田洋とクール=ファイブ/東京砂漠・新沼謙治/嫁に来ないか・丸山圭子/どうぞこのまま・森田公一とトップギャラン/青春時代。
■ 本 :森村誠一/人間の証明・村上龍/限りなく透明に近いブルー・山崎豊子/不毛地帯・徳大寺有恒/間違いだらけのクルマ選び・城山三郎・毎日が日曜日・渡部昇一/知的生活の方法。
■ことば:ピーナッツ・記憶にございません・灰色高官・み〜んな悩んで大きくなった。
◯米、バイキング1号が火星に軟着陸。
◯米ソ地下核実験制限条約に調印。
◯ベトナム、南北統一のための総選挙。
◯ベトナム統一国会をハノイで開催、国名をベトナム社会主義共和国とする。(南北ベトナム統一)
◯シリア軍が侵攻、レバノンで戦闘再開。5か月で終結へ。
◯南アフリカで黒人高校生のデモに警官隊が発砲。暴動が全国に拡大。
◯カンボジア、シアヌーク殿下が元首に就任。
◯周恩来中国首相が死去。
◯韓国金大中らが民主救国宣言。金大中逮捕。
◯北京の天安門広場で、群衆の暴動。
◯中国共産党中央委員会が鄧小平を解任。
◯カンボジアでポルポト政権。大虐殺の始まり。
◯インドネシア、東チモールを統合。
◯中国毛沢東主席が死去。後任に華国縫主席就任。
◯中国で文革を主導した四人組逮捕。(江青、王洪文、張春橋、姚文元)
◯第21回オリンピック、モントリオールで開催。
◉民間調査会社が、前年の企業倒産は1万2606件、負債総額は1兆9146億円で、史上最高と発表。
◉米上院の公聴会で、ロッキード社コーチャン副会長が日本政府高官に8億5000万円を贈与したと証言。
◉衆議院予算委員会でロッキード事件の小佐野賢治、若狭得治、渡辺尚次、檜山広ら証人喚問。
◉児玉誉士夫を臨床取り調べ。脱税で起訴。
◉河野洋平、田川誠一ら6名が自民党を離党。新自由クラブを結成。
◉東京地検ロッキード事件で丸紅前専務大久保利春、全日空専務沢雄次らを逮捕。続いて、丸紅前専務伊藤宏、全日空社長若狭得治、丸紅前会長檜山広を逮捕。
◉東京地検が田中前首相を逮捕。受託収賄罪と外為法違反で起訴。
◉佐藤孝行、橋本登美三郎を受託収賄容疑で逮捕。
◉福田・大平・田中の反主流派がロッキード事件の解明に積極的な三木首相の退陣をはかる挙党体制確立協議会を結成。(三木おろし)
◉法務省が衆院特別委員会で、灰色高官として二階堂進、佐々木秀世、福永一臣、加藤睦月の氏名を公表。
◉ソ連の最新鋭戦闘機ミグ25が函館空港に強行着陸。ベレンコ中尉米亡命。
◉天皇在位50年式典。
◉第34回総選挙で、前回比22議席減の249議席で、自民が結党以来初めて過半数を割り、衆院委員長の与党独占が18年ぶりに崩れる。
◉三木内閣総辞職。福田内閣発足。
・この年に亡くなった人にはこんな人も…。檀一雄。舟橋聖一。大濱信泉。藤原義江。林語堂。福島正実。武者小路実篤。安川第五郎。石橋正二郎。武田泰淳。福田蘭堂。北條誠。周恩来。アガサ・クリスティ。パーシー・フェイス。ルキノ・ヴィスコンティ。マックス・エルンスト。ハワード・ヒューズ。キャロル・リード。マルティン・ハイデッガー。毛沢東。アンドレ・マルロー。ロザリンド・ラッセル。
◎鹿児島で国内初の5つ子誕生。(排卵誘発剤論議起こる)
◎東京地裁、雑誌「面白半分」掲載の野坂昭如「四畳半襖の下張り」をわいせつ文書として有罪判決。
◎山形県酒田市で大火。1774戸を焼失。
◎東海道新幹線の延べ乗客が10億人を突破。「こだま」16号車が初めて禁煙車両に指定。
◎東京高裁、マッド・アマノのモンタージュ(白川義員の写真を合成)は、オリジナルな作品と認める。
◎大和運輸が「クロネコヤマト」の宅急便を開始。
◎戦後最大の雨台風17号が長崎から日本海へ。西日本中心に169人が犠牲。
◎国鉄総武・横須賀線の東京=品川間の地下線が開通。
◎総理府統計局、総人口の8.1%が65以上と発表。高齢化社会への加速を示唆。
◎戦後生まれが総人口の半数を超える。
◎具志堅用高がWBA世界ジュニアフライ級チャンピオンに。
◎平凡出版(現マガジンハウス)が「POPEYE」を創刊。
◎神奈川県藤沢市に「東急ハンズ」第1号店が開店。
◎できたての弁当を売る「ほっかほっか亭」第1号店が埼玉県草加市に開店。
◎1等1000万円が40本のジャンボ宝くじ発売。各地の売り場に客が殺到し、混乱で死者が出る騒ぎに。
■流 行:ジョギング・サーフィン。
■テレビ:となりの芝生・落日燃ゆ・徹子の部屋・プロ野球ニュース。
■邦 画:市川崑/犬神家の一族・大島渚/愛のコリーダ。
■洋 画:ミロス=フォアマン/カッコーの巣の上で・シドニー=ルメット/狼たちの午後。
■ 歌 :都はるみ/北の宿から・二葉百合子/岸壁の母・キャンディーズ/春一番・ピンク=レディー/ペッパー警部・因幡晃/わかって下さい・荒井由実/あの日にかえりたい・太田裕美/木綿のハンカチーフ・山口百恵/横須賀ストーリー・川橋啓史と斎藤こず恵/山口さんちのツトム君・内山田洋とクール=ファイブ/東京砂漠・新沼謙治/嫁に来ないか・丸山圭子/どうぞこのまま・森田公一とトップギャラン/青春時代。
■ 本 :森村誠一/人間の証明・村上龍/限りなく透明に近いブルー・山崎豊子/不毛地帯・徳大寺有恒/間違いだらけのクルマ選び・城山三郎・毎日が日曜日・渡部昇一/知的生活の方法。
■ことば:ピーナッツ・記憶にございません・灰色高官・み〜んな悩んで大きくなった。
❖年表の元ネタ主な参考資料:河出書房新社『昭和・平成 家庭史年表』下川耿央・家庭総合研究会編。小学館『昭和・平成 現代史年表』神田文人編など。
(2015/02/14 でんでんむし蛇足の記1976)
実務書では、失敗もあったが全体的にはそこそこ売れる本を、なんとかかんとか続けて出していた。ところが、この年に先輩の編集長が別の出版社をつくるというので退社することになった。そのため、一人残ったでんでんむし編集長が実務書だけでなく、経営・自己啓発書を中心にやっていた部門を含めて、書籍編集部全体をまとめていかなければならなくなってしまった。
出版社や編集者の世界では、独立したり分かれたりは、よくあることで、そうめずらしいことではない。新しい出版社ができると、それはたいていどこそこの出版社にいただれそれがやっているといった噂話がすぐに広まる。
また、出版社に勤めている者が別の出版社に移るということもあったが、社長の方針でいっさいの引き抜きスカウト人事などはやってこなかった。新卒も中途採用もあるが、全部自前の社員を育てていこうというのでやってきた。そのために、まったく経験のない素人集団で始めた書籍部門の黒字化にも、随分時間がかかったとも言えたのかも知れない。
そんなわけで、さあ後をどうするか、これが問題だ。社長にもいろいろ不安もあったはずだろうが、残った編集長にすべてを託すしか仕方がなかったのだろう。一挙に責任が広く大きくなってしまったが、経営・自己啓発書のスタッフがちゃんと機能しているので、たちまち本を出すのに困るようなことはないものの、書籍部門全体の売上計画などをどう達成していくかが大きな問題であった。
そのためには、どうしても実務書の枠からはみ出したところで挑戦してみないと普通の数字ばかりでは厳しい。なにか、おや!?というような企画が必要で、それこそある程度三角にとんがっていないと、インパクトは与えられない。
そういう意識は、最初の経済入門書が成功して以来、ずっとあったので、いろいろな仕掛けを考えていた。
そんなもののなかから、この年のヒットとなったのは、会社の数字に強くなるといったテーマの本だった。一般の会社に勤めている人であれば、経理部門でなくても、どこにいてどんな仕事をしていても、ある程度の経営数字が読めなければならない。そういう読者層を広げる狙いで企画していた。
これもまた無名の若手著者で、タイトルこそ以前カッパブックスの大ベストセラーにあったものの借用だったが、それももう広く一般に使われるようになっていた言葉なので、誰が使ってもおかしくない。経理とか経営ではなく、“会社の数字”としたところが、新しいオリジナルの着眼点である。
文章は要点だけで少なくして、ただページを広げて見開きで図版を眺めているうちになんとなくわかる、そういう本にしたかった。著者も意欲的に取り組んでくれて、図を描く方策もなんとかなって、これまでにはどこにもなかったようなユニークな本ができた。
数字にはいたって強くないでんでんむしが、こんな本をつくるのもおかしいが、こういうものはむしろ読者に近い人間がつくるほうが案外にいいものだ。
考えてみると、でんでんむし流儀の基本は、まず自分がほしい本、あったらいいだろうなと思う本をつくる、ということにあった。
振り返ってみると、いちおう成功したと思える本の企画は、だいたい例外なくその類いのものだった。
この場合も、そんな思惑がうまく当たって、実務書の枠を大きく超える大ヒット作になった。この本があったおかげで、書籍部門の編集長が抜けてしまうという緊急事態から予想された問題が顕在化することもなかった、とも言える。
東京駅の北側では開通していた地下の総武本線が、南の東京=品川間も地下路線が開通し、横須賀線も地下駅に乗り入れ、総武線と乗り入れることになった。このため、横須賀線も東京駅が終始初駅ではなくなったが、総武選できてそのまま横須賀線に乗っていくという人は少なかったので、相変わらず東京駅からも座って通うことができた。
東京駅の地下ホームは、ビルでいうと地下5階くらいにも相当するといわれていた。やはり、最初のうちはなんとなく不気味な感じもしたが、毎日乗り降りしていれば、だんだんそれにも慣れていく。それでも、新橋の地下ホームで線路の向こうの壁の間から、水が勢いよく流れているのを見たりすると、やっぱり不安になったりする。
通勤の車内も、本を読んだりゲラを読んだりするのに適した、貴重な一人の時間であった。だからその環境は非常に重要なので、横須賀線が全面車内禁煙になったときには、とてもうれしかった。
1970(昭和45)年の項目では、たばこの煙のことを書いていながら、そのことを書いていなかった。実はちょうどその年の終わり頃から、車内禁煙になったのではないかと思う。
これも、どうも記憶がはっきりしないが、この頃から週休2日制になっていたのかも知れない。
このブログを読んでいるというある人から、「よく覚えているね。記憶力がいいね」などと言われるといささか具合が悪い。記憶力はさっぱりよくないし、ほとんど忘れかけているからだ。日記でもきちんとつけていれば、いつどういうことがあったかも、振り返ってみることができるが、それもない。
だから、このさい残っている記憶と、記録されている事実とを照合し、それらを整理して残しておくのが目的で、思い返しながら自分語りを続けている。
(2015/02/14 でんでんむし蛇足の記1976)
実務書では、失敗もあったが全体的にはそこそこ売れる本を、なんとかかんとか続けて出していた。ところが、この年に先輩の編集長が別の出版社をつくるというので退社することになった。そのため、一人残ったでんでんむし編集長が実務書だけでなく、経営・自己啓発書を中心にやっていた部門を含めて、書籍編集部全体をまとめていかなければならなくなってしまった。
出版社や編集者の世界では、独立したり分かれたりは、よくあることで、そうめずらしいことではない。新しい出版社ができると、それはたいていどこそこの出版社にいただれそれがやっているといった噂話がすぐに広まる。
また、出版社に勤めている者が別の出版社に移るということもあったが、社長の方針でいっさいの引き抜きスカウト人事などはやってこなかった。新卒も中途採用もあるが、全部自前の社員を育てていこうというのでやってきた。そのために、まったく経験のない素人集団で始めた書籍部門の黒字化にも、随分時間がかかったとも言えたのかも知れない。
そんなわけで、さあ後をどうするか、これが問題だ。社長にもいろいろ不安もあったはずだろうが、残った編集長にすべてを託すしか仕方がなかったのだろう。一挙に責任が広く大きくなってしまったが、経営・自己啓発書のスタッフがちゃんと機能しているので、たちまち本を出すのに困るようなことはないものの、書籍部門全体の売上計画などをどう達成していくかが大きな問題であった。
そのためには、どうしても実務書の枠からはみ出したところで挑戦してみないと普通の数字ばかりでは厳しい。なにか、おや!?というような企画が必要で、それこそある程度三角にとんがっていないと、インパクトは与えられない。
そういう意識は、最初の経済入門書が成功して以来、ずっとあったので、いろいろな仕掛けを考えていた。
そんなもののなかから、この年のヒットとなったのは、会社の数字に強くなるといったテーマの本だった。一般の会社に勤めている人であれば、経理部門でなくても、どこにいてどんな仕事をしていても、ある程度の経営数字が読めなければならない。そういう読者層を広げる狙いで企画していた。
これもまた無名の若手著者で、タイトルこそ以前カッパブックスの大ベストセラーにあったものの借用だったが、それももう広く一般に使われるようになっていた言葉なので、誰が使ってもおかしくない。経理とか経営ではなく、“会社の数字”としたところが、新しいオリジナルの着眼点である。
文章は要点だけで少なくして、ただページを広げて見開きで図版を眺めているうちになんとなくわかる、そういう本にしたかった。著者も意欲的に取り組んでくれて、図を描く方策もなんとかなって、これまでにはどこにもなかったようなユニークな本ができた。
数字にはいたって強くないでんでんむしが、こんな本をつくるのもおかしいが、こういうものはむしろ読者に近い人間がつくるほうが案外にいいものだ。
考えてみると、でんでんむし流儀の基本は、まず自分がほしい本、あったらいいだろうなと思う本をつくる、ということにあった。
振り返ってみると、いちおう成功したと思える本の企画は、だいたい例外なくその類いのものだった。
この場合も、そんな思惑がうまく当たって、実務書の枠を大きく超える大ヒット作になった。この本があったおかげで、書籍部門の編集長が抜けてしまうという緊急事態から予想された問題が顕在化することもなかった、とも言える。
東京駅の北側では開通していた地下の総武本線が、南の東京=品川間も地下路線が開通し、横須賀線も地下駅に乗り入れ、総武線と乗り入れることになった。このため、横須賀線も東京駅が終始初駅ではなくなったが、総武選できてそのまま横須賀線に乗っていくという人は少なかったので、相変わらず東京駅からも座って通うことができた。
東京駅の地下ホームは、ビルでいうと地下5階くらいにも相当するといわれていた。やはり、最初のうちはなんとなく不気味な感じもしたが、毎日乗り降りしていれば、だんだんそれにも慣れていく。それでも、新橋の地下ホームで線路の向こうの壁の間から、水が勢いよく流れているのを見たりすると、やっぱり不安になったりする。
通勤の車内も、本を読んだりゲラを読んだりするのに適した、貴重な一人の時間であった。だからその環境は非常に重要なので、横須賀線が全面車内禁煙になったときには、とてもうれしかった。
1970(昭和45)年の項目では、たばこの煙のことを書いていながら、そのことを書いていなかった。実はちょうどその年の終わり頃から、車内禁煙になったのではないかと思う。
これも、どうも記憶がはっきりしないが、この頃から週休2日制になっていたのかも知れない。
このブログを読んでいるというある人から、「よく覚えているね。記憶力がいいね」などと言われるといささか具合が悪い。記憶力はさっぱりよくないし、ほとんど忘れかけているからだ。日記でもきちんとつけていれば、いつどういうことがあったかも、振り返ってみることができるが、それもない。
だから、このさい残っている記憶と、記録されている事実とを照合し、それらを整理して残しておくのが目的で、思い返しながら自分語りを続けている。
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