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1982☆『思い出の索引』★でんでんむし@アーカイブス☆わたしたちが生きてきた時代とは… [年表]

われわれはどこから来て、どこへ行こうとしているのだろうか…? 

1982mark.jpg昭和57年 壬戌(みずのえいぬ)
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◯ポーランド問題でNATO外相会議が対ソ制裁宣言。
◯アルゼンチン軍がフォークランド諸島を占領。
◯西独で反核大行進。欧米各都市で反核運動。
◯イスラエル、シナイ半島をエジプトに返還。
◯英軍が、アルゼンチン軍を攻撃しフォークランドを奪回。
◯イスラエル、ベイルートを包囲。PLOの西ベイルート退去で合意成立後退去。
◯イスラエル軍によるパレスチナ難民キャンプ虐殺事件。
◯ソ連のブレジネフ書記長が死去。後任にアンドロポフ元KGB長官が就任。
◯ポーランド、ワレサ(議長)を釈放。
◯米、上院外交委員会が日本に対する防衛力増強決議案を可決。
◯韓国の金大中、米国へ出国。

◉日米安保協議委員会、極東有事研究に着手で合意。
◉東京地裁、ロッキード事件全日空ルートで若狭会長、渡辺元副社長らに執行猶予付き有罪判決。
◉政府が8月15日を「戦没者を追悼し平和を祈念する日」と決定。
◉鈴木首相は、従来の首相が「私人」としてきた靖国参拝について、公人か私人かの区別を明確にしない方針を示す。
◉反核・軍縮の「平和のための東京行動」。
◉215品目の関税率引き下げなど、政府が市場開放措置。
◉国連軍縮特別総会に向けた反核署名、国民運動推進連絡会議が2753万余人分を集めて国連事務総長に提出。
◉東京地裁、ロッキード事件全日空ルートの橋本元運輸相佐藤元運輸政務次官に有罪判決。
◉文部省の教科書検定が統制色を強め、中国への「侵略」を「進出」と変える。これに対し、中国政府が非難。
◉韓国政府も教科書の日本植民地支配の記述に抗議、是正を要求。
◉第3次臨調答申で、国鉄・電電・専売の三公社の分割民営化と省庁統廃合などを提言。
◉公職選挙法改正。参院全国区に拘束名簿式比例代表制度導入。
◉鈴木首相が中国・韓国などアジア諸国からの教科書批判に対し、政府の責任で是正することを決定。来日中の趙紫陽中国首相に説明。
◉派閥間の調整が不成立で、自民党総裁候補決定選挙。1位の中曽根康弘が組閣。官房長官後藤田正晴。

・この年に亡くなった人にはこんな人も…。北村寿夫。堀越二郎。三益愛子。志村喬。江利チエミ。衣笠貞之助。水原茂。大中寅二。西脇順三郎。池田弥三郎。坪田譲治。中田ダイマル。佐分利信。灰田勝彦。石本秀一。諸橋轍次。三波伸介。フィリップ・K・ディック。イングリッド・バーグマン。グレース・ケリー。グレン・グールド。マリオ・デル・モナコ。レオニード・ブレジネフ。アルトゥール・ルービンシュタイン。ロイ・ジェームス。

◎底引き網漁船第28あけぼの丸がベーリング海で転覆。死者32人。
◎東京永田町のホテルニュージャパンで火災。死者33人。防火設備の不備欠陥に非難。横井英樹社長逮捕。
◎日航福岡発羽田行きDC-8型機が羽田空港着陸寸前で海中に墜落。24人死亡、150人が負傷。機長の心身症が原因。
◎桂離宮の大修理が終了。
◎東北新幹線が盛岡まで開業。新潟への上越新幹線も開業。
◎教科書検定で「侵略」が「進出」と書き換えられ問題化。
◎右翼の妨害を恐れた島原市議会が日教組大会の開催に反対、ホテルで分散開催。
◎九州北西部、山口県などで豪雨被害。長崎市の死者不明者は299人に。重文の眼鏡橋も壊れる。
◎大型台風10号が、本州中部を横断、富士川鉄橋や中央自動車道に被害。80人が死亡・行方不明。
◎三越本店の“古代ペルシャ秘宝展”の展示物のほとんどが偽物と判明。
◎三越岡田茂社長を取締役会が解任。腹心の裏切りに「なぜだ!」。
◎三越岡田元社長と納入業者の竹久みちが脱税容疑で逮捕。元社長の特別背任容疑で再逮捕。
◎教科書検定で削除された日本軍の沖縄戦での住民虐殺の記述回復を求める決議案を沖縄県議会が採択。
◎北炭夕張炭鉱が閉山。
◎500円硬貨発行。
◎東京の葛飾・足立・江戸川の3区長が建設省に下水道整備促進を陳情。3区の普及率は25%、都内の平均は74%。
◎資生堂が「薬用不老林」を発売。他社からも新製品が続出し養毛剤ブームとなる。従来禁句とされていた表現がCMなどで使われ、この年から“ハゲ”のマイナスイメージが転換し養毛剤もネアカ商品に。
◎学校側の要請で、卒業式に警官を派遣した中学・高校は、全国で1528校。
◎ユニチャームの使い捨ておむつ「ムーニー」が大ヒット。前年比20.6倍の売上げに。

◎東京浅草の国際劇場、SKD公演を最後に閉館。
◎「岩波ブックレット」、「新潮45+」、「大活字本」刊行。
◎3.10に9惑星が太陽から見て95どの角度内に納まる惑星大直列を1050年ぶりに観測。
◎電電公社がカード式公衆電話を設置を開始。テレホンカード利用開始。
◎電電公社がわが国初の携帯用文書作成機を開発。(ワープロ)
◎東京地裁、コンピュータ・プログラムも著作権法で保護される著作物と判決。
◎第一勧銀がパーソナル・コンピュータを使った家計・ローンの相談サービスを開始。

■流 行:国鉄のフルムーン・エアロビクス・ゲートボール・テレカ・養毛剤。
■テレビ:笑っていいとも!。
■邦 画:深作欣二/蒲田行進曲・大林宣彦/転校生。
■洋 画:スティーブン=リズバーガー/トロン・スティーヴン=スピルバーグ/E.T.・テッド=コッチェフ/ランボー・クリント=イーストウッド/ファイヤーフォックス・ヒュー=ハドソン/炎のランナー・ジャミー=ユイス/ミラクル=ワールド ブッシュマン・リドリー=スコット/ブレードランナー
■ 歌 :細川たかし/北酒場・あみん/待つわ・岩崎宏美/聖母たちのララバイ・松田聖子/赤いスイートピー・渚のバルコニー・中森明菜/少女A・山下久美子/赤道小町ドキッ・一風堂/すみれ September Love・シュガー/ウエディング=ベル・上田正樹/悲しい色やね・オフコース/YES-YES-YES・わらべ/めだかの兄妹・研ナオコ/夏をあきらめて・三好鉄生/涙をふいて・高樹澪/ダンスはうまく踊れない。
■ 本 :鈴木健二/気くばりのすすめ・穂積隆信/積木くずし・江本孟紀/プロ野球を10倍楽しく見る方法・小学館/日本国憲法。
■ことば:んちゃ・るんるん・ネクラ・ネアカ・心身症・逆噴射。

❖年表の元ネタ主な参考資料三省堂『コンサイス世界年表』三省堂編修所編。河出書房新社『昭和・平成 家庭史年表』下川耿央・家庭総合研究会編。小学館『昭和・平成 現代史年表』神田文人編など。

dendenmushi.gif(2015/03/10 でんでんむし蛇足の記1982)
 あれはお前さんの言うとおりだったなあ…。そんなふうに社長が述懐したのは、江本孟紀の本がベストセラーになって騒がれたときだった。実はその前から、テレビ野球を観戦するためのガイドブックを出したらどうかという提案をしていたのだが、いまひとつピンとこなかったらしく、時期尚早と見送りになっていた経緯があったからだ。
 だが、考えただけでは企画とも言えず、実現しなければ、意味もない。
 ビジネス書からジャンルを広げて一般書へも挑戦していくという社長の意思は、数学分野での小さな成功の積み重ねで徐々に確かになっていったようだ。数学の苦手なでんでんむしも、数学のおもしろさはわかる。そういうレベルで出した雑学本的なものが売れて、今度はもう少し突っ込んだものもやろう。営業がもってきたのは微分積分の本を出して欲しいという注文だった。なんで微積なの?とそのことはちょっと意外だったが、なるほどデータをみるとこれがよく売れている。といっても、当時は数学のやさしい本もなく、講談社のブルーバックスを指標にするくらいだったが、そこに読者のニーズがあることがわかった。これも数学の専門書ではなく、うち流にもっとくだいてやろう。
 するとこれがまた、ビジネスマン以外の読者層にもよく売れていた。今でこそ、微積の入門書はたくさん出ているが、その最初はこの本がだったろう。これに気をよくして、営業からはもっと理工関係の入門書を増やしてくれと言う。
 確かに、理工書は専門の版元があり、ポッと出の出版社がちょっとくらいつついても、うまくはいかないだろうが、入門の本レベルであれば、なんとでもやりようがある。そう考えて数学や計算、電気の基礎知識に関する本などを次々に企画して出していた。
 しかし、版元が自分の枠を越えて異分野に進出するのはなかなかむずかしい。点数も本線のビジネス書が主流で、その合間にやる入門理工書は出す点数も限られるから、どうしても余技の域を出ない。理工書は、むずかしい専門的なテーマでも、これを素人でもわかるようにという手法がまだ成り立ったから、多少はなんとかなった。けれども、一般書となるとまた別だ…。
 漢字の本を出すようにというのは、社長から出たアイデアだった。そうか、そういう分野に手を広げてもいいのか。そこで、これを手始めに一般書に近いものは新書判でスタイルを変えてやることにした。この本も漢字が楽しくなるようなごく肩の凝らないものだったが、読者からの反響も大きくあって版を重ねることができた。社長のためにも、これはおおいに喜ばしいことだった。
 この年の年表資料には、「電電公社がわが国初の携帯用文書作成機を開発。(ワープロ)」という項目があったので、そのままあげておいた。これが具体的にどういうものだったか、記憶が定かではない。
 けれども、日本語が使えて漢字が扱えるワープロというものが世の中に現れてきた最初は、1978年発表の東芝の日本語ワードプロセッサJW-10であったはずだ。ただ、これは価格が600万円を超えていた。ペンタッチのシャープ書院とかもあったが、1980年に富士通が発表した「日本語電子タイプライタ OASYS 100」あたりから徐々に本格化し一般化していく。
 富士通は、この新製品開発に当たって、名前の公募などまでやっていたような気がする。このときから親指シフトを備え、長い間ワープロといえばこの人というくらい、当時開発技術部長だった神田泰典氏が、あちこちに登場していた。神田氏にも会いに行ったことがあるが、そのときは執筆依頼が実現せず、OASYSとも縁がなくて、でんでんむしが初めてワープロを使ってみたのは、価格が初めて100万円くらいまで下がったときに日立のワープロを会社で導入したときだった。
 あれも、この年くらいのことではなかっただろうか。
 素人のくせに知りたがり屋のでんでんむしは、BASICで遊んでいるうちに、マイコンとマイコンをつないでデータをやりとりすることができるのではないかと考えた。
 マイコンにはRS232Cポートというものがついている。これを使えばいいんじゃないか。音響カプラというものもでてきて、電話の受話器をこれに置けば電話回線を使った通信もできる…。その方法は、もっとみんなが知りたいことじゃなかろうか。
 そう考えて、最初にマイコンの本を書いてもらった防大の先生を研究室に訪ねた。すると、先生の研究室では部屋中にケーブルが張り巡らせてあって、マイコンがつながっている。
 これだ!、これを取材して書かせてくださいとお願いして、日本で初めて(のはずである)のマイコンをつないでデータをやりとりする方法の本を出した。
 その検証を全部編集部でやらせることにして、これはなかなかおもしろかった。ケーブルなど必要な材料も、編集担当者に秋葉原まで買いに行かせ、ビルの窓からケーブルをたらして下の階にあるマイコンとつなぐ。
 BASICで簡単なプログラムを書いて、片方のマイコンのキーボードから「A」と入力すると、もう片方の画面に「A」という文字が現れる…!
 高柳健次郎の「イ」にも匹敵する…というようなたいしたことでは、もちろんないのだが…。音響カプラで、自宅と会社を電話でつなぐ実験もやってみたが、これも成功した。やっぱり、マイコンはひとつだけではなく、つながって意味がある…。
 日立のワープロにもRS232Cポートがついていた。これを活用できれば、日本語のやりとりもできるはずだ。そう言って、メーカーに掛けあってみたりしたが、漢字コードは公開できないとか何とかでまったく話が通じなかった。
 「パソコン通信」とかいう言葉が登場するのは、まだ何年も先の話だったので、ちょっと先走り過ぎの企画だったのかもしれない。本の売れ行きも、そこそこという程度で、あまり大きくは広がらなかったが、マニアックな人の間では評判がよかったらしい。
 後に、1980年代後半になってパソコン通信ブームが起こった頃、関連の仕事をしている出会った何人かの人から、「あの本、わたしも買って読みましたよ」と言われて、とてもうれしかったという記憶がある。
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