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1974☆『思い出の索引』★でんでんむし@アーカイブス☆わたしたちが生きてきた時代とは… [年表]

われわれはどこから来て、どこへ行こうとしているのだろうか…? 

1974mark.jpg昭和49年 甲寅(きのえとら)
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◯キッシンジャー米国務長官訪ソ、ブレジネフとの会談でSALT問題で共同声明。
◯米ワシントンでニクソン弾劾のデモ。
◯仏ポンピドー大統領急死による大統領選。ミッテランが決選投票で敗れ後任はジスカールデスタンに。
◯ニクソン大統領訪ソ。
◯キプロス国防軍のクーデター。トルコがキプロス派兵。
◯米最高裁がニクソンのテープ提出を決定。下院司法委員会が弾劾訴追「司法妨害」を可決。(ウオーターゲート事件)
◯ニクソンが全国放送で大統領辞任を表明。フォードが昇任。
◯ポルトガルがギニア=ビサウ、モザンビークの独立を承認。
◯国連総会、キプロスからの外国軍隊の完全撤退決議案を採択。
◯フォード米大統領が訪日、韓国訪問後、ウラジオストックでソ連のブレジネフと会談。
◯PLOに国連の常駐オブザーバー資格を認める。

◯カンボジア解放勢力のプノンペン攻撃が激化。
◯パキスタン、ブット首相がバングラデシュを承認。
◯ラオスでプーマ首班の連合政府。
◯韓国朴大統領が改憲運動禁止、民青学連事件で緊急措置権発動。大統領狙撃事件、夫人死亡。
◯インドが地下核実験、6番目の核保有国になる。
◯エチオピアで軍事臨時政権、皇帝廃位、閣僚処刑。
◯キプロスでクーデター、トルコ軍再び上陸。和平会談も決裂、戦闘再開、停戦。
◯ビルマで反政府運動激化、戒厳令。

◉田中首相の東南アジア訪問でバンコク、ジャカルタで反日デモにあう。
◉春闘共闘委81単産、600万人が交通中心のゼネスト。
◉北京で日中航空協定に調印、台湾は日台空路停止を声明。
◉経団連会長に土光敏夫を選出。
◉参議院選挙で保革接近。
◉三木副総理が首相の政治姿勢を批判して辞任。福田蔵相、保利行官長も辞任。
◉土光経団連会長が国民協会との縁切りを表明。
◉三菱重工、三井物産、大成建設で企業爆破事件が連続して起こる。
◉実験航海中の原子力船「むつ」で放射能漏れ。
◉東洋紡績が3000人の希望退職者を募集。繊維不況深刻化。
◉「文藝春秋」11月号で立花隆の「田中角栄研究--その金脈と人脈」を特集掲載。
◉金脈問題が政治問題化。田中首相が辞意表明。
◉自民党実力者会談で椎名裁定、三木武夫を次期総裁に推す。
◉三木内閣発足。福田副総理、大平蔵相、永井文相。
◉佐藤元首相にノーベル平和賞。
◉三木首相が、総裁選、政治資金、選挙について党近代化の試案を提示。
◉昭和48年度のGNP(国民総生産)が115兆6752億円と初めて100兆円を超える。

・この年に亡くなった人にはこんな人も…。山本有三。岩田専太郎。田中耕太郎。香月泰男。福田平八郎。吉田五十八。清水崑。深尾須磨子。高田敏子。曾我廼家十吾。南原繁。木村伊兵衛。小唄勝太郎。務台理作。花菱アチャコ。いわさきちひろ。山本嘉次郎。花田清輝。宮本三郎。田坂具隆。堀久作。池田敏雄。三島海雲。デューク・エリントン。ヴァネヴァー・ブッシュ。エーリッヒ・ケストナー。チャールズ・リンドバーグ。オスカー・シンドラー。ダヴィッド・オイストラフ。ヴィットリオ・デ・シーカ。ウォルター・リップマン。

◎ルバング島で30年間戦争を続けていた小野田寛郎少尉と接触に成功。元上官の“武装解除して帰国せよ”との命令により帰国。後にブラジル永住を表明。
◎東京上野の国立博物館で、モナリザ展開催。期間中160万人が入場。
◎日本女性隊がマナスル登頂に成功。(女性初の8000メートル級登頂)
◎北の海が史上最年少で55代横綱に。
◎インドネシアのモロタイ島で台湾高砂族出身の元日本兵中村輝夫が発見される。
◎米、国鉄、地下鉄、バス、郵便小包など公共料金の一斉値上げ。
◎三菱石油水島製油所から重油4万キロリットルが流出。瀬戸内海東部から紀伊水道まで汚染。
◎国土庁が地価公示価格の上昇率が年32.4%で過去最高と発表。48年度中の全国平均地価上昇率は22.4%。
◎全国消費者物価、対前年26.3%の暴騰。
◎東京西新宿に新宿住友ビル完成。52階200メートル。三井ビル55階212メートル。
◎世界2位となる山陽新幹線関門トンネル貫通。1万8713メートル。
◎高校進学率が90%を超え、集団就職列車も姿を消す。
◎週休2日を民間企業の50%が実施。
◎コンビニエンスストア第1号店「セブンイレブン」が東京台東区に開店。
◎伊豆半島地震、M6.8死者不明者29人、家屋全半壊171戸。
◎台風8号で九州北部から瀬戸内海、東海にかけて豪雨被害。死者不明者90人。

◎NHKテレビ放送を夜11時までに自粛。石油・電力節減のためで、民放も放送時間を短縮。
◎プロ野球読売ジャイアンツの長嶋茂雄が現役引退。
◎NHK「ニュースセンター9時」キャスター磯村尚徳放送開始。
◎藤子不二雄の「ドラえもん」(小学館)刊行。
◎大手出版社による文庫競争。

■流 行:超能力ブーム・オカルトブーム・カイト(洋ダコ)。
■テレビ:ニュースセンター9時・寺内貫太郎一家・宇宙戦艦ヤマト・パンチDEデート。
■邦 画:山本薩夫/華麗なる一族・野村芳太郎/砂の器。
■洋 画:ジョージ=ロイ=ヒル/スティング・デイヴィッド=ミラー/ダラスの熱い日・ウィリアム=フリードキン/エクソシスト・ジュスト=ジャカン/エマニュエル夫人。
■ 歌 :山口百恵/ひと夏の経験・森昌子/おかあさん・伊藤咲子/ひまわり娘・梓みちよ/二人でお酒を・森進一/襟裳岬・グレープ/精霊流し・りりィ/私は泣いています・西城秀樹/傷だらけのローラ・野口五郎/甘い生活・海援隊/母に捧げるバラード・山本コウタローとウィークエンド/岬めぐり・八代亜紀/しのび恋・殿さまキングス/なみだの操・さくらと一郎/昭和枯れすすき・中条きよし/うそ・フィンガー5・学園天国・敏いとうとハッピー&ブルー/わたし祈ってます・テレサ・テン/空港。
■ 本 :森敦/月山・リチャード=バック/五木寛之訳/かもめのジョナサン。
■ことば:便乗値上げ・狂乱物価・金脈・青天の霹靂・内ゲバ。

❖年表の元ネタ主な参考資料三省堂『コンサイス世界年表』三省堂編修所編。河出書房新社『昭和・平成 家庭史年表』下川耿央・家庭総合研究会編。小学館『昭和・平成 現代史年表』神田文人編など。

dendenmushi.gif(2015/02/06 でんでんむし蛇足の記1974)
 実務書の企画を考えること自体は、そうむずかしいことではない。各企業に共通の法的な規制に基づく手続きやそれらに伴う業務があるので、そういった仕事に初めて携わる人が、これは便利だ!役に立つ!と思ってもらえるような情報提供をするところから順に考えていった。
 ただ、そういうテーマの取り出し方をしても、読者からの手応えにはばらつきがあって、売れるものと売れないものがでてくるのはしかたがない。だがその違いが、テーマにあるのか、内容のつくりかたにあるのか、となるとにわかに判断し難いところもある。
 社会保険の実務手引き書をつくったのは、どんな企業にも必ずある業務で、むずかしいとは言えないが、毎月の保険料を徴収して納めなければならず、めんどうな業務だからである。これを、一年を通じて、従業員の各種異動に伴って必要になる届け出や手続きをまとめるという企画は、社会保険労務士の資格を持つある会社の総務部長に書いてもらった。
 これも着実に売れ続け、大ロングセラーになって、増刷と改定を繰り返していた。後年、社長がよく言っていた感想は、「こんな本でも売れるんだなあ」というものだった。それは、本がひどいのにという意味ではなく、こんなどうということはないやさしいことなのに…というつもりだったのだ。もちろん、内容も誰にでもできるように手取り足取りで懇切ていねいに、届け出書式はきちんとその書き方を解説した。そのばかばかしいくらいの当たり前さが、社長の感想の元になったのだろう。
 これは、ある意味で実務書の強みをいかんなく発揮した象徴的な本だったと言えるのだろう。そういう本がだんだん増えていけば、業績にはおおいに貢献できる。
 だが、地味な本ばかりつくっていると、少しはもっと派手にパアッと売れそうな本もつくってみたいよね。
 実務の手引き書から少し読者の幅を広げようと挑戦したのが、経済知識の入門書だった。これは、実務家だけでなくビジネスマン一般に誰でも必要なものではないか。そういうことを常々考えてもやもやしていたのだが、それだけでは企画にならない。
 だからこの本の企画が生まれたのも偶然ではないが、そのきっかけとひらめきは偶然にやってきた。
 横須賀線での通勤は、もくろみ通り毎日座って通える。そのうち座れなくなったらそのときはグリーン車に乗ればよい。最初からそう思っていたのだが、グリーン車に乗るのは随分後になってから、もう現役を引退してからのことになった。
 座っていての1時間は立っての30分よりは楽で、本や新聞を読んだり、ゲラを読んだりして過ごすのだが、当時の横須賀線は全車両がボックス型で、今のように横長になっているのではない、4人掛けの座席が中心であった。
 ある朝のこと、座って日経新聞をたたんで読んでいると、途中駅から乗ってきたおじさんたちが座る。しばらくして、ハッと気がついた。
 なんと、自分がいるボックス席では自分も含めて4人のおじさんが、揃って日本経済新聞を開いている…。
 そうだ!これだ!…と、新聞記事をネタにした経済入門書の企画は、ここでひらめいた。これならいける!
 2ページの見開きで1項目の解説を積み重ねていくという手法は、当時すでにあったのでオリジナルな発明ではなかったが、新聞の経済面の記事を取りあげて展開するという本はまだなかった。これで企画が決まった。
 この本ではまず最初に、著者を誰にするかという問題もあった。実務書であれば無名でも初めて原稿を書く人でも、実務家であればよかったが、経済知識の入門書となると、ある程度著者の知名度も必要なのではないか。経済となれば、有名な著者も結構いる。
 それも当然考えたが、著者にとって名前も聞いたことのないような実績のない出版社から頼まれても、引き受けてはくれない。どうせそうなら、いっそこういう分野でも無名の著者でも売れる本はできるんだ、ということを証明してやればよい。
 実は、現在でもそうなのだが、出版社の営業や編集者だけでなく、書店においても、著名な著者なら売れるという神話が根強くはびこっていた。とにかく、すべてをそこへもっていく。へそまがりだから、そりゃ違うんじゃないかな、とずっと思っていた。
 だってそうでしょ。有名な著者なら売れるというのだったら、だからみんな有名な著者ばかり追いかけるというのなら、新しい著者は出てくる余地がないじゃありませんか。最初から有名な人なんて…。
 とあるシンクタンクの、若手のスタッフが執筆を引き受けてくれた。当然、無名である。幸い、こちらのアイデアを理解してくれたので、本もよく売れて版を重ね、後に続くシリーズの記念すべき最初の一冊にもなった。
 タイトルを決めるにさいしては、先輩編集長の一言が、それまでの実務書感覚から一歩を踏み出す後押しをしてくれた。
 この本が売れてから、似たようなテーマ、タイトル、新聞記事をネタにするという手法が、あちこちで使われた。本のタイトルや編集技法には、著作権がない。マネシホーダイなのだ。これでいちばん驚いたのは当の新聞社だったのかもしれない。狙いは同じだが本格的な本を年度版で出し始めたし、その後何年か経って全面改訂版をつくろうとしたときには、新聞記事の掲載について版面権を主張してきた。
 この年の物故者のなかに、池田敏雄の名があるが、この頃はまだなんにも知らずにいた。
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