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1973☆『思い出の索引』★でんでんむし@アーカイブス☆わたしたちが生きてきた時代とは… [年表]

われわれはどこから来て、どこへ行こうとしているのだろうか…? 

1973mark.jpg昭和48年 癸丑(みずのとうし)
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◯拡大EC、イギリス・アイルランド・デンマークが加盟。
◯ニクソン米大統領が、北ベトナム全土への米軍の攻撃中止を指令。
◯パリ会談再開、ベトナム和平協議に調印。
◯欧州通貨危機。米、ドル10%切り下げ。
◯北アイルランド・アルスター住民投票で98%が英領に留まるを支持。
◯米盗聴事件。FBIがホワイトハウスに立ち入り調査。
◯ギリシャ王制を廃止、大統領制共和国へ。軍事クーデター。
◯ソ連、ソルジェニーツィン、サハロフ批判キャンペーン開始。
◯チリ軍部のクーデター、アジェンデ大統領自殺。ソ連断交。
◯アルゼンチンでペロン政権。
◯第四次中東戦争。国連安保理、停戦決議案を採択。
◯OAPECが原油生産量の25%削減と年末以降の追加削減。
◯スペイン、ブランコ首相が暗殺される。
◯ジュネーブで中東和平会議。
◯キッシンジャー米国務長官と北ベトナム労働党レ・ドク・ト政治局員にノーベル平和賞。レ・ドク・トは辞退。

◯ベトナム和平協定にもとづく捕虜釈放始まる。
◯ラオス、ビエンチャン政府と愛国戦線が和平協定。
◯在南ベトナムの米軍、最終撤退が完了。
◯韓国で反政府運動拡大。
◯エジプトとイスラエルが停戦協定に調印。

◉円の変動相場制に移行。
◉動労の順法闘争。高崎線上尾駅で乗客占拠騒乱。都内国電32駅でも騒乱が波及。
◉熊本地裁、水俣病訴訟判決でチッソに9億円の損害賠償を命じる。
◉政府が小選挙区制など選挙制度改正方針を決定。野党が反発して審議拒否。
◉社公共三党の主催で32万人が統一抗議行動。
◉アラブゲリラ5人がアムステルダム離陸の日航機を乗っ取り。ドバイ、ダマスクスを経てリビアのベンガジで乗客解放後、機体爆破。
◉韓国元大統領候補の金大中が、東京九段のホテルから、韓国人5人に連行される。後にソウルの自宅に戻る。
◉外務次官が駐日韓国大使に金東雲一等書記官の出頭を要請。
◉札幌地裁が長沼ナイキ訴訟で自衛隊違憲の判決。
◉米空母ミッドウエー、横須賀を母港として入港。
◉エクソン、シェルが原油価格の30%引き上げを発表。追って10%の供給削減を通告。(石油ショック)
◉ベトナム民主共和国との国交樹立。
◉神戸市長選挙の結果、六大都市の首長が全部革新首長になる。
◉三木特使がアラブ諸国歴訪。
◉田中改造内閣、急死した愛知蔵相に代わって福田赳夫。
◉石油需給適正化、国民生活安定緊急措置法成立。
◉OAPECが、日本を友好国と認定。

・この年に亡くなった人にはこんな人も…。円谷一。島田啓三。初山滋。池島信平。南都雄二。椎名麟三。菊田一夫。石橋湛山。大佛次郎。美土路昌一。大辻伺郎。近衛秀麿。吉屋信子。時実利彦。倉金章介。5代目古今亭志ん生。我妻栄。サトウハチロー。浜田廣介。早川雪洲。愛知揆一。浪花千栄子。パール・バック。ノエル・カワード。パブロ・ピカソ。ジョン・フォード。J・R・R・トールキン。パブロ・カザルス。

◎東京ごみ戦争、江東区が杉並区のごみ搬入を阻止。
◎出光石油徳山工場で、コンビナートが爆発。
◎国鉄・中央線の「婦人子供専用車」を廃止。「シルバーシート」登場。
◎関門橋が開通。全長1068メートルで東洋一。
◎熊本の大洋デパートで昼火事。3階以上が猛火、客ら103人が死亡。
◎京成スカイライナー、上野=成田空港間で運転開始。
◎東京都が都営ギャンブルを全廃。
◎北海道夕張鉱業所でガス爆発。61人死亡。
◎国税庁が昭和47年度の高額所得者を公表。上位100人のうち94人が“土地成金”。
◎鉄道弘済会の駅売店が「キヨスク」となる。(便利で小さな売店)
◎環境週間に、7道県でノーカーデー。
◎物価急上昇。
◎エネルギー危機で、省資源・省エネ・節約志向強まる。

◎フィリップスがわが国初となるコーヒーメーカーを発売。
◎アース製薬「ごきぶりホイホイ」を発売。
◎アリコ・ジャパン、戦後初の外国生命保険会社営業開始。
◎大阪梅田地下街拡張で阪急三番街完成。梅田地下街は日本最大に。
◎各地でトイレットペーパーや洗剤などの買い溜め騒動。
◎川上監督の読売ジャイアンツが日本シリーズ9連覇。
◎東京都内のちり紙交換業者は2000軒と大幅に増加。
◎NHKテレビで「刑事コロンボ」放送開始。人気。
◎海外渡航者が200万人突破。うち女性が51万人。
◎「るるぶ」「旅に出ようよ」「旅行ホリデー」など旅行関係の雑誌・情報誌も創刊。
◎祝日法の改正で、祝日と日曜日が重なった場合、翌日が振替休日に。

■流 行:終末論・オセロゲーム・ゴルフブーム・フォークソング。
■テレビ:刑事コロンボ・国盗り物語・子連れ狼。
■邦 画:斎藤耕一/津軽じょんがら節・深作欣二/仁義なき戦い・森谷司郎/日本沈没。
■洋 画:ジョージ=ロイ=ヒル/スティング・ジョージ=ルーカス/アメリカン=グラフィティ・ウィリアム=フリードキン/エクソシスト・フレッド=ジンネマン/ジャッカルの日・ドルトン=トランボ/ジョニーは戦場へ行った。
■ 歌 :沢田研二/危険なふたり・宮史郎とぴんからトリオ/女のみち・内山田洋とクール=ファイブ/そして、神戸・五木ひろし/ふるさと・夜空・かぐや姫/神田川・井上陽水/傘がない・夢の中へ・心もよう・天地真理/恋する夏の日・アグネス・チャン/草原の輝き・チューリップ/心の旅・ペドロ&カプリシャス/ジョニィへの伝言・浅田美代子/赤い風船・八代亜紀/なみだ恋・麻丘めぐみ/わたしの彼は左きき・桜田淳子/わたしの青い鳥・森昌子/中学三年生・山口百恵/青い果実・あべ静江/みずいろの手紙・赤い鳥/紙風船・フィンガー5/個人授業・チェリッシュ/てんとう虫のサンバ・山本リンダ/狙いうち・美川憲一/さそり座の女・小坂明子/あなた。
■ 本 :司馬遼太郎/国盗り物語・五島勉/ノストラダムスの大予言・宮尾登美子/櫂・山崎豊子/華麗なる一族・フレデリック=フォーサイス/ジャッカルの日。
■ことば:石油ショック・省エネ・じっと我慢の子であった・ちょっとだけよ。

❖年表の元ネタ主な参考資料三省堂『コンサイス世界年表』三省堂編修所編。河出書房新社『昭和・平成 家庭史年表』下川耿央・家庭総合研究会編。小学館『昭和・平成 現代史年表』神田文人編など。

dendenmushi.gif(2015/02/04 でんでんむし蛇足の記)
 それまでやってきた雑誌は直販であったため、毎号の企画や内容の善し悪しで売れるわけでは、必ずしもないので、読者の反応はつかみにくかった。だが、書店売りの単行本となると、事情は一気に変わる。企画・タイトル・狙い・原稿の善し悪しなどは、すぐに売れる・売れないという明確な形で突きつけられる。
 編集者にとっては厳しいけれど、それはそれでおもしろいし、やりがいがある。
 編集者もピンからキリまで…と書いていたが、同じ名称でくくられていても、実際にやっていることは、出版社や出版物の性格などによって、実にさまざまで大きく異なるだろう。
 原稿など書いたことがないというような実務家を起用して、本づくりをするということは、原稿の書き方からリードしながら、いちおう書き上がった原稿にも多くの注文をつけたり、書き直しを依頼したりしなければならない。ときには、原稿に編集者が大幅に手を加えなくてはならないような場合も起こりうる。それは、その人が持っているノウハウや知識があれば、それを伝える技術がなくてもそこを編集者がカバーしてあげれば、より多くの人の役に立てることができるからだ、と割り切っていた。
 いわゆる文芸書や大先生の玉稿をいただいてくる大出版社の大編集者のみなさんとは、まずこの扱っている原稿のレベルというか、完成度からして状況がまったく違うのである。
 いわば、原稿づくりからして、著者と編集者の二人三脚のような形にならざるを得ないことも多い。本当は、締切にはきちんと完成原稿が貰えれば、それに越したことはないので、それを理想としていることは言うまでもない。
 順序が逆になってしまうが、企画も編集者が考えなくてはならない。
 どんな原稿をどのように書くかは、ほとんど作家・著者の胸三寸・筆先三寸次第という出版・編集とは、ここがまた大違いになる。
 どんなテーマ・タイトルで、どんな人にお願いして、どのように書いてもらうか、はほぼ一体化してしまうので、企画とはこれらをひっくるめてのことと考えたほうがよい。売れる本になるか売れない本になるかも、ここである程度決まってくると言える。
 しかし、売れた売れなかったは結果論。本を出してみなければ、それはまずわからない。また、編集の技法として、こうすればこう考えれば売れる本になるといったことは、どこにもないし誰にもわからない。
 そういうなかで、出版活動をやらなければならない編集者には、なかなか苦労が多いものだった。
 ところで、「売れる売れない」という言葉の意味や解釈も、出版社によって基準が異なる。ご近所だったマンガ雑誌などを出している出版社では“100万部”などというおそろしい数字がごく普通に使われていたのかも知れないが、こちらはせいぜい初版部数が4000とか5000部で、1000という増刷がそれに続いていければまず一安心。トータルで3万部にもなれば、大いばりできるといった程度ではあった。
 売れるスピードにも、本によって差がある。一般にベストセラーといわれるようなものになると、毎日増刷を決めたり、初版部数の何倍もの増刷になったりすることもあるが、経理や総務関係の実務解説書では、そんなことはあり得ない。
 そのかわり、何年も増刷を重ねて、初版4000部で始めた本が、何年かかけて数十万部に達するということもあり得るのだ。ウサギとカメの競争ではないが、一見派手で速そうなウサギよりも、鈍くさい明らかに走るのは速くないのろカメのほうが、最終的に勝利を得ることがある。
 そういうことを、自身の体験として実感できるようになるのは、まだもう少し先の話で、とにかく少しでも読者の役に立つ一点一点の新刊を、地道に積み重ねていくことに懸命だった。
 こどもの頃から好きだった模型づくりは、プラモデルが登場してからこれも大きく変わった。木を削ることから始めなければならないソリッドモデルと違って、半完成品のプラスチックのパーツを貼り合わせて組み立てればよいプラモデルは、簡単で速く仕上がる。
 それはそれで楽しいのだが、こうなると逆に、もっと手間暇のかかる模型づくりに興味が戻っていく。銀座の伊東屋でロープの会という集まりが帆船模型の展覧会を開いているのをみて、むしょうにやりたくなってしまったのもこの頃だった。
 輸入品の帆船模型のキットは、国産のプラモのようにきめ細かくなく、万事おおまかであったが、値段は高い。船の胴体も舷側の板を曲げながら細い釘で打ち込んでいかなければならない。そう次から次へできるものではないが、何か月もかけるその工程が楽しめる。
 実務書づくりも、面倒だし手間はかかってやっかいだけれど、その過程を楽しめるようになりたいものだと思っていた。
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タグ:年表
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