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1555 丸山鼻=小豆島町堀越(香川県)大石先生の自転車通勤経路も赤鼻・丸山鼻・ウン崎と岬めぐりだが… [岬めぐり]

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 1952(昭和27)年に発表された壺井栄の「二十四の瞳」は、その2年後の木下恵介監督作品をはじめとして、何度も映画化・映像化されていて、今や小豆島といえば「二十四の瞳」というくらい有名になって定着している。ところが、Wikipediaをみると、こう書いている。

小説の舞台は、壺井栄が、その冒頭で「瀬戸内海べりの一寒村」としている。そして、全ページを通じて、一切、舞台の具体的な地名は出てこない。しかし、映画・テレビをあわせて9回映像化された際、原作者壺井栄の故郷が香川県小豆島であることから、これら映像作品では、物語の舞台を「小豆島」と設定した。これにより、「二十四の瞳」と、原作にはない「小豆島」の2つが結びついて広く認識されるようになった。
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 なるほど、そうだったのだ。と、でんでんむしがこれを読んで納得がいったのは、ネット情報に多くある「大石先生の家」から「岬の分教場」までの自転車で通う距離や経路などに、何かしっくりこない疑問を感じていたからなのだ。つまり、原作にはもともとないものを、小豆島の場所のどこかに置き換えようとする無理が、そういういろんな情報を生み出すことになってしまっているのだ。
 改めて、壺井栄の「二十四の瞳」を、青空文庫で読んでみると、確かに「瀬戸内海べりの一寒村」としか書いていないし、個々の場所の設定も極めて限定的かつ抽象的でしかない。
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 百戸あまりの小さなその村は、入り江の海を湖のような形にみせる役をしている細長い岬の、そのとっぱなにあったので、対岸の町や村へゆくには小舟で渡ったり、うねうねとまがりながらつづく岬の山道をてくてく歩いたりせねばならない。交通がすごくふべんなので、小学校の生徒は四年までが村の分教場にゆき、五年になってはじめて、片道五キロの本村の小学校へかようのである。(一 小石先生 青空文庫)
女先生の名は大石久子。湖のような入り江の向こう岸の、大きな一本松のある村の生まれである。岬の村から見る一本松は盆栽の木のように小さく見えたが、その一本松のそばにある家ではお母さんがひとり、娘のつとめぶりを案じてくれている。――と思うと、大石先生の小さなからだは思わず胸をはって、大きく息をすいこみ、
「お母さん!」
 と、心の底から呼びかけたくなる。ついこのあいだのこと、
「岬は遠くて気のどくだけど、一年だけがまんしてください。一年たったら本校へもどしますからな。分教場の苦労は、さきしといたほうがいいですよ」
 亡なくなった父親と友だちの校長先生にそういわれて、一年のしんぼうだと思ってやってきた大石先生である。歩いてかようにはあまりに遠いから、下宿をしてはとすすめられたのを、母子いっしょにくらせるのをただ一つのたのしみにして、市の女学校の師範科の二年を離れてくらしていた母親のことを思い、片道八キロを自転車でかよう決心をした大石先生である。(一 小石先生)
――着物きて、歩いてかよえというのかしら。往復四里(十六キロ)の道を……。(二 魔法の橋 青空文庫)

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 原作にある大石先生の通勤距離は、往復16キロというのだけは確かなようだから、まず岬の分教場のあった場所が田ノ浦だと仮定すると、そこから片道8キロ戻って行く付近に家があることになる。そうしてみると、およそ現在の草壁本町か片城の付近が、母が待つ大石先生の家の場所になる。草壁本町か片城というのは、マルキン醤油のある苗羽(のうま)からは、2.5キロほど北側へ戻ったところだ。そこに一本松があるのかどうかは、わからなかった。
 この辺りからだと自転車で岬の分教場まで通うのは、そう不自然ではないし無理でもない。また、「片道五キロの本村の小学校」というのは、測ってみると苗羽の南の古江付近になる。小説では地名の断定を避けているが、おそらく苗羽が本村ということになるのだろう。
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 赤鼻の先くらいまでは、平坦な海岸沿いの道が続くが、丸山鼻の付近では登り坂になって20メートルのコブを越えなければならない。大石先生の通勤経路ではこの丸山鼻付近がいちばんの難所になっていたことだろう。
 あれっ? でんでんむしもまた原作にはない場所や情景を、現実の小豆島にあてはめて勝手に膨らませてつくってしまっていることになるね。
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▼国土地理院 「地理院地図」
34度27分47.17秒 134度17分46.99秒
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dendenmushi.gif四国地方(2018/10/11 訪問)

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1554 赤鼻=小豆島町古江(香川県)小豆島の醤油も大阪城の採石に関係があったとは… [岬めぐり]

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 田ノ浦映画村線のバスは、オリーブの丘と鬼ヶ崎を過ぎてなおも東へ進み、内海町の街に入ると、国道から分かれて南へ進路を変える。苗羽(のうま)、芦ノ浦付近には、道路の両側に古い倉庫のような工場のような大きな建物が続く。この辺りには、オリーブと並ぶ小豆島の名産である醤油や佃煮などの会社が軒を連ねている。
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 香川県の醤油の生産量は、全国では5番目に多く、そのうちの約半分近くは小豆島の産だという。そういえば、こどもの頃、広島の家ではずっと醤油はマルキン醤油と決まっていた。道路脇にその「マルキン」の名を見て、妙な懐かしさが蘇ってくる。その名前とマークは同じ香川県の、讃岐の金毘羅さんにあやかっている。
 マルキン醤油も記念館など見学施設をつくって、それらが観光ポイントになっているらしく、雨の中にもかかわらず、中国人観光客らしきグループが、あちこちたむろっている。
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 現在もなお木桶仕込みの醤油づくりにこだわる小豆島では、関東の醤油に対抗していけるようにと、明治の終わり頃醤油業者が話し合って技術と人材を集約して蔵元をつくった。それがマルキンの始まりになったという。明治時代には400軒もあったという醤油蔵も、現在では20軒ほどになっているというが、そもそも小豆島の醤油づくりはいつ頃から始まったのだろうか。
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 それがおもしろいことに、ここでもまた約400年前の大阪城の石垣の石が絡んでくる。なんでも、大阪城の石垣の石を採石するために小豆島へやってきた人たちが、紀州湯浅の醤油を持ってきたのがもとの始まりで、それに興味を持った島民が紀州にわたって醤油づくりの技術を習得し、島に持ち帰ってきたのだという。
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 紀州湯浅の醤油については、岬めぐりでもなんか書いた覚えがあるなあと、昔の記事を探してみた。
 しかし、醤油の原型とも言える「ひしお」は、非常に古くからあったらしいので、醤油の発祥についても諸説がある。
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 苗羽の市街地が切れると、右手の海に見えてくるのが赤鼻。前項の鬼ヶ崎から赤鼻まで、ちょうど内海湾の東部を「つ」の字型に辿ってきたことになるが、この出っ張りは長く大きく「つ」の字を越えて西に張り出している。
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 映画村までの道を辿るこの半島が、北側で内海湾をつくり、南側で坂手湾をつくるという複雑な地形になっている。
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▼国土地理院 「地理院地図」
34度27分46.12秒 134度18分28.30秒
スクリーンショット 2018-12-28 10.03.36.jpg
dendenmushi.gif四国地方(2018/10/11 訪問)

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1553 鬼ヶ崎=小豆島町西村(香川県)オリーブの丘を降りて名前と風景がなんとなくミスマッチの岬へ [岬めぐり]

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 小豆島オリーブバスの北廻り福田線は、島の北部中央付近より西寄りの屋形崎から南に向かって山越えをする。峠を越えて下りきったところはまだ土庄町だが、そこからまた国道436号線を東へ向かって走る。すると、すぐに小豆島町に入る。ざんざん降りの雨の中、池田港前のバス停で降りると、そこで今度は田ノ浦映画村線のバスを待って乗り換える。幸い、ここでの待ち時間は数分で済んだ。
 前にも書いたが、何も好んで雨の中を走り回っているわけではない。計画にあたっては、できる限り長期予報・週間予報なども参考にしながら、好天の日を選んで行くのだが、今回の場合は、小雨と言っていた予報が出発直前になって本降りの雨に昇格してしまい、しかも2日連続で雨の日になった。そのため、こんな仕儀とあいなっている。
 田ノ浦映画村線のバスは、池田の街を通り抜け、小豆島南部の中央で大きく南に張り出している半島の付け根を横断して、内海湾の沿岸に出る。
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 そこからバスは左手の丘に登って行くが、そこにオリーブ園や温泉施設がある。ここからの展望も、晴れていればそれなりに見所だったのだろう。あいにくの雨でそれもさっぱりだ。
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 役場には「オリーブ課」がある小豆島町の看板として、押しも押されもせぬオリーブだが、ここでその栽培が始まったのは1908(明治41)年のことらしい。このときは、政府の肝いりか何かがあってのことだろうか、オリーブ栽培試験地に指定されてからだった。小豆島のほかにも三重や鹿児島でも同様に指定がされたらしいが、結実に成功したのは小豆島だけだったという。その後は、瀬戸内海沿岸各地でも栽培されるようになったものの、1959(昭和34)年の輸入自由化によって大量に輸入されるようになった外国産に押されてしまう。現在では、特産品として完全に定着させることに成功している例は、小豆島以外にはあまり聞かない。
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 ここでは、魚の醤油と油漬けの缶詰を作るために、オリーブオイルが必要とされたことが、定着のきっかけとなったのかもしれない。オリーブを絞るにも道具がなく、醤油もろみを圧搾するときに使う麻製の袋を代用し、それにオリーブを入れて搾ったりしたという。この話は、似たような話を連想させる。
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 もともとヨーロッパ、とくに地中海世界では古くから必需品になっていたのだろうが、日本に初めてオリーブが入ってきたのは幕末の頃で、横須賀で試験的に栽培が試みられたらしい。もちろん、そう簡単にはうまくいかなかった。
 日本人の間でその栽培生産と需要が定着するまでには、長い時間と苦労が必要だったようだ。今では、安いイタリアン・レストランのチェーン店には、四角い細長い瓶が客の自由に使えるように、他の調味料と並べて置いてあるくらいだし、健康食品から化粧品までその用途需要は広がっている。
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 オリーブ園の丘を下り、国道を東へ走るバスの右手には内海湾が広がり、その向こうには南の坂手湾とを仕切る半島が、でこぼこしながら西へ張り出している。見えているのはウン崎と権現鼻であろう。バスは内海湾をぐるっと回って、このでこぼこの先の映画村まで行く。
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 バスの行く手、道路脇にヤシの木が数本立っている。ここが鬼ヶ崎であろうが、その名前から想像する岬の風景とは、随分趣が異なって見える。
 この小さなコブのような平らな出っ張りが、なぜ鬼ヶ崎と呼ばれるようになったかはわからない。また、なぜここにヤシの木が植えられているのか、それもわからない。
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 考えてみれば、これは十分ナゾの岬である。謂れのひとつくらいありそうなものだが、ネット情報でもそれが探せなかったので、ナゾはナゾのまま。
 バス路線は映画村まで行って、また同じ道を引き返すので、帰り道でもこの鬼ヶ崎を通り過ぎる。
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▼国土地理院 「地理院地図」
34度28分16.64秒 134度16分57.74秒
スクリーンショット 2018-12-26 12.48.44.jpg
dendenmushi.gif四国地方(2018/10/11 訪問)

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1552 屋形崎鼻=土庄町屋形崎(香川県)大阪城残石記念公園のざんねんな石たちも眺めているだろう岬 [岬めぐり]

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 大阪城の石垣の石を、小豆島から切り出したということは知っていたけど、なんとなくそれは築城時のことだとろうと思っていた。ところがそうではなかった。築城時には周辺の石を集めていて、ここ小豆島の石は、冬の陣・夏の陣のあとの大坂城を修復する時に切り出されたのだ。徳川期に細川家の担当であったようだ。
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 次のバス停である「大阪城残石記念公園」は、小海の集落の小島という無人島の向かいにある道の駅などと一体となっているらしい。「残石」というのがちょっとおもしろい名前で、結局大阪城には行けなかった、大阪城の石垣になり損ねたざんねんな石たちが40個ほど残っている。丁場と呼ばれた採石場から切り出され、海辺まで運ばれたものの、使われることなく放置された、それが残石なのだ。
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 「大阪城石垣石切り飛びこし丁場跡及び小海残石群」という長ったらしい名前で香川県史跡になっている。飛びこしというのは場所の名前らしい。
 そこに展示してあるという、400年前当時の巨石輸送の様子を再現したものをサイトの写真でみると、太い材木を何重にも組んで、その上に巨石を縛り付けている。船に積み込もうとするよりは労力負担が少ないし、海の中に半分沈めて引っ張るほうが抵抗も少ないのだろう。
 だが、それにしても動力船もない時代に…。と、言葉を呑み込んでしまうくらい、大変なことをよくやったものだ。たかが石垣のために?
 バスは降りずに乗ったまま、停留所をすぎて行く。道路脇には、大坂残石記念公園の石標と、石がいくつかヤシの木と並んでいる。
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 その向こうに見えるのが小島で、小島の遠くに見えているのが屋形崎鼻となる。屋形崎というのが集落の一帯を示す地名で、その鼻ということになる。緩い傾斜地が丸く大きく北の海に向かって張り出しており、それと小島が浅い北浦港を囲っている。
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 屋形崎鼻は、この同じ日の夕方、別のバス路線で西側の馬越まで行ったので、そこからも遠望できた。西から屋形崎鼻を見ると、小島とくっつき一体となって、先が盛り上がった岬のように見える。
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 バスは、屋形崎から海岸を離れ、巨大な石の観音像?に見送られながら、南に向かって山越えの体勢に入って行く。
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▼国土地理院 「地理院地図」
34度31分44.39秒 134度13分24.53秒
スクリーンショット 2018-12-14 8.25.30.jpg
dendenmushi.gif四国地方(2018/10/11 訪問)

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1551 前鼻=土庄町大部(香川県)結局バスの車窓からでははっきりとは確認できなかった失敗の岬 [岬めぐり]

 残念ながらこの岬は、完全な失敗岬になってしまった。妙見崎のある丸い出っ張りの付け根を東から西へ横断する県道を行くと、琴塚という集落がある。その琴塚の集落と港を北側で守っているのが、この前鼻なのだが、結局バスの車窓からでははっきりとは確認できなかった。
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 それらしきところがぼんやりと雨と霧の中にあったが、県道からの展望がほとんどなく、あっという間に琴塚は通り過ぎてしまった。
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 地図で見ると、十分道路から見えるようにも思えるのだが、それが実際に現地へ行ってみるとそういうわけにいかないとわかる。そういうケースもたまにあり、前前項の藤崎もそうだった。
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 でんでんむしの岬めぐりでは、岬に上下の差別なしで、どれもみな平等に扱うことを原則にしている。だから、重要な岬というのも変なのだが、ここはどうしてもちゃんとしておきたいという場合には、次の停留所で降りてちゃんと探しに行くこともやぶさかではない。ただ、多くの場合、バスのダイヤがそれを許さない。
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 ここはそう重要な岬でもないのという判断で、そのままバスに乗っていると、次の停留所の名前が、モニターに現れた。それが「大坂残石記念公園」だという。
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▼国土地理院 「地理院地図」
34度32分49.40秒 134度15分22.10秒
スクリーンショット 2018-12-14 8.24.41.jpg
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1550 妙見崎=土庄町大部(香川県)こぼれ美島と岬を見ながら行く小豆島北側の県道でもまた採石場と遭遇 [岬めぐり]

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 小豆島の北側を走る県道26号線を西へ、小豆島町から土庄町へ入ると、灘山というバス停名が、バス前方の行先運賃を示すモニターに表われた。この付近からは採石場のような場所や、赤みを帯びた岩の崖があったりする。
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 灘山地区というのは、採石場や石材の加工工場などが多くあるところらしい。瀬戸内海の島の旅は、採石とはあちこちで縁があるようだ。小豆島もまた、採石の歴史は古く、大阪城の石垣の石を切り出したのも、この島の北部からだったはずという記憶がある。
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 相変わらずの雨の中、西へ走るバスの前方の海には、小さな島影もチラチラするようになる。そこらへんが大部港(おおべこう)の沖合の海になるはずだろう。
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 道路脇を整備して、展望台の施設ができているところがあった。ちゃんと名前もあって「こぼれ美島展望台」という。大島、中の島、弁天島と名前は3つしかないが7〜8の島が散らばっている。それは、古くから美島と呼ばれてきたらしいが、なぜ「こぼれ」なのかがわからない。ポロポロとこぼれ落ちたようなという意味なのか。
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 大部へ着く手前に、小部という集落もある。ここでは(大部おおべ)と(小部こべ)なのだ。まことに地名は一筋縄ではいかない。神戸市には神戸市立の小部小学校というのがあってそれは(おぶ)、同じ兵庫県の小野市には大部小学校というのもあるがそちらは小豆島と同じく(おおべ)。
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 小豆島の大部にも大部小学校があったのだが、今では統廃合でなくなっているようだ。その大部の港からは、岡山の日生港(ひなせこう)とを結ぶフェリーが日に5便、出入りしている。小豆島北部での玄関口に当たるのだが、この航路は岡山県備前市日生町の瀬戸内観光汽船が運行している。乗船時間は約1時間だから、姫路港からくるよりはこっちのほうがだいぶ早い。ただ、日生の駅はJR赤穂線なので、山陽新幹線から相生で乗り換えてこなければならない。
 そういえば、日生の付近も岬めぐりのバスで通ったことがあった。
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 妙見崎は、こぼれ美島の向こう側に張り出している。上から見た地図では丸い出っ張りなのだが、横から見ると薄く細くなっている。地形図では、そこもやはり採石場の跡なのかと思えるような崖と平地になっている。
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▼国土地理院 「地理院地図」
34度33分10.27秒 134度15分52.20秒
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1549 藤崎=小豆島町吉田(香川県)小豆島は北東から南西へ斜めの境界線で二つの町に二分されている [岬めぐり]

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 北回り福田線のバスに乗るとすぐ、運転手さんに言ってフリー乗車券の一日券を買う。1000円也で、今日一日中どこでも乗り降り自由なので、岬めぐりには便利でありがたい。
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 次の岬は藤崎で、進行方向右手に見えるはずだったのだが、これがなかなかうまく見えない。邪魔になる建物は少ないのだが、樹木の影が多くて、道路からの展望がほとんど効かないのだ。
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 福田の北側、金ヶ崎の陸繋島の付け根を越えると、見えるはずという思い込みは、見事に裏切られた。吉田という小湾奥の集落を過ぎると、道路は藤崎のある尾根の中腹を巻いて、今度は西へ向かうが、その途中でもさっぱり見えない。
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 わずかに、右車窓にちらっとそれらしきところがあるにはあったがそれだけで、それも雨の中に霞んでしまっている。
 仕方がないので、ここでは東海上のフェリーから、金ヶ崎と藤崎の2ショットをもうひとつ掲げておくことにしよう。
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 藤崎は118メートルのピークの小山の東端で、道は吉田の集落を抜けると70メートルまで高度を上げ、山の中を回り込んで岬を過ぎていく。
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 小豆島では最北端に当たる藤崎の周辺までが小豆島町で、藤崎から2キロほど西へ走ると、そこには小豆島町と土庄町(とのしょうちょう)の境界がある。小豆島は、島の北西部を中心とする土庄町と、南東部を領域とする小豆島町とに斜めの境界線で島は二町に二分されているのだ。
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 播磨灘の北寄りに位置している家島諸島は、明らかに兵庫県寄りに位置しているが、播磨灘の西に位置する小豆島は、ちょうど岡山県と香川県の中間あたりに浮かんでいる。北端の藤崎が、若干気持ち岡山県側に近いか、という感じで、昔からその所属をめぐってはいくつもの紆余曲折があった。
 おおむねその昔から吉備国児島郡に属していたり、一時その一部は天領だったり津山藩に属していたという歴史を経て、明治の廃藩置県では当初は倉敷県に属していた。なので、香川県になったのは明治4年からだった。
 土庄町のほうが1898(明治31)年からずっと町制を敷いてきたのに対して、小豆島町が誕生したのはわずか十数年前の平成18年のことだという。そのときに島の南東部にあった内海町(うちのみちょう)と、その西隣りの池田町が合併して小豆島町と称することになったようだ。金ヶ崎や藤崎のある地域は、福田村と称していたが昭和32年に内海町に編入されている。
 面積も総人口も、土庄町よりも二町が合併してできた小豆島町のほうが、若干上回っている。
 小豆島といえば、まずたいていの人が思い浮かべるのが「二十四の瞳」であり、オリーブであり、醤油であり、寒霞渓であろう。それらはみんな小豆島町の領域でのことだった。
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▼国土地理院 「地理院地図」
34度33分46.93秒 134度21分3.23秒
スクリーンショット 2018-12-10 11.41.36.jpg
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1548 金ヶ崎=小豆島町福田(香川県)まずは北東の端っこから雨の小豆島の岬めぐりはスタート [岬めぐり]

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 目には見えない海の上の県境に近づき、それを越えようかという頃になると、フェリーの前方右手に島のような影が浮かび上がってくる。その島影は大小濃淡の違いがあるように見えているが、これは香川県小豆島の北東の端っこで出っ張っている部分になる。
 向かって左側の濃い方が金ヶ崎で、右側の薄い方がそれよりちょっと引っ込んでいる藤崎になる。金ヶ崎の出っ張りは、細長い半島のように飛び出しているので、まだ小豆島本体の姿が見えないうちは、小さな島が現れたようにしか見えない。
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 フェリーは金ヶ崎の南に広がる、湾というにはあまりはっきりしない凹み部分に入って行く。金ヶ崎はどうやら陸繋島の先端のようで、付け根部分が小豆島本体から突き出たところと低く細くかろうじて繋がっている。陸繋島のほうには道路も人家もないようだ。
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 金ヶ崎の反対側には、3つの小山を並べたような小島という島がある。この島は地形的にはれっきとした島なのだが、地図によると堤防のような橋のような構築物で繋がっているらしい。小島にも人家はないようなので、これはもっぱら福田港の南の防波堤を兼ねているのだろう。
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 港に入ったところでみると、小島と小豆島本体とはやはりはっきりとつながっていたが、それが海水が下をくぐる橋なのか、海水を堰き止めている防波堤なのかはわからない。
 でも考えてみれば、無人島に橋をかけても仕方がないので、これはやはり防波堤なのだ。
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 その小島と金ヶ崎に挟まれた凹み部分の奥に、福田港がある。雨の桟橋に着くと、そこで国道436号線の海上区間が終わり、そこからは南に向かって島の南部海岸を半周するように国道は伸びていく。
 さて、ここから小豆島の岬めぐりを始めるのだが、それにはすべて島内を走るバスに頼ることになる。小豆島オリーブバス株式会社の9路線を乗り継ぎながらの岬めぐりがどうすれば可能か、路線図と時刻表と地図を見ながらやっとどうにか立てた計画がある。
 その計画では、まず福田港からは北回り福田線という路線バスで、島の北東部をぐるっと回る。国道を南下していく南廻り福田線という路線もあるのだが、どういうわけか小豆島の東海岸には、この金ヶ崎・藤崎以外には岬がない。そこで北回りで始めることにしたのだが、港の待合室の前にはバス乗り場が見当たらない。国道沿いに出てやっと標識を見つけたがそれは南回りで北回りの乗り場がわからない。
 聞いてみると、北回りのバス停は、北寄りに数十メートルも歩いたところにあるという。うどん屋の横で見つけたバス停で狭い軒先で雨宿りしながら待っていると、祭囃子とともに軽自動車の列とカッパを着た人たちが、囃しながら通り過ぎて行った。「ようこそ小豆島へ」という看板の立つ桟橋前でも太鼓などを積み込んだ軽トラと、カッパの子どもよりも傘をさした親などのほうが多い子ども神輿の一団が固まっていたが、お天気がこれでは気の毒だ。
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 しかしまた、雨でもなんでも、カッパを着て神輿はビニールでくるんででも、お祭りをやってしまおうという町の結束と情熱は、なかなかえらいものだ。

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▼国土地理院 「地理院地図」
34度33分39.79秒 134度21分58.62秒
スクリーンショット 2018-12-10 11.40.48.jpg
dendenmushi.gif四国地方(2018/10/11 訪問)

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1547 ヒラレノ鼻・材木ノ鼻=姫路市家島町坊勢:松島(兵庫県)国道436号線の海上区間をフェリーは走る [岬めぐり]

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 姫路港と小豆島の福田港を結ぶフェリー第五おりいぶ丸は、四国フェリー系列の小豆島フェリーが運行している。2014年進水・就航しているこの船は、1326総トンで、旅客定員は490名、車両積載数は乗用車56台だという。
 それより2年早く進水していた姉妹船の第三おりいぶ丸も、同様の積載量だが、この二隻で姫路・小豆島航路は、1日に7往復している。所要時間は100分で、距離は41キロある。
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 オツヅノ鼻を過ぎ、小さな無人島を過ぎるあたりから、南にいくつかの島影が見えてくる。と、向こう側の反対航路をこちらに向かってやってくる船があった。
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 これが、福田港を出て姫路に向かう途中の第三おりいぶ丸だった。
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 すれ違って行く第三おりいぶ丸。その向こうには、平たい島が見えるが、これが桂島だろう。松島からは1.5キロくらい離れている北東側の海上には、この桂島をはじめとして、小フツラ島、大フツラ島、長島、三ッ頭島と5つの島が浮かんでいる。それも、ほんのかすかに、なんとかあるのがわかるという程度でしかない。
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 したがって、そのさらに向こうに大きく横たわっているはずの松島は、わずかにそれらしい島影が薄く見えた程度で、はっきりと確認することができない。その見えない松島とかすかに見える小島の所在地は、家島町坊勢となる。これらが家島諸島の南端に位置する。
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 松島の北東の端がヒラレノ鼻で、南西の端が材木ノ鼻なのだが、晴れていればきっとそれも見えたであろうということで、見えない岬ながらも項目だけは立てておくことにする。
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 第三と第五、二隻のおりいぶ丸が行き来するこの航路は、実は国道を兼ねている。そういう例は他にもいくつかあるが、小豆島を経由しながら姫路と高松を結ぶ国道436号線の海上区間にあたっている。当然、小豆島と高松の間にも同様の海上区間はあることになる。
 その海上の国道を走って、どこかで海上の県境を越え、第五おりいぶ丸は小豆島を目指している。
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▼国土地理院 「地理院地図」
34度35分57.43秒 134度29分2.56秒 34度35分36.08秒 134度28分36.29秒
スクリーンショット 2018-11-28 16.29.44.jpg
dendenmushi.gif近畿地方(2018/10/11 訪問)

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1546 オツヅノ鼻=姫路市家島町真浦:西島(兵庫県)西島の最南端にあたる岬でも採石は始まっているか [岬めぐり]

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 地理院地図に描かれている航路を示す破線は、室崎の沖合を大きく迂回して、院下島の西を南南西に向かうように引かれている。だが、小豆島フェリーの第五おりいぶ丸は、西島と院下島の間を南下して行く。
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 院下島は、周囲を断崖に囲まれた無人島だが、灯台とそこへ登る道だけはあるように、地図では記されている。この島を右舷に見ながら手繰干崎を過ぎると、オツヅノ鼻が見えてくる。
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 オツヅノ鼻は、西島の最南端にあたる。その周辺は緑の植生に覆われているらしい斜面が、100メートル以上も続いている。その上の200メートルくらいのところでは、大規模な採石が行なわれている。
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 写真で見ると、地理院地図には描かれていない斜面に刻まれた道や切り開いたような跡が写っているので、この岬の斜面でもぼつぼつ本格的な採石が始まっているのだろうか。どうも地理院地図の地形情報よりも現実の変化のほうが進んでいるようだ。
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 採石の島だからといって、どこでも発破をかけて片っ端から掘り崩していけばいいというものではなかろう。岩脈がどこをどう走っているのか、そういった調査の結果によって進んでいくのだろう。
 そういえば誰か、島を削り取っていく採石で成り立っている家島諸島のことを、自分の体から一本一本羽根毛を抜いて美しい織物を織る「夕鶴」に例えていた人もあった。
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 フェリーから眺めるオツヅノ鼻は薄ぼんやりした影のようにしか見えないので、そこでも進みはじめているらしい採石の様子も伺い知ることはできない。
 オツヅノ鼻の向こうにこれまたぼんやりと見えてくるのは無人島の大ヤケ島で、さらに遠くにはいっそうぼんやりとある高島、その南端がマブノ鼻になる。
 院下島の南には、いくつかの小さな岩島が、点々と連なっている。家島諸島がオノコロ島だというならば、島はひとつだけでなくいくつにも分かれて生まれ、その周辺にもたくさんの飛沫が飛び散っていたことになろうか。
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▼国土地理院 「地理院地図」
34度38分26.80秒 134度28分2.00秒
スクリーンショット 2018-11-28 16.28.56.jpg
dendenmushi.gif近畿地方(2018/10/11 訪問)

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