SSブログ

1554 赤鼻=小豆島町古江(香川県)小豆島の醤油も大阪城の採石に関係があったとは… [岬めぐり]

*DSCN9982 (1).jpg
 田ノ浦映画村線のバスは、オリーブの丘と鬼ヶ崎を過ぎてなおも東へ進み、内海町の街に入ると、国道から分かれて南へ進路を変える。苗羽(のうま)、芦ノ浦付近には、道路の両側に古い倉庫のような工場のような大きな建物が続く。この辺りには、オリーブと並ぶ小豆島の名産である醤油や佃煮などの会社が軒を連ねている。
*DSCN0114 (1).jpg
 香川県の醤油の生産量は、全国では5番目に多く、そのうちの約半分近くは小豆島の産だという。そういえば、こどもの頃、広島の家ではずっと醤油はマルキン醤油と決まっていた。道路脇にその「マルキン」の名を見て、妙な懐かしさが蘇ってくる。その名前とマークは同じ香川県の、讃岐の金毘羅さんにあやかっている。
 マルキン醤油も記念館など見学施設をつくって、それらが観光ポイントになっているらしく、雨の中にもかかわらず、中国人観光客らしきグループが、あちこちたむろっている。
*DSCN0119 (1).jpg
 現在もなお木桶仕込みの醤油づくりにこだわる小豆島では、関東の醤油に対抗していけるようにと、明治の終わり頃醤油業者が話し合って技術と人材を集約して蔵元をつくった。それがマルキンの始まりになったという。明治時代には400軒もあったという醤油蔵も、現在では20軒ほどになっているというが、そもそも小豆島の醤油づくりはいつ頃から始まったのだろうか。
*DSCN9969 (1).jpg
 それがおもしろいことに、ここでもまた約400年前の大阪城の石垣の石が絡んでくる。なんでも、大阪城の石垣の石を採石するために小豆島へやってきた人たちが、紀州湯浅の醤油を持ってきたのがもとの始まりで、それに興味を持った島民が紀州にわたって醤油づくりの技術を習得し、島に持ち帰ってきたのだという。
*DSCN0115 (1).jpg
 紀州湯浅の醤油については、岬めぐりでもなんか書いた覚えがあるなあと、昔の記事を探してみた。
 しかし、醤油の原型とも言える「ひしお」は、非常に古くからあったらしいので、醤油の発祥についても諸説がある。
*DSCN9979 (1).jpg
 苗羽の市街地が切れると、右手の海に見えてくるのが赤鼻。前項の鬼ヶ崎から赤鼻まで、ちょうど内海湾の東部を「つ」の字型に辿ってきたことになるが、この出っ張りは長く大きく「つ」の字を越えて西に張り出している。
*DSCN9984 (1).jpg
 映画村までの道を辿るこの半島が、北側で内海湾をつくり、南側で坂手湾をつくるという複雑な地形になっている。
スクリーンショット 2019-01-04 12.02.51.jpg

▼国土地理院 「地理院地図」
34度27分46.12秒 134度18分28.30秒
スクリーンショット 2018-12-28 10.03.36.jpg
dendenmushi.gif四国地方(2018/10/11 訪問)

@このブログは、ヘッダー、サイドバーをも含めた、全画面表示でみることを大前提としています。スマホでご覧の場合も「表示切替」で「PC」を選んで、画面表示を切り替えてご覧いただけるとうれしいです。

にほんブログ村 その他趣味ブログ
その他珍しい趣味へ

タグ:香川県
きた!みた!印(31)  コメント(2) 
共通テーマ:地域

きた!みた!印 31

コメント 2

kohtyan

マルキン醤油、懐かしいです。関西にいる頃は、
薄口マルキン醤油でしたからね。
関東に来てからは、濃い口に慣れてしまいました。
by kohtyan (2019-01-06 16:19) 

dendenmushi

@ kohtyan さんもそうですか。やはり、最初はちょっと違和感ありましたよね。たかが醤油とはいえども…。
by dendenmushi (2019-01-08 11:02) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。