1553 鬼ヶ崎=小豆島町西村(香川県)オリーブの丘を降りて名前と風景がなんとなくミスマッチの岬へ [岬めぐり]
小豆島オリーブバスの北廻り福田線は、島の北部中央付近より西寄りの屋形崎から南に向かって山越えをする。峠を越えて下りきったところはまだ土庄町だが、そこからまた国道436号線を東へ向かって走る。すると、すぐに小豆島町に入る。ざんざん降りの雨の中、池田港前のバス停で降りると、そこで今度は田ノ浦映画村線のバスを待って乗り換える。幸い、ここでの待ち時間は数分で済んだ。
前にも書いたが、何も好んで雨の中を走り回っているわけではない。計画にあたっては、できる限り長期予報・週間予報なども参考にしながら、好天の日を選んで行くのだが、今回の場合は、小雨と言っていた予報が出発直前になって本降りの雨に昇格してしまい、しかも2日連続で雨の日になった。そのため、こんな仕儀とあいなっている。
田ノ浦映画村線のバスは、池田の街を通り抜け、小豆島南部の中央で大きく南に張り出している半島の付け根を横断して、内海湾の沿岸に出る。
そこからバスは左手の丘に登って行くが、そこにオリーブ園や温泉施設がある。ここからの展望も、晴れていればそれなりに見所だったのだろう。あいにくの雨でそれもさっぱりだ。
役場には「オリーブ課」がある小豆島町の看板として、押しも押されもせぬオリーブだが、ここでその栽培が始まったのは1908(明治41)年のことらしい。このときは、政府の肝いりか何かがあってのことだろうか、オリーブ栽培試験地に指定されてからだった。小豆島のほかにも三重や鹿児島でも同様に指定がされたらしいが、結実に成功したのは小豆島だけだったという。その後は、瀬戸内海沿岸各地でも栽培されるようになったものの、1959(昭和34)年の輸入自由化によって大量に輸入されるようになった外国産に押されてしまう。現在では、特産品として完全に定着させることに成功している例は、小豆島以外にはあまり聞かない。
ここでは、魚の醤油と油漬けの缶詰を作るために、オリーブオイルが必要とされたことが、定着のきっかけとなったのかもしれない。オリーブを絞るにも道具がなく、醤油もろみを圧搾するときに使う麻製の袋を代用し、それにオリーブを入れて搾ったりしたという。この話は、似たような話を連想させる。
もともとヨーロッパ、とくに地中海世界では古くから必需品になっていたのだろうが、日本に初めてオリーブが入ってきたのは幕末の頃で、横須賀で試験的に栽培が試みられたらしい。もちろん、そう簡単にはうまくいかなかった。
日本人の間でその栽培生産と需要が定着するまでには、長い時間と苦労が必要だったようだ。今では、安いイタリアン・レストランのチェーン店には、四角い細長い瓶が客の自由に使えるように、他の調味料と並べて置いてあるくらいだし、健康食品から化粧品までその用途需要は広がっている。
オリーブ園の丘を下り、国道を東へ走るバスの右手には内海湾が広がり、その向こうには南の坂手湾とを仕切る半島が、でこぼこしながら西へ張り出している。見えているのはウン崎と権現鼻であろう。バスは内海湾をぐるっと回って、このでこぼこの先の映画村まで行く。
バスの行く手、道路脇にヤシの木が数本立っている。ここが鬼ヶ崎であろうが、その名前から想像する岬の風景とは、随分趣が異なって見える。
この小さなコブのような平らな出っ張りが、なぜ鬼ヶ崎と呼ばれるようになったかはわからない。また、なぜここにヤシの木が植えられているのか、それもわからない。
考えてみれば、これは十分ナゾの岬である。謂れのひとつくらいありそうなものだが、ネット情報でもそれが探せなかったので、ナゾはナゾのまま。
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by ネオ・アッキー (2019-01-03 05:20)
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by えんや (2019-01-03 18:00)