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1953☆『思い出の索引』★でんでんむし@アーカイブス☆わたしたちが生きてきた時代とは… [年表]

われわれはどこから来て、どこへ行こうとしているのだろうか…?

1953mark.jpg昭和28年 癸巳(みずのとみ)
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◯ユーゴ、チトーが大統領に就任。
◯米、大統領にアイゼンハウアー、国務長官にダレスが就任。
◯アイゼンハウアーが一般教書でヤルタ秘密条項の破棄を表明。(台湾の中立化を解除)
◯ソ、スターリンが死去し、後任首相にマレンコフ。
◯英、エリザベス2世の戴冠式。
◯米、原子力スパイ容疑のローゼンバーグ夫妻の死刑を執行。
◯ソ、マレンコフが水爆保有を発表。水爆実験に成功。
◯ソ、副首相兼内相のベリアを免職、党から除名。後に6名とともに銃殺刑と発表。
◯ソ、党第一書記にフルチショフが就任。
◯東独で、反ソ民衆がソ連軍と衝突。
◯米英仏の三巨頭がバミューダ会談。
◯英登山隊のヒラリーと案内人テンジンがエベレスト初登頂に成功。

◯国府が中ソの諸条約の無効を宣言。
◯韓国が日本海の竹島領有を宣言。
◯中、周恩来首相が朝鮮休戦会談の再開を提案。
◯国連軍と共産軍の傷病捕虜の交換。休戦会談再開。
◯韓国で休戦反対のデモが起こるも、休戦協定に調印。
◯米韓は安全保障条約を締結。
◯韓国、竹島への海軍駐在を声明。
◯印パ、カシミール問題などで首脳会談。
◯ベトナム、ホーチミン軍が大攻勢。
◯ベトナム、人民軍がタケックを占領し、インドシナ二分に成功。

◉米からフリゲート艦の貸与を受ける。MSA日米交渉。
◉李ラインに出漁した日本漁船が韓国警備艇にだ捕される事件が頻発。
◉吉田首相が衆議院予算委員会で野党議員に「バカヤロー!」。
◉衆議院吉田首相の懲罰動議を可決。
◉吉田首相、広川農相を罷免。
バカヤロー解散。
◉東京証券市場が大暴落。(スターリン暴落)
◉自由党22議員が分党派を結成。衆議院が内閣不信任案を可決。国会解散(バカヤロー解散)。総選挙。
◉第五次吉田内閣、少数与党で成立。
◉石川県内灘の無期限使用を閣議決定。用地接収反対運動で警官隊と衝突。米軍の試射開始。
◉スト規制法案に反対のストが波状的に繰り返される。
◉標準人口を8000人以上とする町村合併促進法公布。(このため、9895あった市町村が、昭和31年には3975に減少する。)
◉恩給法改正で、軍人恩給が復活。
◉日韓会談が、「日本の朝鮮統治は朝鮮に恩恵を与えた」との日本代表発言で決裂する。
◉保全経済会が休業。
◉奄美群島返還日米協定に調印。
◉太平洋戦争の激戦地だったサイパン、テニアンなど南方の8島へ初の遺骨収集団が出発。
◉中国からの引揚げ再開第一陣が、興安丸・高砂丸で舞鶴港に入港。

・この年に亡くなった人にはこんな人も…。秩父宮雍仁親王。斎藤茂吉。峠三吉。堀辰雄。阪東妻三郎。折口信夫。徳田球一。ヨシフ・スターリン。セルゲイ・プロコフィエフ。ラウル・デュフィ。モイズ・キスリング。エドウィン・ハッブル。ユージン・オニール。

◎ファッションモデルの伊藤絹子がミス・ユニバース3位に。
◎山田敬蔵がボストンマラソンで優勝。
◎中央気象台、台風の呼称を外国人女性名から発生番号順に変更。
◎鉄道弘済会が東京駅八重洲口にコインロッカーを開設。
◎武田薬品が虫下し薬サントニンの合成に成功。
◎アメリカの知能テストが導入され、全国に普及。
◎森永製菓が銀座に球型のネオン塔を設置。
◎東京・青山にわが国初のスーパーマーケット紀ノ国屋が開店。
◎郡是(グンゼ)が、シームレスストッキングの製造を開始。
◎大阪・梅田に初の高層建築、第一生命ビル地上12階地下3階。屋上のビヤガーデンも第一号。
◎東京有楽座でシネマスコープ第一作の「聖衣」封切り。
◎理研光学(リコー)が大衆向け「リコーフレックス」を発売。
◎イギリスと係争中のイランに出光興産がタンカー「日章丸」を派遣して大量の石油を購入。
◎三洋電機が初の噴流式電気洗濯機を2万8,500円で発売。

◎手塚治虫の「リボンの騎士」が講談社「少女クラブ」で連載開始。
◎NHKが東京地区でテレビの本放送を開始。

◎NHK第3回紅白歌合戦を日劇から中継放送。大相撲のテレビ中継も始まる。
◎民間のテレビ局、日本テレビも開局。
◎しかしテレビの普及率は0.02%。大卒初任給が8,000円で、テレビは20万円もしたので、↓庶民はもっぱら…。

■流 行:街頭テレビ・真知子巻き。
■テレビ:ジェスチャー・山びこ学校・紅白歌合戦。
■邦 画:今井正/ひめゆりの塔・島耕二/十代の性典・大庭秀雄/君の名は。
■洋 画:ジョージ=スティーヴンス/シェーン・ヴィットリオ=デ=シーカ/終着駅・ルネ=クレマン/禁じられた遊び。
■ 歌 :織井茂子/君の名は・高英男/雪の降るまちを・街のサンドイッチマン/鶴田浩二。
■ 本 :山岡荘八/徳川家康・伊藤整/火の鳥・菊田一夫/君の名は・サン=テグジュベリ/星の王子さま・ボーボワール/第二の性。
■ことば:八頭身・さいざんす・むちゃくちゃでござりまする。

❖年表の元ネタ主な参考資料三省堂『コンサイス世界年表』三省堂編修所編。河出書房新社『昭和・平成 家庭史年表』下川耿央・家庭総合研究会編。小学館『昭和・平成 現代史年表』神田文人編など。

dendenmushi.gif(2014/11/22 でんでんむし蛇足の記)
 祖父の若い頃は遊びも派手な職人の世界で、それなりの贅沢もした、できたのであろうが、戦後はなにひとつ贅沢もできず、またしなかった。酒や煙草の嗜好品は手放すことはなかったが、それも晩酌を楽しみ、仕事の合間には刻み煙草(「みのり」か「ききょう」)を、手製のキセルに詰めてぷかぷかする程度のことであった。
 ある時期は、趣味と実益を兼ねてか、夜釣りによく行っていた。道具も今のような立派な竿やテグスがあったわけではないが、それでもよくチヌを釣ってきていた。鉛の棒が道具箱の隅にあったのは、それを溶かして自分で好みの錘をつくっていたからだろう。ついて行ったこともあるが、寒くて閉口しまたそういうときに限って釣れないので、猿猴川の砂洲でエサにする小さなカニを捕るのを手伝うくらいにしておいた。
 チヌは、一般にクロダイと称されるが、なにか昔食べたチヌとは違うような気がするのも、記憶の微妙なところなのだろう。新橋から虎ノ門へ行く間に、ちょっと有名な広島郷土料理の店がある。そこで、チヌそうめん(タイだったかな?)というのがメニューにあった。祖父がチヌを釣ってきたときはこれもよく食べた。懐かしかったので、それを注文してみたのだが、やっぱり微妙に記憶とは違う感じがしたものだ。
 戦前は宴席でいい酒も飲んでいただろうが、戦後はもっぱら山ひとつ向うにあった当時“朝鮮部落”と呼んでいた谷間の集落まで、一升瓶を抱えて密造の焼酎を買いに行くのがでんでんむしの役目で、そこには学校の同級生もいた。
 賭事もやらずいたって真面目一本の性格だが、多少の目端も利いたらしく、蓄えた金で広島の郊外に田地田畑を買い、借家までもっていたようで、これが戦後の生活の支えになっていた。だが、戦後の投資では大失敗をしている。それが、死ぬまで祖父が百姓になってひきこもってしまうことになる要因でもあったのではないか、と後からは思える。
 この年の年表に「保全経済会」の文字があるのをみて、思い出すことがある。戦後はこれに代表される金融事件が続発しているのだが、祖父もかなりの大金を金融会社に預けたらしいが、結局それは返ってこなかった。もちろんそんなことをこどもに話すことはなかったが、後から出てきた紙切れや叔母の話によると、そういうことがあった。
 一度だけ、ついてくるように言われて、中折れ帽にインバネスに桐の下駄という姿の祖父にくっついて広島の兜町である銀山町まで行ったことがある。後から思えば、あれは取り立て交渉に行ったものだろう。
 帰りに広島駅前のバラックの飲食店街の「びっくり食堂」で、びっくりするほど大きな湯豆腐を手酌を重ねる祖父のそばで食べた記憶が、妙に鮮やかなのだ。
 その記憶とともに、でんでんむしがその後だんだん強く感じるようになったことは金融とか投資などというもの、さらにいえばお金がお金を産むというしくみのすべてに対する、ある種のいかがわしさとそこはかとない嫌悪感のようなものであった。 
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タグ:年表
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