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1961☆『思い出の索引』★でんでんむし@アーカイブス☆わたしたちが生きてきた時代とは… [年表]

われわれはどこから来て、どこへ行こうとしているのだろうか…? 

1961mark.jpg昭和36年 辛丑(かのとうし)
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◯米、キューバと国交断絶。
◯仏の国民投票、ド大統領のアルジェリア自決政策を圧倒的多数が支持。
◯米、ジョン・F・ケネディが大統領に就任。
◯イスラエルで元ナチのアイヒマン裁判、上告を棄却し死刑執行。
◯ソ連がガガーリン少佐を乗せた世界初の人間衛星船ボストーク1号の打ち上げに成功。2号ではチトフ少佐搭乗。
◯米支援の反革命軍が、キューバ上陸を企てるも失敗。撃滅される。
◯キューバ、カストロ首相が社会主義共和国を宣言。
◯米マーキュリー計画、人間ロケット1号2号の打ち上げ成功。
◯東独、東西ベルリン境界線に壁を構築。
◯仏、OASによるドゴール大統領の暗殺未遂事件。
◯国連事務総長ハマーショルドが、ローデシアで飛行機事故死。
◯米、最大ミサイル、タイタンの発射に成功。
◯ソ、50メガトン核爆発実験。
◯国連総会で核兵器使用禁止宣言・アフリカ非核武装宣言を可決。
◯国連総会、植民地独立宣言の履行状況についての決議採択。

◯コンゴのルムンバ首相が監禁、殺害される。
◯アルジェリアの仏軍が反乱。
◯韓国で軍事クーデター、戒厳令を敷き反共体制を宣言。張都暎首班の軍人内閣。
◯イラクのカセム首相がクエートの合併を声明。英とクエートは反対声明。
◯韓国国家再建最高会議議長の張都暎が失脚。副議長の朴正熙少将が後任。
◯シリアで反エジプトのクーデター。新政権はアラブ連合を脱退。
◯アラブ連合はヨルダン、トルコと国交断絶。
◯南ベトナム、ゴディンジェム大統領が非常事態宣言、全権を掌握。

◉新島でミサイル試射場反対闘争が激化。
◉深沢七郎の「風流夢譚」に怒る右翼少年が、中央公論社嶋中社長邸を襲撃。二人を殺傷。
◉社会党大会で委員長に河上丈太郎を選出。
◉ライシャワー新駐日大使が着任。
◉池田内閣改造、佐藤栄作、河野一郎、藤山愛一郎、三木武夫ら有力者入閣。
◉松川事件の差し戻し審で、仙台高裁が全員無罪の判決。
◉安保体制批判のフルシチョフ親書を、見本市で来日のミコヤンが池田首相に手交。池田返書で反論。
◉ソ連の核実験再開に抗議、米にも再開中止を要請。
◉旧軍人らのクーデター計画が発覚。(三無事件)

・この年に亡くなった人にはこんな人も…。古川緑波。村松梢風。下中弥三郎。赤木圭一郎。柳宗悦。小川未明。喜多村緑郎。花井蘭子。東久邇成子。麻生豊。津村謙。津田左右吉。葛原しげる。矢内原忠雄。ダシール・ハメット。パトリス・ルムンバ・ゲイリー・クーパー。カール・グスタフ・ユング。アーネスト・ヘミングウェイ。梅蘭芳。

◎上野の東京文化会館落成。
◎大阪の国鉄環状線、西九条=天王寺間が開通。
◎大阪・釜ヶ崎で2000人が暴動化。
◎本州各地に集中豪雨の被害続出。死者357人。
◎台風18号が近畿地方に猛威をふるい、死者202人、98万戸が被災。(第二室戸台風)
◎総延長1135キロの愛知用水が完工、通水式。
◎中央公論社が、「思想の科学」天皇制特集号の発売を中止に。
◎「宴のあと」で私生活を露骨に描かれたとして、有田八郎が著者と版元を告訴。初のプライバシー侵害訴訟。
◎日航、国内線でもジェット機就航。東京=札幌、コンベア880、124人乗り。一日一便。続いて沖縄便にも。
◎文化出版局、婦人雑誌「ミセス」創刊。
◎大関の大鵬と柏戸が揃って横綱になり、柏鵬時代始まる。
◎大松監督率いる日紡貝塚女子バレーボールチームが欧州遠征。24戦して無敗、「東洋の魔女」と呼ばれる。

■流 行:レジャーブーム・Gパン・ホンコンシャツ・ツイスト。
■テレビ:娘と私・夢で逢いましょう・シャボン玉ホリデー・七人の刑事・アンタッチャブル・ローハイド・ララミー牧場。
■邦 画:松山善三/名もなく貧しく美しく・松田定次/赤穂浪士・黒沢明/用心棒。
■洋 画:ロバート=ワイズとジェローム=ロビンス/ウエストサイド物語・エリア=カザン/草原の輝き・アラン=レネ/夜と霧・アルベール=ラモリス/素晴らしい風船旅行・ルイ=マル/地下鉄のザジ。
■ 歌 :渡辺マリ/東京ドドンパ娘・石原裕次郎=牧村旬子/銀座の恋の物語・フランク永井/君恋し・村田英雄/王将・坂本九/上を向いて歩こう。
■ 本 :岩田一男/英語に強くなる本・小田実/なんでも見てやろう・平凡社/国民百科事典全7巻。
■ことば:プライバシー・わかっちゃいるけどやめられない・不快指数・地球は青かった・東洋の魔女。

❖年表の元ネタ主な参考資料三省堂『コンサイス世界年表』三省堂編修所編。河出書房新社『昭和・平成 家庭史年表』下川耿央・家庭総合研究会編。小学館『昭和・平成 現代史年表』神田文人編など。

dendenmushi.gif(2014/12/08 でんでんむし蛇足の記)
 安保騒動で日本中が沸騰していたように思われたときには、自分も国会周辺のデモに参加しなければならないような気もした。そこで、2度くらいノコノコ出かけていったが、実はデモに参加するというのでもなく、ただその空気を感じに行ったという、はっきり言えばヤジウマと変わらない。女子大生が亡くなったときには、議事堂を挟んでその現場の反対側のほうにいた。
 その年の暮れには、社会党の浅沼委員長が刺殺されるという事件が起こったが、ちょうどその時刻には現場となった日比谷公会堂の半地下にあった共同通信社のラボにいた。
 東京では、ラジオからはトニー・ザイラーの歌がやたら流れていた頃だった。さるところからもらった「近代劇全集」を片っ端から読みながら、作劇とか物語の創作をいろいろと試みた結果、自分は決してレジナルド・ローズにはなれないということを、やっとはっきり自覚することになった。
 要するにフィクションを組み立てるということが、非常に苦痛でうまくできない。ウソでもいいからと思うのだが、それがどうしてもできない。
 そんなこんなもんもん(というほどでもなく、“やっぱり”という感じか)としているうちに、金もないしいつまでもフラフラもできないと、仕事を見つけてきた。
 八重洲と有楽町の間付近の小さな出版社というのか雑誌社というのか、今思うと半分総会屋のような業界ゴロといっていいのだろう。その頃はそういう変な会社が成り立っていた。社長と編集長と以下5人くらいで、やっていることはさほど悪いことをしているわけではない。
 社長の顔が利くらしい電力・ガス業界関係の出版(主に社長や会長の伝記作成)をやるのがメインの収益事業であったらしいが、“社旗”を立てた黒塗りの自家用車に運転手もいて、それで自民党本部の大ボス小ボスなどにも出入りしていた。どうも、“マスコミ”らしい体裁を保つために、雑誌もどきの出版物を出していたのではないかと、後からは思えるのだが、その編集制作を担当することになった。
 メインのほうは、ほとんど社長がトップ・セールスで話をつけてきて、編集長という肩書きの人が一人で取材して原稿を書くという形だったので、そこにはタッチしなかったが、「なるほど、こういう商売もあるのか」と、広島と比べて東京のおもしろさ、得体のしれなさを感じていた。
 やっていることには多少フィクサー的でいかがわしいところがあるにしても、社長以下みな気分のいい人で、すぐに馴染んで好き勝手に雑誌づくりをやっていた。それを取り仕切っていたのは社長の息子という人で、この人がまたごくおとなしくまともである。この人があの社長の後を継いで、やっていけるのだろうかと心配するくらいだった。
 浅沼委員長が刺殺されたとき、なぜその現場の日比谷公会堂にあった共同通信のラボにいたのかといえば、その雑誌編集の仕事で必要な写真を探しに行っていたのである。
 その小さな会社が入っていた小さなビルは今も残っているが、昼食を取りに行っていた有楽町フードセンターも東京都庁の大食堂も砂場のそば屋もなくなっている。確かめたことはないが、その会社ももうないのであろう。
 あるとき、社長がこういうフレーズでポスターの素案を考えてくれと、メモを差し出して言う。細かい表現がどうだったか忘れているが、「みんなの所得を倍にする七本の柱」というような主旨だった。一晩でスケッチを描いて翌日渡したら、ニコニコとして受け取った社長はそれを丸めて鞄に入れ、ボードに「一陽来復」と書くと、そのまま黒塗りの自家用車でどこかへ出かけていった。
 それからしばらくして、広島出身で初の総理大臣となった池田勇人が、「所得倍増計画」を発表した。
 なんかしらんが、やっぱり、東京はおもしろいとこだヮ…。
 明けて翌年は1961年、安保の重苦しい雰囲気もだんだんに薄らいで、首相が退陣するだけでこうも変わるのか、と思うほどだった。(そのとき、怨嗟のなかで退陣を余儀なくされて、憤懣やるかたない前首相は、孫を相手にいろいろ吹き込んだのかもしれない。その吹き込まれた孫が、「じっちゃんの名にかけて」と祖父の思いをそのまま受け継ぎ、今この時期に首相として現れてきてなにやらを取り戻そうとか、なんとかミクスで三本の矢などを持ち出していうことになろうとは、当時誰もまったく想像できないことだった。事実はつくり話よりも奇であり怪である。)
 お正月は世田谷の社長の家に招かれたりして、和気あいあいとなんとなくこのままいくのかなと思っていたが、やはりそうはいかなかった。
 次の人生の転機というヤツが、どうやら訪れていたようだ。それを説明するのはむずかしいが、とにかくいろいろあって、広島へ帰らなければならなくなってしまったのである。
(これを読んでくれたある人から、日比谷公会堂にあったのは「共同通信」ではなくて「時事通信」ではないかとメールをもらった。ええっ! そうだったっけ?  いやぁ記憶では「共同通信」なんだけどなあ。(^0^;))
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