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『思い出の索引』★でんでんむし@アーカイブス☆わたしたちが生きてきた時代とは…まとめ2 [年表]

Dendenmushi_@yChronicle 作業を終えての感想として
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mark.jpg蛇足の蛇足
 2014/06/25から思いつきで始めてしまった『思い出の索引』年表づくりは、ほぼ10か月かかってやっと終了した。
 枯れた歴史としてはとりあえず1990年までを一区切りとしたが、いつも見ていてくださったみなさんからコメントもいただき、ありがとうございました。
 そんなことを考えたのも、2015年が終戦、いや敗戦の年から数えて70周年に当たるからで、この70年間こそが自分が物心ついてからのすべてであるからだ。自分が生きてきた時代のすべてが、この70年でもあった。もちろんそれは環境や時間の長短の違いはあれ、同時代に生きてきた皆さんとても同様であろう。
 そして、これをご覧になったみなさんには、またそれぞれに独自の『思い出の索引』ができることだろう。
          
 年表の文字を全部追って読むのは確かに苦労であるが、それは当初から想定していなかった。ただツラツラ眺めていれば、それぞれ見る人によっていろんな思い出が蘇ってくるかもしれない…。年表はその引き出しの材料としてつけてある。
 あえて年表の日付を入れなかったのは、ツラツラと見て、そうか大体こいうことがあって、こういう流れで世の中が動いていったのだという理解ができることを、期待し想定していた。つまりもともと、全部を順番に読んでいく必要はないのだ。ただ、それがあまりうまくいったとも思えない。
 こういうことは全部個人の記憶で書くことは不可能だから、いくつか手元の資料を使わせてもらっている。
 けれども、元にした出版物である年表は、いわゆる出来事を時系列に並べるという普通の伝統的な方法によって作成されている。おまけにどんな年表であっても、それぞれが世の中のできごとのごく一部を拾っているだけだし、それからまた取捨選択してしまえば、それらが世の中の流れを表しているわけでもないことになる。
 世の中のできごとのすべてを、細大漏らさず網羅することが、そもそもムリなので年表には自ずと限界がある。
 そこで、それぞれ目的やテーマにあわせた編集が行なわれることになるが、でんでんむしの目的は「自分はどんな時代に生きてきたのだろうか」ということである。
          
 通常の年表に並べて、個人的なイベントや思い出やその年の出来事にまつわる感想など、蛇足を付け加えてみた。
 そうすることによって、なんとかその時代の中で自分自身がなにを考えなにをしていたかと、世の中の流れを関連づけてみることはできないだろうか。それがこの年表の狙いであったが、やってみるとあまりうまくいったとも言えそうにない。
 やはり出来事の羅列から時代の流れを感じ取るのは、むずかしいのであろうが、何かそんなところに歴史の情報や教育に盲点もありそうにも思えてくる。
          
 でんでんむしは、日本はどうしてなぜあの戦争を始めたのか、そしてなぜもっと早くそれを終わらせることはできなかったのか、という疑問を抱き続けてきた。さらに言えば、戦後70年も経った今もなお、その負の遺産を引きずったまま周辺諸国ともぎくしゃくして、精算できていないのはなぜだろうか。
 個人の思い出とは別ジャンルというべきだろうが、世の中の動きはいつも大きく国際情勢、政治情勢によってつくられていく。戦争で父を原爆で祖母や家を失ったでんでんむしは、中学生のときに「理想の世界政府」という文を書いた。高校生の頃にはたくさんの戦記物も読んだ。戦争で大きく変転した環境を、運命として受け入れてきたが、この70年で決して日本が明日への希望をもち、よい方向に進んでいるとも思えないのが悲しい。
 そういうわけで、まとめでは日本の政治状況を中心に振り返ってみた。 
 現在の状況をみても、議論も尽くされたとは言えないまま、論点があいまいなまま改憲論議が進んで、まるで既定路線であるかのように言われ、日本を取り戻すという首相がなにをなにから取り戻そうというのか、やたら張り切って世界の十手持ちの手先に任ずるべく突き進んでいるようにみえてしまう。
 そして、その対抗軸は見事に雲散霧消してしまって、連立の相手も歯止めはおろか完全な補完勢力になっている。誰も牽制もできず止めることもできず、やっぱり株が上がらないと困るからねえと自民党支持が続く現状は、果たしてわれわれが望むべき最善ないしは次善の状況なのだろうか。
          
 自慢ではないが(自慢するときの決まり文句)、へそまがりでんでんむしは選挙で自民党に入れたことがない。常に少数派、反体制であるが、それは単にバランスを取りたいがためである。
 一党一派に都合がいいように権力が偏るのは、どちらにしてもよくない。左右のバランスが重要だと考えると、日本の戦中戦後は、保守の自民党系列と官僚支配があまりにも長く続きすぎた。
 一時期、政権の交代もあるにはあったが、未熟なそれを育てるという思考方法をもたない有権者は、すぐに見限ってしまう。マスメデイアも同様で、政治と金の問題に集約して叩きまくってきた。それが今は敵失に付け入って付け上がる巨大与党の前に、妙に萎縮しておとなしくなってしまっている。
 社会の木鐸であろうとしたはずの新聞も、いちおう全国紙を5紙とするとその3紙までが明確な右寄り政権派であり、政府広報ないしネトウヨ御用達と化している。嵩に懸かった自民党は、テレビの番組の端々にもこまめに介入することをなんとも思わない。そのテレビや新聞の経営者には、報道陣としての批判精神もなく首相とのお食事会に余念がないようだ。
 対して、野党は非力でくだらない勢力争いに終始し、ときどき声を上げる進歩的文化人とやらにも力はなく、対案を出せという居丈高な意見に対して、大方を納得させるような論調も指標も生まれてこないときている。そうして、だんだんと理想を語ることを忘れていく。
          
 改めて年表でできごとを振り返ってみると、結局のところ、敗戦後70年のすべての要因がそこに帰結するかのような感さえある。つまり、70年間の間、そのほとんどで政権を握ってきた保守政権が、ついに戦後処理をしないまま今日に至っている、という見方もできるのだ。
 第2次大戦において、日本と同じ枢軸国側で敗戦を迎えたドイツは、その政権と軍部が侵した暴虐非道ぶりは、日本のそれとは比較にならないくらいなのにもかかわらず、戦後のありかたは彼我の差が大きい。
 その違いは、ごく大まかに言えば、敗戦の事後処理と反省の仕方の違いであろう。未だに反省するだのお詫びしないだの言っている日本は、戦争責任を「一億相懺悔」で誤魔化してしまったために、戦争の反省が万事徹底しないままであった。多くの戦犯はすぐに社会復帰をし、要職に迎えられた。
 その背景には、ちょうどそのタイミングで起こった東西対立と朝鮮戦争の勃発が大きい。それらが戦争責任の追及をますます曖昧にし、戦争を遂行してきた人や思想の多くが、そのまま戦後社会に居座ってしまった…。
 それが日本の不幸であったと、そんな見方もできるのではないだろうか。
           
 ごくごくおおざっぱな、床屋政談的印象批評にすぎないし、いまさら言っても益のないことかもしれない。また、論旨も十分に整理されておらないうえに穴だらけで、あまり説得力もないが、敗戦後70年のでんでんむし的まとめも、そういうことになろうか。
 しょせん無力な一年金生活者が何を言おうと、関係はないのだが、それぞれが敗戦後70年を振り返り、考えてみることは、これからの日本を考えるうえで重要であるかもしれない。

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 dendenmushi.gif2015/04/21 記
 
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